culture
歴史を分析するとき
国を要素として交流(戦争を含む)
事象を時間軸と空間軸で結び
システム現象と観るとき
これまでの主張を変えたく無い人や集団は
「歴史を直視するべき」といって
視野を広げることに抵抗を試みます
もちろん視野を広げて見るからには
変わりたく無い人の主張である視点も含まれるので
正論とも思わさられる主張を
視野を広げた立場にでき間違いとも指摘できない状態なりますが
この視野を広げた話に対して視点をずらしつつ反論するという論争は
言葉は通じても話は通じないという現象そのものであり
あちこちで起きています
正しさの基準を持っている人に異論を唱えて異常となる人や
相手が間違いと思い込んでいる人に正論が受け入れられない現象
相手が異常と結論付けると正論を無視し
結論に沿う様な主張しか聞き取れない現象
「バイアス」という言葉を知っている人には不思議ではありません
日本の近隣諸国で日本を非難する言葉や常識が
まかり通っていますが
欧米の植民地に対して
日本は植民地より近代化とも言えるべき
事業や政策だと結論づけられるが
欧米の植民地を実際調べていない
日本の近隣諸国は日本がした教育などを悪く言う割には
自国民で学問に貢献する姿勢より
国や自らを正当化してこその知識としか機能せず
学問を教育する機関を勘違いして解釈し
学問に対する貢献の足を引っ張りこそし貢献しないのは
その精神に歴史を直視していないところ
つまり自分達の歴史に対する研究の未熟さを表しているだけで
日本にしている批判は自分たちに向けられるべきなのは
アジアの成熟に欠かせない要素です
さて私の主張は歴史に対してより
現代の問題状況や未来の話ではあるのですが
歴史を扱うのは常識に対する挑戦であり
その常識とは化石燃料依存しているエネルギーシステムのことであり
なぜそれが私の今までの常識とは異なる歴史観につながるかというと
常識に対する異論はこれまで歴史上くり返されており
その異論がシステムを進化させたとも言えるべき現象を起こし
その攻防こそ戦争にも通じる発展した国の横暴さでもあり
またそれに対する抵抗でもあるのです
私は戦争とイノベーションを同じ様に扱います
戦争は敗者を産み勝者に従わざる終えませんが
イノベーションも新要素を(新結合)受け入れたコミュニティーと
新要素により廃れた既存の要素があり
その既存の要素に親和性のあるコミュニティーが発展しません
しかもそれは一つの国や一つのコミュニティーで完結しにくいのです
イノベーションの発生と受け入れと普及は。
日本でいい発明品をしても
アメリカで有名になってその後日本でヒットするというのが
度々あったと思います
(なんでしょう・・・3DプリンタでしょうかG-SHOCK?)
ではイノベーションに抵抗しないで
コミュニティが発展するなら、
お金儲けもできるなら、
国も発展するなら、
イノベーションを恣意的に起こし受け入れ利用しようとするのが
昨今の国際情勢だとは思いますが
このブログで度々述べた様に
イノベーションの発生、創発が起きるには
問題の受益者の立場に立って自らがその問題を取り除こうとしたとき
発明品ができるかもしれませんし、システムの問題機能を
取り除くことができるかもしれません
誰かの感謝したとき、何か面白い新結合ができるかもしれませんし
いいシステムをデザインすることができるかもしれません
もちろん誰かを憎めば
問題を起こし争いの元となります
相手のエゴから起こる行為を憎めば
それをエゴと憎まれる場合もあります
まさにコミュニティが不正を受け入れた状態です
そうなってしまえば始めの被害者はそのコミュニティにいくらいても
報われることはなく逆に説教されるでしょう
何年たっても報われることはありません
(沖縄の人が日本に属していて報われる日はこないでしょう)
イノベーションの当事者もコミュニティを追われ
その後の歴史で迫害したコミュニティが遺産として
金儲けに利用したり国の名を上げるのに利用されてます
人類の暗部を見せられると同時に
人類というかホモサピエンスならではの特性をそこに見るのです
人を食い物にするところから視点をずれせば
奉仕している人の姿が見えます
報われてなくても
虐げられても
そのときに奉仕された学問が
奉仕された社会が
学問が発展し
社会が発展するのです
国を愛してもそれは起こるとも限りません
みんながみんなその国を愛しているわけではないのです
学問ならみんながその学問を求めずとも
その学問を求める全ての人に恩恵を与えることができ
社会に(国と別と考えてください身近な共同体にという意で)
奉仕すれば、具体的に言いますと
その社会が抱えている問題を解決すれば
同じ様な問題を抱えている社会に貢献できるかもしれない
それは魚を与えるという類ではなく
魚の釣り方を真似できる様な創意工夫できる様な
エネルギーシステム変換に抵抗する人たちには
変えられるという受身の立場ではなく
変えられるという主体の立場になって
ぜひ自らの未来を明るくしてもらい
そのために利用できる情報(技術や知見)を
このブログから吸収してもらいつつ
地球温暖化解決だけに限らず
他の貧困や不正、システムの機能不全などの対策や
より発展するためというより
ただの発展ではなく平和的発展のために
創発(イノベーション)について知見が深まると思いますし
いわば創発は応用を基礎とし応用する連続体でもありますし
いつの時代でもそれは起き
いつの時代でもその度に苦しみ
いつの時代でもその度に恩恵を受ける人たちがいるのです
植民地時代それは国単位で起きました
しかし教育が発展すればそれはもう
特定の大学の卒業生のものでもなく
特定の組織の構成員だけのものでもない
市場に向け国が許せば
イノベーションは世界を巻き込み
世界を相手に商売し
特定の産業の社員を失業させようとも
教育し直しまた雇用させるだけの
取り返しぐらいはつくものです
(健康上の都合がつけばの話ですが)
またこのイノベーションは誰でも可能性があり
起こすのは誰でもいいのです
(別に沖縄の人でもいいのです、政府も助成金をちらつかせ
基地を押し付けられなくなるかもしれません)
イノベーションは起こした者のみが得られる果実ではなく
それを利用してさらなる新結合を起こしてもいいですし
時間的にずらして新要素と新規結合しても
空間的にずらして別要素と新規結合しても
それは起こるのです。
多様性は一国で賄う必要もなければ
世界を一つにする必要もなく
となると戦争を危ぶむ声を無視できなくなりますが
イノベーションに必要なのは別要素や新要素との結合なので
人類の発展に必要なのは多様性であり
自国の常識に他国を染める必要はなく
現に昔の古代中国の影響下にあった国々で
古代中国の四大発明が発展したわけではなく
異文化のもとで発展し
ギリシア哲学も
西洋文化の下だけでなく
インドやイスラムの文化の協力を経て
現在に至っていますし
これからも民主主義に染めなければならないとか
そのために戦争などをする必要もなく
最近のイラン情勢で言えば
経済が発展すれば多様な考えの醸成となり
イランの発展や繁栄を望めば
戦争ではないやり方で国際問題を解決しようと知恵が出るかもしれませんが
(常任理事国自体の構成が問題かもしれませんが)
これまで通り軍事的弱い国の発言力も弱くては
軍事強化に力を注ぎますます平和から国際情勢が遠くなり
ゲーム上知恵を出すのは平和のためではありません
自らの優位のためです
しかしそれも変えるのはイノベーションです
ゲームのルールを変えるのもイノベーションが必要です
完璧なシステムをデザインをする必要はなく
システムの問題点を改善していけばいいのです
平和的発展が可能なシステムに
ルールを改善していけばいいのです
そのために現状の問題点を共有し
(いきなりすべてを改善できなくても
先送りすべき問題点と早めに手につけるべき問題点があるはずです)
問題を解決する知恵を出すのです
現代は教育のおかげで
国単位でなくて
個人でイノベーションが起こせます
それを可能にしたのが学問での先人たちであり
その上で経済上でのイノベーションが起こせると私は思ってます
インターネット上で情報が吸収できる今
教育の役割は知識の伝達ではなく
人類の上に立った地球市民の様な人たちに対して
それぞれのミッションの助けになる様な
知識や技術だけでないグローバルなコミュニティやネットワークでしょうか
機関のアンテナが高く広くなければ
割を食うのは関係者ですが
そういう組織には思い上がりがあると思います
かつての欧米列強に蹂躙され始めた中国のような意識が
(アヘン戦争のときの意識とか)
思い上がりだけでなく思い込みも
学問の発展に寄与しません
社会の発展にも寄与しません
私はただ単に歴史学者に喧嘩を売ってるのでしょうか
それとも歴史の学問に奉仕しているのでしょうか
いや社会のために利用しているだけかもしれません
しかし社会もまた歴史を利用している以上
国際常識に利用している以上
歴史を無視して社会にアプローチするのもまた
意味のないことかもしれません
特に注目したいのは戦争の歴史ではなく
文化の歴史ですね
発明品や思想などがどういう場所で
どういう時間がかかって変異や発展
影響を与えていたかは戦争が絡んでいたとしても
興味深いところです
(いわゆるソフトの問題ですね)
ただ社会は発展しなきゃいけないわけでなく
新要素を受け付けないという選択も悪ではありませんが
受け入れたコミュニティー、勢力にメインストリートを譲るのは
歴史を知れば戦争で勝たなくても
仕方がないことですね
環境問題も解決しなければ
影響を受け入れなければいけません
拒否はできないのは人類は地球に住んでいるからです
一部のコミュニティの問題では済まないですが
一部のコミュニティの解決策が
他のコミュニティに影響を与え
システミックにそれこそイノベーションを起こすかもしれません
石油会社や電力会社が
システム技術や知見を活かして
ビジネスモデルをチェンジする、
ことも可能かも
メインストリートを歩きたいかい?
