https://www.youtube.com/watch?v=8ED6QjTcWgU
賛美歌405 神ともにいまして
自分は生まれが
「プロテスタント」の「改革派」でした。
こんなことを言うのは
変に思われるかもしれないんですが
自分の中では〝過去世〟では、
色んな宗派を経験したように感じています。
自分の中の感覚にあるのは
16世紀の「ローマカトリック」
そのときにはジョン・ノックス(プロテスタントの「カルヴァン派」で「長老派」の源流になった人)
と対立関係にあったように思います。
それと、有馬晴信というキリシタン大名の女中か何か、周りに居た女性を生きたような感じもあります。迫害される立場のカトリックでした。
それぞれの立場で、自分のものは大切でした。
人間のやることは、
とかくバラバラになることが多く
宗派についてしらべたときに
げんなりしました。
仲悪いなぁ。w
「我こそは正しい。」
イスラム教、キリスト教、宗教同士だけでなく、
身内の仲でも宗派に分かれて「我こそが」が続いています。
なんなら伝道者の一人ひとりが
「我こそは」と言いたげで、
自分自身も、そうではないかと振り返ることがあります。
人間がバラバラになるのには、わけがあります。
たったひとつの「神」に繋がっていないからです。
神とつながっているなと思う動物の姿の一つ
鳥のV字飛行です。
理屈をつければいろいろと言えるんだと思いますが、私は、これは1羽1羽が神と繋がっている姿だと感じます。
自分自身、周りの人と共に神の義を生きたときに垣間見る「ピタッとくる感覚」を体感するにつけ、神とつながることによって、人は初めて美しく一体になれると思うのです。
宗派だなんだと
正しさを押し付けあっているうちは
神によって一体となる喜びには
あずかれないかもしれません。
人間のすることはいつも限定的でHow to的です。
律法・倫理・伝統・常識・配慮…なんちゃらかんちゃら
鳥はHow toで飛んでいません。
「ここだ」と感じ、分かるところに心地よく在るのではないでしょうか。
これが愛の法則です。
「歪んだ靴は自分に合うようになっている」
父から教えてもらった言葉ですが、
「靴が自分の足に馴染んでしまって、それが心地よく、歪んでいるとは疑わない」ということを表す名言だそうです。
今朝、こんな夢を見ました。
(ネコの)足に石膏をつけて靴の型をとっている夢で、それを日ごとに新しくするような夢でした。
キリスト者の生き方を表すような意味合いを感じました。内なる神の愛を毎瞬受け取って、それを表現する者であるということです。
人間のやることは古くなりますが、
「和菓子屋のあんこの炊き方」が気温と豆のコンディションで、毎日違うように、
「鳥のV字飛行」が、毎瞬の風を捉えているように、
神と共にいる人間は毎瞬が新しく、神に従順に従う者であります。毎瞬新しく、神の表現を行います。
愛は律法を全うすると言うのに
現代の宗教学者は律法からはずれることを恐れすぎてはいないでしょうか。
「正しい教え」や「正確な伝道」という形に捕らえられて、
小さな心の中の宗教戦争を
「歪んだ靴」を履いて
行っていることはないでしょうか。
宗派がなんだ、
宗教がなんだっていいんですよ。
ただ、神に繋がっていれば
なんだっていいんですよ。
それが、なんて名前だって
どんな形だって。
How toじゃないんですよ。
イエスは言われた。「『心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。』 これが最も重要な第一の掟である。
マタイによる福音書 22:37-38 新共同訳
