折れない心をつくるシンプルな方法 -26ページ目

折れない心をつくるシンプルな方法

潜在意識を意識化し、本来の自分に気づいたとき、頑張らなくても心から望む人生を自ら創造的に生きることができます!
今日より明日、あなたの毎日がきらきらと輝きますように!
            心理セラピスト/メンタルコーチ 渡邉 千恵

◇◆自分を大事にしてほしい◆◇
最近、私の周りで、ご家族が病気になってしまった友人がたくさんいて、そんな様子を聞く度に胸がしめつけられる想いです。

昨年から続く天変地妖は、直接被害に遭わなかったとしても、地球という大きな母船の中で暮らす私達一人一人に大きな影響を及ぼしていて、人が生きていく上での生命力というようなものが、知らないうちに蝕まれてきているような気がします。

マヤ暦や西洋占星術をはじめとする、ありとあらゆる先人の智慧でひも解いていくと、今年は大変化の年にあたるそうで…
私はその方面の知識には全くうといのですが、自分の体感として、確かに時の流れが早い。
1日が24時間でなく16時間ぐらいで過ぎていくような感覚があります。

次から次へと色んなことが起こり、何だか目が回りそうです。

そんな変化を前に、なんだかあたふたしてしまうのだけれど
こんな時こそ、自分の体感覚のようなものを大事にしたいなと思っています。
自分軸をしっかりすえること。

なんとなく、これがしたいとか
ちょっと気が進まない、とか

そんな自分の内側の声に、耳を澄ましてみる。
疲れたなあ、と思ったら休む。
それは当たり前のようだけれども、現代はその当たり前ができないほど、忙しくて、やらなければいけないことがたくさんある毎日です。

でもね、そうやって自分を鼓舞して酷使していると
だんだんと本当の声が聴こえなくなってしまって
大事なセンサーが働かなくなってきてしまうから。

あなたが大切な人を思うように、自分のことも大事にしてほしい。
そう思います。

そういう時、大事なのは「手放す」ということかも知れません。

こう、あらねばならない、とか
こうするべき、とか
やらなければいけない、とか

人は様々な思い込みの中で生きていますが

そのことは本当に必要なのか
本当に自分がやらなければいけないことなのか
それ以外の選択肢はないのか


そのことを自分に問いかけてみると、本当に必要なことって
あまりなかったりする気がします。

もっとシンプルに
休む時は休む。
そして、やりたいと思ったことはやってみる。

話はちょっと飛躍しますが、「夜と霧」という本を昔読んだんですね。
これはアウシュビッツ収容所で生き残った方が書かれた本です。

食べるものも与えられず、朝から夜中まで過酷な労働をさせられて
倒れたら最後、ガス室へ送られてしまう。
何も生きる希望がなくて、毎日死への行進をしているような日々です。
今日強制労働に出たら、二度と生きて帰れないかも知れない。

人間の尊厳が奪われた極限の状態の中で生き残った人はどういう人だったかというと
人を蹴落としても生き残ろうとしたようなガツガツとした強い人、ではなくて

生き地獄のような毎日の中でも、宿舎からの短い移動の道の片隅に咲く、野の花を美しいと思えた人。
そそり立つ壁と壁の間から注す陽の光に感動することができた人。
一緒に収容された仲間をいたわり、助け合おうとした人。
そういう風に最後まで人の心を失わなかった人が生き抜いたと書いてありました。

宝石赤あなたは誰にも代わることができないたった一人の大切な存在です。

宝石赤だから、大切な自分の命を愛おしんで大事に生きてほしい。
宝石赤体も心も満たされて、生き生きといまを生きてほしい。

そう、願っています。


今日も一日、みなさまに光が降り注ぐ日になりますように!ドンッ













◇◆地球ファミリーの新しい小さな一歩◆◇

昨日、私がスタッフとして関わらせていただいた「地球ファミリーの集い」が無事終了しました。

1月9日のキックオフミーティングからスタートして2ヶ月半。
鈴木真奈美さんとグループコーチング1期2期の仲間の代表で結成したスタッフチームで、何度も何度も話し合い、毎晩のようにメールをやり取りしながら準備を進めてきました。