国を要素として交流(戦争を含む)
事象を時間軸と空間軸で結び
システム現象と観るとき
これまでの主張を変えたく無い人や集団は
「歴史を直視するべき」といって
視野を広げることに抵抗を試みます
もちろん視野を広げて見るからには
変わりたく無い人の主張である視点も含まれるので
正論とも思わさられる主張を
視野を広げた立場にでき間違いとも指摘できない状態なりますが
この視野を広げた話に対して視点をずらしつつ反論するという論争は
言葉は通じても話は通じないという現象そのものであり
あちこちで起きています
正しさの基準を持っている人に異論を唱えて異常となる人や
相手が間違いと思い込んでいる人に正論が受け入れられない現象
相手が異常と結論付けると正論を無視し
結論に沿う様な主張しか聞き取れない現象
「バイアス」という言葉を知っている人には不思議ではありません
日本の近隣諸国で日本を非難する言葉や常識が
まかり通っていますが
欧米の植民地に対して
日本は植民地より近代化とも言えるべき
事業や政策だと結論づけられるが
欧米の植民地を実際調べていない
日本の近隣諸国は日本がした教育などを悪く言う割には
自国民で学問に貢献する姿勢より
国や自らを正当化してこその知識としか機能せず
学問を教育する機関を勘違いして解釈し
学問に対する貢献の足を引っ張りこそし貢献しないのは
その精神に歴史を直視していないところ
つまり自分達の歴史に対する研究の未熟さを表しているだけで
日本にしている批判は自分たちに向けられるべきなのは
アジアの成熟に欠かせない要素です
さて私の主張は歴史に対してより
現代の問題状況や未来の話ではあるのですが
歴史を扱うのは常識に対する挑戦であり
その常識とは化石燃料依存しているエネルギーシステムのことであり
なぜそれが私の今までの常識とは異なる歴史観につながるかというと
常識に対する異論はこれまで歴史上くり返されており
その異論がシステムを進化させたとも言えるべき現象を起こし
その攻防こそ戦争にも通じる発展した国の横暴さでもあり
またそれに対する抵抗でもあるのです
私は戦争とイノベーションを同じ様に扱います
戦争は敗者を産み勝者に従わざる終えませんが
イノベーションも新要素を(新結合)受け入れたコミュニティーと
新要素により廃れた既存の要素があり
その既存の要素に親和性のあるコミュニティーが発展しません
しかもそれは一つの国や一つのコミュニティーで完結しにくいのです
イノベーションの発生と受け入れと普及は。
日本でいい発明品をしても
アメリカで有名になってその後日本でヒットするというのが
度々あったと思います
(なんでしょう・・・3DプリンタでしょうかG-SHOCK?)
ではイノベーションに抵抗しないで
コミュニティが発展するなら、
お金儲けもできるなら、
国も発展するなら、
イノベーションを恣意的に起こし受け入れ利用しようとするのが
昨今の国際情勢だとは思いますが
このブログで度々述べた様に
イノベーションの発生、創発が起きるには
問題の受益者の立場に立って自らがその問題を取り除こうとしたとき
発明品ができるかもしれませんし、システムの問題機能を
取り除くことができるかもしれません
誰かの感謝したとき、何か面白い新結合ができるかもしれませんし
いいシステムをデザインすることができるかもしれません
もちろん誰かを憎めば
問題を起こし争いの元となります
相手のエゴから起こる行為を憎めば
それをエゴと憎まれる場合もあります
まさにコミュニティが不正を受け入れた状態です
そうなってしまえば始めの被害者はそのコミュニティにいくらいても
報われることはなく逆に説教されるでしょう
何年たっても報われることはありません
(沖縄の人が日本に属していて報われる日はこないでしょう)
イノベーションの当事者もコミュニティを追われ
その後の歴史で迫害したコミュニティが遺産として
金儲けに利用したり国の名を上げるのに利用されてます
人類の暗部を見せられると同時に
人類というかホモサピエンスならではの特性をそこに見るのです
人を食い物にするところから視点をずれせば
奉仕している人の姿が見えます
報われてなくても
虐げられても
そのときに奉仕された学問が
奉仕された社会が
学問が発展し
社会が発展するのです
国を愛してもそれは起こるとも限りません
みんながみんなその国を愛しているわけではないのです
学問ならみんながその学問を求めずとも
その学問を求める全ての人に恩恵を与えることができ
社会に(国と別と考えてください身近な共同体にという意で)
奉仕すれば、具体的に言いますと
その社会が抱えている問題を解決すれば
同じ様な問題を抱えている社会に貢献できるかもしれない
それは魚を与えるという類ではなく
魚の釣り方を真似できる様な創意工夫できる様な
エネルギーシステム変換に抵抗する人たちには
変えられるという受身の立場ではなく
変えられるという主体の立場になって
ぜひ自らの未来を明るくしてもらい
そのために利用できる情報(技術や知見)を
このブログから吸収してもらいつつ
地球温暖化解決だけに限らず
他の貧困や不正、システムの機能不全などの対策や
より発展するためというより
ただの発展ではなく平和的発展のために
創発(イノベーション)について知見が深まると思いますし
いわば創発は応用を基礎とし応用する連続体でもありますし
いつの時代でもそれは起き
いつの時代でもその度に苦しみ
いつの時代でもその度に恩恵を受ける人たちがいるのです
植民地時代それは国単位で起きました
しかし教育が発展すればそれはもう
特定の大学の卒業生のものでもなく
特定の組織の構成員だけのものでもない
市場に向け国が許せば
イノベーションは世界を巻き込み
世界を相手に商売し
特定の産業の社員を失業させようとも
教育し直しまた雇用させるだけの
取り返しぐらいはつくものです
(健康上の都合がつけばの話ですが)
またこのイノベーションは誰でも可能性があり
起こすのは誰でもいいのです
(別に沖縄の人でもいいのです、政府も助成金をちらつかせ
基地を押し付けられなくなるかもしれません)
イノベーションは起こした者のみが得られる果実ではなく
それを利用してさらなる新結合を起こしてもいいですし
時間的にずらして新要素と新規結合しても
空間的にずらして別要素と新規結合しても
それは起こるのです。
多様性は一国で賄う必要もなければ
世界を一つにする必要もなく
となると戦争を危ぶむ声を無視できなくなりますが
イノベーションに必要なのは別要素や新要素との結合なので
人類の発展に必要なのは多様性であり
自国の常識に他国を染める必要はなく
現に昔の古代中国の影響下にあった国々で
古代中国の四大発明が発展したわけではなく
異文化のもとで発展し
ギリシア哲学も
西洋文化の下だけでなく
インドやイスラムの文化の協力を経て
現在に至っていますし
これからも民主主義に染めなければならないとか
そのために戦争などをする必要もなく
最近のイラン情勢で言えば
経済が発展すれば多様な考えの醸成となり
イランの発展や繁栄を望めば
戦争ではないやり方で国際問題を解決しようと知恵が出るかもしれませんが
(常任理事国自体の構成が問題かもしれませんが)
これまで通り軍事的弱い国の発言力も弱くては
軍事強化に力を注ぎますます平和から国際情勢が遠くなり
ゲーム上知恵を出すのは平和のためではありません
自らの優位のためです
