集合意識と現実化の影響を感じた話。

 

 

 

先日、用事のついでに

夫とスシローに行くことになりました。

子どもが大きくなってもつい

安心して寄ってしまう場所なんですよね。

 

 

 

 

 

 

 

実は先月も、甥っ子(2才)が遊びに来た時に、

近所のスシローに行きました。

甥っ子と回転寿司に行きたかったんですニコニコ

 

 

 

 

このときの、

小さな集合意識について気づきがありまして。

 

①夫と私お父さんお母さん

②妹と甥っ子、娘と私お母さん赤ちゃんお母さんお母さん

がそれぞれどんな現実を創造したのかっていう話なんですけどね。

 

 

 

 

 

 

 

店舗は違えど同じチェーン店。

 

どちらの店舗も、

今まで嫌な気持ちになったことのない、

普通かそれ以上の店舗なんです。

 

そこで、それぞれの集合意識が、

何を引き寄せたかっていう話で。

(人のせいという事象はない・自分が世界を創造している

ということを前提としています。)

 

 

 

 

 

 

まず、①夫と私お父さんお母さん

 

意識状態:

・穏やか

・その時の流れで入店を決めた“自然”な状態

・共に「この店舗のネタは新鮮」という

 ポジティブな先入観あり

 

→2人全体のエネルギー

 としてはプラス➕

 

 

ポジティブな面

・偶然、大改装後で綺麗で最新機器で最高拍手

・待ちもなく、すべてがスムーズ

・おいしい

 

ネガティブな面

・入り口付近に香水のつよめのカップルがいたけど、息を止めて過ぎれば全く問題なし。

2つ席も離れていたし、

そのうちにいなくなったので平和な感じ◎

 

創造の総評

・すごく楽しめた◎

 

 

 

 

 

 

見てよこの大画面。

(みんなのところも もう、変わってる?)

 

お寿司が側道に入ってくれるから、

急いで取らなくていいのも、最高二重丸

 

 

 

注文画面もパネル上に2つ出るの良すぎOK二重丸
 

 

 

 

 

 

 

で、それと対照的な先月のスシロー。

②妹と甥っ子、娘と私お母さん赤ちゃんお母さんお母さん

 

意識状態:

・妹はスシローに文句が多い。

(以前自分の期待を裏切られたという念がすごいが、希望のチェーン店が近くになく、納得し来店。)

※妹は他責・期待が多くクレーマーになりやすいタイプで、スシローに非はないと思われます。

・その他3人はニュートラル

 

→4人全体のエネルギーは、

 今思えばマイナス➖

 

 

 

 

 

ポジティブな面

・甥っ子と食事ができた

 

ネガティブな面

・注文した商品が正しく届かない

・正しく届かないのに、会計に加算される

・直接訂正を申し出るが、差額を引かれるどころか間違った自動会計金額より高くなっている

・指摘すると「よく機械が間違えるんです」と、珍回答

・(スシローと関係ないけど、妹の不満感が…)

 

創造の総評

・とにかく、トラブルが続く。

 

 

 

 

 

 

 

見てよ、この違い。

びっくりするでしょう?

 

私たち家族だけで何年も行っていても、

こんなことに巻き込まれることってなかったんですけどね。

 

妹からすると、

「ほらね、これだからスシローは!」ということになるわけです。

 

 

 

 

 

 

一般的な地球的思考で捉えれば…

 

お父さんお母さん夫婦で行った時には…

・改装後の店舗に偶然に行ったから、満足できるサービスを受けられた。

・企業努力の恩恵を受けた。

・次回も新店を選んで行けばいい。

 

お母さん赤ちゃんお母さんお母さん妹と行ったときには…

・スタッフのレベルが低下しただけのこと。

・リーズナブルな店に行ったのが悪い。

 

ということになるんですが、

 

 

 

 

 

そうっちゃそうなんだけど、

それだけでは説明のつかない「縁」というものも存在するわけなんです。

 

 

 

 

 

 

被害者意識を手放して、必要なことに巡り合っているという目線で捉えると、

偶然でもスシローのせいでもないんです。

全て、自分たちが引き寄せてるわけですから。

 

 

 

 

 

 

(言い方は大袈裟ですけど、)

集合意識の共振状態が

集団の受け取る運命を分ける

ということなんです。

 

 

「祈って求めるものは何でも、すでに叶えられたと信じなさい。そうすればそのようになる。」マルコ11:24

 

「行きなさい。あなたの信じたとおりになるように。」マタイ8:13

 

「イエスは言われた。『できれば』と言うか。信じる者には何でもできる。」マルコ‭9‬:‭23‬

 

とも言うように、

 

 

 

 

 

 

 

そうであると信じることは、そうなるんですよね。

 

 

 

 

 

 

 

今回、

夫と2人で楽しく食事ができたことを通して、

先月の出来事のことがハッキリと分かりました。

 

妹のネガティブなエネルギーが圧倒的に強く、

集合意識として、呑まれたのだと…。

 

 

 

 

 

 

先月の時点では、完全に

自分の因果・学びであるだけだと思っていましたが、

 

こんなにも対照的な出来事を連続して経験したので、集合意識にまつわる気づきでもあったように感じられました。

 

 

 

 

 

 

 

「2人または3人がわたしの名によって集まるところには、私もその中にいるのである。」(マタイ18:20)とあるように、

集まるという力は、良くも悪くも働くようです。

 

image

 

よく、似たような悲しいニュースが立て続いて起こることってありますよね。

 

びっくりするほど、3件4件と続くことに気づくことってないですか?あれも、同じニュースに意識を注いだ日本人の集合意識が働いた結果のように見えます。

 

 

 

 

 

 

自己啓発系の話でも聞いたことはないですか?

