司法試験のあるきかた

司法試験のあるきかた

試験合格を運任せにしないための方法論を考える

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まず一番最初に言いたいことを書いておきます。

司法試験・予備試験における「論パ」の位置づけについては、中村充先生のブログ「司法試験:勝利のアルゴリズム」のうち「不安を解消する唯一の方法」というエントリーで既に結論が出ています。

 

じゃあなぜこのブログ記事を書いているのかといえば、上記エントリーを読んでもなお、ピンとこなかった司法試験・予備試験・ロースクール受験生の方がいた場合の保険です。

 

上記エントリーや、上記エントリー内で引用されている「司法試験系の論文対策とは?」の中で言及されている「ギター」の例えが完成され過ぎているため、この記事は本当に蛇足でしかないのですが、それでも、答案作成の練習をせずに司法試験の勉強をした、という実感だけは得たい(かつての私のような)受験生の方に向けて、今一度

 

論証パターンをあたかも英単語のように暗記しようとするその作業は、全く司法試験の勉強ではない

 

ということに少しでも早く気付いていただくために、●年ぶりにブログを書きます。

 

法学セミナー2024年12月号の特集「刑法研究者が作った論証パターン」。

これをきっかけに、Twitter(現X)で論パを使った勉強法について様々な意見が飛び交っています。

 

中には「初学者のうちは論証パターンを覚える勉強をした方が良い」といった趣旨の意見も目にしましたが、冒頭に指摘したエントリーを読めば明らかなとおり、司法試験合格者が論証パターンを覚えている(上記エントリーでいう「指が固くなる」)のは、司法試験に合格するために良い答案を書く(上記エントリーでいう「上手な演奏ができるようになる」)という目的を達成する過程で、そのような状況が不可避的に生じている(演習を繰り返すうち、書く頻度が多い法律論の論証については定型的なパターンとして覚えてしまった、あるいは覚えてしまうほど問題演習をやり込んだ)だけなのです。

 

私自身は、尊敬するNOAさんのブログのエントリーを何本も読んでようやく、論証を暗記しようとすることが無駄であることを認識できました。

問題演習・答案作成をしっかりやっていれば、予備校本や本に載っている論証はあくまで一例に過ぎず、同じ趣旨・意味内容を述べることができれば(たとえその論証パターンが学者によって作成されたものだったとしても)丸暗記する必要は全くないという結論に相当至りやすくなるのではないかと思います。

 

もちろん、人によっては、法律論を展開する場合に毎回一から文章を考えるより、どう書くかを暗記しておいた方が効率的で時間・労力を節約できる、ということもあるかもしれません。

(そもそも論パは、典型論点を論パで早々に処理し、難しい問題に時間や思考のリソースを割く、という目的で作られたという噂です。その意味では、論パの作成者は一言一句完全に暗記することを前提にしている可能性があります。)

 

しかし、ある程度記憶力は良い方だと自負している私でさえ、論証を一字一句再現するのはほぼ不可能(だし一言一句の再現に拘る意味もない、さらに借り物の言葉なので扱いにくい)と感じたので、多くの人にとって論証は、完全暗記するものではなく、自分なりの論述をする際のたたき台(ないし踏み台)にするものではないかと思います。

 

 

私も今から10年以上前(もう10年も前になってしまうんですね…)、ロースクールに入学するまでの学部生の頃は、論証を覚える勉強作業にいそしんでいた時期がありました。

 

なぜそのようなことをしていたのか、一言でいえば、司法試験は本番で良い答案を書ければ受かるという単純明快かつ不変の事実を見失っていたから、というほかありません。

当時の私は、司法試験に合格するためには何か特別なことが必要なんだと(司法試験=最難関の国家試験というイメージから)勝手に思い込み、司法試験を神格化していました。

 

そして、"司法試験の合格者ならば、典型的な論証は暗記している"という命題から、典型的な論証を暗記すれば司法試験合格者になれる、という完全に誤った命題にたどり着き、答案作成の練習や問題演習はそっちのけで、ひたすら論証の暗記や予備校の分厚いテキストを読み込んでいました。

 

しかし、このような勉強作業がどのような結果をもたらすかは、想像に難くないと思います。

事例問題に対してまともな答案は書けず、問題文において問われている論点も分からず、法律論の論証っぽいことは多少書けたとしても問題文と噛み合っていなかったり、当てはめで自分が立てた規範とはズレたことを書いていたり、本当に目も当てられない状態でした。

 

