however
最近「科学革命の構造」という本を読んでます
トーマス・クーンという人が書いているのですが
このブログで度々常識が変わるという事を書いている事を
もっと歴史的事実を照らして説明解説しているので
おすすめです
さて、そこで気づいた事がありました
歴史を真摯に見つめない人は
これまでの延長線上にない考えに出会うと
その考えや意見を非難するという事です
本当の歴史を真摯に見つめると
革命が起きて常識が変わり
それまでの考えや常識が変わるという事を
世界で人類は営んできました
テレビでニュースになっている
正しい歴史とは
ただの政治ゲームです
自分たちの要求を飲ますために
相手側を非難し続けるのです
黒船以来日本は世界とこの事だけで
ときには戦争までしてきました
いまでもこのロジックは変わりません
その当時の常識が
白人による植民地支配で
武力によってそれを覆せなかったのは
日本を非難している人たちの国の歴史でもあります
欧米を植民地支配で非難してもお金はもらえませんが
日本なら敗戦国という立場から
お金をもらえると信じているのでしょう
事実現代の世界の関係はそうなってます
日本がいなかったら
人種が変わり(白人との混血種)
自分の意見など一切通らず
ただ白人の利益のために生きる人生だったのに
日本の植民地以外のアフリカ諸国や南米諸国は
日本の影響を受けた国ほど栄えてません
日本も欧米のように
植民地に対して教育などせずインフラなど整えなければ
いつまでも搾取できたものを
欧米と同じ事をしなかったがために
欧米から非難を受け
アジアから非難を受け
自尊心のない国民性になったんではないかと思います
人間とは自分の利益だけを考えている人が
世界の常識を作っているのですね
さて植民地時代の日本のしたことと
常識による人間模様を述べましたが
日本がいなければアジアに植民地支配に終わりは来なかったはずです
日本が欧米に負けたので世界からお金をせびられてます
ある常識に対して異なる意見を言ったとき
ある常識を信じている人は
異なる意見を言った人を非難し攻撃します
これはある常識から自分の利益
つまり利害関係から生活設計、人生設計があるので
それを変わるのを嫌がります
ある国が計画立てて国を発展させようとしているときに
他の国がルールを変えようとするには
迷惑なはずです
自分が変えるのはいいけど他の人に変えられるのは
計画が狂ってまたやり直さなければなりませんから
順調にいってたらなおさらです
そしてトーマス・クーンがいうには
それらの人は政治的に寂しい道を歩むことになるそうです
もちろんみんなが間違って
誰か一人だけ間違ってなかったら
間違わなかった一人だけ寂しい人生を送らせて仕舞えば
あとのみんなは安泰です
歴史としてこのことは残りますが
言い訳はたくさん用意されますから大丈夫です
事実に向き合わなくても
言い訳を言ってれば自分の身は守れます
わたしは人は歴史的事実を理由にするのではなく
(何かの口実に歴史を引っ張るのではなく)
非線形とした社会を少しでも理解するための
教訓としてもあるべきだと思います
何かの恩恵を与えても
その見返りがあるわけではなく
逆に恩恵を受けた人に被害に合わされるということを
学ぶべきです
人間はそういう一面があります
自らの利益のために
いいことをしておごれるわけではないということです
ちょっと寂しく聞こえるかもしれませんが
人間誰しも聖人君子ではありません
民主主義が行き過ぎれば
そういうこともあり得ます
民主主義を無視すれば
自力での発展は難しくなりますが
(誰かの真似や恩恵なしで発展はシステム的にあり得ません)
わたしはそれでもいいことをするべきだと思います
確かキリストもそんな教えをしてましたっけ
勘違いかな?
