紅狩人のブログ -102ページ目

reason

人は理由が無いことに対して
強い不満を抱くことがあります
ある疑問に対してお決まりの理由を
(当たり前の理由に疑問を抱く人はあまりいません)
持ってくることがありますが
現象や事態そのものを把握している人は
そんなにいないと思います。
21世紀にもなって地震が天罰などと
いう人がいるのは昔からの習慣が
残っているからだと思います。

ところがギリシア時代の哲学者たちの
流れを汲む人たちは、現象や事態に対して
何らかの客観的事実を並べて説明しようとします。
完璧でないのは捉え方が知識や思考の発展とともに
変わるためですが、理由が絶対とは
限らないことを知っているからでしょう。

当然、理由を導き出すために
現象や事態に沿った疑問を立てることが大事なのですが
(そして客観的に立証することによって理由は
広く認知されます)
疑問を単なる「何故?」からある例にたとえたり
具体的な疑問に焼き直したり、思いついたり
することでギリシア時代の哲学者達の流れを汲む人達は
理由を得ることができたのだと思うし
数学的概念と結びつけることで
ある方程式や理論が導き出せたのだと思います。

この方程式や理論は誰もが理解できるものでは
ないかもしれませんが
誰もが恩恵を受けることはできるかも知れません。
なぜならこれまで解らなかったことが
解ると人類や社会が発展するからです。
出来なかったことまで出来るようになるともいっても
過言ではありません。

以上の理由から本当の意味で発展している社会は
世界中そんなに無いと思います。
教育熱心な国が世界の発展に貢献しているとは限りません。
先進国が必ずしも世界の発展に貢献しているとは限りません。
本当に貢献したと言うのは
その後の人類の発展の石杖になっていることです。
常識を理由に押し付けることではありませんし
違いを理由に攻めることでもありません。
これに固執している限り
自力での発展は無理です。
他を攻めるように
隣人も攻めます。
つまりその社会自体発展した他の社会を真似ては発展するけど
真似されるような発展はできないのです。

まだ世界の大半はギリシア時代の哲学者達などに追いつけませんが
人類の未来に決まりきった理由が無いように
やりたい放題して負の遺産を残さないためにも
問題解決なども進めていかなくてはいけませんが
問題の焼き直しや一般化させたりなどすることによって
解決策も出てくるかもしれません。

ただし、相手を攻める理由に固執したり
自分たちだけ特別などの理由に固執したりすると
解決に挑む人たちに不利な形になるので
何とか黙っていて欲しいものです。
なぜなら、自分たちの保持している理由に都合が悪くなると
対象を攻める人たちなので
それはルネッサンス前の暗黒時代の西洋みたいな
社会を意味することであり
人類の発展そのものを邪魔する行為だからです。

The whole

ずいぶん前のブログでも
言いましたが、
全体に及ぼす効果をシステミックと言います。
創発現象が必ず全体に波及するとは
限りませんがレベルで言えば
現象が起きる前と起きた後では
明らかにレベルが違うのが解ると思います。
少なくともこれまでのレベルの機能は
創発した上位機能の影響を受けると思います。

因みに社会活動機能は概念上
プログラムで扱う「関数」のように
扱うことができ、IT機能と掛け合わせて
より便利な社会活動機能に改革したりでき
その結果が時には創発現象を起こしたりします。

レベルの上位や時に全体に影響を与える機能
とは別に機能自体全体に影響を与えることもあります。
機能自体と申しましたが機能の状態が
影響を与えると言い換えたほうがわかりやすいと思います。
その機能が不全なら
・機能しない○○
(○○はある環境と区別した全体の呼称、例:政治、金融、経済など)
あるいは機能が破壊的な状態なら
・危険な○○
生産的なら
・良い○○
などと言われます。
このことから全体を良くする機能を
全体を見る視点から設計、改善、発展させていけば
全体を意図的に良くする事ができるかもしれません。
グッドシステミックデザインというところでしょうか。