もしかしたら私のやり方がまずかっただけで、論証パターンの暗記から学習を始めた多くの方は、上記のような体験はしていないのかもしれません。

しかし少なくとも私は、上記の経験からしても、初学者の間に論証パターンを覚えることが必要などとは全く思いません。

 

仮に答案上で法律論の論証が上手く書けなかったとして、論パを覚えていないことに焦るのは誤りとです。

ギターが上手く弾けないときに、自分の指が固くない!と焦る人なんて想像できないですよね。

 

答案で法律論の論証が書けなかったのであれば、それは少なくともその論点について、法律論の論証が書けないほどに問題慣れ(あるいは答案慣れ)できていないということを意味します。

 

ここまでくると自明ですが、この場合、基本的には答案作成に関する自分自身の経験値が浅いことに対して焦るべき、ということになります。

(ギターが上手く弾けないときに、「くそっ!もっと指が固ければ!」との後悔はおよそ考えられませんが、「くそっ!もっと指が固くなるぐらい熱心に練習に打ち込めばよかった」と後悔するのはいかにもありそうですよね。)

 

↑の理屈は、論パの内容や作者に全く依存していないので、論パを作成しているのが予備校講師であろうが教授であろうが、その論パに何が書いてあろうが、およそ変わることはありません。

 

論パを意識的に覚えようとする(≒わざと指を固くさせようとする)のではなく、法律論の論証部分を自然に覚えてしまうぐらい、ひたすら繰り返し問題演習をする(≒練習の過程で指が自然に固くなるぐらい繰り返しギターを弾く)ことが大事で、これは、初学者でも変わらない(何なら初学者の方こそ実行に移して、実際にその論証が問題となる場面の具体例を掴んだり、法律に関する事例問題の答案のイメージを形成するのが最善)と思います。

 

設問1
  • 設問1で言及することが求められている判例の立場として真っ先に浮かんだのは、不法行為に基づく損害賠償請求において、訴訟物は人損と精神的損害で異ならず費目ごとに別個となるのではなく、全体として一個の訴訟物として捉えるという最判昭和48年4月5日だった。
2020.11.3追記
上記昭和48年最判は、同一の身体傷害から生じた財産上の損害と精神的損害について、訴訟物が異ならないと判示するにとどまり、人損と物損については、①それらを含めて1個の訴訟物とする学説、②物損全体で1個の訴訟物とする学説、③個々の物ごとに訴訟物は別であるとの学説があり得るとされている(瀬木民訴54頁、高橋重点講義(下)256頁も参照)。
 
私見としては、財産上の損害と精神的損害を同一と考えるにもかかわらず、物損のみ分けて考えるべき実質的理由が思い浮かばず、これらを分けて請求するのであれば明示一部請求によればよいと思われるので、受験生時代から①の考え方によってきたが、瀬木先生は②を支持されている。
 
どちらにしても、人損と物損の訴訟物の一個性については、判例がないところではあるが、本問では物損の部分についてXYに争いが無く、裁判所の心証もそのようなXYの認識に沿うものであるので、人損と物損の訴訟物の一個性という、判例がブランクの部分のトピックについて答案で大展開することが期待されているのかは疑問。
 
