釣りを趣味とする人の数はおよそ500万人だそうだ
サーフィンは40万人
二輪車(原付を除く)は保有台数から云えば600万台もあるらしいが
新車中古車を合わせた販売台数は年間だいたい40数万台
そのうち日々オートバイを趣味として走らせる人の数はどうだろうか
おそらくは釣り人口には到底及ばないだろう
そこで二輪車をもっともっと振興したい、ということらしい
二輪車と云うと「振興」がいつも付きまとっている
そんなに流行ってないんだね
「振興」、盛り上げることだ
国語辞典にそう書いてあった
だれが?
それはもちろんメーカーの思惑だ
売れないと作れないからだろう
そんな単純な理由なのだ
端的にいいものを作れば売れるという時代なんかとうに終わっているから
潜在的に二輪車を欲しいと思う人がたくさんいて欲しい
でないと売れない、それだ
けれどこの思いには案外高いハードルを伴っていて
前提条件としてまず運転免許が必要だ
かつて大型オートバイに乗るために必要な免許を
日本では実質「規制」していたことがあったが
そのため街中で大型オートバイを目にする機会はほぼなくて
大型オートバイの代名詞的存在であるハーレーダビットソンなどから
そのことが輸出障壁になっていると強い抗議を受けた
それで仕方なく免許制度を変えた経緯がある
つまり二輪車を売るためにはまず免許を持ってもらう必要がある
コレ絶対条件ね
そして免許を取り、オートバイを買うが
それだけでなく乗車用の必須装備を用意しなくてはいけない
ヘルメット
これがまた高価
これがないと走れないんだからオートバイに付属しろよと思うが
まあ免許取るにも必要だから持っているものなのかもしれない
そのほかにもグローブにシューズ
ウエアやプロテクター
なぜかスマホホルダー
そんなこんなで十数万円が飛ぶ
オートバイの前には時間とカネの実に高い壁が聳え立っているのだ
なにかを振興すると云うと
安易にその楽しさを演出してみせることが多いが
まだ実際に乗っていない人が対象となるわけだから
オートバイの楽しさ、と云ってもそもそも伝わらない
だからその結果なぜだか群れてガチャガチャと楽しげな雰囲気を作る
必ずしもオートバイでなければいけないとは感じないものだったり
若くてかわいい女の子という意外性だったり
日常から解放された自然の景色だったり
まあ、そんな類の「乗る目的」をぶち上げる
日常の生活空間に息苦しさや生きづらさを謎に抱える若者に
ふんわりとみんなで「いいね」と云い合える共有空間を提示する
みんなの大好きな「仲間」
つまり「群れ」ね
しかし逆説的だがこれでは大なり小なり閉鎖空間を生むだけだ
群れは必然的に閉鎖する
そもそも群れは構成員のホダシやトリコが目的で
内と外を同時に威圧しながら存在感を保つ
何とかラリーとかツーリングイベントとかも
集団心理全開でズカズカと道路を大挙占拠し
コンビニだろうが道の駅だろうがお構いなし
スタンドにだって集団で押し掛ける
それをなんだか楽しそうだという人もいるし
その得体の知れない気味悪さに目をそらす人もいる
なんで集まることが振興なのか
なんで目的を与えることが振興なのか
思い出して欲しい
コロナウィルスのパンデミックで群れが禁止されていた時
実はすごくオートバイが売れていたよね
中古車価格が異常に上がって
新車も思うように手に入らなかった(部品がなかったという面もある)
群れを作ることが本当に販促と振興につながっているのか
もう一度云うけど
群れは閉鎖につながるだけだ
前に二輪車普及のカギについて思うことを記事にしたことがあったが
中古車市場、中古車業者のマス化と寡占化が進み
中古車が異様な高価になっている気がするし
ジイちゃんの原付とかオカンのラッタッターといった
身近な二輪体験を得にくくなった今こそ
アプローチ(訴求)の仕方も
幼稚で馬鹿っぽい親近感とか容易さではなく
