スズキのGSX-8T、GSX-8TT

 

とてもかっこいい

 

実際人気でよく売れていると聞く

 

でもこいつのキャッチコピー

 

「懐かしさをまとい、明日へ駆ける」がボクには理解できない

 

あのオートバイに懐かしさ(?)は感じないんですけど、なにか?

 

 

「ネオクラシック」というジャンルがなんとなくあるようだが

 

その定義がそもそも良く分からない

 

少なくともボクには分からない(分かりたくもない)

 

ある雑誌のGSX-8Tの記事にネオクラシックがこう定義されていた

 

「往年の名車を思わせる味わい深いルックスでありながら、中身は最新の電子制御や快適装備が満載……旧車のような気難しさは一切なく、いつでも安心して走りだせる」

 

なんとも薄っぺらい云い様だ

 

ボクはこのジャンルのオートバイは着せ替え、雰囲気、洗脳に尽きると思う

 

でもね、中身はいいオートバイが多いとも感じる

 

無理にCBだのZだのに寄せなくても

 

扱いやすい性能、日常域で味わえる楽しさを持つオートバイはいつの時代にもあったし

 

性能が先鋭化していた時期でもメーカーは基本性能の高いモデルを作っていた

 

過去の名車のイメージをこすってユーザーにすり寄らなくても

 

いいものはいい、と云える土壌はもう十分育まれているのだ

 

このGSX-8T,8TTは

 

スズキが1968年に出した「T500」

 

そしてそのレーサー仕様である「TR500タイタン」がイメージらしいが

 

特にそれにこだわっている訳でもなさそうで

 

スズキが常に追求してきた高性能なオートバイたちへのオマージュみたいだ

 

車名の「T」には「Titan」や「Timeless」という意味が込められる

 

Timeless、時代を越えた価値なのだろう

 

おそらくT500と云われてもたぶん誰も思い出せないしね

 

 

前からざっと見渡す

 

倒立フォークにラジアルマウントキャリパー

 

フロント120/70-17、リア180/55-17のラジアルタイヤ

 

LEDヘッドライト

 

バーエンドミラー

 

カラーTFT液晶ディスプレー

 

ダイヤモンドフレーム

 

水冷並列2気筒エンジン

 

車体とエンジンを統合した制御システム、トラクションコントロール

 

もちろん電制スロットル

 

双方向クイックシフト

 

リンク式モノショックアブソーバー

 

ショートテールカウルにロングフェンダー

 

短く切り詰められたエキゾーストシステム

 

ざっとこんな具合だ

 

のっぺりした水冷エンジンをブラックアウトし

 

その周囲に何のためらいもなくパイプやケーブルを配置するこだわりの無さ

 

まさにイマドキのオートバイでしかない

 

 

これのどこが「懐かしさ……」なんだろう

 

別に懐かしくなくてもとてもかっこいい魅力的なオートバイだ

 

むしろカワサキのZ900RSや先述のCB1000Fのような

 

Z2やCB750Fに無理矢理スリ寄る不細工さがなくて

 

とても好感が持てる

 

そもそもZ2が発売されたのはもう50年以上も前なんだ

 

CB750Fだって45年にはなる

 

当時20歳だった若者はすでに新規ユーザーとはなりえない高齢者だ

 

あの腰高で野太いスタイリングにノスタルジーなど感じない

 

CB750Fに乗っていたボクが云うんだから間違いない(だろう)

 

何処にもCB750Fの面影のかけらもない(ペイントを似せたってくらい)

 

Z900RSも同じだ

 

あれならゼファーの方がましだ

 

なぜにそこまでしてZやCBに群がるのだろう

 

野太いラジエターホースがエイリアンのようにむき出しで無遠慮に視界を横切る

 

あのCB1000FのディテールのどこにCB750Fを見るのだろう

 

 

GSX-8Tは人気だと聞くが

 

まだ1台とも路上で邂逅していない

 

SV650がカタログ落した今

 

この手合いのオートバイはもうこれしかなくなってしまった

 

ヤマハのXSRやMTもいいなと思うが

 

デザインがちょっと過剰に行き過ぎてしまっている嫌いがある

 

海外でリリースが始まったSV-7GXのエンジンを使って

 

もう一度ロードスポーツを作ってくれることを期待しているが

 

実際それはかなり望み薄なんじゃないかな

(そもそもV型700ccが選択肢に入るのだろうか、価格も高い)

 

とくにこのGSX-8Tが好調であれば

 

わざわざ社内でバッティングするモデルを今から出すとは思えない

 

もうボクが新たにオートバイを買うことはないのだろうが

 

SV650の中古かSV-7GXなら欲しいなとは感じる

 

 

別にネオクラなんて云わなくても良くないかい

 

冒頭でネオクラに関して「旧車の気難しさはなく、安心して……」

 

みたいな云い方を紹介したが、本当に気に入らない

 

クルマの話だけど、BMWがミニの名前を買ったとき出したクルマに対して

 

「あんなのミニじゃない」といった声をよく聞いた

 

オースチンやローバーのミニに好ましさを感じていたボクも

 

やっぱりそう思った

 

当時のボクだってすでに頭が固くなったジジイだった訳ではなく

 

まだピチピチの30代だった

 

でも、潰れそうなローバーを傘下において

 

ほどなくそれを清算してしまったBMWが開発したミニは

 

CセグメントのFFプレミアムコンパクトだったのだ

 

ミニじゃない、でしょ?

 

まあ実際はボクを含めた一部ファンの反感には何ら影響も受けず

 

BMWミニは現在まで好調に販売を推移させているようだ

(BEVとの相性がよくミニの電動車は売れている)

 

もちろん、だから買うな、とかどうかしていると云っている訳ではない

 

ミニじゃない、はあくまでボクの感想、観念だ

 

その意を介せずに進んでいく世間との乖離をボクは卑下しているに過ぎない

 

卑下しつつ、その言い訳をつらつら恨みがましく書き綴っているのだ

 

反感を持つ人には反感を

 

何も考えていないのなら何かの参考程度に

 

図らずも同感だといっていただけるなら、ひそかに乾杯だ

 

そうだね、できれば乾杯がボクの希望だけど

 

 

ネオクラシックと謳ったりしなくても

 

CB1000FもGSX-8Tも

 

とても魅力的な現代のオートバイだと本当に思う

 

ただ「旧車」と同一線上に見るのはぜひ止めて欲しい

 

「扱いづらいものを安心に」などという考え方は「変」だ

 

今のオートバイが最新の技術で開発されているのとまったく同じように

 

70年代も80年代もオートバイはそうやって作られてきたのだ

 

あえて旧車に乗るということは

 

その時代のパフォーマンスを楽しむということだとボクは思う

 

80年代にCB750Fはとても優秀なオートバイだった

 

エンジンの回転フィーリングは極上だし

 

トランスミッションのタッチはうっとりするようなものだった

 

