ホンダは日本にとって、最もF1と関わりを持つ存在です。
その活動は、1964年から始まり、
コンストラクターとしての第1期、エンジンサプライヤーとしての第2期、
エンジンサプライヤー、のちにチーム買収によるコンストラクターとしての第3期、
そして2015年から始まるERS(エネルギー回生システム)を含む
パワーユニットサプライヤーとしての第4期からなります。
1964年の参戦は、当初エンジンサプライヤーとして目指していたようですが、
供給先の予定であったロータスから同年の開幕直前にキャンセル
(それまで使用していたクライマックス・エンジンを継続使用するという理由)され、
急遽シャシーも仕立てて、コンストラクター参戦することにしたそうです。
この辺の機動力はいかにもホンダらしいエピソードですね。
という訳で、1964年の参戦は第6戦ドイツGPまで待たされることになります。
デビュー戦では、予選22位、決勝13位と見事完走を果たします。
(実際は、クラッシュしたものの、リザルト上完走扱いのようですが...)
しかし、他に出走したイタリアとアメリカでは、予選こそ10位、14位と
躍進を果たしますが、決勝ではリタイヤと今ひとつ成績を残せませんでした。
翌1965年は飛躍の年でした。
前年のロニー・バックナムのみの体制から、リッチー・ギンサーを加えた
アメリカ人コンビによる2カー体制へと強化しました。
南アフリカを欠場し、モナコではダブルリタイヤを喫してしまったものの、
第3戦ベルギーGPでギンサーが予選4位を獲得すると、
決勝でも6位でフィニッシュし、念願のチーム初ポイントを獲得したのでした。
1965年6月13日のことでした。
ちなみに、この年の最終戦メキシコGPではギンサーが
チーム、自身ともに初めてとなる勝利を挙げて華を添えています。
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