しかしそれも変えるのはイノベーションです
ゲームのルールを変えるのもイノベーションが必要です
完璧なシステムをデザインをする必要はなく
システムの問題点を改善していけばいいのです
平和的発展が可能なシステムに
ルールを改善していけばいいのです
そのために現状の問題点を共有し
(いきなりすべてを改善できなくても
先送りすべき問題点と早めに手につけるべき問題点があるはずです)
問題を解決する知恵を出すのです
現代は教育のおかげで
国単位でなくて
個人でイノベーションが起こせます
それを可能にしたのが学問での先人たちであり
その上で経済上でのイノベーションが起こせると私は思ってます
インターネット上で情報が吸収できる今
教育の役割は知識の伝達ではなく
人類の上に立った地球市民の様な人たちに対して
それぞれのミッションの助けになる様な
知識や技術だけでないグローバルなコミュニティやネットワークでしょうか
機関のアンテナが高く広くなければ
割を食うのは関係者ですが
そういう組織には思い上がりがあると思います
かつての欧米列強に蹂躙され始めた中国のような意識が
(アヘン戦争のときの意識とか)
思い上がりだけでなく思い込みも
学問の発展に寄与しません
社会の発展にも寄与しません
私はただ単に歴史学者に喧嘩を売ってるのでしょうか
それとも歴史の学問に奉仕しているのでしょうか
いや社会のために利用しているだけかもしれません
しかし社会もまた歴史を利用している以上
国際常識に利用している以上
歴史を無視して社会にアプローチするのもまた
意味のないことかもしれません
特に注目したいのは戦争の歴史ではなく
文化の歴史ですね
発明品や思想などがどういう場所で
どういう時間がかかって変異や発展
影響を与えていたかは戦争が絡んでいたとしても
興味深いところです
(いわゆるソフトの問題ですね)
ただ社会は発展しなきゃいけないわけでなく
新要素を受け付けないという選択も悪ではありませんが
受け入れたコミュニティー、勢力にメインストリートを譲るのは
歴史を知れば戦争で勝たなくても
仕方がないことですね
環境問題も解決しなければ
影響を受け入れなければいけません
拒否はできないのは人類は地球に住んでいるからです
一部のコミュニティの問題では済まないですが
一部のコミュニティの解決策が
他のコミュニティに影響を与え
システミックにそれこそイノベーションを起こすかもしれません
石油会社や電力会社が
システム技術や知見を活かして
ビジネスモデルをチェンジする、
ことも可能かも
メインストリートを歩きたいかい?
gift
前回のブログは前にも同じ様なことを書いてましたね
つい最近言われたことに対して
以前扱った内容と大して進歩が無いのは
問題の状態に以前変わりは無いと言えば楽ですが
私がそれほど進歩していないということでもあるので
読んでいる人は「で?」と思うでしょう
正直現状は芳しくありません
私がエネルギーシステム変換時の
経済的影響に対して損失を防ぎ
活性化のためのアイデアを紹介しても
言葉は通じてるものの
話が通じていないので
エゴのために儲けるのでは無いビジネスの話をしても
そのアイデアをエゴを満たすために利用して
結果アイデアが及ぼす効果がそんなに無い
つまり目的に叶わず失敗している状態です
もっと具体的に言いましょう
CO2の排出を減らそうとしても
日本では震災の影響もあって
火力発電の稼働が増えても
再生可能エネルギーの稼働がそんなに伸びず
結果ビジネスのためのアイデアが
CO2の排出を増やしている
(再生可能エネルギーの施設を増やすためのシステムに
再帰性が組み込まれていないのかもしれません
フィードバック機構はインプットの増加させ
アウトプットをさらにインプットにすることができます
フィボナッチ数列が再帰性を体現してますね)
という間抜けな話になってます
しかも他国について意見まで述べてます
歴史は繰り返すと言われてます
その中に争いも含みます
その争いを好ましく思わず学問の中で
研究し平和のために考えた学者がこれまでいたと思います
にもかかわらずいまだ争いは絶えません
人間はほっとくと争うものだとか
正義のためだとか
祖国のため
革命のため
欧米の植民地支配に抵抗するため
(日本も今の中国くらい知恵があったら
軍事的優位も無いのに戦争を仕掛けるとか
わざわざ他所の国にまで出向いて余計な犠牲者を増やさず
ほっといて自国さえよければ原爆で苦しむこともなく
アメリカ人に「原爆に感謝しろ」とか
「戦争を起こしたのは日本だ」と日本が開戦に踏み込むまでの
欧米の外交の不条理や非礼を棚に上げられたり
憲法を書き換えられたために
アメリカ軍に依存せざるおえずに
国防を理由に外交上欧米の要求に「No」が言えなかったり
在日米軍の犯罪を棚に上げ
旧日本軍の従軍慰安婦に対する
当時の調査とは異なる内容の証言をもとに
象徴となる像を建設した国が
戦後日本の女性で遊びまくってた男の国であり
日本から何かを得たい国であり
その国の歴史を見ると
いろいろな理屈を練り上げては
他国を蹂躙してきたパターンを繰り返していたり
妄想上の自己像を信じたりする
その歴史や常識に従うこともなかったかもしれません
日本人は人を知らなかったのでしょうか
人のために仕事をしても
自分さえよければいいという人に簡単に利用され
その仕事に対する社会的見返りさえも搾取され負けてきた歴史を)
なんのためでしょう
いくら綺麗事言っても
お腹すいてるときに食べ物が少なければ奪い合うこともあるでしょう
そして頭脳はそういうことが無い様にという思いが
狩猟から農耕で食糧を蓄え
その蓄えを狙い奪うことを覚え
食べるための武器が争うための武器になったと思います
そうなると強いものがより多くの富を得ることができ
その富をもとに勢力がもっと大きくなり、、、と
この機能は現代社会にも組み込まれています
ここまでは程度の差はあれ他の動物も同じ境遇です
そして支配者は権威を精錬させます
天体、創造主、精霊などの元、コミュニティーを治めます
仲間内での争い事はこれら従って決着がつきます
(天体の世界に生きた人々は数学的知見が身につきましたが
精霊などの世界に生きた人々は自然に関する知見
創造主などの世界に生きた人々は法、規律でしょうか)
コミュニティ内では争いは割と調停しやすいですが
常識が違うコミュニティ相手だと信頼関係は難しかったみたいです
(経済活動だけはこんな場合うまくいきました)
自然環境との調和は崩すとコミュニティの再生は難しく
(イースター島の歴史、砂漠化した地域の発展の限界)
他コミュニティとの交流の変化による興隆や衰退など
環境は資源でもあり活力にもなるが脅威にもなるが
コミュニティは物や人の交流以外に宗教自体が
権力と分離した状態で扱われ
権力自体に影響を及ぼす権力を司り
その宗教の基、他コミュニティだった存在と
争い事の調停が可能になりましたが
権力者同士の争いや
異教徒(違う体型の教えを信じてる思想家?)との
争いは続き、現代でも残ってます(テロのことじゃなくイデオロギーの話)
もう一つ宗教以外にソフトな文化(思想のこと)が同じくらいの時代に
生まれました。学問です。正確には宗教とは分離した思想です
もちろん権力とも分離されており
宗教の始祖と同じ様に学問の始祖は
それまでの常識や権力とコンフリクトを起こしており
つまりタレスは殺されはしなかった様ですが(?)