扱いづらいなどという評価はどこにも見当たらない

 

CB750Fにそう感じるのは今の技術からのまさに上から目線

 

CB1000Fに現代の人が感じる魅力と

 

「魅力」という次元では質的にも量的にも全く遜色などない

 

だからボクはこう考える

 

いまCB750Fに乗るということはその魅力を楽しむことではないのか

 

こういう感じ方もあるかもしれない

 

CB750Fの乗り味からCB1000Fの乗り味を見たとき

 

それぞれが心に訴えかけるものが異なっていて

 

CB750Fの乗り味になぜか軍配が上がってしまうのだ

 

アーもうちょっとわがままな云い方をさせてもらおう

 

あり得ないと云うかもしれないけど

 

CB1000Fの良さにはどこか物足らなさを感じるのだ

 

この前の記事にも書いた通り

 

手間をかけたり工夫をしたりすること

 

その方が人間の道具としてふさわしいとボクは感じる

 

キャブレターのエンジンを真冬の早朝に始動する時

 

チョークをいっぱいにひいてセルを回す

 

少しスロットルで加勢したりしてしばらく暖気した後

 

チョークを半分くらい戻してゆっくり走りだすのだ

 

それでも信号で止まるとまだエンジンはストールしそうになる

 

こういった「儀式」は通勤や買い物では面倒でしかないが

 

趣味のオートバイなら何ら苦にならない

 

エンジンをかけるだけでもコツがいるのだ

 

これは趣味性以外の何物でもない

 

けれどこれくらいのことならすぐにコツはつかめるし「慣れる」

 

 

もちろんこんなやり方はいまでは通用しない

 

電子制御の方が楽だとか便利だということ以上に

 

現代では環境問題への対応が必要なのだ

 

チョークで暖気しているうちはもちろん

 

エンジンに熱が回って回転が落ち着くまで汚いガスを吐き続ける

 

オートバイの電子化がつまらないと云っている訳ではない

 

これは時代が変わればどうしても必要になる変化なのだろうし

 

むしろそういう意味ではこれは現代においての最重要課題でもある

 

ではあるが、嗜好品となったオートバイを前にして

 

キャブレターエンジンが扱いづらいエンジンだと云うのはおかしい

 

キャブレター時代のSR400をあえて求める人もいるし

 

2ストの加速をこの上もなく愛する人もいる

 

 

印象操作までして雰囲気を寄せなくてもみんないいオートバイだ

 

スズキのGSX-8T,8TTがネオクラシックという括りに入れなくても

 

とても好ましいモデルであることは間違いない

 

むしろZだのCBだのと云ったルーツを持たないことが逆に良い

 

だいたいメーカーというのは自社製品の販売にしか興味がないものだ

 

現代の企業のブランディングは巧みで

 

消費者の思考を停止させるくらい屁でもないのだ

 

2輪市場の活性化とか2輪文化の浸透とかもっともらしく云うが

 

それは企業としてあくまで利益が取れる形へとリードする手段でしかない

 

そしてそこにぶら下がって飯を食うマスコミやユーチューバーも

 

何の躊躇もなくそこに加勢にする

 

メーカーが企てる商品戦略の基本は

 

「楽、得、特別」の3つだ

 

e-クラッチ、ドライブレコーダー&ETC付き、限定カラー

 

スペンサーカラーとかメグロとか刀とかアドベンチャーとか

 

ストロボラインとかGPとかスクランブラーとか

 

まあ、いろいろだ

 

こういった「情報」みたいな顔をしたプロモーションは参考程度にして

 

オートバイが好きなら感覚を研ぎ澄ましてもっと自分の「声」を信じよう

 

「美人は三日で飽きる」というクソみたいな格言があるよね

 

それを逆手に取った「ブスは三日で慣れる」というこれまた下品な格言もある

 

個性を重視する現代社会ではもちろん死語だ

 

でもこれはもちろん外見よりも中身の方が大切だという意味なのだ

 

「健全な精神は健全な肉体に宿る」という有名な言葉があるが

 

あれ実は「健全なる精神の健全なる身体にあらんことを祈らるるべし」が元になっている

 

後にロックが「健全な身体に健全な心」と引用したことでそこだけがクローズアップされ

 

戦時下にスローガンとなってそれは確固たる地位を得てしまった

 

つまり元はと云えば、健全な身体に健全な精神があったらいいな、という願望に過ぎない

 

逆に、そういうことって少ないよね、ということでもある

 

美しい容姿に美しい心がありますように、みたいな感じね

 

まあ願わくばならそうなのかもしれないけど

 

実際、今までの経験から反省してみても

 

容姿よりも美しい心の方が何より大事だと断言できる気はする

 

だから、オートバイだってデザインやスペックよりも

 

こころに伝わる「善さ」をもっとよく見つめたほうがいいと思う

 

デザインがいいから…旧車を乗り回す自分が差別化されるから…

 

そんな考えで乗ってみたら「なんじゃコレ?」だった訳でしょ

 

カッコ悪すぎる

 

クラッチが重いとか云ってないで

 

動画でも見ながらハンドグリップをニギニギする奴の方がボクは何倍も好きだ

 

サッチモは唄う「Nobody knows trouble I’v seen」

 

もちろん「but Jesus」なのだ

 

 

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頬に伝わる風はすでに涼やかで

 

見上げれば高いところに秋の雲

 

でたらめに飛び回るトンボたちにひやひやしながらオートバイを走らせる

 

気付けば田んぼはすっかり稲刈りされていて

 

残暑だ何だと云い張っても

 

秋は確実に近づいている

 

 

「9月」という言葉になんとなく

 

抒情的な響きを感じるのはボクだけか

 

あまり気付いていないだろうけど

 

今年のツバメたちの旅立ちは早かった

 

お盆の逆走台風が通り過ぎた途端に

 

電線にずらりと並んで別れのあいさつに来た

 

いや、それはボクが勝手にそう思うだけで

 

ほんとうは帰り支度を終えて彼等は電線の上で風を待っているのだ

 

「たくさん食べておくんだよ、くれぐれも道中気を付けて」

 

「春になったらきっとまた会おう」

 

近頃はツバメたちの心配と同じくらい

 

老いたわが身の方が心配なのだ

 

「あんたも達者で春を迎えなよ」とツバメたちは返す

 

その年のツバメたちが帰っていくと

 

そんな思いはなお一層深まるのだ

 

その一方で今年はサクラの落葉が遅い

 

こういう年は秋の訪れが不順なことが多いと感じる

 

不意に冷え込んだり

 

かと思えばまた日差しが強くなったり

 

 

先月、豪雨の直前に越前方面と有峰林道へ行ったが

 

2日間の走行距離はおよそ800kmだった

 

SR400の遠乗りでの乗り心地だが

 

移動という面に特化して云えば

 

まあ悪くはない、というレベルなんじゃないか

 

