real
みなさんはやりたいことがありますか?
無い人も有る人も参考までに・・・
やりたいことを
頭の中に思い浮かべる時
目的となってないことは
色々浮かんでは消えていきますが
どうしてもそればかり
頭の中に浮かんでしまう頃がある人もいます
そしてそれを現実の事柄と結びつけたり
自分の実現すべき目標としたりすることで
夢や目標となって
意思を持って行為をなしていき
実現しようと、あるいは実現するまで
人生を積み重ねていきます
ここで大事なのは
頭の中に思い浮かべた観念を
現実と結びつけた時
そしてそれを目標としたときに
行為が意思を持ち
着実に実現すべきそれに向かえるのです
現実と結びつかなければ
その想いや観念は
本当の想いではありません
心の底から思っていることではなく
(正しくは行為までに及ばない想い)
考え事ではただの頭の体操にしか過ぎません
でも実現しそうもないことも
現実と結びつけて
目標にして
知識や技術を習得していけば
叶うことも世の中にはあるということかもしれません
(ヘーゲルもそれには学問が少しは役に立つと言ってます)
もちろん人類が手にしている
知識や秘術は完璧ではありません
発展途上でもあります
だから目標にした
目的にした想いを実現するには
時期が早いということもあり得ます
ここまでに書いたことを為すには
責任がついてきますが
良心を持ってくださいね
わたしは誰かを阻害すべきだとか
正常とか異常とかいうつもりありませんし
画一性の主張も認めた
多様性を支持してますので
ただのある意見に対しての否定ではなく
これがいいんじゃないというつもりだけです
(要素の画一性もある種のシステムには認めるべきです
システムにはいろいろな統合の種類があるということ)
提案をして初めてこれは如何なものか
というものを主張しているだけです
話を元に戻すと
これからこういう事を叶えていきたい
という想いがあった時
現実と結びつけるのです
空想で終わらせるのではないものは
あなただけの力では無理と思っても
目的の賛同者の力を借りれば可能かもしれません
どうしてもとかたちにこだわるのではなく
目的に叶うかたちは思っているのとは違うかもしれませんし
実現には関係のない思い込みかもしれませんし
目的は思い込みでも構わないかもしれませんが
全くの空想は現実との結びつきがないので
実現は難しいですし
現実の現象とどう結びつければ良いか難しすぎます
(将来、知見や技術が発達すれば
不可能がなくなったりして・・・)
さて夢のない人には意味ないことを
書いているつもりはありません
現実と結びつけた想いを
実現すべく意思があり
行為していくように
やりたいことがなかれば
やりたいことをイメージすれば
理論的に考えても
やりたいことがない人も
いろんな本や映画などがある時代
何に影響されても不思議ではありませんし
出会いによっても影響を受けるかもしれません
必ずやりたいことをしなければいけなくもありません
つつましく生きることも一つでしょう
悪いことでもありません
(むしろつつましく生きる人にとって
個人の目的は迷惑に映ることもあるでしょう)
カトリックとプロテスタントみたいな解釈かも・・・
働くだけが生きる意味だったら
そもそも知見など必要ないですし
人間が働くのは
生活を良くするための手段であって
難しいことをしなくても
生活が良ければその方がいいと思いますし
単純に仕事としてだれかがやらなきゃいけないことは
どこに行ってもありますし
原始的な生活でも
やらなきゃいけないことはあります
仕事まで高度化されてなくても
作業はついて回ります
人間は地球の環境を変えるほどの生活を
複雑化させ結局は維持できなくて
原始的な生活に戻りました・・・
では本当の意味で知的とは言い切れません
どんなに知識を積み重ねても
技術を精錬化させても
なんの進歩もありません
日本を取り上げても
借金を減らすために組織の体勢を変えようと
しない行政を見ると勉強しても意味ないなぁ
と思えてしょうがありません
どんなに一生懸命勉強しても
現実の問題を解決できないのでは
勉強の制度そのものが欠陥していると思います
そろそろテストのために勉強するのをやめたほうがいいのでは
と思う今日この頃でした
(市民の生活に貢献すべく行政を維持するために
市民の生活が破綻するというジレンマ)
無い人も有る人も参考までに・・・
やりたいことを
頭の中に思い浮かべる時
目的となってないことは
