「パーティ道」などと銘打ったわりには、なんとなく時期的に良いネタに巡り会わず、ちっともパーティについて書いていないので、少々焦ってまいりました。


とは言うものの、過去ネタから引っぱってくるのも癪なので、最近意味も無く頭の中でシュミレーションしている空想パーティをご紹介しようかと。



題して、『ハゲタカ・パーティ』!



ハゲタカ



(なんのこっちゃい)



現在我家で「ハゲタカ用語」の乱用が流行っており、外資系ファンドからパーティの依頼をもらったら是非使ってやろうと虎視眈々、チャンスを狙っているわけですが。



さて、「ハゲタカ」とは、

元新聞記者の作家・真山仁原作の同名小説「ハゲタカ」と「バイアウト」を原作として、この2月から3月にかけてNHKで放映された、ビジネス社会におけるの弱肉強食物語でございます。


http://www.nhk.or.jp/hagetaka/


我家では全6回に渡るこのドラマを、開始早々から熱い眼差しで観ていたのですが、一番の山場となったはずの第5回をウチの大バカ者が撮り忘れたので、6月のBSでの再放送を心待ちにしながら、まだ最終回まで観終わっておりません。


しかし、経済に関して全く無知な我々には、ストーリーの新鮮さもさることながら、その魅惑的な経済用語に容易く心奪われ、



「今日の晩ご飯は冷蔵庫のバルクセールです」

「だから中途半端な皿がやたらに多いわけか」


「ところでコレ、クリーニング代が惜しくて家で洗ったら縮んだんだけどゴメン」

「なんでそんなところでコストカッターな行為を!」


「ゴールデン・パラシュートのせいで人が減って大変だよ」

「おたくレベルの会社では、それは単なる早期退社では」



と、日々アホなことになっています。



(用語に関しては、詳しくはこちらから)
 ↓
「ハゲタカ経済キーワード」
http://www.nhk.or.jp/hagetaka/keyword/keyword06.html