エンジンの振動をどう考えるかによるが

 

ポジションはゆったりとしているし

 

シートも適度な硬さ、いや適度な柔らかさ

 

まあその中間くらいの感じ

 

雨の心配があったのでごついライディングブーツ(タイチのやつ)を履いていったが

 

普段履くブーツ(ワイルドウィング)と微妙な下半身の位置関係に変化があるようで

 

こいつだと足首と足の付け根に少し疲れが出る

 

それも1日くらいなら出ないが2日3日となるとじんわり来る

 

これについてはボク個人の身体的な問題なのだろうからSRの問題ではない

 

だからSR400のロングツーリング性能はどうかと云えば

 

やっぱり「ふつう」ってとこか

 

得意か不得意かならば、得意

 

向いているか向いていないかと云えば、向いている寄り

 

すごく得意というほどでもなければ全く不得意ではないし

 

ツアラー的オートバイな訳はないけど旅には向いている

 

結局いつも云うけど

 

SR400はオートバイのコンサバなのだ

 

 

今年の春にわがSR400にパフォーマンスダンパーを奢ったが

 

こいつが本当にいい働きをしてくれる

 

車体の振動はフレームにダンピングする機能がないので

 

一度始まるとなかなか収束しないが

 

文字通りパフォーマンスダンパー(=PD)はそれを収束させる働きをする

 

サブフレームなどで補強し振動やシナり捻じれを止める方が一般的だけど

 

剛性を単純に高めると他の部分(スイングアームとか)とのバランス関係が崩れ

 

そのネガを潰すイタチごっこに陥る

 

そもそもメーカーが気が遠くなるような試行錯誤で着地させたバランス点に

 

一カ所でも手を入れればそれは少なからず崩れるのだ

 

振動したり揺れたりを補強によって潰すのはかなり難しいと感じる

 

PDはそういった動きを制御することで

 

本来のバランスと性能を発揮させようという逆の発想から作られたパーツだ

 

付けてすぐにその変化は体感できたが

 

夏ごろからさらに印象が変わってきたことに気付いた

 

高速走行、というか高回転走行での振動はもう全く気にならない

 

「無い」訳ではなくて、気にならない、すなわち許せる程度

 

気持ちいいくらい

 

それと「お行儀」がものすごくよくなった

 

というか、直進時の安定性はもちろんだが

 

旋回中も車体の安定性が明らかに向上していて

 

それは曲がりにくいと云った頑固さではなくて

 

まさに「お行儀」が良いのだ

 

ここで曲がる、という意志とのズレが小さくなったように感じる

 

あと、細いバイアスタイヤは路面の縦溝に弱いんだけど

 

コーナリング中に縦溝にラインを取られても無駄な挙動が少なくなっている

 

おそらくパフォーマンスダンパーの「慣らし」が進んだのだろう

 

周波数が高い非常に細かな振動の制御なのだ

 

サスと同じようにバネとオイルそしてガスで構成されるPDも

 

慣らしは進むんではないか、多分

 

つまりそろそろ本来の性能を発揮しつつあると云うことか

 

初見の印象もすこぶるよかったが

 

かなり優秀な後付けパーツだと思う

 

コストパフォーマンスも高い

 

サスをいじるならこれ付けてからの方が多分いい

 

 

前にもそう書いたと思うけど

 

SR400にこういった(質的な)変化を望むことに

 

少しばかりの躊躇いがやはりある

 

バランサーを持たない単気筒エンジンの振動は

 

こいつの紛れもない「個性」なのだ

 

一般道レベルではそうでもないけど

 

高速道路レベルになると様相は変わる

 

最初にそれを体感した時

 

正直に告白すると「お、おーーーーー」って感じだった

 

なに?わからない?

 

だよね

 

つまり想像の上を行く種類の振動とその強烈さだったのだ

 

「たしかに延々と高速を走るには忍耐がいるな」と感じた

 

しかし、だからといってこれが理由でパフォーマンスダンパーを考えたわけじゃない

 

これは明確に否定する

 

なぜなら強烈で硬質な振動に驚きながらも

 

実際には少し笑ってしまっていたからだ

 

それは「おーーーいいねーーー」って思っていた証拠だ

 

 

このパフォーマンスダンパーの効果については

 

わからない、とか、変わらない、とか

 

懐疑的な見方もされるようだが

 

未装着のSRで様々なシチュエーションを長い時間、距離を経験した人なら

 

おそらくほとんどの人が乗った瞬間に効果を感じるはずだ

 

そんな小難しい話でなく単純に振動の質が変わる

 

ただし質と云っても分かりづらいかもしれない

 

なぜならSR400の振動は、真に個性的なのだ

 

ダンパーで車体の振動をダンピングしたところで

 

それが失われるようなものじゃない

 

振動自体は「ある」

 

その振動の質を変えながらも

 

SR400の個性まで変えることはないという意味だ

 

だからパフォーマンスダンパーの装着は「有」だ

 

快適はいらないとか云ったけど

 

なんだ結局快適がいいんじゃん、と云うかもしれない

 

でも、乗ればわかるけど快適とまではいかない

 

何度も云うがSRはSRのまま

 

車体の落ち着き、操安のクオリティが少し上がる

 

もちろんレーシーではない

 

あくまで公道レベルでのスポーツ性

 

入力と反応がもっと明瞭になる

 

 

そもそも今のボクの心持としては

 

快適すぎたり便利すぎたり、こういった類のものはいらなくて

 

オートバイで遠乗りをしてまったく疲れない

 

というのはボク的には違うのだ

 

遠乗りしたなりに身体の芯にじんわりと感じる時間的空間的な何かが欲しい

 

不便だというより自分で何とかなることならそれはそれの方がいいし

 

手間暇をかけることがオートバイと接するときにあって欲しい要素でもある

 

エンジンの始動がキックだけ、とかいうけど

 

80年代の2ストレプリカはキックだけだった

 

それにECUが制御するインジェクションで始動に困ることはない

 

実際には始動がしにくいシチュエーションは、まあある

 

真夏に2時間くらい走り続けて給油のためにエンジンを切ると

 

確かにその直後の始動はしにくい

 

スイッチを入れずにデコンプレバーを握り

 

スロットルを全開にして素早くキックを4,5回する

 

そうやってシリンダーへ空気を送れば

 

インテークとシリンダーを冷却し掛かりやすくなるし

 

かぶっているなら生ガスを抜きプラグを乾かすことにもなる

 

購入したその日に良く分からずにスタンドで鬼キックしたけど

 

帰って取説読んでからは掛からなくて困ったという経験はない

 

つまり「慣れる」

 

これは人間らしい道具との接し方

 

SR400にはそういった類の楽しみもあるのだ

 

 

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オートバイで走るひとなら

 

いつかは走ってみたいと思いを馳せながらも

 

なぜだかずっとそれが叶わぬままの場所がいくつかあるのではないだろうか

 

季節や天候だけでなく

 

この歳になれば体調に左右されることもあるかもしれない

 

いや、そんなちゃんとした理由でもないか

 

なんとなく行けないままの場所

 

まだそんな場所、そんな道がボクにもあるのだ

 

 

お盆の直前に列島の東側から横断していったあまのじゃく台風

 

そいつがまだらに残していった暖気と

 

同時に呼び込んだ寒気とが混じり合い

 

そこら中で大気が不安定な日々がお盆の間中続いた

 

こいつの厄介なのは雨が局所的で突発的なところだ

 

しかも、カミナリ

 

あれってオートバイに落ちないのかな?

