この頃YouTubeを閲覧していると
老いたオートバイ乗りたちがこの先いつまで乗り続けられるのかという
悩みや迷い、またそれへの対処を題材にしたコンテンツをよく目にする
案外同じようなことに悩むおっさんはワールドワイドに多いのか
海外のチャンネルでもこの手ものは多くみられる
すでにその境地に入りつつあるボクも
同じようなことを考えていた時期が確かにあったが
今現在の感覚で云うと
「いつ(いくつ)まで(オートバイに)乗れますか?」というより
「いつ(いくつ)まで(オートバイに)乗りますか?」と
考えたほうが良い問題だと思っている
つまりこれは大方の人が想像するとおり「個人差」の大きな問題なので
おそらくは各自の主観的な判断に任せることになるのだろう
とは云え公道を走るという前提を持って云えば
もちろん客観的な判断も必要になる場合もある
多くの悩みや迷いの原因は多分そこにあって
分かってはいてもオートバイのない人生など想像できない
と、まだまだ健康な自分は思ってしまうものなのだ
ボクが40に差し掛かる少し前(アラ4だね)
雑誌で60過ぎのジイさん(以前は60はジイさんだった)が
BMWのツアラーR1100RTを乗りまわしている記事を見て
驚きと羨望を感じた記憶がある
当時のボクが具体的にいくつまで自分がオートバイに乗るのか
考えている訳などなかったけれど
そんなリアクションだったことを思えば
60歳でオートバイに乗っているとは考えていなかったのだろうと推察できる
実際の転機になったのは50になる頃だったか
ふとした折に車間距離が以前より大きくなっていることを自覚した
それはその頃乗っていたツインショックR100RSのブレーキが
あまり鋭い効きではなかった(握りこめば効くが自在感は乏しい)ことも原因だが
やはり反射神経の衰えを無意識に補正していたのだと思う
もちろんそれ自体は良いことなのだけど
自分の老いを目の当たりにしたようで少なからずショックもあったし
このまま大排気量のオートバイに乗り続けることが
当たり前のことではないのだという事実に気づいてしまった
そもそもオートバイを運転する必要条件とは何だろう
「免許」か
免許なら法律に基づいて公安委員会がその資格をチェックして発行している訳だから
単に高齢ということ自体とは関係ないはずだ
立法府の責任において運転者の条件は法律で規定され
公安委員会がその法律に基づいて免許を発行しているのだ
昨今の高齢運転者に対する免許返納圧力
もしくは高齢者各自の良心に働きかける免許返納キャンペーンは
公安委員会の自己否定か怠慢を公言するようなもののようにボクには見える
免許が下りたのなら運転する必要条件は満たしているし
満たしていなくてはおかしな話になってしまう
「認知機能が怪しいって感じたら免許を返してね、こっちではよくわからないから」
こんないい加減なことが通るなら
「運転できると思うから免許くれ」だって通ることになる
「事故が起こってからではお互い不幸だから早めに返してよ、あなたのためだよ」
では、運転免許制度とは何なのだ?
運転していい人とダメな人を見分けずに許可を出していると云っているのと同じだ
「この法律は、道路における危険を防止し、その他交通の安全と円滑を図り、及び道路の交通に起因する障害の防止に資することを目的とする」
道路交通法第1条の「目的」の定義だけど、ぜひそうしてもらいたいもんだ
まあいいや
実際には自分が高齢者と云われる年齢に達した時(いくつのこと?)
いくら必要条件としての免許を公的に受けていても
それが十分条件だとは云えないのではないか?と
優しいおっさんたちは容易く自己否定してしまうのだろうか
そもそも高齢者ドライバーへの偏見は
高齢者のペダルの踏み間違いや高速の逆走事案を
ことさらに取り上げるマスコミの印象操作によって
免許制度だけでは安全性を担保できない
と考える世論の圧力の高まりに原因がある
体力、認知力の衰えには個人差があるのだ
そんな当たり前の認識にフタをして
「交通安全のため免許返納を」と迫るのはファシズム的だ
運転する権利を求める裁判が開かれれば1日で終わる
「憲法違反」だからだ
加齢による「体力」の衰えというが
身長が160cmくらいで体重が45kgに満たない女性でも
大型オートバイを普通に走らせていることを見れば
それほどの腕力は必要ないということだろうし
「認知機能」だって
スマホ見ながら運転しているより若者より劣っていることはないだろう
小さな子供を乗せたお母さんよりは集中できていると思う(偏見かな)
やっぱりこの部分はあれほどの時間とコストをかけて実施されている
高齢者講習など免許更新時のチェックを信用するしかないのだ
つまり免許をもらっていれば必要条件は満たしているのだ
となれば高齢者本人が感じる体力や認知力などの
衰えの「自覚」が不安を呼ぶのだろうか
以前の記事でも書いたが認知機能の衰えが不安と云うのなら
対処は難しくない
スピードを落とすこと
車間距離を取り、薄暮時や夜間、雨の日の運転を避ける
周囲の交通の流れに乗って法規を守っていれば
認知機能が問題になるような事態には陥らないと考える
鍛えるべきは「集中力と自制心」
前をよく見て、スピードの誘惑に負けないこと
誰にでもすぐに出来る簡単なことだ
体力はどうか
先にも書いたが小柄な女性でも(この比較は差別的だが)
CB1300を乗りこなせるのだから
それほど極端な筋力は不要ということだ
大切なのはやはりオートバイを操る技術とバランス感覚(平衡感覚)
そうやって考えてみると
「いくつまでオートバイに乗るのか」は
結局のところやはり主観的な判断だし
本人の認識と努力にかかっている問題と云える
一方で「いつまで乗るのか」論争で必ず話題になるのは
「ダウンサイジング」だ
これは物理的な大きさのことを云っているのか
はたまた重量なのかそれともパワーなのかははっきりしないが
見ている限り、聞いている限り
ラインナップが充実してきてしかも新車でも価格が現実的な
原2バイクのことを指しているように聞こえる
しかもダウンサイジングと云いながら
ただ「買いたいだけ」なんだと思う
「新しいバイクが欲しい」という話だ
原2なら価格も手ごろで現実味がある
メーカーにとっても車検もなく税金も安い原2市場は
アジアの主力商品であり大量生産が可能
中古市場へは出回りにくく
セカンドバイクとしての購買欲を刺激すれば新車を売りやすく
しかも毎年カラーラインナップを換えるだけでも市場を刺激できる
「行く行くはカブにして」とか「スクーターにして」
という似非ブルジョアのファンタジーに乗じて
日本の中間層の金を毟り取る狩場と化している市場だ
まあ満足や喜びという幻想を求めてお金を使いたい人に何を云っても無駄なので
好きにしてもらうけれど
あなた方はそもそも本気で「ダウンサイジング」は考えてないでしょ?
結論を云えば
病気にかからない限りはオートバイなど乗れるだろうよ
ってことだ
現役世代が仕事に出払った平日の午前
そうだな8時半くらいかな
ガレージに眠る愛機に火を入れて
年金暮らしのロートルはニヤニヤしながら山道を流しに出かけるのだ
「いつまで乗れるかな」なんて気弱なこと云ってないで
毎日腕立てとスクワットでもやりなよ
そうだろ?







