釣りを趣味とする人の数はおよそ500万人だそうだ

 

サーフィンは40万人

 

二輪車(原付を除く)は保有台数から云えば600万台もあるらしいが

 

新車中古車を合わせた販売台数は年間だいたい40数万台

 

そのうち日々オートバイを趣味として走らせる人の数はどうだろうか

 

おそらくは釣り人口には到底及ばないだろう

 

そこで二輪車をもっともっと振興したい、ということらしい

 

二輪車と云うと「振興」がいつも付きまとっている

 

そんなに流行ってないんだね

 

「振興」、盛り上げることだ

 

国語辞典にそう書いてあった

 

だれが?

 

それはもちろんメーカーの思惑だ

 

 

売れないと作れないからだろう

 

そんな単純な理由なのだ

 

端的にいいものを作れば売れるという時代なんかとうに終わっているから

 

潜在的に二輪車を欲しいと思う人がたくさんいて欲しい

 

でないと売れない、それだ

 

けれどこの思いには案外高いハードルを伴っていて

 

前提条件としてまず運転免許が必要だ

 

かつて大型オートバイに乗るために必要な免許を

 

日本では実質「規制」していたことがあったが

 

そのため街中で大型オートバイを目にする機会はほぼなくて

 

大型オートバイの代名詞的存在であるハーレーダビットソンなどから

 

そのことが輸出障壁になっていると強い抗議を受けた

 

それで仕方なく免許制度を変えた経緯がある

 

つまり二輪車を売るためにはまず免許を持ってもらう必要がある

 

コレ絶対条件ね

 

そして免許を取り、オートバイを買うが

 

それだけでなく乗車用の必須装備を用意しなくてはいけない

 

ヘルメット

 

これがまた高価

 

これがないと走れないんだからオートバイに付属しろよと思うが

 

まあ免許取るにも必要だから持っているものなのかもしれない

 

そのほかにもグローブにシューズ

 

ウエアやプロテクター

 

なぜかスマホホルダー

 

そんなこんなで十数万円が飛ぶ

 

オートバイの前には時間とカネの実に高い壁が聳え立っているのだ

 

 

なにかを振興すると云うと

 

安易にその楽しさを演出してみせることが多いが

 

まだ実際に乗っていない人が対象となるわけだから

 

オートバイの楽しさ、と云ってもそもそも伝わらない

 

だからその結果なぜだか群れてガチャガチャと楽しげな雰囲気を作る

 

必ずしもオートバイでなければいけないとは感じないものだったり

 

若くてかわいい女の子という意外性だったり

 

日常から解放された自然の景色だったり

 

まあ、そんな類の「乗る目的」をぶち上げる

 

日常の生活空間に息苦しさや生きづらさを謎に抱える若者に

 

ふんわりとみんなで「いいね」と云い合える共有空間を提示する

 

みんなの大好きな「仲間」

 

つまり「群れ」ね

 

しかし逆説的だがこれでは大なり小なり閉鎖空間を生むだけだ

 

群れは必然的に閉鎖する

 

そもそも群れは構成員のホダシやトリコが目的で

 

内と外を同時に威圧しながら存在感を保つ

 

何とかラリーとかツーリングイベントとかも

 

集団心理全開でズカズカと道路を大挙占拠し

 

コンビニだろうが道の駅だろうがお構いなし

 

スタンドにだって集団で押し掛ける

 

それをなんだか楽しそうだという人もいるし

 

その得体の知れない気味悪さに目をそらす人もいる

 

 

なんで集まることが振興なのか

 

なんで目的を与えることが振興なのか

 

思い出して欲しい

 

コロナウィルスのパンデミックで群れが禁止されていた時

 

実はすごくオートバイが売れていたよね

 

中古車価格が異常に上がって

 

新車も思うように手に入らなかった(部品がなかったという面もある)

 

群れを作ることが本当に販促と振興につながっているのか

 

もう一度云うけど

 

群れは閉鎖につながるだけだ

 

 

前に二輪車普及のカギについて思うことを記事にしたことがあったが

 

中古車市場、中古車業者のマス化と寡占化が進み

 

中古車が異様な高価になっている気がするし

 

ジイちゃんの原付とかオカンのラッタッターといった

 

身近な二輪体験を得にくくなった今こそ

 

アプローチ(訴求)の仕方も

 

幼稚で馬鹿っぽい親近感とか容易さではなく

 

もっとダイレクトに二輪車自体の体験を優先すべきだと思うと書いた

 

背景にある問題として

 

現代人の欲望のミニマム化とその逆説的な先鋭化という質的変化

 

企業の巧みな情報操作と差異をあおる商品開発

 

無刺激的な欲のなさを装いながら

 

一方では果てしなく求める貪欲さが同居するという不思議な国民性

 

生きにくさという言葉とそこに見え隠れする甘えの構造

 

新規の顧客として若年層を取り込みたいわけだが

 

その手法の中心はどうしても「いいね」という共感に行き着く

 

「仲間」というキーワードで連帯感をあおり

 

その中心に二輪車があるような錯覚を生ませる

 

または二輪車というどちらかと云えばマイナーなものを介することによって

 

正体不明の優越感を持たせる

 

でもそのすべては他人の評価頼り

 

他人の目線が気になって仕方ないし

 

他人の承認なしには自己を維持できないのだ

 

そんな人は別に二輪車じゃなくたって

 

なんだっていいのだろう

 

一般的には心の指向性は外へ能動的に働かせるべきだ

 

他人から受動的に受ける刺激ではいつまでも心を満たすことがない

 

外へ向かう能動的な意思はそもそもその充足を目的としない

 

自他の区別もなく

 