しかし、「ゴールデン・パラシュート」とは。

なんとも華やかなヴィジュアルが脳裏に浮かぶではありませんか。

もし、このネタで誰かがパーティをやらせてくれるのならば……、



天井を金色のパラシュート型の照明で埋めつくそう。

ウェイターは全員白い騎士の格好をさせよう(White Knight)。

m&m's チョコレートを買って来て、数粒を「a」に書き換えてこっそり混ぜ込もう(M&A)。

だったら三ツ矢サイダーに会社のハンコを押して「イン(印)サイダー」なんちゃって。

それがアリならファンタの「タ」の字を「ド」に変えて……、



などと、くだらないアイディアが次々と脳裏には浮かんでは消え、やらなければいけないことからの逃避を更に更に助長させてくれます。



ああ、愉しい。

外資ファンドでやったら怒られるか。

いっそ、喰われた会社のサヨナラパーティでやった方が、ヤケクソなダシャレとなって盛り上がってくれるだろうか。



いえ。

本当にやったらヤバイいことくらい、私にもわかっています。



でも、この様なロクデモナイことを考えていると、止まらないのです。




摂氏三百度に熱された硯状の石の上に覆い被さるように顔を近付け、皮膚に受ける熱風で温度を計る。

時折ふっと上がる青い炎は、彼の頬を焼きそうに見える。

ハラハラして、「大丈夫なんですか?」と聞くと、「オレは慣れてるからね」と笑う。



鷹匠寿


浅草は「鷹匠 壽」、三百年以上の歴史を持つジビエ料理店。

常連の友を持つ幸運に恵まれ、初の訪問となった。

テンポ良く運ばれる鶏わさ、砂肝、レバ串……、驚く程の新鮮さ、食感の良さ、味の凝縮感に、「次は、次は?」と目は新しい皿を追ってしまう。

そしてメインの、青首鴨のお狩場焼。



お狩場焼


「熱くないんですか?」と、彼が頬を当てるあたりに手をかざそうとすると、「火傷するよ」とやんわり遮られた。

彼は、プロだから火傷をしない。



鴨肉


素人目には、さっぱり差が分らない肉塊の山は、手際良く順番が付けられ、熟練の技で焼き加減を変えてすすめられる。

「本当は、今は季節ではないから」と言われたものの、その鴨は、私の鴨についての認識を覆す。

大根おろしの上に一枚ずつ「ぽん」と置かれる熱々の肉は、噛みしめることで口の中に圧倒的な上品さが立ち上がる。

これは肉ですか?と、思わず問いたくなる。

鴨の脂で焼く葱や椎茸の芳しい香りに酔い、仕上げに、もんどりを打ってしまいそうに旨い鶏飯をいただき、水菓子をいただき、幸せな一息をつく。



「本当は『たかぶ』なのよね。たかぶ、食べたかったわ」と、謎の言葉を繰り返す常連達。

「たかぶ」とは、小鴨のことで、その丸焼きが絶品らしいが、季節柄なのか無いらしい。

知らない私には、「たかぶ」が無いことの切なさなど、分かりはしない。

「たかぶ」など無くても、鴨が季節でなくても、私の幸福感には一点の曇りも無い。

そう思うと、運良くここに来られたことそのものが、幸せなことなのか不幸なことなのか、分からなくなってくる。

これから先、私は鴨を食べる度にこの店の鴨と較べてしまうのだろう。

再訪の可能性が不明な今の私にとって、見えない敷居が高くそびえるこの店の味は、いつしか妬ましい味になってしまうのかもしれない。




車内


最高級の店に訪れる最高級の客は、運転手付きのメルセデスで乗り付けるものらしい。

有難く同乗させて貰い、店を後にした。

運転席と助手席のヘッド部分に組み込まれたモニターには、見もしないテレビの画像がぼんやりと流れている。

滑るように高速を走る車中は、私以外の全員がプロである。

「この人でなければ嫌だ」と、熱く眩しく望まれる人種である。

ひきかえ私はこの車に同乗する権利があるのかと、自問する。



分相応。

私の嫌いな言葉が、ちらちらと私をからかうように浮かんでは消え、窓の外のネオンの洪水に紛れて行く。

プロに。

出遅れてもいい、なんでもいいから、プロになるべきなのだと。

定員をきっちり乗せた少し濃密な車内の空気は、私の心を少しだけ圧迫した。




ヴァレンTに


場所を移して、ワインを飲む。

南青山のイタリアンのバータイム。

'93エドアルド・ヴァレンティーニ、赤。

自然を尊び、独自の醸造哲学を持った造り手による、至極のモンテプルチアーノ・ダブルッツォ。

トロリと、芳醇なアーモンド菓子のように甘やかな香りが広がる、強烈な個性を持った稀少なワインである。

目の前に座る人が、彼のキープボトルを振舞ってくれたのだった。



彼は、人の上に立つべくして生まれた。

彼は否定するかもしれないが、育ちと環境というものは、既に深い才能である。

姿の良さ、声の良さ、品の良さは、生まれ持ったものはもとより、培われてきた要因も濃いと感じる。

歳を重ねるごとにカリスマを纏っていくのであろう彼は、その上に、ワインに対する造詣の深さに於いて、深く尊敬するに値する。

元々が裕福なのだから、高価なワインにも気安く手を伸ばせるのだろうと、そう浅はかに決めつけていたが、数千本にのぼる彼のワインコレクションは、しかし、彼自身の手腕で手に入れたものだと聞いた。

「僕は、誰よりも飲んで体験している自信はある」と言う。

「その辺のプロなんかには、簡単には負けませんよ」と、茶目っ気を見せながら優しく微笑む。

彼の前には、私が戯れに取ったソムリエ資格など、紙屑のようなものなのだ。



脇に立ち、私達にゆっくりとワインを注いでくれる人は、彼の十数年来の友人である。

勘当同然でサービス業界に身を投じ、目の回るばかりに華々しい繁栄期を定評のあるサービス術で切り抜け、マスコミで有名なオーナーシェフの不祥事、経営難、数々の困難を全身全霊で対処しながら、そして若くしてついに社長にまでのぼり詰めた。

「原点に戻らなきゃいけないと思ったので」とふっくら笑って、再びサービスに立つ。

「僕は本来すごくネガティブなんです」とおっしゃる。

常に常に、最悪の状況を想定して、それに対処できる自分であれるように努力をしていると。

目映いばかりにプロである。



彼に注がれたワインを口に含み、

この味わいを体験するに値する自分なのか、
この高価なワインを相伴にあずかるに値する自分なのか、
このサービスを受けるに値する自分なのか、
この空間に属するに値する自分なのか、

激しく自問する。



プロフェッショナル。

たとえば、父も、母も、私にとってのプロの親だった。

私は誰かのプロになれるか?