 

落ちるよね

 

にわか雨に逢うくらいなんでもないけど

 

カミナリはイヤだな

 

けれどそんな心配な状況もお盆が開けてみれば少し落ち着きをみせた

 

再び日常が始まった月曜の今朝はすっきりと雲も切れていた

 

それを見た隠居のおっさんはいそいそと夏のツーリングへ出かけることにしたのだ

 

そうそう今回のツーリングは

 

今まで行きたくてもなかなか叶わなかった場所なのだよ

 

 

梅雨明けの2週間くらいは猛暑が続いたけど

 

今年は案外「異常」な暑さは少ない

 

それでも剥き出しのオートバイは常に真夏の直射日光にさらされて暑いのよ

 

走っていれば風を受けて汗も乾くが

 

工事の車線規制なんかで止められると

 

すぐに汗が流れる

 

水筒に冷たい水を詰めて持ってきたので

 

そいつを止まるたびにゴクリと一口ずつ流し込む

 

でも実はそれが何とも気持ちがいいとも感じている

 

暑い夏

 

焼ける肌に流れる汗

 

夏のツーリングはこうでなくっちゃねー

 

 

ぐるっとつながった東海環状道をたどって

 

岐阜の本巣で高速を降りた

 

谷汲へまわる県道40号は好きな道だ

 

そう何度も来てるわけじゃないけど印象が強い

 

景色とかじゃなくて純粋にワインディングがいい

 

このあと山へ入るのでその肩慣らしにもなった

 

トンネルをくぐり国道303号に合流して揖斐川沿いに進み

 

藤橋の道の駅の先で国道417号に分岐するころには

 

民家もすっかり途切れて周囲は深い谷になった

 

横山ダムに堰き止められた奥いび湖がしばらく続くが

 

気付けばそれもいつの間にか谷底の渓流へと変わり

 

ひたすらずんずん高度を上げる国道を進むと

 

ほどなく視界に巨大なロックフィルダムが飛び込んでくるのだ

 

 

徳山ダムだ

 

少し離れたお隣さんの御母衣ダムは渇水が報道されているけど

 

ここはしっかり(ほぼ)満水

 

しかも総貯水量が日本一の規模6億6000万㎥

 

いつも思うけど訳が分からんほどのすごい水量を湛えている

 

 

今日のメインはこの先の「冠山トンネル」だ

 

早いものでもうトンネルが開通して3年になる

 

以前は冠山林道が代替路として峠を越えていて訳だが

 

ここは走りたいと思いながらなかなか叶わないルートのひとつ

 

なぜかずっと来られなかった場所だったのだ

 

でもウカウカしている間に立派なトンネルが出来てしまってびっくりだ

 

まあ別にそれはそれでよい

 

徳山湖の北端までたどり着くとここからが冠山峠道路だ

 

まずは塚宮ケ原トンネルを抜ける

 

そして抜けた先の狭い谷には大規模に改良が加えられ

 

場違いな印象さえ受ける高規格な道路がさらに続く

 

前方上空に一瞬、冠山の特徴的な頂を望む

 

その真下を全長4834mの冠山トンネルが真っ直ぐ貫いている

 

見せつける日本の土木技術(金もすごくかかるんだろうけど)

 

 

予想外だったのは案外すれ違うクルマが多いこと

 

岐阜と福井をショートカットできるこのルートは貴重なのだろう

 

しかも林道しかなかった頃は年の半分くらいが通行不能だったが

 

このトンネルは通年通行可能なのだ

 

福井側の道路の幅員も線形も申し分ない

 

高速使うより断然このルートの方が楽しい

 

秋はきっとすごい紅葉だろうな

 

そう云えば気のせいかもしれないけど

 

この辺りのトンネルはどれも「ヒノキのようないい香り」が充満していた

 

材木を積んだトラックが結構走ってたからかな

 

いや、ホントのところは分からないけど

 

とにかくいい匂いのするトンネルってなかなかないよ

 

 

越前へ降りた

 

福井は良く晴れて風もなくとても暑かった

 

県道を使って峠を越えそのまま越前海岸へ一気に突き抜けた

 

前に越前海岸までオートバイで来たのはいつのことだっただろう

 

30年くらいは経っているかもしれない

 

さらっと云ってるけど歳をとるとこういうことが案外増える

 

もちろんそこにはあれやこれやが詰まっているはずなんだけど

 

「30年」という言葉を口にするとき

 

それは時の経過という事実だけが胸に刺さる

 

 

その時はまだ途中にあった「呼鳥門」という日本で唯一の天然トンネルも

 

いまでは呼鳥門トンネルに付け替えられていた

 

 

それにしてもやっぱり日本海はいい

 

山陰も若狭もここ越前もそして東北、北海道まで

 

ずーっと日本海の景色はどこもいいね

 

狭い海沿いの土地にはびっしりと家々が立ち並び

 

その狭間を昔ながらの有機的な線形の国道が続く

 

こんなところにSR400は実によく似合う

 

バタバタバタッと鼓動を響かせながら

 

ゆっくりと進んでいく

 

途中でオートバイを停めて

 

海を眺めたり汐風に吹かれたり……

 

よく見ると海の向こうには水平線でなく山影がうっすら見えた

 

丹後半島だろう、ということはこれは若狭湾か

 

日本海ではないのね……

 

 

そのあと加賀を抜け金沢を抜け少し山側の国道で峠を越えて

 

砺波平野に下りて宿をとった

 

(ホテルパークイン砺波インター店はオートバイを中に入れてくれますよ)

 

翌日も良く晴れた

 

ラッシュを避けようと7時くらいには宿を出たが

 

しっかり通勤のクルマにはまった

 

富山市街の南を横切っていく富山中部広域農道

 

ここは逆に都心部を避ける通勤者たちのメイン路だったみたいだ

 

途中には庄川、神通川、常願寺川と大きな川を越えなくてはいけないし

(当然橋がボトルネックになる)

富山市街へと向かう南北に走る幹線道路も多くクロスしている

 

朝夕に渋滞しない訳ないか、って道だった

 

まあそれでも走っていればいつかは着くものだ

 

街並みがさみしくなって渋滞も解ける頃ボクも広域農道を逸れて

 

