reward
生物はシステムを維持、活性化させて生きてます。
昆虫も魚も植物も動物も人間もです。
エネルギーを得て環境に影響を与えてるのも
自らのシステムの活動の結果だったりしますし、
構造物を構築して利用するのも
その生物の社会的活動に必要だからだとも思います。
人間も仕事を通して社会を維持、発展させてもいますし
表現を通して人間性を感じたり、可能性を感じたりします。
動作を見ているわけではありません、表現を見て感じてるのです。
ロボットが同じ動作をしてもそのロボットのファンになったりしないはずです。
極論を言えばそのロボットの作者の仕事に感じるものがあるのではないでしょうか。
非日常が人を魅了するのは、日常の再確認というか
認識の拡張性つまり脳の興奮によるものとも思えます。
ブルースリーが映画で
「don't think feel」
と言いましたが、社会の活動の一翼を担っている人が
仕事で感じるままに動いていたら
問題を解決してほしいお客や、要求を満たしてほしいお客などの場合は
満足しないでしょう。
表現者は感じることが重要かもしれませんが。
食欲を満たしてほしいと思ってお店に来ている人に
踊りだけ見せても満足しないはずです。
それではお金はもらえません。
お金は信用とも捉えることができます。
同じ仕事をしても
信用ある企業やブランドと無名な企業や偽者のブランドでは
お客が選ぶのは信用ある方や本物のブランドです。
仕事の報酬にお金をもらうのは
社会的に都合がいいからです。
社会の維持、発展に役立つことをすれば
報酬としてその社会に通じるお金を渡す、
そうすれば食欲を満たすためお金が役に立ちますし
服を買うのにもお金は役に立ちます。
当然社会に悪いことをすれば罰も受けるでしょう。法律的にも。
法律は社会の崩壊や発展を邪魔させないべく誕生したのに
たまに法律家で法律を守るために社会があるべきと思っている人がいるようですが。。。
世の中には自己実現をお金で解決する人がいるのも現実だと思います。
しかし自己実現をめざす人の中に
社会を良くしようとする人もいるのも現実だと思います
そういう人の場合、お金を貰える人と貰えない人がいます。
ビジネスと関連できる人や寄付や援助をもらえる人、他の人に応援してもらいにくい人です。
ところが実は報酬はお金だけではありません。
世の中の人に感謝される事や
世の中の人に気付かれないでも役に立っていること
それを実感できることなどで達成感や充実感を得ることができます。
その報酬は社会に残る限り何度でも実感できます。
一時期のものではありません。
生きるために必ず必要ではありませんが
喜ばれる喜びや必要とされている喜びは
お金とは違った報酬も得られるのです。
利益を上げることが目標としている企業はたくさんいます。
しかし日本の経済を発展させた人たちは
社会の進歩に貢献してきた人たちばかりです。
しかも感謝されてです。
喜びを長く味わうのか
一時要求に振り回されて
そのためだけに生きるのかは
自由であるべきだと思います。
ちょっと話はずれますが
子供は大人の模倣がある程度までできます。
それを大人は利用して子供を働かせたり
兵士にしたりしている現実があると思います。
貧困や社会の不安定から来るものだと思いますが
大人が踏ん張って教育に時間を割くことで
将来その社会は良くなる可能性があると思います。
今の西洋もルネッサンス前は
まるでお話にならない社会だったじゃありませんか。
昆虫も魚も植物も動物も人間もです。
エネルギーを得て環境に影響を与えてるのも
自らのシステムの活動の結果だったりしますし、
構造物を構築して利用するのも
その生物の社会的活動に必要だからだとも思います。
人間も仕事を通して社会を維持、発展させてもいますし
表現を通して人間性を感じたり、可能性を感じたりします。
動作を見ているわけではありません、表現を見て感じてるのです。
ロボットが同じ動作をしてもそのロボットのファンになったりしないはずです。
極論を言えばそのロボットの作者の仕事に感じるものがあるのではないでしょうか。
非日常が人を魅了するのは、日常の再確認というか
認識の拡張性つまり脳の興奮によるものとも思えます。
ブルースリーが映画で
「don't think feel」
と言いましたが、社会の活動の一翼を担っている人が
仕事で感じるままに動いていたら
問題を解決してほしいお客や、要求を満たしてほしいお客などの場合は
満足しないでしょう。
表現者は感じることが重要かもしれませんが。
食欲を満たしてほしいと思ってお店に来ている人に
踊りだけ見せても満足しないはずです。
それではお金はもらえません。
お金は信用とも捉えることができます。
同じ仕事をしても
信用ある企業やブランドと無名な企業や偽者のブランドでは
お客が選ぶのは信用ある方や本物のブランドです。
仕事の報酬にお金をもらうのは
社会的に都合がいいからです。
社会の維持、発展に役立つことをすれば
報酬としてその社会に通じるお金を渡す、
そうすれば食欲を満たすためお金が役に立ちますし
服を買うのにもお金は役に立ちます。
当然社会に悪いことをすれば罰も受けるでしょう。法律的にも。
