珈琲と虹と鯨の棲む場所 -57ページ目

珈琲と虹と鯨の棲む場所

東京都三宅島をフィールドに直感を綴る


島暮らしって、スローライフかと思われるけど、そんなことないよ。
インターネットは繋がっているし、悪天候に翻弄されることもある。

そもそも約束とか仕事とか、移動にバスや電車を利用しないので、数分で到着するから
通勤とか乗り物で移動に使っていた過去の時間を考えたら、
島ではまったくそれがないし、台風で船が来ないとか、飛行機が欠航とかなら
天気予報とにらめっこして、いろいろな判断をしなければいけない事もある。
荷物や仕入れの手配をどのタイミングでするかとか、
出張や旅行などのために、島を出たり、戻るときにもかなり緊張する。

そういう意味では、この緊張はスローライフでは決してない。

もちろん、「いつまでに」というスケジュールに締め切りの全くない人は、
当てはまらないけど、世の中の人は生きて行くのに、悠長にしていられない。
人生時間には限りがある。気力も体力も十分な時にやりたい事をやっておきたい。

都会に行くと、何がストレスかって、移動にかかる時間かな。
電車やバスの中の雰囲気もあまり好きじゃない。
そろそろみんな、地方に散ったほうが良いかもしれませんよ。笑


大学を卒業して1990年にリクルートフロムエーに新卒で入社した。
時代はバブル全盛期でフロム・エーは週二回刊になり、CMはルーカスフィルムで撮った。
フロムエーポルシェはルマンを走り、アクトアライブではレニ・クラを初めて日本に呼んだ。

入社して1年後の春、いきなり新規事業の海外旅行事業部に異動して
学生の卒業旅行を企画販売した。この時が最初の社内転職状態だった。(1)
同時に湾岸戦争があり、海外旅行に規制が入ると、江副さんの判断で4年半で撤退
この判断が良かったのか?98年には、四季旅やジェットツアーなどが倒産した。
再び広告営業に戻ったのが95年10月、再度転職した気分だった。(2)

この時には、旅行会社からいくつかの引き合いもあったが、この経験をさせてもらった
リクルートという会社に恩返しがしたいと、残ることを決めた。

広告に戻った2年後に高島屋タイムズスクエアがオープンするタイミングでMVPを取った。
偶然にも母校の新宿高校がすぐそばで、なんだか嬉しかった。

その後、モチベーションは、上がったり下がったりして

MVPを取った後は燃え尽き症候群のような感じで、
パソコンでゲームをやっている上司を見て、どうしようもねぇなぁ~と思い
2000年には会社を辞めようと思って、1999年から転職活動をしていた。
もともと10年で会社を辞めて独立しようかなとも思っていたので、
人事にもそのような話をそれとなくすると、いきなりリクルートの代理店部に異動になった。(3)
ここも大きな転職気分だったかな? まわりの優秀な方たちに揉まれながら、
マーケティングをじっくり学んだり、研修という新たな「商品」も体験できた。
すると、2000年に三宅島大噴火があり、島に帰ることができず、
このタイミングで代理店に出向となった。
上司からは「島に帰れないから、もう少しリクルートで頑張れ!」と熱いエールをもらった。
出向先の太陽エージェンシーさまでは、様々なビジネスが体験できたし、
会社全体を見渡せて、社長ともじっくり会話できて、少しだけ経営にも参加させてもらった。
特に人材採用と育成では30名くらいだった組織は100名以上になり、売り上げも3倍になった。
ここで合計4回MVPを取らせてもらい、リクルートの年間MVP候補にもなった。
その後「うちに来ないか?」と社長から金銭的にも魅力的なオファーを断って、
2004年には代理店部に戻り、2005年には三宅島全島避難解除と同時にリクルートを退職した。(4)

本当は島に戻って何かやろうと思ったけど、島の状態はなかなかビジネスには厳しく
親父からも仕事はないと言われ、三宅島の植物で染めたTシャツや手ぬぐいを作ったり
なんとかやりたいことを形にしようと思ったけれども、ヒットは出せずじまい。
2006年にはアキレス腱断裂があり、半年間はバレリーナギブスになってしまった。

この時期から、少しだけお世話になった代理店に出入りさせてもらい、
研修の仕事をさせてもらった。教えた営業マンやグループが営業で優秀賞をとるなど
そこそこ結果がだせて、2008年にリーマンショックがあるまで、数社の研修をやった。
リーマンショック後はすっかり仕事がなくなり、親父に相談して三宅島に単身で戻り、
沖倉商店の仕事をすることになった。

2008年の夏から三宅島エコライドという自転車のエコなイベントを行い、
その中でやっていた釜の尻のボルダリングが後に大きな動きになるが、
この時には予想も出来ず、3年間、行政などには疎まれながら、民間でイベントを行い
2010年を最後に、2011年の3.11の震災後はイベントをやめた。