ただひたすら心は拡散しむしろ真空に近くなっていくものだろう

 

この真空な心の状態を楽しいと云うのだ

 

これは決して他人から与えられるものでもないし

 

他人に与えられるものでもない

 

だからこそ楽しいんじゃないのかな

 

 

意味や目的を考えるなんて仕事だけで十分だ

 

意味もなく当てもなく

 

ただ心が楽しい状態

 

二輪車に乗ることでそれを感じることができる

 

二輪車にはその何かが確かにある

 

だからこそ

 

オートバイにはあまり技術の進化を持ち込み過ぎないようにしてもらいたい

 

そう云い続けてきた

 

人が習熟して可能なことはその方が良い

 

時代がどうとかこうとかではなく

 

人間の乗り物としての立ち位置を見極めること

 

人間が全身を使って、感覚を研ぎ澄ませて

 

オートバイをスムースに滞りなく

 

素晴らしい調和の下でコントールする

 

そして早春の海辺を

 

真夏の高原を

 

紅葉に色付く渓谷を

 

凍てつく冬の街道を

 

それぞれに感じて走る喜びと楽しさ

 

そうやって人間は逆に真に強い集団にふさわしい個にならなくてはいけない

 

安易に群れていては駄目だ

 

一人でも走れる強い人になろう

 

そんな心の強い人間にこそオートバイはふさわしい

 

孤独の時間が人を育てるのは間違いない事実なのだ

 

 

お行儀の良さにも少し問題がある

 

お行儀がいいんじゃなくて

 

責められるのが怖くて委縮しているようにみえる

 

なんでもそうだけど

 

お互い様、おかげ様、がこの世の中だ

 

「パノプティコン」って知ってるかい

 

皆が見えない監視者におびえて暮らす監獄社会のたとえだ

 

民衆が互いに牽制しあって見張り合って暮らす社会

 

その見えない監視者におびえているうちに

 

人々は次第に従順になり

 

結果的にそんな世の中になんの矛盾も感じなくなるのだ

 

そしてそこから逸脱する人をみんなで狂人として排除し始める

 

まさに今の社会はパノプティコン(一望監視システムの監獄)

 

気を使ってお行儀がいいだけならまだかわいい

 

道徳を理由にして正当化された暴力におどおどして口をつぐんでいるだけじゃないの?

 

いまのひとって「多様な価値観」って言葉好きじゃん

 

ちがう?

 

その前には自分の「芯」を出さないと

 

人から見てわかるくらいにはな

 

そしてそうやって出っ張ると必ず打たれるだろう

 

でもそれが気持ちいいんだよ

 

そんな風に云える人になりたい

 

 

ふと時計を見て午後の5時だと知り

 

あたりの明るさにあらためて季節の移ろいを感じるこの頃

 

そういえば朝日が差し込む角度も変わってきている

 

今年の冬もようやく峠を越えただろう

 

あとはもう暖かくなるばかり

 

風の季節になるけれど

 

晴れた午後にはオートバイたちを引っ張り出して

 

春へと備えることにしよう

 

 

にほんブログ村に参加しています

ダウンクリックお願いします

にほんブログ村 バイクブログ ソロツーリング(バイク)へ
にほんブログ村

にほんブログ村 ライフスタイルブログ 何気ない暮らしへ
にほんブログ村

 

このブログのタイトルは「旅ログ」だ

 

もう20年も前につけたタイトルなので

 

その真正面な印象に少し気負いを感じて照れ臭い感じがしている

 

そして、それよりもなによりも

 

本当にボクはその「旅」をしているのだろうか

 

 

平安時代の貴人たちが都を出て

 

遊興のために地方へ出かけていくということはあまり現実的ではなかった

 

と云うのは、そもそも旅をするようなインフラが整備されておらず

 

都の外(というか宮中以外)はセキュリー的にも問題が多かったのだ

 

だから遠く出掛けて行った人々の話を聞くことが楽しみのひとつで

 

詫びにあふれた情景を思い浮かべてはうっとりとすることが雅だった

 

実際話す方も相当な演出を加味していたことは想像できるが

 

そんな旅を夢見る都人にとって「歌枕」こそキラーワードで

 

「たよりある 風もやふくと 松島に~」

 

と、響けばもはや宮廷の貴人たちは胸がグーっと締め付けられ

 

「さもありなん、さもありなん……」と袖を涙で濡らすのだ

 

こうして魅惑的な各地の名所は徐々に形成されていったようだ

 

かの松尾芭蕉翁も「おくのほそ道」の冒頭で

 

「三里に灸据うるより、松島の月まづ心に掛かりて」

 

と書き残したとおり

 

松島への思いはもう「アゲー!」と叫ぶギャルと変わらないのだ

 

 

一般の人の視点がそれぞれ独特であることは認めつつも

 

どこそこの景色がいい、とか

 

ここのラーメンがうまい、とか

 

あそこのハンバーガーは絶品だ、とか

 

昨今そんな、言い換えれば独断的な印象を、

 

すんなりと受け入れることに多くの人が寛容な態度を見せる

 

他人がいいと云うものに興味を持つことはままあることだけど

 

山奥のラーメン屋に行列ができる真意をボクは本当には理解できていない

 

 

旨いものはそこまで旨くなくてもいいし

 

きれいな景色だって独り占めしたい方だ

 

熱いものが熱く提供され

 

それが作り手が考えて丁寧に作ったものならば

 

どれもすべて大抵はおいしい

 

どんな景色がそこに有っても

 

どれほど野趣ゆたかで非日常的な空間の露天風呂があっても

 

普段口にしないような高級食材を一流の調理人が調理した料理を出されても

 

