NLPの教科書では、Test-Operation-Test-Exitのモデルで、現状から望ましい状態への移行のためのモデルとして紹介され、これによって最も効果的に目標が達成できるとしている。



まずゴールが達成できているかチェックし、できていない場合は、操作を行い、再度チェックしOKであれば、終了する、というもの。

これはNLPの前提である「失敗はない。フィードバックがあるだけ」と絡めて、テストして駄目であれば、別の方法を試してみる、という柔軟性の大切さを伝えるために用いられている。

はじめて、これを習ったときには、PDCAに似ているな、というのと、こんな当たり前のことを何を仰々しく、「TOTEモデル」などと囃し立てているのだろうかと思ったものだ。(そういう意味から言えば、PDCAもビジネスマンは崇め奉っているが、大したものではない)。当たり前のことを当たり前にできないからこういう言葉が出てきてしまうとも言える。

実際に、こういう試行錯誤は古代人もやっていたし、何なら昆虫でもやっていることである。

元を辿れば、行動心理学者のカール・プリブラムらが、それまでの行動心理学のモデルであるSR(刺激-反応)では解釈できない行動の仕組みを説明するために考え出したモデルである。
単に反射的行動、あるいは条件反射による単純なつながりではなく、S->O->Rと刺激と反応の間には 認知的・知能的プロセスが入る場合、どのようなモデルで説明するのが良いか考え出された。単なる連鎖反応では物質と変わらない。動物には知性がある。コンピュータも物質ではあるが、洗練された知性がある。

例えば、まずトリガーとして犬が外敵が家の中に侵入しそうなのを見る(Test)。
そして、吠える(Operation
外敵が去っていったかをチェックする(Test
去っていったら終了(Exit

もし最初から去っていったならTEになるし、なかなか去っていかないなら、TOTOTEにもなるし、TOTOTOTOTOTOTOTと散々Oを繰り返した挙句、Exitに辿り着かず、諦めるケースもある。

NLPでは、対象領域を広げて、目標達成に適用している。そして、原義から意味を追加している。まず望ましいゴールが明確であること。Testでは、ゴールが達成できたかどうか、五感に基づく証拠(エビデンス)があること。Operationは、ゴールを達成するための手段や行動に、柔軟性があること。

些末なことも、パターンに名前が与えられると力になる。言葉が与えられると、共通の言語になる。柔軟性、諦めずに、と言うよりも、TOTEモデル、と言った方が伝わる。

 

ディズニー・ストラテジーはウォルトディズニーがイマジニアリング(想像工学)として用いた優れた手法で、夢想家現実家批評家の3つの立場から物事を分析する。夢想家が夢・目的を語り、現実家がそれを実現するための現実的な方法に落とし込み、批評家が問題点・リスクを洗い出す。この3者が協同作業をなすことで、目標を現実に達成できるようにしていく。

実際のワークでは、同じ人物が役割を変え、それぞれの立場ごとに場所を決め、まず夢想家になりポーズを決め、すべての制約を取っ払って夢を語る。ついで、現実家になって、現実的視点で分析し、ついで批評家になって批判を行う。その批判に応える形で、夢想家が回答を行い、このサイクルを繰り返して、批評家が納得いくまで行う。

このワークの良いところは、自分の中の様々な声、パートを分離し、立場を明確にした状態で行う点である。通常は、一つの役割に慣れきれずに、心の中で足を引っ張り合って、十分に主張を述べられず、中途半端な状態で、にっちもさっちも行かない状態になる。
一人の人間の中で、時間場所役割を変える。これは一人の人間の中で三者がそろっているからである。普段、ネガティブ傾向が強い人でも、夢想家になりきって演じることもできるし、逆に超ポジティブ人間でも現実的視点を持つこともできる。

また3つの役割に分けている点も大きなところで、賛成意見と反対意見という二つのパートで行うよりも、3つに分けた方が効果的だ。

この3者の分類は特別なものではなく、類似したものはほかでも多く見ることができる。精神分析では、代表的なペルソナとして、エス、自我、超自我の3つを分けているが、夢想家、現実家、批評家に対応するし、交流分析でも、チャイルド、アダルト、ペアレントが同じように対応する。

国家権力を分ける三権分立の考え方も、立法、行政、司法という形で類似している。
マネジメントサイクルにおける、Plan, Do, See(Check/Act)がそれぞれ対応し、計画、実行、監視、もしくは設計、製造、試験というサイクルに対応する。創造、行動、観察という人間の3つの主要な活動にも対応する。

ほかにも、時間における未来、現在、過去が対応し、また主要な表象の、視覚、触覚、聴覚(言語)、知覚位置の第一、第三、第二のポジションも対応する。

したがって、極めて普遍的なフレームワークともいえる。
重要なポイントは、どれか一つの立場が良いというわけではなく、それぞれの立場が重要で、バランスが必要ということ。この三者が対立したとき、しばしば、どれが一番偉いか、となりやすい。

夢想家にとっては、機械的にしか動かない現実家や、批判ばかり言ってくる批評家は邪魔で排除したい存在となる。しかし夢想家しか存在しなければ、現実化するのは難しく、リスク管理ができず、大きな失敗をしてしまうだろう。これはポジティブ人間ばかりを集めて、ネガティブ人間を排除するケースも同じである。みんながイケイケで、暴走してしまうのだ。

一方で、夢がないのも問題である。今の日本は、夢がなく、前例に従うことしか能がない官僚、与党に対する批判ばかりで足を引っ張るだけの野党がいて、そして大蔵官僚が幅を利かせて、財政健全化の題目で、経済を縮小させることばかりをしているのではないだろうか。
 

リフレーミングとは、見方を変えることで、別の意味を引き出すということである。

このような考え方は、NLP以前、というよりも大昔からあることで、何ら目新しいものはない。物事の見方、解釈、投影、物事のとらえ方、ポジティブ思考、いろいろな言葉で表現されてきた。リフレーミングという言葉自体は、家族療法で使われていたもので、バージニア・サティアからNLPへ取り入れられた。

似たようなものだと、アルバート・エリス論理療法におけるABCDE理論がある。
A:Activating event(出来事
B:Belief(信念、固定観念)
C:Consequence(結果
D:Dispute(論駁
E:Effect(効果

論理療法では、このBeliefを変えることで、結果を変えていく。イラショナル・ビリーフ(非合理的な信念)をラショナル・ビリーフ(合理的な信念)に変えていく。

リフレーミングもほぼ同じような考え方だが、もう少し意味合いは広い。

最も広い意味では、NLPのワーク全て、あるいはNLPの根本がリフレーミングだとも言える。狭義では、言語を使った、コンテンツコンテキストのリフレーミングがある。もう少し広い意味では、サブモダリティを変更するのもフレームを変更する意味でリフレーミングであるし、「六段階のリフレーミング」のように手段から意図を切り離して、別の手段に切り替えるものもある。

リフレーミングの結果は、
・事実に対してニュートラルになる
・事実に対して、いくつもの解釈、選択肢を与えられる。
・ビリーフを解体するか(あるいは弱まる)、役に立つビリーフに置き換える
となる。