元々、地球ファミリーは真奈美さんに天から降ってきたメッセージから始まったんです(笑)
だから、具体的なことが何もなくって、始めちゃったけど、さてどうしよう…みたいな(笑)

Nさんと共に統括をやらせていただいた私の最大のテーマは、その宇宙のメッセージをいかに違えずに具現化するか、でした。

誰もやったことがない、全く初めてのこと。
でも地球ファミリーは必然だと思っています。

だから、もともとのメッセージを根本にしながらも、
「ここはこうした方がいいんじゃないか」「いや、これはこうしよう」
「これはこうすべきなんじゃないか」

もう、細部に至るまで、本当に一つ一つをとことん話し合い、妥協は一切しませんでした。

全てが手作りで、みんなで何でも率直に意見を出し合い、話し合い、助け合いながら進めてきました。

でもね、もともと正解はない訳だから…

準備を進めていく過程で迷うことも山のようにあって
というか、正直なところ、迷いだらけ(笑)

私自身が地球ファミリーの集いの重責を担う立場をさせていただいていて、時には大きな決断を迫られることがあって、一つの選択をした時に「本当にこれで大丈夫なの?」って内心ドキドキ。

そんな時、真奈美さんや一緒にやっている仲間は、いつもまず100%私の意見を聴いてくれる。
そしてその上で、それぞれの考えや意見を言ってくれる。

もうとにかくあたたかいんです。
一緒にお志事できるだけで幸せなの。

まずは目の前の人を100%受け入れる。
その人がいてくれること自体に感謝。
そうしてそこから一緒に歩む。


この真奈美さんとスタッフのあり方自体が「地球ファミリー」のメッセージのようでした。

それぞれがお仕事を持っていて、それもめちゃめちゃ忙しい人ばかりだから、やりとりはいつも泣く子も黙る丑の刻 (笑)なのにみんな、本当に迅速に確実に真心を込めて、それぞれの役割を果たしてくれる…
それも、志事を進める上で必要なスキルを持った人が、不思議とちゃんと揃っているから、難しいことをお願いしても魔法のように、サクサクってできてしまうの。

これは、宇宙の何かの力に応援されている、としか思えない感じでした。

だから、そんな素敵な仲間達と、この場にいられて、一緒にお志事ができたこと自体が最幸に幸せで、感謝感謝の日々でした。


そうして迎えた11日、20日はアッという間に終わってしまったけれど、facebookの地球ファミリーのコミュニティでも、真奈美さんのブログにも、また真奈美さん個人へのたくさんのメールでも、

きてくださった方から、たくさんのお礼や嬉しい感想をいただき、みなさんが本当に喜んでくださったことが、何よりの喜びです!

今日、Facebookのスタッフ打上げの写真にくださったYさんのコメントがあまりに嬉しかったので、ここでちょっと紹介させていただきますね。 ダウン ダウン ダウン

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ラブラブスタッフでない私ですが、コメントさせてください。

真奈美さん、スタッフの皆様、素晴らしい気づきや愛に満ちた会をありがとうございました。

等身大のメッセージを投げてくれる本、セミナーなどは皆無でした。小さな一歩からでいいのは私にとって、救いでした。

イメージをするのが下手な私は、参加者を敵、仲間とそれぞれみなして見回すワークの時、傍観していました。
でも、気づいたんです。
仲間と思うと、皆さんが笑顔なのを。だったら、敵対心のある組織で一人で笑顔でいたら、インパクトを与えられるのではないでしょうか。
とてもシェアしたかったのですが、感動して挙手を忘れたら、次のワークになってました。

多くの方に感動を与える機会を準備できるスタッフの皆様がうらやましいです。おっとっと、比較ワード出没(笑)。

これからの地球ファミリーのイベントでは、何らかのお手伝いをさせてください。

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Yさん、本当に素敵なコメントをありがとうございます!
そして何より、「地球ファミリーの集い」に参加してくださって、本当にありがとうございます!!

真奈美さん、スタッフとして一緒にやってきた仲間、参加してくださったみなさま、当日は来れなくても色んな形で応援してくださったみなさま。すべてのみなさまに感謝です!