色々浮かんでは消えていきますが
どうしてもそればかり
頭の中に浮かんでしまう頃がある人もいます
そしてそれを現実の事柄と結びつけたり
自分の実現すべき目標としたりすることで
夢や目標となって
意思を持って行為をなしていき
実現しようと、あるいは実現するまで
人生を積み重ねていきます
ここで大事なのは
頭の中に思い浮かべた観念を
現実と結びつけた時
そしてそれを目標としたときに
行為が意思を持ち
着実に実現すべきそれに向かえるのです
現実と結びつかなければ
その想いや観念は
本当の想いではありません
心の底から思っていることではなく
(正しくは行為までに及ばない想い)
考え事ではただの頭の体操にしか過ぎません
でも実現しそうもないことも
現実と結びつけて
目標にして
知識や技術を習得していけば
叶うことも世の中にはあるということかもしれません
(ヘーゲルもそれには学問が少しは役に立つと言ってます)
もちろん人類が手にしている
知識や秘術は完璧ではありません
発展途上でもあります
だから目標にした
目的にした想いを実現するには
時期が早いということもあり得ます
ここまでに書いたことを為すには
責任がついてきますが
良心を持ってくださいね
わたしは誰かを阻害すべきだとか
正常とか異常とかいうつもりありませんし
画一性の主張も認めた
多様性を支持してますので
ただのある意見に対しての否定ではなく
これがいいんじゃないというつもりだけです
(要素の画一性もある種のシステムには認めるべきです
システムにはいろいろな統合の種類があるということ)
提案をして初めてこれは如何なものか
というものを主張しているだけです
話を元に戻すと
これからこういう事を叶えていきたい
という想いがあった時
現実と結びつけるのです
空想で終わらせるのではないものは
あなただけの力では無理と思っても
目的の賛同者の力を借りれば可能かもしれません
どうしてもとかたちにこだわるのではなく
目的に叶うかたちは思っているのとは違うかもしれませんし
実現には関係のない思い込みかもしれませんし
目的は思い込みでも構わないかもしれませんが
全くの空想は現実との結びつきがないので
実現は難しいですし
現実の現象とどう結びつければ良いか難しすぎます
(将来、知見や技術が発達すれば
不可能がなくなったりして・・・)
さて夢のない人には意味ないことを
書いているつもりはありません
現実と結びつけた想いを
実現すべく意思があり
行為していくように
やりたいことがなかれば
やりたいことをイメージすれば
理論的に考えても
やりたいことがない人も
いろんな本や映画などがある時代
何に影響されても不思議ではありませんし
出会いによっても影響を受けるかもしれません
必ずやりたいことをしなければいけなくもありません
つつましく生きることも一つでしょう
悪いことでもありません
(むしろつつましく生きる人にとって
個人の目的は迷惑に映ることもあるでしょう)
カトリックとプロテスタントみたいな解釈かも・・・
働くだけが生きる意味だったら
そもそも知見など必要ないですし
人間が働くのは
生活を良くするための手段であって
難しいことをしなくても
生活が良ければその方がいいと思いますし
単純に仕事としてだれかがやらなきゃいけないことは
どこに行ってもありますし
原始的な生活でも
やらなきゃいけないことはあります
仕事まで高度化されてなくても
作業はついて回ります
人間は地球の環境を変えるほどの生活を
複雑化させ結局は維持できなくて
原始的な生活に戻りました・・・
では本当の意味で知的とは言い切れません
どんなに知識を積み重ねても
技術を精錬化させても
なんの進歩もありません
日本を取り上げても
借金を減らすために組織の体勢を変えようと
しない行政を見ると勉強しても意味ないなぁ
と思えてしょうがありません
どんなに一生懸命勉強しても
現実の問題を解決できないのでは
勉強の制度そのものが欠陥していると思います
そろそろテストのために勉強するのをやめたほうがいいのでは
と思う今日この頃でした
(市民の生活に貢献すべく行政を維持するために
市民の生活が破綻するというジレンマ)
aim
前提と目標の違いは本当にあるんでしょうか
もちろん意味は違います
しかしその性質は同じとも言えます
前提はある言葉や現象を否定しない結論を
導くことにその性質があります
一方、目標はそれを満たすために
知識や技術などを利用します