  • しかし、昭和48年最判は、設問2との絡みでは言及する意義がある(訴訟物が費目に限定されず、あくまで不法行為に基づく損害賠償請求権1個で、Yの反訴は1個の訴訟物の明示一部請求となるのであれば、明示一部請求後の残部請求に関する最判平成10年6月12日の射程が及び、Yの残部請求は信義則違反となる余地がある)が、設問1単体で見ると、受訴裁判所がXやYの申立事項を超えた判断をしているようには見受けられず、これに言及する実益が無さそう。
    仮に本訴において、XがYの頭痛の有無についてのみ争い、慰謝料については積極的に争わなかったところ、受訴裁判所が判決においてYの慰謝料を認定し本訴請求を一部棄却したような場合であれば、そのような判決が民訴法246条に反しないことの理由付けとして、昭和48年最判に言及する実益があるが…。
  • 昭和48年最判に言及する実益が(設問1単体では)あまりない以上、債務不存在確認請求の本訴に対し、給付請求の反訴が提起された場合の確認の利益に関する最判平成16年3月25日が念頭に置かれていたのかもしれない。たしかにその方が問題が面白くなる。
    仮に平成16年最判が想定されている場合、単に本訴の債務不存在確認請求全体が却下されるのであれば、心証について記載する必要が全くない。平成16年最判が正解筋であれば、試験委員はおそらく、平成16年最判を引用しつつ、本件では反訴が明示一部請求であることを指摘して、明示されている500万円の範囲では本訴請求却下、500万円を超える部分については確認の利益があり本訴請求認容とすることを想定していたのではないか。
  • 上記のような構成であれば、設問1の後段で既判力について問うているのにも納得がいく。訴訟要件欠缺の判断について既判力を認める限り、「~の部分については確認の利益を欠く点について、~の部分についてはYのXに対する不法行為に基づく損害賠償請求権の不存在(民訴法114条1項)について、それぞれ既判力が生じる。」みたいに、きちんと区別して書く必要があるので、あえて既判力を問うのも納得というか。ただこの場合、損害の費目をかなり詳細に問題文に示していた意義が不明。物損がどうとか、人的損害がどうというのが、臨場感を出すためのオマケになってしまう。Yが昭和48年と同じく財産的損害と慰謝料を請求している点も気になる。
設問2
  • 設問2については、本訴の判決について、最判昭和42年7月18日(後遺障害が問題となった場合に、前訴訴訟物の明示を擬制)、反訴の判決について最判平成10年6月12日(明示一部請求が(一部)棄却された場合の残部請求の可否)への言及を想定しているように見える。
    ただ、自分が受験生だったら平成10年最判との事案の違い(本問では債権全体につき審理が尽くされていない特段の事情があるという点)を論じて満足していただろうと思うので、問題文で「前訴判決」と一括りにされている2つの判決について、それぞれ判例を適切に指摘するのはかなりハードルが高いように思う(そもそも試験本番の答案で、「判例は」と書くこと自体、答案戦略としても知識的にも精神的にもハードルが高い)。

    おそらく、「前訴におけるX及びYの各請求の内容に留意して」というのは、本訴判決と反訴判決のそれぞれについて検討せよということを誘導しているのかもしれないが、それならせめて「前訴各判決」のように、検討対象が複数に渡っていることを強調しても良いのでは…
  • しかも設問2の配点は設問1の半分以下なので、その配点割合で、前訴判決のそれぞれについて判例を指摘するというのは相当大変な気がする。前訴の各判決について判例を指摘することまでは求められていない?
  • 最判昭和42年7月18日は、前訴、後訴とも給付訴訟であったのに対し、本問では前訴が被告による債務不存在確認請求である点で、当然に昭和42年最判が妥当するわけではないと考える余地も無くはない。
    ただ、債務不存在確認請求とはいっても、訴訟物は給付訴訟と変わらないので、

    Xの主張内容からしても、将来後遺障害が発生する可能性まで全部排斥する趣旨ではなかったよね→前訴のうち、本訴の訴訟物は前訴基準時までに実際に発生したYのXに対する不法行為に基づく損害賠償請求権に限定されて、後訴とは訴訟物が異なるよね
    と立論すれば足りそう。
 
設問1で受訴裁判所の心証が細かく記載されていたことから、当初は確認の利益について論じる必要性に疑問を持っていたが、一部は却下、一部は請求認容という判決を書かせるのであれば、受訴裁判所の心証を書く必要があるし、「どのような判決を下すべきか」という問題文の問い方にも納得がいく。逆に昭和48年最判の指摘では、単に請求認容判決を下すべきである、とだけなってしまい、出題の意図がイマイチ掴めない(費目に限定されず訴訟物が一個である以上、設問2(後訴)の問題点がより浮彫りになるという点はあろうが、そうすると設問1が設問2の前フリ的な意義しか持たず、7割の配点が振られていることを説明しにくい)。
 
設問2は、一部請求棄却後の残部請求の可否(反訴との関係)と、後遺障害が基準時後に発生した場合の処理(前訴において明示を擬制、本訴との関係)の二つが問われていると思う。
前者については反訴と後訴で訴訟物が異なるからこそ判例が信義則の問題としたのに対し、後者については、訴訟物が前訴と後訴で同一に見えるからこそ、それを区別するための理論構成を検討しなければならず、一方は訴訟物が異なるからこその問題、他方は訴訟物が同一である(っぽい)からこその問題に見える。
 
演習の素材としてはめちゃくちゃ面白い問題だと思うけれど、時間制限がある中、現場でこれを解くのは大変だと思う。少なくとも連日の試験の中、↑の検討と答案作成を70分で終わらせる自信は最早ない。

注:平成26年司法試験刑事訴訟法のネタバレを若干含みます。

 

 

