紅狩人のブログ -27ページ目

context

想像して創造する

ドットとドットをつなげる

異質なもの同士を掛け合わせる

 

これらだけで誰もがイノベーションを

起こせるわけではありません

「何の為」が抜けてるからです

それでも夢がある人は夢の為と言って

それを実現する手段を事業としたりします

事を一つ責任を持ってすることは素晴らしいことです

しかし自分に「何の為」とは突き詰めることができます

・こういう世界を実現する為

(理想的な世界とは違う今の世界には問題がある)

→何の為?

・自分だけが幸せでも恵まれない人のことを聞くと後ろめたさがする

・どうせ死ぬなら世の中を良くしてから死にたい

→何の為?

・誰もが幸せを願い幸せになろうとしている

これ以上考えてもいいですが

ある程度満足するまで考えが着いたら

→なぜ?私がやるのか?

と自分に問いてみてください

・理想的な世界が見てみたい

・やりたいことを考えただけでワクワクする

・誰かが苦しんでる顔を見るのが自分には辛い

・世界を救えたら自分を好きになれそう

などいろいろな理由があるかもしれませんが

ミッション以外でも理由を満たせる場合以外は

やりたいことが変わっても別に何も悪くありません

それぞれの人生ですから

・神様が喜ぶ様なことをしたい

(感謝するなど)

・神様の仕事の手伝いをしたい

(地の塩となるなど)

・神様になりたい

(生きながら自らを神と名乗る奴は俗世的な執着してる奴ばっか)

あくまでも目的や理由は自分に課すもので

誰かに押し付けたときその人のエゴを

満たす為に誰かを縛ることが目的になってますから

そういう人が自分に課しているのは利己的な負担の回避です

自分に課して何かをやるということは

背中で語るということです

(今の世の中では誰かの思いついた良いことを横取りして世間に自らの手柄の様に吹聴するものばかりがテレビマスコミ新聞を賑やかせてますが何の思いもこもってない為そこから改良や創意工夫した発展性がありません)

 

目的を抽象化した大目的さらなる大大目的に行き着き

それらをこなす自らに理由ができたら

次は技術です

冒頭の言葉に「何の為」かが足りないと言ってきましたが

すべての「発明」は「状況」による「行動の変化」によります

同じ状況で同じ行動をしているのに

これまでの道具に問題がなければ不満を感じないでしょう

生物が海から陸に進出して進化する様に

人間がある状況において

機能的な手や足の延長した道具でもって

生き残りを含む目的というものを果たすのです

・写真を元に画像の要素を変える

(「部屋(状況)」で「男の人」が「部屋着を着て」「ネットサーフィン(行動)」をしている写真、「ネットサーフィン」を「テレワーク」にしたら「部屋」と「部屋着を着て」が問題となったとき、「部屋内スタジオテント」や「部屋着の合成コーディネート」などになるのです)

行動とは動詞の関数でメカニズム化できます

そうしたら行動は道具により効率化できる様になります

こういう行動を活動システムと言います

それとは突き詰めていけば同じになりますが

情報処理をソフトウェアにより効率化することができます

この場合は情報システムですね

突き詰めていけば同じという意味は

活動システムもコンピュータプログラム言語で表せなくても

動詞を処理するフローチャートとして記述できます

活動システムは抽象度により

個人レベルやチームレベル組織レベル社会レベル国レベルなど

動詞の扱う単位が違います

扱うレベルが低くなるほど具体的になり

高くなるほど抽象的になります

(川の堤防の決壊メカニズムと豪雨の発生メカニズムは相関関係はありますが別物となります)

・現象のメカニズムにアプローチする

(感染症の場合「感染者」と「保持者」は保持者の「行動を抑制」すれば、「感染者」は減る、いわばネズミ講の様に親株を潰していけば社会の崩壊を止めることができる、「保持者」が致し方なく誰かと接触するときの処方や生活の保障、仕事をしなくても生きていける保障をピンポイントですることにより社会全体の経済活動停滞の保障しなくても済む、n分木)

ちなみにポケモンGoは

情報システムと活動システムのハイブリッドシステムです

course

みなさん

私がスマホを考え出したと

言ってきましたが

WindowsのPHS、W-zero3が

SHARPより市場に出るまでの経緯は

私が2001年頃同僚との職場での会話で

「Windowsと携帯電話を掛け合わせたらどうか」

との発言がめぐりめぐって

W-zero3の発売となり

オリエンタルラジオの中田敦彦から

テレビ番組の都市伝説を扱う番組で聞いた

スティーブジョブスがSHARPの副社長の佐々木正に会い

その後iPhoneが発売されたといった具合ですが

私の頭の中で何が起きてたかを説明してませんでしたね

 