心地よく清潔な部屋と寝具なら宿にそれ以上は期待しない

 

別にそれを食べてもいいし食べなくてもいい

 

別にそこへ行っても行かなくてもいい

 

ボクの「旅」にはそれが多分ない

 

もちろん旨いものは旨いと感じるしそれはうれしい

 

また、良いところだったなと思うと心地よくなる

 

でも、思い返してみれば

 

それは全体的な雰囲気の良さだったような気がするし

 

回転焼き屋のおばちゃんがニコッと笑って手渡してくれただとか

 

寒かったろ?早くこっち入りな、と店内へ促してくれただとか

 

そういう人の情や気づかいの方が鮮やかに記憶に残る

 

人との交流とかそんな上等なものじゃない

 

やさしさはむしろ日常にあるもの

 

そして予期せずわき上がる感情

 

大切なのはそれを感じ取る心の持ちようだ

 

 

ボクがオートバイで「旅」するとき

 

アタマの片隅で意識しているのは星野の言葉かもしれない

 

星野道夫

 

おもえば彼もずいぶんボクより年下になってしまった

 

写真や言葉を目にする機会も減っている

 

けれども彼はけっして時代に埋もれていかないだろう

 

彼が持つ「自然」への感覚や距離感には

 

世代や時代を越えて伝わるメッセージがある

 

その星野道夫が高校生だったころ彼は北海道に憧れていたと云う

 

東京に住む高校生の星野にとって北海道はとても遠いところだった訳だが

 

その北海道への憧れの原因は「クマ」

 

北海道の本の中に頻繁に出てくる「クマ」が頭から離れなかったからだそうだ

 

電車に乗っているときや街角を歩いているときに

 

ふと北海道のことを考えて

 

いま、同じ時間に北海道でクマが生きていることが不思議に思えたのだ

 

それはもちろん当たり前なことなのだが

 

いろんなものに同じ時間が流れているそのことが不思議だったらしいのだ

 

そして、星野は考える

 

ボクらはふたつの時間を持っている

 

ひとつは毎日あたふたと生活に追われる時間

 

もうひとつは「自然」(おそらく世界に平等に流れる時間の意と思う)

 

 

ボクが考える「旅」はまさにこのもう一つの時間の中を行く「旅」だ

 

そこに自分以外の観念は必要ない

 

そして、どこに行ってもその場所に流れる自然を感じる

 

もちろんその土地の風土や歴史にふれることも喜びだ

 

これまでここを通り過ぎてきた時間

 

いまここに流れる時間

 

そして、この先ここを訪れるであろう時間

 

その中の一コマにボクがいる不思議

 

エンジン切って地べたに座り込み

 

小さなストーブで湯を沸かす

 

その間に空を眺めたり

 

木々の間を吹き抜ける風を目で追いかけたり

 

時間が許せば居眠りしたり

 

そして身体から聞こえてくる声に耳を澄ますのだ

 

 

寒い毎日がこのところ続く

 

何度も云うが冬は寒くていい

 

なんて云っているけど

 

クロ介のあのチート級カウルに潜り込んで走っているんだから

 

日本の冬なんて大したこたァない

 

そもそもBMWのふるさとミュンヘンの寒さは厳しいのだ

(クロ介たちはベルリン生まれだけどね、まあベルリンも相当寒い)

 

冷たい空気をいっぱい吸って

 

ゴロンゴロンと気分よさそうにエンジンを回転させる

 

冬が好きなオートバイなのかもね

 

この寒さに海岸へ走らせて

 

どんよりと鈍い色の空を眺めて春を待つのだ

 

穏やかに晴れた日には逆に庭に出て

 

強い北風に吹き溜まった落ち葉を集めて落ち葉炊きをする

 

あまり火を大きくしないように少しずつ落ち葉をくべて

 

煙に燻されながらコーヒーでも淹れようか

 

そして今年どこに行こうかぼんやり思いやるのだ

 

ずいぶん行けていない四国がちょっと気になるなー

 

北海道、うーん今年も行くかもなー

 

 

にほんブログ村に参加しています

ダウンクリックお願いします

にほんブログ村 バイクブログ ソロツーリング(バイク)へ
にほんブログ村

にほんブログ村 ライフスタイルブログ 何気ない暮らしへ
にほんブログ村

 

人間と他の動物との間に

 

決定的に違うものがあるとすれば

 

それは間違いなく言語だと思う

 

そして、その言語の中心には「概念」がある

 

概念はおそらく脳の効率化に大きく寄与していると思うが

 

それをさらに言語と関連付けて記憶しておけば

 

その効率はさらに次元を上げ普遍性をも手に入れる

 

ちょうど国語辞典のイメージだ

 

ある概念の見出しがあって

 

そのあとにその具体的な説明がある

 

しかし、悪い面もある

 

概念は人の数だけある、と云うと云いすぎかもしれないが

 

個々の脳の中で作り上げられたその個人的な概念が

 

まったく同じにはならないことは容易に想像できる

 

 

おっと

 

ご挨拶を忘れている

 

皆さま、明けましておめでとうございます

 

新年早々いきなり言葉遊びから始めてしまうとは

 

今年も先を思いやられるが軽い気持ちでおつき合い願います

 

最近では文章を読むことが少なくなってきているね

 

そもそも言語は二通りの感覚で可能で

 

音声を聞き聴覚から感覚する聴覚言語

 

文字を見て視覚から感覚する視覚言語

 

さらに文字を書く、となれば運動系との連携も必要になる。

 

どちらが優位ということもないだろうが

 

赤ちゃんが最初に認識するのはもちろん聴覚言語だし

 

