今年もまた桜の時期は何のためらいも見せず足早に過ぎ去り

 

季節の歯車は息つく間も見せず一気にその回転を早めていく

 

人がいくらそこに止(とど)まりたいと願っても季節は一顧だにしない

 

落葉していた広葉樹の林は一斉に新芽を吹き出し

 

野山は青く燃えるように生気を取り戻す

 

見渡す山容もひと回り大きくなったかのようだ

 

深山の桜もさすがに葉桜

 

今はもうウツギやツツジのころ

 

雨上がりのすがすがしい空気を切り裂いてオートバイを走らせていると

 

ふいにものすごいスピードのツバメが目前を横切る

 

おいおい、気をつけな、とボク

 

いやいや、お前こそ気をつけろや、とツバメくん

 

 

現在所有するSR400を購入した顛末は常々書いてきたが

 

早いものでもう購入から2年も経った

 

走った距離は約13,000km

 

タイヤは購入した時履いていたものがすでに劣化していたので

 

すぐに交換したがそれも履き潰して今前後ともに2セット目だ

 

サイズがやや小ぶりのブリジストン アコレードを履いている

 

トレッドパターンがノスタルジックで味があるという理由だけで選んだけど

 

まったく癖のないタイヤ(ただし性能的には十分高い)で

 

SR400が持つ人に寄り添う性能をまったく邪魔しない

 

ただし細い(フロント90/90、リア110/90)バイアスタイヤなので

 

路面のグルーブには弱い、普通にね

 

 

ヤマハオートバイの魅力は

 

TZR250(1KT)で感じた操縦性の良さにこそあると考えている

 

それはヤマハが掲げる「人機官能」という開発思想の体現に他ならない

 

人が積極的にマシンを操作することで期待を越えるパフォーマンスを引き出せる感動

 

人間の感性に馴染むマシンの自然な応答性が生む一体感を体感する感動

 

「ハンドリングのヤマハ」という古い言い回しも

 

その思想が具現化されたヤマハの大きな特徴に感じるのだ

 

もちろんSR400にもそれはしっかりと織り込まれていて

 

例えばそれはサスペンションの設定ではないだろうか

 

その軽量さを考慮してもSRのサスペンションはソフトだ

 

だからSSなんかの反応に慣れているとSRの反応を「鈍い」と感じる

 

ただそれが単なる鈍さではないと普通はすぐに気づくものだ

 

なぜなら車体が反応してからの旋回性はそんなに悪くないからだ

 

向き変えから実質的な旋回へ移る部分に存在する間(ま)

 

つまり「溜め」をそう感じるのだ

 

この溜めを鈍さと感じるか安心と感じるかの違いはあるだろう

 

けれど乗り手である人間の感性をオートバイが決して越えてはいかないと考える時

 

この部分にこそヤマハハンドリング特有の一体感を感じるはずだ

 

そして一度このハンドリングを知ってしまうと忘れられない身体になってしまう

 

進入から向き替えの部分での余裕がラインに自由度を生み

 

ブラインドや狭いワインディングで安全マージンを大きくとることができる

 

しっかりと向きを変え、強くトラクションをかける

 

この一連の流れを確実に楽しませてくれるのだ

 

まあね

 

スピードレンジを上げるとこの「溜め」が鼻につくのかもしれない

 

SRの補強と云うとフロントも含めてサスを固める人が結構多い

 

サーキットのように一方通行ならいざ知らず

 

いったいどこを走ろうっていうのか

 

高速道路も含めてノーマルサスで全く問題ないとボクは思う

 

もちろんプリロードはしっかり合わせるべきだけど

 

それで十分じゃないかな、知らんけど

 

 

そしてヤマハと云えばもうひとつ

 

その美しいデザインも大きな特徴だろう

 

たまたま行った東京モーターショーで見た衝撃のアレ

 

XS-V1「SAKURA」

 

 

昨今、このモデルが再評価されているネット記事も見かけるが

 

2007年のモーターショーに出品されていたショーモデルだ

 

あのオートバイの美しさはヤマハの真骨頂だろう

 

 

現行モデルでもストリートファイター系のMTシリーズや

 

ヘリテージと呼ばれるXSRシリーズは近くで見ると

 

その造形の緻密さに思わずにんまりしてしまうことがある

 

そしてSR400と云えば

 

何度見ても見飽きない細身のティアドロップタンクがまず目を引く

 

そして美しいフィンのエンジンとそこにつながるエキパイ

 

そのエキパイはのびやかに後方へと続き絶妙な角度を成すのだ

 

SR400はヤマハというメーカーの一つの象徴であることは間違いないだろう

 

 

このようにメーカーの思いを形にした製品には自ずと魂がこもるものだ

 

技術的な次元が上がっていっても

 

どんなに世界が変化していっても

 

オートバイがオートバイである本質は変わらないはずだった

 

だから国やメーカーを違えてもどれもオートバイはオートバイだった

 

「だった」つまりボクはこれを過去形でとらえている

 

この本質を捻じ曲げる大きな要素は、政治的圧力による様々な規制だ

 

もちろん1978年に開発されたオートバイを

 

この先もそのままで販売を続けることは現実的ではないだろう

 

ただ

 

クルマみたいにオートバイもモビリティ(移動手段)にしてしまっていいのかな?

 

そんなのオートバイじゃない、なんていう叫びは単なる年寄りの妄言なのかな?

 

と、ボクはずーっと疑問を感じている訳だ

 

少なくとも政治的な思惑で課せられる規制はやはり「枷」だ

 

技術競争の場であった時のモーターレーシングの世界は

 

当初の規制やルールは方向性や境界線を提示する程度のものだったが

 

当事者のみならず観る者すべてを熱狂させるほどの魅力があった

 

しかし技術が限界まで開発され尽くされたとき

 

ルールは平等や公平を上から指図するようなものになる

 

優位さは抑圧されあろうことか開発の「枷」になり始めたのだ

 

ピットインのタイミングやセーフティカーの状況でレースが左右される

 

チームとしての作戦が勝敗を分けると云えばそこにスポーツ性はあるのだろうが

 

もはや熱狂はない

 

これと同様にオートバイの技術が横並びになった今

 

クルマのような安易さ、快適さ、豪華さを前面に出すことは

 

オートバイの魅力を大いに下げているとボクは感じる

 

(もちろん小排気量の実用車は別だ)

 

人間はなぜか時として深く考えることを放棄する生き物だ

 

それはいろいろな状況が考えられるが

 

大抵は「善さ」をチラつかされる時、思考停止に陥る

 

「安全なんだから何がいけない」

 

「環境を守ることのどこがいけないんだ」

 

「無いより有った方がいいなら別にいいじゃん」

 

こういうやつね。

 

でも本質まで失っていないのか、ボクは気になって気になって仕方がない

 

難しく悩ましいラインの上でなされる議論も多いのは確かだ

 

でも本当はもともと全部答えのない難しい問題なんじゃないのだろうか

 

 

何かを開発するとき前提になるのはその「目的(目標)」だろう

 

クルマを作るうえで法規対応も重要な要件となるが

 

その前提となる法規・法律の目的は公平性と社会福祉の増進なのだ

 

クルマの自動運転をなんであんなに一生懸命やるかと云えば……

 

……考えたことあります?

