伝わっていないと思うが

 

このブログはオートバイという乗り物からボクが感じるなにかを

 

何とか言語化しようという試みなのだとボクは考えている

 

ボクの主観を客観化しようということだ

 

けれどボクの主観が持つ「オートバイ」の概念は

 

曖昧で、とりとめがなく、不安定で

 

いろいろと手を尽くしてみるがどう表現してみても

 

結局「これだ」と見せられないものなのかもしれない、と感じてもいる

 

でもそれはボクの表現力に問題があるという事実もさることながら

 

そもそもオートバイの楽しさとはそのような類(主観的)のモノだ

 

ということなのかもしれない、と思うのだ

 

そしてたとえ「客観的」な概念でそれを表現できたとして

 

それはどこまでいってもボクの個人的主観でしかない

 

それは主観だからそうなのだろう、と主観は思うのだ

 

自分という特殊性、意識という特殊性は

 

人間には答えの出せない問題のように感じる

 

 

個人的な印象や経験のことを主観という

 

主観を言語化することなんてまともに考えれば不可能に思えるけど

 

実際には印象や感覚に関する概念、言語は多く存在している

 

柑橘類を口にしたときに感じる酸味を「すっぱい」と云うが

 

すごく甘いと云われて食べたキウィがものすごく酸っぱかったり

 

レモンの切り口を見ただけでそれをすでに酸っぱく感じる時もある

 

酸味を数値化することはおそらく可能だと思うけど

 

どこからどこまでを酸っぱく感じるかは人に依るし

 

酸っぱい感覚を場合によっては爽やかだと感じることもあるかもしれない

 

この逆が客観だ

 

客観とは文字どおり個人的な思いなしではない

 

データや第三者の視点で物事を一般的に見定めることだ

 

けれどこの客観は実に危うい

 

いったい誰がこの客観性、第三者性を保証するのだろうか

 

 

保障された客観性と云えばそれは科学だろう

 

客観性こそが科学の信憑性や社会性を確実に担保するのだと

 

多くの現代人は原理的に信じている

 

手にしたボールはどこで誰がそうしようと手から放せば下に落ちるし

 

次の皆既日食がいつどこで見られるかは計算可能なのだ

 

誰もがいつでも再現可能という客観性

 

暗闇で幽霊を見るのは錯覚という見間違い(思いなし)だが

 

隣の電車が動き出したのに自分の乗った電車が動いたように感じる錯視は

 

いつでもだれにも起こる心理学(科学)的現象だ

 

一方で科学ではある日突然その概念が入れ替わるような事態も起きる

 

それまでいくら同じ結果が得られていようが

 

たった一つの反証によってすべてが覆ってしまう

 

しかし、この反証可能性は科学の証でもある

 

完璧な客観性はかえって怪しく

 

反証の可能性を持つ客観性が科学を進歩させる

 

人の主観の怪しさもそうだけど客観だって完全な真ではない

 

 

脳科学ではその機能解析を進める中で

 

高次認知機能である人の意志や情動の解明にも踏み込んでいる

 

研究測定装置の目覚ましい発達に支えられて

 

急速にその解析は進んでいる

 

しかし、これは意識のハードプロムレムと呼ばれる特殊な領域だ

 

意識のハードプロムレムとは簡単に云えば(本当は簡単に云ってはいけない)

 

感じ方は「十人十色」という常識的な感覚を科学しようとすること

 

つまり「主観」を「客観」的に解明しようという自己矛盾

 

云わば無理難題だ

 

だから「ハードプロムレム」と云われる

 

客観的な主観、ちょっと何を云っているのか分らない

 

 

ルネ・デカルトが哲学に主体を持ち込んで以来

 

西洋では元々あった心身の二元論的な認識も手伝って

 

主観を中心とする考察が主流となった

 

しかし当のデカルトの意図は

 

科学的な客観性を真であると認めることができる、

 

という可能性を提示したに過ぎない

 

唯一明晰判明な主体の存在が同じように明晰判明にとらえるものを

 

真として良いのだというやや飛躍した考えを打ち出すことによって

 

当時ますますその存在感を増す自然科学が

 

旧来の歴史的宗教的世界観と対立することなく何とか融和できないものか

 

という思いがデカルトにはあったのだ

 

ニュートン力学が地動説を後押しし

 

物の動きが数学で説明可能となり

 

自然科学の客観性は疑う余地がないように多くの人が感じ始めていた

 

それの何が問題なのか、と思って欲しい

 

日本人にはあまり縁がない問題だから

 

当時の西洋では大地は海の上に浮かぶものだ

 

太陽や月などの星辰は空をめぐっているもの

 

この世界は創造主である神が作り

 

死んだあと人の魂は肉体から分離しやがて来る審判を受けるのだ

 

科学は違う

 

地球は球体で太陽の周囲を公転し

 

この宇宙はビッグバンという現象で生成され

 

やがて宇宙は消滅していく

 

つまりこれはキリスト教世界観の中では糾弾の対象だった

 

全知全能の創造主である神を冒涜することなのだ

 

自然科学を追求していくと宗教的世界観との避けがたい軋轢が生じる

 

むかしの話だと笑うなかれ

 

これを真っ向から打ち破ろうとすれば

 

恐ろしいことに死は免れないようなことだったのだ

 

けれど科学の客観性は日ごとに高まりその分野を広げ続ける

 

そしてイマニュエル・カントはそこへ楔を打ち込んだ

 

本来人間には理解できない物の世界(自然科学の世界)を

 

主観の持つ「形式」を用いれば理解可能だとする

 

いささか荒っぽい説(コペルニクス的転回と云われる)で

 

科学の客観性を信頼することが可能だと説いた

 

しかし裏を返せばこのことが人間にとって主観のみが確かなもので

 

自己の外に広がる世界とそこに存在するモノを

 

正しく認識することの困難を証明しているように思う

 

主観の中にある客観をボクはこんなふうに考えている

 

外界にあるであろうモノたちをできるだけ同じ種、同じ類に括っておかないと

 

新たに見るもの出会うものにいちいち驚き、疑い、見定める必要があって

 

それこそメンタルが持たない

 

ああ、これはあれとおんなじ類のモノだ、と客観視できそれを共有できれば

 

生きること生存することが少し、いや大分、楽になるよね、なのではないだろうか

 

云わば脳の省エネだ

 

しかしこれは浅はかなボクの直感に過ぎず

 

この主観と客観をめぐる問題は依然ハードプロムレムであり続けるのだ

 

 

視覚が人の行動に及ぼす影響は大きいだろう

 

外界を把握するためになくてはならない感覚器だ

 

人の視覚は一般的には精密で正確だと信じられている

 

けれど脳科学では視覚情報を脳が補完したり再構築したりしているという

 

人の網膜の中心付近にある錐体細胞は三種類あるが

 

そのうち一つでも欠けると構造上見えにくい色が生じてしまう

 

しかもこういう網膜を持つ人は想像以上に多い

 

日本人の男性には20人に1人の割合でいる(北欧ではさらに高い)

 