エジプトに保護され縁があったのか
幾何学を吸収し思索を深めたのかもしれません
孔子も同じ様な時期だと思いますが
探求の対象がギリシア哲学と別みたいで
森羅万象ではなく人間にあったのかもしれません
ギリシア哲学が石板をこの世に残し
再び実践者が現れるには
インドの思想から生まれた「0」とイスラム社会の
アラビア数字が必要だったのかもしれません(本当に便利ですね)
ここまでに「権力」と「社会」は大して変わっていないですが(構造)
思想だけは人々の生きる世界は変化していきました
発展とも言えず(線形的では無い歴史を辿る)
変化を受け入れてきた進化でしょうか
しかも他コミュニティとの交流の末です
中国の歴史もシルクロードの交流の恩恵を与え受けているはずですが
中国が発明した羅針盤、火薬、紙、印刷は
他コミュニティに受け入れられてから発展、進化した様に見えます
(発明した中国自体が発展させたのではなく)
ギリシアの哲学の様に違う要素と結合した時
漢字の印刷がアルファベットの印刷に使われた様に
違う常識内において(発明品、つまり道具でも)
新要素となり論語も日本に伝わり知的刺激をしましたが
ひらがなやカタカナも扱う日本は欧米の言葉(知見)をうまく取り込み
植民地支配を受け入れた国よりも悲惨な状況に身を置くことになったのですが
戦争しないで済めばいいのですが世界の状況は動いており
協力し知見さえ利用すれば平和に経済発展できる現代に
まだ争うことは未だ古い歴史を引きずっている権力者同士の姿勢です
ソフト文化を発展させたのは原動力インフラ抜きに語れませんが(道だけでない)
始祖がいた様に実践者や発展者もまた無視できません
ある人の考えが権力者にも影響を与えた力は
エゴからではなく
権力者にも通じる共益性や同じ問題を共有した時の納得する帰結
つまり自己都合ではなく
植物について研究者の気持ちが植物の立場にたった考えやなりきった考え
天体について観察した通りの意見やそれを基にした常識に対しての異論
病気に苦しんでいる人の立場に立った時
偉大な研究成果や病気を治せたりいわゆる有能と評価される仕事が
力になって権力者の民を思う気持ちに共感することもあれば
権力者のエゴに利用されアインシュタインの様に良心が痛むことにもなりますが
(ダイナマイトの発明者もですね)
つまり人間社会においてエゴだけで無い
(探究心そのものは自己欲求ですから)
こころを主体的に自分以外の都合を思って考えた時
政治ならなおさらエゴがどんな社会を構築するかわかってないと
世界は良くなりませんが
初めてそのコミュニティは発展するのでは無いでしょうか
権力者が許せない反体制者は
ただ単に昔の異教徒と同じ扱いであり
そのコミュニティを不安定にさせる異分子であり
コミュニテイを破壊する敵であり
権力を争うライバルかもしれません
ただし学問が発展してきた様に
いつまでも変わらないものは
変化を受け入れたものに支配される運命です
現代ではその侵略行為は国際社会で批判をまぬがれませんが
今の中国が近代化による変化したおかげで
批判は受けども影響力を他国に行使できるのも
新要素を受け入れたからです
(資本主義はマルクス主義と相容れないはずですが
経済は資本主義になってますよね、宗教は抑圧するけど)
いま資本主義で社会貢献や社会的責任が
企業活動に期待されてます
儲けるだけでない公益性も考えるのです
税金さえ収めれば民主主義の国では
政府が公共を担って福祉など保証してるのに
わざわざ営利団体が社会問題に取り組む必要があるのでしょうか
リーマンショックを覚えている人は
事の顚末を知りえたのでは無いでしょうか
経営者ならまたエゴが問題を起こしたと思う人もいるかもしれません
会社の信用などをなくすのは
誰かの自己都合から事が大きくなるものです
ちょっとした出来心が・・・
自分くらいいいだろう・・・
バレなきゃいいんだ・・・
こんな事もあります
「公害」
金儲けのために地域社会の住民の健康を害する
(今、アジアで発生していると思いますが
道を舗装する時にインフラ整備しやすい様に
インフラ上のアスファルトなどは取り外し式にして
水道管などかどこで破裂しても簡単にメンテナンスできると
水道管の交換も楽だったりすると思うんですけど)
一部の人が楽しく暮らすために
多くの住民が苦しまなければいけないのは
やはり問題です
これこそ政治の仕事ですが
市民の訴えは聞き入れられるのでしょうか
政治家は役に立つのでしょうか
日本に来たアジアの留学生は
日本で学んで自国の問題を解決できるのでしょうか
日本の一部の学生の様にコピペするのでしょうか
知的欲求を満たすために大学に行っても構わないと思いますが
その程度ならインターネットで済む気がします
日本の大学で学んだから母国を良くする事ができるとなれば
十分な国際貢献とも言えますし
日本のこれまでの問題解決策だけでなく
欧米との知見も学べれば
留学生が日本を選ぶ動機に十分働きかけられるのでは無いでしょうか
学問の最先端もいいですが
日本人が海外で活動する時も
日本の培った知見とそれぞれの国の知見を学ばなきゃ
海外の常識がこうだとか
日本は遅れているとか
所詮コピペしかできない話ではAIを脅威に感じるのも無理無いと思います
人の仕事はエゴだけでは評価されないというのが
私が歴史に学んだ事ですが
エゴをなくすのは人間らしく無いというか
「新 ブラックジャックによろしく」に書いてあったのですが
善意もエゴの様なことを、
自分が助けたいから助けているんだみたいな事が。
もちろん助けを求められたからという場合もあるでしょうが
やはり助けるには助けたいのでしょう
自分のために自分に課した問題設定によっては
人を助ける事も人を不幸にする事もあります
心が誰かを慈しめられれば
心が誰かを悪く思えば
頭に浮かぶ意識はその思いを遂げるため働きます
国を愛すれば国に奉仕します
夢を叶えたければ努力するでしょう
欲しければ奪うこともあるでしょう
こいつは頭がおかしいと思えば言わんとしている事が理解できないでしょう
自分の幸せのためだけなら困っている人がいても気にしないでしょう
いいシステムと思えば想像でも悪いシステムがあるでしょう
悪い機能だと思えばいい機能が思い浮かぶでしょう
自分が正しいと思えば違う事を言う人が間違っていると思うでしょう
正しい事について考えれば間違いに気づくでしょう
植物について考えれば動物との違いが分かるでしょう
向日葵について考えればアジサイとの違いが分かるでしょう
好きな女の子の事が分かるにはその子の好きな男の子を知ればいいのです
スポーツの対戦相手を知りたければ
対戦相手が他の選手と対戦している様子を見るのです
人類はソクラテスが指摘したまんまです
(洞窟の隠喩)
いくら天才でもどんなに頭脳明晰でも
自分のために生きてる人は
環境を自分の都合の良い様に変えようとします
環境問題解決のため「持続可能な循環社会に変えるなんてできない」
というひとは変われないという理由を持っているか
変わらないでほしいという気持ちがあるのでしょう
私は環境問題買解決を実現するために
できないという論拠に対してできるという論拠を述べたいと思います
たとえば社会システムを問題が確認されるたびに改良していき
いきなり正解の社会システムをデザインするのではなく
進化できるシステムを実現できる様に働きかけます
(システムに対する知見や技術の提供だけでなく具体的アイデアも出して)
やってほしく無いという気持ちに対しては
問題を共有してもらいます