公言してますが私は2000年の6月から2月まで

プログラマーとしてWindows2000のデスクトップで

C言語でファイル加工処理をしていました

自分で希望しといてなんですが

不慣れなひたすら考える業務は

先輩にアドバイスを乞う事ができるとはいえ

自分の心理的負担となり配置換えを上司に訴えました

そして希望が叶い

CDを製作する部署へと転属されましたが

そこで元プログラマーとの話が弾み

自作PCについて話したり

頭を使わず体を使う機械のオペレーターだったので

同僚との話から刺激を受け

プログラマーとしての癖でいろんな思考実験をしていました

宇宙の外側を見たらどうなるかとか

放射線の逆位相で無害化させるとか

そのなかで

携帯電話につて話した時

分解するとCPUが入っているという事を聞いたり

携帯電話でC言語でプログラミングしたゲームが動く

などを聞いた時

WindowsでC言語プログラムを動かしていた

プログラマー時代の経験から

携帯電話でもWindowsでも

C言語が動くなら

Windowsみたいな携帯電話があってもいいじゃないか

と頭の中で繋がりました

同僚にそのアイデアを話したところ

当然理由をつけられて(電池がどうのこうの)

実現は難しいと言われました、その時は。

そんな私が平成の職場で

上手くやっていけるわけがありません

他の同僚に「だからお前は馬鹿なんだよ」

みたいな事を言われ

その時その同僚に対する日頃から感じる不満が爆発して

次の出勤時に辞表を提出しました

その年のついでに通信大学へ入学して

勉強をしましたが

レポートを提出しては

「独創すぎて受け付けられません」

といわれたり単位を取る事が難しく

自習も飽きが来て

自分の好きな本ばかり勉強してました

それでも時々耳にする

「キ○ガイ」

や、ひどい時にはすれ違いさま

「死ね!」

などと大学内で言われてました

私の知的青春は敵意に満ち満ちたものでした

そして2006年の夏に図書館で

ピーターチェックランドの

「新しいシステムアプローチ」に出会い

まさにセレンディピティでした

それまで物しかアイデアが出なかったのが

事についてアイデアを出せるようになりました

しかしその勉強中上司に

「その(システム思考)の勉強をやめなければ会社を辞めてもらう」

といわれ

「やめない」

というとそのままクビになりました

ハローワークでは

自己都合で辞めた事になって泣き寝入りした挙句

その前からちょくちょく悩まされた集団ストーカに狙われ

ストレスに耐えかねて母親に暴力を振るい

警察沙汰となってそのまま精神病院に強制入院となりました

迫害が被害妄想となって

近所の嫌がらせやサラリーマンの嫌がらせがなかった事になり

退院すると実家に引きこもる日々となりました

私への嫌がらせは止まず

(嫌がらせとは考えを纏まらせないように私が考える街中や自宅のテレビでと咳や喉を鳴らした音やテレビのコメントをわざと間違えたり

パソコンから那覇れる音楽が途切れたりして気を散らせてきました)

ストレスと精神病院で飲まされた精神薬によって

精力は極端に落ち

しばらくすると全身がかゆくなり

腹一杯食べて眠ると痒みが治まるので

体重は100キロを超え

私の話は医者は(被害妄想と)信じないものの

なんとか勇気を出して痒みを抑える薬をもらい

痒みを抑える薬で食べては眠る日々が続き

日本では生きていけないと考え

海外へ行こうと語学教室へ通ったりしましたが

お金がないしインターネットも

閲覧制限を受けてたみたいで

海外情報の有益なものは手に入りませんでした

(私は日本人にとって獲物でした)

