level
抽象度とはどんなものでしょう
今回は抽象度という軸から
循環してるフラクタルや
フラクタルなグラデーションなどにおける置換などを
考えてみたいと思います
抽象的なものを反対の意味で表現するには
具体的だと思います、もしくは具象
抽象度があれば具体度があると思いますが
あまり聞いたことがありません
そこで頭の体操です
公倍数に対し公約数は無限に
広がったっり収縮したりするものでしょうか
答えは公約数は公約元が増えても
無限に広がっていったり増えたりしません
おそらく「1」より小さい公約数は特殊な条件を除いて
よく考えられませんが、ないと言っていいと思います
抽象度をフラクタルに捉えた時
導かれる抽象元と言いましょうか
より具体的なものからはおそらく
最高度の抽象度から得られる表現は
全ては同じ表現でなされるものと思います
たとえば「世界は数学で記述されている」とか
このことから逆に具体的という表現は
誤解や解釈の余地が少ないため説明に適してるし
例え話は具体例を含んでることで
何のことを指して話しているかがわかりやすくなっています
あえて「具体度」をという言葉を使う時は
何段階か抽象度の高い話の過程で
どの具体から取り出した抽象度の話をしているか
わかりやすくするためどの辺の具体度かを説明したい時だと思います
具体と抽象のフラクタルな関係の他に
手段と目的
機能と問題状況
これらもフラクタルであり抽象、つまり公倍数に相当する
抽象度の更なる「目的」における「大目的」や
「問題状況」における「ビジョン」などがあります
そして察しのいい人は気付いてるかもしれませんが
手段に対して目的以外に抽象化も問題状況などと
入れ替えても整合性は保てるので
ある手段の抽象化をしそこからビジョンを導いてもいいですし
ビジョンから目的を決め手段を決めるということも問題なくできます
目的を抽象化したり目的を果たすための機能を考えることも
(ここでいう機能は実社会、つまり社会システムや活動システムなどにおいての実装を想定しておりハードとソフトを問いません)
具体のようなものから段階的に導いていき
抽象のようなものから段階的に決めていく、というところでしょうか
おそらく具体のようなものからビジョンは導けないでしょう
せめて抽象化や目的を導いたり問題状況を導いた後
ビジョンは導けるとは思いますが
(因みにビジョンを抽象化することはできます)
ビジョンのさらなる公倍数の広がり
つまり抽象度の高いものは
「志」です
近代化以前は武術を学ぶものが志を果たしていたりしたそうですが
現代はテクノロジーだと思います
武術は武術で学ぶ価値はあると思いますが
その良さを広く人々に伝えるにも
テクノロジーは有用だと思いますし
武術の体系だった知見を情報システムに活用するのも
悪くないかもしれません
さて冒頭で循環しているフラクタルなどと言いました
フラクタルなグラデーションはもうお分かりかと思いますが
フラクタルが循環してるとはどんなことでしょうか
一言で言えば公約数も無限に縮まっていくというとこでしょうか
思い当たるところでは
幸運と不運
これらは必ずしも2項対立とはなっておらず
幸福の中に不運があり
中だけに限らず幸運の視点もさらなる集合値の中では
幸運である所か不運に種にもなってしまうというとこです
また不運の場合もしかりです
何が不運の種で幸運の種かは
一瞬一瞬見ただけではわからないというものです
例えば不幸な真っ最中にある人でも
それをネタに不幸の自慢だってできるのです
少しうがった見方をすれば
復興というレジリエンスも
さらなる災害の罹災者を減らすという意味では
前向きでも、壊すのが難しくなった街を
どうアップデートさせていくか
という課題にいずれ当たるかもしれないのです
(もしくは一度できた構造物を壊す経費が著しく高くついたり)
ただ作ればいいのであれば
海上のプラスチックゴミやシステムの問題など
取り組まなくていいはずなのです
しかし現実は作りやすく建てやすく
維持管理が簡単で耐久性もあり機能性も失わず
不要になったら簡単に壊せ
有害なものは何一つ残さないと言ったようにはなっていないのです
文明有史以来自然を変えてきた人類が
今変えないと都合が悪いのが
これまで人類を反映させてきたシステムです
しかしシステムを変えるにはメンタルも変えないと