現状が変わらない事で被る被害から目を背けさせません
たとえ被害者にならない立場でも
システムを通して歴史を通して当事者意識を担ってもらいます
実際にはこのブログなどを通して情報発信しているだけですが
私は負ける立場でもあります
エゴに負けるのです
私のではなく
私を利用する誰かのエゴにです
ただし私に勝つにはこのブログの読者である事が優位な条件でもあります
私から知見を吸収し技術を身につけ
自身の経験を土台にビジョンに生かし
私が引き受けた責を受けずにその手に入れた能力で
社会的地位の手に入れるのです
私に遠慮は要りません
なぜならそれが可能な世界なら
環境問題も現実的に取り組む事が教育を受けるだけででき
政治がゲームの駆け引きから
次のステージに行けるはずなのです
(あわよくばそうなった時に自分が好き勝手な研究ができると
世間に負けても私には大変都合がいいのですが、実生活が見えない(泣))
教育(制度に限らず)次第では
あるいは世間が許すチャンス次第では
未来は変えられます
技術があるのであらゆるシステムが改良可能だとも思ってます
人間を変えることはできなくても
意識に働きかければ反応する人もこの世にいるはずです
(能力などの条件などが揃えば)
今は伝わらなくてもそのうち言ってる内容がわかる時もくるかもしれませんし
見ている人の常識次第でも影響は不確かだとも思います
さてエゴにまみれた世界で
今とらわれている問題が分かるでしょうか
エゴによって発生した問題をエゴによって解決できるのでしょうか
わかりやすく言うと
社会が生んだ問題はその社会が変わらなければ解決せず
むかしならもっと極端に
変化を拒んだ勢力にとって代わって
変化を受け入れた勢力がメインストリートを走ってますが
現代の国際社会は複雑で教育のおかげで
学び直すこともでき
変わらないという事にもとらわれない気がします
(差別を受ける人が被害者とは限らずその人のエゴに
誰かが被害にあって怒りを買い差別に至ることも学ぶべきです
でなければ社会は二重被害者を産み事情を知った時には取り返しがつきません)
はて才能とは技術なのでしょうか
人が対象に対する思いからなるのでしょうか
テレビを見てて思うのが
消える一発屋芸人って「才能あるから」とか
「才能のおかげ」みたいな「俺持ってる」とかの発言後
世間に飽きられても才能を出せばいいのにと思うのですが
いったい彼らの言ってた才能はなんのことだったのでしょうか
テレビ局が利用している「電波」のことカナ?
笑わせたいという気持ちのことカナ?
人の期待に応えたいという気持ちのことカナ?
ひょっとして編集技術のことカナ?
笑い足すみたいなことと
ブログでアクセス数上げること同じかもしん無いけど
このブログは伝わらなきゃ意味が無いのでわかる人には伝わると嬉しいもんです
つい最近言われたことに対して
以前扱った内容と大して進歩が無いのは
問題の状態に以前変わりは無いと言えば楽ですが
私がそれほど進歩していないということでもあるので
読んでいる人は「で?」と思うでしょう
正直現状は芳しくありません
私がエネルギーシステム変換時の
経済的影響に対して損失を防ぎ
活性化のためのアイデアを紹介しても
言葉は通じてるものの
話が通じていないので
エゴのために儲けるのでは無いビジネスの話をしても
そのアイデアをエゴを満たすために利用して
結果アイデアが及ぼす効果がそんなに無い
つまり目的に叶わず失敗している状態です
もっと具体的に言いましょう
CO2の排出を減らそうとしても
日本では震災の影響もあって
火力発電の稼働が増えても
再生可能エネルギーの稼働がそんなに伸びず
結果ビジネスのためのアイデアが
CO2の排出を増やしている
(再生可能エネルギーの施設を増やすためのシステムに
再帰性が組み込まれていないのかもしれません
フィードバック機構はインプットの増加させ
アウトプットをさらにインプットにすることができます
フィボナッチ数列が再帰性を体現してますね)
という間抜けな話になってます
しかも他国について意見まで述べてます
歴史は繰り返すと言われてます
その中に争いも含みます
その争いを好ましく思わず学問の中で
研究し平和のために考えた学者がこれまでいたと思います
にもかかわらずいまだ争いは絶えません
人間はほっとくと争うものだとか
正義のためだとか
祖国のため
革命のため
欧米の植民地支配に抵抗するため
(日本も今の中国くらい知恵があったら
軍事的優位も無いのに戦争を仕掛けるとか
わざわざ他所の国にまで出向いて余計な犠牲者を増やさず
ほっといて自国さえよければ原爆で苦しむこともなく
アメリカ人に「原爆に感謝しろ」とか
「戦争を起こしたのは日本だ」と日本が開戦に踏み込むまでの
欧米の外交の不条理や非礼を棚に上げられたり
憲法を書き換えられたために
アメリカ軍に依存せざるおえずに
国防を理由に外交上欧米の要求に「No」が言えなかったり
在日米軍の犯罪を棚に上げ
旧日本軍の従軍慰安婦に対する
当時の調査とは異なる内容の証言をもとに
象徴となる像を建設した国が
戦後日本の女性で遊びまくってた男の国であり
日本から何かを得たい国であり
その国の歴史を見ると
いろいろな理屈を練り上げては
他国を蹂躙してきたパターンを繰り返していたり
妄想上の自己像を信じたりする
その歴史や常識に従うこともなかったかもしれません
日本人は人を知らなかったのでしょうか
人のために仕事をしても
自分さえよければいいという人に簡単に利用され
その仕事に対する社会的見返りさえも搾取され負けてきた歴史を)
なんのためでしょう
いくら綺麗事言っても
お腹すいてるときに食べ物が少なければ奪い合うこともあるでしょう
そして頭脳はそういうことが無い様にという思いが
狩猟から農耕で食糧を蓄え
その蓄えを狙い奪うことを覚え
食べるための武器が争うための武器になったと思います
そうなると強いものがより多くの富を得ることができ
その富をもとに勢力がもっと大きくなり、、、と
この機能は現代社会にも組み込まれています
ここまでは程度の差はあれ他の動物も同じ境遇です
そして支配者は権威を精錬させます
天体、創造主、精霊などの元、コミュニティーを治めます
仲間内での争い事はこれら従って決着がつきます
(天体の世界に生きた人々は数学的知見が身につきましたが
精霊などの世界に生きた人々は自然に関する知見
創造主などの世界に生きた人々は法、規律でしょうか)
コミュニティ内では争いは割と調停しやすいですが
常識が違うコミュニティ相手だと信頼関係は難しかったみたいです
(経済活動だけはこんな場合うまくいきました)
自然環境との調和は崩すとコミュニティの再生は難しく
(イースター島の歴史、砂漠化した地域の発展の限界)
他コミュニティとの交流の変化による興隆や衰退など
環境は資源でもあり活力にもなるが脅威にもなるが
コミュニティは物や人の交流以外に宗教自体が
権力と分離した状態で扱われ
権力自体に影響を及ぼす権力を司り
その宗教の基、他コミュニティだった存在と
争い事の調停が可能になりましたが
権力者同士の争いや
異教徒(違う体型の教えを信じてる思想家?)との
争いは続き、現代でも残ってます(テロのことじゃなくイデオロギーの話)
もう一つ宗教以外にソフトな文化(思想のこと)が同じくらいの時代に
生まれました。学問です。正確には宗教とは分離した思想です
もちろん権力とも分離されており
宗教の始祖と同じ様に学問の始祖は
それまでの常識や権力とコンフリクトを起こしており
つまりタレスは殺されはしなかった様ですが(?)
