8/16のRengasdengklok誘拐事件の舞台 | sehari-hari~ジャカルタ生活日記と日本のインドネシアネタ

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2017年4月~インドネシアのジャカルタへ

ジャカルタのいろいろな情報話題を日記として記録→2022年8月に本帰国しましたが、
2023年9月から再度ジャカルタ生活へ

カラワン一番の目的地

Joang 45に行った時に調べた場所

地図にマークしてたけど、

これだけのためにKarawangまで行くのはなぁーえーん


と何とか行く計画を練ってましたが、近隣にもう一つ目的地ができた!

といっても車でアウトレットまで30分ちょっとかかりますが.. .


独立宣言前日の誘拐事件

 Rengasdengklok事件の現場

1945年8月15日 日本が終戦
1945年8月16日未明、スカルノは、当時生後9か月だった長男グントゥールと第一夫人ファトマワティそしてモハマド・ハッタとともに、青年活動家によってレンガスデンクロックに誘拐される。
目的はすぐに武装蜂起して独立宣言を発表するように促すこと、オランダがまた介入したり、日本軍による独立への介入を阻止することでした。
午後6時頃、誘拐事件をしった独立準備委員会のアフマド▪スバルジョと日本軍の前田靖が青年たちを説得し監禁場所に案内されます

誘拐したのは

「郷土防衛義勇軍(PETA)」

オランダ時代は軍事訓練さえ禁止され、祖国を守る義勇兵として、青年たちが集まり日本軍占領時に軍事訓練をうけ、終戦時には日本軍の倍の約3万8000人にも上り、独立に向けて大きな政治勢力になっていました。

「真夜中までに宣言を」と促す義勇軍の幹部に、スバルジョは「時間が必要」と粘ります
スカルノとハッタは独立が国際的に認められれば武装蜂起は必要ないと考えていたため、青年たちの圧力に屈しなかった。
「失敗した時は私を射殺していい」という条件で、翌日17日の正午まで待ってもらうよう譲歩させ、スカルノ一家とハッタの4人は解放されました。
という事件
そのときの監禁場所がここ
観光地として整備され門もこんな感じですぐわかります。
❮Rumah Sejarah❯
こういうのインドネシア人好きね
ちゃんと45年8月17日の独立記念日の数字がついてます。

45年(1975年から2020年)が経ち、1945年8月17日インドネシア独立宣言までの長い道のりを示す足跡を残しました。
本来はここ、レンガスデンクロックから始まるはずでした。
と書いてあります。
2020年に建てたもの
 

 レンガスデンクロック地域が選ばれたのは、その場所がジャカルタ-チルボン道路から遠く離れているためだそうです。  


当初は田んぼの近くの川の端にある古い小屋に監禁されましたが、義勇軍の中から「二人を適切な場所へ」と提案があり、この辺りで一番状態が良いDJIAUW KIE SIONGという中国人商人の家が選ばれた

戦闘員らはインドネシア独立宣言の準備として、8月16日Rengasdengklokで赤と白の旗をあげました

今は観光客も来るから入ってすぐの部屋はこのように中華系らしい祭壇と写真など飾ってあります。 
この応接間?の左右に個室があり、そこがスカルノがいた場所だそうです。

机と中国っぽいベッドがあるだけですが、この机もスカルノが使ったそう

もともとチタルム川(世界1汚い川として有名)のほとりにありましたが、チタルム川が浸食されたため、1957 年に建て替えられました。
元の場所から今のカンプン・ボジョンという場所に約150メートル移動していますが、。
この事件の時の個室と入り口部分の造りはそのまま残して、通常中国の家庭で使用されているテラコッタ色のタイルの床と屋根はオリジナルのままで壁や奥の住居スペースは増築しています。
奥は広い、このあたりで割と大きなおうちです。
敷地もそもそも広いし

奥の間の横にも小さい個室があり、そこはこの事件の時の持ち主DJIAUW KIE SIONGの部屋
このベッドの木彫りが素敵
DJIAUW KIE SIONGの遺影とスカルノ、ロロ▪キドゥル、一番上は誰だか聞いたかよくわからなかった

DJIAW氏は1964年に84歳で亡くなりましたが、彼の名前は事実上知られておらず、歴史にも記録されていない
この事件と家の歴史について書かれたプリントも一人ずつにくれました。
DJIAWさんは、「この歴史ある邸宅に住む家族は忍耐強くなければならない」と遺言した。
 愚痴を言ったり、誰かに何かを求めることは許されません。
この家はDJIAW氏の孫と妻が管理していますが、
 実際に今もインドネシア国家の闘争の歴史を知るために訪れるゲストのために、彼らは毎日自宅で待っています。

ここにもっと海沿いの小学校の遠足が来たんですが、

日本人が珍しいのか?

旦那を日本人の偉い人と間違ってるのか?

先生が"ミスターと通訳"の私たちに食いついてきて、

みんなで集合写真

この後学校の名前を

「SDN ホニャララ〜jaya!」

と叫んでガッツポーズをとる日本人二人の動画まで撮影した笑い泣き笑い泣き笑い泣き


この周りには他にもみるとこがあるんですが、ただでさえ長いのに続けて書いたら長編スペクタクル小説になるから(2 )へ続きます


Rumah Sejarah - Rengasdengklok

 Jl. Perintis Kemerdekaan No.33, R.Dengklok Utara, Kec. R.Dengklok, Karawang, Jawa Barat 

お家を開放しているので、休館日は一応ありません。

車は敷地内に1〜2台は停められます。

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