
電気が切れたとか、スタミナが切れたとか、そういうのと同じように、私の中でたまに「ニューヨークが切れた」と感じる瞬間があります。
だからといって成田にすっ飛んで行くわけにもいかないので、東京の中で僅かでもニューヨークを感じられるものに触れて、自分を慰めたりするのですが。
どこでそれを感じられるのかというと、それが問題。
DEAN & DELUCA がやって来ると聞いた時、私はソーホーにあるあの美しい店がそのまま運んで来られるような妄想を抱いてしまい、丸の内に出来上がった店に少々落胆した。
六本木ヒルズに IL MULINO が入ったと聞いて嬉々として行ってみても、同じメニューでありながら料理の出来のあまりの差に驚いた。
つい先日、渋谷西武の地下に入った、マンハッタンはアッパーイーストの宝石のようなパティスリー PAYARD。
本店と同じ名前、同じカタチのケーキや小さな焼き菓子をいくつか買ってみましたが……。
何故か味に本来ある筈の繊細さや新鮮さを全く感じず。
店そのもののディスプレイや売り方にも相当問題があると思う。
そもそも、インポーターはどういうつもりであれやこれやを探してきて、日本に持って来ようとするのでしょう。
ただ闇雲に、まだ輸入されていないものを探して持って来ているだけだと感じてしまうのですが。
もちろん、新しいものを紹介したいという情熱そのものは賞賛できる。
ただ、結果、運ぶことだけに全精力を注いでいるように思えるものが多過ぎるのはなぜなのだろう。
「空気はそこを動かない」という言葉を知人から聞きました。
そう、そもそも空気は絶対にそこを動かない。
だから、運ぶ人は、たとえそれが無理だと分っていても、空気ごと運ぶくらいの気概を持って運ばなきゃいけない。
店やレストランにしても、アートにしても、アーティストにしても。
運ばれた先での最良の表現を、もっともっと最大限の責任を持って追求するべきなのではないでしょうか。
逆に、出すほうも、もっと責任と愛情を持って送り出すべきではないかと思うのです。
運ばれた先でそこの文化と交わって、また別の価値や関わり方が形成されていくのはいいと思う。
けれど、それは細心の注意を払ったうえで、ようやく作られるものだと思う。
4年余り住んだニューヨークから帰って来た時に、「東京にはなんでもあっていいでしょう」と何度も何度も言われた経験がありますが、同じものが買えてもエスプリまで買えるわけではないのだと、少々反発を憶えたことを思い出します。
しかし、いかんせん「ニューヨーク切れ」状態の私。
なんだかんだ言って、ニューヨークから来たものは、真っ先に何でも試してみるのが習性です。
そんなわけで、本日も懲りずに行ってまいりました。
Union Square Tokyo.
ニューヨークのザガットサーベイで連続総合ナンバーワンに君臨し続けた(今は知らず)レストラン Union Square Cafe の海外初出店ですが、全く期待せずに行った姿勢が幸いしたか、とくに落胆はありませんでした。
まだまだオペレーションはたどたどしいものの、これは全ての新しい店共通のもので、そのうち改善されるでしょう。
本店からのお目付役の女性(サービスを担当してくれたアフリカンのイケメンさんが「本店のとっても偉い人」と言っていた)の存在もあって、本店側の誠意と熱意も感じられました。
味はニューヨーク味。
ちょっとヘルシーで、ちょっと凝っていて、ちょっと大胆(大雑把)。
メインの量にへこたれる感じも同様。(今、私は胃がムカムカ)
ただ、デザートはニューヨーク流からいえば貧相で、少し残念。
ニューヨークを感じたかといえば、本店からの女性がにっこり微笑みかけてくれた時以外には、大してニューヨークを感じませんでしたが、較べることで夫とニューヨークを語れるところに満足を得るのかもしれないと、最近思うようになりました。
このお店はどんなふうに成長していくのか、眺めてまいりましょう。
ただなぁ、どうしてミッドタウンに入るのか。
突然出現するタイプのメガなショッピングモールタウンは、美しいし、色々入っていて一瞬刺激的だけれども、やはり街としての文化は無論まだ薄いと感じ、ここに私の琴線に触れるような面白味が出るまでには相当時間がかかるのだろうな~と思ってしまう。
なんかなぁ。
ビル全体で、カネカネカネ買え買え買え……って感じがするのは、私だけでしょうか。