訴因変更の要否とか可否というのは、私が受験生だったころ(特に予備校の入門講座を受けただけで問題演習を全然していなかった学部生の時)は、どういう論点なのかを全く分かっていませんでした。

 

そういう論点を勉強するときに大事なのは、やはり、その論点が想定している典型的な場面を押さえて、イメージを掴むことです。

このエントリーが、訴因変更の要否と可否についてイメージを掴む一助となれば嬉しいです。

 

 

訴因変更の要否というのは、典型的には、裁判所が判決をするに当たって、検察官が公訴事実として明示した訴因の内容(刑事訴訟法256条3項)と、裁判官が心証を基に認定したい内容にズレが生じている場合です。

(後で言及しますが、平成26年司法試験は、起訴後に新たな事実が判明し、検察官が当初設定した訴因とは別の事実を意図的に立証しようとする場面なので、上記青字の場面とは異なります。まずは訴因変更の要否が問題となる典型的な場面から押さえましょう。)

 

たとえば、検察官が起訴状に記載した公訴事実が以下の内容だったとします。

 

被告人は、令和2年9月28日午後10時ごろ、大阪府大阪市北区西天満1丁目12-5付近の路上において、A(当時65歳)に対し、同人の胸倉をつかんで路上に押し倒す暴行を加え、よって、同人に加療約2週間を要する胸部打撲の傷害を負わせたものである。

 

刑事裁判の審理が進み、その結果、審理を担当する裁判官は、被告人がAの胸倉をつかんで路上に押し倒す暴行を加えたのは間違いないが、その時間が、午後10時ではなく午後11時だったとの心証を形成した場合に、上記の公訴事実のまま、しれっと暴行時間だけ11時にしても良いのでしょうか。

また、被告人が胸ぐらを掴んで路上に押し倒したのが、Aではなく、Aと一緒にいたBだったとの心証を裁判官が得た場合はどうでしょうか。

検察官が当初に設定した公訴事実のまま、裁判所は心証どおりに認定することができるのでしょうか。

 

 

このような場合に問題となるのが訴因変更の要否です。

 

訴因変更の要否は、検察官が訴因変更請求をせずとも、裁判所が事実を認定できるかという話なのです。

すなわち、訴因変更の要否が問題になる場面では、検察官は未だ訴因変更の請求(刑事訴訟法312条1項)をしていません

 

これに対し、訴因変更の可否が問題となる場面というのは、検察官が訴因変更請求をした場合に、裁判所がそれを許さなければいけないか、という問題です(条文を見ればわかりますが、訴因変更の要件を満たす限り、裁判所は訴因変更を許さなければいけません。当事者主義が表れていますね)。

訴因変更の可否が問題になる場面では、基本的に検察官は訴因変更の請求をしていることが前提になります

 

まずはここまで区別して押さえましょう。平成26年司法試験のような、訴因変更の要否と可否がまとめて問題になる場面は一先ず後回しです。

 

 

訴因変更の要否については、有名な平成13年決定がありますね。

平成13年決定が示した基準というのは、検察官が訴因変更しないまま、検察・弁護人それぞれが証拠を提出して攻防を尽くし、いざ判決、という段階になって初めて、起訴状に示された公訴事実とは異なる事実を裁判所が認定する際のハードルとして機能します。

 

審判の直接の対象である、罪となるべき事実の画定に不可欠の事項をを裁判所がいきなり変更するのは不意打ちにも程があります。

 

検察官から窃盗罪の嫌疑で起訴されたから、窃盗を行っていないという防御を尽くしたのに、判決の段階でいきなり「あなたは盗品等有償譲受の罪を犯した」と言われたら、「!?」ってなりますよね。

 

だから平成13年決定は、審判対象の画定に不可欠な事項に変更がある場合には、無条件で訴因変更が必要であるとしているのです。

 

そして、そのような事項でなくとも、一般的に被告人の防御の観点から重要な事項であれば、やはりその点について重点的に審理を行うべきですから、訴因変更をさせた上で、変更後の訴因について改めて攻防を尽くすのが健全です。

なので、被告人の防御に重要な事項に変更がある場合にも、原則として訴因変更を必要とするのです。

 

ただ、平成13年決定は例外を認めます。

それが、具体的な訴訟の経過から被告人の防御に不利益が生じない事情がある場合です。

すなわち、攻防を尽くした結果、裁判所が公訴事実とは若干異なる認定に至ったというのであれば、攻防を尽くした被告人にとって不意打ちにはなりませんから、そのような場合には、被告人の防御の見地から重要な事実に変更があったとしても、防御の利益は害されておらず、訴因変更は不要と言うことになります。