● メタモデルもリフレーミングの一つ
メタモデルは、リフレーミングの前段階のビリーフを特定するための質問でも使われるし、リフレーミングの1つの方法としても使われるので、位置づけが少しややこしい。
質問によって別の視点に立つことになるし、一般化や歪曲に対する質問は、それ自体がビリーフへの疑問になるため、リフレーミングを引き起こす。

● ビリーフの種類
 

・制限になるビリーフ
・力づけのビリーフ
・害にも得にもならないビリーフ

3番目は、一般的な知識に関するものであり、それが正しくても間違っていても、直接的な影響はない。通常は単純な知識はビリーフとは言わない。ビリーフは知識に対して、それが真実だという承認が入ったものを言う。自分自身に関係するビリーフが最も影響を与え、それが制限にもなり、力付けにもなる。NLPではそういうビリーフを扱う。


● コンテキストとコンテンツのリフレーミング

コンテキストのリフレーミングは、同じことを他の状況だとどのように役立つか、コンテンツのリフレーミングは、他にどんな意味があるか、を見ていく。つまり、前者はコンテンツ自体は変えないで、受け取り側、使い道を変える。後者はコンテンツ自体を変える。

コンテンツとコンテキストは対になる概念だから、分かりやすく思える。だが、実際どちらもコンテキストを変える。視点を変えなければ意味は変わらない。

コンテキストのリフレーミングは、テキストだと、他の状況で役立つこと、としているが、実際もっと幅広い。コンテンツは探らず、「」に入れて扱う感じだ。

● スライトオブマウス
 

ロバート・ディルツが開発したリフレーミングの14のパターン。手品(スライトオブハンド)のように、コンテンツに意識を向けさせた状態で、巧みにこっそりとコンテキストを変えて、リフレーミングを行う。

このリフレーミングは、単にビリーフの真実性・有用性を問うだけではない。茶化すような要素もあるし、別の、第三の選択肢の提案もあるし、別のところに意識を向けさせる要素もある。相手を否定するのではなく、励ます方向に持っていくかがポイント。
X - Yの関係性を断ち切るのではなく、X - A, B, Cということもあることを指摘し、選択肢を広げ、視野を広げ、柔軟性を取り戻す。

また、どう使うか、という視点でパターンが分けられている。「フレームサイズを変える」というのは、結果として「世界モデル」と被るときもあるが、どうフレームを変えるか、という観点で考えると別の道具であることが分かる。

ステップ:

・ビリーフを以下の形にする

X=Y 等価
X→Y 因果


・コンテンツ自体を見る
 ・そのビリーフ適用の普遍性・客観的真理か(反例、成立するための前提条件時代世界(国・文化・背景)を変える、自己矛盾していないか)
 ・文意をはっきりさせる(メタモデル)
  意味が明確にならないと真偽の判定はできない。
 ・別の角度から見る:言い換え=意味の再定義

・コンテキスト:ビリーフの内容自体は踏み込まずそれを()に入れて周辺を探る。
 その背景にある別のビリーフ(根本的なビリーフ、一般化された信念)
 そのビリーフを持つに至った経緯
 そのビリーフを持つ目的(当初の)
 そのビリーフの利点(その後持ち続けた目的
 そのビリーフはどのように表象されているか、正しいということをどう表象しているか
 今後、そのビリーフを持ち続けた結果(短期的・長期的)
 今後、そのビリーフを捨てた結果(短期的・長期的)
 このビリーフの相対的な重要度
 バックトラッキング:「と感じているんですね。」
 それ自身に当てはめる(再帰的):「自信がない→自信がないことに自信がある?」

● 視覚的なリフレーミング
 

聴覚的なプロセスと思われているが、問題の出来事を視覚的に異なる枠組み背景に置く。
問題体験の視覚的な部分を見て、一歩下がって、その中にいる自分自身を見る。
そのイメージの周りに様々なをはめ、装飾を加える(ライティングなども)、別の場所に置くなど。

●言葉の使い方を少し変える
・Yes butの代わりに、Yes andを使う。
時制を使う

 過去形で表現すると、もう終わったものという印象を与える。

●その他の視点を変えるワーク
 

ポジションチェンジで知覚位置を変えたり、ディズニーストラテジーで各立場から意見を言ったり、パートワークで、手段から意図に意識を切り替えたりといったものも、リフレーミングになる。

● 正当化、ポジティブ思考との違い

しばしば、リフレーミングは、自分の立場を正当化するために用いられる。ブラック企業は、リフレーミングの天才だろう。注意を疑わしいところからそらしてしまう。薄給・長時間労働に、ポジティブな意義を与え、モチベーションを与える。ポジティブという名の暴力で、ネガティブを口にさせない環境が作られる。

スライトオブマウスの「Another Outcome」パターンを適用すると、こうなる。
 長時間残業をするかしないかが問題ではないんです。問題は、我々が目標に向かって生き生きと仕事しているかどうかなんです。

戦前の大本営発表も、ちょっとしたポジティブな部分に目を向け、それを大きく見せる。フレームを設定するのは支配者側だ。フレームをコントロールする者が支配権を得る。

はたから見れば不幸そのもの、単に搾取・利用されているだけなのに、本人は苦しみながら感謝を口にする。宗教団体、スピリチュアル系、ネットワーク商法、自己啓発、セミナー業者が得意とするところだ。セラピストは、プール付きの家を建て、クライアントはカウンセラーに長年効果の出ないセラピーを受け続ける。信者はじり貧で有り金をお布施し、教祖一家は贅沢三昧である。支配層はWin-Winを口にしながら、実際はWin-Loseになっている。

リフレーミングは主に悪い状態に対して視点を変えることだ。信者自ら不幸な状態を、ポジティブにリフレーミングしてくれるのは、為政者にとってこの上なく都合がいい。自らの失政を責任転嫁できてしまうのだ。問題は、ポジティブを押し付けている側が、それによって何らかの「得」をしていることだ。苦労を他人に押し付けるために、ポジティブなリフレーミングを使っているのだ。

本来リフレーミングは選択肢を増やすものである。客観的な状態を見失い、疑似ポジティブな状態のみの選択しか持たないのは、正しい使い方ではない。ブラック企業で、ポジティブな側面を見出すのもいいが、別の道を探す「選択肢」もあっていいのである。

相手の選択肢が増えているかどうか、これが一つのポイントになる。

● ポジティブは人を傷つける

相手の感情をないがしろにして、ポジティブな方向に意識を向けさせるのは、相手の感情を否定しているのと、度量の狭さを示している。ネガティブになっているときに、露骨に攻撃してくる人がいる。

「前を向いていこうよ」というメッセージを送るとき、相手に対する優しさから出ているのか、自分がそういうものを見たくないから、あるいは自分の環境・仕事に悪影響が出ていないか心配で言うのかは全く違う。後者はポジティブを装った単なるエゴイストに過ぎない。



 

ビリーフとは思い込み、信念、固定観念のことで、出来事に意味づけしたり、行動の決定に影響したりする。にもかかわらず、ビリーフは、無意識、本人が無自覚の状態で動作する。自分がどのようなビリーフを持っているか探ることは、制約を外していく上で、大きな意味を持っている。

