山門です。
歴史を感じますね。
踊り念仏を広めた時宗の開祖、一遍上人の像です。
特別拝観でしか本堂の中へは入れないのですが、住職さんが戸を開いてくださってお姿を拝見することが出来ました。
中庭も癒やされる空間でした。
で、うれしかったことというのがですね、御朱印をお願いした後、ご住職さんが、私の御朱印にご祈祷してくださったんですよ。参拝者は私だけだったっていうのもあるのかもしれませんが、御朱印にご祈祷してくださったのなんて初めてだったので感動してしまいました。
いただいた御朱印はこちら。
光触寺は一遍上人開祖の時宗のお寺なわけですが、“一遍上人”は神奈川県で寺社巡りしてるといろんなところでお名前見るんですよね。日本に帰ってきてからは江ノ島でお名前を見たのが初めてで、その時誰だったっけか〜?って調べてお名前は覚えてたんですが、知っているのが踊り念仏を広めた時宗の開祖ということぐらいだったので、今回ちょっとまたググったらおもしろい逸話をみつけました。
一遍上人が紀州を遍歴している際に、念仏札を道で出会った僧に配ろうとしたら、自分は信仰心が無いからと断られ、熊野本宮証誠殿で参籠し熊野権現から啓示を受けたとういうものです。
まず、お坊さんが神様から啓示を受けるっていうの、いかにも神仏習合の日本らしくておもしろいな、と思ったんですが、その内容がまたおもしろい。 それがこちらになります。(円覚寺ホームページブログより抜粋)
「念仏を進める聖よ、どうして念仏を間違えて勧めているのか。
あなたの勧めによって、すべての人々がはじめて往生するのではない。
南無阿弥陀仏ととなえることによって、
すべての人々が極楽浄土に往生することは、
阿弥陀仏が十劫という遠い昔、
正しいさとりを得たときに決定しているのである。
信心があろうとなかろうと、
心が浄らかであろうとなかろうと、
人を選ぶことなくその札を配るべきである。」
そしてこれが一遍上人の教えの根源になっているんだそうです。
私は何の宗教にも入ってませんが宗教の中で説かれている内容について否定するより肯定、推奨したいなと思うことは多々あります。
仏教でも、念仏を称えれば往生する、信じることで往生する、などなど細かいところでの違いは出てきますが、一遍上人の教えは阿弥陀と自分が一つに繋がっているんだそうで、これは空海の生き仏の教えにも通じるところがありますよね。
となふれば
仏もわれもなかりけり
南無阿弥陀仏
なむあみだぶつ
という和歌も残っているそうです。
唱えるだけでいい、っていうのも日本の言霊に通じるところもあります。48音、文字それぞれに意味があるため言葉の意味がわかってなくても効能があるというでしょう?おもしろいです。
もともと昔から菩薩様とか私達人間を救うために菩薩という形をとり降りてきてくださっているっていうのは子供の頃から聞いてましたけど、昨年得た情報から如来様や菩薩様っていうのが本当に元々は非常に高い次元の存在だったということを知りました。上記にの啓示の中にある“阿弥陀仏が十劫という遠い昔、正しいさとりを得た”(1劫=43億2千万年、→10劫=432億年)と聞いても本当にそうかもね。。。と夜空を見上げたくなる私でありました。とりあえず、私がいつもよく唱える祝詞や真言リストに“南無阿弥陀仏”を加えようと思います。
やっぱりね、こうして今回も少しまた勉強になったわけですが、知識が増えれば増えるほど、いろんなことが繋がってくるわけで、昨年鎌倉三十三観音霊場巡りを再開した理由がわかったような気がします。10年前観音様が好きという理由だけで始めて一気にすべて巡礼し終えてしまっても今のような理解にまでは繋がってなかっただろうと思うのです。
巡礼もいよいよ残るは3つとなってしまいました。でもそのうちの一つは確か御朱印をいただける日が決まっててアポが必要だったと思うので、タイミングが合わないと行けないのでまたいつ!とは今現在は言えないんですけど、また行ったらご報告しますね。
許します!ありがとう!感謝します!嬉しい!楽しい!大好き!愛してる!よかった〜!幸せ〜!ついてる〜!
そして私は決断する!!
星影