 

訴因変更の要否が問題となる場面で、審判対象の画定の見地から必要不可欠の事項であるかとか、被告人の防御の観点から重要か(更に当該訴訟において攻防が尽くされていたか)を検討するのは、「そのままの訴因で放置して(=変更前訴因を維持しながら別の事実を認定して)良いか」を判断するのが訴因変更の要否の論点だから、ということになります。

 

 

 

これに対して訴因変更の可否は、公訴事実の同一性が認められるかぎり、裁判所は検察官の訴因変更請求を認めなければなりません(刑事訴訟法312条1項)。

 

訴因変更の可否は、非常にざっくりと言えば、「同じ手続内で処理してよいか、それとも別の手続を踏むべきか」を問題にします。すなわち、1個の刑罰権の中で処理してよいのか、それとも別の刑罰権の話なので改めて手続を踏む必要があるのか、ということです。

 

公訴事実の同一性が認められるのであれば、それは社会的に見て同じ事実なので、同じ事実に対する刑罰権は、同じ1個の手続で完結すべきことになります。二重処罰の禁止や一事不再理効との関連で説明する基本書もありますね(酒巻先生の「刑事訴訟法」など)。

 

これに対し、公訴事実の同一性が認められないのであれば、それはもはや社会的に見て別個の事実なので、それを同じ1個の手続で済ませようというのはよろしくない、社会的に2個の事実といえるなら、2個とも別々に罰する可能性を確保せよ、ということになります。

 

 

公訴事実の同一性を検討する際に、非両立性の基準が用いられることがあります。これは、社会的に見て同じ事実と言ってよいかを検討しているものと考えるとイメージが掴みやすいです。

 

 

最判昭和29年5月14日は、背広を窃取したという窃盗の訴因に対して、盗品等有償処分あっせん罪の訴因が予備的に追加されましたが、これは、被害者が盗まれた背広を被告人が所持していたという社会的な事実は変わりが無く、ただ被告人が行った行為が窃盗であるか有償処分あっせんであるかが判然としないというだけです。

 

(私はこの事件の背景を詳しく知らないため、被告人が背広を盗んで質入れしておきながら、「これは被害者を自称する人からもらったんだ。だから質入れした」と弁解し、警察・検察はこの弁解を排斥する証拠を確保できなかったから、「たとえ被告人の弁解内容を前提にしても盗品等有償処分あっせんで有罪」ということを示すために訴因を追加した、という経緯をひとまず勝手に妄想想定することにします。)

 

 

窃盗の訴因と有償処分あっせんの訴因は、抽象的には両立しそうですが、これらの日時が近接している場合には、両立すると考えるのはおよそ現実的ではありません。

 

すなわち、昭和29年最判では、10月14日に被告人が背広を盗んだとされている一方で、追加された訴因では、10月19日に背広の所有者を自称する者から被告人が背広を受け取り、有償処分あっせん(質入れ)を行ったとされています。

これが両立するためには、10月14日に被告人が背広を盗んだ後、5日以内に他の者が被告人から背広を盗み(又は所有者がこれを取り返し)、更にその者か又はその者から背広を取得した者が被告人に背広を渡すという経緯を辿る必要があります。およそ現実的ではないことが分かりますね。

 

そうだとすると、検察官が刑罰権を行使しているのは、背広をめぐる1個しかないであろう被告人の行為であって、それが盗品等有償処分あっせんなのか、窃盗なのかが分かってない、ということになってきます。

だから、公訴事実の同一性という枠組みで、訴因変更の可否を判断することになるのです。

 

 

ここまで述べた通り、訴因変更の可否は、「同じ手続で済ませてよいか」という話です。これが認められるのであれば、検察官は訴因変更請求をすることで、同じ手続で済ませることができます。

これに対し、訴因変更が不可能である場合には、新たに別の手続を踏んでくれ、ということになります。すなわち、訴因の追加や変更、修正、撤回ではなく、追起訴や公訴の一部取下げといったアクションを検察官が執る必要があります。

 

 

 

ここでつまづきがちなのが、「訴因変更の要否」という論点のネーミングです。

これを文字通りに受け取ってしまうと、「訴因変更の要否では訴因変更が必要になるはずなのに、可否の論点では訴因変更が不可能ってどういうことなんだよ!」と混乱することになります。

 