色弱(一般に色弱者と呼ばれるが、標準と違うと云うだけで弱者とか障碍者と云うのは本当に心苦しい、社会派ぶっているつまりは全くないが、むしろ標準とは何なのだろう)

に関するウェブサイトでその世界を疑似体験できるが

 

P型やD型を再現した画像を見ると(欠損のない)ボクにはかなりの違和感がある

 

けれどそれはもちろんボクが日常見ている世界と異なっている

 

と云うだけのことなのだ

 

例えばこういうこともある

 

多くの人間の視覚は400~800nmの電磁波を認識するが

 

多くの昆虫のそれは300~650nmと少し帯域が異なっている

 

300nm辺りというのは紫外線と云われる領域で人間には見えない

 

昆虫には紫外線の反射パターンが見えるのだそうだ

 

昆虫から見たらいらない色が見えて紫外線が見えないなんて

 

人間にはなりたくないと云うのかもしれない

 

アンミカさんには白は200種類見えるのだろうか

 

確かに見分けられる白も多くある

 

でも200は見分けられない

 

一般に白、を見たとき

 

網膜にとらえられた電磁波は電気信号に変換されて

 

視神経を伝わり間脳の視床を経て一次視覚野へ送られる

 

そこで処理された情報が頭頂連合野に向かうとなぜあの「白」の意識となるのか

 

物理刺激が化学刺激となり脳を伝わるうちに

 

主観的な経験(クオリア)が生成されるのだ

 

これは視覚だけでなくすべての感覚器とそのクオリアに見られる

 

指先を切った時あれほどの「痛み」が生じるのはなぜか

 

「痛み」という概念だけならどれほど楽か

 

正直、指先に痛みがあるな、という認識だけで十分だ

 

あの痛いという感覚は苦痛でしかない

 

しかしこれとてすべての人がまったく同じ痛みを感じているかどうかは

 

正直わからないし分かる訳ないのだ

 

人間の主観、意識と云うものは実は人にとって究極のフロンティアと云える

 

 

梅雨に入って「くすんだ」空模様が続く

 

雨が「しとしと」と降り続き「じめじめ」とする

 

こんな形容詞が人間の世界ではまかり通る

 

オートバイがその駆動力でリアタイヤを蹴り出すとき

 

「トラクションが掛かる」と云う

 

そしてライダーはそれを感じ取る時「トラクションを感じる」という

 

どんな感じ?

 

コーナリング中に「ハンドルから伝わるグリップ」を感じているだろうか

 

路面をグリップしているのはタイヤの接地面だ

 

そこではなくハンドルを握っている手の感覚器からの情報で

 

いったい何をどんなふうに感じるというのだろうか

 

科学で説明するとフロントタイヤに生じる復元力(セルフアライメントトルク)

 

という力をグリップ感と感じているらしい

 

なぜならコーナリングフォースが弱まるとこの復元力は消失し

 

途端にライダーは所在無げなハンドルからの感覚に不安に襲われるのだ

 

そのクオリアを持っているかいないかでライディングに大きな差がつくだろう

 

頭でタイヤの潰れ具合をいくら理解しても

 

その時にオートバイから伝わる感覚を感じ取れなくては

 

「分かった」とは云えないのだ

 

どんなにオートバイが面白い乗り物だと伝えても

 

いつまでたっても飯を食いに行くコミューター止まりだったり

 

群れの中心にあるシンボルという存在でしかない

 

もはや(否、元々か)乗り手本人の課題であるということだ

 

金子みすゞはこう残した

 

「みえぬけれどもあるんだよ、みえぬものでもあるんだよ」

 

そして星の王子様にキツネは最後にこう伝える

 

「じゃ、秘密を云うよ。簡単なことなんだ――

 

ものは心で見る。肝心なことは目では見えない」

 

ほら、やっぱりね

 

誰かが謳う楽しさなんてものに何の意味もない

 

楽しさは自分の主観でしかありえない

 

ボクが試みる主観の言語化が仮に上手くいったとしても

 

君だけが持っている君自身のクオリアにそれは到底及ばないのだ

 

だから目に見える他人の主観に囚われていないで

 

自分の楽しさに出会うべきなんだよ

 

 

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天気予報を見ても、気象レーダーを見ても

 

雨が降るようなニュアンスではなかったんだけど

 

外へ出て見上げた空模様は実際かなりあやしかったのだ

 

それでもさして何も考えずに走り出し

 

国道を曲がって山へと向かい始めた途端

 

ヘルメットのシールドに細かい雨の雫が付き出した時

 

そう思い出したのだ

 

確かに空模様はあやしかった

 

カッパなんて持って来ていないけど、まだそこまでの雨でもない

 

しかしこの先の山には雲が湧きたって

 

案外降っているのかもしれないなと思わせた

 

さて、どうしたものか……

 

 

一昨年そして去年と続けてこの時期は北海道へ走りに行っていたが

 

今年はそうではなく九州をまわろうかと考えていた

 

それでフェリーの予約までしていたんだけど

 

なんとなく気が乗らない、というそんなショウ(仕様)もない理由で

 

ツーリングの計画をすべて止めてしまったのだ

 

まあ、あまり後悔はしていない

 

なぜならボクが予定していた工程はずーっと雨だったみたいなのだ

 

ツイてるかも、と正直いい気分すらしている

 

いや、それだけのこと

 

それでツーリングに使うはずだった予算が急に浮いた

 

なにー?予算が、浮いた?

 

そうするとおっさんの頭の中は悪いことばかりが次々浮かんでくる

 

わかるよね?

 

うんうん、そうなんだよ

 

 

それと云うのも少し事情がある(云い訳とも採れるが)

 

今乗っている、そして今後はこれだけになるだろうオートバイ SR400

 

早いもので国内の販売を終了してからすでに5年が経つ

 

とは云え部品の供給はしばらく大丈夫だと思うし

 

ヤマハ自体パーツの供給について何か施策があるようだから心配していない

 

だが当然と云えば当然だけど

 

純正アクセサリーの在庫が徐々に終了してきているみたいなのだ

 

しかもずーっと検討したまま踏ん切りがつかない2アイテムがやばくなってきていた

 

そのひとつ目はリアキャリア

 

オートバイに乗る時何かを背負っているのが嫌いだ

 

遠くに行くときは以前から持ってるシートバックを使うことが多い

 

シートにゴムひもで直に荷物を括るストロングスタイルも割と好きだ

 

それを目いっぱいシートの後ろに取り付けるが

 

どうしても微妙に尻があたる

 

あー、荷物しっかり乗ってるな、っていう安心感はあるけど

 

ライディングに集中したい時やはり苦になる

 

あと、椅子を持っていきたいときに括りつけるスペースがない

 

だから乗り始めてすぐ位からリアキャリを検討していたのだ

 

SR用に数種類がまだ出ている

 

ワイズギアから純正のリアキャリア、なぞのタイプ2

 

デイトナとかハリケーンとかシムズクラフトなんかのパーツメーカー製もある

 

純正以外はみなグラブバーを取り外して装着するタイプ

 

シートの座面と面一にしたいのはわかるが

 

その結果みんなどれも荷台の面が高すぎてシルエットがエビ反りになるのがイヤ

 

エンデュランスのなんておまけにゴリゴリマッチョでバランスもへったくれもない

 

一方、純正は段差は付くが荷台の高さは低く抑えられ

 

しかもここがポイント! キャリア後端がテールランプ後端と面一(ツライチ)

 

メッキの美しさも相まってデザイン的な統一感はさすが

 

グラブバーを残しているのでそのあたりが後付け感満載なのだが

 

しっかりとグラブバーを使えるのは意外に助かるものだ

 

 

このリアキャリア、アマゾンが安かったからリストに入れていたんだけど

 

気付けば品切れに

 

ちょっと焦ってウェビックを見たらこっちも品切れ

 

マジか、とワイズギアのホームページを確認したら「生産終了」の赤文字が!