そこからは今まで通りのメカニズムが発生してしまいます
営利企業活動における公害問題は
形を変え今も続いていると思いますし
これからも付いて回る問題だとも思います
資本主義というシステムの問題なのでしょうか
update
想像の創造において抽象的な考察をしてみます
想像、イマジネーションには
ある起点からフラクタルに膨らんでいきますし
その過程からある覚えた違和感が
課題設定となりそれを念頭とした帰結を導き
コンテキストを通して表現されます
起点と言ってもそれは始まりに限らず
終わりからの逆算もあり
しかも点に限らずそれは線である関係や
点や線を含んだ面からの考察だってありえます
具体的には関係の相対的に見て
視点を主体と対象に行き来しつつ
シナリオを走らせる
面であっても同じことで
線との違いは全体を捉えた時に限って現れる
総和で測りきれない総体と言った
現象を分析できることです
(総和はある要素の集合が関連付けされた全てで、
総体とはある要素の集合で関連付けされてないものも含めた全て)
そして面で見るには外つまり環境を要します
どこまでを面の中に含むかというのには限界があります
人の頭脳には限界があり
同時に扱える要素つまり認識できる要素は10もないと言います
ここからがAIに代替できない人間の能力でもあるのですが
想像は「if」による演繹がパラレル且つフラクタルに広がっていきます
シナリオはifの数と更なるifの数と鼠算のように可能性があります
可能性は無限にありますが
(アイデアを)創造するには他を切り捨てた
ある一つの答えが必要です
創造する未来を限定するので
創造したい世界観に沿った決定がなされます
お金を儲けたいという自己実現が最重要なら
誰かの手柄を横取りしてでも
誰かの対価を削ってでも儲けようとします
そうして自分の利得を増やすのに
もっともな理由を想像して創造されます
では選択されるべき未来はどういう世界であるべきか
それはより良い世界であり
これまで引きずってきた問題点が解決された世界です
そこで見る世界の問題が
面であるべきで
しかも切り取った世界でなく
地球規模に見た歴史であり
地域や国からだけで見ていない世界における現象を捉え
自分には何ができるかです
世界の問題の原因を誰かに求めるだけでは
何も良くなりません
自分を起点に問題の延長線上にない世界を
築くのは本人が抱く世界像であります
そうして導かれる過程に
点や線や面から見た
パラレルでフラクタルなシナリオや
その過程で視点を切り替えたり視野を広げたりした
切り口による違和感からの課題設定以外に
シーンのそれぞれのオブジェクトを
背景(環境)をそのままに既にあったオブジェクトを抽象化した
集合値と同じ集合値にあるオブジェクトに入れ替えたり
同じく環境にもオブジェクトをそのままに入れ替えたり
それらをある問題設定やコンセプト設定や目的(目標)設定を元に
オブジェクトらや環境を入れ替えたり
その時入れ替えられるオブジェクトや環境は
問題やコンセプトや目的に関連されているのであって
元のオブジェクトや環境の集合値とは別でも問題はない
創るのであって誰かに創らされてるのではないから
そこは誰のせいにもできないが
オブジェクトが機能を帯びた発明である時
これらの過程によって導かれたアウトプットは
対価を目当てとした誰かに盗まれたりする
経営者や為政者がどんなことを目的とするかで
それは盗まれた方が悪いことになる
特に金への執着が深ければ深いほど
それはいかなる教訓も受け付けず
誰かからお金を集めたがるため自分を省みることはなく
何の為にお金を集めているかもわからなくなっているのが
想像したより良い世界の創造力が欠けた人たちの
てん末である
(スティーブジョブスの病床での言葉を参照せよ)
そしてシーンにおいて認識されたオブジェクトは
もちろん選んだシナリオに沿ってストーリーとなり
何らかの不足や不便が起き
それを補うオブジェクトが
やはり問題設定やコンセプト設定や目的設定より導かれる
その時、新規結合が起きイノベーティブであり
これまでの延長線上にある問題点の改善とは違う
前提の違った世界が実装される瞬間でもある
問題の問題や
コンセプトの前提や
目的の大目的があるよう
フラクタルな世界における
実装段階によって
抽象的なものが
具体に変換され
その具体を表すのが
コンテキストであり
設計図であり