トーマス・クーンという人が書いているのですが
このブログで度々常識が変わるという事を書いている事を
もっと歴史的事実を照らして説明解説しているので
おすすめです
さて、そこで気づいた事がありました
歴史を真摯に見つめない人は
これまでの延長線上にない考えに出会うと
その考えや意見を非難するという事です
本当の歴史を真摯に見つめると
革命が起きて常識が変わり
それまでの考えや常識が変わるという事を
世界で人類は営んできました
テレビでニュースになっている
正しい歴史とは
ただの政治ゲームです
自分たちの要求を飲ますために
相手側を非難し続けるのです
黒船以来日本は世界とこの事だけで
ときには戦争までしてきました
いまでもこのロジックは変わりません
その当時の常識が
白人による植民地支配で
武力によってそれを覆せなかったのは
日本を非難している人たちの国の歴史でもあります
欧米を植民地支配で非難してもお金はもらえませんが
日本なら敗戦国という立場から
お金をもらえると信じているのでしょう
事実現代の世界の関係はそうなってます
日本がいなかったら
人種が変わり(白人との混血種)
自分の意見など一切通らず
ただ白人の利益のために生きる人生だったのに
日本の植民地以外のアフリカ諸国や南米諸国は
日本の影響を受けた国ほど栄えてません
日本も欧米のように
植民地に対して教育などせずインフラなど整えなければ
いつまでも搾取できたものを
欧米と同じ事をしなかったがために
欧米から非難を受け
アジアから非難を受け
自尊心のない国民性になったんではないかと思います
人間とは自分の利益だけを考えている人が
世界の常識を作っているのですね
さて植民地時代の日本のしたことと
常識による人間模様を述べましたが
日本がいなければアジアに植民地支配に終わりは来なかったはずです
日本が欧米に負けたので世界からお金をせびられてます
ある常識に対して異なる意見を言ったとき
ある常識を信じている人は
異なる意見を言った人を非難し攻撃します
これはある常識から自分の利益
つまり利害関係から生活設計、人生設計があるので
それを変わるのを嫌がります
ある国が計画立てて国を発展させようとしているときに
他の国がルールを変えようとするには
迷惑なはずです
自分が変えるのはいいけど他の人に変えられるのは
計画が狂ってまたやり直さなければなりませんから
順調にいってたらなおさらです
そしてトーマス・クーンがいうには
それらの人は政治的に寂しい道を歩むことになるそうです
もちろんみんなが間違って
誰か一人だけ間違ってなかったら
間違わなかった一人だけ寂しい人生を送らせて仕舞えば
あとのみんなは安泰です
歴史としてこのことは残りますが
言い訳はたくさん用意されますから大丈夫です
事実に向き合わなくても
言い訳を言ってれば自分の身は守れます
わたしは人は歴史的事実を理由にするのではなく
(何かの口実に歴史を引っ張るのではなく)
非線形とした社会を少しでも理解するための
教訓としてもあるべきだと思います
何かの恩恵を与えても
その見返りがあるわけではなく
逆に恩恵を受けた人に被害に合わされるということを
学ぶべきです
人間はそういう一面があります
自らの利益のために
いいことをしておごれるわけではないということです
ちょっと寂しく聞こえるかもしれませんが
人間誰しも聖人君子ではありません
民主主義が行き過ぎれば
そういうこともあり得ます
民主主義を無視すれば
自力での発展は難しくなりますが
(誰かの真似や恩恵なしで発展はシステム的にあり得ません)
わたしはそれでもいいことをするべきだと思います
確かキリストもそんな教えをしてましたっけ
勘違いかな?
