見応えありのMuseum Negeri Sumatera Utara(Medan⑧) | sehari-hari~ジャカルタ生活日記と日本のインドネシアネタ

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2017年4月~インドネシアのジャカルタへ

ジャカルタのいろいろな情報話題を日記として記録→2022年8月に本帰国しましたが、
2023年9月から再度ジャカルタ生活へ

祝日に旅行するときインドネシアで注意しないといけないのは、

公立の博物館や美術館は月曜日と祝日休み

行きたい博物館があったら、気をつけないといけない

Museum Negeri Sumatera Utara
北スマトラ博物館
KITASあったらローカル価格ですが、最初からローカル価格でのお金だしたらチケット買えることが多いから、

最近は特に言われなければKITASも出さない。

『外国人か?』って言われた時は見せるけど


博物館本館の屋根の形は北スマトラの伝統的な家屋を表しています。

北スマトラに住むマレー族、トバ バタック族、シマルングン族、カロ族、マンダリン族、パクパク族、ニアス族の装飾が使われてます


1982 年 に今の形で開館した博物館ですが、展示物の最初のコレクションとなったのは1954 年に初代大統領スカルノによって設置された一対のマカラです。

(今はガラスケースに入ってて、うまく撮れなかったので、外にあった時の昔の写真をお借りしてます)

ヒンドゥー寺院遺跡といえばジャワ島って思ってましたが、スマトラにもあるのねー、知らなかった。

メダンから約400キロメートル離れたPadang lawas遺跡の

Sitopayan寺院の発掘調査で見つかった西暦9~11世紀のものと考えられる2体のマカラ

2014年まで外に置かれていたので、一つはだいぶ損傷していて、今は館内のガラスケースにあります。

 

どこの博物館でもそうですが、ほぼレプリカの先史時代の化石と石器の歴史から始まります。

ここにもありますサンギラン17号レプリカ


インドネシア独立までの北スマトラのできごと

(北スマトラ出身の英雄)

インドネシアの【英雄】って書かれる人は、大統領令で

【英雄】に認定されてます。

ほとんど知らん人ばっかりだったけど

H. ADAM MALIK BATUBARA 

1917 年 7 月にPematang siantar(メダンからトバ湖行く途中にある)に生まれる。

さまざまなメディアで執筆活動し、1937年のアンタラ通信社設立。

積極的に発言してスカルノ政権の貿易大臣、スハルトが政権を引き継いだ後は副大統領、外務大臣も勤める


ブログの中でちょいちょい出てくるアダム•マリクも北スマトラ出身でした


まあ、この辺はサラッとしか見てないけど、おもしろいのはここから。

今まで知らなかった事が盛り沢山!!

(太字はキャプションや、後日調べた事をまとめてます。)

GAJAH DOMPAK

この石のオブジェは、悪意のある人や悪霊が村に入ってくるのを防ぐため村の入口に置かれる


古代北スマトラの初期文明のコレクションは、石棺(石棺)、石や木の彫像の形をした宗教的なものなどの巨石文化を集めています。


古代北スマトラの住民は独自の信仰体系を持っていて、神だけでなく、自然から来る超自然的な力を持つ霊的な存在や先祖の霊も信じていました。

巨石は、農業が広まり始めた後に現れた石の文化で、石像、石棺などほとんどの遺物は巨石文化の影響を受けています。


専門家は、巨石文化がインドネシアに入ってきた時代には2 つの波があると推定しています。 
第 1 波である古巨石は紀元前 2500 年から 1500 年頃にインドネシアに入ったと推定され、第 2 波である新しい巨石は紀元前 1 世紀初頭から西暦 1 世紀頃にインドネシアに入ったと推定されています。 
Mejan
この博物館で初めて知った民族Pakpakのもので、馬や象に乗った人間の像
この像は亡くなった村の創設者(sipungkah kuta)や、村長を表しています。
村の守護者として、村が危険にさらされた時に警告のために雷鳴のような声で咆哮すると言われている。

南ニアスのLahusa Satua巨石遺跡のものなど、ニアスって木彫りと思ってましたが、始まりは石の彫像からなんですねー

OSA-OSA SITÖLU BAGI
儀式の際に椅子や座席として使います。
オサオサを石や木で作る文化はニアス州南部で多く、古代ニアス教の神話上の動物であるラサラだそうです。

木彫りのオサオサはこの前Lebak bulusで見た。
単に「牛っぽい木彫りでスマトラだな」って思ってたけど、こんな意味だったとは知らなかった

この三つのオサオサは、ニアス島から国外に密輸されるところを押収したものらしい。

北スマトラの民族の展示コーナーに木のOsa OSaありました。
一つ頭のオサオサは一般的に新郎または王の座席として使用され、三つ頭のオサオサは花嫁または王の妻の座席として使用されます。 
3つの頭があるのはなかったから、どんなもんかわかりませんが

古代バタックの樹皮に書かれた本

Laklak

いくつか種類があるみたいで、

右側のはDorma (魔術)
恋人への愛の魔法や、生徒たちへのダトゥからのメッセージ、敵にお互いを疑わせる方法、村を静かにする方法、使用人に命令に従い続ける方法も書かれています。 
 
バタックの民芸品やさんに行ったら、お土産としてLaklak売ってたんですよ、その時はよくわからなかったけど博物館来てわかった。
(民芸品やさんの記事は後日)

Sahan
象牙でできた容れ物で、遺体を焼いた灰から作られたpupukを保管するもの。
pupukは↑のlaklakに書かれているシャーマンが使う黒魔術の粉らしい
トバ・バタック族はサハンに超自然的な力があり、邪悪な力から守る役割と、感染症の蔓延を防ぐと考えていた。

Naga Morsarang 

水牛の角で作られた容器

雰囲気は上のSahanに似ているのに素材と名前が違う。

これも魔法の力があると考えられている


Pagar Jabu/Bekem-bekem

鹿やヤギなどの動物の角から作られています。
カロの人々の家にあって、住人を危険から守ると言われる魔法の粉が中に入っている

知らんものがいっぱい。
スラバヤ通りやLebak bulusのアートショップで最近スマトラの木彫りを見るんですが、どんなものかは知らなかった。

インドネシアには約300の民族がいる。
自分が知ってるのはごく一部

北スマトラの部族は、いろんなパターンと民族ごとに違う名前を持つ綿から作られた独自の織物を持っています。

トバ•バタック族は「ウロス Ulos」

カロ族は「ウイス Uis 」

シマルングン族は「ヒオウ Hiou」

パクパク族は「オーレス Oles 」

マンダイリン族は「アビット Abit 」

マレー族は「ソンケット Songket」ニアスの人々は綿を織りません。 彼らは「u'i」と呼ばれる木の皮から布を作りました。 

地域社会にとって、伝統的な布地は儀式に欠かせないものであり、日常着でもあります。

特に儀式に関してはどの部族も布の使用に決まりがあって、
•結婚式の時に新郎新婦が両肩にかける布、
•花嫁がサロンとして使う
•女性がストールとして使う布に使うモチーフ
•高齢者がブランケットとして使用したり、親が亡くなった時に子供たちからシャーマンに贈る布
•新しい家に入るときに、家の所有者の妻の頭のカバーとして使う布
•墓石にかける布

知らなかった北スマトラの各部族の展示がもりだくさんで、書ききれない
 調べた後まとめてする書き残す方法ないかな

この博物館はかなりおもしろかった。見る価値あり


Museum Negeri Sumatera Utara

Jl. HM. Joni No.51, Teladan Bar., Kec. Medan Kota, Kota Medan, Sumatera Utara 

月曜日と祝日は休館


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