ビリーフは、X=Y(等価)、X→Y(因果)の形に定式化できる。

●知識との違い

知識には、定義・分類、事実、史実、自然、人体、心理、法律、社会・経済についての因果関係や当為などがある。
ビリーフ・信念は、強化された知識、承認された知識で、自分の思考方法・行動に影響を及ぼす。知識そのものは、仕事などで関係しない限り影響はない。身体・心に影響する知識は信念になりうる。ビリーフは、世界を解釈し、行動を決定するための地図になる。しかし、あくまでもその人にとっての地図であって、客観的な真実(=領域そのもの)ではない。

ビリーフには経験に裏付けられているものもあれば、そうではないものもある。直接的に知っていることと信じることとは違う。例えば、火は熱い、という知識と、実際に触れるのとは違う。私たちは、すべての知識を経験を通して知ることはできないため、人から教えられた内容を真実として信じてしまう。ときには、ビリーフが強すぎて、実際の経験がそれと異なったとしても、何かの間違いだとして、経験よりもビリーフの方を優先してしまうこともある。

●人の行動に影響を与えるもの

ビリーフの中で特に、価値や必然性に関するビリーフ(=すべき・すべきでない)、そして可能性に関するビリーフ(=できる・できない)は、人の行動に大きな影響を与え、制限にも、力づけにもなりうる。

NLPでは、より自由になることが理想像としてあるので、制限を解除し、可能性を増大する方向を目指す。

ビリーフが、制限となっているのであれば解除し、力づけをしてくれるものであれば、自分の中にインストールするようにする。
例えば、「自分は望むことを達成する能力がない」というビリーフは制限となり、「自分は望むことを達成できる」は力づけのビリーフとなる。

そのため、

1 ビリーフを発見する
2 制限となるビリーフを解除する
3 力づけのビリーフを埋め込む


ということが必要になる。

●ビリーフを発見する

心理的な問題・症状の背景にはビリーフがあることが多い。何かが受け入れれないとき、あるいは何らかの行動を制約しているとき、背景にはビリーフがある。ビリーフを発見するには、メタモデルの質問が役に立つ。
ビリーフは非常に条件が限定されたされたものもあれば、汎用的なものもある。深く埋め込まれた汎用的なビリーフは、根本的なステム・ビリーフ(Stem belief)で、そこから諸々の派生的なビリーフが生まれているので、そのステム・ビリーフを発見し、解除すると派生したビリーフも解除される。

●ビリーフを解除する

・リフレーミング
そのビリーフが真実かどうか、あるいはそのビリーフを持ち続けた場合どうなるかなど、そのビリーフを検証する。スライトオブマウスは、リフレーミングのための14のパターン集である。

単にそのビリーフが真実ではないと論理的に分かったとしても、それを自己説得で繰り返し言い続けたとしても、そのビリーフを持つ利点があったり、幼い頃の体験に根ざしている場合、解除できない。

・肯定的意図を探る
ビリーフを持ち続ける場合、そこには何らかの意図がある場合も多い。そのビリーフを持つ肯定的意図を探り、同じ意図を満たす別のビリーフを考える。

・サブモダリティを使う
絶対に正しいと思っているビリーフのサブモダリティと、もはや真実とは思っていない、あるいは疑いを持っているビリーフについてのサブモダリティを対照分析し、主要なドライバーを見出す。
制限となるビリーフを、疑惑のサブモダリティに合わせ、力づけのビリーフを真実のビリーフのサブモダリティに合わせる。

・過去に遡り、発生した出来事を探る

これは、ステム・ビリーフを探す際にも使われる。
場にタイムラインを設定し、過去に向かって後ろ向きに歩いて行く。そして、そのビリーフの発生の契機となった出来事を探り、その時形成されたビリーフの肯定的意図を特定し、力づけのビリーフを与えて過去の記憶を変える。そのビリーフを信じてしまった原因を解除することで、ビリーフが解除される。

・ビリーフの選択

ビリーフが、客観的な真実ではなく、単なる思い込みに過ぎず、それによって、自分を制限し、苦しめていたことに気づき、そのビリーフを持ち続けるのか、それともビリーを手放すのかの選択について考慮したとき、はっきりとビリーフを手放すことができる。ビリーフを手放すと、体から緊張が抜け、非常に楽でリラックスした状態になる。

ビリーフを手放すと自由な気持ちになれるが、さらに進んで、ビリーフを活用することも可能だ。

●強い信念の力

「強い信念の持ち主」というとき、そこには確固たる意志を感じることができる。もしそれが目標達成に向けての信念であるなら、他の人から見ても、達成する可能性が高く感じられる。強い信念は、断固たる決意をもたらし、それは、強いエネルギーであり、それを目標の一点に集中し、他者をも巻き込むこともあって、当然達成する確率は高くなるだろう。
信念の力は、しばしば「奇跡」とも言える現象を引き起こしてきた。それは、しばしば誇張された内容も含むが、主に病気治しの点で語られることが多い。医師から見放された不治の病に対して、絶対に治るという信念で、見事に健康体を手に入れるというストーリーである。精神が物質を超える、という文脈で語られることも多いが、信念は、肉体の持つ自然治癒作用を高める。しばしば、プラシーボ効果などで暗示の力の重要性が示される。

これまで偉業を達成した人は、皆それまで不可能とされてきたことを可能にしてきた。できるという強い信念が、数々の失敗にもめげず、あきらめずにできる方法を追い求め、ついに探し当てることになる。

ことわざに曰く、「あなたができると思おうと、できないと思おうと、どちらも正しい」のである。

●ビリーフを埋め込む

力づけのビリーフは、無意識へインストールして、自分の活動を後押ししてくれるようにするのが望ましい。ビリーフを刷り込む方法は、以下のようなものがある。

・繰り返す
・催眠時の暗示
・ビリーフを信じる理由を考える
・真実のサブモダリティの表象にビリーフを移動する
・ミルトン言語で前提を埋め込む

ビリーフは無意識で動作するものであるため、まずは習慣化することである。そのためには反復することである。また、催眠状態に持っていって暗示を行うことも、無意識に埋め込むために効果的な方法である。また、ビリーフを持った結果が良いものであればあるほど、ビリーフを信じる強い動機付けになる。
真実であると信じる内容のサブモダリティに、そのビリーフを持っていくことで、そのビリーフが真実であると自分の中にコード化される。
ミルトン言語の「前提」を利用して、ビリーフを無意識に受け入れられるようにする方法もある。
 

 

ロバート・ディルツ氏が考案した、人の意識レベルを6段階に階層化したモデル。
環境行動能力信念・価値観アイデンティティスピリチュアルからなる。
それぞれのレベルは、下のレベルを統合、組織化、方向づけを行う。
自分自身あるいは他者について、現状、あるいは望ましい状態について分析する際、この6つのレベルのそれぞれについて、どのような状態かを認識する際に用いられる。