人類の歴史から見ても間違いなく聴覚言語から始まったはずだ

 

聴覚言語には抑揚や音色が加わり脳には心地よくさえあるのに

 

しかしもう一方の視覚言語は記録とか伝達とかを目的として発生してきたため

 

文字が必須で、そのせいか少し取っ付きにくいイメージがある

 

ブログなどというそんな文字中心のメディアには

 

いまやアナクロ感すら漂うが

 

脳の活性化に少なからずお役に立てれば幸いです

 

 

それで今日の話は「言語」

 

なのかと云えば、そうでもない

 

年が明けて世間がバタバタと日常へ戻っていくと

 

隠居ジジイがまた今年もオートバイを引っ張り出したという話

 

「隠居ジジイ」と云うのは世間の思惑に調子を合わせてそう云うだけで

 

なかなかどうしてまだ年金を貰う年齢にも達してもいない

 

勤めていた会社が潰れたのを機にドロップアウトしただけなのだ

 

でももう気付けば4年も経っている

 

もちろん今さらまた勤めに出る気などさらさらないので

 

都合、隠居という身分に収まっている

 

 

若いころからオートバイを走らせるのが好きだったんだけど

 

次々に出る新製品に心躍らせて

 

いろいろと乗り継いでいるうちに

 

ついにメーカーはボクの好みのオートバイを作ってくれなくなってしまっていた

 

これはボクの主観的な問題ではなく予想外の現実で

 

年々改良を続け、より高い次元のオートバイを、とやっているはずなのに

 

実はもう「タマ」が切れたのだろう

 

そこには企業という宿命だけが残っているようにしか見えない

 

でもほんとうに運がいいことにガソリンは駄目と世界は云いだした

 

企業が生きる道は都合残されたけど

 

こんなにも愛されたガソリンエンジンはいま静かに終焉のフェーズに入った

 

でもボクはガソリンがいいのだ

 

電気がイヤと云う意味でなく

 

ガソリンのエンジンが好きなの

 

アラブで掘った油を精製して燃料にし

 

密閉されたシリンダーの中でそいつを爆発させて走るんだ

 

なんてクレージーな乗り物

 

このガソリンエンジンのオートバイの残りの寿命を考えると

 

この老いぼれに残された寿命とほぼ同じくらいではないだろうかと感じる

 

少なくともボクがこの世界から消えるまでは乗っていられるんじゃないかな

 

当たり前だけどボク的にはそれで満足だ

 

 

どう考えても山の方へ向かうのは無理そうなので

 

久しぶりに海を目指して走らせた

 

たまたまこの日は穏やかで

 

日差しが出て、風も弱い

 

蒲郡 形原漁港に架かる場違いなおしゃれブリッジ

 

そのまま西浦へ続くおしゃれシーサイドロードを行く

 

西浦の岬をぐるっと回って

 

そのまま幡豆の町へ入る

 

幡豆は奈良時代にはすでに記録が残されている歴史ある地域で

 

明治に町村制が始まった当時には1町36村もの地域があった

 

人も結構住んでいたということだろう

 

海岸沿いにはいまも小さな漁港がいくつもある

 

山が迫る海沿いの集落はびっしりと家が立て込んで

 

SR400みたいな小さなオートバイで迷い込むのが楽しい

 

迷惑にならないようにエンジンの回転をギリギリまで落として

 

自転車みたいに走らせる

 

 

潮が引いた海岸ではカモたちが首をたたんで休む

 

近くにオートバイを止めてもピクリとも動かない

 

日向で集う幡豆の隠居ジジイたちに軽く目礼しながら

 

いつもの寺部の海岸を目指すのだ

 

 

へひり浜の案内板がある広場で休む

 

ここにきても風はない

 

海も静かに凪いでいた

 

ここにだけ転落防止のガードパイプがあるんだけど

 

すでにひどく錆びていて

 

来るたびにひとつまたひとつと折れて落ちていく

 

今年は相当ひどい

 

もう撤去した方が良いレベルじゃないかな

 

 

誰が置いたか知らないけれど

 

来るたびに使わせてもらっているイス

 

錆びたネジが固着して木製の座面や背もたれがもうガタピシだ

 

去年ももうだめかなーなんて思ってたから

 

今年まだあるとは思っていなかった

 

もうまっすぐには立たない

 

少し右に力を入れて座ると直立をキープできる

 

何もそこまでしなくても

 

まったくそのとおり

 

でも、こいつに座れることがうれしいのよ

 

え?まだ元気じゃん

 

おたがい頑張ろうな、なんてね

 

 

人間は世界を概念でくくって理解しようとする

 

子供のころから継続的に勉強をしたりいろいろと経験したりする中で

 

脳の中にたくさんの「概念」が出来上がっていくと

 

何でも知っている気になってしまう

 

でもそれは知っていることは知っているけど、

 

知らないことは知らないことを知らない、そんな状態だ

 

概念はツリー構造で「同じ」を一つのツリーに束ねていく性質がある

 

どうしてなのかは脳科学者ではないので説明できないけど

 

おそらくは脳が持つ元々の機能なんだと思う

 

勝手な想像だけど、それはおそらく世界が「違う」モノだらけだと

 

毎日どこにいても不安で怖くて仕方ないからだと思う

 

ある程度のところで「同じ」としておけばいちいち驚く必要がない

 

たぶんこれが人の知性の根源なんじゃないのかな

 

 

でもそうやって毎日暮らすうちに

 

いつしか人は頭の中で言葉をこねくり回してその中に生きるようになる

 

知らないことは知らないことを知らないから思い付きもしない

 

「それなら知ってるよ」と云う時

 

だからあまりその本当の意味を気にしない

 

ひとつのカンの中にたくさんの「同じ」を集めて

 

いったんフタをするとそこに大きくレッテルを張り付ける

 

「外国人」ペタッ!