 

幸い楽天市場には在庫があるショップがまだあった

 

しかしそのサイトにも「メーカー販売終了在庫限り」とあったから

 

早晩買えなくなるのだろう

 

もうこうなると躊躇も熟慮も意味はない

 

とりあえず買っておこう、買おうとは考えていたのだから

 

 

左側にサイドバック用のデイトナのサポートを付けている

(と云うか取り付いた状態でこのSRは売られていた)

 

実はリアキャリアとサポートは同時装着が推奨されていない

 

付属のボルトより10mm長いボルトに換えて自己責任で同時装着した

 

キャリアとサポートがほんのわずかに干渉するが

(溶接の盛り上がりが少し当たってサポートが歪む)

 

間に薄いワッシャーを入れて対処した

 

そんなに負荷がかかる場所ではないけどたまにチェックは必要かも

 

 

グラブバーとリアキャリアのパイプが2本並行だし

 

この不細工なブラケットは目立ち過ぎだが

 

さっき書いたとおりデザイン的な統一感は確かにある

 

荷台が低いことと後端が揃っていることでキャリアが悪目立ちしていない

 

デザイン的な統一感はやはりSRの場合大切な要素だ

 

実用上も目論見どおり

 

シートバックを乗せてみるとぴったりと収まる

 

が、キャリアにバッグを乗せるとかっこ悪いからバッグはシートが良いか

 

キャリアに少しかかるくらいにすれば尻に当たらないし荷台に椅子も括りつけられる

 

「旅感」も出て悪くない

 

 

もうひとつも純正のパーツだ

 

これは単に価格が相当高価なので二の足を踏んでいただけだ

 

欲しいんだけどマジで高い!

 

サクラ工業が作るプラナスマフラー(サクラと掛かったネーミングがおしゃれ)

 

(テールエンドのデザインがノスタルジックでかっこいい)

 

このマフラーは車検対応なのだ

 

そして何よりもマフラーのデザインが秀逸だ

 

純正よりかなり短くて全体のシルエットがスポーティーになる

 

ただ本当に高価(何度も云うな)

 

ボクが乗るインジェクションの後期モデルいわゆる5型は

 

規制の見直しを受けてマフラーの音量を上げているらしい

 

しかもECUのマジックで破裂音さえ演出してくれている

 

実際3000rpm辺りの音はかなり気持ちいいのだ

 

気持ちいいがゆえ逆に

 

もう少しメリハリのある破裂音があったらいいのに、とつい考える

 

最近のBMWフラットツインもそうだけど

 

排気音の演出が少々過剰に感じる

 

GB350もなんとなく「それらしい音」に聞こえてしまう

 

しかし街中で2,3度遭遇したSRのプラナスマフラーの排気音は

 

あきらかに演出感のない小気味良いものだった

 

SR400の鼓動や排気振動は紛れもなくエンジンが出している

 

しかもどうしようもなく漏れ出てくる類のモノだ

 

プラナスマフラーの音はこの「原音」をベースにしているため

 

音量は上がるがその音は上質で品があると感じるのだ

 

しかも宣伝文句には一応「全域でパワーアップ」と謳われている

 

けれど購入に踏み切れない一番の問題はその実価格というより

 

ボクがノーマルの現状に本当に不満がないことだ

 

 

しかしワイズギアのSR400のアクセサリーページを眺めていると

 

このプラナスマフラーももうこれ以上の生産はないと感じる

 

新車の販売が継続していたタイでも先ごろ「最終モデル」なるものが出た

 

新車が増えないのに後付けパーツを作り続けるとは到底思えない

 

不意に、今しかない、と誰かがつぶやくのを聞いた(誰かが?おまえだろ)

 

リアキャリアもそうだったけどこのプラナスも

 

市場価格がじわじわと上がってきている

 

と、もう心に火が付いたおっさんは何のためらいもなく

 

「この商品を購入する」ボタンをクリックしてしまうのだ

 

 

プラナスマフラーはヤマハのオートバイのマフラーを製造するサクラ工業製だ

 

エキパイ前半部分とのデザイン的整合性だけでなく

 

美しいステンレスの仕上げのクオリティもそのまま

 

全長が20cmくらい短くて精悍な印象

 

実は音だけでなくこのやや短いシルエットが一番気に入っている

 

取り付けはリアキャリアよりも簡単

 

気を付けるポイントは移植するマフラーブラケットの位置決めだけかな

 

面倒だけど一度全部ネジゆるめに組み上げて

 

ブラケットの位置を決めたほうが結局早いと思う

 

でも本当にすんなり付くよ

 

 

試しにエンジンかけただけでちょっとうれしくなる

 

とてもいい音だ

 

低い部分に少し芯があってスロットルを開けると抜けるように破裂音がする

 

排気漏れの気配はないけど

 

スロットルを戻した時に不正爆発のような音が出る

 

ある程度スピードが出ている下りなんかでスロットルを全閉すると

 

パルパルパスパスと小さく鳴る

 

接続部には問題なさそうなのでそんなもんかな

 

もちろんアフターファイヤーまではいかないくらいのかっこいいパスパスだ

 

ノーマルの時にも出ていたけど音が小さくて気付かなかったのかも

 

うれしいことにエンジンのトルク感は確かに上がっている

 

1速違う、とか云うレベルでは到底ないが

 

明らかに力強くなっている

 

それに伴うネガなのか

 

排気振動がやや大きくなったように感じる

 

排気の抜けがよくマフラーも大きく振動しているのかもしれない

 

パフォーマンスダンパーが働いてくれているはずだから

 

やはり振動の「角」は落ちている

 

 

いやー楽しいね

 

もっと早く換装すれば良かった

 

パフォーマンスダンパーとプラナスマフラーは付けた方が間違いなく良い

 

SR400の持つ性格をそのままに魅力を引き上げてくれる

 

ただし、燃費は悪くなるんじゃないかな

 

そう云う類の楽しさだからね

 

 

今日は変えたマフラーを試したくて走りに出たのだ

 

出掛けになんとなく嫌な空模様だと気付いたはずなのに

 

さして気に止めなかったのは「無意識」のワザとなのだろう

 

走りたくてうずうずしていたからね

 