 

あれは道路交通の効率化が目的なんだそうな

 

文字どおりの輸送の効率化もそうだけど

 

事故を無くすことも大きな目的のひとつ

 

事故は明らかに不効率なのだ

 

大雑把に云えば効率化のために人間から運転を取り上げようと企んでいるって訳

 

でもクルマの運転という行為に一種の快感を覚えている人間は多い

 

自分で運転したい、そういうニーズだ

 

生まれてから一度も運転を経験していなくても

 

運転してみたいという欲求は必ず生じるものだと思う

 

飛行機や電車の操縦をしたくてコンピューターのシミュレーションをする人は多い

 

ましてやオートバイ

 

人が走らせているのを見るだけでウズウズしてくるものだ(レアケース?)

 

政治的な「枷」はやはり最低限にすべき

 

義務にしなければ人は動かないという面もあるだろうが

 

原則的には自由であるべきだ

 

排ガス規制は仕方ないかもしれない

 

でもABSやTCSを義務化するのはやりすぎ

 

義務化しなくても雪国の人は付いたクルマを選ぶはず

 

 

いままで本当に節操なくオートバイを乗り換えてきた

 

排気量なら50ccから1200ccまで

 

スクーター、レーサーレプリカ、アメリカン

 

ツアラー、ビッグマルチそしてオフローダー

 

いやほんとうによくもこれ程までと自分でも呆れる

 

でも、その果てに行き着いて

 

こんなにも虜になっているオートバイがSR400とは

 

しかもそのSR400

 

ボクがオートバイに乗り始めた時すでにオートバイ屋に並んでいたんだよ

 

まるでメーテルリンクの「青い鳥」だ

 

 

ボクが云いたいのはオートバイなんてSRくらいで丁度良いのに

 

法律で縛られるだけでは気が済まないらしくて

 

車両を開発するメーカーまでもが

 

無理矢理「善さ」を押し付けてきてる気がするということなのだ

 

ひとそれぞれだから別に歓迎する人がいてもいいんだけど

 

例えば今のクラッチをめぐる開発は何が目的なん?

 

いままで乗ったオートバイでクラッチが重いなんて思ったこと一度もないよ

 

免許取り立ての頃はクラッチ気にしてたかも知れないけど

 

クラッチの扱いなんて慣れてくれば無意識に出来るものだ

 

クイックシフター使っていったい何のタイムを削ろうってんだい?

 

あれがやっていることなら自分でできるよ

 

スリッパークラッチが欲しいなんて誰が云ったんだろう

 

バックトルクリミッターなんてなくても後輪ジャダーの回避ぐらいできる

 

レースじゃない

 

混合交通の公道を走るんだよ

 

300km/hから60km/hへ限界制動しながら

 

6速から1速へ落すシチュエーションなんて公道にはない

 

100分の1秒を競うシフトアップを考慮する意味なんてない

 

「そんな目くじら立てるなよ、楽なんだからいいじゃん」って君の声が聞こえる

 

でも勝手に、しかも無理矢理「善さ」を捻出してくる

 

「善さ」の押し付けだ

 

「善さ」とは付加価値の押し売りのこと

 

しかしそれは、価値ではなくただの「差異」だ

 

それが目的とするのは企業の存続という現実だけ

 

もちろん企業だから利益は必要だ

 

けれどじゃあなぜ生業としてオートバイを作っているのでしょうか

 

メーカーがオートバイの本質をどう考えているのかを聞いてみたいし

 

開発段階で向かっている先がどこなのかという本音も知りたい

 

ヘリテイジとか云う気味の悪いカテゴリーに将来的に入るようなモデルが

 

現行のラインナップにあるのでしょうか

 

装備もデザインもニーズの反映と云えば聞こえがいいが

 

ニーズの反映は間違いなくゴールを見失わせる

 

ことわざにもあるとおり「船頭多くして船山に登る」のだ

 

まさに本質を見失った成れの果てだ

 

そんな装備無くてもなんにも苦じゃない

 

人間の能力を舐めてやしないかい

 

 

それよりももっと楽しめる部分がある

 

グリップの握り方、肘の張り方

 

上体の角度、シートへの着座位置

 

タイヤの空気圧に気を配ったり

 

スロットルやクラッチのワイヤーの遊びを気にしたり

 

レバーの角度を5ミリ変えるだけでシフト操作は変わるし

 

ブレーキペダルの高さと遊びは本当にシビアだけど

 

ぴったりはまった時の操作感はABSにも迫れる

 

そうだ、砂利道や林道へオフ車で行ってみるのがいい

 

ああ、でもいまはオフ車にまでABS付けるんだよな

 

2、30年前はバイク屋の片隅にオフ車の中古がいっぱい並んでたね

 

オフ車で林道を走るとまっすぐの道でも面白いんだよ

 

レバーとかペダルとかだけでなく

 

乗ることの精度が上がる面白い工夫ができる余地が一杯あった方が

 

だんぜん面白いんだよ

 

 

少なくともボクは楽をするためにオートバイに乗っている訳じゃない

 

オートバイを工夫して走らせることが楽しいんだ

 

これはもちろん独断的な宣言だと切り捨てられるのだろう

 

そんな小難しいこと誰も考えてないぜ、ってね

 

けれど本当にそうだろうか

 

カネを出すだけでは決して得られない

 

人間の身体性の奪還

 

それをハードルが高いと切り捨てては絶対にダメだ

 

なぜなら時代に取り残されたこんな危険な機械

 

よほどの魅力がなければ人は近付かない、いや近付く意味がない

 

マイナーであってマイノリティ

 

変わり者たちの乗りもの

 

だからこそ、オートバイは魅力的なんだよ

 

その先にしか真のアウフヘーベンはないのだと

 

ボクは信じている

 

