人生の旅路 -3ページ目
慌ただしい晩冬。
そんな実感もわかず
ゆったりとした時間の流れを感じる
今日この頃。
様々な人との出会いと別れ
劇変した、怒涛の一年
人生は想定外の事が起こる。

免疫グロブリン療法の後、
記憶力、敏捷性等のテスト
動作や歩くリハビリを一週間ほど続け
私はひとまず退院となった。

リハビリがてら
久方ぶりにやって来たのは、
私にとって、第二の故郷とも言える
上京して十年暮らした、想い出の地。

板橋区内、某所。
近所に住んでいた頃、よく通った懐かしの店
麺や『天鳳』

価格は少々上がり
麺の食感が変わったような気もするが
ランチタイムで無料サービスの
小ライスも食べられるくらい
食欲は回復してきた。

頭は回らず、
複視の症状がまだあるものの
これからしばらくは自宅療養。
指関節の痛みも気にかかる。
しかし、特効薬はなく
自然治癒を待つほか無い。
今は焦らず、ゆっくり安静に
心穏やかに...
15年位前、ヘルニアの手術をして
一週間入院した事がある。
今回の入院生活は、既に三週間が過ぎた。
私がかかった『ビッカースタッフ脳幹脳炎』
という病の場合、
CTスキャンやMRI、髄液の検査でも
異常が見つからず
何の疾患か分からないまま
いくつもの病院を転々とするケースも
少なくないという。
救急搬送された、その日に診断が下り
治療を受ける事が出来た私は、
運が良かったと思う。
意識はまだ朦朧としているが
熱や頭痛がやわらいでくると
徐々に食欲が湧いてきた。
トイレへ行く以外
寝たきりの入院生活は、食事だけが
唯一、待ち遠しい時間になってきている。
3回目の開催となる
至上の愛フェスタは無事に終了。
主催でありながら、
出演できなくなった私の代わりに
集まってくれた同志達。
ケムスメル、菜緒パイセン
世界のガージュ夫妻には
心より感謝と、ありがとうの微笑みを。
大山駅前にある
某医療機関、10階西病棟。
見晴らしが良く、天気のいい日は
病室から富士山が観える。
私が診断された病は
『ビッカースタッフ脳幹脳炎』
年間発生率100万人当たり0.6人という
極めて稀な症例らしい。
眼筋麻痺や意識障害
四肢脱力などの後遺症が一部あり
また、急性期における合併症により
致死的となることもある。
私の母は、『進行性核上性麻痺』
という疾病だった。
激しい頭痛と発熱に見舞われ
吐き気が続き、食事も取れず
寝たきりのまま昼夜続いた点滴治療。
入院して最初の一週間ほどは
非常に苦しく辛い日々だったけれど
幸いにして、私の病状は
少しずつ回復に向かいつつある。
数日前から、陽差しが
やけに眩しいなと感じてはいた。
担当医によると、転送直後の
私の瞳孔は開いていたという。
前回のLIVE以前から
しばらく体調不良が続いていた。
一ヶ月以上も咳が止まらず
眼の焦点が合わなくなり
物が二重に見え、身体はふらつき
自力で歩く事もままならない。
救急車を呼び、混濁した意識の中
私は、近くの総合病院へ搬送された。
採血、レントゲンにCTスキャン
MRI撮影後、脳脊髄液の検査。
しかし、異常は見つからず
専門医のいる病院へと転送。
生前の母を連れて
幾度も通った、脳神経科。
あなたが旅立ってから
まもなく迎える七回忌。
そんな折、私もまた
脳の病魔に侵されるとは…
『治らないなら死んだほうがましだよ!』
闘病中のあなたが言い放った
あの時の一言も、
今なら少しは理解できる。
至上の愛フェスタ第二弾終了!!
大盛況の内に閉幕させていただき
誠にありがとうございました。

お忙しい中、ご来場頂いたお客様
会場スタッフの方々に支えられ
このイベントを開催する事が出来ました。
これからも、愛と真心をモットーに
感謝の気持ちを忘れず、精進して参ります。

グッドスメルも大変にお疲れ様でしたm(__)m