そしてみなさまとともに、地球ファミリーとして、
私も新しい小さな一歩を積み重ねていこうと思います 天使

その一歩一歩は、ほんの微々たるものかもしれないけれど
たくさんの小さな一歩が集まることで
いつか地球をおおうことができると信じて
◇◆永松茂久さんの講演を聴きました!◆◇

永松さんの本「感動の条件」に初めて出会ったのは去年の夏でした。
もう、涙が止まりませんでした。その時の感動をどう言葉にしたらいいのでしょう。

感動と共にもう一つ思ったことは (そんなすごい方と一緒にしてはいけないのだけれど)「あっ、同じことを思っている人がいた」ということでした。

それ以来、ずっと会いたかった方です。

講演の内容も本当に素晴らしいものでした。

永松さんの師匠は生涯納税額日本一の大商人斎藤一人さん。
道に迷った時、なんだか前に進めなくなった時、私もずいぶん一人さんの本を読みました。

人の言葉にはことだま、力というものがあって、それは人を幸せにもするし、不幸にもする。
だから天国の言葉を使いなさい、と一人さんはいつも言われています。

「ついている」「うれしい」「楽しい」「感謝してます」「幸せ」「ありがとう」「許します」

なぜ、これが天国の言葉なのかは、斎藤一人さんの本を読んでみてくださいね。


永松さんが講演を通じて一番問いかけたかった質問です。


あなたには大切な誰かがいますか?
その人は笑っていますか?
その人を幸せにするために、あなたは命をどう使いますか?


この質問は、簡単なようで、実は自分をとってもパワフルにしてくれます。
なぜかと言えば、
人は自分のためより、大切な誰かのためにと思った時、ものすごいエネルギーが出るものだからです。


私自身ももう一度、自分に問いかけてみようと思いました。

追伸 … 講演後の懇親会で、やっと念願叶って永松さんとお話することができたのに、講演で大泣きし、感動で舞い上がっていた私は、永松さんを茂松さんと呼んでしまって( なんでだろう…ホント、あり得ない(> <; )
永松さんに訂正されてめちゃくちゃ凹み、その後も話はしどろもどろあせる。第一印象最悪だろうな~ ( この場合も一人さん的には最悪って言葉は使ってはいけないんですけどね/汗;; ) そのショックは未だに尾を引いてます。

ところで、懇親会では、永松さんのお友達のシンガーソングライター、ユウサミイさんが飛び入りで来てくださって、歌をうたってくれました。音譜

ユウサミイさんの歌って、ものすごく力強くて心にスト~ンって響いて、聴いているだけでなんだか涙が出てくるの。最幸でした。アップ

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永松さんとユウサミイさんの『 Tokyo For You LIVE  』があります。
5月26日(土) 14:30~ ユウサミイライブ
       15:45~ 永松茂久講演
会場/府中グリーンプラザ けやきホール
詳しくはこちらから → info@nagamatsushigehisa.com

◇◆体の声を聴くということ◆◇

玉来なおこさんのキネシオロジー講座に参加しました♫
なおちゃんは、Facebookでつぶやくと、1000いいね!がついちゃうようなカリスマセラピストです。
美人で楽しくてあったかくて、そばにいるだけでこちらも幸せな気持ちになるような素敵な女性です。

なおちゃんの話はこれぐらいにして、キネシオロジーを学ぶ中で、あらためて感じた体の不思議を
今日は少し書いてみたいと思います。

   クローバー   クローバー   クローバー
 
人の頭と体と心はつながっています。
すべては絶妙のバランスで連動して、その人自身を守るために、日夜一生懸命働いてくれているのです。

ところがね、現代社会はあまりにストレスが多くて
休む間もありません。

「最近、疲れがたまってるな~」
「なんか、やる気が起こらないな~」
「ちょっと休暇を取って温泉にでも行きたいな~」
って思っても…

時間もお金も余裕もない(笑)

そうして毎日生きていかなくてはいけない。


するとどうなるかって言うと、自分で自分をだますんです(笑)