 

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穏やかな空のした今年も桜が満開になった

 

すこし遅れたけれどツバメたちもまた今年もやってきた

 

どこも桜の開花は早かったようだけど

 

そのほかは全体的に少し遅れているようにボクには見える

 

梅も早くはなかったし

 

庭の水仙の開花も少し遅かったね

 

まあでもいつもそうだけど

 

遅かれ早かれ季節というものは日々確実に進んでいくもの

 

外に出たときに感じる空気の感触に一喜一憂しながら

 

それでも日差しの強さは確実に増しているのを感じる

 

雨の降り方、風の向き

 

春はそういった機微に触れることがうれしい季節だ

 

 

もうひとつ忘れてはならないことは

 

ぼんやりしていてもしていなくても

 

人間とは戦争に巻き込まれるものなのだ、と気づかされた春でもあると云うこと

 

もともと戦争は日本人にとっても他人ごとではないと考えている方なので

 

今の情勢にはかなり複雑な思いがする

 

花見だゴールデンウィークだという気持ちはもともと薄いが

 

余計に、浮かれている場合ではないんじゃないの、と感じている

 

もちろん当事者ではないが

 

パレスチナの問題には興味があった

 

若いころにキリスト教を勉強した時期があって

 

その時のクリスチャンの先生がこのパレスチナの問題を聖書に則して

 

苦しそうにお話しされていたことを思い出すからか

 

創世記にある神とアブラハムとの契約が

 

宗教的真実なのか、神話的虚構なのか

 

どちらにしてもこれは簡単に結論が出せる話では決してない

 

そもそも日本人の多くは宗教と云うものとの距離感に乏しい

 

自然の中に神性を見る民族なのだ

 

そしてその自然は「なる(成る、生るなど)」もの

 

その神は人を支配しない

 

しかし西洋人にとって形而上学に通じるこの話は

 

彼等のアイデンティティに直結している問題だ

 

西洋哲学に流れる主体の確固たる存在を証明するもの

 

それは神でなければ成立しないのだ

 

緊張関係を孕む彼我としての神

 

この戦争の結末行方は「神のみぞ知る」という次元の話になるだろう

 

イランに壊滅的な打撃を与えたアメリカやイスラエルは

 

得体の知れない激しい意志を伴った反撃にこれからもあうだろう

 

――あそこを壊滅させた

 

――まだこんなにドローンがあるぜ

 

――今すぐ止めると云わないとイランは石器時代に還ることになる

 

――アメリカ本土のIT企業に攻撃するぞ

 

……まるで太平洋戦争の日本とアメリカだ

 

史実はと云えば連合軍は日本から東南アジアをほぼ開放し

 

日本本土へと迫っていた

 

日本では全国の都市が空襲をうけ市民はバケツリレーでの対処

 

沖縄が上陸制圧されいよいよ本土決戦という事態に竹槍だ

 

一億玉砕火の玉なのだ

 

イランの市民の気持ちはどうだろうか

 

イラン革命政府と大本営がダブって見えるのは日本人だからか

 

日本がアメリカに原爆を投下されるまで目が覚めなかったように

 

海水淡水化プラントの破壊が現実のものとなれば

 

その非人道性は原爆に等しい悪魔の業となるだろう

 

想像もつかないがアメリカが云う石器時代は市民を幸福に出来るのか

 

イランの責任者には正しい判断をぜひ願う

 

もちろん双方に言い分はあるのだろう

 

ただ圧倒的にイランは不利だ

 

ホルムズ海峡を人質にとるやり方は誰も支持しないし

 

アブラハムの契約の真偽は神に聞いてみるより他ない

 

そういう問題なのだ

 

それで市井の人々が犠牲なることには怒りを覚える

 

ヨーロッパの反ユダヤ主義とナチスドイツのホロコーストは

 

ネタニエフへと続くシオニズムを生んだ

 

そしてイギリス、ユダヤ、アメリカには

 

その戦後処理の強引さと無責任さに問題があったと個人的には思う

 

つまり双方にそれぞれの言い分があり大義がある

 

歴史に記憶されてしまった思惑はいつしか事実になってしまった

 

 

ちょっと熱くなり過ぎたか

 

つまり雨上がりの春の空がこんなにも爽やかなのに

 

心の方はなんとなくすっきりとは晴れないのだ

 

中東と聞くと日本人は多分石油ぐらいしか思いつかない

 

石油のおかげで裕福な国々、みたいな印象

 

頭に布を巻き付けて白いアッパッパーに草履履き

 

アラビアンナイトのアリババや盗賊

 

中東はそんなイメージしかない

 

でもイランイスラム共和国はアラブではなくペルシャだ

 

イスラム教に至ってはもっとイメージが乏しい

 

一日に何度かすべてを放り出してお祈りに勤しむだとか

 

断食とか聖戦とか、そんな言葉を耳にするだけだろう

 

だからやっぱり中東イコール石油なのだ

 

その石油の輸送を根こそぎ停めるとなればそりゃあ大騒ぎになる

 

なにせ日本はその中東に石油の95%を依存している

 

石油資源の供給遮断は死活問題なのだ

 

だのにこの国の人々はいつもと何も変わらない

 

不安を口にするばかりで文句しか云わないのだ

 

――困ります、不安です

 

ひどいのはこれ

 

――なんでもいいから戦争なんて早くやめろ

 

大衆と書いて「むせきにん」と読んだ方がピッタリくる

 

それが証拠にゴールデンウィークの旅行需要は前年を上回る見通しで

 

特に海外旅行が前年比3割増と大幅に回復する予測らしい

 

だから、戦争なんかやって石油止めてんなバカヤロー、ってことさ

 

なんだかそういう空気にはボクはなじめない

 

まあね

 

偉そうになんだかんだ云いながらも

 

用もないのにオートバイ走らせてガソリン使ってるんだから

 

大きなことを云えるものでもないか

 

 

2月の終わりのブログに

 

今年はどこに行こうかな、ワクワクするな、とか書いて

 

それで実際に九州行きのフェリーを予約していた

 

九州をまわってそのまま山陰側を日本海に沿って走る予定だった

 

あのブログをアップしたのが奇しくも2月27日

 

それでその翌日だよ、アメリカがイラン攻撃を開始したのは

 

それでもうすっかりウキウキした気分じゃなくなっちゃって

 

まあ2,3週間で終わるだろうという話だったから

 

ちょっと様子見ていようと思っていたんだけど

 

翌日にはハーメネイー師の殺害が報道される(当初の目的の一つ)