法律は社会の崩壊や発展を邪魔させないべく誕生したのに
たまに法律家で法律を守るために社会があるべきと思っている人がいるようですが。。。
世の中には自己実現をお金で解決する人がいるのも現実だと思います。
しかし自己実現をめざす人の中に
社会を良くしようとする人もいるのも現実だと思います
そういう人の場合、お金を貰える人と貰えない人がいます。
ビジネスと関連できる人や寄付や援助をもらえる人、他の人に応援してもらいにくい人です。
ところが実は報酬はお金だけではありません。
世の中の人に感謝される事や
世の中の人に気付かれないでも役に立っていること
それを実感できることなどで達成感や充実感を得ることができます。
その報酬は社会に残る限り何度でも実感できます。
一時期のものではありません。
生きるために必ず必要ではありませんが
喜ばれる喜びや必要とされている喜びは
お金とは違った報酬も得られるのです。
利益を上げることが目標としている企業はたくさんいます。
しかし日本の経済を発展させた人たちは
社会の進歩に貢献してきた人たちばかりです。
しかも感謝されてです。
喜びを長く味わうのか
一時要求に振り回されて
そのためだけに生きるのかは
自由であるべきだと思います。
ちょっと話はずれますが
子供は大人の模倣がある程度までできます。
それを大人は利用して子供を働かせたり
兵士にしたりしている現実があると思います。
貧困や社会の不安定から来るものだと思いますが
大人が踏ん張って教育に時間を割くことで
将来その社会は良くなる可能性があると思います。
今の西洋もルネッサンス前は
まるでお話にならない社会だったじゃありませんか。
beliefs system
世界は信念システムでできてると思います。
国際社会にも常識という共通の情報を
信じている人も多いと思いますし、
自分が正しいと信じている人も
多いと思います。
人々のある活動も、人の脳もシステムです。
どんな教養を受けた人でも
おそらく間逃れないと思います。
この信念システムに初めに気付いた
歴史上の人物はソクラテスです。
有名な「洞窟の比喩」です。
洞窟の囚人は思ってることを信じます、
正しいことを信じてるというより
思っていることが正しいと信じてしまいます。
疑問に思い続ければ話は違ったも知れません。
ここで言う正しいこととは客観的な視点です。
いわゆる科学的な視点です。
世界に何十億人居ようと
この視点を元に意見を述べている人は
一部の人だけです。
多くの人は自分が正しいと思い込み
客観的に見て良い行為をすることや
客観的に見て正しいと思える意見を言いません。
その証拠に第二次世界大戦後
新しい思想が生まれて無い様な気がします。
ほとんどが戦争前に教育を受けた人の
思想が発端となっているような気がします。
国家の力が強すぎるのか
お金の力が強すぎるのか
それは信念システムが強すぎるからかもしれません。
何故なら新しい知見というものは
必ず既存の信念システムを壊してしまう力があるからです。
歴史上こうして新しい知見を発見した人々が
既存の信念システムを持っている人々によって犠牲になってきました。
いまだ人類はソクラテスの教えを理解できないのです。
人と意見が違うのは前提が違うからですが
客観的な考え方や概念はおそらく共感を得られると思います。
ギリシヤ時代の論客たちはそうして生活ができていたのかもしれません。
要は頭の使い方だと思います。
新しい知見を発見しても
客観的に論じなければそれを知らない人に通じるとは思いませんし、
社会にとって新発明をしても
利用者にとって不便なら売れないと思います。
自分が正しいと思い
自分が満足する仕事をすればいいと思っても
世の中良くなりません。
この場合は世の中にとって良いことは何かを考え
仕事をすることが、まだ良い頭の使い方だと思います。
社会の強すぎる信念システムは
未来の発展を邪魔してしまうことがありますが
正しい自分と
正しいことをしている自分などの分別が
つく人々が増えれば
そこで初めて社会が学習したとも言えるのではないでしょうか。
そうなれば新しい知見が生まれるかも知れません。
国際社会にも常識という共通の情報を
信じている人も多いと思いますし、
自分が正しいと信じている人も
多いと思います。
人々のある活動も、人の脳もシステムです。
どんな教養を受けた人でも
おそらく間逃れないと思います。
この信念システムに初めに気付いた
歴史上の人物はソクラテスです。
有名な「洞窟の比喩」です。
洞窟の囚人は思ってることを信じます、
正しいことを信じてるというより
思っていることが正しいと信じてしまいます。
疑問に思い続ければ話は違ったも知れません。
ここで言う正しいこととは客観的な視点です。
いわゆる科学的な視点です。
世界に何十億人居ようと
この視点を元に意見を述べている人は
一部の人だけです。
多くの人は自分が正しいと思い込み
客観的に見て良い行為をすることや
客観的に見て正しいと思える意見を言いません。
その証拠に第二次世界大戦後
新しい思想が生まれて無い様な気がします。
ほとんどが戦争前に教育を受けた人の
思想が発端となっているような気がします。
国家の力が強すぎるのか