私はまだがんばれる!って。

本当はいっぱいいっぱいなのに
頭はうそがつけるから
自分の身を守るために、本当は答えを知っているのに
無理をして、そこにフタをして見なかったことにして
まだいけるよ、って励ましちゃう。

これが世間的に常識的に、正しいことだから。
やらなければいけないことだから。
こうあるべきだから。 などなど…

私たちは今まで生きて来る間に
あらゆる制限や思い込みを刷り込まれてきています。

だからそうやって頭はうそをつくことができるけれど、体はうそをつかない。
そうして自分の本当の声を知っているんです。

どんなに文明が発達して
高度な知能をもっていても
人はサイボーグじゃないから
宇宙の営みの中で生かされている動物だから

一番大事な心と体を置き去りにして、頭で自分を鼓舞してがんばろうとしても
体や心はついていけないのです。

病気になる。
けがをする。

それ自体は大変につらいことだけど、時には、走り続けてきた体が「もう、限界!!休ませて!」
って信号を送っている時もあります。

今の時代、うつ病や心の病が増えているのも、そうした心と体のバランスを無視して走り続けてきた生活が原因かも知れません。

人間は頭と心と体のバランスがとれてこそ、健康で、自分らしく、100%の自分を発揮することができるから、特にめまぐるしい今の時代こそ、意識的に体をケアしてあげること。体の声を聴いてあげることが大事です。


ブレインジムは、教育キネシオロジーの一つで、
いつでも、どこでも、簡単な運動で、
心と体のバランスをとり、
自分の体の声を聴いて、
自分でケアをすることができる
まさに魔法のようなスキルですラブラブ


ブレインジムをやれば、確実に心と体が変化します!
もっと楽に、自分らしく生きられるようにまります!
そうして本当の自分を知ることができるから、自然に無理なく夢実現思考になります!

あなたがあなたらしく輝いていく

そんな素晴らしいブレインジムを、たくさんのみなさんに知っていただきたいと、企画した講座です!

良かったらのぞいてみてください  ダウンダウンダウン

1日5分の運動で変わる!!
「大人のための生きづらさ開放講座」
 3月24日(土)10:00 ~ 16:00



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◇◆ほんとうに大切なことは目に見えない◆◇

3歳で両親が離婚した後、祖父母の家に預けられていたことがあります。

当時、祖父はもう80歳近かったでしょうか。

明治生まれで頑固一徹。
とにかく豪放磊落で、たまに人が訪ねてくると、縁側で囲碁を打っていました。
外出には帽子とステッキとロングコートを羽織り、かくしゃくとして、とにかく一目散に歩きます。

一度、外出につき合わされたことがあって、バスに乗って帰ってくる時に(ちょうど家はバス停とバス停の真ん中ぐらいのところにあったのですが)、家の前に差し掛かった時、運転手さんに向かっていきなり大声で「はい、ここで止めて。」と当然のように命令し、あまりの迫力に(あるいは年寄りだから仕方ないと思ったのか) なんと本当に家の前で下ろしてくれたことがありました。一緒にいた私は顔から火が出る程恥ずかしく、それ以来頼まれても言い訳をして、絶対に祖父の外出の付き添いはしませんでした。

話す時はほとんど怒鳴り声(私にはそう聞こえました)。特に祖母に対してすべて命令口調で、ちょっと気に入らないことがあると怒鳴り散らすので、それがとっても嫌で、私は祖父が嫌いでした。
とにかく、こわくてこわくて、なるべく近づかないようにしていました。

そんな祖父が、病におかされ、ほとんどの時間を部屋で寝て過ごすことが多くなってきました。

恐る恐る祖父の部屋をのぞくと、ほとんどがうつうつと寝ていました。
最初は怖くて部屋に入れなかったのが、いつのぞいても寝ているので、段々大胆になった私は、忍足で部屋を探検するようになりました。碁石をいじってみたり、懐中時計を眺めてみたり…

