珈琲と虹と鯨の棲む場所 -60ページ目

珈琲と虹と鯨の棲む場所

東京都三宅島をフィールドに直感を綴る

年度末が近づくと眠れなくなるのは、この体験のせいかもしれない。

完成したばっかりのクライミングのリード壁を天井近くまで登りながら、フォールした。
両足踵が地面に到達して骨折した。
翌日の飛行機(年度初めで奇跡的に席はあった)で上京し即広尾病院に入院

後から考えると、腰とか頭だったら、半身不随とか即死だったかもしれない。
わずか数秒の落下の記憶が頭の中から離れず、この時期になると毎日のように夢に出てくる。

年度末から年度初めで、両親や家族も子供たちも新しい年度を迎える日
村議になったばっかりで、副村長も新しく赴任してくるタイミング
支庁なども異動で入れ替わり、お店も年度末決算の大事な時期だった。
あまりにも自己嫌悪で、誰にも言いたくなかったし、隠れていたかったので
入院したことはほとんど誰にも知らせずに、42日間を広尾病院の部屋で静かに過ごした。

人生初の入院と手術、全身麻酔での手術が終わり
しっかりと意識がもどったら2日くらいたってたような気がする。

踵の骨を大人二人がかりで戻すときは、痛すぎて枕に顔をうずめて思い切り叫んだ。
手術後も痛み止めの点滴を外すことができないくらいズキズキと痛かったし
目が覚めてちんちんに管が入っていたのはショックだった。

昨日はJ-WAVEのラジオドラマで沢木耕太郎の「凍」が放送された。
山野井夫妻のギャチュンカンの奇跡の生還物語がなにかのお告げかのように、
山野井夫妻が突然病室に来てくれた事を思い出した。
山野井泰史さんや妙子さんが病室で話してくれた過去のケガの話を聞いたら、
こんな骨折なんて大したことがないと思わざる得ないくらい、
壮絶すぎて、落ち込んでいた気持ちを明るくさせてくれた。
隣のベッドで寝ていた(後に仲良くしていただく)ノリさんは、
聞き耳をたてて山野井さんと僕の会話を聞いていたそうだ。

他にも飯山さんや櫻田村長、飯田副村長、三建の長谷川会長、平野前議長、
元会社の同期の森本くん、船内夫妻には特にだいぶお世話になってしまった。
なるべくひっそりと隠れていたいと思いながらも何人かの人たちが病室に来てくれた。

この時の経験は特別で、車椅子での暮らしや足が不自由な中でのシャワーやトイレ
リハビリのツラさや広尾病院の施設についてなども42日間でかなり理解できた。
夜中に到着するヘリの音や、全館に流れるコードブルーなども経験した。

この事は、いままでずっと書かないで来たけど、生きているうちにこうして文章に残し
どこかで自分の中の折り合いをつけておきたくてブログに書きました。
この後、6月11日に父がヘリ搬送で広尾病院に入り、母も心臓の手術をして
家族で入院することになり、父は8月にそのまま他界することになる年でした。
人生の中でこんな事が続くのかと自分の中で運命を受け入れることが難しい年でした。

あれから3年が経過しました。あの時、人生が終わっていたらと思うと、
まだまだやりたいことがたくさんあるし、見届けたい子供たちの成長もある。
時代が変わろうとしている中で、今日だけは死ななくてよかったと、
自分の過去を振り返る日なのです。


この難しい漢字は、齟齬(そご)と読む。
意見や事柄が、くいちがって、合わないこと。
文章を読まないと新しい言葉は獲得できない。

幻冬舎社長の見城徹さんが、静岡新聞の夕刊に連載していたコラム「窓辺」の最終回

この中で彼女との別れの文章で使われていた言葉
この言葉だけで、費やしてきた時間や背景、二人の事が切なく感じる。
 


イチロー選手が引退会見をした。
85分という長い時間、イチロー選手の独特の言葉選びと人柄の出る会見だった。
会見の流れるスマホを持ったまま、寝落ちしながら、入眠時幻覚を見た。

スーパースターにはある部屋があって、そこに入るには順番か人数が決められているのか、
ドアには一人の男が立っていて、イチロー選手が出ていくと、
一人の女の子が呼ばれ、そこに入っていいと言われていた。
女の子は不思議そうに、なぜ自分が呼ばれたのかもわからない様子だったが、
イチロー選手が「28年間も席を空けなくてごめんね」と声を掛けていた。
それを聞くと嬉しそうに女の子は中に入っていった。そんな夢だった。