既に太字+下線部で強調したところではありますが、訴因変更の要否の論点で何を判断しているのかといえば、「訴因変更手続が必要か」ではなく「そのままの訴因でよいか」ということです。

上記の緑文字部分で言えば、「訴因変更が必要」という部分がおかしく、本当は「そのままの訴因ではダメ」という表現が正確になります。

 

上記のように、そのままの訴因ではダメで訴因を変える必要がある、ただし訴因変更はできない(公訴事実の同一性が認められない)という場面であれば、「じゃあ新たな訴因を立てて公訴を提起するんだな」ということで、別の訴因での追起訴が選択肢に浮上することになります。

 

 

まとめます。

訴因変更の要否は、「そのままの訴因でよいのか」という問題、訴因変更の可否は「同じ手続内で済ませてよいのか」の問題です。

検察官が訴因変更請求をしてる場合=訴因変更の可否が問題になる場合には、被告人の防御の観点は基本的に問題になりません。

訴因変更請求手続が採られるのは、裁判所による認定といった刑事裁判の最終局面ではなく手続の進行中の場面であり、変更後の訴因で改めて攻防を尽くせば済むからです。

 

 

ここまで、訴因変更の要否は刑事訴訟の終盤で問題になることを前提に書いてきましたが、平成26年司法試験では、検察官による起訴の後、すぐに新たな事実が判明し、検察官が訴因を変更しようとしています。

 

この平成26年の問題の場合、仮に訴因変更が不要であれば、裁判所は当初の訴因のまま新事実を認定することができますから、検察官は当初起訴状に記載した公訴事実を維持したまま、新たに判明した事実を立証していけば足り、裁判所が困ることもない、ということになります(実際、手続的な疑義を残すメリットは全くないので、検察官があえて訴因変更請求をしないような事態は考え難いですが)。

 

なお、平成26年司法試験の出題趣旨にも

検察官による素因の変更が問題となる場合には、大別して、検察官が起訴状の記載と異なる事実を意識的に立証しようとして、証拠の提出に先立って訴因変更しようとする場合と、証拠調べの結果、起訴状の記載と異なる事実が証明されたと考えられることから、訴因変更しようとする場合とがあることについて、留意する必要がある。

と指摘されています。

 

平成26年の問題の事例であれば、そもそも罪となるべき事実が変動しているので、訴因変更は必要になります。公訴事実そのままで、裁判官に新事実を認定してもらおうなんて甘い見通しは通用しないのです。

 

訴因変更が必要=当初の訴因を放置したままでは新たに判明した事実による有罪判決は得られない(裁判所が新事実を認定できない)と分かると、別の訴因を用意する必要があるわけですが、じゃあ同じ手続=訴因変更でよいのか、別の手続を新たに踏む=追起訴によるのか(=訴因変更の可否)が問題になります。

 

公訴事実の同一性が認められれば同じ手続で良いということになりますし、認められなければ改めて刑事手続を用意する=追起訴することになります。

 

 

繰り返しになりますが、訴因変更の要否はそのままの訴因で良いのかという問題、訴因変更の可否は同一手続で済ませてよいのかという問題だと認識すると、前者の論点では訴因変更が必要なのに後者の論点では訴因変更不可能、という結論もあり得ることが理解できるかと思います。

 

 

以前にaskで回答した、下記の訴因に関する話をリメイクしました。

法律論に関するつっこんだ話はこれっきりにして、あとは司法試験の勉強に関するブログらしく、受験生時代の失敗談をつらつらと語れたら良いなあと思っています。

https://ask.fm/Ernie2326/threads/145834927338

 

 

 

 

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最近書いた自分のエントリーが、この記事のコメント欄とほとんどかぶっていることに今更気づきました。

 

この記事のコメント欄もロー生時代から何度も読んだ記憶があり、また司法試験について、採用面接のように「知識の有無ではなく振舞いを見ている」という指摘はその後の自分の勉強方針に大きく影響した(実務家としての思考方法、振舞い方を受験生のうちから身に着けて、問題に対してできるだけ「実務家」として処理をする方針になった)ので、シェアしておきます。

 

 

ちなみに、ここで紹介されている「合格る技術」、もちろん買いました。


Q:行政法の原告適格の言い回しが理解できない


A:あの規範は、行訴法91項の「法律上の利益を有する者」という文言の解釈問題です。あの規範を解説する前に、原告適格というものが何なのかを理解する必要があります。


そもそも、原告適格というのは、行政庁の処分性ある処分(すなわち国または公共団体が、法律の規定に従って、処分を受ける国民の意思に関係なく一方的に権利義務や法律関係の変動の効果を生じさせる行為)に対して、取り消されるべきだ!とか無効だ!などのように口出しする立場のことを指します。取消訴訟を提起する立場かどうかを問うのが取消訴訟の原告適格というわけです。