 

もう全面戦争は避けられないと観念してその日にフェリーはキャンセルした

 

途端になんだかすっきりしない春になってしまったんだよ

 

もちろんわかっている

 

ボクが少しぐらい憂鬱な気分になったところで何が変わると云うのか

 

でも災害地へ赴く天皇陛下がよく口にされる

 

「心を寄せ続ける、それが大切」なのではないだろうか

 

もちろん天皇の言葉の重さと名もなき一市民であるボクのものとでは次元が異なる

 

その言い分は甘んじて受け入れる

 

けれどそういう関わり方くらいしかできないし

 

そういう方法であっても自分事として受け止めることはできるだろう

 

それにどれほどの意味や価値があるのか

 

それは各自が決めることなのだと信じたい

 

 

まあオートバイに乗って遠くへ何日も走りに行かなくったって

 

一日走り回っていれば楽しくてしあわせ

 

ボクはそんなタイプだ

 

何より陽の射す窓辺でじっくり本を読むことも同じくらい楽しい

 

オートバイで走りに行っても

 

なんとなくいいなと思う場所にオートバイを停め

 

椅子を広げてコーヒーを淹れ

 

そして持ってきた読み止しの本を開くことが多い

 

それくらいオートバイと読書が好きだ

 

雨の日が増えてきたけど

 

晴れた日には本当に気持ちが良い陽気だ

 

昨日も山深く分け入る道を走ってきた

 

 

風も無くてほんのり暖かく爽やかな日だったけど

 

昨日の夜まで降っていた少し激しい雨のせいで

 

そこら中で水があふれ道路はビシャビシャだ

 

急な傾斜の部分では道路一面を川のように水が流れ下っていた

 

奥三河の山の中を栗島川の急な流れをたどっていくこの県道は

 

幅員制限が2.2m そこそこ狭い

 

クルマはほぼ来ないけど自転車が複数台で

 

ブラインドにもかかわらず突っ込んできて閉口する

 

奴等は下りと云うと全力を出さずにはいられないのか

 

 

山は春を迎えて生気にあふれていた

 

まだ桜の季節だ

 

ツバメたちが忙しなく飛び回り

 

まだ北へ帰らないジョービタキがうるさく囀っては風を待つ

 

この頃は湯が沸くのも早い

 

すぐに小さなヤカンは湯気を上げる

 

コーヒーを一口飲んで大きく息を吐きながら空を見やる

 

---なんて平和なんだ

 

世界に渦巻く誰かの怒りや恨みはここにはない

 

当然ながらこの自然の中にはそんな感情は存在しないのだ

 

そんな感情があるのはここなのだ

 

人間の心の中だ

 

 

豊かな自然に触れたとき「癒される」という人が最近増えた

 

癒されるのは病んでいる人だ

 

この頃の人は病んでいるんだろう

 

でも病んでしまうと気付きながらも都市の暮らしが好きなのだ

 

もうこうなればマッチポンプだとしか思えない

 

マッチポンプとはそもそも皮肉を込めた言葉なんだよ

 

敢えて説明しとくけど

 

皮肉とは遠回しに非難したり意地悪く揶揄することを云うのだ

 

いや本当に自然を見て癒されるという感覚がボクにはない

 

逆に都市へ行くと自分が山のクマかサルみたいに思えてくる

 

すべてのものを自分たちが理解し制御できるものを配列し

 

すべてのものが直線と一定の曲率を持つ曲線でできている都市

 

すべてが調和と因果で満ちている世界

 

これは何を隠そう脳の仕業だ

 

自然の塊である人間そしてこの世界を脳は自らの支配下に置きたがるのだ

 

だから西洋人は世界やそこにある物質を自分と同じとは絶対に考えない

 

なぜなら西洋人たちが重んじるのは主体そのものだからだ

 

だったらその主体に一度聞いてみればよいのにと思う

 

胸に手を当てて(本当はアタマ、脳みそね)ゆっくりと深呼吸しながら

 

イドラに囚われず普遍的な定言命法による道徳に基づいて考えてみることだ

 

自分は誰かを幸せに出来ているのだろうか

 

ってね

 

 

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オートバイのダウンサイジングは妄想だと

 

回を重ねて書いてきたが

 

今回は自分の事を書いてみたいと思う

 

 

今現在2台のオートバイを所有しているが

 

今の自分の経済力にはおよそ見合っていないなと感じている

 

そんな余裕は持てないような暮らしなのだ

 

本当はクロ介(BMW R100Trad)にもう少し乗ってから

 

最後のオートバイとしてSR400を手に入れようと考えていた

 

結果的にダウンサイジングされている訳だが

 

SRを考えていたのは

 

ダウンサイジングというよりも「最後」の相棒としての適性だった

 

それに発売から43年間も販売が継続され

 

新車で手に入れられるという魅力もあったからだ

 

けれどご存じのとおりSR400は

 

厳しさを日ごとに増す環境性能への対応とコストが合わなくなったり

 

何よりSR400は「らしさ」を維持するこだわりを捨てられず

 

43年の歴史に終止符を打つことになってしまった

 

いつでも買えると思っていたSRは

 

もう買えない絶版車になってしまったのだ

 

あせった

 

それもあってボクの中のSRラプソディは

 

どんどん激しく高らかに鳴り響き

 

自分自身もうその勢いは到底止められなかったのだ

 

それで衝動的に、買ッチッタ!って訳だ(テヘッ)

 

SR400は予定より早く我が家にやってきて

 

クロ介の横に鎮座した、経済力はないのにね

 

 

70年代、まさに高性能化が進み始めた頃のオートバイたちは

 

それ以降のオートバイに比べるとまだどこか大人しめの見掛けをしている

 

素材の進化によって少し豪華でカラフルな感じにはなったが

 

まだオートバイには実用性という要素があったのだ

 

その辺をオートバイで走っているあんちゃんを見かけても

 

ツーリングに行こうとしてるのか床屋に行こうとしているのか

 

見分けられないほどの日常感が滲み出る

 

スポーツ性や走破性に特化しすぎず

 

背筋を伸ばしたリラックスした姿勢で運転できる

 

ファッションで「ノームコア」と云われるスタイルが

 

10年くらい前に注目されたが

 

それは70年代の若者のスタイルそのものだったように思う

 

洗いざらしたジーパン(ジーンズ)にTシャツ

 

70年代のオートバイも普段着のような感じで

 

いつでも、どこへでも、何にでも使い倒す

 

万能な存在だった訳だ

 