マイケル・ホールは、ニューロ・ロジカルレベルについて、「現実のロジカルレベルの体系を説明するものではない(Hall, 1999)が、信念の特徴がまとめられていて、大変有用である」と述べている。

ニューロ・ロジカルレベルの詳細はディルツ氏の著書『NLPコーチング』に詳しく述べられている。

これはあくまでも一つのモデルとしてとらえるべきであって、すべての現象を杓子定規に当て込むとおかしなことになる。
ここではその有用さは認識しながらも、少し批判的に掘り下げてみたい。

●ニューロ・ロジカルレベルの特徴

多くの人が、何かを変える際、環境行動を変えようとする。
しかし、自分自身に自信を持っていない場合、それが妨げとなって、結局は目標に達成できない、あるいは時間がかかることになる。行動を変えて、結果を出してようやく、自分の信念が変わり、アイデンティティが変わるのだと時間がかかる。
それよりも、むしろ、上位のアイデンティティ、そして信念・価値観を変えた方が速いのである。NLPの前提である、原因側に立つという考え方が色濃く反映されている。
アイデンティティをしっかり確立したうえで、価値観・信念、戦略、行動とアライメントを取って統合していく。

信念の重要さは、しばしば不治の病を克服した人からも聞かれる。時には奇跡のようなことも起きる。メンタルが身体に影響を及ぼすのである。

また、アイデンティティから変えていくアプローチは、マクスウェル・マルツの「サイコ・サイバネティクス」の原理に通じる。
「自己イメージがその人の人格と行動を決定する。自己イメージを変えればそれに合った人格と行動を取るようになる。」

● 本当にこの上下のレベルが成立しているだろうか?

ここで思い出すのは、以下の言葉。

 が変われば行動が変わる。
 行動が変われば習慣が変わる。
 習慣が変われば人格が変わる。
 人格が変われば運命が変わる。

これはよく、松井秀喜が座右の銘として師匠から言われた言葉として知られているが、元は心理学者のウイリアム・ジェームズの言葉である。
これとニューロ・ロジカルレベルはマッチしそうだが、微妙にしていない。

●網羅性、不足点

人間の要素を列挙してみると、当てはまると当てはまらないものもある
身体関係性知識シャドー、この辺りがハマるところがない。

・能力とストラテジー
能力は先天的(=素質)と後天的なものがある。努力の結果、身につくものは、意識的あるいは無意識的有能の段階のものともいえる。時間を掛ければ、ストラテジーの結果、能力を生み出すことはできる。この能力は、ある部分、自分の選択の影響が及ばないことを考慮すると、環境に入れた方がいいかもしれない。よくスポーツの試合で、能力は劣っているが、戦略で勝つということがある。ニューロ・ロジカルレベルの説明では、能力と戦略は同じ位置付にされている。

・アイデンティティと価値・信念の関係
価値・信念がアイデンティティに影響を与えることもある。
アイデンティティを、「私は○○である」という役割など特定のペルソナを表すレベルと、「私」という存在そのものというレベルを混在させている。ペルソナのレベルになると、信念よりも下に来ると考えられる。
 

スピリチュアルは、トランスパーソナルに該当するのだろうか。トランスパーソナルは、通常の個というアイデンティティを超えている、もしくは他者・世界・全体へと拡大したアイデンティティを指す。アイデンティティの上に、スピリチュアルの層を持ってくるのは若干違和感はある。

●環境が与える影響
一般論として環境のせいにすべきではないが、環境要因は無視できない。環境を変えることによって、行動や、価値観も変わる。物理的な肉体の制限は免れない。才能・素質というのも無視できない。下手すると精神論になりかねない。

●信念・価値観と能力に上下関係があるか
この二つは、別のロジカルタイプではあるが、上下関係に置いていいものだろうか。並列的に捉えることもできる。
能力はあるのに、信念・価値観が足りないことはありうる。ある分野に対して、能力は非常に高いのだが、あまり価値を見出していないこともある。

 

 

問題・症状は「過去」の出来事に起源を持っている。NLPでは、症状の原因が何であったのかは追求しないが、発生した時点まで遡ることはある。
また目標達成を実際に実現するのは「未来」である。

つまり、過去・現在・未来といった時間が関係している。現在志向の心理療法であったとしても、「時間」というものが、人間の精神に大きな影響を与えている以上、時間を無視することはできない。

時間というものが存在するかどうか哲学的な議論は置いておいて、人は現在において、時間というものを、内部表象の中でコード化している。過去は記憶として現在に存在し、未来は想像・可能性として現在に存在する。

過去の記憶が現在に影響を及ぼしている場合、その過去にアプローチするのが良い。しかし、基本的に過去はすでに確定しているもので変えることはできない。なので、根本原因が判明してもそれを取り除く訳にはいかない。
しかし、記憶を変えることはできる。トラウマがあった場合、その出来事をないことにするのではなく、その受け止め方を変える。事実を改ざんするのではなく、症状が発生する前の状態に自分を戻し、症状を起こしたイベントを別の角度から体験し直すのである。

未来については、望ましい未来の状態を現在において十分に体験する。

そして、過去の一時点を変えるだけではなく、タイムラインに沿って、時を進め、望ましいリソースを持った状態で通り抜けていく。現在の年齢まで進み、そして未来へもよいステートで進んでいく。こうして、自己の内面を変え、自分自身の存在全体のステートを変えていく。
タイムラインの開始は自分が生まれた時点から行う場合もあれば、その両親のタイムラインから進めるやり方もある。

タイムラインのワークは、を使って、過去―現在ー未来を直線的に引き、時間ごとの場所を設定し、その上を歩いたり止まったりしながら進めていく。

実際に場に記憶やステートがアンカリングされ、歩くだけで、その時点のステートに入ることが容易にできるようになる。

こうして、人は過去に引きずられなくなり、過去からの悪影響をなくし、よい影響を現在にもたらす。

・リソース発掘のワークガイデッドサーチ
タイムラインを過去に遡りながら(後ろ向きに歩いて進む)、目標を達成するために必要なリソースを探しに行く。無意識に対して、必要なリソースが見つかったら教えてくれるように頼み、思いついたら歩みを止め、発見されたリソースを言語化し、それをアンカリングする。

・未来へ(Future pacing)
これは多くのワークの最後に行う。解決されたステート、そこで身につけた新しいビリーフやリソースを携えて、未来へ進む。未来に同様の障害が起きたときに、望む形で対処できることをチェックする、あるいはできるように心のなかでリハーサルを行う。

・リインプリンティング
1 問題・症状が発生した最初の時点(インプリントの体験)まで過去へ遡る。
2 その一歩前の問題が起きていない時点に戻る。一旦中断(ブレークステート)し、その体験の影響、そこで、およびその後できたビリーフ、そのビリーフの肯定的意図を探る。

3a 大人になった自分から、そのときの自分に必要なメッセージを送る。
3b その状況に関わった重要な他者を特定する。その人達のポジションに入り、肯定的意図を探す。意図を実現するためには、別の選択肢がありうることを自覚する。その人達がその時に必要としたリソースを与え、その状態でインプリントの体験に入る。自分の知覚位置に戻り、そのときの自分が必要としたリソースやビリーフを与える。