数や量などの性能である
性能を元に実現できる質が決まる
質によってより抽象的なものが扱え
抽象と具体の行き来ができるようになる
質には物質と情報があり
物質を得意とするのが理系で
情報を得意とするのが文系でもあります
それらの根幹に哲学があり
哲学の根幹に数学があります
数学からは文脈は導かれないが
哲学から文脈が導ける
哲学では応用が利かない専門分野があるが
専門分野は応用が利く
タコツボ化は研究対象を抽象化できないことによる
文脈で話ができないコミュニケーションの問題であり
人、物、情報を扱えるインフラがないシステムの問題でもある
(基本OSを大学一般職員が担い研究はアプリケーションとして特化し
経営の立場はOSをアップデートしアプリケーションの質を高める事)
応用が利いた専門分野から
哲学は考え方をアップデートし
アップデートされた哲学から
数学は研究分野を探索する
そんなトーラスな学術や商業やそれらを含む行政の営みが
異質性に可能性を見出し
それは創造でなければ受け入れるのが誰に取っても難しいし
異端者こそ創造に身を置くべきである
作品を作るにであれば自分の不幸な体験も
誰かにとっての何らかのヒントになるし
そこには創造の為の過ちというより
破壊の為の過ちが間違いのない認識であり
創造されたものが破壊に利用されるのは
破壊が目的であるのであって
そこには良い世界を想像して創造する力ではなく
自分の利得に都合の良い世界を望んで
都合に従わない都合の悪いものを破壊するといった
自分さえ良ければ良いという自己満足からなる
犯罪者と変わらないメンタルが導く過ちである
人は一人では生きていけないのに
犯罪者は自分さえ良ければ良いというう考えを元に
誰かから盗んだり暴力で従える事に問題意識を認めないように
一国で繁栄は成しえないのに
自分の国さえ良ければ良いという考えを元に
どこかの国から盗んだり軍事力を背景に脅迫する事の
問題意識を認めない
そういう人が作る社会は人間不信が広がり
支え合うより裏切り合う社会であり
そういう国が作る世界はいかに出し抜くかに重要度が置かれ
手柄を盗んだ者、利得を分け合わない者がもっとも成功し
創造者や与える者は食い物にされ
食い物にされる事自体の責任を本人が負わされる
自分にはできない事ができる人を
いかに価値を貶めるか
いかに搾り取るか
いかに出し抜くか
そういう世界を守ろうと年配者たちは
社会を変えさせまいとし
自分たちの利得を守ろうと
マスコミを動かし政治を動かし情報を操作してきました
今回のブログで目新しい事は書いてないかもしれませんが
つまりこれまでもイノベーションはどう起こすか
創造とはどういうメカニズムか
という事を変わらず言ってきた為かと思います
大企業の終身雇用崩壊は
年配者が創造性を学ぶわけではなく
若者の創造力を搾取するといった
退職した大企業の名前を利用して
無能でブラックな中小企業が大量に出てくると思います
小泉政権の時に派遣業が解放された時も
大企業の無能な退職者が
IT派遣に目をつけて
職を求めにきた負け組と呼ばれる人を個人事業主の名目で
派遣先に出向させて中間マージンを得るという事が横行していました
(今も変わらずあるのでしょうか)
そういう社会はこれまで見たとおり
真面目に成果を出してきた人は馬鹿を見てきました
と言っても年配者はすぐに死なないので
そういう世界がしばらく続いてしまうかと思いますが
食い物にされる人より
食い物にしてきた人の方が金も力もコネも持ってます
年功序列という名目のもと
若く真面目に成果を出す人は
経済の力が働く国内政治において
常に孤立化させられ
組織からマークされ
実力に相応しい評価や対価を一切受けず
泣き寝入りさせられては
その理由や責任の一切を受け合わされてきました
成果を出す人が社会に合わせるべきか
成果を出す人に社会が合わせるべきか
自分を守るため
その希少価値を上げる為スキルを独占したり
誰かから奪ったり与えられた仕事を
自らが生み出したと誰かに嘘をついたり
リスクを負ってチャレンジした結果
マイナスの事象は個人が負い
プラスな事象は社会が受け取るような集団フリーライド
令和になっても変わらないのでしょうか
自然を破壊し続ける経済システムを変えないで
自然の無い火星に移り住んで生き延びようなどと
それが人類のとって幸福な選択と言えますか?
