「現代詩を読む会」の開催に協力してくださる形で、ジュンク堂書店西宮店(阪急西宮北口駅直結、アクタ西宮西館)で現代詩ブックフェアを開催しておられます。その選書に協力させていただきました。ぜひお立ち寄りの上、お買い求めください。文庫本もたくさん置いています。(以下は上念が選んだもの。このほかにも書店の推しもあります。売切れ、未着のものもあります)

 

①入門書
 読むため、書くため、子どものため。「生きがいなんてない と 感じる人が 俯(うつむ)いた先で書ける詩があっていいと思う」(松下育男)
今を生きるための現代詩  渡邊 十絲子(講談社現代新書2013、902円)
これから詩を読み、書くひとのための詩の教室 松下育男(思潮社、2022、3520円)
見たこと、感じたことを詩にしよう (詩をつくろう) 和合亮一監修(汐文社、2020、2420円)

②初心者向け、あまりなじみのない方が手に取りやすいもの
 うつむいて歩く私たちにも、台所には日常があり、くちびるには歌がある。「うつむいて うつむくことで 君は生へと一歩踏み出す」(谷川俊太郎「うつむく青年」)
吉田美和歌詩集 TEARS(新潮社、2015、1426円)
詩集 うつむく青年 谷川俊太郎 (サンリオ、1989、1282円)
石垣りん詩集(岩波文庫、2015、814円)

③通好み
 詩を読むことが、生きることのギリギリの尖端に連れて行ってくれる。「人が死ぬのに 空は あんなに美しくてもよかったのだらうか」(吉原幸子「空襲」)
吉増剛造詩集(ハルキ文庫、1999、836円)
吉原幸子詩集(現代詩文庫、1973、1282円)
石原吉郎詩文集(講談社文芸文庫、2005、1870円)

④読書会に合わせた本
 2000年代と1940年代…言葉と心に変化はあるのでしょうか。「++ きみたち わ  、 わたし の い い たいことなどちっとも わかっていない。」(最果タヒ「苦行」)
グッドモーニング 最果タヒ (新潮文庫nex、2017、539円)
三好達治詩集(ハルキ文庫、2012、748円)
戦後代表詩選―鮎川信夫から飯島耕一 (詩の森文庫、2006、1078円)

⑤詩の絵本
 絵本には、現代詩の最前線が並んでいる。子どもの心になって、言葉に向き合えば。「おし ぼくも ウッスして 歩き始めよう なかま いっぱい 『いる』じゃん」(くどうなおこ)
「いる」じゃん くどうなおこ・松本大洋(スイッチパブリッシング、2017、1760円)
もけらもけら 山下洋輔・元永定正
たべもの 中江俊夫・伊藤秀男(福音館書店、1994、990円)
みどりとなずな ねじめ正一・五味太郎(クレヨンハウス、2019、1650円)
 

 7月の読書会前半では、鮎川信夫の「繋船ホテルの朝の歌」を主に読みますが、参考として、有名な「橋上の人」の初出形もあげておきます。

 後年の詩集収録のものとは全く異なっています。

橋上の人

高い欄干に肘をつき
澄みたる空に影をもつ 橋上の人よ
啼泣する樹木や
石で作られた涯しない屋根の町の
はるか足下を潜りぬける黒い水の流れ
あなたはまことに感じてゐるのか
澱んだ鈍い時間をかきわけ
櫂で虚を打ちながら 必死に進む舳の方位を

花火をみてゐる橋上の人よ
あなたはみづからの心象を鳥瞰するため
いまはしい壁や むなしい紙きれにまたたく嘆息をすて
とほく橋の上へやってきた
人工に疲れた鳥を
もとの薄暗い樹の枝に追ひかへし
あなたはとほい橋の上で 白昼の花火を仰いでゐる

渇いたこころの橋上の人よ
眠れる波のしずかな照応のなかに
父や母 また友の顔もゆらめいてゐる
この滑らかな洞よりも さらに低い営みがあるだらうか
たとえ純粋な緑が 墳墓の丘より呼びかけようと
水の表情は動かうともすまい

夢みる橋上の人よ
この泥に塗れた水脈もいつかは
雷とともに海へ出て 空につらなる水平線をはしり
この橋も海中に漂ひ去って 躍りたつ青い形象となり
自然の声をあげる日がくるだらうか

熱い額の 橋上の人よ
あなたはけむれる一個の霧となり
あなたの生をめぐる足跡の消えゆくを確め
あなたは日の昏れ 何を考へる
背中を行き来する千の歩みも
忘却の階段に足をかけ
濁れる水の地下のうねりに耳を傾けつつ
同じ木の手摺につかまり 同じ迷宮の方向へ降りてゆく

怒の鎮まりやすい刹那がえらばれて
果して肉体だけは癒る用意があるかのやうに
うるんだ瞳の橋上の人よ
日没の空にあなたはわななきつつ身を横たへ
黒い水のうへを吹く
行方の知れぬ風のことばにいつまでも微笑をうかべてゐようとは

模糊とした深淵のほとりから離れ
ほっそりした川のやうに渝らぬ月日を行くことが出来る
しかし橋上の人よ
たとえ何処の果へゆかうとも
内部を刻む時計の音に 蒼ざめた河のこの沈黙はつきまとひ
いくつもの扉のやうに行手をさへぎり
また午後の廊下の如くあなたの躰を影にするだらう

どうしていままで忘れてゐたのか
あなた自身がちいさな一つの部屋であることを
此処と彼処 それも一つの幻影に過ぎぬことを
橋上の人よ 美の終局には
方位はなかった 花火も夢もなかった
風は吹いてもこなかった
群青に支へられ 眼を彼岸へ投げながら
あなたはやはり寒いのか
橋上の人よ