4 そのリソースを受け取って、リソースフルな状態を保ったまま当時の体験に入り、言語化する。
5 リソースフルな状態を保ったまま、現在、未来へと進む。

・タイムラインセラピー
タイムラインの上に浮き上がると想像し、出来事の前までさかのぼり、出来事の肯定的な内容を全部保存する。学び取ったことを保存したうえで、問題の出来事より過去の上空から、出来事以降に起きたことを見渡すと、無意識は問題の感情をあっさり手放す。

 


 

パートとは、自分の中にある一部分を指す。私たちはしばしば「私の中にある何か」が○○するなどと言うときがある。その何かは、独自の信念・価値観・欲求を持っていて、あたかも一つの人格を持っているかのように見える。
実際にはその都度、様々な思考・感情・欲求が出ているのに過ぎないのだが、人格としてまとめて捉えると諸々便利になる。多重人格とまでいかなくても、私たちは内面を覗くと、多くのパートがあることを発見できる。

● NLPにおける人格の考え方

この考え方は、精神分析では「エス」「自我」「超自我」、交流分析では「大人」「子供」「」の3つの人格に分ける。ユングは、「ペルソナ」「シャドー」と分ける。NLPでは、特に種類を分けたりはしない。

NLPにおけるメタプログラムLABプロファイルでも、人間のパーソナリティを固定するようなタイプ論の考え方はしない。人はコンテキストによって別の人格を現すとしている。

この人格に実体を見出さないところが、プロセス重視、構成主義と言える。NLPでは、人を固定的に見るのではなく、常に変化している、変化が可能なものとしている。

● 相手がどんな人なのか

その人がどんな人なのかはコンテキストによる。場によって見せる顔が異なるのだ。
同じ人でも、別の人から見れば全く別人に見える。強面のやくざも、孫の前では超優しいおじいさんになる。人が、どのような人格を表すかは、相手との関係性による。

相手からこう思われている、というのがあると、それに合わせて振舞おうとする。一貫性を保とうする働きがある。相手の理解力、興味に合わせて話題を変えるのと同様、相手の人格と自分との関係に合わせる。相手と一緒にいると、以前の「場」の記憶がアンカーとなって、相手の知っている「自分」を演じてしまう。

なので、いつも接しているからと言って、その人のことを熟知しているわけではない
24H×1週間隣同士にいるなら、さすがに隠せなくなってくるが、仮に夫婦関係であっても、隠れることは可能だ。

認知バイアスで、相手はこういう人間だという思い込みがあるから、多少それた行動があったとしても、無視してしまい、思い込みに沿った情報のみを拾うようになる。なので、見ているのに「見えない」という現象が起きる。一目でわかるような詐欺師にずっと騙されていたということが起きる。

● 本来は多重人格
 

一つの人の中には、多くのパートが住んでいる。なので、その人の強いパートを指して、傾向をつかむことはできるが、この人はこういう人だという規定はできない。
また、その強い・弱いもその瞬間のスナップショットである。潜在的に持っていたものの、あとで消える可能性もある。

人間は、本来多重人格者なのである。眠っている間は、理性が働かないから、そのステージに現れたパートが夢を展開する。起きている間は、理性が、自分はこういう人間だ、こう見られている、こう期待されている、というアイデンティティに一貫性を保つような行動を取ろうとする。統合失調症の場合は、この働きが弱いので、多重人格となる。

●人間には全部のパートがある

他者を見て、「私はあんな人間ではない」「あの人の持っているパートは私にはない」と思うことがあるが、それは、間違っている。程度の多少はあるものの全部あると思った方がいい。

●本当の気持ちはあるか?

パートという考え方からすれば、パートの本心というものはあっても、その人の核となる気持ちはない。深いレベルでは、パートが望んでいることは一致するかもしれない。が、浅いレベルであれば、どれが「自分」の本心か、などとはしない方がいい。

より深いもの、より強いもの、それを大切にするのはいいだろうが、それがすべてではない。もっと深いところに別のものがあるかもしれないし、その横に別のものがあるかもしれないし、時間が過ぎれば別のものが登場するかもしれない。

パートという考え方は重要だし便利なものである。

感情、思考が湧いてくるがどれも本当の自分ではない。前はこう言っていた、こうしたいと言っていたのに、今度は逆のことを言っている。コロコロ変わりすぎり、都合が良すぎる、何をしたいの?と思うが、これはそれぞれ別のパートが意見を言っているせいである。

対外的には、周囲からの一貫性の圧力によって、理性によって一貫性を保とうとするのだが、実際の自己の内面では、正反対のパートがいろいろと動いている。

あるパートがAだと言う。そうすると別のパートが、いや違うと言う。更に別のパートが別のことを言い、さらに別のパートが、そういう状況にトータル的なコメントをする。まるで、会社で異なる意見を持つ多くの参加者がいる会議のようである。

意見がまとまらなければ、争いが起きる。自分の内面だと、葛藤となる。だが、どれも所詮自分ではないのだ。

一人の時間を持ちたいパートと、他の人と繋がっていたいパート、両方ある。この考えが便利なのは、自分の中で、一貫させる、統一させる必要がないことである。

あるパートの欲求を満足させれば、他のパートは不満に思う。これが何をやっても満たされない原因だったりする。一番強いパートが満足して、他のパートを圧倒するなら、自分の内面は全体として満足感に包まれるだろう。

●肯定的意図
欲求は、抑えると反発して増大する性格もある。そういう場合、認めて何もしないというのは有効な手だ。取り敢えず、意見だけは聞いておく。そのパートの気持ちをわかってあげる。そして、その肯定的意図を辿っていく。そうすると満たす手段は別にある、もしくは究極的な目的の状態はそもそも最初から自分に備わっていることに気づく。

●肯定的意図の連鎖

出てきた肯定的意図に対して、さらにその意味、それを通じて得たいものをたどっていく。多くの場合、最終的にはコア・ステートに至る。これに特化したワークが、コア・トランスフォーメーションである。

 

ただし、コア・ステートに到達せず、堂々巡りになってしまうケースがある。「幸せになること」→「より活動的になるため」→「幸せになること」のように。最終的なところにたどり着いている場合はよいが、浅いレベルでぐるぐる回っている場合は、深い部分に到達するために、以下の点に注意した方がよい。

 

それは、自分にとってどうか、が肝である。もし、世界平和とかとなると、外側に意識が向いてしまっているため変容は起きない。世界平和、他者のため、というのは美しいし、それが望ましいようにも見える。しかし、それは綺麗事に過ぎず、自己満足というか、自分に酔っている場合もあれば、自己犠牲すべき、自分の利益を口にするのはエゴイスティックだという思い込みがあるせいかもしれない。実際には、自分の内側が満たされていない限り、自分が幸せでない限り、人を幸せにすることはできない。それをないがしろにした状態で、他者のために、とやっても変容は起きない。