analyze
社会を分析するのにコツがあると思います
私は最近、ミクロとマクロと
私的と公的などを利用してます
まずミクロとマクロの説明ですが
社会の動きを把握するため
全体性(マクロ)を失わないように
それらを構成する機能のつながり(ミクロ)を
明らかにします
次に社会にとっての公的と私的の説明です
社会は人間関係を構成する構造を元に
機能してそれらが関連してシステム、
経済システムを構成しています
人間関係の元は個人です
個人が私的な動機で関係するか
おおやけ(他人の満足に協力できる心)の
気持ちで関係するかで構造は変わります
構造が変われば機能も変わります
機能が変わってもシステムの目的は変わることは
ないと思いますが
経済で頑張った人が多くの収入を得て当然だという
考えが謳歌してると思いますが
現状多くの収入を得ている人は
経営者か投資者ばかりで
頑張って労働者が仕事をしても
多くの収入を得た人はまずいません
つまり私的な利益のために
労働者を利用している人たちの正当化のために
さっきの理由が使われているのです
実態は違います
経営者と投資家は労働者が仕事をして
はじめて成功することができます
社会の全員が経営者や投資家になることはできません
経営者や投資家が多くの利益を得て
みんながそれを目指して頑張れば
経済は良くなることはありません
部品を専門に作っている町工場の人が
発明をすれば儲けられるかもしれない
ということは非現実的です
部品を作っている間中、他のことを考えられるなら
少しは可能性がありますけど
はっきり言って危険ですし
バイトの立場でも難しいでしょう
つまりみんな一緒ではなく
役割を全うして社会が成り立つのです
人が役割を担って(構造)
それぞれの仕事をこなし(機能)
みんなが協力して(システム)
社会が良くなるのです
ちょっと大事なことが抜けてました
社会が良くなるにはまだまだです
それはおおやけです
自分以外の(自分たち以外の)満足に協力することで
社会での人間関係はより良くなります
誰かに物事を頼むとき
その人との人間関係がないと
言うこと聞いてくれるのは難しいですよね
関係のない人なら
何か対価を与えないと頼みごとを聞いてくれるのは
まずないと思います(人助けなどではなく経済的なことで)
中世の頃、主人に忠実に命を懸けて戦った配下に
褒美を与えたのは世界中一緒です
でないと不満がたまり言うことを聞かないばかりか
立場を追われることになりかねません
現代は法律の整備などで
気持ちをないがしろにしても
苦労をないがしろにしても
国家が法を犯さない限り
報いないことを認めてしまいます
しかし昔から人に協力してもらっている立場の者
あるいは人を従えている立場の者が
人間関係が良くなければ(構造)
協力者や配下の満足に寄与しなければ(機能)
その社会の平和を守ることはできません(安定した社会システム)
(相手のことを考えて良かれと思ってしたことでも
相手の欲求と合わなければ満足しないこともあります)
このことから経営者や投資家らが
どうすべきかわかると思います
労働者の満足に報いること
できれば社会の満足に報いること
こうすることで
人間の関係性がよくなり
仕事も順調に行き
経済も良くなる
と思っています
ただしそれでも社会の常識は変わります
時代のせいではなく
知的進歩を続けるなら
それは避けて通れません
そのときにそれを拒んで衝突するのは
避けて通れないわけじゃないと思うのですが
人間の脳の性質なんでしょうか
社会の常識が変わるとき
人間関係が変わり
変わる仕事や新しい仕事もあり
経済システムが変わるのです
社会システムが変わるのです
変わってしまったら良くなったりするはずです
でも同じあなたです
私は最近、ミクロとマクロと
私的と公的などを利用してます
まずミクロとマクロの説明ですが
社会の動きを把握するため
全体性(マクロ)を失わないように
それらを構成する機能のつながり(ミクロ)を
明らかにします
次に社会にとっての公的と私的の説明です
社会は人間関係を構成する構造を元に
機能してそれらが関連してシステム、
経済システムを構成しています
人間関係の元は個人です
個人が私的な動機で関係するか
おおやけ(他人の満足に協力できる心)の
気持ちで関係するかで構造は変わります
構造が変われば機能も変わります
機能が変わってもシステムの目的は変わることは
ないと思いますが
経済で頑張った人が多くの収入を得て当然だという
考えが謳歌してると思いますが
現状多くの収入を得ている人は
経営者か投資者ばかりで
頑張って労働者が仕事をしても
多くの収入を得た人はまずいません
つまり私的な利益のために
労働者を利用している人たちの正当化のために
さっきの理由が使われているのです
実態は違います
経営者と投資家は労働者が仕事をして