贅沢が止められず地球の自然を破壊した結果
それに怒った貧しい人たちのしっぺ返しを避ける為に
火星に逃げようとしてるとしか思えません
いかにも自分さえ良ければ良いという金持ちらしい考え方ですね
自分の内面を見る時間も無いほど忙しいのでしょうか
現代病ですかね
variable
プログラミング技術を
現実に適用させて(ハック)みると
フラクタルに考えることだと思います
プログラミングに構造は
・メイン関数{
・サブ関数A{
・(ライブラリ)関数a
・(オリジナル)関数b
}
・サブ関数B{
・(オリジナル)関数c
・(ライブラリ)関数a
}
}
と関数(機能)のフラクタルになっています
こういう構造で世界を見てみますと
・空間軸のフラクタル(物理学と量子力学)
・時間軸のフラクタル(経験と歴史)
・心理のフラクタル(個の中のフラクタルと個と全体のフラクタル)
・具体と抽象のフラクタル(哲学)
・目的と手段のフラクタル(課題を解決するテクノロジー)
(・集合知、学問、情報のフラクタル)
となり
プログラミングを例にとると
メイン関数の中にサブ関数があり
その中に個別の関数があると同時に
個別の関数はサブ関数を通して
メイン関数の一部でもあるということです
これを空間軸に適応させますと
・部屋{
・テーブル{
・ペットボトル
・ティッシュ
・時計
}
・椅子{
・クッション
}
}
とすることもできます
そして同時に技術を適応させると
目的と手段が上記に入ってきます
(つまり何の為にこれらがあるのか)
・変化の安定した居住空間のため{
・道具を取ったり置きやすくするため{
・飲み物を飲みやすくするため
・汚れを拭き取りやすくするため
・誰かや何かとタイミングを合わせるため
}
・楽な姿勢で長時間居続けるため{
・リラックス感度を上げるため
}
}
これらに対応させます
そして新たな目的が生まれると
それを果たすための手段が構築されます
・テーブルじゃなく服にペットボトルホルダーを装着するとか
(・道具を取ったり置きやすくするため、の手段をテーブルから服に変えました、変化の安定した居住空間のため、の手段を変えるとテーブルが移動式だったり椅子を天井から下ろしたっていいのです)
目的を果たすための手段は一つとは限らないのです
もうちょっと情報量を増やすと
空間軸と時間軸によって
どういう立場の人がどんな状況で困難を抱えてるか
(個人や社会の心理も含まれるのかもしれません)
つまり違うある家やオフィスのある部屋において
違いに対応したテーブルや椅子
個人的経験だけでなく人の話などを聞いて
得られた情報から新たなアイデアが生まれるのです
(エレベーターの待ち時間を有効にするため広告を流したり)
何が言いたいかというとフラクタルに考えないと
要素の関係が整理されなければ
新たな関係も生み出されないということです
空間軸と時間軸だけで世界の歴史は語れますが
心理的な軸が加われば支配者と被支配者の
メンタルから得られる教訓というものもありますし
目的と手段軸と心理的な軸が交われば
テクノロジーの発展に一定の反省を促せます
(創造はあらゆる軸が交わったり繋がって成されると思います)
軸と言いましたが
正しくは軸によって構成された集合値です
例の戻ってみると
・オフィス{
・デスク{
・パソコン
・ペットボトル
・電源タップ
}
}
ペットボトルの変数が「ぬるい」、「冷めた」と
冷たいの逆や温かいの逆になると
テクノロジーの出番となるわけです
プログラマーには当たり前のことですが
関数には変数が含まれていたりします
(変数に関数が含まれるかと問われますと
ちょっと意味が違う気がします
関数の構成に変数は含まれても
変数自体は関数とは違います、が、変数の性質上
変数に関数を代入することはできると思います、多分・・・)
整理しますと
・メインシステム{
・サブシステム{
・メイン関数{
・サブ関数{
・関数(変数)
}
}
}
}
空間軸に直すと
・全宇宙{
・銀河団{
・太陽系{
・地球{
・アジア(平和、緊張、紛争)
・ヨーロッパ(平和、緊張、紛争)