そして前提は目標にもなりえます
あるルールなどを元に行動を決めることから
そのルールを守るために行動をすることなど・・・
つまり重なる性質があるということです
歴史を見渡すと
法などのルールは社会を崩壊、混乱させて
住民たちを困らせないために初めて作られました
「目には目を歯に歯を」です
しかしある時代には悪法などがあったりします
その決まりがあるために住民が困ることなど
もっと歴史のことを言いましょう
情報が多くなると
常識としての情報が
(支配者の決めた決まり)
全てなどではなく
常識としての情報以外の情報が
人々は触れることができます
(情報の収集、発信、集積などのインフラ整備が必要ですが)
印刷技術が発達してから始まりましたが
既存の情報から新たな情報が生まれます
人々の中にはある情報から
推理して新たな情報を生む活動をしています
その個人的やある一部の組織の活動が
支配するための常識と争ったのが
西洋の宗教革命であり
(プロテスタントとカトリックの)
日本における明治維新だと思うのです
(当時の日本の人々の識字率と寺子屋システムが
あって初めて考えを変えることができたと思います)
そして推理は前提にもなります
応用の応用があるように
推理から推理するということも人はできます
推理ですから元の情報が違うと
意見の食い違いを生むことになり
争いになります
(人は考えが間違っていると考えると不安になるんでしょうね)
ちょっと話はずれましたが
それ以上変わらない常識など
まだまだ人間は手に入れることなどできないはずです
知的欲求があればなおさらです
人は共有した常識を守るものと
常識やそれ以外の情報などを元に推理や発見したものと
衝突しながら少しずつ
進歩していくもではないでしょうか
その営みの早さが他の動物との違いの一つかもしれません
あくまで一つです
最初から火を使えたわけではないはずです
でもこれらの違いの同じような性質に着目すると
同じ人間だと思えませんか?
考え方自体を大きく取り扱うと
別に異常があるわけではないと
(特別はあるかもしれませんが)
皆さんはどちら側の人ですか?
・常識を守る人(前提を目標にする人)
・情報を前提に推理する人(目標を前提にする人)
・それ以外(笑)
もちろん意味は違います
しかしその性質は同じとも言えます
前提はある言葉や現象を否定しない結論を
導くことにその性質があります
一方、目標はそれを満たすために
知識や技術などを利用します
そして前提は目標にもなりえます
あるルールなどを元に行動を決めることから
そのルールを守るために行動をすることなど・・・
つまり重なる性質があるということです
歴史を見渡すと
法などのルールは社会を崩壊、混乱させて
住民たちを困らせないために初めて作られました
「目には目を歯に歯を」です
しかしある時代には悪法などがあったりします
その決まりがあるために住民が困ることなど
もっと歴史のことを言いましょう
情報が多くなると
常識としての情報が
(支配者の決めた決まり)
全てなどではなく
常識としての情報以外の情報が
人々は触れることができます
(情報の収集、発信、集積などのインフラ整備が必要ですが)
印刷技術が発達してから始まりましたが
既存の情報から新たな情報が生まれます
人々の中にはある情報から
推理して新たな情報を生む活動をしています
その個人的やある一部の組織の活動が
支配するための常識と争ったのが
西洋の宗教革命であり
(プロテスタントとカトリックの)
日本における明治維新だと思うのです
(当時の日本の人々の識字率と寺子屋システムが
あって初めて考えを変えることができたと思います)
そして推理は前提にもなります
応用の応用があるように
推理から推理するということも人はできます
推理ですから元の情報が違うと
意見の食い違いを生むことになり
争いになります
(人は考えが間違っていると考えると不安になるんでしょうね)
ちょっと話はずれましたが
それ以上変わらない常識など
まだまだ人間は手に入れることなどできないはずです
知的欲求があればなおさらです
人は共有した常識を守るものと
常識やそれ以外の情報などを元に推理や発見したものと
衝突しながら少しずつ
進歩していくもではないでしょうか
その営みの早さが他の動物との違いの一つかもしれません
あくまで一つです
最初から火を使えたわけではないはずです
でもこれらの違いの同じような性質に着目すると
同じ人間だと思えませんか?