結局、雨脚が徐々に強まってきてどうしようか散々迷ったけど

 

北の空は少し明るいのでそれを頼みに走り続けた

 

千万町(ぜまんじょ)から峠を越えて切山へ出ると

 

にわかに陽が射した

 

もちろん晴れている方がいいに決まっているんだけど

 

こういった雨が降ったり、それが上がって陽が射したりっていうのも

 

オートバイで走る楽しさでもあるよね

 

でも山の中はこの前の台風で散乱した枯れ枝がそのままで

 

濡れた木くずが泥のようになっている

 

おかげでSRはズタボロ

 

美しいプラナスマフラーも一発でドロドロという禊を受けた

 

まあ洗えば済む話なんだけど

 

でもすごいな純正パーツ

 

 

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日本の地理的特徴といえば四季があるということだろう

 

最近では夏の暑さばかりが取り上げられて

 

この四季が無くなりつつあると喧伝する連中もいるけど

 

逆にそういう人たちは今頃のこのさわやかな気候に触れても

 

ことさら何も感じないということなのだろう

 

冬から夏へ

 

夏から冬へ

 

季節が徐々に巡るその狭間に訪れる穏やかな季節

 

日本の良さがここにあることは昔も今も変わりないのではないか

 

 

それにしてもこの季節のなんという清々しさ

 

何ものにも換え難いとさえ思う

 

もちろんどの季節にもそれぞれに良さはある

 

ボク自身そう感じるし事実そうなんだろう

 

でもね

 

本音を云えばこうだ

 

オートバイで走るなら良く晴れた5月がいちばんだ

 

ほんとーーーーーーーーーーーーーに気持ちがいい

 

なんだろうね

 

そんなの理由なんてないんだろうし

 

もっと云えば、そもそもそこに理由なんか無意味だ

 

水が引かれた田んぼの水面に空や山が映りこみ

 

鳥たちは囀りながら忙しなく飛び交う

 

草木はそこら中で繁茂し丘や山を緑で覆いつくす

 

エエ歳こいたおっさんでも歌のひとつも出るような気分だ

 

「おお牧場はみどり」って歌知ってる?

 

  ♪おお、牧場はみどり

         草の海 風が吹く

   おお、牧場はみどり

         よく茂ったものだ

 

この「よく茂った」の部分を「よくーしげったー」って歌うから

 

ヨクシゲッターっていう言葉だと子供のころずっと思ってた

 

大人になってから改めてそれが「よく茂った」だと知った時

 

なんだそうか、という思いと

 

ヨクシゲッターではないんか、という落胆があったね

 

でも今もワザとそう歌うんだよ

 

「ヨクーシゲッターもんだ」ってね

 

こんなショウもないことでひとりでニタニタしながら

 

この空の下、この空気の中をオートバイで走り抜けるしあわせ

 

ただひたすら気持ちが良くて溢れる笑みを堪えられない

 

無邪気な子供のように気分の高揚をどうにも抑えられないのだ

 

そして同時にこんなにも単純で純粋な気持ちが自分にあることに改めて驚く

 

 

中央道の恵那インターチェンジを降りて

 

恵那峡ロードを左へ右へ、そして上ったり下ったりしながら進んで

 

木曽川を越えるために恵那峡大橋へ出る

 

その先の県道72号線へ入る頃にはクルマの往来も解けて

 

いっぱいの光を受ける丘陵地帯を抜ける道路を

 

どこまでも清々しい風を切って我がままに走り抜ける

 

見渡す周囲にはヒトツバタゴの花が満開だった

 

なんじゃもんじゃ、とも云われる割と大きな木で

 

その木いっぱいに真っ白い細い花弁の花をつける

 

初夏の青空にこれがまたよく映える

 

今日はこの岐阜県の山間部を走るのだ

 

国道41号線と国道257号線に囲まれた辺り

 

お茶で有名な東白川まで行って戻ってくる算段だ

 

クネクネ県道の峠を越えたり

 

この辺の快走路として有名な美濃東部広域農道なんかを走る

 

 

どこへ走りに行こうか考えながらグーグルマップを開いたとき

 

山の上にマヨネーズをぐにょぐにょとかけた時みたいな線を見つけると

 

無性に胸がときめいてしまうおっさんなのだ

 

この岐阜県県道72号線を見たときもすぐにワクワクした

 

とくに遠ヶ根峠を挟んだ南北のクネクネ具合は

 

それはもう行かずにはおられない心持がしたんだ

 

気付けばオートバイで進む前方に大きな山塊が迫ってきていた

 

いよいよ山へ近づいたなと思うと急に道が不自然に屈曲しクランクする

 

道路の勾配が強まって集落最後の田畑を抜けると

 

杉やヒノキの植樹林が広がる険しい山に入った

 

中央線もなくなり半端ない勾配のヘアピンが連続する

 

山水も出やすいのかそこら中で舗装がめくれるのだろう

 

それをそのたんび補修してくれているみたいなんだけど

 

それ(補修あと)がもう星の数ほどある

 

手のひら大の補修パッチが無数にあって

 

道路はそれはそれはボッコボコな状態

 

オートバイが絶えず小刻みにピッチングしてしまう

 

もちろん穴が開いたままよりは100倍マシ

 

このあたりの県道はどれも林道的な役割があるのだろう

 

だからその重要性が伝わるような保守状況だ

 

関係者各位に感謝すべきなのは理解するが

 

それにしてもすごいボコボコ

 

けれどそんな状況は遠ヶ根峠に近付くと一変した

 

県道は一気に中央線のある立派な作りになった

 

峠付近だけかと思いきやそんなことはなく

 

この先の集落に出るまでしっかり改良されていた

 

とは云えヘアピンカーブが続く峠道

 

何度も左へ右へと丹念に折り返して北側の谷へ下る

 

 

峠を降りた谷には鱒淵川

 

そのもう一つ北の谷筋には柿反川が流れる

 

ふたつの流れは西へ向かって下るとひとつに合流し飛騨川の支流「黒川」になる

 

ボクはこういう狭い谷筋の山里が大好きで

 

浅はかな印象、というかただの思い付きでしかないけど

 

こんなところで静かに暮らしたいなと反射的に考えてしまう質だ

 

山と山に挟まれたわずかな土地に田を開き

 

季節の移ろいに合わせてゆっくりと生きるのだ

 

ここには消費を促すような刺激は何もない

 

それを退屈だと多くの人は考えるのだろうけれど

 

そんな状況にはボクはまるで退屈しない人間なのだ

 

これ、実は最近気が付いた

 

そしてすぐにそれは腑に落ちた

 

そもそも暇だと自覚することがまるでない

 

さすがに北海道行きフェリーの40時間は寝てばかりだったかもしれないけど

 

あれは暇を持て余していたというより

 

船に酔ってて寝てないとますます具合が悪くなりそうだったからね

 

今だって仕事もすべて辞めてしまって毎日がただの一日

 

人から少しは外へ出て働いたら?とよく云われるけど

 

まったくその気はない

 