2010年4月に有限会社沖倉商店の代表取締役に就任、
2012年5月11日にカフェ691としてオープン(5)、2016年には村会議員となる。(6)
人生の節目や辞め時など、決して思い通りに来た人生ではないけど、
結果を残したいと思って、必死にしがみついて、人生を送っている自負はある。

もう一度生まれ変わったらとか、もう一度やり直すとか、
そんな事を簡単には考えられないくらい苦労してきたし、いまも続いている。
「運がよかったね」と周りから言われたり、
「のんびり島暮らし」「写真撮ってクライミングして楽しそう」などと、
楽観的に見られているなら、まだまだ自分には伸びしろがあると思っている。

同じことをやっているようで、何度も人生をリセットしてきた。
新しいことに踏み出すことは、マイナスではない。
新しいことに踏み出さない人は、本のページをめくることなく、
同じページばっかりを何度も読み返してるような感じだと思う。

何度も何度も踏み出してきたから、そのタイミングやその感覚はわかっていると思う。
もう50年以上も生きてきたのだから。


最近、作業台の前にあるフックなどを彫るには少し小さいかな?と思われる、
鯨の歯や鹿の角を眺めながら、指輪を彫り始めた。
まだ、外側に装飾を彫れるほどデザインと技術は上達していないので、
シンプルになるべく輪っかになるように彫っている。
これが結構ごまかせなくて、さらに動物には欠けや癖もあるので「輪」は、かなり難しい。

ネットでデザインとか、はめる指とか、ハワイとかマオリとか、いろいろと見ていると、
指輪ってつける場所によって意味がある事を、はじめて知りました。
※もちろん結婚指輪くらいは知ってるけど、この詳細情報にはかなり鈍感でした。
指輪の意味リンク ※とりあえず検索で上の方にあったの貼っておきます。

鹿の角は水の悪魔が嫌がるそうで、クジラの歯は捕鯨が規制されていて、
なかなか手にはいらない素材なので、それぞれ模様も独特ですし、
なんか作っていて、直感ですけど、願掛けには良いのかと思います。
店舗でのみ販売なので、ぜひ三宅島に来た時にはお店にお立ち寄り下さい。


議会の後というのは、毎回 激しい自己嫌悪に苛まれます。
あんな事言わなければ良かったとか、もっとこういう言葉を使えば良かったとか、
あそこはどう感じただろうとか、他者への想像力を冷静になって思えば思うほど、
やるせない感じになります。あ~眠れない、気になってしょうがない。
三宅島のためになるのか?住民の立場で発言できているか?
やめてしまいたいと強く感じる一方で、選ばれた責任と誰かが言わなければ変わらない
という強い支援者からの後押しも感じながら葛藤しています。
残る任期は2月までですが、全力で走り切ろうと思います。
まあ、ひとりごとというか、つぶやきです。


ある外国人のカップルがカフェに来て、船の時間までコーヒーを楽しんでいた。
店内のスピーカーからルパート・ホルムズのエスケイプが流れると、
どうみても30代前後の若い外国人の男性が歌い始めた。

「1979年の曲なのに、なんで知ってるの?」って思って
聞いてみると、「80年代とかこの頃の音楽が好きで、
実はお店に置いてあるたくさんのCDが気になってしょうがなかった。
あればご主人の趣味ですか?」と聞かれたので、「CDだけじゃなくて
クライミングもカフェもすべて自分の部屋みたいな状態です。」と答えると、
「アナタの趣味が溢れていてCOOLな空間ですね。」と言われた。
そりゃ、あんた、30年以上も好きでやってるんだから、
好みがぴったりならCOOLだよね。って思いながら、

秋元康さんが、「学生の頃の夏休みがずっと続いている。」と
いまやっている仕事の感覚を表現していた。
人間なんて、好みや性格が大きく変わることなんかあまりない。
ずっと好きだし、子供の頃のまま、溢れる興味に翻弄されたい。

実は外国人からお店の事を褒められるのは、これが初めてではない。
センスのぴったりくる人がいることは、この上ない喜びだし、
外国人からCOOLだって褒められたら、この上なく嬉しい。
自分の中での、最&高、常に優勝!最高の更新しかない。

自分の部屋感覚だから、ここはそろそろこうしたいとか、
ここはこう直したいとか、いろいろあるけど、
同時に世の中も技術や材料も変化しているので、
その時にある最新のものを取り入れたいと思う。
でも、選ぶ基準はすっと昔のまま、
1983年の噴火で埋まる前の店の二階の部屋でFENを聞きながら
過ごしていた頃の感覚がずっと続いているんです。