立山へ続く県道6号富山立山公園線へ入った

 

砺波平野と云えば……

 

散居村と立山連峰だよね

 

 

少し雲がかかってモヤっているけどその日はずらーっと峰々の全体が見られた

 

主峰の立山はもちろん雄大な山容でとても美しいのだが

 

やはりゴツゴツの峰を突き上げる剣岳がひときわ目を引く

 

いやー初めてかもしれない立山の眺め

 

山はやはり遠くから眺めるに限る

 

 

有峰口で立山ルートから離れ

 

さっき苦労して(渋滞して)渡った常願寺川をもう一度渡った

 

今日のメインはこの先の有峰林道なのだ

 

ここも来たくてもなかなか来られなかった「念願」の場所

 

入口でお金を払って走り出すといきなりトンネル

 

トンネルはそのあともいくつも続いて

 

林道は連続勾配でどんどん高度を上げていくのだ

 

さすがに寒い

 

スマートウォッチを見ると高度が900mを越えていた

 

途中の「新ニンニクトンネル」はその名前も信じられないけど

 

中の暗さも信じられない暗さだった

 

単に照明がないだけでなく

 

トンネルが大きくカーブしているので先も後ろも見えなくてもう真っ暗

 

ここでエンジン止まったら多分トラウマになる

 

有峰林道の道自体は概してすごくいい

 

ただ落石が多い

 

見落とした小石にフロントを2回くらい弾かれて焦った

 

 

ほどなく有峰ダムに出た

 

標高が1000m

 

1959年に竣工し同年に貯水開始、同時に発電も始めている

 

確かにダム堤のコンクリートには相当年季が入っている

 

 

有峰林道はこのダムから先、西岸線、南岸線とへ続く

 

西岸線と南岸線はダムまでの小見線と比べると一枚落だが

 

湖岸の複雑な地形に沿ってくねくねと深い森の中を進むルートで

 

こっちの方がむしろ林道的な良さがある

 

森の木々にはほとんど手が入っておらず野生を感じる迫力だ

 

でもね

 

入口の連絡所でクマ情報を尋ねてみたら

 

ダムから先は……、と口を濁されたので

 

正直ややビビっている

 

実を云うとクマを恐れてほとんど道中止まれなかった

 

甲高い音が出るホイッスルを吹きながら

 

そしてホーンをその合いの手に挟みながら

 

ピーッ!ピーッ!プップー!と騒々しく進んだのだ

 

 

途中40~50匹のサルの集団が

 

林道の両側と云わずその上にまで広がってくつろぐ場面に遭遇

 

なるべく驚かさないようにそーっと通過するのだが

 

何匹ものサルにあからさまに迷惑そうな視線を返された

 

だろうよ、ヒトが来る場所じゃないもんなー

 

サルもシカもそしてクマもそれは自然なのだ

 

人間だけがその自然を恐れる

 

どんなに制覇して手名付けても自然はあっさりとそれを裏切る

 

なんでも予想し制御できると思うのは人の持つ悪い癖の代表だ

 

 

有峰湖の南の果てで東谷線に入ると道はまた良くなった

 

ここからさらに高度を上げてひと山超えるのだ

 

峠の飛越トンネルあたりで標高1500mを越える

 

この先山村の集落をつないで上宝まで下りていくが

 

本当にここは快走路だった

 

このルートは「天の夕顔の道」と名付けられているようなのだが

 

聞きなれない言葉なので後で調べてみたら

 

新感覚派の作家中河与一の小説「天の夕顔」の主人公で

 

そのモデルとなった不二樹浩三郎という人が移り住んだのが

 

この先の山之村だったらしい

 

それにちなんだ命名だろう

 

山之村には中河与一の資料室があるが

 

中河と不二樹との間には印税に関して

 

不和があったというから少し後味が悪い話だ

 

それにしてもこの日は砺波から走り出して

 

立山連峰の山々を眺めながら散居村の平野を横切り

 

立山へ続く道から有峰林道へと進み

 

有峰湖の湖岸とその前後の深い森の中を走り抜けた

 

天の夕顔の道、そして上宝から飛騨国府へ抜ける県道と

 

存分に充実した走りを楽しめた

 

 

気が付けば昭和、平成、令和と流され生きてきたが

 

ボクの印象として一番心地よいのは80年代や90年代だったように感じる

 

そうさボクはまさに20世紀少年なのだ

 

今の人から見れば理不尽で効率の悪い時代に見えるかもしれないが

 

口ではうるさく云いながらも本当はこころに人間味が溢れていた

 

ぶっきらぼうなのにお節介で

 

言い訳するくらいなら瘦せ我慢を押し通す

 

そんなフーテンがまだ生きていた寅さんの世界だ

 

同時代を走り抜けてきたこのSR400はその時代をよく知っている

 

そしてボクに無言のままそれを思い出させてくれるのだ

 

高速やバイパスでなく、国道や県道

 

道の駅やファストフードでなく、ドライブインや食堂

 

まだまだ地方に行くと古いままの風情の日本がたくさん残っている

 

いつかは行きたい場所もいいだろう

 

けれどボクがいま行きたい場所、それは人間味の残る時代そのものなのだろう

 

細部まで管理し効率を追求すれば幸せになれると信じて進んできたけど

 

でも、そこに待っていたのは単なるモノの世界だった

 

カネでは買えないモノがある

 

多くの人はそう理解しながらその欲望から離れられないのだ

 

人間の幸福とは何か

 

猛スピードで追い越していくクルマたちを見送りながらSRと走る時

 

そいつが少し見えるような気がするのだ

 

人間なら自然にもっと人間らしく生きなよ

 

SRはやさしくそうボクに諭す

 

それは望んでいたことだし

 

そうでありたいと願っていたことでもあるのだ

 

気付くのが遅すぎるな、自分

 

まあいいさ

 

 

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ボクたち人間には道具を使うという特徴がある

 

他の生き物の中にもごくわずかにそれは確認されるが

 

ともあれ人間固有の能力と云ってもいいものだろう

 

云うまでもなく人が持つ高機能な脳と

 

複雑な動きが可能な手指がそれを可能にしている

 

箸や包丁など身近なものから

 

クレーンやロケットなど大きく精巧なものまで

 

ボクたちは実に様々な道具に囲まれて暮らしている

 

ボクが大好きなオートバイももちろんそのひとつ

 

箸に比べたらとても複雑で精密で凝った作りをしている

 

しているが、箸より便利かと云われるとこれがかなり微妙だ

 

道具は大抵どれもその目的に合った機能を持っているが

 

実は案外単機能だったりする

 

よく云えば特化していると云うことか

 

 

身近なので、箸を考えてみる

 

人間の暮らしの中に登場した時期については諸説あるようで

 

調理に火を使うようになった頃にはすでに

 

箸のようなものが使われていたという説もあるが

 

現代においてコメの文化圏に箸が一般に広まっていることを考えると

 

3000年くらい前の中国を起源とする説に蓋然性を感じる

 

けれどその箸を使って食事をする地域は世界全体の中では3割ほどだ

 

あとはナイフ、フォークなどカトラリーを使う地域が同じく3割ほど

 

そして残る4割はと云うと、手や指を主に使って食事をするのだ

 

現在カトラリーを使用する地域でも

 

ナイフとフォークをセットで使用するようになったのは

 

19世紀になってからというから

 

世界的に見れば食事は手や指でするものだったということか

 

日本人の感覚からするとちょっと驚くような実態だね

 

 

その箸

 

究極の単純さ

 

言葉は悪いが、棒っ切れが2本だ

 

さっきコンビニで買ったカップヌードルを山の中で食べようとしたら

 

箸もカトラリーもないことに気付いて

 

ああ!あのクソ店員がー!と下品なことを口走りながら

 

その辺に木の枝が落ちてないか探した経験、あるよね?