一人でもいいのかもしれない、私をプロと認める誰かが存在すれば。

自分自身だけでもいいのかもしれない。

いつか自分をプロと認められれば。


                                                                                                                           ー創作風実話ー
                                                                                                                            おわり。(笑)




アートフェア東京2007


アートの見本市なるもののプレビューに行ってまいりました。

於、東京国際フォーラム。

約100余の画廊が集結し、主にコレクターに向けて情報発信するイベントで、今回が2度目とのこと。


POSTER


http://www.artfairtokyo.com/


日本もようやくここまで来たのだ。


アートを収集するなど超ウルトラブルジョワ志向とされていた一昔前の日本からは、考えもつかぬ祭典。

アート収集とは、どこかの一流企業がゴッホを五十数億で買うようなことだと思われていた。

しかしここ数年、日本に於けるアートはその敷居をぐっとフレンドリーに設定し直してきた。

善くも悪くも格差社会がもたらす一部階級の金銭的余裕が、「アートを買う」という余剰の活動にステイタスと愉しみを見い出したのが、主たる動きと考える。


ミック


細い畝々の間を行き交う画商、キュレーター、アーティスト、バイヤー、そして我々のようなひやかし半分な見学者……。

彫刻、写真、タブロー、現代アート、古美術、ありとあらゆる表現が、ごちゃ混ぜの洪水のようになって降りそそぐ。

はっきり言ってまともにアートを鑑賞できるような環境ではないが、参加者は一様に高揚して見える。

「あの頃は、こういうのが無かったからねぇ」とか、「作家をご紹介します」とか、「あら、お買い物?」とか、楽しそうな声は皆、落ち着いて品が良い。

有名キュレーターや文化人、財界の著名人の顔もちらほら見え、運営関係者を含め皆、仕立ての良さそうな服をお召しになっている。

特別協賛は不動産会社のモリモトとのこと。





色んな視点があろうかと思いますが。

私としては、アートが一般的にもっと身近になって、アーティストの地位や収入がもっと安定すれば、これはこれで良い動きだと思います。



余談ですが、東京国際フォーラム。


国際フォーラム


いつ来て見ても、「頑張って作ったな~」と感心してしまいます。


UST


電気が切れたとか、スタミナが切れたとか、そういうのと同じように、私の中でたまに「ニューヨークが切れた」と感じる瞬間があります。


だからといって成田にすっ飛んで行くわけにもいかないので、東京の中で僅かでもニューヨークを感じられるものに触れて、自分を慰めたりするのですが。

どこでそれを感じられるのかというと、それが問題。



DEAN & DELUCA がやって来ると聞いた時、私はソーホーにあるあの美しい店がそのまま運んで来られるような妄想を抱いてしまい、丸の内に出来上がった店に少々落胆した。

六本木ヒルズに IL MULINO が入ったと聞いて嬉々として行ってみても、同じメニューでありながら料理の出来のあまりの差に驚いた。

つい先日、渋谷西武の地下に入った、マンハッタンはアッパーイーストの宝石のようなパティスリー PAYARD。
本店と同じ名前、同じカタチのケーキや小さな焼き菓子をいくつか買ってみましたが……。
何故か味に本来ある筈の繊細さや新鮮さを全く感じず。
店そのもののディスプレイや売り方にも相当問題があると思う。



そもそも、インポーターはどういうつもりであれやこれやを探してきて、日本に持って来ようとするのでしょう。

ただ闇雲に、まだ輸入されていないものを探して持って来ているだけだと感じてしまうのですが。

もちろん、新しいものを紹介したいという情熱そのものは賞賛できる。

ただ、結果、運ぶことだけに全精力を注いでいるように思えるものが多過ぎるのはなぜなのだろう。



「空気はそこを動かない」という言葉を知人から聞きました。

そう、そもそも空気は絶対にそこを動かない。

だから、運ぶ人は、たとえそれが無理だと分っていても、空気ごと運ぶくらいの気概を持って運ばなきゃいけない。

店やレストランにしても、アートにしても、アーティストにしても。

運ばれた先での最良の表現を、もっともっと最大限の責任を持って追求するべきなのではないでしょうか。
逆に、出すほうも、もっと責任と愛情を持って送り出すべきではないかと思うのです。