祖父の布団の横には経机が置かれていて、小物入れのようなところに小銭がたくさん入っていました。

ますます大胆になってきた私は、その小銭を何枚かこっそり失敬して、お菓子を買ったりしていました。

今考えれば泥棒ですが、とにかく両親はいないし、誰もそのことをとがめる人もいませんでしたから。

そうして、祖父が寝ている時は部屋に出入りするのに、たまに祖父の調子が良くて起きている時に呼ばれても、決して行きませんでした。

そうこうするうちに、祖父の状態は悪くなり、いよいよ危ないというので、叔父や叔母達がやってきて話し合い、私は別の叔父の家に預けられることになりました。

最後に家を出る時、ああ、もうこの人は死んでしまうのだろうと、子供心に感じていたように思います。
でも私は祖父が嫌いだったので、その家から出られることに、どこかでホッとしていました。

祖父が亡くなった朝、夢を見ました。布団の上に正座した私がしくしくと泣いている夢でした。
本当に涙を流して目が覚めて、その瞬間になぜか祖父が死んだと分かりました。

叔父の家の電話が鳴り、義叔母が泣きながら祖父の死を告げました。

最後のお別れの時、祖母から、祖父が最後の最後まで私のことを心配して、私に会いたがっていたと聞かされました。そして、祖母に小銭を用意して自分の部屋の経机におくようにと言っていたことも…

祖父は全部知っていたのです。分かっていて、寝たふりをしていてくれていた。

葬儀の間中、私は泣き続けました。

面と向かうと怒鳴ることしかできなくて、誰に対しても横柄で…
そういう表現の仕方しかできない人だったので、ずいぶん不評をかい、大事な人間関係を壊したり、子供や孫からも恐れられ、嫌われていたところがありました。

人は気持ちや考えを伝える時に言葉をつかいますが、実はその言葉は、その人の心の底の真実を語ってはくれていなかったりするのです。

「心で見なくちゃ、
 ものごとはよく見えないってことさ。
 かんじんなことは、目に見えないんだよ」

   出典:『愛蔵版 星の王子さま』、岩波書店、
       サン=テグジュペリ 作、内藤濯 訳、P99より


そのことを理解するにはあまりに子供だったのですが…

私が泣き続けたのは、祖父が亡くなってしまった悲しみよりも、そのことにやっと気がついても、もう祖父に謝ることができない後悔と自責の念だったのだと思います。

だからもう二度と後悔したくない。
心で見なくちゃ、ものごとはよく見えない。

その気持ちはいまも私の、自分自身に対する戒めになっています。







◇◆つながっている◆◇

大切な友人からメールがありました。

その友人は、いま、ご家族が病に倒れ、自分自身も色々なことが重なって、本当につらい状態です。
毎日のようにメールでやり取りはしているけれど、私なりの精一杯の言葉を送っているけれど、本人のつらさ苦しさ、というものは、どうがんばっても分からないし代わることはできない。

そんな時自分の無力さを感じます。


以前、拒食になって、がりがりに痩せて見る影もなかった時、知り合いに会うのがとても怖かったんです。

知り合いに会えば、明らかにおかしい訳ですから、
「どうしたの?」「何かあったの?」「大丈夫?」って声をかけられる。
それはそうですよね。本当に様子が変な訳ですから、みんな心配をして聞いてきます。

でも一言で答えられるぐらいなら、そうはならない訳で、そんな声をかけられることで、さらに落ち込んでしまう。。。

そういう時「がんばって」って言われることが一番つらかった。

それは善意から発せられた言葉なのだけれど、その善意が刃になって、さらに心を切り付けらてしまうことがあります。

時には何も言わないことが、最大の励ましなこともあります。


そんな時、一人の先輩が、何も聞かないで、じっと私を見つめてただ一言、
「千恵ちゃん、大変っていうのはね。大きく変わると書くでしょう?
いまは本当につらいかもしれないけれど、必ず変われるからね。」って言ってくれました。

その先輩はご主人をがんで亡くされて、亡くなったご主人の会社のものすごい額の負債を抱えて、二人のお子さんを育て上げ、凛として生き抜いてこられた方。

自らが人生の辛酸を乗り越えてこられた、その実体験から発せられた一言は本当に重みがありました。
そして私を想っていてくれるあたたかい気持ちが、私の心の奥の方まで流れてきて、凍えた心を溶かしてくれたようでした。


