エキスパートアイズのブログ -15ページ目

騒音

私は静かな環境が好きです。
だから、耳障りな騒音には怒りがこみ上げてきて、発生の根源を破壊したくなる。

例えば、安っぽい居酒屋でアホみたいに騒ぎまくる人の声。お酒が入って、前後不覚になってるからか、絶叫しているし。そんな大声出さなくても聞こえるし、だいたい聞こえなくても問題ないようなくだらない話でしょ。
だから、安っぽい居酒屋には行かないことにしています。

それから子供の声。ただでさえ子供の声は甲高いのに、そこにきて泣き叫んだりわめき散らしたりした日には、首でも締めてやろうかと思ってしまう。ファミレスなんかは、ガキの聖地みたいなものだから仕方ないとあきらめて近寄らないようにしているのに、たまにランチの場所をファミレス指定されると一気にやる気を失います。

他には、選挙カーとか、工事の騒音とか、とにかく私から静寂を奪う存在は許せない。

そして、私はテレビが嫌い。
最近の番組は95%がバカ丸出し番組だから。グルメ番組のわざとらしい大袈裟なリアクションがかえって不味さを強調しているように見える。旅番組もほとんどヤラセっぽくて、個人が同じようにしようとしたら本当はとても危険なことでも、さも安全で世界中の人が親日家のように報道する。番組では当然先に根回ししていて出演タレントが危険な目にあうはずないのに、いかにも行き当たりバッタリで巡り合えたかのような、あのクサさ。それから、バラエティ番組に至っては、あの寒々しいわざとらしい笑い声を聞くと、出演者たちの知能指数の低さを推測してしまう。町の紹介番組でも、出演者がさも自分はそこの常連かとでも言いたげなウンチクをとうとうと語るのを聞くたびに、不快指数がMAXに上昇する。

テレビ嫌いなくせによく知ってるなー、と思われますね。
なぜなら、同居人がテレビを付けっ放しにするから。
私一人の時は、朝から晩まで一切テレビをつけない日が何日も続くので、下手すると、大地震が起きてもミサイルが発射されても、数日間知らないままだったりすることがよくある。
それなのに、同居人は朝から晩まで、ずっとテレビを付けているから、イヤでも聞こえてくる。本当にくだらない番組を、しかもわざわざ録画して何度も巻き戻しながら見ている姿を、私は軽蔑の眼差しで見ている。
そんなくだらないものを見るヒマあったら、本の一冊でも読めばいいのに。
でも、絶対に読まないですね。
私は本を読まない人はバカだとみなしています。そしてテレビばかり見ている人も同様にバカだと思ってます。たまにテレビ番組の話題で盛り上がられたりしたら不愉快でしょうがない。そんなタレントの名前を知っていたからといって、いったい世の中でどんな役に立つのか。かなり冷めた目でその人を見てしまうし、レベルの低い集団には属さないように避けてしまう。
外部の人間なら避ければ難を逃れられるのに、家の中に問題の根源がある場合は逃れようがない。

今日もブチ切れました。
「見もしないのにテレビ付けっ放しにすりな、うるさくてしょうがない!」
だからバカは嫌いなんだ。
私にとって、テレビは騒音以外の何物でもない。そんなに見たければイヤホンして見ろ。
今度付けっ放しにしていたら、不在時にテレビを破壊してやるからな。
覚悟しておけ。

ついに来たか?お迎えの序章

しばらくぶりですね。
たいして変化のない生活を送っていたもので。

先日受けた健康診断の結果が今日きました。
肥満…はいはい、そうですね。
自覚してるので。でも、肥満の原因は私にないのでどうしようもない。一人暮らしならいくらでも食事制限できるのに、家族がいると食べたくもないのに作って食べなければいけないからね。一人暮らしの時はずっと平均値をキープしていたので、肥満を解消するためには一人暮らしに戻るしかないのです。それが証拠に旅行中はかなり食事量が減るので、帰ってくると必ず痩せている。
私だってムカついているのよね。
好きで肥満になった訳じゃない。
食べたくないのに作らなきゃいけない状況が悪い。
食事を作るのは女の役目だという時代錯誤の化石のような日本の風習が悪い。

