年度末が近づくと眠れなくなるのは、この体験のせいかもしれない。

完成したばっかりのクライミングのリード壁を天井近くまで登りながら、フォールした。
両足踵が地面に到達して骨折した。
翌日の飛行機(年度初めで奇跡的に席はあった)で上京し即広尾病院に入院


後から考えると、腰とか頭だったら、半身不随とか即死だったかもしれない。
わずか数秒の落下の記憶が頭の中から離れず、この時期になると毎日のように夢に出てくる。
年度末から年度初めで、両親や家族も子供たちも新しい年度を迎える日
村議になったばっかりで、副村長も新しく赴任してくるタイミング
支庁なども異動で入れ替わり、お店も年度末決算の大事な時期だった。
あまりにも自己嫌悪で、誰にも言いたくなかったし、隠れていたかったので
入院したことはほとんど誰にも知らせずに、42日間を広尾病院の部屋で静かに過ごした。


人生初の入院と手術、全身麻酔での手術が終わり
しっかりと意識がもどったら2日くらいたってたような気がする。
踵の骨を大人二人がかりで戻すときは、痛すぎて枕に顔をうずめて思い切り叫んだ。
手術後も痛み止めの点滴を外すことができないくらいズキズキと痛かったし
目が覚めてちんちんに管が入っていたのはショックだった。
昨日はJ-WAVEのラジオドラマで沢木耕太郎の「凍」が放送された。
山野井夫妻のギャチュンカンの奇跡の生還物語がなにかのお告げかのように、
山野井夫妻が突然病室に来てくれた事を思い出した。
山野井泰史さんや妙子さんが病室で話してくれた過去のケガの話を聞いたら、
こんな骨折なんて大したことがないと思わざる得ないくらい、
壮絶すぎて、落ち込んでいた気持ちを明るくさせてくれた。
隣のベッドで寝ていた(後に仲良くしていただく)ノリさんは、
聞き耳をたてて山野井さんと僕の会話を聞いていたそうだ。
他にも飯山さんや櫻田村長、飯田副村長、三建の長谷川会長、平野前議長、
元会社の同期の森本くん、船内夫妻には特にだいぶお世話になってしまった。
なるべくひっそりと隠れていたいと思いながらも何人かの人たちが病室に来てくれた。
この時の経験は特別で、車椅子での暮らしや足が不自由な中でのシャワーやトイレ
リハビリのツラさや広尾病院の施設についてなども42日間でかなり理解できた。
夜中に到着するヘリの音や、全館に流れるコードブルーなども経験した。
この事は、いままでずっと書かないで来たけど、生きているうちにこうして文章に残し
どこかで自分の中の折り合いをつけておきたくてブログに書きました。
この後、6月11日に父がヘリ搬送で広尾病院に入り、母も心臓の手術をして
家族で入院することになり、父は8月にそのまま他界することになる年でした。
人生の中でこんな事が続くのかと自分の中で運命を受け入れることが難しい年でした。
あれから3年が経過しました。あの時、人生が終わっていたらと思うと、
まだまだやりたいことがたくさんあるし、見届けたい子供たちの成長もある。
時代が変わろうとしている中で、今日だけは死ななくてよかったと、
自分の過去を振り返る日なのです。