波動の合わない人と

話が通じない。


こんな現象ってありますよね。







一つの言葉でも、

相手の観念(クセ付いた思いこみ)次第で

光が屈折するかのように

変化球になって受け取られて

 

「そういう話じゃないけど。。。まあ良いか」

 

のようになる。

そういう現象です。


 

 

 


 

スピリチュアル的に言うと

同じ舞台上にいるのに

違うパラレルに居るような感じかもしれません。

 

 


 

 

聖書でも似たような現象があります。

同じ「聖書」という媒体なのに

自分の素直さ次第で

違うものが見えてきます。

 

 

 

 



 

自分が思春期の頃は、聖書に対して

「十戒」とか「十字架」とか「罪」とか

〝この話、超重いんですけどぉ~~〟

という印象が圧倒的でした。自分が、そういう目線を無意識に持っていたためです。

 




 

そういう意味で、

今日取り上げる箇所の受け取り方は

(この捉え方が正しいと言いたい訳ではないんですが)

分かち合える人が少ないかもしれません。


 

ローマの信徒への手紙7章です。

https://ja.wikisource.org/wiki/%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%9E%E4%BA%BA%E3%81%B8%E3%81%AE%E6%89%8B%E7%B4%99(%E5%8F%A3%E8%AA%9E%E8%A8%B3)#%E7%AC%AC7%E7%AB%A0

 

 

 

 

「罪」と「律法」について

潔く書かれています。

 

 

 

 

 

これまた口語訳が秀悦なので、

合わせて読みたいと思います。

(太文字は聖書、下の文章は私の翻訳、≒以下はスピリチュアル的要約です。)

 


7:1

それとも、兄弟たちよ。あなたがたは知らないのか。わたしは律法を知っている人々に語るのであるが、律法は人をその生きている期間だけ支配するものである。

 

 

律法って、生きてるとき限定のものなんだけど〜、

 

 



7:4

わたしの兄弟たちよ。このように、あなたがたも、キリストのからだをとおして、律法に対して死んだのである。それは、あなたがたが他の人、すなわち、死人の中からよみがえられたかたのものとなり、こうして、わたしたちが神のために実を結ぶに至るためなのである。

 

 

キリストの体に結ばれると、

律法に対しては、死んだも同然になるんだよね〜。

(≒ハイヤーに結ばれれば、How to とか掟とか関係ない次元で生きるよね〜。)

 

 




7:6

しかし今は、わたしたちをつないでいたものに対して死んだので、わたしたちは律法から解放され、その結果、古い文字によってではなく、新しい霊によって仕えているのである。

 


私たちはもはやキリストに結ばれたから、自分を縛ってた〝律法〝っていう「あーだこーだ」の細かいレシピからは解放されたんだよねー!


だから、霊に従う生き方、いわば「良い塩梅」で生きていけるようになったのよ〜。

 

 



7:7

それでは、わたしたちは、なんと言おうか。律法は罪なのか。断じてそうではない。しかし、律法によらなければ、わたしは罪を知らなかったであろう。すなわち、もし律法が「むさぼるな」と言わなかったら、わたしはむさぼりなるものを知らなかったであろう。

 

 

じゃぁ、「律法」なんて無ければよかったっていうこと?いいえ。そうじゃなくって。


あーだこーだという「律法」「すべき」があったからこそ、私たちは「罪」=「神の的を外れること」を知れたのよ。


そもそも、掟があったから、掟をやぶるということを知れたのね。だって、そもそもは〝素直さ〟しかなかったんだから。

 



 

 8(新共同訳)

ところが、罪は掟によって機会を得、あらゆる種類のむさぼりをわたしの内に起こしました。律法がなければ罪は死んでいるのです。 

 

「すべき」という掟によって、人は「神の意思を外れる」ということを体験できたのよ。


掟によって、私たちはあらゆる種類のむさぼり(的外れ)を体験できたわ。


「掟」がなければ「罪」って成立しないのよ。だって「すべき」がなくなってしまえば、「的外れ」の体験だって消滅してしまうんだもの。


(≒観念があったからこそ、ハイヤーと不一致になる経験が出来たので、律法もまたよかったよね〜。)

 

 


 

9わたしは、かつては律法とかかわりなく生きていました。しかし、掟が登場したとき、罪が生き返って、 


かつての私たちは善悪を知らず、律法と関係なく生きていたの。でもね、善悪を知る実🍎を食べたことで掟が登場したのよ。それで、罪が生き返って、

 


 

 

10わたしは死にました。そして、命をもたらすはずの掟が、死に導くものであることが分かりました。 



罪が生き返ったことで、私たちは死んだのよ。生きるのに役立つはずだった「掟」によって、罪(的外れ)を得て、その〝罪〟が熟して〝死〟に導かれるってことを知ったわ。

 