だって毎日やりたいことだらけで充実してるのだ

 

仕事に出かけてそんな自由が奪われることは御免だし

 

それに人の世話を焼いたり人に指図されたりはもうこりごりだ

 

世の中にはそういう人もいるのだよ

 

前にも云ったけど

 

ネコだ

 

ボクはネコのように毎日生きていたいと思う

 

春の日差しに溢れる山里の陽だまりで無意味に午睡していたい

 

まあ、今それは叶いつつあるけどね

 

 

川の合流部の黒川の集落に出た

 

白川町立黒川小学校」の看板に思わず吹き出しながら

 

改めて面白いことに気がついた

 

ボクは今日、東白川辺りまで行こうと思って走り出したんだけど

 

その途中に「黒川」という集落や「黒川」という川があるとは

 

まったく意識していなかったのだ

 

白川は飛騨川に沿って点々と広がるため中濃地方の町として認知度が高いが

 

よそ者にとってはその東へ広がる集落へはあまり意識がいかないことが多い

 

白川(地区)あたりで飛騨川に合流する「白川」(川の名)

 

その一つ南側の谷筋を流れ白川で飛騨川に合流する「黒川」

 

これはかなり興味深いネーミングだ

 

 

そして黒川(地区)から美濃東部広域農道のトンネルを使ってその白川沿いへ出る

 

白川が作る谷は深くてその幅が狭い

 

流れは浅く広くさざ波が立って水面は光をキラキラと跳ね返す

 

そんな風に川面が白く輝くから白川なのかと想像したけど

 

まあ違うだろうね

 

少し東へ向けて走り東白川の道の駅まで行った

 

東白川と云えば「お茶」

 

調べてみるまで知らなかったけど東白川は茶処の北限ということだ

(集計方法で諸説あるようだ、新潟の村上市、茨城の大子町など)

 

美濃地方のお茶づくりにおいても発祥の地で

 

その歴史はすでに450年余にもなるそうだ

 

道の駅のサブタイトルは「茶の里」

 

敷地内にお茶の製造工場もある

 

ボクがお茶にこだわりがあるなんて云わないけど

 

高いお茶は旨いよね

 

いや違うか、旨いお茶は値段がそれなりに張るね

 

熱いお湯でさっと入れるとキレが強まる

 

甘みやまろやかさよりキレのあるちょっと渋いくらいのお茶が好きかな

 

とか何とか云いながら適当におすすめを買って帰るおっさんだった

 

 

道の駅を折り返して国道256号線、その道なりの県道62号線を行く

 

東側の裏木曽街道と西側の飛騨街道とを結んでいるので交通量がやや多い

 

しかもその流れが異常に速い

 

最近のクルマの速さは少し過剰じゃないかな

 

クルマの静粛性が高いしハイブリットで低速に力がある

 

直線路で90km/hくらい平気で出すドライバーが多い

 

そのくせやたらガツンとブレーキを踏みまくる

 

カーブを見ればガツン

 

対向車が来ればガツン

 

その後ろをオートバイで走っていると正直イラつく(まあ辛いっていう程度ね)

 

70km/hくらいで走ればコーナーの手前でアクセルオフするだけでいい

 

コーナーの後半でアクセルを開けてトラクションをかけながらクリアできる

 

いちいちブレーキで減速するほどのスピードで直線を走らなくていいと思うけどね

 

むかしはそういうリズムの悪いクルマはすぐにかわしていたけど

 

今は少し安全な場所に止まって間を開けるようにしている

 

ボクも随分変わったもんだな

 

もちろん飛ばすより川の湾曲に合わせてロールする道路を楽しむ走りだ

 

この日は気温が上がって道路の気温計が31℃を表示していた

 

ジャケットを脱いで下に来ていたラガーシャツだけで走った

 

ヘルメットのシールドももう暑いな

 

ゴーグルを持ってくればよかった

 

 

白川の街で左に折れて短いトンネルをくぐった

 

岐阜県県道60号線に入る

 

また黒川沿いに少し走ってすぐに南へ曲がり県道68号線に入った

 

ここも細い谷筋の集落を行くが今までより山が深い

 

谷筋の果てで南に進路を変え、中野方峠を越え笠置峡へ抜ける

 

ここでちょっと面白いことに気付いた

 

走っている時じゃなくこれを書きながら気づいたんだけど……

 

ちょっと驚いたね

 

この県道60号線が走る谷を作っているのは「赤川」という川らしいのだ

 

え? 白川に黒川に、そして赤川まで出てきたよ

 

どういうこと?

 

で、さらに調べてみたんだけど、ちょっと良くはわからなかった

 

ちなみにもうちょっと北になるけど

 

そこを流れる付知川は「青川」と云われているそうで

 

この東美濃地域には「青、赤、白、黒」の四本の川があることになるのだ

 

中国神話で天の四方を司る四神霊獣に関係があるとかないとか

 

青龍(東)、朱雀(南)、白虎(西)、玄武(北)の四神ね

 

四神はまた四つの季節にもなぞらえられる

 

青春、朱夏、白秋、玄冬

 

奇しくも最初に書いた「四季」の話がここにつながった

 

何処ぞの何々が旨いとか

 

ライダーの聖地がどうとか

 

そんなことよりボクはこういった話が好きだ

 

実際これに気付いたとき身体がその喜びと興奮でぷるぷるしたよ(変態)

 

いやー実に面白い

 

 

中野方峠を下り

 

中野方の集落を過ぎると

 

中野方川が下る狭い谷を県道は南下する(中野方が多いね)

 

ここは道路もよく整備されていて

 

ほど良い深さの中速コーナーが連続していて楽しかった

 

下りきると木曽川にぶち当たる

 

川幅が広く水もたっぷりとしている

 

笠置峡と云うが目を引くような景観は特にない

 

深い山々の間を悠々と穏やかな広い川面が広がるだけだ

 

国道418号線の大きなトラスブリッジで川を渡った

 

この先少し走れば以前によく行った「らっせいみさと」だ

 

久しぶりにらっせいの二八蕎麦を啜って帰るか

 

と、すでにもう蕎麦の口だ

 

 

まあ、そういうことだ

 

こんないい気分の日をらっせいの蕎麦で締めくくれたら

 

それはもう出来すぎなのだ

 

これぐらいがちょうど良い

 

(いやー、不味い、これはない)

 

いやほんとうに5月はいいね

 

もう3か月くらいあればいいのにね

 

 

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不肖、毎日が休日のおっさんなのだ

 

わざわざ連休中にオートバイで出掛けて行きたくはないと考えるのは必定

 

この休みの間はスッキリとしない天気が続いたけど

 

たまに晴れたりするとそれはそれは清々しい5月

 

寒気のせいでちょっと風が強い日だったけど

 

2台のオートバイのオイル交換をまとめてやっておくことにした

 

どちらも今回はオイルのみの交換

 

 

エアヘッドのクロ介はビッグボアでもあるので

 

どうしてもオイルが真っ黒に汚れる

 

しかも3000kmの交換インターバルの間に

 