考え方自体を大きく取り扱うと
別に異常があるわけではないと
(特別はあるかもしれませんが)
皆さんはどちら側の人ですか?
・常識を守る人(前提を目標にする人)
・情報を前提に推理する人(目標を前提にする人)
・それ以外(笑)
phenomenon
西田幾多郎の書いた本に
このようなことが書いてありました
「因果律とはある現象が起こるのに
ある現象があることだ」と
(要約しています)
つまり私はこう捉えます
悪い結果を誰かのせいにしても
また同じ悪い結果が違う形で
起こるのではないかと
それに対して
「歴史は繰り返す」などと言ったり
「臭いものには蓋」などと目を背けたり
本当に良くしようと悪い現象に取り組む人など
そんなにいません
だいたいの人は誰かに任せます
火中の栗を拾う人など多くはいません
拾った後の栗をもらって当然と思っている人は
多くいると思いますが・・・
お腹が減ってたら(困ってたら)なおさらです
言い訳なんてすぐに思いつきますから
さてこれから火中の栗を拾おうとする人に
少し参考までに書きます
社会問題をシステムとして捉える考え方があります
(本当は社会だけで収まる話じゃないんですが)
ある事象がどういう機能(働き)をして
それがどういう機能(働き)と関係して
それを一つの現象として
どういう現象を起こしているか
この考え方は良い結果を期待して行います
一つは問題現象を解決し防いだりすること
もう一つはある現象をもっとよくするには
どうすればよいかということ
例えばこうです
全体をよくするのに
今の現象をよく把握して
その現象を全体が良くなるためには
どういう機能をどういう機能に変えたり
新しくつけ加えたりしたらよいかを
導くことができます
1、現状の現象を把握し
2、目的に対して課題を明らかにし
3、目的を果たすために現状の現象に変化を加える
といったところでしょうか
さらに詳しくもう一つの良い結果について書きますと
全体を悪くしている現象をよく把握して
その問題を解決し
全体をよくすることができます
1、問題現象の状態を確認し、それらの機能(働き)の
関わり合いに対して問題の機能(働き)を明らかにし
2、問題解決のために問題の現象の変化を促す
(機能の関わり合いの変化のためにある機能の変更
ある機能の追加、またはそれらを合わせ行ったり
現象全体内の機能の関わり合い自体を組み替えたり)
ここまでは知っている人は知っている内容ですが
これを実施するために相手に納得させるには
1、一般的な例を使って説明する
2、問題を共有する
(解決案自体を伝えるよりも問題を共有しなければ
解決案自体を分析する人がでてきて目的がずれてしまうから)
これらが大事だと思います
ここでは全体に対してのアプローチを例に説明しましたが
リーマンショックから学ぶ人たちには悪くはないと
勝手に思ってます
この考えを実際に試みる人は気をつけてください
あなたの本当の相手は「問題現象」ではありません
「常識」です
具体的には社会を支配している人にとって
支配するシステムが問題を生んで
その問題を解決して(システムが変わって)権力を失うよりも
それらに苦しんでいる人を放置します、黙殺します
変える人を排除しようとします
(ホリエモンも無傷ではいられなかったね)
こんなことを人間はずーと続けているのです
ギリシア時代に「洞窟の隠喩」で
指摘されたことを学ばず
21世紀でもやっているのです
常識を押し付け、変えるものを排除しますが
人間を人間らしくしているのは
当時の常識を変えて行った人たちの功績です
(ただ単に常識を破壊しているのとは違う)
それらを継承せずに
サルとの営みの違いを誰もうまく説明できないでしょう
人間関係だけを重視して
変化を拒んでは組織は活性化しません
組織の活性化だけを重視しても
人間関係がうまくいきません
共有の何かを組織は持つべきものなんでしょうね
機能は目的など統合されるものを必要とするでしょう
(複雑ならなおさら)
構造はなんらかの共通するものを必要とするでしょう
(バラバラな構造は異なるから(物質的、次元的)
結びつきが弱いのです)
企業理念が重要なのか