●パートの統合

異なるパートが多く自分の中にある場合、どのパートの意見を採用したらいいのだろうか。一つのパートの意見を聞いたら、他のパートが不満に思う。
そこで必要になってくるのが、先程も述べた、パートの目的肯定的意図を聞いていくことだ。そうすると、最終的には同じ目的を持っていることがわかる。そして、目的が重要なので、目的が満たされるなら、手段は別の選択肢を取ってもよくなる。
自分の中の多くのパートが統合され、一つの方向に向かうようになる(アライメント)と、非常に大きな力になる。

●副次的効果


何かを改善しようとしたときに、抵抗を示すパートが出てくる。これは、その症状によって副次的効果ある場合で、変化することに抵抗するのである。例えば、病気があることによって人から優しくされている場合、病気が治ったら優しくされなくなるかもしれないと思って、病気を維持しようとしているパートがいるのである。なので、この副次的効果を認識した上で、それを維持する別の方法を探して、そのパートを納得させる必要がある。

●外側に見せる自分


内部に動いている様々なパートをそのまま外側に表現していたら、周囲からは掴み所がない人、支離滅裂な人とされかねない。それはそれで正解なのであるが、周囲を混乱させないためには、心のなかでは様々な声がしたとしても、行動は、自分が最も価値を置いていることに基づいて行うのがよい。

 


 

他人の立場に立つと、視点が変わり、いろいろなことが見えてくる。NLPには、他人の立場に立つ、他人になりきるワークが多数ある。また、他人以外にも、自分の過去未来、実在しない人(物語の中のキャラクタ)に入ってみることもできる。

相手に同化する、相手のステートに入り込むイマジネーションの力が必要になる。

方法
①なりきる


望む状態の特性を考えて、何が見え、聞こえ、感じるのかを仮想的に十分に体験する。ここで役立つのが、アズイフ(As if)フレームで、「もしもできたとしたら」として、あたかもできているかのように振る舞ってみる。
過去の状態を再現するには、記憶を呼び起こして、その状態に入っていく(インステート)、未来の状態については、想像力でその状態に入っていく。これは目標達成のためのワークで用いられる。
ディズニーストラテジーでは、夢想家・現実家・批評家の3人の立場になりきって、意見を述べる。

状態を起こすために、他の瞑想法で行うような、外から力、エネルギー、光、知恵といったリソースが自分の体の中に入ってくるイメージを行う方法もよく使われる。

②相手の体に同化する

対象となる人をイメージし、そこに立っていると想像する。その人らしい行動を取らせてみる。
その後ろから、自分の体を漂うようにして、相手の体の中に入って同化する。あるいは、着ぐるみを着るように入り込む。あるいは、相手の首を取って、自分に仮面を被せるようにする、など。そのように、イメージ上で身体レベルで同化する。
そして、その人の表情仕草姿勢身振り行動を真似てみる。また、その人が話すように話し、その人になりきる。見えるもの、聞こえるもの、感じるものを十分に体験する。

・モデリング
卓越性を持つ人と同化し、そのパターンを導き出し、自分のリソースとして活用する。
ニューロ・ロジカルレベルに沿って、環境(どこにいるか)、行動(何をしているか)、能力(どんなスキルを持っているか、どのような可能性があるか)、信念・価値観(どんなことを大切にしているか)、アイデンティティ(どのようなセルフ・イメージを持っているか)を確認する。
そして、そのモデルから、どのようなリソースを受け取ったのかを確認する。

・メンター
自分が尊敬できる、アドバイスをもらいたい人が、目の前にいると想像し、その中に入って、自分に向けて、必要なメッセージを送る。

・未来の自分からのメッセージ
現在の場所から、目標を達成した未来の場所を前に思い描き、そこまで歩いていって、目標を達成した体験を想像し、何が見え、聞こえ、感じるかを言語化する。後ろを振り返って、「現在」の自分に対して、未来の立場からメッセージを送る。
さらに、自分のパートナーおよび客観的な第三者の立場からも同じように未来からメッセージを送る(Generative NLP Format)。

③場を使ったアンカリング

・エンプティ・チェア
元はゲシュタルト療法で使われていたもので、対人関係についての問題を解決するため、他の心理療法でも使われる。本来は、相手は実際の相手というよりも相手に投影された自分の中にあるシャドーであるが、NLPではコミュニケーションの問題解決に使っている。

2つの椅子を向かい合わせで用意し、片方に自分が座り、もう片方に相手がいると想像する。まず最初は自分が相手に伝えたいことを、自分の立場になりきって存分に伝える。そして、相手の席に座り、相手になりきって、相手の立場から、自分の方に伝えたいことを伝える。
第三者のポジション、客観的なポジションから見て、二人の関係性を見ていくことも行う。

NLPでは、ポジションチェンジのワークとしている。自分の立場を第一ポジション、相手の立場を第二ポジション、客観的な第三者の立場を第三ポジションと呼ぶ。


● モデリングによる模倣について

NLP自体が、天才セラピストをモデリングして生み出されたものであるが、実際、天才をモデリングしたところで、天才になれるわけではない。単なるモノマネでスタープレーヤーの真似をしても滑稽なだけになる。レベルが違いすぎて、体がついていかない。基礎的な体力や運動神経が異なる状態ではそもそも模倣などできない。ハイスペックなCPU上で動いているプログラムをロースペックなCPU上で動かしてもパフォーマンスは期待できないのと同じ。身体・脳と言ったフィジカルな部分に重きがある場合、モデリングは限定的だ。
一方、セラピーのように、その能力が重要でない場合はよい。

ポイントは、何らかの気づきを得ることだ。その人の価値観や信念や、戦略、行動の一部でも学べるとよい。

この学び方は、単に本や講義などで言葉から学んだり、指導された練習方法に従っていくのとは別の学び方になる。
その人が説いたことよりも、その人がやっていることを学ぶ。理論やら、こうすればいい、と言っていることと、うまくできている人がやっていることは違う。現在できている状態で何をやっているのかを模倣した方が早い。偉大なプレーヤーは教えるのが下手だったりする。自分がどうやっているか他人に説明できない。仮に教えられたとして、自分で自分のことが十分わからなかったりするものだ。

実際に学びたいのは、その人の内面がどうなっているのかである。行動は外側から学べるし、言葉として発している内容は学ぶことができる。実際にその人になることはできないので、想像力で、その人の内面に入り込んで、言葉や表象、体をどのように使っているのかを学ぶ。

ミラーニューロンの説明によると、人は外的な行動を模倣することで、相手と同じニューロンが活性化する。それによって相手の内面を理解する。

とはいえ、内部表象・信念・価値観を模倣したとしても、天賦の才能、直観力は模倣できないから、期待しすぎない方がいいだろう。

 

ちょっとした言葉の使い方が大きな変化をもたらす。

前提」はマジックのようなもので、ミルトンモデルの中では非常に強力である。「前提」は意識のフィルターをバイパスし、無意識に暗示を送り込む結果となる。催眠状態にしなくてもよい。「前提」は強力で、人を誘導できる、と同時に、悪意ある人は広告・詐欺・扇動・洗脳としても使う。

スライトオブマウスは、リフレーミングの手法で、手品のように、こっそりとコンテキストを変えるところにポイントがある。ミルトン言語も、こっそりとコンテキストを変える。