SR400はそんな70年代の終わりに

 

ますます先鋭化するオートバイの中、少し遅れて生まれてきた

 

すでに当時でもスペックで見るべきものがない「新型」だった

 

そしてスペック競争の時代にあえてヤマハがそこに込めたスポーツ性を

 

理解する空気は残念ながらまだなかった

 

それも7,80年代なのだ

 

図らずもひと時代前のブリティッシュ単気筒へのノスタルジーが重なり

 

SRは「着せ替え人形」と化してしまう

 

それはヤマハ自身もSRを見失いそうになるほどの熱狂で

 

当のヤマハもそれに少しすり寄るような姿勢さえみせた

 

それもここまでSRが生産を続けられた一因であるなら

 

悪いことではないようには思う

 

ただ個人的にはBSAとかNortonとかのエンブレムは痛いと思っていた

 

まあ、SRのエンジンが素材として良いということでもあろう

 

チョッパー、トラッカー

 

様々な流行りを経て2010年大きな節目を迎える

 

SR400のインジェクション化だ

 

燃料ポンプやECUが搭載され

 

SRの着せ替えは急速になりを潜める

 

そうしてかつての普通のオートバイは単に昔ながらのオートバイになった

 

インジェクション化の最大のメリットはキックスタートの容易さくらい

 

あとはヤマハの努力か執念か

 

ほとんど姿を変えずに延々と製造が繰り返された

 

 

ボクのオートバイキャリアの中でずっと生産が続いていたSR

 

オートバイ雑誌にはいつもSRを見つけることができた

 

まわりにSR買ったよ、という知り合いも何人かいた

 

ちょこっと触らせてもらいはするけど

 

うるさいマフラーと低速のギクシャク感ばかりが目に付く

 

マフラーは個人の趣味で交換されていたからSR本来の印象ではないが

 

概してハイパフォーマンスマシンに心酔していたボクには

 

まったく何も感じさせなかった

 

転機はアラフィフ(around 50)の頃だったと思う

 

木曽の山奥、大平街道だったか

 

木陰で休んでいたら峠の下の方から一台のオートバイが上ってきた

 

それは最初深い森に響く排気音だった

 

カーブを折り返すたびにバタバタバタッと小気味よい音を響かせ

 

それが徐々に近づいて来ていることが手に取るように分かったのだ

 

(オートバイは)なにかな?と空想していると

 

そこに姿を見せたのはカワサキのエストレヤだった

 

ライダーもベテランなのか

 

しっかりとトラクションをかけていることが

 

音からも上体の動きからも伝わってくる

 

その情景にすっかりボクは「痺れて」しまったのだ

 

よく日常(スピード)域でのスポーツ性と云われるが

 

それが何を意味しているのかその時はっきりと理解した

 

 

人から見れば大袈裟で馬鹿げているだろうが

 

その頃同時にボクの中で何かモヤモヤとしたものがあった

 

何が、か?

 

自分にとってのオートバイと云うものが、だ

 

そんな事を考えてオートバイに乗っている人がいるのだろうか、と自分でも思う

 

多分いないのだろう

 

でもボクはなぜか知らんが、そんな思いに憑りつかれていた

 

それで大きなオートバイを発作的に売り払ってしまったのだ

 

馬鹿げている

 

本当にそう思う

 

でもそんなボクの手元に1台だけオートバイが残っていた

 

ホンダ スーパーカブ110(しかも異端のJA10型)

 

 

ほとんど思い入れのないコイツがボクをリスタートへと導く

 

その頃は何をするのもどこへ行くのも結果的にカブだった

 

純正のスクリーン(風防?)と社外品のナックルバイザーで冬も寒くないのだ

 

そこそこの速さとそこそこの快適さ

 

どこにでも溶け込み、誰も驚かせない

 

ボクが感じていた不満はただ一つ

 

「こいつ磨けないんだよな」ってことくらいだ

 

けれどホンダエンジンの精密さはしっかりと感じることができた

 

クルマの流れに乗って巡行するときや

 

山奥をマイペースで流すとき

 

小排気量とはいえ単気筒らしい鼓動を感じさせる

 

自動遠心クラッチの3速ロータリーミッションを駆使する走りは

 

カブ独特の操る面白さがある

 

ただやはり排気量的にいつも引っ張り気味になってしまうところはあるね

 

でも、そろそろお前も変われよな、とカブは云わない

 

あいつもそれが好きみたいだから

 

 

だったら、ということで「エストレヤ」が浮上した

 

つまり排気量がでかい分引っ張らなくてもいいかな、と考えたわけだ

 

それとあの木曾で出会ったエストレヤが忘れられなかったというのもある

 

でも結論から云うと

 

エストレヤはすべてが中途半端だった

 

小排気量の単気筒エンジンなので車格が小さい

 

ゆえに小柄な人や非力な人がターゲットと思われがちだが

 

それだけで「のんびりトコトコ」とか云われるのだ

 

のんびりかどうかはライダーの意思によることなのは当たり前

 

あのエストレヤにまたがり目に入るタコメーターのレッドゾーンは8500辺りだ

 

トルクは1.8kg-m/rpmしかないのでのんびり繋いでシフトアップしていくと

 

後ろから追突されそうな加速力しかない

 

単独なら全く問題ないが

 

市街地や高速道路ではしっかりと回す必要がある

 

しかも回せばエストレヤ、まことにしっかりとキビキビ走る

 

けれどエストレヤ自身はそこを狙っていない、多分

 

ロングストロークエンジンであくまで実用性能を狙う

 

そこがエストレヤのモヤモヤするところかな

 

しっかりと鼓動感もあるし

 

確かにゆっくり走らせたときの

 

エンジンのトルク感には趣味性を感じさせる

 

 

だけどね

 

回した方が面白んだよね

 

カブと同じだ

 

でも回すと目が三角になって

 

気持ちだけが先走ってエストレヤがついて来ないんだ

 

しかもそれはエストレヤを全否定することになってしまう

 

あれはあそこを狙っているのだから

 

文句を言うのは筋が違う

 

筋が違うからそこに登場するのは必然的にあれなのだ

 

SR400

 

必然だ

 

 

本当を云えば2ストクウォーターがいい

 

TZR250(1KT)は最高の1台だった

 

可能ならあれに乗っていたい

 

でもほぼ不可能だ

 

購入することも維持することもカンタンではないだろう

 

だからやはり今ならSR一択なんだろうな、ボクには

 

単気筒エンジンも多気筒エンジンも

 

いまはロングかスクエアに近いロングストロークが主流だ

 