経営目的が重要なのかはうまく説明できませんが
組織を存続するためには
関係も機能も大事だということは
説明できたのではないでしょうか
たぶん・・・
このようなことが書いてありました
「因果律とはある現象が起こるのに
ある現象があることだ」と
(要約しています)
つまり私はこう捉えます
悪い結果を誰かのせいにしても
また同じ悪い結果が違う形で
起こるのではないかと
それに対して
「歴史は繰り返す」などと言ったり
「臭いものには蓋」などと目を背けたり
本当に良くしようと悪い現象に取り組む人など
そんなにいません
だいたいの人は誰かに任せます
火中の栗を拾う人など多くはいません
拾った後の栗をもらって当然と思っている人は
多くいると思いますが・・・
お腹が減ってたら(困ってたら)なおさらです
言い訳なんてすぐに思いつきますから
さてこれから火中の栗を拾おうとする人に
少し参考までに書きます
社会問題をシステムとして捉える考え方があります
(本当は社会だけで収まる話じゃないんですが)
ある事象がどういう機能(働き)をして
それがどういう機能(働き)と関係して
それを一つの現象として
どういう現象を起こしているか
この考え方は良い結果を期待して行います
一つは問題現象を解決し防いだりすること
もう一つはある現象をもっとよくするには
どうすればよいかということ
例えばこうです
全体をよくするのに
今の現象をよく把握して
その現象を全体が良くなるためには
どういう機能をどういう機能に変えたり
新しくつけ加えたりしたらよいかを
導くことができます
1、現状の現象を把握し
2、目的に対して課題を明らかにし
3、目的を果たすために現状の現象に変化を加える
といったところでしょうか
さらに詳しくもう一つの良い結果について書きますと
全体を悪くしている現象をよく把握して
その問題を解決し
全体をよくすることができます
1、問題現象の状態を確認し、それらの機能(働き)の
関わり合いに対して問題の機能(働き)を明らかにし
2、問題解決のために問題の現象の変化を促す
(機能の関わり合いの変化のためにある機能の変更
ある機能の追加、またはそれらを合わせ行ったり
現象全体内の機能の関わり合い自体を組み替えたり)
ここまでは知っている人は知っている内容ですが
これを実施するために相手に納得させるには
1、一般的な例を使って説明する
2、問題を共有する
(解決案自体を伝えるよりも問題を共有しなければ
解決案自体を分析する人がでてきて目的がずれてしまうから)
これらが大事だと思います
ここでは全体に対してのアプローチを例に説明しましたが
リーマンショックから学ぶ人たちには悪くはないと
勝手に思ってます
この考えを実際に試みる人は気をつけてください
あなたの本当の相手は「問題現象」ではありません
「常識」です
具体的には社会を支配している人にとって
支配するシステムが問題を生んで
その問題を解決して(システムが変わって)権力を失うよりも
それらに苦しんでいる人を放置します、黙殺します
変える人を排除しようとします
(ホリエモンも無傷ではいられなかったね)
こんなことを人間はずーと続けているのです
ギリシア時代に「洞窟の隠喩」で
指摘されたことを学ばず
21世紀でもやっているのです
常識を押し付け、変えるものを排除しますが
人間を人間らしくしているのは
当時の常識を変えて行った人たちの功績です
(ただ単に常識を破壊しているのとは違う)
それらを継承せずに
サルとの営みの違いを誰もうまく説明できないでしょう
人間関係だけを重視して
変化を拒んでは組織は活性化しません
組織の活性化だけを重視しても
人間関係がうまくいきません
共有の何かを組織は持つべきものなんでしょうね
機能は目的など統合されるものを必要とするでしょう
(複雑ならなおさら)
構造はなんらかの共通するものを必要とするでしょう
(バラバラな構造は異なるから(物質的、次元的)
結びつきが弱いのです)
企業理念が重要なのか
経営目的が重要なのかはうまく説明できませんが
組織を存続するためには
関係も機能も大事だということは
説明できたのではないでしょうか
たぶん・・・