人は贅沢なもので、ある時は放っておいてほしいと思う。

でも一人はさみしい。

そして、やっぱり一人では生きられない。

その人の気持ちになることはできないしその人と代わることはできないけれども
人の、心から誰かを想う気持ちというのは、目には見えなくてもつながっていく。
そしてその人の心の力になっていく。

そう思っています。

だから、何もできないけれど、あなたは一人じゃない。

あなたを想っていている人がいる。
この地球上に何億人の人がいる中で、あなたはここに生まれて、そしてあなたのことを大切に想ってくれるたくさんの人に出会うことができた。

そのことが奇跡だと思っています。

だから負けないで。

あなたは一人じゃないのだから。







◇◆がんばらなくていい!◆◇

鈴木真奈美さんのブログに、東京マラソンの参加者とほぼ同じ数の方が自らの命を断っている、という話が書いてありました。

実は、日本の自殺者数は、1998年以来、毎年3万人を越えています。

去年、大震災で突然に理不尽に命を奪われてしまった方が2万7千人ですから、それをはるかに上回る方が、毎年自らの命を断たれている… それがいまの日本の現実なのです。

どんな想いで自らの命を断たれていったのか…

そのことを推し量ることもできませんが、その方の苦しみ、そして残された家族や友人の悲しみを想うと、なんともやるせない気持ちになります。

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実は私、6年前に拒食症になりました。

仕事のこと、子供のこと、経済的苦境、そんなことが一気に重なり、気がつけば全く寝られない、食べられない。。。

半年間で17kgやせて。気がつけば身長165cmで体重が40kgを切って、骨と皮だけで、生物室においてある骸骨の見本みたいになってました(笑)。自分の身体を見るのが気持ち悪いぐらい…
(いまはその片鱗もありませんが(> <),,,)

食べること、寝ること、って生きる基本ですよね。
だから、いまになって思えば、たぶん心のどこかで、自分を消滅させたいと思っていたのかもしれません。

その頃のことを人に話すと、どうやって乗り越えたんですか?とよく聞かれます。
家族はすごく心配して心療内科に行けって言われたけれど、自分では病気じゃないと思っているから、断固行かなかった。

じゃあ、どうやったかっていうと明確な答えはないんですけれど。

一つはね、がんばるのをやめたんです
自分で言うのもなんですが、私は真面目で、何か問題が起きても、何もかも全部自分で抱えて、極限までひたすら頑張る人でした。

何か問題が起こったら、これは私自身の宿命で、原因は自分にあるんだから、私ががんばって変わっていくしかないって。

そうやって自分に、はっぱをかけてムチ打って、ひたすら走ってきて、気がついたら心が折れちゃった。

で、自分って、こんなに弱かったんだ。だめだったんだって初めて気がついた。

だから、もうがんばるのはやめよう、って決めました。


それとね、このまま死んだら、私の人生、まるで「おしん」みたいだって。(これはNHKの朝のドラマで、次々に襲ってくる不幸にひたすら耐え続けるおしんという女性の話です/これはある年齢以上でないと分からないと思いますが…汗;)
死にきれないって思ったの。
じゃあ、もう一度、死んだつもりで生き直してみようと。

いままで、親のため、家族のため、子供達のためにがんばらなきゃいけない、ってがむしゃらに生きてきたけれど、
これからは、自分の人生を生きようと思ったんです。

「私はいったい何者なのか」
「本当の私は、なにをして、どう生きたいのか」
こうあるべき、ではなくて、なにがしたいか。

そのことを自分の心に問いかけてみました。

いまは、この仕事を通して、私と同じようにいっぱい重たい荷物を抱えて一人でがんばってしまっている
人の、心に寄り添うことができたら、と思っています。

去年亡くなったS・ジョブズの、スタンフォード大学でのスピーチを、へこむといつも聞いています。
( youTube の動画を貼付けたいのだけど、やり方が分からないから良かったら自分で検索してくださいね)

人生折り返しを過ぎてから、やっとそんなことに気づいたから、毎日が貴重です。
大げさだけど、明日死んでも悔いがないように、って思って日々を過ごしています。

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君たちの時間は限られている。
だから自分以外の他の誰かの人生を生きて、無駄にする暇なんかない。