 

こんな具合にね

 

それでたいていの人は「外国人」をわかった気になる

 

でもその中身がまるごとネットやSNSの情報だけだとしたら

 

つまり自分自身の経験でないものしかないとしたら

 

そのカンの中、実は空っぽと同じじゃないのかな?

 

分かっている「つもり」になっているだけじゃないのかな?

 

そもそもの話

 

分かるわけないんだよ

 

分かっている「つもり」になっているだけなんだ

 

「興味ないね、自分には関係ない」

 

ってマジで云ってるのか

 

目的ばかり追い求めて生きている証拠だ

 

人生を単なる手段にしてはいけない

 

雨が思わず上がって澄んだ青い空を見てうれしくなったり

 

視界が開けたらそこに海が広がって一気に心が安らいだり

 

もちろん逆もありだ

 

休日なのに雨が降ってオートバイで出掛けられなくて詰まらなかったり

 

庭のビワの木に実がなったと喜んでたら鳥たちにみんな食べられちゃったり

 

すべて全部、自分の思いどおりになんてならない

 

ひとつずつ一歩ずつ経験を重ねていくことこそが

 

人間の幸せとか生きる気力につながるんじゃないのかな

 

ボクなんて、もういい年こいてるわけだけど

 

権力も財力も影響力も全くない

 

でも子供のころを思い出すと

 

周りの大人たちはみんなそんな感じだったように思い出す

 

それでも本当にみんな一生懸命生きていたね

 

色男、カネもチカラも無かりけり

 

それくらいが身の丈と云うことだ

 

でもね

 

冷たい冬の青空を見上げていると

 

ボクの身体が喜んでいると感じることがほんとうにうれしい

 

今年もそんな風に過ごせたらいいな、と思うのだ

 

 

にほんブログ村に参加しています

ダウンクリックお願いします

にほんブログ村 バイクブログ ソロツーリング(バイク)へ
にほんブログ村

にほんブログ村 ライフスタイルブログ 何気ない暮らしへ
にほんブログ村

 

1年がこのタイミングで始まりそれを1月1日としたのは

 

おそらくはローマ人だ

 

紀元前8世紀ごろに運用されていたロムルス暦では農業をしない月は存在せず

 

Martius=March(3月)からしか存在しなかったらしい

 

次の王ヌマによって冬季にも月が設定され1年は12か月となるが

 

カエサルの時代にうるう年を正確に反映させたユリウス暦へと変遷していく

 

その後、16世紀に現在でも運用されるグレゴリオ暦が制定され

 

それは現代でも広く利用されている(と云うか事実上暦と云えばこれだ)

 

日本では長く太陰太陽暦を採用してきたが

 

明治維新政府によってグレゴリオ暦が正式な暦として制定され

 

現代に至っている

 

グローバル社会の現代ではおそらくほとんどの国や地域で

 

グレゴリオ暦が採用され

 

つまり今年はもうすぐ終わることになっているのだ

 

 

社会から離脱した隠居の身から云わせてもらえば

 

本当に年末であれ年始であれ、いつもの月末月初で

 

これと云った特別感は少ないのだけれど

 

なんとなく周囲はざわざわとして

 

かかりつけの医院が長期の休診だったり

 

ECサイトの出荷日に制限がついたりして

 

そんなことならいっそ年末とか止めてもらいたいな、などと

 

不埒なことを思ったりするくらいか

 

 

とは云うものの多少の感慨はある

 

年齢を重ね、身近に同級生の死を見たりすれば

 

新たな年をまた迎えられることに感謝し祝おうという気持ちも

 

以前より純粋で強いものになっていることは事実だ

 

そんな思いに少し胸を熱く(?)しながら

 

オートバイでいつもの散歩コースを走れば

 

それはまた違った景色に目には映るような気もするのだ

 

 

いつも云っていることだけれど

 

オートバイに乗っている身としては

 

12月の寒さと云うものはそれ程でもないのだ

 

もちろん日本の本州の太平洋側に限れば、と前提がつく

 

でも日本海側でも北日本でも

 

寒(かん)のころの寒さに比べれば「まだまだだべ」と感じるんではないかな

 

これもいつも云っていることだけど

 

寒いときに、寒い日に

 

寒さを感じて走ることもオートバイの楽しさ、醍醐味なのだ

 

防寒は死なない程度にそこそこにね

 

むかしのオートバイ乗りなら寒くてとんでもない目にあった経験は

 

オートバイ乗りの数だけあったもんだ

 

昔を懐かしんで「昔はよかったマウント」している訳ではない

 

今はそんな「楽しみ」を金銭で覆い隠して

 

わざわざ遠ざけていることを嘆いているのだよ

 

そもそも年寄りのマウントなんて神経質になるようなもんかい?