ところで、肥満以外に他にもあった。
もっと深刻そうなのが。
胸部嚢胞、経過観察、ですって。
どうりで乳がん検診エコーの時に、何やら念入りに見ているなーと思っていたのよね。
嚢胞って何?と調べてみたら、乳腺が詰まってシコリみたいなのができるとかで、小さいものだと自然消滅することもあるし、大きければ潰して中の液体を出してしまうとか。
まあ、それだけなら、たいしたことない単なるオバサン病のようです。
ただし、潰しても液体が出てこないと、場合によっては癌が潜んでいることもあるとか。
検診の結果には、一年後にまた検査してくれと書いてあったが、一年先でいいのか?
随分いい加減だなー。

実はこの結果にちょっとワクワクしています。
もし癌だったら…
オバサンと言っても年寄りとは違うので、癌なら進行は早いはず。
いよいよ来たか?
お迎え。
どうせもう人生に未練なんてひとつもないし、何をやっても不幸になる運命のようなので、ここらで早々に手仕舞いしたかったのよね。
ついでに癌なら痩せられるだろうし、一石二鳥。

四年前に仲の良い友達が、「次に降りかかる厄難は、命にかかわることじゃないか?」と言っていたが、当たりだね。

人間は生まれたら必ず死ぬんだけど、いつ死ぬかがわからないから将来の不安ばかり増えて困るんですよね。
それがもし、死ぬ時期がわかれば、何事も計画的に進められる。

私の病気がただのオバサン病なのか癌なのか、はっきりするのは一年後なので、どちらに転んでもいいように、今から一年かけて、本格的に身の回り品の整理をしよう。
今まで先が見えずにダラダラ一進一退していた断捨離も再開させよう。
買わない、いらない物は処分する、不要な付き合いはしない。
つまらない人と会うのは、とにかく時間がもったいないからね。
それから、他人を気にせず好き勝手に行動する。
もう他人に振り回されるのはウンザリだから。

まだ癌と決まったわけじゃないが、癌の気配が見え隠れした今、急に死が身近に感じられて、死を意識したことで、これまでモヤモヤと私を覆っていた霧がサッと晴れたような気持ちになりました。

私は過去を悔やんでいない。
自分が正しいと思ったことをやってきたのだから。
それを世間が受け入れなかっただけ。
私は間違ったことや悪いことをしたとは、ひとつも思っていない。
むしろ悪い人間に立ち向かって倒されただけ。
だから自分が恥ずかしいなんて露ほども感じていない。
たとえどんな身分に貶められたとしても。
世間がどんなに私を批判しても、もう私にはどうでもよい。そんなの知ったこっちゃない。
要するに、私には運がなかっただけ。
これまで十分に考えて、十分に発言し、十分に行動し、十分に闘った。
もう十分すぎるほど生きたと思うので、死が見えてもひとつも怖くないし、むしろ歓迎です。
しかも、幸運なことに、現在は誰からも必要とされていないからね。
いや、飯炊きババアがいなくなって困る人間は一人いるかも知れないが、こっちは飯炊きから解放されてせいせいするってものよ。

よく年寄りがいつまでも「死にたくないー」って未練たらしく生にしがみついているけど、そういうのを聞くと、この人はよほどくだらない人生を歩んできたんだな、と勘繰ってしまいます。
たいした事やってきていないから、ヨボヨボの年寄りになっても、まだこの先に何か自分を満足させてくれる事があると期待してしまうのでしょう。
はっきり言うわ。
その先には何もないです。
今まで他力本願で自分で何も行動を起こして来なかったくせに、この先にまだ満足させてもらえることを他人に期待するなんて、虫がよすぎる。
他人に頼ってばかり、他人に流されてばかり、他人の陰に隠れてばかりいた人が、死に際にまだ「死にたくないー」としがみつく。
それと、他力本願ではないが、守銭奴も生にしがみつきますね。
自分が悪どいことをして溜め込んだお金を残して「死にたくないー」ということです。
哀れだ。

とにかく、今は一年後の結果が楽しみだ。
いよいよ華々しく散る時が来るのかも。

逃した魚は大きい

まただ。

昨年末近くから、何年も連絡が途絶えていた人が、何食わぬ顔して突然連絡をよこしてくる。

今日また、これで6人目。

どういうつもりなんでしょう。

いまさら何の用?