ドグマという罠に、絡め取られてはいけない。

それは他の人たちの考え方が生んだ結果とともに生きていくということだからね。

その他大勢の意見の雑音に、自分の内なる声、心、直感を、掻き消されないことです。

自分の内なる声、心、直感というのは、どうしたわけか君が本当になりたいことが何か、
もうとっくの昔に知っているんだ。

だからそれ以外のことは全て、二の次でいい。

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生きていると、いろんなことがあるけれど、たった一度の人生、

誰のためでもなく、自分のために、あるがままの自分で、自分らしく生きられたらと思います。



みなさま、今日もいい一日でありますように!
◇◆1日5分で変わる!ブレインジム1日講座開催のお知らせ◆◇

セミナーやワークショップに参加した時は気持ちがアップするけれど一人になったらできない、ということはないですか?

どんなにその場で感動しても、自分でできなければ意味がありません。

その点、ブレインジムは1度身につければ、誰でも、どこでも、一人で、いくつになっても、自分で自分の体と心のバランスを整え、ストレスを解消し、自然とポジティブな目標達成思考に変えていくことができる魔法のような体操です

世界80カ国以上の教育機関で導入されている脳を活性化させるための身体を使った簡単な運動プログラム、ブレインジムをマスターすれば、心からワクワクする目標と、成功を引き寄せられるあなたに変わることができます!
(ブレインジムはトラウマ、発達障害などに効果的であると報告されています)


$For you  あなたにとどけたいこと。

◇ こんな方にオススメです ◇
・なんんとなく生きづらさを感じる。
・悩みはあるけど人に話したくない。
・集中力・発想力・記憶力をあげたい!!
・自分に自信が欲しい。
・すぐにくよくよ、イライラしてしまう。
・性格だからしょうがないと思っていることがある。

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「大人のための生きづらさ開放講座」
3月24日(土) 10:00~16:00 港区/@パズル芝浦

参加費 11000円
(終了後、懇親会もあります/17:00~19:30)

詳細/お申込はこちらから ダウン

http://kandotunagu.web.fc2.com

お問合せは For you 渡邉まで kando.tunagu@gmail.com

◆ 自分の直感を信じる ◆

生きていくということは、一瞬一瞬何かを選び続けていくことでもあります。

朝起きて、今日はどの服を着ていこう?とか
ご飯は何を食べよう?とか
今日はどこに行こう?とか
今日も会社や学校に行く、とか

例え同じことの繰り返しをしているようであっても、実は毎回それをする、という選択をしています。

あなたはその選択をする時に、何を基準に判断していますか?

例えば何を食べようか、という時に、あまり時間をかけて考え込んでは決めないと思います。
大概が、なんとなく今日は辛いものが食べたいとか、今日はラーメンが食べたいとか
ほとんどが気分で決めていますよね?

そういう時、思いつきのようで、実は体が内側から求めてる声を、結構ちゃんと聴いています。

ところが…

学校や、会社、仕事を決めるとか、転職するとか、結婚を決める決めないとか、家を買う、とか…

人は自分の人生にとって、とても重要だと思われる選択をする時
頭で考えるから、本当に迷う訳です。

将来を予測した時どうなっていくんだろう、とか
これは自分にとって有利な選択になるだろうか、とか

自分の頭の中がぐるぐるしてきて、考えても考えても結論がでないから
そういう時は家族や周りの人に助言を求めたり、色んなデータを調べまくったりします。

そうして、また考える。
最後はそういうすべての情報を含めて、自分の頭(脳)で先を予測して最善と思われる選択することにります。

でもこの判断というは、実は過去の経験値に基づいて行なっています。
なぜなら、人間の脳は、学習したことも含めて自分が体験したこと以外のことについての認識はできないからです。

例えば、目の前に椅子があったとして、それを椅子だと認識できるのは、過去に見たり座ったりしたことがあるからですね。

それが、今まで見たこともない形の物体だった場合、当たり前ですが、何だか分からない。
何だか分からないことに遭遇した時、脳は一瞬のうちに、今まで蓄積された、あらゆるデータ(経験)にアクセスして、一番近いと思われるものを引っぱりだしてきて、それを認識しようとします。