 

ああ、そうなんだ、と聞いておけば済むのに

 

逆にあれだな、「今どきマウント」で心の安寧を得ようとし過ぎなのか

 

若いひとはまだまだいくらでも経験を積むことができる

 

脳も柔軟でどんどん新しいニューロンのネットワークを形成できる

 

脳を使って前頭前野の発達を促せば

 

まだ見ぬ新しい「地平」がそこに現れてくる

 

それは本当に素晴らしい体験で

 

見えなかったものが見えるということ

 

聞こえなかったものが聞こえるということ

 

これは生きる次元が変わってしまうような経験だ

 

もちろん老いてもいくらかは可能だけれど

 

若い時の方がより多くの次元や世界に出会える可能性が高い

 

年寄りの妄言と拒絶するということは

 

そういう次元があるという可能性を拒絶しているのかもしれないよ

 

情報を見て知っているというだけでは経験したことにはならない

 

情報を見て知ったかぶりしている人間が増えている

 

自分自身で感覚し、経験することで脳は成長していくのだ

 

「時代が変わった」「自分には関係ない」

 

そんな話を見聞きしたから単にオーム返ししている人は案外多いと思う

 

無知は思考停止を起こしやすい

 

原理主義に陥って暴走することすらある

 

なんてな

 

冬は寒い、寒くていいじゃん

 

そう云いたかっただけなのに原理主義とか云っちゃうから

 

じじいは嫌われるという側面もたしかにある……

 

 

ボクの住む地域は比較的温暖な気候だ

 

雪はひと冬に数度、積雪となればせいぜい一、二度くらいか

 

それでも冷え込んだ朝には氷点下5℃くらいになることもあって

 

山へ走りに出かけるとなると

 

特に標高が500mを越えるような峠では凍結が心配になる

 

それだけでなく一日中日の当たらない山の北側とか

 

川に沿う道、橋の上、シェッドやトンネルなどなど

 

凍結に気を付けなければいけない場所は多い

 

路面温度の低さも問題で

 

タイヤのグリップ力が落ちてタイヤがリーン角度を探るようになる

 

走って楽しいというより気を使ってばかりで楽しめなくなる

 

 

でも今年に限れば

 

「そこまで」寒くない、と云うより

 

「どうしちまったんだ?」寒くない、のこの頃だね

 

いまだに雨と晴れが短い周期で入れ替わる

 

と云うか春が近づいてくる時のような気候だ

 

ザーッと雨が降った翌日はスカッと晴れると

 

普通は放射冷却なんかで一面に霜が降りるほど冷え込んで

 

山かげの乾ききらない路面が凍ったりするんだけど

 

この日は雨上がりから強い風が吹いて路面が一気に乾いてしまった

 

しかも朝、雲が出たせいで冷え込みもなく

 

おまけに日が昇る頃にはその雲も取れて

 

老いぼれオートバイ乗りを誘惑する

 

走りたがりの自分に言い聞かせることがそもそもの目的だけど

 

今年は何度も公式に宣言するように家人に向かっても云い放っている

 

「もう今年は山へは行かない」と

 

ガレージの中のクロ介も今年はまだバッテリーも元気

 

一瞬ぐずつくけど一発で目覚めてくれる

 

「行こうぜ行こうぜ!」

 

無機物のオートバイを擬人化させ

 

「誘ってくる」などと苦しい言い訳をして走りに出ていくのだ

 

 

もちろんそんなに山深く分け入るわけではない

 

いつもの「涼風」まで流してみる

 

わずかに路面に濡れた後は残るが

 

何しろ気温が高い

 

千万町から切山へ抜ける峠はこの頃路面が湿ったまま乾かなかったが

 

その日はほとんど乾いていた

 

なんと云っても風がなく身体に変な力も入らない

 

作手の高原もとても穏やかだ

 

 

涼風の駐車場へ入って湯を沸かしコーヒーを入れた

 

椅子を取り出し広げて空を見上げる

 

それにしてもこの青空はどうよ

 

本当に冬かい?

 

ああ、作手の空は最高だ

 

 

今年も何度もここへ来たね

 

北海道へもまた行ってこられた

 

クロ介もSRもノントラブルで走り切ったよ

 

 

 

若いころはこんな年までオートバイに乗っているとは考えてみたこともなかった

 

感覚的にはまだオートバイに乗るくらいは大丈夫なんじゃないかと思うが

 

どうなんだろうね

 

兄貴が置いていったブルワーカーで筋トレしたり

 

今これを書きながらも50kgのハンドグリップをニギニギしたりして

 

日々容赦なく落ちる筋力の維持に努めてはいる

 

50(歳)のころに一度立ち止まって見直したことが良かったかもしれない

 

それとおこがましいんだけど

 

最近ライディングのスキルが完成されてきたと感じるようになったことも大きいかな

 

10年前でも5年前でもなく

 

本当に今、そう感じるのだ

 

こんなに時間がかかって今さらかよ、と思われるかもしれないけどマジな話なのだ

 

そして本当に乗り続けてきてよかったなと思う

 

それでも気付きはまだ乗るたびにあってもっと上手くなっちゃいそうだけどね

 

上手い、は違うか

 

上手くはないかも

 

それよりもオートバイへの理解が深まったということなのかもしれない

 

 

今年もこんな文句の多い天邪鬼のブログを読んでくださり

 

本当に感謝しかありません

 

周囲はますます自分の感覚と乖離し

 

ボクには見えない方向へと進んでいっていると実感しています

 

そんな風に感じる人もいるんだな、それくらいのスタンスで

 

来年もどうぞよろしく

 

皆様におかれましては良い年をお迎えくださいますようお祈りいたしております

 

そして、いつかどこかの路上で

 

 

にほんブログ村に参加しています

ダウンクリックお願いします

にほんブログ村 バイクブログ ソロツーリング(バイク)へ
にほんブログ村

にほんブログ村 ライフスタイルブログ 何気ない暮らしへ
にほんブログ村

 

オートバイ乗りには皆それぞれの秋がある

 

ちがうかな?

