資格取得と会話は別モノ
私のまわりでもTOEICの勉強をしている人、
もしくは、より高得点をねらってさらに勉強して
いる人がいるんですが、
みんなが言うには、
資格の勉強と英会話の勉強は別モノ
だとのこと。
私は、TOEICの勉強もしたことないし、
試験も受けたことがないので、実感がわきませんが、
資格試験の勉強ばっかりやってると、
机に向かう時間が増えてしまって、
スピーキングの時間が減ってしまい、
両方こなすのは、効率が悪いんだとか。
なんだか同じ方向を歩いていそうなのに、
同時にこなすには、ムダがあるとは、
ヘンな話で。
「英語」という、
一つのおおくくりでみると、
すべてつながっているようにも見えますが、
私たち素人からみたら、
どこから攻めてみたらいいのか、
見当がつきにくかったりするんですよね。
「日常会話ができるようになりたい」
とか、
「英語本や海外のネットを読んだり書いたりしたい」
とか、
「資格中心で勉強したい」
など、
これすべてできて、
「英語ができる人」
のくくりにようやく入れるとしたら、
よっぽど本腰入れて勉強しないといけないですね。
英語圏で生活するならともかく、
(海外に住んでも英語ができないという話は
ちらほら聞きますが・・)
そこまで時間も労力もさけないという人は、
英語はかいつまんでやる
のが一番です。
要は、自分にとって英語の必要な部分だけを抜き出してやる、
ということです。
ビジネス会話だったら、ビジネス会話を重点的にしたり、
TOEICだったら、自分で目標の得点を決めて、
達成できたら、一度勉強をやめてみるとか。
すべてきわめないかわりに、ここまではやってみるという、
自分なりの線引きをひいて、それ以上はムダに追わずに、
一度は立ち止まって考えてみる必要もあるんじゃないですか。
世の中、楽しいことなんて山ほどあるんですから、
好きこのんで“英語の修行僧”みたいなことを
長い間、勤め上げることもないんじゃないかと。
ある程度、満足いく結果が得られたら、
そこから先はからだの力を抜いたオートマチック状態で。
自分からは追わずに、来るもの(英語の知識)は拒まず。
それなりに土台ができていれば、英語の取り込み方も、
聞いたことのない言葉の意味のひらめき方も
ちがってきますからね。
「恥」を飛び越えてムリヤリ個性的になってみる
結局、英語でも、なんでもそうなんですが、
身につくかどうかは自分次第なんです。
人様に、「上達させてくれ!」
とお願いしても無理な話で、
大人になったら、自分を律する術を身につけないと、
なんにも、ものになりはしません。
子供の頃は、“親”という、
愛情も時間も自分にそそいで、日本語を教えてくれる
またとない最高の教師がいましたが、
大人になれば、そこまで自分にかまってくれる
人間なんていません。
かまってくれるのは、おのれ自身だけ。
この身に英語を叩き込めるのも、おのれ自身だけです。
しかも年を重ねて、知識と経験が増えてくると同時に、
つまらないプライドもどんどん大きくなってきて、
恥をかくくらいなら、リスクのある新しいことなんて
したくないと、
どんどん保守的な考えに染まっていって、
これからの人生先細りするだけですよ。
大人になったら、何か捨てなければいけないことだって
あるんです。
羞恥心だったり、意地だったり、あるいは他人への
依存心だったり。
「何かを得たいのなら、何かを捨てろ」
とはよく言われますが、
英語を身につけるために、捨てなければならないことは、
・時間
・羞恥心
ですよ。
「時間」
もちろん、勉強する時間のことで、ダラダラテレビを見ている
時間があったら、テレビを消して自分を磨く時間を
つくったほうが断然いい![]()
遠くかすんで見えないようなゴール地点でも、
そこをめざして、文句も言わずに毎日取り組んでいる人が
世の中たくさんいるんですから、
お互いに励ましあえないけど、一度は夢見たことなら、