「デートの時間、今週末と来週末どっちが都合がいい?」
もし相手が、デートをするかどうかよりも、時間の方に意識が向いて、今週と来週どっちがいいかな、と考え出すと、デートをするという前提が無意識に刷り込まれる。もちろん、時間の方に向かずに、前提を見破ることもあるが。

なので、受けるときは、「前提」を見破り、使うときは、本当に相手のためになる場合に使う。自己暗示に使うときは、分かってて使うが、それでも無意識に暗示を届けることができる。

ある本では、3000万稼ぎたければ、「3000万以上は要らない」と言うといいと書かれていた。一見、否定しているようでいて、「3000万までは稼いでいい」という前提が入る。

● 騙されないために

「私を信用しないのか」
詐欺師ほどこういう言い回しを使うが、人を信用しないのは悪だという前提がある。だからそう言われると、自分は悪い人間と思われたくないから、ついつい信用していると言ってしまったり、相手の言うことを信じてしまう。

話者が意図的に使っているケースもあるが、話者すら自分の前提に無自覚だったりする。
聞く側、読む側は、騙されないように批判的に話を聴くが、表面的なことに反応してしまう。結果として、前提を受け入れてしまうことも多い。

話者の前提、話者の価値観、こういったものを受け入れないと、話が理解できない場合がある。初めは、仮定として慎重に聴いたとしても、それが重なってくると、やがて仮定を前提、そして真実として見てしまう可能性がある。脳にとってはその方が楽だ。仮定の上に仮定を置いて、さらに仮定を重ねて、とやっていけば、話についていくのは大変になる。

そもそもの一番最初の前提が間違っていれば、その話が30分あったとしたら、全く無駄な架空の、嘘の話を聴いていることになる。投資した時間を無駄にしたくないという意識も相まって、相手の話の前提を受け入れてしまう。前提を受け入れない限り、相手の土俵には立てず、議論も成立しない。気づいたら、虚構のはずの土俵を真実と信じてしまっている。

相手の世界観を理解すること、相手の立場を理解すること。これは素晴らしいことだ。しかし、下手すれば、自分も相手の虚構の世界に引きずり込まれることになる。


●善意が素直に受け取られない場合

「こうすれば良くなるよ」
「あなたは、この本で大きく変われる」

せっかく、いいものを勧めたのに相手はあまり喜ばない。どころかどこか不機嫌に見える。
これは、「今のあなたはイケていないよ」というメッセージが「前提」としてあるからだ。その暗黙のメッセージに反応しているのだ。相手自身も不機嫌になる理由に気づかなかったりする。

相手の状態が分かっていない、あるいは相手が変わりたいと思っていない、あるいは相手が自分から教えを請いたいと思っていないのに、何かのアドバイスを言ってしまうと、素直には受け取られない。「私は分かっているが、あなたは分かっていない」というメッセージを伝えることにもなる。

そういう場合、単に自分の体験談を話すことだ。もし、勧めるのであれば、「もっと良くなる」「すでにあなたは十分ハイレベルだけど、そこに更なる道具を持つことになる」などと話すのがいいだろう。


● 時制の力
「〇〇だったんですね」と過去形で表現すると、相手の意識の中で、それは過去のこととして捉え、無意識のうちに現在において問題からディソシエイトする。

●一時言語と永久言語
人を指導する際、その行動が一時的であってほしいときには、一時的言語を使う。
「今日は~。~なんて珍しい」

ある行動を将来も引き続きやってもらいたいとき、永久言語を使う。
「いつも~してくれてありがとう」

●アズイフ
限界を設けてしまう人に、対して使うのがアズイフ(As if)・フレームだ。これはシンプルながら非常にパワフルである。「もしできたとしたら」どうなるか、というフレームを設定する。この場合は、明示的に「前提」を言ってしまっているので、「前提」のパターンにはならないが、実際、聞き手側がそれを想像したのであれば、一旦前提を受け入れたと言っていい。

●パワークエスチョン

「人は私のどんなところを愛してくれているのだろう?」
という質問は、
「私には人から愛されるところがある」
という前提を含んでいる。質問形をとっていながら、実は「前提」を埋め込んでいる。

ストレートに後者をアファメーションするよりも、前提を使った方が、意識の抵抗を受けず、無意識に働きかけやすい

むろん、質問形であれば何でもいいわけではない。反語表現は、逆の前提が入ってしまう。
「私のどこにいいところがあるだろうか?」
「いや、どこにもない」となるので、
「私のいいところは、どこだろうか?」
とすれば、反語表現にはよりなりにくい。言葉をどのように言うかで変わってくる。


● 前提の見破り方

ミルトン言語の中でも、前提を見抜くのが一番難しい。詐欺師は巧妙に前提を織り込む。前提を見抜くには、以下の点に注意を払う。

1. その主張が成立するためには、どのような主張・条件・事実前提である必要があるか。

2. 使われている名詞は、その存在が前提となる

3. 強調されている部分ではないところが、前提として刷り込まれる。
 手品のように巧妙に、焦点をずらす
 例)今すぐ〇〇したくなる。→「今すぐ」に焦点が当たることにより、今すぐではなくても、〇〇したくなる。
 選択肢は、どちらかを選ぶべきという前提があるのがわかりやすい。
 例)コーヒーにする、それとも紅茶にする。

4. 逆に言えばどうなるか?
 そこが前提になっている。
 論理学的には、逆は真とは限らないが、日常の論理ではしばしば、XならYと言ったとき、非Xなら非Yととらえやすい。

5. 「まずは」「〇〇ですら」「〇〇も」「まだ」「しか」「実際は」「本当は」
 それ以外にもあることをほのめかす。

6. それは結局何を意味しているかを確認してみる
 言われた内容、読んだ文に対して、「つまり、要するに...」「ということは、....」「言い換えれば....」と言ってみる。その...の部分が前提として刷り込まれる内容である。意識ではすぐに分からないが、無意識では、その前提を受け取ってしまっているので危険である。直接言及されていないのに、示唆として受け取ってしまう。

7. 因果、時間
 〇〇したら、XXになる。
 〇〇をするのが前提。

8. ほか
 「〇〇と信じているので」
 信じる=真実ではないものを真実としている。

 

催眠療法の一人者であるミルトン・エリクソンをモデリングして作られた、メタモデルに続くモデル。グレゴリー・ベイトソンの紹介でエリクソンに会いに行ったとき、バンドラーグリンダ―は、メタモデルと正反対の言葉の使い方で成果を挙げていることに衝撃を受けたという。

ミルトンモデルは催眠の一種ではなく、そこで使われている言葉の使い方を体系化したもので、催眠以外にも、様々なコミュニケーションの現場で使用できる。

ミルトンモデルは、クライアントの表層意識の抵抗を起こさず、無意識にダイレクトに働きかけるため、非常に効果が高い。

ポイントは、聞き手のイエス・セットを取っていくことである。クライアントが、Noあるいは疑問に思えば、誘導は失敗する。なので、いかに受け入れられるかが重要である。

ミルトンモデルの一部は、メタモデルの「削除」に対する質問とは反対に、意図的に曖昧な言葉を使う。「削除」されている部分は聞き手が自身で意味を与える。なので抵抗が起きにくい。通常のコミュニケーションでは誤解になりかねないが、催眠誘導では、ある程度の方向性が受け入れられれば詳細はよく、イエスセットを取ることで次の誘導への土台になる。

