摂氏三百度に熱された硯状の石の上に覆い被さるように顔を近付け、皮膚に受ける熱風で温度を計る。

時折ふっと上がる青い炎は、彼の頬を焼きそうに見える。

ハラハラして、「大丈夫なんですか?」と聞くと、「オレは慣れてるからね」と笑う。



鷹匠寿


浅草は「鷹匠 壽」、三百年以上の歴史を持つジビエ料理店。

常連の友を持つ幸運に恵まれ、初の訪問となった。

テンポ良く運ばれる鶏わさ、砂肝、レバ串……、驚く程の新鮮さ、食感の良さ、味の凝縮感に、「次は、次は?」と目は新しい皿を追ってしまう。

そしてメインの、青首鴨のお狩場焼。



お狩場焼


「熱くないんですか?」と、彼が頬を当てるあたりに手をかざそうとすると、「火傷するよ」とやんわり遮られた。

彼は、プロだから火傷をしない。



鴨肉


素人目には、さっぱり差が分らない肉塊の山は、手際良く順番が付けられ、熟練の技で焼き加減を変えてすすめられる。

「本当は、今は季節ではないから」と言われたものの、その鴨は、私の鴨についての認識を覆す。

大根おろしの上に一枚ずつ「ぽん」と置かれる熱々の肉は、噛みしめることで口の中に圧倒的な上品さが立ち上がる。

これは肉ですか?と、思わず問いたくなる。

鴨の脂で焼く葱や椎茸の芳しい香りに酔い、仕上げに、もんどりを打ってしまいそうに旨い鶏飯をいただき、水菓子をいただき、幸せな一息をつく。



「本当は『たかぶ』なのよね。たかぶ、食べたかったわ」と、謎の言葉を繰り返す常連達。

「たかぶ」とは、小鴨のことで、その丸焼きが絶品らしいが、季節柄なのか無いらしい。

知らない私には、「たかぶ」が無いことの切なさなど、分かりはしない。

「たかぶ」など無くても、鴨が季節でなくても、私の幸福感には一点の曇りも無い。

そう思うと、運良くここに来られたことそのものが、幸せなことなのか不幸なことなのか、分からなくなってくる。

これから先、私は鴨を食べる度にこの店の鴨と較べてしまうのだろう。

再訪の可能性が不明な今の私にとって、見えない敷居が高くそびえるこの店の味は、いつしか妬ましい味になってしまうのかもしれない。




車内


最高級の店に訪れる最高級の客は、運転手付きのメルセデスで乗り付けるものらしい。

有難く同乗させて貰い、店を後にした。

運転席と助手席のヘッド部分に組み込まれたモニターには、見もしないテレビの画像がぼんやりと流れている。

滑るように高速を走る車中は、私以外の全員がプロである。

「この人でなければ嫌だ」と、熱く眩しく望まれる人種である。

ひきかえ私はこの車に同乗する権利があるのかと、自問する。



分相応。

私の嫌いな言葉が、ちらちらと私をからかうように浮かんでは消え、窓の外のネオンの洪水に紛れて行く。

プロに。

出遅れてもいい、なんでもいいから、プロになるべきなのだと。

定員をきっちり乗せた少し濃密な車内の空気は、私の心を少しだけ圧迫した。




ヴァレンTに


場所を移して、ワインを飲む。

南青山のイタリアンのバータイム。

'93エドアルド・ヴァレンティーニ、赤。

自然を尊び、独自の醸造哲学を持った造り手による、至極のモンテプルチアーノ・ダブルッツォ。

トロリと、芳醇なアーモンド菓子のように甘やかな香りが広がる、強烈な個性を持った稀少なワインである。

目の前に座る人が、彼のキープボトルを振舞ってくれたのだった。



彼は、人の上に立つべくして生まれた。

彼は否定するかもしれないが、育ちと環境というものは、既に深い才能である。

姿の良さ、声の良さ、品の良さは、生まれ持ったものはもとより、培われてきた要因も濃いと感じる。

歳を重ねるごとにカリスマを纏っていくのであろう彼は、その上に、ワインに対する造詣の深さに於いて、深く尊敬するに値する。

元々が裕福なのだから、高価なワインにも気安く手を伸ばせるのだろうと、そう浅はかに決めつけていたが、数千本にのぼる彼のワインコレクションは、しかし、彼自身の手腕で手に入れたものだと聞いた。

「僕は、誰よりも飲んで体験している自信はある」と言う。

「その辺のプロなんかには、簡単には負けませんよ」と、茶目っ気を見せながら優しく微笑む。

彼の前には、私が戯れに取ったソムリエ資格など、紙屑のようなものなのだ。



脇に立ち、私達にゆっくりとワインを注いでくれる人は、彼の十数年来の友人である。

勘当同然でサービス業界に身を投じ、目の回るばかりに華々しい繁栄期を定評のあるサービス術で切り抜け、マスコミで有名なオーナーシェフの不祥事、経営難、数々の困難を全身全霊で対処しながら、そして若くしてついに社長にまでのぼり詰めた。

「原点に戻らなきゃいけないと思ったので」とふっくら笑って、再びサービスに立つ。

「僕は本来すごくネガティブなんです」とおっしゃる。

常に常に、最悪の状況を想定して、それに対処できる自分であれるように努力をしていると。

目映いばかりにプロである。



彼に注がれたワインを口に含み、

この味わいを体験するに値する自分なのか、
この高価なワインを相伴にあずかるに値する自分なのか、
このサービスを受けるに値する自分なのか、
この空間に属するに値する自分なのか、

激しく自問する。



プロフェッショナル。

たとえば、父も、母も、私にとってのプロの親だった。

私は誰かのプロになれるか?

一人でもいいのかもしれない、私をプロと認める誰かが存在すれば。

自分自身だけでもいいのかもしれない。

いつか自分をプロと認められれば。


                                                                                                                           ー創作風実話ー
                                                                                                                            おわり。(笑)