これは事象(出来事)についても同じことが言えます。

自分の目の前に対処/選択しなければならない出来事があった場合、過去の経験値から、それに近い出来事を見つけて、それと同じか、あるいはそれが失敗だったと感じていた場合は違う選択をします。

いずれにしても過去の経験からかけ離れた選択はない訳です。

でもね、思うんですけど、どんなに考えても、先のことは分からないし
あらゆる可能性を予測しても、それは過去の経験値に基づく予測であって
自分のキャパから飛躍した答えは出ない。

なので、思いきって考えるのをやめてみる(笑)

直感というと、私には直感なんてない、と思う方もいると思うのですが…
大げさなことじゃなくって

何となく、こうしたいな、とか
なんかそんな気がする、という感じ。

心を静めて、シンプルに
「私はどうしたい?」
自分の内側に問いかけてみる。

人は誰でも、実は自分の内側に、ちゃんと答えを持っていると思っています。

自分を信頼して、その内側の声に耳をかたむけてみる。

そうして聞こえてきた答えが
一番自分らしい、確かな道を示してくれるような気がします。



久しぶりの友達からの電話。
彼女からの電話は、いつも唐突で、あまり脈絡がない。

元気?
取りあえず、元気だから電話に出る。

実はこの前彼女と会ったのは去年の震災の日。
親友といってもこんな感じ。

この彼女とは15歳からの付き合い。(だから何年?ってとこはおいといて…)
親元離れて下宿生活を始めて、最初のルームメート。

日舞、バレエ、乗馬、フルート、ピアノ、フランス語…あと、なんだっけ。
とにかく何でもできて才色兼備のお嬢様。

好き嫌いがはっきりしていて
それはそれは臆面なくものを言う。
だから同級生がつけたあだ名は「やっちゃんお嬢」(笑)

私とは性格が真逆。

欲しいものを欲しい。
嫌なことを嫌と言える彼女。

周りのことばかり気にして自分の殻にこもって自己主張しない私。

最初はよくぶつかった。
お互いに相手の世界が理解できないから。

でも、なんか続いている。。。

彼女は一見するとすごくわがままで自分勝手に生きているように見える…
というか、本当に世界は自分を中心に回っている、と思っているところはあるかも(笑)

でもね、実はすごく優しくて繊細。
人の気持ちもすごく敏感に感じていて
分かった上でやっている、というところがある。
分かった上だから、ホントはとっても
そんな自分に傷ついていたりする。

そこまで過激に生きなくても、と思うけれど
彼女は自分に正直で、見事に妥協しない。

だから私は彼女が大好きだし、尊敬もしてるし
いつも、あっぱれだなあと思う。

私といえば常に周りの人に気を使ってばかりいたから
常識とか、善悪とか、正義とか…
つまらない制限の枠にばかりとらわれて
いわゆるいい子で、正義をぶらさげた、つまらないやつだった(笑)

そして何事も事なかれ主義で
もめ事が苦手だから
強い人、はっきりとものを言う人がとても苦手だった。

どっちがいいとか、悪いとかじゃないけれど
どっちが面白そうで
自分の人生味わい尽くしていけるかって明らかですよね?

人は本当に複雑な生き物で
表に出てくる行動とか
投げかけられる言葉とか
真逆だったりする。

そういうところで、その人を判断してしまいがちだけど
実は本心でなかったり、屈折して表現していたり
その人なりの理由があったりする。

そんな人の不可思議さ、奥深さ、というものを
受け入れて許容することを
一番初めに教えてくれたのは彼女だった。

そしていまは
私も色々を経て
やっと自分らしく
自分の心にうそをつかない選択をできるようになった。
彼女ほど過激ではないけれど(> <),,

私達はいつも常識とか、世間体とか
そんなものにとらわれて
無難な選択をしがちだけど
そんなものが自分を幸せにはしてくれない。

あっという間の人生だから
自分らしく
自分に正直に
山あり谷ありになっても
それも楽しんで
味わい尽くしてみたいと思う。

明日死んでも悔いがないように。