「すげーことになる予感がしている。」 
その言葉を信じていますよ。


 


観ました!アメリカの景色と音楽が最高で、二人の関係の変化や家族のあり方について
人種差別の現実の中でどう生きて行くのか?
映画は孤独を埋めるツールでもあるけど、人生観を変えるツールでもある。
音楽や映画、読書を知らない人と、深く知る人では、人生の過ごし方は大きく違うと思う。
「最強のふたり」に似ているようで、車の旅と音楽という意味では、
キャメロン・クロウ監督の大好きな映画「エリザベスタウン」のような感覚もあって、
ラストのクリスマスシーンは笑顔いっぱい幸せな気持ちになれる映画です。
 

 


最初に平山ユージさんを知ったのは、1999年7月のテレビ番組「情熱大陸」 
(ロストアロー社長の坂下直枝さんも出てくるし、↑飯山健治さんの名前がテロップで流れます)
日本人でワールドカップで活躍してる人がいることに驚いた。
実際に平山ユージさんと直接会えたのはそれから9年経った2008年12月

ハンス・フローリンとヨセミテのノーズを世界記録で登ったスライドショーの時だった。

そして上の写真は先日の三宅島ボルダリング大会2019でゲストクライマーで来た時のもの。

情熱大陸の時は30歳、ノーズの記録の時は、もうすぐ40歳
そして今回はユージさんの50歳のバースデーだった。
50歳、最初の外のクライミングは三宅島の富賀浜、↓自称「溶岩の似合う男」

これまでも、三宅島でたくさんのクライマーと会ってきた。
それも世界トップレベルの人たちばかり、岩の神様とか、沢の神様とか、世界最強とか。
でも、そういう人たちには、誰でもを受け入れるというよりは、
どこかに影があって、ちょっと近寄りがたいオーラも纏っていたりする。

今回すごく感じたのは、平山ユージさんは別で、
初対面のどんな人でも、優しく引き寄せるオーラが満ち溢れている。
クライミングをしない島の同級生が、体育館でユージさんを見つけて、
いきなり声をかけたけど、快く応じてくれてサインしてくれたと、嬉しそうに話してた。
そういうバリアフリーな感じは、本当に素晴らしい事だなぁと思った。

三宅島の人たちや、都会からクライミングに来た人たちが、平山ユージさんと会って
握手したり、サインをもらったり、写真を撮ったり、一緒に登ったりして
満面の笑顔になっているのをたくさん見れて、
僕にとっては、みんなの笑顔が見れたことが、すごく幸せな2日間だった。

少しだけ不安になったのは、ユージさんとのタイミングがずっと10年サイクルで、
今度会うのが、10年後になったら60歳だから、そうならないように祈っている。笑
なんだか20年おきに噴火する三宅島のようだ。

もう一つ、自分のブログを振り返っていて、忘れてはいけない磯川暁くんの写真が出てきた。

三宅島の明日葉で染めたTシャツを着て、ユージさんとツーショット写真を撮った磯川暁くんは、
嬉しくて、このあとすぐに白馬からメールしてきたのを覚えている。
磯川くんのブログにも、ユージさんと会った、この日のことが残っている。

コンペの後の飲み会で、ナオが磯川暁くんの事をみんなに話してくれた時は、ちょっと泣きそうだった。
三宅島のクライミングで忘れてはいけない人物だからね。
心の底から暁くんと一緒に登りたかったなぁ~
そしたらどれだけ喜びに満ち溢れた時間を共有できただろうかと思う。

そして、三宅高校の時に体育館で一緒に登ったころは、
初段に届くかな?っていう感じのヒョロっとした男子だった、古谷達哉くん

エキスパートクラス決勝で全完、特に3課題目は痺れたし、泣きそうになるくらい感動した。
コンペ終了後に、一緒に写真を撮りましょう!って言われて
「俺なんか全然登れなかったし、いいの?」って言いながら撮った写真
なんか達哉くんの成長がこの上なく嬉しかったなぁ~
若いって素晴らしいよね。今後もどんどん強くなってほしい。
「今度サインしてね」ってメッセージ送って、写真をお店に貼らせていただきました。笑