 

実はそれボクはよくやるんだけど

 

つまり棒っ切れがあれば事足りるような構造が箸

 

さっきも触れたけど中国から米の文化圏へ広がっていった

 

長い時間をかけて広い範囲に広まって行けば

 

一般には独自の変化を見せたりするものだけど

 

変化するにも箸には棒っ切れ2本という単純な基本構造しかなかったので

 

長さや素材に少し違いがみられるくらいで

 

パッと見で「箸」だとわかる範囲内の変化しか起きなかった

 

むしろ変わったのは箸を扱う習慣や作法の面の方が多くて

 

早い話「お国柄」が出たということなのかもしれない

 

例えば日本、島国でクセが強い民族だ

 

日本では箸は自分専用だ

 

茶碗や湯呑みも専用だけどこれは日本だけに出来た風習だという

 

また、箸というと日本ではマナーや作法にうるさいが

 

正しい箸の持ち方にこだわる国は他にはほとんどない

 

箸なんてご飯が食べられればどう使っても良いのだろう

 

箸の作法にまつわる言葉も日本語には多くあり今でも結構耳にする

 

差し箸、迷い箸、ほじり箸

 

寄せ箸、揃え箸、ねぶり箸

 

日本人なら何となくわかるニュアンスの言葉だ

 

でも一般論だけど

 

箸だけでなく道具はやっぱりうまく使えるほうが良い

 

それにどうせ使い方に慣れるのなら良いやり方で慣れるべきだ

 

その方が賢そうに見える

 

賢そう?どうでもいい?

 

いやいや、みんな大好きだよ

 

「スマート」いまやなんでもスマートじゃん

 

賢いっていう意味でもあるでしょ

 

なんて書いてるけどボク自身の箸の持ち方はヘンテコリンだ(なら云うな)

 

中指と薬指に箸が1本ずつ乗っかっていて人差し指はフリー

 

実は鉛筆も持ち方がおかしくて

 

書道の筆のように持っている(中指の腹で支えている)

 

だからこれも人差し指フリー

 

人差し指使いたくなかったのか……

 

でも箸の方は幼稚園の頃に父に厳しく躾けられた記憶があるのに

 

いわゆる間違った持ち方だなんてね、結構笑える

 

ともあれ道具を上手く使うということは

 

特にテクノロジーが身近となった現代人には必須の能力

 

最近よく云われるAIもそうだろう

 

道具としての機能を上げるのではなくてその使い方を工夫する

 

ただ「使う」ではなく「良く(善く)使う」

 

これは人の生き方にも通じる哲学だ

 

 

先に書いたようにオートバイも人の道具だ

 

箸とは比べ物にならないような複雑さ、精密さがある

 

アフリカ、インド、東南アジアなどではいまだに移動の手段だ

 

オートバイより高次元で移動運搬が可能なクルマがどんなに普及しても

 

オートバイの手ごろで気安いという特徴はまだまだ魅力がある

 

ではあるが道具としてのオートバイにできることはやはりあまりない

 

人を乗せて移動できるがそれだってせいぜい二人か三人だし

 

荷物の運搬も運べる物や量はかなり限られる

 

むしろ二輪車であるということの欠点の方が多い

 

雨が降ればずぶぬれになり

 

炎天下ではひどく暑い

 

バランスを崩すと転倒するし

 

しかも下手をすると死ぬというおまけまでついている

 

そもそも元々あった自転車に動力を付けたものとして生まれたオートバイ

 

基本はどこまで行っても自転車なのだ

 

クルマだって馬車から馬を無くした、といえばそれまでだけど

 

自転車ベースのオートバイの道具としてのレベルは残念ながら低い

 

箸の方がまだましなのかもしれない

 

なぜなら箸で人が死ぬことはほとんどないでしょ

 

人が死ぬような道具ならそれ相応のメリットがなければいけない

 

飛行機は落ちたらほぼ死ぬ危険な乗り物だけど

 

アメリカまで半日くらいで行けるというすごい魅力がある(実際には時差があるが)

 

スマートホンは購入にも維持にも相当にお金がかかるけれど

 

手のひらにエンターテインメントを持ち歩けるというメリットは大きいだろう

 

 

一方、最近のクルマは本来比較の中心となるべき動力性能よりも

 

安全と環境性能を高めることで

 

クルマで移動するということで生じるデメリットをできるだけ抑え

 

その社会的価値を高めることに開発の中心は移っている

 

クルマを使うことは地球環境を基本的には悪化させるが

 

内燃機と電動機を併用することで環境負荷を減らし

 

将来的には電動機を主流とすることで克服しようとしている

 

交通事故という社会問題へも積極的な取り組みを続け

 

事故に際しての乗員保護はもう当然だが

 

乗員ばかりでなく対人の事故での被害軽減をも考慮されている

 

また最終的には自動運転を視野に入れたアクティブセーフティの部分では

 

カメラやセンサーを使用した自動ブレーキや車線の逸脱防止装置など

 

すでに多くのクルマで装備されている

 

 

しかし問題もある

 

世界的なインフレ傾向や戦争による経済の停滞もあるが

 

クルマは年を追うごとに高機能となり結果的にどんどん高価になっている

 

道具の条件としてさっき書いた「費用」とそこから得られる「効果」が

 

アンバランスになってきている印象がある

 

高級車と云われるクルマがそうなることには何の問題もない

 

そもそも「高級車」というニーズだということなのだから

 

高級な、とかプレミアムな、ラグジュアリーな

 

といった付加価値をクルマに求める層に需要があるだろう

 

けれど軽自動車でそういった、装備を競い合う風潮は

 

なんとも馬鹿っぽい、とボクは思う

 

居室空間の広さ優先のあんなペラペラなボディ

 

クルマの走る曲がる止まる、という基本性能もそこそこに

 

人と荷物を乗せて走ればいい、のクルマなのに

 