リーマンショックが起きると

NHKのテレビ番組で

アメリカ人が歌を歌い日本語訳歌詞として

「君が失敗したらもう僕たちはおしまいだ」

などといわれ「自業自得じゃねえか」とおもっていたら

しばらくしたある日

経済が機能不全になったせいで

援助が受けられなくなった貧しい人の映像が

テレビから流れてきました

そこでわたしは自宅でさえストレスの攻撃を受けて

医者どころか親でさえ私の話を信じない中

隕石をなんとかするためにここまで頑張ってきて

これから先もそのミッションしか私には残されたものがないのに

たとえ隕石がなんとかできたとしても

他の事で困っている人がいたら

それは苦しみを続けるために

隕石をなんとかしただけなのかもしれないのであって

それは私の望んだ世界ではない、と思い

リーマンショックをなんとかしようと考え出しました

プログラマー時代の経験や

ピーターチェックランドの本の勉強が生き

複雑な金融工学を学ばなくても

データの印を目安にサブプライムローンの品目を抽出し

他の金融商品に変えるか削除する事で

金融システムはどこにサブプライムローンが潜んで

買う事を控えていたやり取りが

安全にやり取りができる事になる

そうすればお金は再び必要なところに行き届き

問題は解決されると

その後経済がどうなったかは

みなさんの知るところです

今回のコロナでは接触者検知アプリの

仕様みたいなものをtwitterで構想しました

その間も様々ないアイデアを出し

ついには隕石に対処するアイデアをも思いつけました

太陽光を大量に宇宙へ打ち上げた鏡によって

飛来する隕石に集中照射させて燃やすといったものです

鏡にはタッチパネルの代わりに

太陽光パネルがついたスマホが付いているかもしれません

海の生物が陸上へ進出した時は

捕食者から逃げるための危機の真っ只中かもしれません

しかし陸に適用して仕舞えば

捕食者はおらず

食べられるものがあればそこは新天地

水中では必要なかった

腰という新たな骨格を手に入れ

立つものが現れ

手を器用に使い出し

脳が発達し

コミュニティを作り

システムを開発する者が出てきて

またシステムの多様性が生まれ

宇宙で単に生きるだけのない

目的次第で会ったりすれ違ったりして

でも様々な物や情報を共有するといった

時代の変わり目なのかもしれません

 

positive

いきなりですが

ワクワクドキドキする様なことを

しようとしてないかしてない人は

義務に追われてたり

あなたを取り巻く環境によって

そうできないのかもしれません

大人になったら忘れているかもしれませんが

子供の頃は誰もが

できないことができる様になった

喜びを味わっていました

それがいつしか学校で奴隷になる様なことを強要され

管理されやすい様に

自らで考えない様に

いうことを聞く者には優等という認証を与え

いう通りにしない者には劣等という烙印を押してきました

つまり支配者にとって都合の良いものを優遇し

支配の座を脅かす様な都合の悪い者は冷遇したのです

昨今の社会では

主体的に考える者や

何かにチャレンジする者を認める風潮はありますが

未だに社会には「快」や「楽」を求めて

自分以外の誰かを犠牲にする人達がいます

彼らは自分が享受する「快」や「楽」は当たり前だとし

その対価を払うこともしないどころか

自分が犠牲にしている相手の立場に

自分が立ったら感じる不条理を訴えることさえ不当とします

(特定の人だけでなく特定の時代でもない話です)

自らを鑑みないで相手の批判に終始する姿は

自分の影を投影している姿であり

相手に課していることは

自分が相手にしなければならないことの裏返しでもあります

何らかの力が働き実際に相手が非を認めたとしても

それは相手に自分の影を投影した代償を払わせただけで

宇宙的な視点で見れば

ポジティブな現象ではなくネガティブな現象です

しかしここに希望があります

希望とはネガティブなものをポジティブにしようとするときに生まれ

したときに成就するものです

自らの「快」や「楽」を得るために誰かを利用するのではなく

誰かの「苦」や「痛」を取り除くために自らが働くか

誰かの「快」や「楽」を与えるために自らが働くことで

より人間らしく成長していき

より人間らしく年を取るものです

実は冒頭で言ってた

ワクワクドキドキな目的や夢は

何らかの「苦」や「痛」を取り除いたときのイメージや

何らかの「快」や「楽」を与えたときにイメージが

育むものなのです

誰かを助けたときや誰かを喜ばせたときの自分に対して

ワクワクドキドキするのです

助けられなかったときは自分を責めるのも

喜ばさせられなかったときに自分を責めるのも

誰かを助けることが自分ごとであり

誰かを喜ばせることが自分ごとであるからです

そして自分にはできそうもないと思っても

心の鳴る方へ進んでいけば

できそうもないこともできるようになり

それはできそうなことからやり始めたからできる様になったのか

できそうもないことでもやろうとすることでできる様になったか

その両方かもしれません

具体的に言えば

プログラミング技術を習得したから

誰もが世界を変えられるわけではなく

世界を変えようとプログラミング技術を習得したから

世界を変えられる様になるのかもしれません

予めプログラミング技術を習得してたとしても

世界を変えようとし始めた時点で

いろいろなことを学ぶ姿勢も仕方も内容も違ってきます

(この場合)世界をどう変えるかによっても

他の人と着目するポイントが違ってくるのです