また、直接命令すると抵抗が起きやすいので、疑問形にしたり、逆説的に否定命令を使うことで、受け入れられやすくなる。

ミルトンモデルの骨頂と言えるのは「前提」だろう。前提は、聞いている側の注意をそらして、気づかないうちにこっそりとビリーフや命令を埋め込んでしまうテクニックだ。

 

カテゴリ パターン 意味・例

間接的

埋め込み命令 文の中に誘導を埋める。「あなたはリラックスできます」
アナログマーキング 声のトーン、リズム、強弱、動作など非言語的なアナログ的要素を使う。
埋め込み質問 「あなたが催眠で得たいと思うことを知りたいな、と思うんですよ」
否定命令 「リラックスしすぎないでください」
会話的仮定 はい・いいえで応える質問だがそれ以上尋ねている。「ドアを閉めることはできますか」
メタファ 相手に伝えたい教訓を物語や例で伝える
引用 人の言葉を使って、間接的に伝える。そのメッセージに対する責任を持たなくてよくなる。他人の言葉は否定できない。

前提

時間の従属節 「~の前に」「~の後に」「~しながら」
「宿題を終える前に話したい」(宿題を終えるのが前提)
序数 「最初に」「一番に」「二番目に」
「身体のどこが最初にリラックスするか」
選択肢 「掃除と買い物どちらをしますか」
気づきの叙述 「自分の魅力に気づいていますか」
副詞・形容詞 「深くトランスに入りたいですか」
時制と副詞 「あなたはリラックスし続けることができる」
論評的形容詞と副詞 最初の言葉で後のすべてを前提にしてしまう。
「幸運にも、あなたはそれを手に入れています」

削除

不特定名詞
不特定動詞
名詞化
具体的に何であるかは、クライアント側が内容を埋める
主体の省略 話し手の意見ではないことを示すことで反論しにくくなる。不特定多数を暗示すると、反論しにくい。
「あの映画は評判がいいという話をよく聞きます」
比較の削除 比較対象、基準が削除されることで、クライアントは自身で基準を設定する。
一般化 可能の叙法助動詞 可能性があることは否定しきれないので受け入れやすい。

歪曲

連結語 実際に起こっていることと話し手が起こってほしいこととの間に因果関係が含まれる言葉を使うと、聞き手は実際に起こっていることが他のことの「原因」であるかのように反応し誘導される。
因果 理由をつけると、人は受け入れやすい。
○○だから△△なのです。
等価 最初にYESの反応をが来ることを入れることで、後の内容を受け入れやすくなる。
○○ということは△△を意味しています。
読心術 誰にでも当てはまるようなことを言って、信頼を増す(占い師がよく使う)


上記は、日常のコミュニケーションでも使えるパターンだが、催眠ではそれ以外にも、

・相手の体験にペーシング
 例えば、相手が現在椅子に触れていたら、その感覚を使う。大きな音がしたとしても、それをそのまま使う。
 「削除」を使うことも相手の体験にペーシングすることになる。具体的な情報が削除された曖昧な言葉を使うことで、相手は自分の体験で削除された部分を埋める。

・思考を混乱させ無意識につなげる
 句読点の位置や同音異義語などの曖昧さを使って意識の働きを弱める。

などのテクニックが使われている。

・メタモデルの反対がミルトンモデルではない
メタモデルの対比として、普遍的数量詞や「しなければならない」「できない」などの叙法助動詞を使うパターンが、ミルトンモデルとして組み込まれている。
が、これは聞き手のモデルを制限することになるので、「削除」のように選択肢を与えているわけではなく、埋込命令のように間接的に伝えているわけでもなく、また前提のようにこっそりと誘導しているわけでもないので、イエスセットを取るにはうまく使う必要がある。
これらはどちらかというと、みんなそうしているという社会的証明を使った誘導と考えると、受け入れやすいのかもしれない。

メタモデルの対になっているからと言って、削除・歪曲・一般化を使えば、ミルトン言語になるわけではない。ミルトン言語のすべてがメタモデルと対になっているわけではない。削除・歪曲・一般化は、言語一般の特性である。単なる自己主張に過ぎず、そのままではミルトン言語にはならない。「あなたは目標を達成できません」はミルトン言語ではない。ミルトン言語となるためには、催眠誘導で、相手が受け入れ可能な言葉である必要がある。


●セールス等への応用

元は催眠のための言語であって、それを応用してセールスとかにも使えるが、相手を説得、信用、誘導させるすべての要素が含まれているわけではない。影響言語や影響力の武器なども考慮した方がいい。


● メタモデルとミルトンモデルの関係性

メタモデルは、削除・一般化・歪曲を暴露し、真実真意を明らかにし、複数の選択肢を開示していくのに対して、ミルトンモデルは、削除・一般化・歪曲、曖昧さを意図的に活用して、目的の方向に誘導していく。

メタモデルは、制限ビリーフを解放し、ミルトンモデルは、役に立つビリーフを埋め込む
メタモデルはフラットにしていき、ミルトンモデルは一つを際立たせることになる。解体創造顕現解放される自由と実現する自由と言える。

どちらも使いようによっては、いい方向にも悪い方向にも使える。メタモデルを極めれば、騙されることがなくなり、議論にも強くなるかもしれないけど、相手の意見を否定し、怒らせることにもなる。一方ミルトンモデルは、相手を間違った方向に誘導して、洗脳・セールス・扇動・詐欺に応用できてしまう。

NLPの例に上げられているのは、どちらも、自他に対して、選択肢を狭めて可能性を制約している状況から解放し、選択肢を広げ、「できる」という意識に変えていく、という点で共通している。ミルトンモデルでは、「できる」ということを「前提」にしてしまうテクニックが用いられている。

メタモデルの正反対というわけではないが、メタモデルを使ってミルトンに対抗することはできる。広告・宣伝にミルトンモデルの要素がかなり含まれているが、安易に引っ掛からないようにするためには、メタモデルで対応するのがいいだろう。

● 曖昧さの必要性
情報の削除・省略がコミュニケーションのズレの原因となっている場合、メタモデルが有効である。
しかし、削除された状態のまま、詳細化しない方がいい場合もある。いわゆるグレーゾーンを残しておくというもの。
例えば、上司から指示を受ける。詳細を聞いたら、そんなもの、絶対に予定に間に合わないとする。間に合わせようとしたら、1日24時間仕事をしないといけない。頭の固くて愚かな上司の場合、どうでもいいことでも何が何でもやれと言う。
あるいは、お役所的な部門に、内容を詳細化して、これやっていいですかと許可を求めると、駄目としか言わない。
曖昧にしておけば、いろんな解釈の余地があることをいいことに、こうだと思っていました、という言い訳もできる。あまりにも厳密にしてしまうと、柔軟性が失われる。