エジプトに保護され縁があったのか
幾何学を吸収し思索を深めたのかもしれません
孔子も同じ様な時期だと思いますが
探求の対象がギリシア哲学と別みたいで
森羅万象ではなく人間にあったのかもしれません
ギリシア哲学が石板をこの世に残し
再び実践者が現れるには
インドの思想から生まれた「0」とイスラム社会の
アラビア数字が必要だったのかもしれません(本当に便利ですね)
ここまでに「権力」と「社会」は大して変わっていないですが(構造)
思想だけは人々の生きる世界は変化していきました
発展とも言えず(線形的では無い歴史を辿る)
変化を受け入れてきた進化でしょうか
しかも他コミュニティとの交流の末です
中国の歴史もシルクロードの交流の恩恵を与え受けているはずですが
中国が発明した羅針盤、火薬、紙、印刷は
他コミュニティに受け入れられてから発展、進化した様に見えます
(発明した中国自体が発展させたのではなく)
ギリシアの哲学の様に違う要素と結合した時
漢字の印刷がアルファベットの印刷に使われた様に
違う常識内において(発明品、つまり道具でも)
新要素となり論語も日本に伝わり知的刺激をしましたが
ひらがなやカタカナも扱う日本は欧米の言葉(知見)をうまく取り込み
植民地支配を受け入れた国よりも悲惨な状況に身を置くことになったのですが
戦争しないで済めばいいのですが世界の状況は動いており
協力し知見さえ利用すれば平和に経済発展できる現代に
まだ争うことは未だ古い歴史を引きずっている権力者同士の姿勢です
ソフト文化を発展させたのは原動力インフラ抜きに語れませんが(道だけでない)
始祖がいた様に実践者や発展者もまた無視できません
ある人の考えが権力者にも影響を与えた力は
エゴからではなく
権力者にも通じる共益性や同じ問題を共有した時の納得する帰結
つまり自己都合ではなく
植物について研究者の気持ちが植物の立場にたった考えやなりきった考え
天体について観察した通りの意見やそれを基にした常識に対しての異論
病気に苦しんでいる人の立場に立った時
偉大な研究成果や病気を治せたりいわゆる有能と評価される仕事が
力になって権力者の民を思う気持ちに共感することもあれば
権力者のエゴに利用されアインシュタインの様に良心が痛むことにもなりますが
(ダイナマイトの発明者もですね)
つまり人間社会においてエゴだけで無い
(探究心そのものは自己欲求ですから)
こころを主体的に自分以外の都合を思って考えた時
政治ならなおさらエゴがどんな社会を構築するかわかってないと
世界は良くなりませんが
初めてそのコミュニティは発展するのでは無いでしょうか
権力者が許せない反体制者は
ただ単に昔の異教徒と同じ扱いであり
そのコミュニティを不安定にさせる異分子であり
コミュニテイを破壊する敵であり
権力を争うライバルかもしれません
ただし学問が発展してきた様に
いつまでも変わらないものは
変化を受け入れたものに支配される運命です
現代ではその侵略行為は国際社会で批判をまぬがれませんが
今の中国が近代化による変化したおかげで
批判は受けども影響力を他国に行使できるのも
新要素を受け入れたからです
(資本主義はマルクス主義と相容れないはずですが
経済は資本主義になってますよね、宗教は抑圧するけど)
いま資本主義で社会貢献や社会的責任が
企業活動に期待されてます
儲けるだけでない公益性も考えるのです
税金さえ収めれば民主主義の国では
政府が公共を担って福祉など保証してるのに
わざわざ営利団体が社会問題に取り組む必要があるのでしょうか
リーマンショックを覚えている人は
事の顚末を知りえたのでは無いでしょうか
経営者ならまたエゴが問題を起こしたと思う人もいるかもしれません
会社の信用などをなくすのは
誰かの自己都合から事が大きくなるものです
ちょっとした出来心が・・・
自分くらいいいだろう・・・
バレなきゃいいんだ・・・
こんな事もあります
「公害」
金儲けのために地域社会の住民の健康を害する
(今、アジアで発生していると思いますが
道を舗装する時にインフラ整備しやすい様に
インフラ上のアスファルトなどは取り外し式にして
水道管などかどこで破裂しても簡単にメンテナンスできると
水道管の交換も楽だったりすると思うんですけど)
一部の人が楽しく暮らすために
多くの住民が苦しまなければいけないのは
やはり問題です
これこそ政治の仕事ですが
市民の訴えは聞き入れられるのでしょうか
政治家は役に立つのでしょうか
日本に来たアジアの留学生は
日本で学んで自国の問題を解決できるのでしょうか
日本の一部の学生の様にコピペするのでしょうか
知的欲求を満たすために大学に行っても構わないと思いますが
その程度ならインターネットで済む気がします
日本の大学で学んだから母国を良くする事ができるとなれば
十分な国際貢献とも言えますし
日本のこれまでの問題解決策だけでなく
欧米との知見も学べれば
留学生が日本を選ぶ動機に十分働きかけられるのでは無いでしょうか
学問の最先端もいいですが
日本人が海外で活動する時も
日本の培った知見とそれぞれの国の知見を学ばなきゃ
海外の常識がこうだとか
日本は遅れているとか
所詮コピペしかできない話ではAIを脅威に感じるのも無理無いと思います
人の仕事はエゴだけでは評価されないというのが
私が歴史に学んだ事ですが
エゴをなくすのは人間らしく無いというか
「新 ブラックジャックによろしく」に書いてあったのですが
善意もエゴの様なことを、
自分が助けたいから助けているんだみたいな事が。
もちろん助けを求められたからという場合もあるでしょうが
やはり助けるには助けたいのでしょう
自分のために自分に課した問題設定によっては
人を助ける事も人を不幸にする事もあります
心が誰かを慈しめられれば
心が誰かを悪く思えば
頭に浮かぶ意識はその思いを遂げるため働きます
国を愛すれば国に奉仕します
夢を叶えたければ努力するでしょう
欲しければ奪うこともあるでしょう
こいつは頭がおかしいと思えば言わんとしている事が理解できないでしょう
自分の幸せのためだけなら困っている人がいても気にしないでしょう
いいシステムと思えば想像でも悪いシステムがあるでしょう
悪い機能だと思えばいい機能が思い浮かぶでしょう
自分が正しいと思えば違う事を言う人が間違っていると思うでしょう
正しい事について考えれば間違いに気づくでしょう
植物について考えれば動物との違いが分かるでしょう
向日葵について考えればアジサイとの違いが分かるでしょう
好きな女の子の事が分かるにはその子の好きな男の子を知ればいいのです
スポーツの対戦相手を知りたければ
対戦相手が他の選手と対戦している様子を見るのです
人類はソクラテスが指摘したまんまです
(洞窟の隠喩)
いくら天才でもどんなに頭脳明晰でも
自分のために生きてる人は
環境を自分の都合の良い様に変えようとします
環境問題解決のため「持続可能な循環社会に変えるなんてできない」
というひとは変われないという理由を持っているか
変わらないでほしいという気持ちがあるのでしょう
私は環境問題買解決を実現するために
できないという論拠に対してできるという論拠を述べたいと思います
たとえば社会システムを問題が確認されるたびに改良していき
いきなり正解の社会システムをデザインするのではなく
進化できるシステムを実現できる様に働きかけます
(システムに対する知見や技術の提供だけでなく具体的アイデアも出して)
やってほしく無いという気持ちに対しては
問題を共有してもらいます
現状が変わらない事で被る被害から目を背けさせません
たとえ被害者にならない立場でも
システムを通して歴史を通して当事者意識を担ってもらいます
実際にはこのブログなどを通して情報発信しているだけですが
私は負ける立場でもあります
エゴに負けるのです
私のではなく
私を利用する誰かのエゴにです
ただし私に勝つにはこのブログの読者である事が優位な条件でもあります
私から知見を吸収し技術を身につけ
自身の経験を土台にビジョンに生かし
私が引き受けた責を受けずにその手に入れた能力で
社会的地位の手に入れるのです
私に遠慮は要りません
なぜならそれが可能な世界なら
環境問題も現実的に取り組む事が教育を受けるだけででき
政治がゲームの駆け引きから
次のステージに行けるはずなのです
(あわよくばそうなった時に自分が好き勝手な研究ができると
世間に負けても私には大変都合がいいのですが、実生活が見えない(泣))
教育(制度に限らず)次第では
あるいは世間が許すチャンス次第では
未来は変えられます
技術があるのであらゆるシステムが改良可能だとも思ってます
人間を変えることはできなくても
意識に働きかければ反応する人もこの世にいるはずです
(能力などの条件などが揃えば)
今は伝わらなくてもそのうち言ってる内容がわかる時もくるかもしれませんし
見ている人の常識次第でも影響は不確かだとも思います
さてエゴにまみれた世界で
今とらわれている問題が分かるでしょうか
エゴによって発生した問題をエゴによって解決できるのでしょうか
わかりやすく言うと
社会が生んだ問題はその社会が変わらなければ解決せず
むかしならもっと極端に
変化を拒んだ勢力にとって代わって
変化を受け入れた勢力がメインストリートを走ってますが
現代の国際社会は複雑で教育のおかげで
学び直すこともでき
変わらないという事にもとらわれない気がします
(差別を受ける人が被害者とは限らずその人のエゴに
誰かが被害にあって怒りを買い差別に至ることも学ぶべきです
でなければ社会は二重被害者を産み事情を知った時には取り返しがつきません)
はて才能とは技術なのでしょうか
人が対象に対する思いからなるのでしょうか
テレビを見てて思うのが
消える一発屋芸人って「才能あるから」とか
「才能のおかげ」みたいな「俺持ってる」とかの発言後
世間に飽きられても才能を出せばいいのにと思うのですが
いったい彼らの言ってた才能はなんのことだったのでしょうか
テレビ局が利用している「電波」のことカナ?
