公開日に観に行きました。
この映画の事は、8月15日に
書こうと思っていたので
私も想う事色々あり、
この日に発信します。
毎年8月は、終戦の事を思わずには
いられず、関連の映画を観に行きます。
そしてお爺ちゃんの事、
お父さんの終戦の思い出話を
振り返ります。
私のお爺ちゃんは、沖縄戦に突入した時
宮崎の都城の基地で待機していたそうで
お婆ちゃんが当時、お爺ちゃんに
会いに行った事があるそうです。
多分お婆ちゃんは、お爺ちゃんに
会うのが最後という覚悟で、会いに
行ったのだと思います。
当時は2歳の母。
戦争の事は、何も覚えてないそうです。
一方、父は7歳。
大分県玖珠町の学校では、竹槍で
特訓していたそうですよ。
74年前の8月9日の
お昼前、父はいつものように
裏山へ遊びに行ったそうです。
すると、西の空がピカッと光り、
凄い音がしたので、雷だろうか、と
その空を暫く観ていたら、
今まで見たことも無い雲が見えた、と
当時を未だに憶えているそうです。
あれから74年。
先の戦争に負け、敗戦国となった
日本だからこそ、その悔しさをバネに
世界の経済大国となりました。
その顕れに、世界初の新幹線も
産み出してます。
アメリカは牛耳っていたと
思ってきた日本の経済成長に
追い越される形となりました。
かつてソニーが
米映画会社コロンビアを
買収した時は、
アメリカの魂を買った、と
どの海外メディアも注目し、
日本企業批判がありました。
日本が経済大国にならなければ
中国も経済大国を目指すことは
無かったかもしれません。
日本は何故、かつて経済大国に
なったのでしょうか?
戦前や戦後直後は、
日本製は忌み嫌われたのです。
しかし、日本製だからこそ買う
という価値観に変化したのは、
『日本製は安全で壊れない』
という信頼性を買われたからに
他なりません。
日本人は職人気質で、そして
丁寧な方が多いのですよね。
サービスも細かい。
それはホテルに行けば分かります。
いわゆるホスピタリティと
いうものです。
(たまに高級ホテルでも酷い対応ありますが)
だけど、食文化も欧米化してきて
習慣が大量生産になっていき、
現在では質の高さはそこまで
追求されてなく、クオリティの
低いものも沢山出てきてます。
この映画の中で、
菅田将暉さんと田中泯さんが、
ラスト二人で話すシーン。
私は嗚咽してしまいました。
素晴らしいシーンです。
共感しない方は
全くしないと思いますが。
戦艦大和は、日本のよりしろとして
生まれたもの。
そうかもしれないと。
私も大和に魅せられたのは
そういったよりしろを
観ていたからかもしれません。
今日も私は平和でした。
ありがたき幸せ。
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女性にしかない子宮と心と身体を元氣にする運命星アロマカウンセラー 横山 裕美(ゆみ)でした。
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