2リットルくらいはオイルを継ぎ足す

 

いやいやそもそも全オイル量は3リットル弱(2.5か2.75位)

 

だからほとんどオイル入れ替わっているんだけど

 

ドレンから出てくるオイルは真っ黒け

 

 

え?オイルの補給が多過ぎやしないかって

 

確かにかなり多いね(2スト並みか)

 

北海道へはオイルを2リットル持って行った

 

有名な話だけどこの時期のBMW OHVエンジンはオイル喰い

 

マニュアルにも1000km/1リットルと書いてある

 

空冷ボクサーのポルシェも1000km/1.5リットル程度とかなり消費する

 

ポルシェのオイルパンは10リットルくらいあるけど

 

サービスエリアなんかでオイル継ぎ足してるポルシェ乗りをたまに見かける

 

ニヤニヤしながら作業するドライバーと

 

助手席の彼女のうんざりした表情が対照的で面白いね

 

クロ介は700cc消費するとゲージのLowerを切ってしまうので

 

ガスをタンク2回使い切るともう補給しないとやばい

 

でも正直こんなにオイルを喰う個体は初めてだ

 

前に所有していたツインショックは3000kmで700ccくらいだった

 

その点国産のオートバイはそんなこと絶対にないね

 

SR400はほとんどオイルを消費しない

 

 

クロ介はカストロールのパワー1

 

いつも4リットル缶を3,000円くらいで買っているけど

 

ぐずぐずしている間に5,000円を超えてしまった

 

それでもアマゾンはかなり安い

 

SRはヤマハ純正オイルチェンジキットE

 

 

割高だけどオイル、ガスケットだけでなく

 

ビニール手袋、紙ウエス、廃油パックなんでもかんでも揃っている

 

オイル交換の詳細な説明書も素人的には一読の価値がある

 

今回は楽天ポイントがたまっていたのでそれでGETした

 

 

 

ついでにSRにはパフォーマンスダンパーを取り付けた

 

実はこれ1月の終わりごろ衝動買いしていたんだけど

 

寒いときに付けるより少し暖かくなってからの方がいいかと思って

 

そのまま放置してあった

 

深い意味はない、寒くてやる気が出なかったというのが本音

 

 

パフォーマンスダンパーはそもそもクルマのパーツとして開発され

 

まずトヨタのクラウンアスリートに装着されたのが最初

 

もともとはサスペンションの連携によるフレーム剛性の向上を目指していたが

 

途中から剛性ではなく車体粘性に注目して開発がすすめられ

 

特殊なダンパーと組み合わせたパフォーマンスダンパーが生み出された

 

通常走行時の快適性の向上と

 

高速走行時の高い運動性と安定性の両立を主な目的としている

 

 

取付はそれほど難しくないけど

 

素人的には普段あまり考えたこともないリアブレーキスイッチを外したりとか

 

差し換えるエンジンケースの固定ボルトにいろいろ噛ますものが多いので

 

取説にあるような作業時間では無理じゃないかな

 

ボクは固定ボルトのスペーサーを落としたことに気付かないまま

 

すったもんだするという素人丸出しの時間があったから

 

1時間くらいかかったよ

 

でもまあ1時間なら印象的には「大変」ではないと思う

 

ブラケットとダンパーを真っ直ぐ取り付けるとこだけ注意がいる

 

 

いつもなら連休中に走ることはないんだけど

 

さすがにこのパフォーマンスダンパーが試したくって

 

朝の早い時間に走りに出た

 

いやな気分になったらすぐに戻ればいいやと考えていたが

 

そんな事は何もなく

 

むしろいつもよりちょっと空いているくらい

 

いつもどおり「涼風」まで走ってしまった

 

 

まず走り出してすぐ振動の質が変わっていることに気付いた

 

「ああ、案外効くんだな」というレベル

 

けれどそれよりも驚くのは

 

全体的な「車速」が上がっていることだ

 

これはスピードメーターに一瞥をくれるたびに驚くレベル

 

2割くらい上がっている

 

つまりエンジンを回すことへのストレスが減っているらしいのだ

 

今まで散々SRの振動なんて慣れるとか云ってきたけど

 

その慣れの中には何らかの「あきらめ」があったと

 

そう云わざるを得ない結果なのだ

 

100km/h巡行はもう別次元

 

振動だけでなくサスペンションの動きも随分変わったように感じる

 

もともとこのSR400というオートバイは

 

ボクが感じるに一応高速道路の走行も視野に入れた作りがされているようで

 

仕組みはわからないが4000rpm辺りの振動が

 

低くはないけれど何らかのバランス点にあるような感じがする

 

回せば回しただけ振動が増えていくのではなく

 

回していったときに振動が減少するスポットがある感じ

 

その時のエンジンの回転もスムーズで

 

5速ホールドで追い越し加速できるくらいの力もあるし

 

サスペンションも高速の方が明らかにしっとりとしている

 

けれどパフォーマンスダンパーの効果は大きくて

 

すべての領域でこれらの性能を向上させている

 

現に100km/h巡行はツアラーになったかと思わせるほど

 

 

もちろん大排気量マルチのような静けさではない

 

あんなに退屈ではない

 

ビッグシングルとしてのテイストはそのままだ

 

言葉の印象程に本質は変化していない

 

走り出せば振動はしっかり来るし

 

快適度がいくら上がっても単気筒は単気筒だ

 

けれどたぶん誰でも感じるのは

 

やっぱり最初に云った「車速が上がった」という要素だと思う

 

自然とスピードレンジが上がっている

 

メーターを見て最初に感じるこの違和感

 

そしてその違和感こそがパフォーマンスダンパーの効果なのだろう

 

 

逆に振動がなくなるって云うと

 

SR400の個性まで消えてしまうように聞こえるかもしれないけれど

 

そこまで「無振動」には絶対にならない(安心してください、ブルってますよ)

 

SRらしい振動や鼓動は何ら変わらない

 

商品名どおり「パフォーマンス」が向上する

 

効果がないっていう意見もたまに見るけど

 

取り付けてない状態のSRに長く乗っていたか

 

最初から付いていたかでは印象は異なるだろう、当たり前だけど

 

とは云うもののかなり微妙な部品であることには間違いない

 

効果が微妙ということではなく(効果は十分ある)

 

SR400というオートバイに乗り手が求めるものと

 

このパフォーマンスダンパーがもたらすものとの間に

 

妙な、いうなればジレンマみたいなものが生じるのだ

 

お分かりだろうか

 

 

 

それはオートバイという乗り物全体に云えることだが

 

不完全で危なっかしいという時代錯誤的な存在をあえて愛好し

 

世間の流れを無視するかのように自由に駆け抜ける人生を選んだ人間の乗り物なのだ

 

その中でもSR400というオートバイを選び日々の足にするものが

 

「良質」だとか「快適」だとかを志向していないことは当然で

 

たとえそれがやせ我慢であってもそうした類のものにはあえて手を出さないのだ

 

もちろんその良質さや快適さが高級だとかハイクラスだとか云うわけではない

 

本質は残されているしSRらしさは少しも損なわれてはいない

 

けれどさっき書いたように

 

パフォーマンスダンパーを取り付けた後

 

スピードレンジが自然に上がっていたという事実が

 

それ以前のSRに対して「不快さ」「恐れ」「諦め」みたいなものを

 

無意識下に実は隠し持っていたんじゃないのかと突き付けられているようで

 

それに自らが改めて気付いてしまったような

 

そんな類の気恥ずかしさを覚えるのだ

 

振動減ってるじゃん!やったー!すごいね!