4人のホームレスが毎日夢を語っていると、

そのうちに全員が大成した…というような、

複数人で望みに意識を集中していたら現実になったという話。

(実際私も、体験談を他にも聞いたことがあります。)

 

 

 

 

 

 

内なる神に素直でいる者同士で集っていれば、

意識が共振していい方向へ働く。

 

2-3人集まれば、そこに集合意識が働く。

どんなエネルギーを創り出しているかが

その集団の運命を左右する。

 

そういうことって、ある気がするんですよね。

今回の経験を通して、

集合意識の力を身をもって感じるようになりました。

 

 
この箇所、原文をみるとまた面白いことになっています。
18・19・20章と分けてみますね。
 
 
 
 
 
 
18節
・はっきり言っておく。あなたがたが地上でつなぐことは、天上でもつながれ、あなたがたが地上で解くことは、天上でも解かれる。 (新共同訳)
・言っておきますが、あなたがたが地上で赦したり、禁じたりすることは、天でも同じようになされるのです。(JCB訳)
 
これって、マタイ6:14-15と同じですね。
(もし人の過ちを赦すなら、あなたがたの天の父もあなたがたの過ちをお赦しになる。 しかし、もし人を赦さないなら、あなたがたの父もあなたがたの過ちをお赦しにならない。)
 
どちらも、自分の意識の中で握りしめていた裁き・定義・縛りを緩めて解放することで、天の父(=大いなる秩序・摂理)もあなたを解放するということが説かれています。事実、そういうものです。
 
 
 
 
 
19節
・また、はっきり言っておくが、どんな願い事であれ、あなたがたのうち二人が地上で心を一つにして求めるなら、わたしの天の父はそれをかなえてくださる。 
 
これが、さっきの「ホームレスが集合意識で成功した話」と、わたしの「散々なスシローの話」。
 
神様(宇宙法則)にとっては、ポジティブもネガティブも大小も差別なく、どんな願いも叶えられます。
 
妹の「スシローは望みを叶えてくれない」という信念に呑まれた私たちは、集合意識の望みを叶えられ、「望みが叶えられない」という現実を叶えてもらうことになったのです。
 
「信じなさい。そうすればそのようになる。」の乱用です。ホントにこれ、無意識でやっちゃうんですけどね。
 
 
 
 
 
 
20節
二人または三人がわたしの名によって集まるところには、わたしもその中にいるのである。」
 
いよいよ、この箇所です。
教会ではあたりまえのように、
・神様の御名によってお祈りしますとか、

・イエス様のお名前を通してお祈りします

って使ってますけど、

「わたしの名によって集まる」とはどういうことなのか?

疑問に思ったことってないですか。
 
 
 
 
 

私が子供の時に母(牧師妻)に訪ねた時には、

直接は話せないから、イエス様を通すんだ…

みたいな解説だった気がしますがピンと来ず。

 

大人になった今、原文を覗くと合点がいきました。

 

 

 

 

 

 

「名によって」の「名(オノマ)」とは…

単なる呼び名ではなく、

本質・品性(愛・真理)・権威・性質のこと。

 

「~によって」を表す前置詞(エイス)はintoに対応するもので、深く入っていくようなニュアンスがあるのだそう。

 

つまり、

イエス様の性質に深く入っていくこと。

 

 

 

 

 

 

原文のニュアンスでは、

わたしの名によって集まるとは、

「キリストの愛と調和という性質そのものに心を一致させて集まること」

「2-3人がイエスキリストの波動領域(性質)に深く入ること」

なんですよね。

 

 

 

 

 

※しかも!

日本でも名は体を表すというように、

古代オリエント・ヘブライ・ギリシャ世界でも

「名は記号ではなく、そのものの本質的エネルギーを表す」

とされてきたんだって。ワオ!

 

まさに、イエスの名=イエスの本質的性質

ってことだと思わない?

 

 

 

 

 

 

そして、「わたしもその中にある」とは?

エケイ・エイミ・エン・メソー・アウトン

そこに・わたしは存在する・~の中に・中心に・彼らの

 

 

 

 

 

エン・メソーは、ただの中心ではなく

“中心軸”のようなニュアンスだそう。

共振によって立ち上がった軸のようです。

 

エイミ=「ある」というように、

イエスがそこに「来る」というよりも、

その「場」が愛の周波数・磁場が立ち現れるような触感です。

 

無心に場に溶け、本心(愛)にただ一致するようなあの感覚のことを言っているような気がします。

 

本心で心を共にするとき、琴線に一致し続けているような、あの感覚なのかなと。

 

 

 

 

 

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「地上で赦したり、禁じたりすることは、天でも同じようになされる」

「2人で求めるなら、神(宇宙の摂理)はそれを叶える」

「2-3人がイエスの本質的性質に深く入っていく時、わたしもそこに在る。」

 

 

 

 

 


 

強いネガティブ意識の人との集合意識で起こる望まぬ創造の一件で、

集合意識の力を感じさせられ、

思い起こされたマタイ18章。

 

同じ思いの人と共鳴することの価値と創造の可能性を感じさせられました。

 

 

 

 

 

 

誰と共鳴しよう?

誰と集合意識を創っていこう?

 

今の日本、今の地球は

どんな集合意識を創っているのだろう。

ネガティブな共鳴は何を創っていくのだろう。

 

愛と調和の波動で共鳴する瞬間を、

生きている間に積み重ねていくことを意図しよう。

 

まず、1人との共鳴でいい。

そこがきっと、教会(愛の磁場)の

はじまりなんじゃないかな。