ホンダのレブル250は意外にもショートストロークの単気筒だけど

 

GB350はロングストロークだ

 

これはおそらくロイヤルエンフィールドの350を意識してだろう

 

SR400のエンジンは今や少数派のショートストローク

 

これは狙ったわけではおそらくない

 

知ってのとおり400は先行する500のエンジンを利用して設計された

 

ボアを変えることはコストのかかるヘッドも変更することになる

 

そのためボアを500と共通としコンロッドを長くして帳尻を合わせた

 

何だ、コストカットエンジンじゃん、と云うなかれ

 

その結果連棹比が4.565にもなり

 

図らずも高性能エンジン並みの(ピストン)側圧を実現しているのだよ

 

しかも400のクランクウェブの方が1kgも重い

 

500の力強さには及ばないが

 

400は400だけが持つエンジンの魅力がある

 

つまり単気筒のパワーは振動とのやり取りになるからだ

 

免許制度から生まれた排気量だが

 

思わぬ個性も持ち合わせていたということだ

 

  

 

だからSRに乗るとまずあのクランクの存在を感じる

 

遅いという人が多いが

 

公道で不満を感じない

 

急坂でも非力感は感じない

 

高速でも120km/hで巡行可能(しないけど)

 

100km/hからシフトダウンしなくても普通に加速する

 

多気筒に慣れていると最初振動に驚くがそれもすぐ慣れる

 

手のしびれはグリップへの握力をほんのわずか増やせば消える

 

つまりSRのネガは工夫と慣れでほぼ消える

 

その向こうには個性豊かなオートバイの魅力が溢れていた

 

なんにでも使えるオートバイだ

 

むかしのオートバイはみんな何となくそうだったのだ

 

雨の日には軒下で日がな一日メッキパーツやアルミを磨く

 

本屋へ行くのも、床屋へ行くにも

 

もちろん病院や役所へも行く

 

休みの日には早朝から峠へ出掛け

 

たまにふっと遠出してしまうのだ

 

SRに乗ることが楽しいし

 

駐車場に停めたSRを窓から見るのも楽しみだ

 

ダウンサイジングについての記事の最初に

 

エンジントルクがあるレベルに達していること、を真っ先に挙げたが

 

それはスポーツ走行しないときの余裕のためだ

 

もちろんスポーツするときにはオートバイとしての

 

機能はしっかりと発揮してもらいたい

 

その点SRは操作性も上質だ

 

ヤマハのハンドリングは群を抜いている

 

ボクはそう感じる

 

しかも公道速度でそれを楽しめるエンジン特性を持つ

 

前後に車両もなくのんびりゆっくり流しているとき

 

SR400はカブとおんなじ感覚がある

 

究極の普通、ノームコアがカブだとすれば

 

SR400はノームコアというより「コンサバ」なのだ

 

 

サイドスタンドに身を預けて斜に構えるSRは

 

どことなくバブルの頃の女性を思い出させる

 

つまりは人もオートバイも時代遅れなのだろう

 

 

 

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何回かに分けてオートバイのダウンサイジングについて書いたけど

 

 

そろそろそのまとめをしておきたい

 

オートバイの「ダウンサイジング」とは

 

長年オートバイに乗り続けてきたオートバイ乗りが

 

悲しいかなその老いを自覚し

 

いろいろ考えた末に下す最終結論のひとつの形態、らしい

 

どう考えても80歳で300kgは重いし

 

160psは手に負えない

 

もちろんそんなの関係ねェーという方もおられよう

 

結論を云ってしまえば

 

楽しければ何でも良いのだ、という言い分で合っている

 

人の思惑などこの際どうでも良い

 

迷惑だって?

 

それは年齢に関係なくないかい?

 

 

いちばん最初に書いた

 

ダウンサイジングのもともとの動機は

 

もう一台オートバイが買いたい、というただの言い訳だ、と

 

買いたいオートバイがあって

 

買えるお金があるのなら

 

買ってしまえばよい

 

家庭内の空気が悪くなるのでは、と心配するなかれ

 

そもそもオートバイ乗りが家庭を言い訳にするなど片腹痛い

 

所詮ものわかりが良ければこんな乗り物に乗ってなどいない

 

身の程知らずに女に手を出すよりは100倍はマシと思うが・・・

 

ちがうか

 

 

正直どうしてダウンサイジングなんて云い出すのか

 

きっと云ってる本人もよく分かっていないような気もする

 

老いが身に染みて大型オートバイが手に余る

 

本当にそんなことあるだろうか

 

多分それは老いを理由にしているけれど

 

そもそも大型オートバイの重さを苦にしていたということじゃない?

 

確かに重い

 

200kg以下の車両と比べると取り回しは難儀なことがある

 

ハンドル切れ角が少ないオートバイはさらに厄介だ

 

なぜか地面にあった窪みに嵌って往生したことも事実ある

 

でも、大型オートバイってそういうものだ

 

ちがうかな?

 

だから腕力が落ちてきて、と云うなら鍛えればいいし

 

腰が痛くて、と云うなら治療するべき

 

年齢とか老いとかで大型オートバイが辛いのではなく

 

身体が鈍っているだけだ

 

いつも云うけど

 

女の子でも大型オートバイに乗っている

 

それに大型オートバイには確かに魅力がある

 

そう云うとそんなの人それぞれだと必ず返されるが

 

大型には大型にしかない魅力がある

 

それは小型には小型の魅力があるのと同じ話だ

 

 

経済的な理由もあるかもしれない

 

乗り換えのタイミングでダウンサイジングして

 

購入価格を抑えるということもあろう

 

軽二輪ですら70万円くらい平気でする

 

原2で50万円

 

新車の現実的なラインはすでに年寄りにはきつい領域だね

 

かといって中古車も専門業者の台頭で価格帯は高い方へと引きずられている

 

ハンターカブとか本当によく見かけるけど

 

お父さんのお小遣いだとあそこが限界なのかもね

 

もちろん人の懐具合などピンキリ

 

一概に年寄りが貧乏とは限らない

 

ハーレーダビットソンもカブと同じくらいよく見かける

 

 

結局何が云いたいかと云えば

 

ダウンサイジングなんて妄想でしかない

 

タイトルに付けたとおりだ

 

話のタネか、言い訳か、その程度のもの

 

どんな人でも好きなオートバイに乗ればよい

 

排気量を下げたければお好きにどうぞ

 

ただし

 

高齢のライダーが真にダウンサイジングしなくてはいけないものが

 