 

もちろん冬にだって乗ろうと思えばオートバイに乗れるけど

 

そのほかの季節みたいに行きたいところへいつでも行ける訳じゃない

 

だから秋のオートバイ乗りはいつも迫る季節に追われている

 

冬を前にせっせとあっちへこっちへ

 

オートバイを走らせる

 

そんなボクにとっての秋はやはり少し感傷的だ

 

日々強まる寒さを感じながら

 

鮮やかに色付き、やがて枯れ落ちていく木々の姿を記憶に刻み

 

この一年の「走り」を噛みしめる季節だ

 

そしてなんと云っても一番の楽しみは

 

路面の凍結や積雪で通行が困難になる前

 

そのギリギリを攻めて山へ入ること

 

そのギリギリの秋を心に刻むこと

 

大谷君も若手へのアドバイスで口にする

 

「どれぐらいギリギリを攻められるかっていうのが大事なのかなとは思います」

 

KAT-TUNがかつてそのデビュー曲で伝えた

 

「ギリギリでいつも生きていたいから……リアルを手に入れろ!」

 

SPEEDはもっと突っ込めと挑発する

 

「痛いこととか怖がらないで、もっと奥まで行こうよ」

 

ちょっと違うか?まあ、そういうことだ

 

……知らんけど

 

 

個人的なチキンレースみたいな感じなのかな

 

もちろんね、凍結の問題を回避して山へ入れるかどうかなんて

 

このご時世いくらでもインターネットで情報を得ることができる

 

凍結情報を見たいなら路面凍結予報 | お天気ナビゲータ

 

なんてサイトもあるし

 

気象庁のサイトだけでも予想なら案外簡単にできるかもしれない

 

だからチキンレースとまでもいかないのだろう

 

いや、だから敢えてボクは(ネットは)見ない

 

天気予報くらいは見るけどネットの情報はこの際、邪道だ

 

あれに頼っていると案外簡単にその「ギリギリ」を演出できてしまう

 

もちろん年末の宗谷岬に集まるライダーを知っているから

 

「ギリギリ」なんてものがあるのかどうかも実はわからないのだけれど

 

ボクのいうギリギリはあくまで主観的な(生ぬるい)ギリギリだ

 

だから絶対値は相当低いと云わざるを得ない(自覚あり)

 

けれど老体に鞭を打ってでもまだまだギリギリの境界を広げていこうとする

 

「未熟さ」と「人間臭さ」を自分自身に感じたいがためなのだ(カッコイー)

 

毎年そのつもりでチャレンジしている(きっぱり)

 

けど満足できたのは今までに正直2回くらいかな

 

去年なんかまだ紅葉の盛りで全く拍子抜けだった

 

とは云うもののマジで積雪してしまうとニッチモ&サッチモ

 

否、ニッチもサッチもいかなくなるし(漢字だと、二進も三進も、と書くらしい)

 

でもね

 

矛盾するようだけど実際はそう簡単でもないとは云っておきたい

 

道路の状況と云うものはピンポイントで変わるものだし

 

たまたま山から水が流れ出している場所だってある

 

そこにリーンした状態で乗ればタイヤは滑るということだ

 

凍結の滑り方は「すべる」なんて悠長なもんじゃない

 

「すべる」の「す」と「る」の間は無いに等しい

 

40km/hも出ていれば記憶にも残らない程の瞬間で路面に打ち付けられている

 

たまに砂や落ち葉でズッと滑ることがあってヒャッとするけど

 

あれは「ヒャッ」としたときにはもうグリップしてる

 

凍結路はそれがないままガチャンだ

 

オートバイが直立していれば

 

タイヤは案外グリップしてくれるのでそこそこ走れるが

 

逆に足を出すとその足がズルッといってこけるね

 

ブラックアイスバーンなんかは見分けがつかなくて最悪だ

 

とにかくこの季節の路面状況には注意がいる

 

いやだから、なんでそこまでして、とも思うけど

 

でも道路の凍結を気に掛けながら

 

凍るような冷たい空気を突っ切って

 

枯れた山の中を走る気持ち良さはなぜか癖になるのだよ

 

 

12月に入ってすぐだ

 

その週の中ごろから強い寒気が今季初めて太平洋側まで流れ込み

 

日本海側や内陸部だけでなく太平洋側の平地でも積雪の恐れがあると

 

ニュースでも警戒を呼び掛けていた

 

今年は11月中にきつい冷え込みがなく日中も穏やかな日が続いた

 

そのせいでいつもの年より気持ちがのんびりしているみたいだった

 

だから12月の声を聞いてもあまり冬を切実に考えていなかったな

 

例のギリギリを攻めにいくのは

 

大抵、奥琵琶湖か飛騨のせせらぎ街道と決まっているが

 

さすがに12月になると飛騨は高山あたりでもかなり怪しくなるし

 

奥琵琶湖のパークウェイは12月早々に冬季閉鎖になるのだ

 

さあどっちに行くべきかな?

 

気付けば短い周期で前線が列島を通過し

 

徐々に冷え込みが強くなってきていた

 

「この日しかない」と決めたその朝

 

実はそれほど寒くない日だった

 

一応冬のフル装備で準備し通勤ラッシュの東名に乗った

 

今日の相棒はクロ介(BMW エアヘッド 1000cc)

 

クロ介の完璧で完全なフロントカウルに潜り込んで高速を駆け抜ける

 

全然寒くない(あれ?)

 

当日の天候を見て決めようと思っていたから行き先がまだ決まってない

 

朝の予報ではどっちも同じような感じの天気だった

 

東名に乗った時点でもまだ飛騨か?奥琵琶湖か?決められていなかった

 

すぐに達する豊田JCTまでには決断しなくては……

 

飛騨なら分岐して東海環状道へ

 

奥琵琶湖ならこのまま東名だ

 

いやー、実にギリギリ、いいねー

 

矢作川の長い橋を渡りながら開けた視界を眺めやる

 

そうね、北の方に青空が見えるよ

 

なら、飛騨!決まり

 

スピードを落とさずランプウェイをコーナリングしていく86を追って

 

東海環状道へ分岐した

 

いつもなら見えそうな恵那山も御岳山も今日は姿が見えない

 

明るいが雲がやや多くて空気も霞んでいた

 

だからその分暖かいのだろう

 

 

東海環状道 富加関ICが我慢の限界

 

高速、おもんないねん!