笑わせたいという気持ちのことカナ?
人の期待に応えたいという気持ちのことカナ?
ひょっとして編集技術のことカナ?
笑い足すみたいなことと
ブログでアクセス数上げること同じかもしん無いけど
このブログは伝わらなきゃ意味が無いのでわかる人には伝わると嬉しいもんです
contagious
私はある人に言われました
「誰でも変わるのは嫌なものだ」と
その通りだと思います
しかし
「誰もが問題に心を開ければ誰もが変わる」
とも思います
誰かが社会の気づいた問題を解決したいと思っても
なんの問題も無いと思っているある人からすると
「わけのわかんない事言って私たちの都合を変えようとしている」
と思われるでしょう
しかし問題が提示されたら
そういう考えもあると合点が行く事でしょう
もっと言えば
この問題について考えてくださいと押し付けたとき
こういうべきじゃ無いでしょうか
「この問題について別の解決案が出せなければ
問題を被っている人たちの事を考えて
解決案が別の被害者を生まない限り邪魔しないでくれるか」
と
多くの人が教育を受けている国では
勉強した事を世のため人のために役立てようとするよりも
自分の欲求に勉強した事を利用し自己の問題を解決する事が多々ありますが
社会に目を向け自分との関わりを突き詰めていくと
みんなから(社会から)自分の事を良くしてもらおうとするより
自分がみんなを(社会を)良くする事が自分の気持ちが良くなる
(良くした事は自分で確認でき他人に依存なく満足感を得る事ができる)
ということがわかると思います
(中国人は日本の過去の行為を批判し恨んでいる人が多くいると思いますが
日本が世界に対して悪意を持って軍事大国してなんのリスクもなく戦争して
たまたまアジアがアフリカや南米見たくならなかったわけがなく
植民地支配時代の当時にアジアはその様にしないと行動したからで
その当時の中国はそれに対して日本に自己主張したのであって
世界に対して何の主張もできてなかったと思います。
日本にあるものは中国が与えたと思ってても近代化のできなかった中国に
近代化の多くのものを与えたのは経済大国化のきっかけも日本です
もっといえば今更国力を背景に欧米がしてきた様な事を
東南アジア諸国にするのは後出しじゃんけんばかりしている様にみえます
昔舐めた辛酸から学ぶべきで何かを取り返す方法を間違ってる気がします
知的チャレンジして科学を昇華させた欧米に遅れをとったのは
日本にまで遅れをとったのは知的開拓精神では無いでしょうか
アヘン戦争で負けた中国がするべきは日本の様に危機感を持って
国のためできれば世界のために欧米から学び変化を恐れない事だったのでは
無いでしょうか。今中国が制裁している知的活動家は
今の共産党に都合が悪いだけで中国の将来には
共産党が変わる事を恐れないなら共産党にも力になるかもしれません
キリスト教社会の西洋の歴史の例を見てみるとそう思います)
誰もが得をしたく損はしたく無いでしょう
ある人は良心を持って誰か困ってる人を救うでしょう
溺れた人を救うには泳げなければいけません
泳げれば助けられる確率は上がりますが
足がツレば自分も溺れるかもしれません
リスクを負い能力があり気持ちがあれば救えるかもしれませんが
よくニュースで助けに行った人も行方不明になると聞きます
感謝されたいから、ヒーローになりたいからではなく
助けたいのでしょう、そういう気持ちがあると思います
学問で功績を挙げた人はその事についてばかり考えて
功績を上げて賞やお金や地位やいい女を抱くため頑張るからではなく
学問の研究の事を探求したい気持ちや
学問を利用して困っている人を助けたいなどの気持ちがあった事でしょう
そういう気持ちが無い人には有能に見えるかもしれません
人の役に立つ様な能力があるのですから誰かには感謝され
境遇を良くしてもらえるかもしれません
でも今述べた様に
自分がわかっていれば心が卑屈になる事はまず無いでしょう
自分の事を考えて欲望に従って誰かのものを奪って欲求を満たそうとも
誰かの事を考えて良心に従って誰かに与えたとして誰かの欲求を満たそうとも
あなたの気持ち次第です
自分の身に危険が少ないのは?
気持ちから行為に及んで後で不安が少ないのは?
有能感を得られるのは?
さて問題とはなんでしょう
わからないのが「問題」かもしれません
しかし問い方というものがあるもんです
何か?
なぜか?
どのようにか?
どこか?
いつか?