コツコツ取り組んでみましょうよ。
続けていれば、かならずきれいな景色が見えるときがきますよ。
「羞恥心」
日本の社会の安全さや安定感というのは、
外国の宗教と色合いが違って、日本人ひとりひとりが持っている
「恥」という文化から成り立っているとよく言われます。
もちろん日本人も、大多数の人は、
「変わっている人間」
だと思うのですが、世間の目に触れると無個性になるという。
それはそれで、悪くない文化だとは思うのですが、
恥をかくのがイヤというか、ハードルを越えるぐらいの
思い切りのよさと勢いが必要というか、
ちょっとした覚悟とエネルギーをもってこないと、そこを飛び越える
踏ん切りがつかなかったりするんですよね。
でも、いったん越えてしまうと、
そんなにたいしたこともなくて、むしろ「恥」で
行動を制限されているほうが不自然だったりしてね。
日本人にとって一番おもしろい発見があるのは、
「恥」をとびこえることに
あるんじゃないかと思われるほどです。
英会話では、恥ずかしいとか、うまくないとか思わないほうがいいですよ。
単語並べてしゃべっただけでも、
「オレ、ペラペラ
」
と、根拠のない自信満々のオーラを出していたほうが、
周りのうけはいいはず。
ここぞというときは、ふさぎこまずに自分を開放してみましょうね。
どうせ買うなら楽しい英語の本を
このブログをはじめて、だいたい1か月ぐらいたつんですが、
なんだかタイトルと書いていることがだんだん
離れていってしまって、
もうそろそろ、ブログのタイトル変えようかどうか、
考えている山吉です。
NHKのラジオ英会話テキストをタイトルで持ち上げているのに、
それにそった内容をブログでほとんど書いてないので・・・
しかも冒頭で、テキストを1年間やってみた結果、
「英会話できるようになりませんでした!」
と、バカ丸出しの宣言までしてしまって![]()
いや、やればできるはずなんですよ。
ただ、私のやり方や真剣さが足りなかっただけなんです。
今はもう、NHKのラジオ英会話テキストは買っていません。
たまに立ち読みしてみると、知らない英語の表現が
ぼろぼろ出てきて、ちょっとあせったりしますが、
出版社さんの月一冊ペースのレールにのってしまうと、
あれ?あれ?って、
知らないうちに自分の消化できる許容範囲を超えてしまって、
ただテキストが積み重なっていくだけの状況におちいって
しまいそうなので、
まずは、自分のペースを守ることを第一に考えています。
ああいう、延々と出版されるテキストを使うなら、
半年なら半年、1年なら1年と自分で買う期間を決めて、
買った分だけをしこたま脳みそに刷り込んでいくという
やり方のほうが、初心者にはあっていると思うんです。
初心者は欲張らずに、自分のできる範囲をビシッと決めて、
その範囲内を完璧に仕上げたほうがいいです。
そうしないと、根っこが育ちませんから。
植えたはずの稲が、田植えしている人間のせいなのか、
手入れされていない田んぼのせいなのか、
稲が根を張ることができずに、流されてどこかへいってしまう。
英語に慣れていない人は、そんな感じなのかと。
英語がかなりできるようになって、
吸収する速度がバツグンにあがった人なら、
買い続けてもいいと思うんですけどね。
正直なところ、学習目的のテキストが部屋に積み重なっていくって、
あまりおもしろくないんですよ。
ふと、視界に入ると
ああ~やらなきゃ![]()
って、思っちゃうから。
英語の世界に触れるなら、楽しいことをできるだけ考えたいんです。
本を選ぶにしても、アメリカなどのアマゾンをできるだけ
探し回って、英語のレビューも読んで、
それだけでも面白かったりしますからね。
本好きな人は、海外のアマゾンもヒマつぶしにのぞいてみてください。
「なんかよくわかんないけど、この本面白そう!」
って、食いついちゃう本が見つかりますよ。
勉強もいいけど、楽しみながらできる英語も
それぞれ見つけていきましょうね。