 

とは素直に云えない自分を誰でもない自分が知っているのだよ

 

 

じゃあ外せばいい

 

ということなんだけど

 

その選択肢はない、と思わせるパフォーマンスダンパーの効果

 

悔しいけど認めるしかない

 

長い距離を走る時には確実にその距離を延ばせるだろうし

 

高速道路はもはや単にやり過ごす時間にはならないだろう

 

SR400は何にでも使える日常の足だけど

 

ツーリングにSRでよく行くのなら

 

パフォーマンスダンパーは付けてもいいかもしれない

 

 

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今年もまた桜の時期は何のためらいも見せず足早に過ぎ去り

 

季節の歯車は息つく間も見せず一気にその回転を早めていく

 

人がいくらそこに止(とど)まりたいと願っても季節は一顧だにしない

 

落葉していた広葉樹の林は一斉に新芽を吹き出し

 

野山は青く燃えるように生気を取り戻す

 

見渡す山容もひと回り大きくなったかのようだ

 

深山の桜もさすがに葉桜

 

今はもうウツギやツツジのころ

 

雨上がりのすがすがしい空気を切り裂いてオートバイを走らせていると

 

ふいにものすごいスピードのツバメが目前を横切る

 

おいおい、気をつけな、とボク

 

いやいや、お前こそ気をつけろや、とツバメくん

 

 

現在所有するSR400を購入した顛末は常々書いてきたが

 

早いものでもう購入から2年も経った

 

走った距離は約13,000km

 

タイヤは購入した時履いていたものがすでに劣化していたので

 

すぐに交換したがそれも履き潰して今前後ともに2セット目だ

 

サイズがやや小ぶりのブリジストン アコレードを履いている

 

トレッドパターンがノスタルジックで味があるという理由だけで選んだけど

 

まったく癖のないタイヤ(ただし性能的には十分高い)で

 

SR400が持つ人に寄り添う性能をまったく邪魔しない

 

ただし細い(フロント90/90、リア110/90)バイアスタイヤなので

 

路面のグルーブには弱い、普通にね

 

 

ヤマハオートバイの魅力は

 

TZR250(1KT)で感じた操縦性の良さにこそあると考えている

 

それはヤマハが掲げる「人機官能」という開発思想の体現に他ならない

 

人が積極的にマシンを操作することで期待を越えるパフォーマンスを引き出せる感動

 

人間の感性に馴染むマシンの自然な応答性が生む一体感を体感する感動

 

「ハンドリングのヤマハ」という古い言い回しも

 

その思想が具現化されたヤマハの大きな特徴に感じるのだ

 

もちろんSR400にもそれはしっかりと織り込まれていて

 

例えばそれはサスペンションの設定ではないだろうか

 

その軽量さを考慮してもSRのサスペンションはソフトだ

 

だからSSなんかの反応に慣れているとSRの反応を「鈍い」と感じる

 

ただそれが単なる鈍さではないと普通はすぐに気づくものだ

 

なぜなら車体が反応してからの旋回性はそんなに悪くないからだ

 

向き変えから実質的な旋回へ移る部分に存在する間(ま)

 

つまり「溜め」をそう感じるのだ

 

この溜めを鈍さと感じるか安心と感じるかの違いはあるだろう

 

けれど乗り手である人間の感性をオートバイが決して越えてはいかないと考える時

 

この部分にこそヤマハハンドリング特有の一体感を感じるはずだ

 

そして一度このハンドリングを知ってしまうと忘れられない身体になってしまう

 

進入から向き替えの部分での余裕がラインに自由度を生み

 

ブラインドや狭いワインディングで安全マージンを大きくとることができる

 

しっかりと向きを変え、強くトラクションをかける

 

この一連の流れを確実に楽しませてくれるのだ

 

まあね

 

スピードレンジを上げるとこの「溜め」が鼻につくのかもしれない

 

SRの補強と云うとフロントも含めてサスを固める人が結構多い

 

サーキットのように一方通行ならいざ知らず

 

いったいどこを走ろうっていうのか

 

高速道路も含めてノーマルサスで全く問題ないとボクは思う

 

もちろんプリロードはしっかり合わせるべきだけど

 

それで十分じゃないかな、知らんけど

 

 

そしてヤマハと云えばもうひとつ

 

その美しいデザインも大きな特徴だろう

 

たまたま行った東京モーターショーで見た衝撃のアレ

 

XS-V1「SAKURA」

 

 

昨今、このモデルが再評価されているネット記事も見かけるが

 

2007年のモーターショーに出品されていたショーモデルだ

 

あのオートバイの美しさはヤマハの真骨頂だろう

 

 

現行モデルでもストリートファイター系のMTシリーズや

 

ヘリテージと呼ばれるXSRシリーズは近くで見ると

 

その造形の緻密さに思わずにんまりしてしまうことがある

 

そしてSR400と云えば

 

何度見ても見飽きない細身のティアドロップタンクがまず目を引く

 

そして美しいフィンのエンジンとそこにつながるエキパイ

 

そのエキパイはのびやかに後方へと続き絶妙な角度を成すのだ

 

SR400はヤマハというメーカーの一つの象徴であることは間違いないだろう

 

 

このようにメーカーの思いを形にした製品には自ずと魂がこもるものだ

 

技術的な次元が上がっていっても

 

どんなに世界が変化していっても

 

オートバイがオートバイである本質は変わらないはずだった

 

だから国やメーカーを違えてもどれもオートバイはオートバイだった

 

「だった」つまりボクはこれを過去形でとらえている

 

この本質を捻じ曲げる大きな要素は、政治的圧力による様々な規制だ

 

もちろん1978年に開発されたオートバイを

 

この先もそのままで販売を続けることは現実的ではないだろう

 

ただ

 

クルマみたいにオートバイもモビリティ(移動手段)にしてしまっていいのかな?

 

そんなのオートバイじゃない、なんていう叫びは単なる年寄りの妄言なのかな?