「故園」1943年3月
『鮎川信夫著作集第7巻 戦中作品』1974年、思潮社

 三好達治というのはなかなか大きな、幅の広い詩人ですので、どこから手を着けようかと迷っているのですが、とりあえず「おんたまを故山に迎ふ」を取り上げようかと思ったところ、これは1938年(昭和13)の発表、収録詩集『艸千里』も1939年刊行で、40年代の詩ではなかったんですね。

 というわけで、1942年刊行の『捷報いたる』から「捷報臻る」を取り上げ、「おんたまを故山に迎ふ」等の前後の作品と比較して読んでみようということにするかと思います。(リンクはあくまで参考ということで)

 

 

 


 7月16日の会の第一部は「1940年代の詩」ということなのですが、1941年に始まり1945年におわった太平洋戦争、そして戦後、1951年にサンフランシスコ講和条約によって日本が(一応の)主権を取り戻すまでの10年間ということになるのですが、主には太平洋戦争下の営みを取り上げることになります。

 

 そこでキーパーソンとなるのが「国民詩人」三好達治です。

 1979年にまとめられた『現代詩読本 三好達治』(思潮社)は、三好達治に関する歴史的な論考やエッセイ、中村稔・大岡信・谷川俊太郎による討議「余情と伝統その虚飾の世界へ」と3人が選んだ代表詩60選、年譜、書誌、参考文献などの大変便利な一冊ですが、ここには鮎川信夫の「三好達治論」、マチネ・ポエティクの主要メンバーだった福永武彦の「最後の人」が収められています。

 また三好は「マチネ・ポエテイクの試作に就いて」(「世界文學」、1948年4月号)でマチネ・ポエティクの作品について「同人諸君の作品は、例外なく、甚だ、つまらない」とした上で、根本的に日本語の詩において形式的な押韻は非常に困難で、脚韻の効果ははなはだ乏しいと断じています。

 これに対して福永は三好への追悼文で、「戦後、私が友人たちと定型詩を試み「マチネ・ポエチック詩集」を出した時に、三好さんは鋭い批評を下された。好意的悪評といったものだったが、三好さんの位置が、その発言に権威あらしめたために、この批評は決定的に私たちを敗北させた」(「天上の花」、文藝、1964年6月号)と回顧するなど、すぐにこの「運動」の矛を収めることになりました。

 鮎川は三好がマチネ・ポエティクを批判した前年、三好に対して「今日になって私は彼のような自然詩人に対してなんとしても不愉快でやりきれぬのは、いわば戦争中に私が敵意を抱かざるを得なかった「日本的なもの」に彼等が未だに凭れているからである。戦争を自然現象のように肯定して歌うというような、反思想的な自然詩人に対すると、私はすっかり逆上してうまく物が言えなくなるばかりか…」と痛烈に非難している。(「現代詩」1947年10月)。

 

 こんな三すくみについて、少し紹介して、皆さんで何か考えられればと思っています。

 お申込みはこちら↓から。Zoom参加も歓迎です。

 

 

 次回の読書会の前半では、1940年代の詩ということで、戦中から戦後にかけて、日本の戦後詩の揺籃期について、講義形式でお話をさせていただきますが、その一つがマチネ・ポエティクです。
 福永武彦、中村真一郎、加藤周一がメンバーだったというと、驚かれるかもしれません。1942年に朗読会の形で始まったごくささやかな運動体で、日本語による詩の美的な形式について、日本の古典、フランス文学の知見から考究し、定型押韻という形で実践を図ったものです。
 1948年に刊行された[マチネ・ポエティク詩集』の序文にあたる「詩の革命」には、日本の抒情詩には3度の革命があったと指摘されています。1度目は短歌形式の誕生、2度目は短歌形式が上と下に分かれ、連歌を経て俳句形式の誕生、3度目は明治期の新体詩を経て島崎藤村、薄田泣菫、蒲原有明によって近代的抒情詩が成立したこと。
 その文語的美による形式の完成が、北原白秋によって保守的な江戸末期的な小唄のようなものとなり、その完成度を萩原朔太郎が口語によって打ち砕くが、その時形式美は犠牲にされ、詩は解体へと向かうことになった。中原中也や立原道造がかろうじて古典的形式の回復を試みようとしていたかに見えたが、戦争が押し寄せてしまった。
 というのが、ここでの日本の詩の歴史への見方でした。
 さらにここでは、明治以降の新体詩が西欧の詩を模倣移入することで短歌俳句の精神と方法を否定する歴史だったとします。その上で、ボードレールの詩的交響=コレスポンダンスを引き、詩人は対象を写すカメラではなく、全世界を溶け合わせる坩堝のようなものであり、読者の構想力に交感を呼び起こし、魂の全体へ働きかけるものだと説きます。
 西欧特にフランスの詩の状況と日本とを引き比べ、フランスのそれが前述のように魂全体へのレアリスムに、転換したのに対し、日本では半世紀前の懐疑的な相対主義(それが何を指すか、ライカ的在り方あるいは19世紀決定論的分析主義、と呼ばれているものでしょうか)にとどまっている。我々は、マラルメから始めなければならない、としています。
 浪漫派や高踏派ではなく、象徴主義的精神をと続けます。
 そして最後に、厳密な定型詩の確立が必要である、それが日本抒情詩の第四の革命だと、高らかに宣言します。それは日本語から多くの美しい可能性を引き出し、詩の言語の不安定さや任意性を排除するだろうと。

 1981年に思潮社から再刊された同書には、安藤元雄による詳細な解題が付されています。それについては、また紹介します。