昨今イノベーションが話題になっていますが
システミックが話題になることが無いのは
全体やマクロの視点で見ることが普通ではなくて
専門的な見方だと思われているからかもしれません。
戦前の日本は国と言う視点が根付いていましたが
戦後の教育からマクロの視点はなくなりました。
戦前の教育を受けた官僚が日本の復興を成し遂げたと思いますが、
その人たちが国の中枢からいなくなってからか
国力が下がる一方だと思います。
省益、天下りばかり考えて
国全体を見る目が今の官僚にあるか疑問です。
経済界も女性に妊娠して欲しくないと思ってるなど
マクロの視点が皆無です。
女性が子供を産めば内需が増えて
経済力が上がって景気も良くなるかもしれないのに
と思うのですが、こんな事いっても解らないから
日本社会は変わらないのだろうと思います。
将来内需が減って業績が下がって
上司に怒られる社員の姿を思い浮かべますが
結論から言うと変わらなかった上司のせいだと
思うので怒るのは社員ではなく
社長です。

会社を改革すると言って
システムを変えたとよくいいますが
体制よりも機能に注目して
システミックな改革をした会社は少ないと思います。

得しようと思えば人を裏切っても
自分の得を選ぶのが自己中心的な人の考えですが
その行為が全体を不活性化させるのは
ゲーム理論を知っている人には常識です。
勉強しなければ駄目と言う訳ではないですが
勉強しないでも人の足を引っ張らず
全体も良くする人はなかなかいないもんですかね。

origin

世の中が暗いとき
誰もが明かりを望みます。
でも誰もが明かりをともせるとは限りません。
技術を持っている人やその行動を苦にしないなど
条件があります。

同じようなことが問題を抱えているときに起こります。
個人的にも社会的にも
そして問題を解決したときに人は前に進みます。
「問題を解決したときに」です。
この問題という部分は、個人的、社会的、未知の問題で
あろうと効果は同じです。前に進みます。

そしてそれはチャンスとして現象が現れます。
個人的にはできないことができるようになったり、
社会的には発展、イノベーションがあったり、
未知の問題ではこれまで解らなかったことが解り、
新しい英知が授かるかもしれません。
その効果は計り知れません。

しかし誰かがした結果です。
途中周りの人に止められたり邪魔されたり
社会制度に許されない場合
明かりがともる様な先は無いのです。
邪魔する人の理由はいつも
それまでの経緯です。
「前例が無い」、「常識として」、「何かあったらどうする」など。

しかしこれまでに解決しなかった問題が
これまでと同じ事をして解決できないのは
誰もが解る事です。
世の中暗いのに
何もしなければ暗いままです。
明かりを待っててもみんなが待ってては
明かりはともらないのです。

かわる方法はたくさんあります。
要素を変える。(自分を変えるとか、悪いところを直すとか)
システムを変える。(制度を変えるとか、行動習慣を変えるとか)
環境を変える。(住む所を変えるとか、付き合う人を変えるとか)
他にもあるかもしれません。

理由はいくらでもつけることができます。
理由が真実とは限らないし
確かめなければ、嘘でもほんとと思えるのが人です。
しかし起きた事から目を背ければ
いくら考えても理屈を並べても
物語としてうまく話がまとまるとしても
現象は治まらないと思います。

未だ世界は物語や神話や常識と違う考えを受け入れるのに抵抗があります。
教訓にする程度まで事象を政治的にも
解決できるまで前進していないのです。
科学万能でないのは認めますが
科学的でないのは事象を解決に導かないと思えてしょうがないのです。

世の中暗いのにこれまで物語や常識に執着して
明かりがともる様なことがあったでしょうか。
そして何よりも明かりをともしたような人自身
人生が明るくなったかと言えば
残念ながら世の中そう単純にはいかないのもこれまで良くあることです。

進んで明かりをつけるような人の人生が
運しだいでは人は本当の意味で
暗闇にまだいるのではないのでしょうか。
世界がルネッサンス以前のような
暗い影をまだ残しているような気がします。
問題は教育と言う単純な問題ではなく
教育の内容ではないのでしょうか。
人類の可能性を開いた人たちの成果を学んでも
同時代のその挑戦を邪魔する人がいます。
知識を集めても経験をつんでも違う世界に身を投じても
記憶と思い出すと言うことだけでは
チャンスは高望みでしょう。

過去の延長線上に未来が必ずあるとは
言えないのが人の歴史です。
それを受け入れた社会だけ豊かになってきました。
それを知っている人が少ないのは
何故でしょう。わかりません。