最近、私の周りで、ご家族が病気になってしまった友人がたくさんいて、そんな様子を聞く度に胸がしめつけられる想いです。
昨年から続く天変地妖は、直接被害に遭わなかったとしても、地球という大きな母船の中で暮らす私達一人一人に大きな影響を及ぼしていて、人が生きていく上での生命力というようなものが、知らないうちに蝕まれてきているような気がします。
マヤ暦や西洋占星術をはじめとする、ありとあらゆる先人の智慧でひも解いていくと、今年は大変化の年にあたるそうで…
私はその方面の知識には全くうといのですが、自分の体感として、確かに時の流れが早い。
1日が24時間でなく16時間ぐらいで過ぎていくような感覚があります。
次から次へと色んなことが起こり、何だか目が回りそうです。
そんな変化を前に、なんだかあたふたしてしまうのだけれど
こんな時こそ、自分の体感覚のようなものを大事にしたいなと思っています。
自分軸をしっかりすえること。
なんとなく、これがしたいとか
ちょっと気が進まない、とか
そんな自分の内側の声に、耳を澄ましてみる。
疲れたなあ、と思ったら休む。
それは当たり前のようだけれども、現代はその当たり前ができないほど、忙しくて、やらなければいけないことがたくさんある毎日です。
でもね、そうやって自分を鼓舞して酷使していると
だんだんと本当の声が聴こえなくなってしまって
大事なセンサーが働かなくなってきてしまうから。
あなたが大切な人を思うように、自分のことも大事にしてほしい。
そう思います。
そういう時、大事なのは「手放す」ということかも知れません。
こう、あらねばならない、とか
こうするべき、とか
やらなければいけない、とか
人は様々な思い込みの中で生きていますが
そのことは本当に必要なのか
本当に自分がやらなければいけないことなのか
それ以外の選択肢はないのか
そのことを自分に問いかけてみると、本当に必要なことって
あまりなかったりする気がします。
もっとシンプルに
休む時は休む。
そして、やりたいと思ったことはやってみる。
話はちょっと飛躍しますが、「夜と霧」という本を昔読んだんですね。
これはアウシュビッツ収容所で生き残った方が書かれた本です。
食べるものも与えられず、朝から夜中まで過酷な労働をさせられて
倒れたら最後、ガス室へ送られてしまう。
何も生きる希望がなくて、毎日死への行進をしているような日々です。
今日強制労働に出たら、二度と生きて帰れないかも知れない。
人間の尊厳が奪われた極限の状態の中で生き残った人はどういう人だったかというと
人を蹴落としても生き残ろうとしたようなガツガツとした強い人、ではなくて
生き地獄のような毎日の中でも、宿舎からの短い移動の道の片隅に咲く、野の花を美しいと思えた人。
そそり立つ壁と壁の間から注す陽の光に感動することができた人。
一緒に収容された仲間をいたわり、助け合おうとした人。
そういう風に最後まで人の心を失わなかった人が生き抜いたと書いてありました。



そう、願っています。
今日も一日、みなさまに光が降り注ぐ日になりますように!