200万円を優に超えるプライスタグを平気で付ける

 

メーカーに云わせるとニーズがあるんだそうな

 

500万円の普通車は買えないけど

 

200万円で同じような装備の豪華さを楽しみたいということか

 

だいたい日本人のすごいところでもあるけど

 

実はこれが悪いクセでもある

 

チープなものを重箱をつつくようにこねくり回し

 

あれやこれやと盛っていくことが大得意だ

 

そして人間という生き物はそんな精密な豪華さが大好きなのだろう

 

装備が付いているかいないかだけで精神的優位が保てる阿房が多い証拠だ

 

チープなものをそのまま作っていた海外のメーカーは淘汰され

 

やたら高価で精密で高機能なものを作る日本メーカーにやがて独占されてしまう

 

(いまはそうでもない、海外メーカーの方が最初から精密で高機能。でもそれって実はかつての日本メーカーの製品を研究してきたからだとも云われる、つまり日本は負けたのだろう)

 

自転車にエンジンを付けてみたオートバイ

 

そんなチープな道具だ

 

ヨーロッパでちまちまとやっていたオートバイのレースに

 

日本の企業が乗り込んできて

 

125ccエンジンで5気筒20バルブ、8速トランスミッション

 

なんていうエンジンをぶっこんでくる

 

それはそれでもちろん確かにすごい技術力だとは思う

 

それにこれはエンジン本体やトランスミッション

 

もちろんそれを支えるフレーム、タイヤなどの純粋な技術競争だ

 

そこに競争の比重があるうちは十分意味がある

 

でもエンジンをやりつくし

 

コンピューターを持ち込んだ今

 

オートバイの進化はいったい何の進化なのかが分からなくなった

 

 

クルマを移動や運搬の道具とするようになった先進国では

 

オートバイを日常の足として使う人が減った

 

家族を含めたパーソナルな移動の道具としてはクルマが断然優位なのだ

 

経済的な余裕が生まれれば必然的にクルマへシフトする

 

その代わりに二輪車を道具としてではなく

 

純粋に走らせることに楽しさを感じる人が出てきた

 

そしてオートバイは新たに趣味の乗り物という位置づけを得た

 

エンジンやフレーム、サスペンションに各社が工夫を凝らし

 

その違いを楽しむ

 

相変わらず多くの人がオートバイで死ぬが

 

もうそれをオートバイがなんとかできることは少ない

 

趣味としての楽しみだからリスクも折り込み済だ

 

道具ではなくなったオートバイには費用対効果はもう必要なかった

 

その効果は目に見えない「何か」なのだ

 

でもこの趣味の乗り物としてのオートバイに

 

大きな問題が残っているとボクは思う

 

けして難しい話ではないがこれに自信がある人は少ないと思う

 

また自信がある人でもそれが正解かどうかは正直結局わからないだろう

 

それはこのオートバイを操る方法のことだ

 

実はずーっと曖昧なままだ

 

人が運動(体を意図的に動かすという大きな意味)するときに

 

実際に脳が命じていること、そして感じていることを

 

具体的に言語で示すことができないという問題なのだ

 

概念は言語によってある程度の共通性を持つかもしれないが

 

完全ではない

 

自分が紫という色を人はすみれ色とか赤みを帯びた青と云うかもしれない

 

オートバイの工学的な動きを数学で説明できても

 

それを感じる人の感覚概念を示すことができない

 

トラクションをかける、はなんとなく理解できても

 

トラクションを感じる、は人それぞれの概念があるはずだ

 

荷重と加重、そして抜重

 

こういった言葉を曖昧に使っている似非専門家のなんと多いことか

 

道具を使う上で大切なのはこの言葉にできない部分を体得することだろう

 

スポーツとはそこを競い合うものだし、またそこを楽しむものだと思う

 

オートバイの面白さも絶対にそこにあるとボクは思う

 

正直、インストラクターとかいう人たち、元レーサーとか云う人たち

 

感じ方を誤っているとか

 

語彙力がないとか

 

身体工学的な裏付けに乏しいとか

 

どれもみんな一長一短

 

つまりみんなバラバラなことを主張している

 

肩を上げる、とか骨盤を起こすとかいうけど

 

その結果何が起こっているのか、何を求めているのか

 

みんな曖昧だ

 

クラッチが面倒くさいという前に

 

クラッチの使い方を覚える方が絶対におもしろい

 

もちろん操るテクニックだけでなく

 

路面を読んだり、天候を克服したり

 

そういったメソッドも楽しいのだ

 

 

けれどオートバイが工業製品である以上

 

製造会社は企業の存続という足枷を常にはめられている

 

より良いとは何かを考えながら

 

より受け入れられる、より売れる、モノは何かと考えてしまう

 

どんな道具にも使うにはコツがいる

 

もう一度云うけど、ここに楽しさ、面白さがある

 

たとえば金づちで釘を打ち込むという動作で体得すべきこと

 

目線の先の置き場所、関節や筋肉の使い方

 

金づちを持つ位置、振り上げる速度と角度

 

そんな人がいるかどうかは知らないが金づちを使うことを楽しむ人に

 

ハンドタッカーはどうなんだろうか

 

金づちを進化させた先がハンドタッカーだとしたら

 

それは純粋に作業道具としての進化であって

 

金づち本来の進化ではない

 

ボクたちが楽しむオートバイも単なる道具ではない

 

だからこそ享受する側が

 

オートバイを欲しいと思うユーザーの方が

 

もっとしっかりとメーカーに要求しなくては思わぬ方向へ進んでいってしまうだろう

 

オートバイに高級さや安楽さがどれほど必要なのか

 

クルマと同じ装備がなぜオートバイにも必要だなどと考えるのか

 

ADVやアエロックスの人気を見ていると

 

ここからオートバイが進んでいく先が

 

道具と化したオートバイにしかボクには見えない

 

これも小うるさい老婆心と云うものか

 

 

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「梅雨明け十日」といって

 

むかしからこの時期の猛烈な暑さは別格だった

 

南海上の太平洋高気圧がぐんぐん勢力を強めると

 

それまで頑張っていた梅雨前線もズルズルと北へと押し上げられる

 

もうこうなればそれは絵に描いたような梅雨明け

 

同時にこれまた絵に描いたような夏が来るのだ

 

 

エアコンなんてものが家庭になかったころの日本の夏

 

みんな下着一枚みたいな恰好で夕飯を取り

 

終えるが早いか一目散に外へと飛び出し

 

軒先に並べた縁台で暑さをしのいだものだ

 

近所の人たちもみんな同じ

 

かたずけを終えたお母さんたちが出てくる頃には

 

ずいぶんあたりも暗くなって

 

蚊取り線香に火をつけ

 

風鈴の音に涼を求め

 

子供たちは子供たちで

 

女たちは女たちで

 

みんなゆるゆると団扇をあおりながら

 