はじめて成功することができます
社会の全員が経営者や投資家になることはできません
経営者や投資家が多くの利益を得て
みんながそれを目指して頑張れば
経済は良くなることはありません
部品を専門に作っている町工場の人が
発明をすれば儲けられるかもしれない
ということは非現実的です
部品を作っている間中、他のことを考えられるなら
少しは可能性がありますけど
はっきり言って危険ですし
バイトの立場でも難しいでしょう
つまりみんな一緒ではなく
役割を全うして社会が成り立つのです
人が役割を担って(構造)
それぞれの仕事をこなし(機能)
みんなが協力して(システム)
社会が良くなるのです
ちょっと大事なことが抜けてました
社会が良くなるにはまだまだです
それはおおやけです
自分以外の(自分たち以外の)満足に協力することで
社会での人間関係はより良くなります
誰かに物事を頼むとき
その人との人間関係がないと
言うこと聞いてくれるのは難しいですよね
関係のない人なら
何か対価を与えないと頼みごとを聞いてくれるのは
まずないと思います(人助けなどではなく経済的なことで)
中世の頃、主人に忠実に命を懸けて戦った配下に
褒美を与えたのは世界中一緒です
でないと不満がたまり言うことを聞かないばかりか
立場を追われることになりかねません
現代は法律の整備などで
気持ちをないがしろにしても
苦労をないがしろにしても
国家が法を犯さない限り
報いないことを認めてしまいます
しかし昔から人に協力してもらっている立場の者
あるいは人を従えている立場の者が
人間関係が良くなければ(構造)
協力者や配下の満足に寄与しなければ(機能)
その社会の平和を守ることはできません(安定した社会システム)
(相手のことを考えて良かれと思ってしたことでも
相手の欲求と合わなければ満足しないこともあります)
このことから経営者や投資家らが
どうすべきかわかると思います
労働者の満足に報いること
できれば社会の満足に報いること
こうすることで
人間の関係性がよくなり
仕事も順調に行き
経済も良くなる
と思っています
ただしそれでも社会の常識は変わります
時代のせいではなく
知的進歩を続けるなら
それは避けて通れません
そのときにそれを拒んで衝突するのは
避けて通れないわけじゃないと思うのですが
人間の脳の性質なんでしょうか
社会の常識が変わるとき
人間関係が変わり
変わる仕事や新しい仕事もあり
経済システムが変わるのです
社会システムが変わるのです
変わってしまったら良くなったりするはずです
でも同じあなたです
emergence
あなたの自由は選択にあるのでしょうか
選ぶ自由、限られた中の出来事ですよね
私は掛け合わせることが自由を
謳歌することだと思います
概念、観念、機能、システム等を
二つ(人の力次第)以上の要素を
掛け合わせ、新しい要素を生み出すのです
選択するよりはるかにその可能性は広がります
男女の組み合わせもしかりです(好き嫌いを無視したらの話)
しかし何かに統合されていなければいけません
むやみに掛け合わせても
意味的にも効果という意でも成り立ちにくいです
(偶然はあるにしても)
料理を思い浮かべてください
アイスに生クリームは美味しいかもしれませんが
イカの刺身にチーズは?だと思います
美味しくないと掛け合わせた意味は疑問です
文字を組み合わせた言葉も
何の脈絡もない文字の組み合わせに
意味など求めにくいではありませんか
概念、観念、機能、システムにも同じことが言えます
目的、種、構造、現象などに統合や基底されます
政治で「正しい歴史」とニュースで聞きますが
この言葉を第二次世界大戦を指すこと以外で
使われた試しがありません
人権を守るためにも
貧困と戦うためにも
社会システムをより良くしようとすることにも
ようは政治のゲームから出ることは
世界の常識上あり得ないということです
世界の常識では
しかしシステムの常識に照らせば
歴史を役に立てられます
ゲーム理論を社会システムでは扱いますが
システム理論では扱いません
ゲーム理論でいう最大の利得である
「裏切り」がシステムにとって社会システムにとって
最大の利得ではないのです
システムはシステム全体の役に立って要素が成り立ちます
バラバラな要素を組み合わせても
なんらかに統合されていないと
システムとして要素は機能しません
(生命システムでいうと一度死ねば何をどう
組み合わせても生き返りません)
現代までの社会が成り立つ歴史では
国というより社会(主に宗教などを基底とした)
が違う社会に影響を受けて変わります
つまり自分たちの社会の常識と
他の社会のなんらかの要素を結合した時に
その社会を変える要素が生まれます
(本が誕生してからは本(情報)と本(情報)からでも起きます)
しかしここでこのことを思いついた人は