お金の力が強すぎるのか
それは信念システムが強すぎるからかもしれません。
何故なら新しい知見というものは
必ず既存の信念システムを壊してしまう力があるからです。
歴史上こうして新しい知見を発見した人々が
既存の信念システムを持っている人々によって犠牲になってきました。
いまだ人類はソクラテスの教えを理解できないのです。
人と意見が違うのは前提が違うからですが
客観的な考え方や概念はおそらく共感を得られると思います。
ギリシヤ時代の論客たちはそうして生活ができていたのかもしれません。
要は頭の使い方だと思います。
新しい知見を発見しても
客観的に論じなければそれを知らない人に通じるとは思いませんし、
社会にとって新発明をしても
利用者にとって不便なら売れないと思います。
自分が正しいと思い
自分が満足する仕事をすればいいと思っても
世の中良くなりません。
この場合は世の中にとって良いことは何かを考え
仕事をすることが、まだ良い頭の使い方だと思います。
社会の強すぎる信念システムは
未来の発展を邪魔してしまうことがありますが
正しい自分と
正しいことをしている自分などの分別が
つく人々が増えれば
そこで初めて社会が学習したとも言えるのではないでしょうか。
そうなれば新しい知見が生まれるかも知れません。
イマージェンス2
創発はコミュニケーションの中からしか
生まれるとは限りません。
知による創発といいましょうか
一人の力でもいろんな知識を吸収し
しかも人と違ったことでもやり続ける執拗な性格と勇気や志が
あれば新しい発想に巡り合えるかもしれません。
ただし結果を出すまでは冷や飯を食わされる事も
笑い者にされることも避けて通れないかもしれません。
それだけなら命までもとられないとは思いますが
昔の社会では異端児として殺されていたかもしれません。
つまり権力者にとって都合の悪い情報や人物などの場合は
いくら世のため人のため真実のために活動しても殺されてきたのが
人の歴史だと書物を読めばなんとなくわかると思います。
それでも人類がここまで進歩してきたのは
勇気を持って発言、主張してきたからだと思います。
ガリレオしかりです。
ただし歴史を知る者は時代の雰囲気を汲み取って
発言や主張についてタイミングを図ることもしています。
しかしこの試練を避けられるのはごく一部の人物だけで
多くの先人達は殉教者となりました。
現代も変わらない事実があります。
人はこうした闇の中にいるから
新しいことに希望を感じるのでしょうか
それとも世の中の常識を忘れることができれば
希望が生まれてくるのでしょうか。
答えは好奇心かもしれません。
好奇心に囚われて疑問を解決しようと
いろんな意見があった古代ギリシア・ローマ時代は
ローマ帝国が栄えました。
そしてルネサンスが始まるまで
世界の人間活動に影響を与える新しいことは
生まれにくかったと思います。
ルネサンス以降は新しい知見が世界を変えてきたことは
科学の歴史が証明してくれてます。
そしてそれは文明を発展させ社会を暮らしやすく進歩させています。
権力の強い時代は人の心も暗くさせますが
好奇心から生まれた知見は人々に希望ももたらせます。
どちらが活発な時代か、人々の活動を活発にするか、
良い時代だと感じるかは考えなくてもわかると思います。
生まれるとは限りません。
知による創発といいましょうか
一人の力でもいろんな知識を吸収し
しかも人と違ったことでもやり続ける執拗な性格と勇気や志が
あれば新しい発想に巡り合えるかもしれません。
ただし結果を出すまでは冷や飯を食わされる事も
笑い者にされることも避けて通れないかもしれません。
それだけなら命までもとられないとは思いますが
昔の社会では異端児として殺されていたかもしれません。
つまり権力者にとって都合の悪い情報や人物などの場合は
いくら世のため人のため真実のために活動しても殺されてきたのが
人の歴史だと書物を読めばなんとなくわかると思います。
それでも人類がここまで進歩してきたのは
勇気を持って発言、主張してきたからだと思います。
ガリレオしかりです。
ただし歴史を知る者は時代の雰囲気を汲み取って
発言や主張についてタイミングを図ることもしています。
しかしこの試練を避けられるのはごく一部の人物だけで
多くの先人達は殉教者となりました。
現代も変わらない事実があります。
人はこうした闇の中にいるから
新しいことに希望を感じるのでしょうか
それとも世の中の常識を忘れることができれば
希望が生まれてくるのでしょうか。
答えは好奇心かもしれません。
好奇心に囚われて疑問を解決しようと
いろんな意見があった古代ギリシア・ローマ時代は
ローマ帝国が栄えました。
そしてルネサンスが始まるまで
世界の人間活動に影響を与える新しいことは
生まれにくかったと思います。
ルネサンス以降は新しい知見が世界を変えてきたことは
科学の歴史が証明してくれてます。
そしてそれは文明を発展させ社会を暮らしやすく進歩させています。
権力の強い時代は人の心も暗くさせますが
好奇心から生まれた知見は人々に希望ももたらせます。
どちらが活発な時代か、人々の活動を活発にするか、
良い時代だと感じるかは考えなくてもわかると思います。