そして、処分の名宛人、または処分の法効果を直接に受ける(=その者との関係でも処分性を肯定できる)については、処分が取り消されれば、自己の「法律上の利益」(行訴法91項)を確保できるわけですから、処分の有無と自己の権利義務がダイレクトに連動しているわけです。



すなわち、ある当事者に対して処分性を肯定できる場合、当該当事者について原告適格を認めるための論述は、概ね以下のようになります。


××は処分の名宛人であって、処分が取り消されれば◯◯という法律上の義務を負わなくなるのであるから、処分が取り消されることにつき「法律上の利益を有する」(行訴法91項)といえる。したがって、××は原告適格が認められる。」




これに対して処分の法効果が直接及ばない第三者については、このように考えることができません。

シンプルに考えてみると分かると思いますが、処分の法的効果を直接受けていないのに、その処分の取消について口出しができるって凄い状況じゃないですか。


そのような口出しの権利を判定するのが、判例のながーい規範になります。


では見ていきましょう。



「①行訴法91項の『法律上の利益を有する者』とは、処分によって自己の権利若しくは法律上保護された利益を侵害され、又は必然的に侵害されるおそれのある者をいい、②当該処分を定めた行政法規が、不特定多数者の具体的利益を専ら一般的公益の中に吸収解消させるに留めず、③それが帰属する個々人の個別的利益としてもこれを保護すべき趣旨を含むと解される場合には、そのような利益も法律上保護された利益に当たり、これが侵害され又は必然的に侵害されるおそれのある者は原告適格を有する。」


長いので、番号を振ってみました。

まずは、②の直前、「又は必然的に侵害されるおそれのある者をいい、」という部分までをみてみましょう。


①の部分は、行訴法91項の「法律上の利益を有する者」の文言解釈です。

これに対し②以降は、「法律上の利益を有する者」の定義の中に出てくる、「法律上保護された利益」の解釈なのです。③の後半で、「そのような利益も法律上保護された利益に当たり」とされているのは、そういうことなのです。


すなわち、

法律上の利益を有する者」(行訴法91項)

(解釈)

処分によって自己の権利若しくは法律上保護された利益を侵害され、又は必然的に侵害されるおそれのある者

(「法律上保護された利益」について解釈)

当該処分を定めた〜


という構造になっているわけです。判例の規範は長いですが、出発点は条文です。


本番は、ある利益が「法律上保護された利益」かを判断する、その判断方法(②以下)です。判断の仕方は、全て定義の中に詰まっています。順に追っていきましょう。



まず、「②当該処分を定めた行政法規が」とあるので、処分の根拠法規、すなわち処分の要件を定める条文を確認します。


よくある間違いとして、いきなり個別法1条の目的規定を引く人がいますが、それはこの定義からしても完全に誤りです。

処分の根拠となる条文を解釈するに当たり、目的規定や周辺の法律、場合によっては処分基準などを参照することになるのです。ここでやるべきことは、処分の根拠法規の解釈であり、目的規定などはその手段に過ぎないのです。


このことは、行訴法92項に規定があります。条文を見てみると、


「裁判所は、処分又は裁決の相手方以外の者について前項に規定する法律上の利益の有無を判断するに当たつては、当該処分又は裁決の根拠となる法令の規定の文言のみによることなく、当該法令の趣旨及び目的並びに当該処分において考慮されるべき利益の内容及び性質を考慮するものとする。この場合において、当該法令の趣旨及び目的を考慮するに当たつては、当該法令と目的を共通にする関係法令があるときはその趣旨及び目的をも参酌するものとし、当該利益の内容及び性質を考慮するに当たつては、当該処分又は裁決がその根拠となる法令に違反してされた場合に害されることになる利益の内容および性質並びにこれが害される態様及び程度をも勘案するものとする。」


これも長いですね。

この条文は最初の方で、第三者の原告適格の場合の話であることをまず明示しています。


で、処分の根拠となる法令の文言のみによることなく(のみによることなく、ということは、文言を考慮することは前提となっています)、その法令の趣旨・目的、処分において考慮されるべき利益の内容・性質を考慮しろと言っています。