とりとめもない世間話をして過ごすのだ

 

これがかつてのこの国の夏の宵の光景だった

 

どんなに暑いと云っても夜の空気は一味違うものだ

 

熱帯の夜のようなエキゾチックな趣がある

 

退廃的でとても淫らな匂い

 

夏の夜祭がなんだかワクワクさせるのは

 

それはもうこの暑さのせいだ

 

これくらいの余白を楽しんでもいいんじゃないか

 

どっちみち暑いってだけでしょ

 

 

でもね

 

そんなふうに云っちゃあいけない雰囲気だ

 

意味不明の同調圧力すら感じる

 

テレビでは朝から晩まで「暑い暑い」の連呼

 

気を付けてください

 

命を守る行動をとってください

 

現に亡くなる人がいる訳だからある程度は理解する

 

熱中症患者のために救急車が出ずっぱりで

 

救急病院も手一杯なんてことになったら

 

一刻を争うような患者の受け入れが難しくなることも考えられる

 

これは社会問題と云えるだろう

 

それにAIに聞いてみてもこう答えが返ってきた

 

「熱中症は予防が可能です」

 

つまり予防が可能な社会問題だから

 

大衆へ注意喚起することはマスコミの大切な役目なのだろう

 

毎日毎日、暑いですねと繰り返すのもやむなしということか

 

 

でもどんなに健康体な自分でも

 

毎日毎日こればかり云われ続けていると

 

ちょっと頭がボーっとして動悸がしただけなのに

 

なんだ?熱中症なのか?

 

こんな場所で意識を失って倒れたら死ぬんじゃないか?

 

なんてふと頭をよぎってしまうものだ

 

こうなるともうこれは一種のノイローゼ状態

 

ノイローゼだって自律神経がやられて同じような症状が出るでしょ?

 

出ない?

 

まあいいや

 

少なくともボクはノイローゼになったような気分になる

 

本当にもうこの連日の酷暑報道には辟易としているのだ

 

40℃だろうが50℃だろうがほんとどうでもいい

 

地球が暑くてそれに耐えられないなら死ぬしかない

 

焼けたアスファルトの上で干からびた哀れなミミズたちを見よ

 

それと同じだ

 

ミミズじゃないんだ、人間なんだから自分で気を付けるさ

 

ほっといてくれ

 

ああ、もう煩いったらない

 

 

 

……やっぱりノイローゼか叫び

 

 

 

週に4日くらいウォーキングをしている

 

気分転換と運動習慣のためだ

 

真夏でも真冬でも1時間くらい歩く

 

1時間なら気温が35℃くらいの夏の午後でも

 

気持ちいい汗が噴き出す程度だ

 

昨日は39℃を越えていたけど

 

脈拍を120回/分程度にコントロールすることは可能だった

 

天邪鬼みたいに聞こえるけど(天邪鬼ではあるけどね)

 

夏の暑さより真冬の2℃くらいの日の方がきつい

 

しかも北風が10m/s超で吹き付けばもう最悪だ

 

耳や顎がちぎれ落ちそうになる

 

オートバイでもそうじゃない?

 

真冬に装備を間違えた時

 

大袈裟でなくそれは死を予感させるよ

 

指の感覚がなくなるくらいならまだしも

 

震えが止まらなくて歯がガチガチと音を立てるなんてことになれば

 

もう低体温症一歩手前だ

 

実際統計的にも凍死(低体温)の方が断然多いよ

 

その割に真冬はさほど「寒い、寒い」とは騒ぎ立てないよな

 

どうしてなんだろう

 

おかしな世界だ

 

 

近頃はオートバイを運転する他人の服装を気にする輩がいるらしいが

 

ボクの夏の服装は大抵ペラペラのチノパンに半袖シャツ腕剥き出しだ

 

こんなことを気にしてくれる人いるんだ、しかも赤の他人様なのに

 

ありがたいことだな

 

いや、ほんとありがとう(ちがうか、ディスりか、知ってるって)

 

こんなボクだって若い頃はいろいろ装備してた時もあったけど

 

ライディングウェアってどれも非日常的でどうもしっくりこないし

 

もうどうでもいいやって云うのもあって

 

最近は気にしてない

 

気持ち良さ優先、でもないか

 

それでもブーツは履くしグローブも嵌める

 

操作するときそれで慣れているからかブーツとグローブがないと気持ちが悪い

 

グローブは外縫いしか使わない、とか

 

ブーツもつま先の厚みとソールの固さに結構こだわりがある

 

ヘルメットはジェットにアイウェアかゴーグル

 

今かぶっているアライのクラシックエアーはとてもよくできている

 

普通のジェットはシールドがないとスピードを上げたとき

 

空気が頭部とヘルメットの隙間に潜り込んでぼわーっとするが

 

クラシックエアーはヘルメット内部の空気を抜く構造になっていてそれが起こらない

 

そしてネーミングどおりエアーが流れてとても涼しい

 

どんな換気機構であってもフルフェイスヘルメットなんか比べものにならない

 

多分ヘルメットの中で一番涼しいね

 

シャツの襟元をハタハタとはためかせて走る夏が好きだ

 

走っていれば猛暑日くらいならまだ風が涼しい

 

山かげや木立の中ならさらにクーラーが効いている

 

でもね

 

夏の強烈な日差しに焙られる感じ

 

木漏れ日さす木立の涼やかな感じ

 

そういうのを楽しまないともったいないね

 

せっかく日本には四季があるんだから

 

 

川岸に少しできた余白にオートバイを停める

 

エンジンを切る前にホーンを2,3発

 

これ最近の習慣になった

 

クマへの牽制(になればいいが)

 

川筋はクマの通り道になりやすいから余計にね

 

小さなホイッスルも胸のポケットに入れている

 

周囲をよく見渡してから荷台に縛り付けた折り畳み椅子をほどいて

 

川岸にセットする

 

ここは背の高い木に囲まれていてとても涼しいところだ

 

川面からはひんやりとした空気が溢れて

 

猛暑日なんてこれっぽっちも感じさせないのだ

 

川には小さな魚がいっぱいいて

 

風に吹かれて葉っぱが落ちるとサーっとそいつらが集まってくる

 

ためしに水筒の水を手に取ってパラパラと投げ

 

水面に波紋作ってみたらやっぱり同じように魚たちが集まる

 

それが面白くて何度も何度もやってしまうんだけど

 

魚たちは飽きることなくその都度同じようにサーっと集まる

 

「いいかげんにしな」とは云わない

 

だから切りなくパラパラ水面を揺らす

 

そんなおっさんの今年の夏だ

 

 

これ

 

帽子買うと型崩れ防止なのか、こんなの入ってるよね

 

サイドバックの底に落としたままになってた

 

これをこんな風に畳んで

 

 

 

タンクとシートの隙間に挟んでみた

 

ぴったりポンだ

 

お試しあれ

 

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