権力の手によって制裁を受けます
新しい要素は古い体制を崩すものですから
(権力者は自分のいうことを常識にして
自分の地位を守ります)
そのことが人類の歴史で変わらない現象です(今の所)
人権を守るために歴史から教訓を得た
人を虐げる現象を防ぐシステムが
(法整備を含めた社会システムの元、無関心はやめる)
貧困から抜け出せるように
貧困に陥る現象を防ぐシステムが
(税制を含めた貧困の連鎖から抜け出すことができる社会システム)
政治がゲームだけでなく
国益の他に国際問題に取り組むと
歴史を引用する時に
それは利害で終始することなく
人類共通の利得になりはしませんでしょうか
目的のもと歴史から学ぶのです
社会システムの安定を目的にすれば
観念や概念や機能、システムの掛け合わせは
不都合です
しかし安定した利得、社会システムの発展には
これらの掛け合わせはむしろ歓迎です
それによってシステムが活性化や発展するのです
しかも自由を実感できるのであれば
なおさら人類とすれば重要でしょう
(今現在ある国民にとっては軽視されるでしょう)
しかしこれらは押し付けるのではうまくいきません
人間であるかぎり誰もできないわけでもありません
みなさんには自分でできるところで
掛け合わせを実践してみてはいかがでしょう
と私は申したいと思う今日この頃です
選ぶ自由、限られた中の出来事ですよね
私は掛け合わせることが自由を
謳歌することだと思います
概念、観念、機能、システム等を
二つ(人の力次第)以上の要素を
掛け合わせ、新しい要素を生み出すのです
選択するよりはるかにその可能性は広がります
男女の組み合わせもしかりです(好き嫌いを無視したらの話)
しかし何かに統合されていなければいけません
むやみに掛け合わせても
意味的にも効果という意でも成り立ちにくいです
(偶然はあるにしても)
料理を思い浮かべてください
アイスに生クリームは美味しいかもしれませんが
イカの刺身にチーズは?だと思います
美味しくないと掛け合わせた意味は疑問です
文字を組み合わせた言葉も
何の脈絡もない文字の組み合わせに
意味など求めにくいではありませんか
概念、観念、機能、システムにも同じことが言えます
目的、種、構造、現象などに統合や基底されます
政治で「正しい歴史」とニュースで聞きますが
この言葉を第二次世界大戦を指すこと以外で
使われた試しがありません
人権を守るためにも
貧困と戦うためにも
社会システムをより良くしようとすることにも
ようは政治のゲームから出ることは
世界の常識上あり得ないということです
世界の常識では
しかしシステムの常識に照らせば
歴史を役に立てられます
ゲーム理論を社会システムでは扱いますが
システム理論では扱いません
ゲーム理論でいう最大の利得である
「裏切り」がシステムにとって社会システムにとって
最大の利得ではないのです
システムはシステム全体の役に立って要素が成り立ちます
バラバラな要素を組み合わせても
なんらかに統合されていないと
システムとして要素は機能しません
(生命システムでいうと一度死ねば何をどう
組み合わせても生き返りません)
現代までの社会が成り立つ歴史では
国というより社会(主に宗教などを基底とした)
が違う社会に影響を受けて変わります
つまり自分たちの社会の常識と
他の社会のなんらかの要素を結合した時に
その社会を変える要素が生まれます
(本が誕生してからは本(情報)と本(情報)からでも起きます)
しかしここでこのことを思いついた人は
権力の手によって制裁を受けます
新しい要素は古い体制を崩すものですから
(権力者は自分のいうことを常識にして
自分の地位を守ります)
そのことが人類の歴史で変わらない現象です(今の所)
人権を守るために歴史から教訓を得た
人を虐げる現象を防ぐシステムが
(法整備を含めた社会システムの元、無関心はやめる)
貧困から抜け出せるように
貧困に陥る現象を防ぐシステムが
(税制を含めた貧困の連鎖から抜け出すことができる社会システム)
政治がゲームだけでなく
国益の他に国際問題に取り組むと
歴史を引用する時に
それは利害で終始することなく
人類共通の利得になりはしませんでしょうか
目的のもと歴史から学ぶのです
社会システムの安定を目的にすれば
観念や概念や機能、システムの掛け合わせは
不都合です
しかし安定した利得、社会システムの発展には
これらの掛け合わせはむしろ歓迎です
それによってシステムが活性化や発展するのです
しかも自由を実感できるのであれば
なおさら人類とすれば重要でしょう
(今現在ある国民にとっては軽視されるでしょう)
しかしこれらは押し付けるのではうまくいきません
人間であるかぎり誰もできないわけでもありません
みなさんには自分でできるところで
掛け合わせを実践してみてはいかがでしょう
と私は申したいと思う今日この頃です