 



 

 

11罪は掟によって機会を得、わたしを欺き、そして、掟によってわたしを殺してしまったのです。


罪(的外れ)っていうのはね、

「掟」によって存在しうるんだけど、

「掟」は正しそうな顔をして私たちを欺いて、 それによって私たちを殺すのよ。超怖いんですけどぉー。

 

 



 

 12こういうわけで、律法は聖なるものであり、掟も聖であり、正しく、そして善いものなのです。



そういうわけで、律法は聖なるものだったの。

 




 

( 意味わかるかしら? )

 

 

13それでは、善いものがわたしにとって死をもたらすものとなったのだろうか。



へ?じゃあ、聖なる善いものによって私たちは死んじゃうわけ?






決してそうではない。実は、罪がその正体を現すために、善いものを通してわたしに死をもたらしたのです。このようにして、罪は限りなく邪悪なものであることが、掟を通して示されたのでした。 


いやいや、そうじゃなくって。



そうやって、罪(的外れ)によって

死ぬほどに苦しむことで、神の導きに外れること(罪)が、どんだけサイアクなものか、分かるんだってこと。


[神と離れるってサイアクゥ〜!]って分かる。それこそが、「律法」の最高に善いところなわけ。

 

 

 


 16もし、望まないことを行っているとすれば、律法を善いものとして認めているわけになります。 


もしあなたが、あなたの心が望まないことをしているのなら「律法」自体を、善いものとして認めているっていうことよ。 

 




17そして、そういうことを行っているのは、もはやわたしではなく、わたしの中に住んでいる罪なのです。 


でもね、その、望まないことをしているというのは、自分自身ではなくて、自分の中に住んでいる「罪」なのよ。

(≒望まないことを選択するというのは、もはや自分ではなく、意識の中にある「カルマ・観念」がやっているんだよ。)

 



 

18わたしは、自分の内には、つまりわたしの肉には、善が住んでいないことを知っています。善をなそうという意志はありますが、それを実行できないからです。 


私たちって、自我の中(肉)には神の意思(善)なんて住んでいないって、分かっちゃいるんだけど、


肉体を持ってる以上、つい罪(≒カルマ・観念)に翻弄されて行動しちゃうんだよね。

 



 

19わたしは自分の望む善は行わず、望まない悪を行っている。


だからつい、自分の本心が望んでいる「神の栄光をあらわす行い」をせずに、的外れなことばっかりしちゃうんだよねー!はい、ウッカリさん!




 20もし、わたしが望まないことをしているとすれば、それをしているのは、もはやわたしではなく、わたしの中に住んでいる罪なのです。


だからね、罪を犯すのも本心じゃぁないんだー。






 21それで、善をなそうと思う自分には、いつも悪が付きまとっているという法則に気づきます。 



善悪を知る実🍎を排泄しない限り、

つい体の内にある毒から行動しちゃうの。


素直な心でいようと思っても、罪がつきまとってウッカリしちゃう!っていうのはある意味法則ね。






22「内なる人」としては神の律法を喜んでいますが、



本心では私だって、神の法則が第一なの。




 23わたしの五体にはもう一つの法則があって心の法則と戦い、わたしを、五体の内にある罪の法則のとりこにしているのが分かります。


でも、体の中に罪の法則が働いちゃってるんだよね〜🍎仕方なし〜!






 24わたしはなんと惨めな人間なのでしょう。死に定められたこの体から、だれがわたしを救ってくれるでしょうか。


ホント、悪気無いのに超かわいそうなアタシ!

だれか助けてーーー!




 25わたしたちの主イエス・キリストを通して神に感謝いたします。このように、わたし自身は心では神の律法に仕えていますが、肉では罪の法則に仕えているのです。


私たちって、そういうとこあるけど、神とイエスの完璧な愛が、そんな私たちを導いてくれるんだよね!マジ感謝ー!




 




っということで、

ローマの信徒への手紙7章 翻訳版!でした。

 

 

 




「律法」は、神の導きに反する苦しみを知るために善い物だった。そんなふうに捉えられて大納得!の箇所でした。堅苦しいので、ついつい楽しく書いちゃいました。




 

 

 教会ではそんなふうに言ってないかもですけどね〜。





 


「もし、望まないことを行っているとすれば、律法を善いものとして認めているわけになります。 そして、そういうことを行っているのは、もはやわたしではなく、わたしの中に住んでいる罪なのです。」

‭‭ローマの信徒への手紙‬ ‭7:16-17‬ ‭





 

 

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