ひとつだけあるとボクは思う

 

 

それは

 

オートバイそのものではなくて

 

その乗り手である自分の心、感情だ

 

若気の至りと受け止められるような意志

 

外へ向かう衝動的で過剰な意志

 

挑んでしまったり

 

過信してしまったり

 

求めすぎてしまったりする気持ちのことだ

 

特に注意が必要なライダーは

 

前に追いついたり

 

後ろに迫られた時に

 

「火」が付く人だ

 

偉そうに云っている自分も少しその気がある

 

オートバイってやつは悪魔みたいなところがあって

 

分かっていても気持ちのいい領域を求めてしまう

 

法規を遵守したスピードが正直どのくらいのレベルか

 

多分みんな知っていると思うけど

 

公には口にできないゾーンへ簡単に踏み込んでしまう

 

それからこういうのもある

 

山奥の一本道に延々と引かれた黄線

 

前を走るクルマに、どいてくれないかなーと祈ってばかりだ

 

そいつがイライラになり

 

なぜだか怒りにも近い感情になる人もいるのだ

 

煽ったり

 

周囲の危険も顧みず無理な追い越しに出る

 

歳を取ると判断力や反射神経が鈍る

 

そんなことないと云い張っても

 

相当に鍛えていなければまず間違いない

 

自分の手や腕の皮膚から柔軟性がなくなっていることには気づいているはずだ

 

まるで劣化したプラスチックのような質感だ

 

そう、老いているのだよ

 

変なとこで躓いたり

 

跨いだはずが跨げていなかったり

 

頻繁ではなくても一度や二度は経験してるはず

 

平常心を無くした心でオートバイを走らせるのは

 

むかしの何倍も危険だ

 

つまり

 

カッとしたり

 

ムキになったり

 

いい気になったり

 

そういう衝動をダウンサイジングして手懐けるべきと思う

 

オートバイという乗り物は

 

その扱いに習熟するほど技術が上がるものだ

 

だから長年オートバイを乗り込んできた我々には

 

オートバイを感じるたしかな感覚がある

 

だからこそ平常心を保ってさえいれば

 

元気なうちはオートバイに乗っていられるだろう

 

ダウンサイジングと云わず

 

好きなオートバイに乗ればよい

 

 

技術の進化なのか調整の妙なのか

 

最近のクルマもオートバイも異常な速さを感じさせないものが多いように思う

 

ハイブリット車の加速力に驚くし

 

ツーリングしているオートバイの集団の異様なスピードは

 

見ているこちらの方が不安になるようなレベルだ

 

サスペンションを含めたマッチョなフレームと

 

180サイズのトレッドを持つラジアルタイヤ

 

スロットルバイワイヤとECUのマッピングマジック

 

言わずもがなのABS

 

6軸IMUとの連携

 

こういったフェールセーフ(fail-safe)技術が

 

皮肉にもオートバイの平均速度を上げているように感じる

 

カタログや取説に明記されているとおり

 

これらはあくまで安全への補助的なシステムなのだ

 

意識せずに危険な領域に踏み込んでいることを気付きにくい

 

ボクはそう感じる

 

 

山奥の一本道を3台のダンプカーに先導されて

 

50km/h(カーブでは30km/h)で排ガスを浴び続ける時

 

「これでいいのだ」

 

とやんわり笑みさえ浮かべられるような

 

そんな老練者でありたいものだ

 

(無理だろ)テヘッ

 

 

 

 

 

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もちろんまだ2月なので寒い

 

おまけに低気圧が通過するたび北から冷たい強い風

 

しかもそれは相当強く吹き付ける

 

風の日はオートバイおもしろくない、とボクは思う

 

走っていても止まっていても

 

なんだかビュービュー落ち着かない

 

 

ありがたいことに今年も無事冬を越せそうだ

 

多分に気のせいであるとはわかっているが

 

その年の冬さえ乗り切ってしまえばそのあとは

 

ズルズルと一年過ごして行けそうな気がするのだ

 

そして

 

自然と旅心もうずうずと疼きだすのもこの頃

 

今年も北海道へ走りに行こうか?

 

このところ2年も続けて行ったせいか

 

今年はまだ気持ちがぼんやりとしている

 

行くのならフェリーの早割を使いたい

 

そうすると3月の終わりまでには予約が必要だ

 

ただどうもフェリーの揺れに身体が慣れない

 

去年は多少の慣れが出てマシになるかと思いきや

 

リアルにリバースした

 

帰りのフェリーではほとんど食事ができなかった

 

まあそろそろいい加減慣れて平気になるかという期待もある

 

でも3年も続けて行くとたとえ北海道ですら新鮮さを失うだろうから

 

ご無沙汰している四国や、九州にも食指が動く

 

何気に中国地方の山間部も良い道が多い

 

 

ボクにはなんとなく以前から考えているプランがある

 

それは「日本海をたどる旅」だ

 

今まで幾度か日本海を目にする機会を得たが

 

そのたびに日本海の海の色には特別なものを感じてきた

 

ボクのような太平洋に馴染みがある者から見ると

 

それは実に格別な印象なのだ

 

何がそんなに異なるのか、よく考えるのだけど

 

ボクの考えでは

 

太平洋って日本列島の南岸に面していて

 

眺めるとき大抵太陽が逆光線になるのだ

 

波頭がキララと輝いてそれはそれで美しいんだけど

 

なんとなく表面がてらてらと反射してしまって

 

海本来の色を意識させないような気がする

 

一方、列島の北に位置する日本海は

 

眺めるとき逆に順光線であることが多い

 

海全体が深い青や紺のグラデーションを作り出し

 

波の白さとのコントラストも映える

 

この逆光と順光の違いが

 

日本海の印象を強くしているんじゃないかな、と考えているのだ

 

 

その日本海を九州から本州を経て北海道まで

 

ゆっくり眺めて回る旅路

 

それを一つの「区切り」にしたいという思いが同時にある

 

もう年齢的にも経済的にも

 

長い旅は難しくなってくる

 

もちろん可能なうちはふらふら出掛けていくのだろうけれど

 

気力も体力も経済力もあるうちに

 

そろそろ実現しようかなと思うのだ

 

 

今の考えでは

 

ボクが住む愛知県を境に東西に分けて

 

2年越しになるのかなと思っている

 

今年はその前半となる九州から能登までの旅に出かけようか

 

九州の五島列島福江島から始めるべきだが

 

五島へのフェリーの時間的経済的効率が悪すぎるので

 

柔軟に平戸のその先 生月島(いきつきじま)から始めよう

 

そこにある生月島サンセットウェイ

 

これは日本百名道のひとつだが

 

地理的に困難でまだ行けていない

 

だからそれも丁度いい

 

サンセットウェイで日本海に沈む夕日を見て旅を始めるのだ

 

いや、夕陽を見て始めるって違和感あるか

 

じゃあやっぱ最後がいいのか?

