変人とは。 | ワインと旅と

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女性のライフスタイルがハッピーになる内容と大好きな食べ歩きとソムリエ資格も持ってるワインのことなど綴ります。

変わってる・・・といわれ続けてはや30年。

なにが変わってるのか自分ではよく分からなかったのですが
昨夜酔っぱらって加藤ミリヤの曲をたくさんダウンロードした音で早朝目が覚め
二日酔いの頭で「加藤ミリヤはなぜ老け顔なのか』について検証した私。

で、結論はまあ「顔の皮膚が薄い人は老け顔に見られやすいのではないか。
顔がデブなほうが若く見えるし」
という自分なりの推測が出てきたんだけどそれはちょっと置いといて
(っていうかファンの方読んだらごめんなさい。)

ようやく自分がなぜ変人なのか気づいた。
よく人に言われるけど

普通そんなこと考えないよ

ってことを答えを見つけようとする癖があるから
変人扱いされるのか

ってことに今更気づいたわけ。


普段から、くれくれちゃん(ギブアンドテイクのギブばかりの人ね)
はなぜくれくれちゃんなのか、とか
なぜ結婚できない人は結婚できないのかとか
なぜ不誠実な人は不誠実なのかとか、
そういうことを考えてるんだけどw

先週も

なぜ、マラソンをすると人は故障するのだろう?
なぜ、走ると足が太くなるのだろう?
体のゆがみが原因ではないか?
ゆがみがある状態で動くと、そのうち故障したり
足が太くなるのでは?
ってことと

なぜ、私は足やせしないのだろうか?

ということについて考えてて

その前に足首が堅いという事実があるんだけど

このことは、走る上で非常によろしくないのでは?と
思ったわけ。


で、今日自分でできる整体とストレッチ、筋トレを教えてくれるところに
いってきたんだけど

そこに行った理由として、

足の骨ってのは沢山のパーツで構成されてて
つまり、土台がしっかりしてないから
足首が代わりに堅くなって支えようとする

というようなことが書いてあったことに
非常に共感して、見た瞬間こちらに予約してみました、
と言ったら

普通は悪くなってからくるんですけど
よくそんなこと考えつきましたね。

とほめられましたw



いやー。重心が変わったり
力の使い方が変わったりして、
すっごい発見だった。

しばらく通ってみよう。



そうそう、もう一個。
これも先日しゃべってて気づいた話。
親友と恋愛トークしていたんだけど、

自分に彼氏ができない理由、結婚できない理由が自分で
分からない人がわからない、

って話になって。

例えば、私なんて
別に不細工ではないかもしれないけど、
若くないし、バツイチだしいわゆる条件のいい人からすると
まじめに付き合うに値する理由がない、
そこで卑屈になる必要はないけど、
23歳で若くてめちゃくちゃかわいい子と
勝負しても外見と年齢では絶対勝てない。

それを補うには、何が必要で何が自分にないか、
相手が自分に何を求めてるか
23歳にはないけど32歳の自分が身につけたものは何か?

何で勝負できるか?
なぜ過去の自分は失敗したのか?
同じことを繰り返さないためには?

って考えるわけ。

結果、
23歳のときにはできなかった
目の前の相手が何を何をしたら喜ぶか
(詳しくは、先日の『女王様に学ぶ』を読んでくださいw)
を考えて、一緒にいる人を楽しませようってことばっかりで
人が楽しそうにしてくれたら嬉しいなと思うようになった。


こんな偏屈な私wと
会いたいと思ってくれただけで
本当にありがたいと思えるけど、



そもそも、自分のレベルが自分で分かってれば
釣り合いってものが分かるでしょ。


って話を言ったら、普通分からない、と怒られました。

一方で、周りが見えない方が
もしかしたら見えすぎるよりも
楽なのかもしれない。

バカになれる方が、もしかしたら
すごく楽しいのかもしれない。

接客業もそうだったな。

世の中に、ありえない対応の店員とかよくいますが、

自分だってどうなのか?と考えると
すんごいプロな人と比較してしまって
自分の悪い点ばかりしか見えない自分がいて。

自分ができてないところが自分でよく分かるし
かといってできない
無能さに打ちのめされるし、
向上心がない人って何で向上心がないんだろうって
考えるけど、そんなこと考えない方が幸せなのかも。

とか。
上ばかり見て、自分のできなさにばかり目を向けてしまうよりも
何も考えないで明るく楽しい方が接客業には向いてるのかもだし
(まあそれはそれで問題もあるかもだけども)

恋愛でも何でも、
測って動いてしまうのってつまらない。


ということで、いい点悪い点あるけど、
見えちゃうが故の苦悩はあるにせよ、
自分に才能があるとしたら、自分にとって必要な情報や問題点を
適切に素早く見つける能力がすごいってことと
自分を限りなく客観的に、過小評価できることだなというところまで
気づいた、という備忘録でした。