運ばれた先でそこの文化と交わって、また別の価値や関わり方が形成されていくのはいいと思う。
けれど、それは細心の注意を払ったうえで、ようやく作られるものだと思う。


4年余り住んだニューヨークから帰って来た時に、「東京にはなんでもあっていいでしょう」と何度も何度も言われた経験がありますが、同じものが買えてもエスプリまで買えるわけではないのだと、少々反発を憶えたことを思い出します。



しかし、いかんせん「ニューヨーク切れ」状態の私。
なんだかんだ言って、ニューヨークから来たものは、真っ先に何でも試してみるのが習性です。

そんなわけで、本日も懲りずに行ってまいりました。

Union Square Tokyo.

ニューヨークのザガットサーベイで連続総合ナンバーワンに君臨し続けた(今は知らず)レストラン Union Square Cafe の海外初出店ですが、全く期待せずに行った姿勢が幸いしたか、とくに落胆はありませんでした。

まだまだオペレーションはたどたどしいものの、これは全ての新しい店共通のもので、そのうち改善されるでしょう。

本店からのお目付役の女性(サービスを担当してくれたアフリカンのイケメンさんが「本店のとっても偉い人」と言っていた)の存在もあって、本店側の誠意と熱意も感じられました。

味はニューヨーク味。
ちょっとヘルシーで、ちょっと凝っていて、ちょっと大胆(大雑把)。
メインの量にへこたれる感じも同様。(今、私は胃がムカムカ)
ただ、デザートはニューヨーク流からいえば貧相で、少し残念。


ニューヨークを感じたかといえば、本店からの女性がにっこり微笑みかけてくれた時以外には、大してニューヨークを感じませんでしたが、較べることで夫とニューヨークを語れるところに満足を得るのかもしれないと、最近思うようになりました。

このお店はどんなふうに成長していくのか、眺めてまいりましょう。



ただなぁ、どうしてミッドタウンに入るのか。

突然出現するタイプのメガなショッピングモールタウンは、美しいし、色々入っていて一瞬刺激的だけれども、やはり街としての文化は無論まだ薄いと感じ、ここに私の琴線に触れるような面白味が出るまでには相当時間がかかるのだろうな~と思ってしまう。


なんかなぁ。

ビル全体で、カネカネカネ買え買え買え……って感じがするのは、私だけでしょうか。



合格通知


過日、飲料専門家団体連合会より、唎酒師呼称資格認定試験の合格通知が来ました。



「つきましては認定登録及び個人会員登録を、」

ということで、4万円の振り込み用紙。

国家資格でもないのに、わざわざ結構なお金を掛けて試験を受けて、受かれば受かったで今度は認定料と毎年の年貢とは。

もちろん、ワインに押しに押されて苦境まっただ中の日本酒業界を盛り上げ応援し、提供される様々なセミナーから得られる専門知識を大いに役立てる、という部分に於いて、会が活動資金として徴収するの納得できる。

飲食業や酒販業に従事していたり、私のように間接的にでも関わりのある者にとっては有効かもしれない。


けれど、見たところ受験者の大半は主婦やOLさんなのだ。

飲料専門家団体連合会の大義名分は、

「マーケティング力と経営感覚をもち、飲食全般のバランスの取れた知識と技術経験を持った『真のプロフェッショナル』の育成支援活動」

となっている。


彼女達の資格取得意図は、愛好家としてのセルフ・プロデュースという姿勢だろうか。

それはそれで、大変良いことだと思うのです。


お酒は二十歳から。

オトナ限定の楽しみとしてのお酒のお勉強。


「ワインエキスパート」然り、わざわざどこかへ通って生涯がっつり勉強するわけでもなく、こういうスタンスでの生涯学習のありかたも良いものだな、と感じます。



* * * * *


しかし、たまの蔵元訪問や、日本酒会、ブラッシュアップセミナーに参加できたとて、あの年会費。

多分これは、私が通いもしないでサボっているスポーツジムに毎月大枚を寄付しているのと似た構造になっているのだろうな、とは誰にでも容易に想像できることであろうが、認定料は仕方ないとして、入会するかしないかは、選択できるようにするべきではないかな~と思います。
ソムリエ協会を見習って。