 

まあいい

 

そんなこだわりは何の意味もない

 

この先九州へ出掛けて行くことも考えにくいので

 

ついでにまだ走れていない百名道をまわって来ようか

 

阿蘇はもう一度走っておきたい

 

ケニーロードとか俵山峠とか

 

走りたい道がまだまだある

 

あーやっぱり今年は北海道の鮮度を保つためにも

 

九州へ行こう

 

そして若狭か能登までつないで日本海をたどる旅の前半としよう

 

そして後半はその続きから北海道ノシャップ岬を目指すのだ

 

ちょっとワクワクしてきた

 

 

そんなこんなで今週は

 

冬になるといつも走りに出かける浜名湖へSRで行ってきた

 

高速やバイパスを使わずに

 

オールドファッション(old-fashioned)の「国一」(国道1号線)

 

名豊バイパスと浜名バイパスの全通により

 

かつてのルートは重複していた国道42号線として残っている

 

今日はそこを走った

 

 

 

豊橋の街はこれまたオールドファッションで

 

国道1号線は吉田大橋を渡ると左折して中心部を迂回するが

 

そこで昔の都市さながら路面電車の軌道を真ん中に挟む

 

広島や長崎は印象的だけど路面電車が走る街は現実には少数派だ

 

自動車学校で習ったきり路面電車がらみの法規は忘れがち

 

橙色の矢印信号とか軌道をまたぐ右折とか

 

今一度しっかりとした理解をしておかないと少しドキドキする

 

基本的には軌道(正式には軌道敷)には進入不可

 

右折待ちも軌道の手前で待つことになる

 

橙色(黄色らしいけど)の矢印は路面電車専用なのでその他の車両は停止

 

簡単に云うとこれを押さえておけば問題ない

 

本来は安全地帯の通過とか路面電車の追い越しとか

 

運転免許試験では結構問われるが

 

実際にはそこまで遵法して走ってはいない

 

国道はその先、東八町で南へ折れる

 

そこで直進していく軌道敷を国道は都合横切る形になる

 

特に問題はないけど

 

オートバイはレールが滑るから雨の日は意識した方がいいかも

 

 

豊川もそうだけど豊橋もバイパスが完成したことで

 

全体的に車の流れはとても良くなった

 

右折レーンがない交差点が多くて

 

クルマだと右折車が気になるけど

 

オートバイだとさすがに何の問題もない

 

信号交差点はそれなりにあるがバイパスとそう変わらないと感じる

 

浜名バイパスに近付きその手前で県道173号線へ折れる

 

県道はすぐに県境を越えて静岡に入り道路は国道42号に合流する

 

ここからはかつて1号線と42号線の重複区間だったが

 

バイパスが1号線になりこちらは42号線と云うことになった

 

ここまで丘陵部を走ってきた国道は

 

白須賀の浜に向かって大きな半径のカーブを連続させ

 

一気に高度を落としていく

 

かつてここは潮見坂と呼ばれる国道の難所だったが

 

今は交通量もほとんどなくなって

 

ボクたちオートバイ乗りにはただただ楽しいコーナー区間だ

 

そこをビューンと下って白須賀に下りると

 

バイパスとそこにある道の駅にお株を奪われた

 

寂れた対向一車線がまっすぐに伸びる

 

けれど信号も少なくてのんびりとSRで流すのにぴったりのルートだ

 

新居の関所で浜名湖の西側を南下してきた国道301号線と合流し

 

弁天島辺りで西浜名橋を渡る

 

この橋の北側にはかつての西浜名橋だった旧橋梁が残されている

 

13連のアーチ橋は橋脚部が三角に張り出していておしゃれな作りだ

 

今は歩行者専用と云うことだが

 

実はこのおっさんはリアルにクルマであの橋を渡ったことがある

 

調べてみたら昭和47年に現在の新橋梁に変わったらしいので

 

間違いない

 

昭和44年だったと思う

 

叔父さんの運転するカローラスプリンターに乗って弁天島へ連れて行ってもらった

 

右手にみえる弁天島の鳥居もそのむこうの浜名大橋も

 

いまや浜名湖を代表する風景だが当時はまだなかったわけだ

 

 

その先中浜名橋の西詰で左折して

 

ゆるキャン△にも登場する渚園方面へガードをくぐり

 

名月橋、中之島大橋そして浜名湖大橋とつないで

 

浜名湖岸を北へ進んだ

 

 

かつての村串舘山寺道路の途中からはまゆう大橋へ向かう道路へ折れた

 

ここにかつてのダグラスの名機DC-3がなぜかいる

 

映画で「ダコタ」とされていたのでアメリカ陸軍の輸送機C-47スカイトレインか

 

C-47はイギリス空軍等で「ダコタ」の愛称があったと聞く

 

アイゼンハワーが第2次大戦の戦勝に大きく起因したものとして

 

ジープ、バズーカ(砲)そしてこの「C-47」を挙げた

 

なんとDC-3は現在でも現役で飛んでいる機体が150機ほどもあるそうだ

 

(ボーイング)707,747と並んで

 

DC-3は航空機史上の重要な機種とされている

 

雨ざらしの割には保存状態がいい

 

 

古いプロペラ機と古くさいオートバイはよく似合っている

 

この「シスターアン」と名付けられた機体は1944年製で

 

アメリカ陸軍から第2次大戦後空軍へと移り

 

ベトナム戦争へも行っている

 

そのあとベトナムからラオス、そしてタイの空軍へと渡り

 

1986年まで現役だったらしい

 

バリバリの「軍人」じゃん

 

かっこいい

 

 

この日、湖岸の風はそれなりに強かったけど

 

気温は結構上がっていて寒くはなかったね

 

概してのんびりと走ってこられた

 

振興したくて仕方ない二輪メーカーの思惑は成功しているのか

 

冬の月曜と云うのに集団走行のオートバイも多くておどろいた

 

これがいい季節の週末になるとどんなことになるのか

 

そうするってェと浜名湖はやっぱり冬に限るね

 

 

さっき本棚の手持ちのツーリングマップ見たらば

 

「九州」も「中国」も2008年版だったあせる

 

これでいいか

 

 

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