などなど・・・
帰結はそれぞれ
何か?対象を明らかにする
なぜか?理由を明らかにする
どのようにか?状態を明らかにする
どこか?場所を明らかにする
いつか?時を明らかにする
こんな感じでしょうか
その他にもモデルを使った方法もあります
おそらくソフトな問題(概念で扱う問題)はモデルが必要だと思います
(モデルとは考え方の様なものです)
社会のあらゆる活動システムは
縦軸の時間と横軸の空間に私は当てはめます
何を当てはめるかは
アクションと出来事、動機これらを
時間的経過とともに(普遍的、固有的扱いが時間的にあると思いますがうまく使い分けて)
つなぎ合せつつも
空間的つながりもつなぎ合せ
ある現象(再産出していると思われる)を明らかにし
その活動システムを改革、代替、破棄するのです
この技術、自由自在に使える様になれば
環境に対する社会システムの機能を良くする事ができ
社会のある問題に関する解決案に反対するだけでなく
同じ解決案や違う解決案を導く事ができるのです
問題を解決したい気持ちや
問題を被っている人を助けたいという気持ちがあればの話です
(モデルを使って活動システムを明らかにするとき
問題やコンセプトに収斂されて全体の関係性に整合性がある様にしてください)
途中中国に関してコメントしましたが
そんなに危機感を持つほど危機は無いかと思いますが
(むしろ周りに与えている様にも取れますが)
受け身でなく積極的な平和発展ができるほど
社会科学はシステム科学は発展しまたまだまだ伸びます
戦争の他に方法がなかった時代に比べれば
まだ今は他に選択肢があると思いますし
過去の教訓も生かせるまで成熟してきてる社会とも思います
テロリストを殺すより自らが変わる
つまり社会の問題に取り組むという事が
テロリストが非難しなくなる社会になるのでは無いでしょうか
テロリストが言ってる事は
かつての奴隷に苦しんだ人々や
土地を奪われ勝手に国を作られ追いやられた人々や
日本が感じてた事と同じでは無いかと思うのです
アジアは独立運動で当時、思いを通しましたが
世界から見放された人々は
今渦中にいるのです
そこには自分さえよければいいという思いが
相手を自分の思い通りにしたいという欲が
戦争の悲惨さではなく科学の使い道の反省もなく
自分たちの都合の良い理由をまた作っては
繰り返しているだけでは無いでしょうか
たまたま戦争の根拠にした理由が確認できなかっただけで
欧米の常套手段の様にも思えます
(現に日本のマスコミは大義の嘘が発覚した後
イラクの民主化の為の戦争だったと報道してました)
誰もが変わることを嫌がっても
自分のしたことに責任を取れないなら
その人を信用するべきではありません
なぜなら誰かにその負担がくるかもしれないからです
誰かにした不義理に反省もなく変わりが無いなら
他の誰かにその不義理が及ぶことでしょう
少なくともそういう人が組織の意思決定に携わったら
組織も社会も良くなりません
少なくとも大人なら
「誰でも変わるのは嫌なものだ」と
その通りだと思います
しかし
「誰もが問題に心を開ければ誰もが変わる」
とも思います
誰かが社会の気づいた問題を解決したいと思っても
なんの問題も無いと思っているある人からすると
「わけのわかんない事言って私たちの都合を変えようとしている」
と思われるでしょう
しかし問題が提示されたら
そういう考えもあると合点が行く事でしょう
もっと言えば
この問題について考えてくださいと押し付けたとき
こういうべきじゃ無いでしょうか
「この問題について別の解決案が出せなければ
問題を被っている人たちの事を考えて
解決案が別の被害者を生まない限り邪魔しないでくれるか」
と
多くの人が教育を受けている国では
勉強した事を世のため人のために役立てようとするよりも
自分の欲求に勉強した事を利用し自己の問題を解決する事が多々ありますが
社会に目を向け自分との関わりを突き詰めていくと
みんなから(社会から)自分の事を良くしてもらおうとするより
自分がみんなを(社会を)良くする事が自分の気持ちが良くなる
(良くした事は自分で確認でき他人に依存なく満足感を得る事ができる)
ということがわかると思います
(中国人は日本の過去の行為を批判し恨んでいる人が多くいると思いますが
日本が世界に対して悪意を持って軍事大国してなんのリスクもなく戦争して
たまたまアジアがアフリカや南米見たくならなかったわけがなく
植民地支配時代の当時にアジアはその様にしないと行動したからで
その当時の中国はそれに対して日本に自己主張したのであって
世界に対して何の主張もできてなかったと思います。
日本にあるものは中国が与えたと思ってても近代化のできなかった中国に
近代化の多くのものを与えたのは経済大国化のきっかけも日本です
もっといえば今更国力を背景に欧米がしてきた様な事を
東南アジア諸国にするのは後出しじゃんけんばかりしている様にみえます
昔舐めた辛酸から学ぶべきで何かを取り返す方法を間違ってる気がします
知的チャレンジして科学を昇華させた欧米に遅れをとったのは
日本にまで遅れをとったのは知的開拓精神では無いでしょうか
アヘン戦争で負けた中国がするべきは日本の様に危機感を持って
国のためできれば世界のために欧米から学び変化を恐れない事だったのでは
無いでしょうか。今中国が制裁している知的活動家は
今の共産党に都合が悪いだけで中国の将来には
共産党が変わる事を恐れないなら共産党にも力になるかもしれません
キリスト教社会の西洋の歴史の例を見てみるとそう思います)
誰もが得をしたく損はしたく無いでしょう
ある人は良心を持って誰か困ってる人を救うでしょう
溺れた人を救うには泳げなければいけません
泳げれば助けられる確率は上がりますが
足がツレば自分も溺れるかもしれません
リスクを負い能力があり気持ちがあれば救えるかもしれませんが
よくニュースで助けに行った人も行方不明になると聞きます
感謝されたいから、ヒーローになりたいからではなく
助けたいのでしょう、そういう気持ちがあると思います
学問で功績を挙げた人はその事についてばかり考えて
功績を上げて賞やお金や地位やいい女を抱くため頑張るからではなく
学問の研究の事を探求したい気持ちや
学問を利用して困っている人を助けたいなどの気持ちがあった事でしょう
そういう気持ちが無い人には有能に見えるかもしれません
人の役に立つ様な能力があるのですから誰かには感謝され
境遇を良くしてもらえるかもしれません
でも今述べた様に
自分がわかっていれば心が卑屈になる事はまず無いでしょう
自分の事を考えて欲望に従って誰かのものを奪って欲求を満たそうとも
誰かの事を考えて良心に従って誰かに与えたとして誰かの欲求を満たそうとも
あなたの気持ち次第です
自分の身に危険が少ないのは?
気持ちから行為に及んで後で不安が少ないのは?
有能感を得られるのは?
さて問題とはなんでしょう
わからないのが「問題」かもしれません
しかし問い方というものがあるもんです
何か?
なぜか?
どのようにか?
どこか?
いつか?
などなど・・・
帰結はそれぞれ
何か?対象を明らかにする
なぜか?理由を明らかにする
どのようにか?状態を明らかにする
どこか?場所を明らかにする
いつか?時を明らかにする
こんな感じでしょうか
その他にもモデルを使った方法もあります
おそらくソフトな問題(概念で扱う問題)はモデルが必要だと思います
(モデルとは考え方の様なものです)
社会のあらゆる活動システムは
縦軸の時間と横軸の空間に私は当てはめます
何を当てはめるかは
アクションと出来事、動機これらを
時間的経過とともに(普遍的、固有的扱いが時間的にあると思いますがうまく使い分けて)
つなぎ合せつつも
空間的つながりもつなぎ合せ
ある現象(再産出していると思われる)を明らかにし
その活動システムを改革、代替、破棄するのです
この技術、自由自在に使える様になれば
環境に対する社会システムの機能を良くする事ができ
社会のある問題に関する解決案に反対するだけでなく
同じ解決案や違う解決案を導く事ができるのです
問題を解決したい気持ちや
問題を被っている人を助けたいという気持ちがあればの話です
(モデルを使って活動システムを明らかにするとき
問題やコンセプトに収斂されて全体の関係性に整合性がある様にしてください)
途中中国に関してコメントしましたが
そんなに危機感を持つほど危機は無いかと思いますが
(むしろ周りに与えている様にも取れますが)
受け身でなく積極的な平和発展ができるほど
社会科学はシステム科学は発展しまたまだまだ伸びます
戦争の他に方法がなかった時代に比べれば
まだ今は他に選択肢があると思いますし
過去の教訓も生かせるまで成熟してきてる社会とも思います
テロリストを殺すより自らが変わる
つまり社会の問題に取り組むという事が
テロリストが非難しなくなる社会になるのでは無いでしょうか
テロリストが言ってる事は
かつての奴隷に苦しんだ人々や
土地を奪われ勝手に国を作られ追いやられた人々や
日本が感じてた事と同じでは無いかと思うのです
アジアは独立運動で当時、思いを通しましたが
世界から見放された人々は
今渦中にいるのです
そこには自分さえよければいいという思いが
相手を自分の思い通りにしたいという欲が
戦争の悲惨さではなく科学の使い道の反省もなく
自分たちの都合の良い理由をまた作っては
繰り返しているだけでは無いでしょうか
たまたま戦争の根拠にした理由が確認できなかっただけで
欧米の常套手段の様にも思えます
(現に日本のマスコミは大義の嘘が発覚した後
イラクの民主化の為の戦争だったと報道してました)
誰もが変わることを嫌がっても
自分のしたことに責任を取れないなら
その人を信用するべきではありません
なぜなら誰かにその負担がくるかもしれないからです
誰かにした不義理に反省もなく変わりが無いなら
他の誰かにその不義理が及ぶことでしょう
少なくともそういう人が組織の意思決定に携わったら
組織も社会も良くなりません
少なくとも大人なら