 

と、ボクはずーっと疑問を感じている訳だ

 

少なくとも政治的な思惑で課せられる規制はやはり「枷」だ

 

技術競争の場であった時のモーターレーシングの世界は

 

当初の規制やルールは方向性や境界線を提示する程度のものだったが

 

当事者のみならず観る者すべてを熱狂させるほどの魅力があった

 

しかし技術が限界まで開発され尽くされたとき

 

ルールは平等や公平を上から指図するようなものになる

 

優位さは抑圧されあろうことか開発の「枷」になり始めたのだ

 

ピットインのタイミングやセーフティカーの状況でレースが左右される

 

チームとしての作戦が勝敗を分けると云えばそこにスポーツ性はあるのだろうが

 

もはや熱狂はない

 

これと同様にオートバイの技術が横並びになった今

 

クルマのような安易さ、快適さ、豪華さを前面に出すことは

 

オートバイの魅力を大いに下げているとボクは感じる

 

(もちろん小排気量の実用車は別だ)

 

人間はなぜか時として深く考えることを放棄する生き物だ

 

それはいろいろな状況が考えられるが

 

大抵は「善さ」をチラつかされる時、思考停止に陥る

 

「安全なんだから何がいけない」

 

「環境を守ることのどこがいけないんだ」

 

「無いより有った方がいいなら別にいいじゃん」

 

こういうやつね。

 

でも本質まで失っていないのか、ボクは気になって気になって仕方がない

 

難しく悩ましいラインの上でなされる議論も多いのは確かだ

 

でも本当はもともと全部答えのない難しい問題なんじゃないのだろうか

 

 

何かを開発するとき前提になるのはその「目的(目標)」だろう

 

クルマを作るうえで法規対応も重要な要件となるが

 

その前提となる法規・法律の目的は公平性と社会福祉の増進なのだ

 

クルマの自動運転をなんであんなに一生懸命やるかと云えば……

 

……考えたことあります?

 

あれは道路交通の効率化が目的なんだそうな

 

文字どおりの輸送の効率化もそうだけど

 

事故を無くすことも大きな目的のひとつ

 

事故は明らかに不効率なのだ

 

大雑把に云えば効率化のために人間から運転を取り上げようと企んでいるって訳

 

でもクルマの運転という行為に一種の快感を覚えている人間は多い

 

自分で運転したい、そういうニーズだ

 

生まれてから一度も運転を経験していなくても

 

運転してみたいという欲求は必ず生じるものだと思う

 

飛行機や電車の操縦をしたくてコンピューターのシミュレーションをする人は多い

 

ましてやオートバイ

 

人が走らせているのを見るだけでウズウズしてくるものだ(レアケース?)

 

政治的な「枷」はやはり最低限にすべき

 

義務にしなければ人は動かないという面もあるだろうが

 

原則的には自由であるべきだ

 

排ガス規制は仕方ないかもしれない

 

でもABSやTCSを義務化するのはやりすぎ

 

義務化しなくても雪国の人は付いたクルマを選ぶはず

 

 

いままで本当に節操なくオートバイを乗り換えてきた

 

排気量なら50ccから1200ccまで

 

スクーター、レーサーレプリカ、アメリカン

 

ツアラー、ビッグマルチそしてオフローダー

 

いやほんとうによくもこれ程までと自分でも呆れる

 

でも、その果てに行き着いて

 

こんなにも虜になっているオートバイがSR400とは

 

しかもそのSR400

 

ボクがオートバイに乗り始めた時すでにオートバイ屋に並んでいたんだよ

 

まるでメーテルリンクの「青い鳥」だ

 

 

ボクが云いたいのはオートバイなんてSRくらいで丁度良いのに

 

法律で縛られるだけでは気が済まないらしくて

 

車両を開発するメーカーまでもが

 

無理矢理「善さ」を押し付けてきてる気がするということなのだ

 

ひとそれぞれだから別に歓迎する人がいてもいいんだけど

 

例えば今のクラッチをめぐる開発は何が目的なん?

 

いままで乗ったオートバイでクラッチが重いなんて思ったこと一度もないよ

 

免許取り立ての頃はクラッチ気にしてたかも知れないけど

 

クラッチの扱いなんて慣れてくれば無意識に出来るものだ

 

クイックシフター使っていったい何のタイムを削ろうってんだい?

 

あれがやっていることなら自分でできるよ

 

スリッパークラッチが欲しいなんて誰が云ったんだろう

 

バックトルクリミッターなんてなくても後輪ジャダーの回避ぐらいできる

 

レースじゃない

 

混合交通の公道を走るんだよ

 

300km/hから60km/hへ限界制動しながら

 

6速から1速へ落すシチュエーションなんて公道にはない

 

100分の1秒を競うシフトアップを考慮する意味なんてない

 

「そんな目くじら立てるなよ、楽なんだからいいじゃん」って君の声が聞こえる

 

でも勝手に、しかも無理矢理「善さ」を捻出してくる

 

「善さ」の押し付けだ

 

「善さ」とは付加価値の押し売りのこと

 

しかしそれは、価値ではなくただの「差異」だ

 

それが目的とするのは企業の存続という現実だけ

 

もちろん企業だから利益は必要だ

 

けれどじゃあなぜ生業としてオートバイを作っているのでしょうか

 

メーカーがオートバイの本質をどう考えているのかを聞いてみたいし

 

開発段階で向かっている先がどこなのかという本音も知りたい

 

ヘリテイジとか云う気味の悪いカテゴリーに将来的に入るようなモデルが

 

現行のラインナップにあるのでしょうか

 

装備もデザインもニーズの反映と云えば聞こえがいいが

 

ニーズの反映は間違いなくゴールを見失わせる

 

ことわざにもあるとおり「船頭多くして船山に登る」のだ

 

まさに本質を見失った成れの果てだ

 

そんな装備無くてもなんにも苦じゃない

 

人間の能力を舐めてやしないかい

 

 

それよりももっと楽しめる部分がある

 

グリップの握り方、肘の張り方

 

上体の角度、シートへの着座位置

 

タイヤの空気圧に気を配ったり

 

スロットルやクラッチのワイヤーの遊びを気にしたり

 

レバーの角度を5ミリ変えるだけでシフト操作は変わるし

 

ブレーキペダルの高さと遊びは本当にシビアだけど

 

ぴったりはまった時の操作感はABSにも迫れる

 

そうだ、砂利道や林道へオフ車で行ってみるのがいい

 

ああ、でもいまはオフ車にまでABS付けるんだよな

 

2、30年前はバイク屋の片隅にオフ車の中古がいっぱい並んでたね

 

オフ車で林道を走るとまっすぐの道でも面白いんだよ

 

レバーとかペダルとかだけでなく

 

乗ることの精度が上がる面白い工夫ができる余地が一杯あった方が

 

だんぜん面白いんだよ

 

 

少なくともボクは楽をするためにオートバイに乗っている訳じゃない

 

オートバイを工夫して走らせることが楽しいんだ

 

これはもちろん独断的な宣言だと切り捨てられるのだろう

 

そんな小難しいこと誰も考えてないぜ、ってね

 

けれど本当にそうだろうか

 

カネを出すだけでは決して得られない

 

人間の身体性の奪還

 

それをハードルが高いと切り捨てては絶対にダメだ

 

なぜなら時代に取り残されたこんな危険な機械

 

よほどの魅力がなければ人は近付かない、いや近付く意味がない

 

マイナーであってマイノリティ

 

変わり者たちの乗りもの

 

だからこそ、オートバイは魅力的なんだよ

 

その先にしか真のアウフヘーベンはないのだと

 

ボクは信じている

 

 

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