 

岐阜県県道58号から64号へつないで金山へ向かう

 

飛騨へ行くときは大抵このルートだ

 

狭い谷筋の県道なので朝の空気はひんやりしていた

 

山の北側は一日中日当たりが悪いせいか路面がかなり怪しいが

 

周囲を見渡しても霜が降りている風でもなさそうなので

 

今日は凍結までは心配ないだろう

 

ただけっこう濡れているので橋の継ぎ目に気を使う

 

この辺りでは庭先の楓がまだ葉を落とさず枝に残っていた

 

途中の北条峠は頂上部でかなりウェット

 

けれどその先の県道64号線は全体的に開けていて明るい

 

川に沿ったワインディングが楽しいルートだ

 

 

金山でいったん国道に合流するがすぐに県道86号線へ折れる

 

しばらくの間、馬瀬川の明るい右岸を走るが

 

馬瀬第2ダムの切りから濃飛道路のきれいなトンネルをくぐり

 

国道256号線に入った

 

今度は和良川に沿って走る

 

南側に斜面が迫っている山かげは

 

冬になると一日中陽を遮られているところが多い

 

そのため日中でも空気が淀んだように冷たく

 

すぐ横の和良川からの水蒸気が路面を湿らせる

 

こういうところは乾きが悪いので冷え込むと凍結しやすいのだ

 

でも全体的に見れば今日は気温がかなり高い

 

途中に何度も出会った温度表示板は軒並み8℃くらいはあった

 

このまま行くと郡上に抜けるがその中ほど

 

和良川が開いた平地に和良の山里がある

 

江戸時代には幕府の直轄領で旗本の天領陣屋も残り

 

平安時代から人が住み着いていた記録もあるそうだ

 

とても雰囲気のいいところで好きな場所のひとつ

 

道の駅で休憩

 

なぜかここ、定休日にしか来たことがない

 

 

ここから「こもれびロード」(県道329号美並和良明宝線)に入る

 

南北に走るルートは概して日当たりが良く

 

路面もドライで安心して走れる道が多いものだ

 

明宝に近付くと峠へ向けて山を登るので

 

南も北もなくなるが標高の割にここは不安がない

 

くねくねっと道がワインディングしていて大好きだ

 

 

相谷トンネルで一気に明宝側へ抜ける

 

このトンネル西側にある川に山が沿って湾曲しているせいか

 

ずーっとトンネルもカーブしている

 

山の中のトンネルに有りがちな路面の湿潤もなく快適

 

このルートは相当重要なのか十分に整備されている

 

 

国道472号線へ出てせせらぎ街道を目指す

 

あたりの山は見事な枯れっぷりだ

 

おかげで交通量がほぼない

 

峠を貫く坂本トンネルがかつて有料だったなんて知らないか?

 

むかしはそこら中に有料のトンネルとか有料の橋があったのさ

 

それを旧道で回避して走るのが昔のオートバイ乗りだったんだぜ

 

坂本トンネルは逆にいつも濡れている

 

そして寒い

 

ここ嫌いだ

 

でもこのトンネルから先のワインディングはすごく好き

 

この日はちょっとウェットだったけどね

 

 

道の駅パスカル清見で買い物する

 

「パスカル」ってボクの好きなパスカルさんじゃなくて

 

造語らしいね

 

道の駅の名前って造語が多いよね

 

同じく岐阜にある「きりら坂下」なんてバーイトサイド

 

だったような、違うかな

 

パスカルは田園音楽のパストラルとカルチャーをイメージしてるみたい

 

なんでもいいけどね

 

今日は駐車場にオートバイ「0」

 

ワクワクするねー

 

 

県道73号線に変わっていよいよ峠に近付く

 

標高は1000mを越えてさすがに冷えてきた

 

路面は全面ハーフウェットからびっしょりウェット

 

過信はしてないけど凍結は大丈夫そうだ

 

86×2台,S2000、インプレッサのグループがアホみたいに飛ばす

 

岐阜ナンバーだったから地元かな

 

ビビってるのはロートルライダーだけか

 

西ウレ峠 1113m

 

なぜか、ぼんやり暖かい

 

気温計はなんと8℃

 

こりゃ今年もまたギリギリとは云えんな

 

 

とは云えせせらぎ街道はすでに丸裸

 

日影の空気はもう真冬

 

繁る葉っぱで見えずらかった渓流がやさしく音を立てて流れていく

 

何とか青空だ

 

でも「ギリギリ」ではなかったな

 

今年もよく走った

 

去年に引き続き10000kmを越えそうだ

 

クロ介で北海道を走られたし

 

秋には思う存分クネクネできた

 

さて来年はどこに行こうかな

 

 

ギリギリ感に乏しいと思って帰ってきたが

 

翌日から飛騨は雪に見舞われた

 

峠は通行止め

 

結果的には雪の季節のギリギリは攻められたかも

 

あんまり寒くなくてイマイチだったけどね

 

 

にほんブログ村に参加しています

ダウンクリックお願いします

にほんブログ村 バイクブログ ソロツーリング(バイク)へ
にほんブログ村

にほんブログ村 ライフスタイルブログ 何気ない暮らしへ
にほんブログ村