得てして処分の根拠法規の文言だけでは明確な解釈にたどり着けずなかなか頼りにならないので、法1条の規定を見て、法令の趣旨・目的を確認します。


このとき、関係法令がある場合には、それらの趣旨・目的をも参酌しろといっているのが行訴法92項「この場合において」以下です。



そして、処分を行うに際しどのような内容・性質の利益が考慮されることになるのかを指摘するわけです。この時には、法令違反があった場合に害される利益の内容・性質、害される態様・程度を考慮する、ということが92項の最後の方で定められています。



このように処分の根拠法規を見て、その趣旨目的(+関係法令の趣旨目的)と、考慮する利益の内容・性質(+害される利益の内容・性質、害される態様・程度)を検討するのは何故かといえば、原告が侵害されていると主張する利益が、当該根拠法規によって公益としてのみならず、個別的にも保護されているかを検討するためです。



論述する際は、まずは原告の主張する利益を確定し、それを指摘します。


次に、処分の根拠法規を指摘し、その文言を、法1条や関係法令の目的を見ながら解釈します。

そして、原告の主張する利益が、②少なくとも公益として保護されることを指摘します。


公益として保護される、というと漠然としていてイメージが湧きにくいので、食品衛生法を見てみましょう。


食品衛生法1条には、「この法律は、食品の安全性の確保のために公衆衛生の見地から必要な規制その他の措置を講ずることにより、飲食に起因する衛生上の危害の発生を防止し、もつて国民の健康の保護を図ることを目的とする。」と定められています。


公衆衛生の確保や、国民の健康といった利益を、食品衛生法上の種々の規制や処分によって、実現しようとしているわけです。

そうすると、例えば私の健康という利益は、少なくとも食品衛生法は、公益としてこれを保護しようとしているものといえるわけです。



公益として保護されることが確認できたら、次です。


原告適格の規範は「③それが帰属する個々人の個別的利益としてもこれを保護すべき趣旨を含むと解される場合には、そのような利益も法律上保護された利益に当たり」としていますから、原告の主張する利益が漠然とした公益に含まれるのみならず、処分の根拠法規が、特に個別的にも保護する趣旨であるかどうかを検討する必要があります。


処分の際に考慮される利益の内容・性質、違法な処分がされるときに害される利益の内容・性質、害される態様・程度を考慮していくことになりますが、この辺りの考え方は、判例を読みましょう。


違法な処分によって害される利益が生命や身体の安全といった重大な利益であり、違法な処分によってこれらを大きく害する可能性があるような場合には、そのような利益が害される原告のうち、一定の範囲の者の利益は法が個別的に保護している、という理屈を採用することが多いと思います。


このように長い旅を経て、原告の主張する利益が公益に含まれるのみならず、個々人の個別的な利益としても法が特に保護する趣旨であるというゴールに辿り着いて初めて、そのような原告の利益は「法律上保護された利益」に当たり、これが侵害され、必然的に侵害されるおそれのある者は行訴法91項の「法律上の利益を有する者」に当たるわけです。



なお、上記の説明では②の「公益に含まれるか」の段階において法の趣旨・目的を検討し、③「個別的にも保護された利益か」の段階において被侵害利益を考慮しましたが、必ずしも公益の段階では法の趣旨目的だけを考慮し、個別的利益の段階では被侵害利益だけを考慮する必然性はありません。

その辺は、ロースクールで勉強するなり、基本書を読むなりしてほしいと思います。


ただし、基本行政法325頁などを見ると、被侵害利益の内容・性質、害される態様・程度は少なくとも個別的利益として保護されるかどうかを切り分ける役割を果たすことが指摘されていますし、答案としても、


「こんなに重要な利益がこんな大きく害されてしまう、しかも事後的な回復は困難、そうだとすれば××の利益を有する者のうち、特にそれが害される可能性が高い△△の範囲の者の利益については、法が個別的に保護しているものといえる。」


と書くと、とっても書きやすいところです。


また、公益に含まれるかどうかの部分で、法の趣旨・目的のみならず処分の際に考慮する利益についても触れてしまうと、同じことを何度も書くことになってしまうので、個人的には、公益に含まれるかを判定する部分では、法の趣旨・目的からサラッと公益に含まれることを述べるのが書きやすいと思います。



このブログで法律論に触れるつもりはなかったのですが、askで詳し目に解説してしまった原告適格については、後から見返しやすいよう、askの記載を大幅にリメイクして(苦笑)、ブログの記事にすることにしました。


あとは訴因変更の要否と可否についても、リメイクすると思います。