いまさら、どの面下げて連絡してくるのか?


5年前、あの忌まわしい陰謀事件のために、会社は潰され、身分は汚され、心身ともに一生癒えることのない傷を負いました。

そのときに私は冷静に周辺を分析したのを覚えている。


どんなことがあっても私のもとを離れなかった人たち1割。

あっという間に去っていった人たち2~3割。

信用できない人だとわかりこちらから縁を切った人たち2割ほど。

残りの半分くらいの人たちは、距離をおいて沈黙を守っていた。


去るなら去るで一向に構いません、しょせんそういう人たちは、私の表面的なところしか見ておらず、利用価値がなくなったので去っていったのでしょうから。

そういう人たちと無理して繋がっていようとすると、また陰謀に嵌められ、こちらが心を病んでしまう。

態度をはっきり表明しただけ、マシというもの。


問題なのは、距離を置いて沈黙していた人たちです。

5年前に確かに私は、そういう人たちは、、いずれほとぼりが冷めた頃にすり寄ってくるんじゃないか、と予測していました。

まあ、私だったらそんな恥さらしな事はできないけど、世の中にはその時の風向きだけを見て根無し草のように力のある方へ浮遊する人がたくさん存在しているからね。

そして、やっぱり来た。

予想通りというか、まさかそんなにポリシーのない人たちばかりだったとは、呆れてしまいます。


何があったか知っていながら、5年間も沈黙を続けて、よく今さら連絡なんてして来れるもんだ。

私が一番苦しんでいたときに、関わるのが面倒だと距離を置いていたくせに。


私から決して離れなかった1割の人たちは、私が一番苦しんでいた時期に、すぐに手を差し伸べ、心に寄り添い、励まし続けてくれたのです。

私と連絡を取ることに躊躇のかけらもなく、本能的に私に寄り添ってくれた人たちです。


そんな、5年もたって、ノコノコと様子伺いみたいなメールや電話を送ってくるような卑怯者とは大違い。

今さら連絡をよこしてくるような人間たち、自分が可愛くて周囲の目が気になる臆病者に私は用はない。


このことを信頼できる友人に話していたら、「きっとみんな、なんだかんだ言って、あなたに会いたいんだよ、心配しているんだよ」と言われました。

そりゃそうでしょ。

私自身、5年前までの北陸における存在の大きさは、十分自覚していたからね。

だから、臆病者たちは、「ほとぼりも冷めた頃だろうし、また利用してやろう」と擦り寄ってくることぐらい、私だってお見通しです。

そして、こういう人たちは、また何か面倒なことが発生したら、一目散に逃げて沈黙を守るのです。

そうやって何かあったときには、口では「あんな人だと思わなかった」とかなんとか対象者を悪く言って自分を正当化させているのでしょうが、「そうだそうだ」と同意してくれるのはつまらない小物ばかり。

本当の大物は、そうやって風見鶏的に動く人間をいちばん信用していないため、いくらゴマをすろうがヨイショしようが、絶対に心を許すことはなく、逆にそういう小物を適当に利用して使い捨てするのです。


連絡してくる人たちは、惨めなアイツに連絡して「あげて」いる、と上から目線の態度なのでしょう。

アイツはオレが連絡すれば喜んで尻尾振って飛びついてくるに違いない、と。

バカみたい。

私を誰だと思っているんでしょうか?

そんな小物になびくとでも思っているの?