もっとダイレクトに二輪車自体の体験を優先すべきだと思うと書いた
背景にある問題として
現代人の欲望のミニマム化とその逆説的な先鋭化という質的変化
企業の巧みな情報操作と差異をあおる商品開発
無刺激的な欲のなさを装いながら
一方では果てしなく求める貪欲さが同居するという不思議な国民性
生きにくさという言葉とそこに見え隠れする甘えの構造
新規の顧客として若年層を取り込みたいわけだが
その手法の中心はどうしても「いいね」という共感に行き着く
「仲間」というキーワードで連帯感をあおり
その中心に二輪車があるような錯覚を生ませる
または二輪車というどちらかと云えばマイナーなものを介することによって
正体不明の優越感を持たせる
でもそのすべては他人の評価頼り
他人の目線が気になって仕方ないし
他人の承認なしには自己を維持できないのだ
そんな人は別に二輪車じゃなくたって
なんだっていいのだろう
一般的には心の指向性は外へ能動的に働かせるべきだ
他人から受動的に受ける刺激ではいつまでも心を満たすことがない
外へ向かう能動的な意思はそもそもその充足を目的としない
自他の区別もなく
ただひたすら心は拡散しむしろ真空に近くなっていくものだろう
この真空な心の状態を楽しいと云うのだ
これは決して他人から与えられるものでもないし
他人に与えられるものでもない
だからこそ楽しいんじゃないのかな
意味や目的を考えるなんて仕事だけで十分だ
意味もなく当てもなく
ただ心が楽しい状態
二輪車に乗ることでそれを感じることができる
二輪車にはその何かが確かにある
だからこそ
オートバイにはあまり技術の進化を持ち込み過ぎないようにしてもらいたい
そう云い続けてきた
人が習熟して可能なことはその方が良い
時代がどうとかこうとかではなく
人間の乗り物としての立ち位置を見極めること
人間が全身を使って、感覚を研ぎ澄ませて
オートバイをスムースに滞りなく
素晴らしい調和の下でコントールする
そして早春の海辺を
真夏の高原を
紅葉に色付く渓谷を
凍てつく冬の街道を
それぞれに感じて走る喜びと楽しさ
そうやって人間は逆に真に強い集団にふさわしい個にならなくてはいけない
安易に群れていては駄目だ
一人でも走れる強い人になろう
そんな心の強い人間にこそオートバイはふさわしい
孤独の時間が人を育てるのは間違いない事実なのだ
お行儀の良さにも少し問題がある
お行儀がいいんじゃなくて
責められるのが怖くて委縮しているようにみえる
なんでもそうだけど
お互い様、おかげ様、がこの世の中だ
「パノプティコン」って知ってるかい
皆が見えない監視者におびえて暮らす監獄社会のたとえだ
民衆が互いに牽制しあって見張り合って暮らす社会
その見えない監視者におびえているうちに
人々は次第に従順になり
結果的にそんな世の中になんの矛盾も感じなくなるのだ
そしてそこから逸脱する人をみんなで狂人として排除し始める
まさに今の社会はパノプティコン(一望監視システムの監獄)
気を使ってお行儀がいいだけならまだかわいい
道徳を理由にして正当化された暴力におどおどして口をつぐんでいるだけじゃないの?
いまのひとって「多様な価値観」って言葉好きじゃん
ちがう?
その前には自分の「芯」を出さないと
人から見てわかるくらいにはな
そしてそうやって出っ張ると必ず打たれるだろう
でもそれが気持ちいいんだよ
そんな風に云える人になりたい
ふと時計を見て午後の5時だと知り
あたりの明るさにあらためて季節の移ろいを感じるこの頃
そういえば朝日が差し込む角度も変わってきている
今年の冬もようやく峠を越えただろう
あとはもう暖かくなるばかり
風の季節になるけれど
晴れた午後にはオートバイたちを引っ張り出して
春へと備えることにしよう
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