・中東(平和、緊張、紛争)
・南米(平和、緊張、紛争)
・北米(平和、緊張、紛争)
}
}
}
}
そして時間軸となると
大航海時代以降一般に言われてる歴史は
世界規模で影響し合い
原因と言えるものは特定しづらく
どの空間までの範囲や
どの時間まで遡ればいいのかで
問題点や反省点は変わります
しかも良い悪いは一概ではなく
歴史の出来事には良い面もあり悪い面もあります
それが空間軸によっても変わり
時間軸によっても変わるのです
太平洋戦争は当時の日本政府によって起こされた
という説は
太平洋戦争は当時のアメリカ政府によって起こさせられた
とも言えるのです
アメリカの政府には戦争をしたい理由がありましたし
日本政府が提案した和平案にアメリカは手を打つはずもなく
日本政府は追い詰められていました
(交渉の余地のないアメリカを相手にウルトラCはありません)
今北朝鮮とアメリカが戦争をしたいかどうかは
根っこのところではわかりませんが
北朝鮮もアメリカに脅威を与えるより
同盟国に脅威を与え間接的にアメリカに
交渉を有利に運ぶようにしたいはずです
そもそも北朝鮮は体制の存続が目的であると同時に
韓国との現体制下においての統合です
アメリカとの協調下の元、朝鮮半島が統合され
金正恩一族の保護が約束されれば
違う答えもありうるのですが
そうなれば日本の二の舞
何かにつけてアメリカに甘え
相手を利用し自分を良く見せようと
世界中を不義や不徳に巻き込むことでしょう
(中国もそれで成功している部分もありますし)
アメリカは朝鮮人が成長のない民族ということに
気付いているのでしょうか
何事にも分別のつかない彼らのことを
アングロサクソンが世界に対して
心理的投影を辞めたとしても
世界において心理的投影はやまないでしょう
自分の認めたくない要素を相手に投影し
その相手を批判することで自らは変わることなく
相手を変えることで自分だけは満足を得る、、、
これが世界のより良いビジョンに対して
自らがコミットし何かや誰かの所為にせず
全体に対して恩恵を与えるようには
いかないものでしょうか
私が私をかつて迫害した人たちを許したのは
目的を諦めたわけではなく
彼らのしたことをなかったことにするわけでもなく
私がコミットしてきた
世界の問題を解決してきたことを
嘘にするつもりもないため
彼らを許さないことで世界に別の問題を生む
私自身を変えるために彼らを許すのであって
別の問題とは
彼らは言い訳をし続け
ごまかしを続ける現状に終止符を打つべく
彼らをこれ以上責めないために
それらをしないで済み
彼らにも変われるべくチャンスを与えるために
あくまでも許すのであって
少なくとも私が生きている時代で
もう一度私のような現象に誰かが合わないためにも
私から変わり彼らに良い影響を与えるべく
非難や批判に終始するのではなく
なるべく提案をし
建設的に振る舞うべく
自分も省みることにしてます
時間軸を遡り
空間軸を自分のいる場所から広げれば
そこには先人たちがいて
そこには見習うべき生き方がありました
私は劣化しているつもりはないので
彼らの仕事をアップデートしたいのですが
私が変わることで世界が変わるかはわかりません
が、私が変わらないで世界が変わるとは考えにくいので
やはり変わるべきは私だと思います
おそらく私に非はなくても
私が正しいわけではなく
私とは別に正しさがあるのであって
私に責められる要素はあっても
それが非とは限らないよう
それは相手にも同じことが言えると思うわけです
我々はただの変数であって
そこに代入される値は
様々で個性を示すものもあれば
たまたまそうなのであって
量子力学ではないですけど
もしかしたら自分なのかもしれない
それこそフラクタルに
個別は、変数はある集合に関数に含まれていて
その集合も関数もある関数さらに
システムに含まれているのだと
世界を非難したとて
非難される世界の一構成員が自分なのだと
世界は対立してるのは
根っこから見てないか
未来から見てないかの
どちらかだからかもしれません
あるいはどちらも必要かも