勘違いも甚だしい。

もはや今の私にはそんな小物に用はないのです。

それこそ、どうしても私と交流を再開させたいというなら、まず私に長年の無礼を詫びてからにしろ、と思ったが、詫びたから許してやるという問題でもないし、もうその人のことを信用できなくなってしまったので、いまさら詫びられても困るので、結局のところ、二度と連絡なんてしてくるな、ということです。


それからもうひとつ。

もう私は北陸には住んでいません。

私にふさわしい、大都会に住んでいます。

特にあんな排他的な金沢から脱出できて心の底から喜んでいます。

都会的な人間は田舎者とは永遠に理解し合う事はできないのでしょう。

常に田舎者から好奇の目で見られ、勝手に嫉妬され、足を引っ張られるのだから。

私ももっと早くに脱出すればこんな酷い目に遭わずに済んだのでしょう。

しかし、責任感からその場を去る事はできず、優しさから弱者を救済しなければいけないと活動し続けたことが、すべて自分にとってアダとなってしまったのです。

良かれと思ってやったことが全てアダとなり、あのムラ社会から退場させられ、そのムラに属する大半の人間たちは手を差し伸べることすらしなかった。

恩を仇で返されるとは、このこと。


そして今頃になってチラホラと連絡をしてくる。

でも私は応じない。

なぜなら、もう田舎には用はないので。


私を追い出したとき、田舎者は大事なことを失念していたのでしょう。

優秀な都会の人間は、いちど田舎を離れたら、二度と戻ってきてくれない、ということを。

ただでさえ優秀な人間が少ない田舎なのに、優秀な人を排除するとは、そして、ほとぼりが冷めればまた戻ってくると思っているあたり、やはり田舎者は愚かだった。


はっきり言っておきます。

レベル(知性・教養)の違う人間が出会った時、レベルの高い人が低い人に合わせてあげるしかない。

レベルの低い人は高い人にどうやったって合わせることができないのだから。

そして、田舎にはレベルの高い人間は非常に少ない。

そうすると、レベルの高い人間は誰とも交流しないわけにはいかないので、やむを得ず自分のレベルを数段階下げて、地元の人間と交流していたのです。

ところが、そういう優秀な人間が都会へ行けば、都会には優秀な人間が他にもたくさんいるので、わざわざレベルの低い人たちと交流する必要もなくなる。

つまり、自分を下げる必要がなくなるのです。

都会に行ってしまった優秀な人が、もはや自分の手が届かない存在になったように感じるのは当然です。

都会にいるその姿がその人の本当の姿であり、田舎にいた時の姿は、処世術による偽りの姿だったのですから。

特に女性に関しては顕著。

田舎者は優秀な女性が嫌いだから。

私もしんどかった、バカの振りをし続けるのが。

金沢にいて、賢さを見せると途端にひがまれて嫌われるので、いつもバカの振りをし続けていました。

そのように優秀な人間には決して本領を発揮させずに、バカの振りをさせ続ける田舎って、本当に愚かだと思いませんか?

優秀な女性を排除し続ける悪しき日本の習慣を地でやっているのが田舎です。

だから、さんざん嫌がらせして追い出した後に、「やっぱりあの人は偉大だった、惜しい人を失くした」と言ったところで、本人は絶対に戻ってきません。

それを「後の祭り」と言うのです。


都会はやっぱりいいですね。

バカの振りをしなくていい。

優秀な女性がたくさんいるので、女性だというだけで下に見られることがなく、伸び伸びと活動ができる。

都会は優秀な女性にとって最後の楽園であり、だから、優秀な女性がどんどん田舎から流出して都会に集まってくるのですよね。

なぜなら、本当に優秀な人間どうしは、決して相手の足を引っ張る事はしないし、むしろ一緒にお互いの能力を高めあうことで相乗効果を生み出そうとするからです。

そして、田舎の人間が心を改めて悪しき習慣を排除しない限り、この人材流出は止められない流れです。


昔から言いますよね、

「逃した魚は大きい」。

そんなこと初めからわかりきっていたのに、それを食い止めなかった。

そのことを、「後の祭り」と言います。


北陸で出会った人たちが、今の私の活動を知って、みな一様に驚いていることでしょう。

「こんなスケールの大きな人だなんて、知らなかった」・・・。

はい。

「後の祭り」です。