北ジャカルタポルトガル村の新年の伝統行事Rabo Rabo | sehari-hari~ジャカルタ生活日記と日本のインドネシアネタ

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2017年4月~インドネシアのジャカルタへ

ジャカルタのいろいろな情報話題を日記として記録→2022年8月に本帰国しましたが、
2023年9月から再度ジャカルタ生活へ

実はリベンジ。

2年前この行事に参加するウォーキングツアー申し込んだらすでに満席で参加できなかった。


しかもそれと別に

教会にも行きましたが、鉄の壁で囲われてリノベーション中で、いつものアレやっても入れなかった。

ツアーでは、リノベ後の教会にもはいれる。


ツアーは教会から出発して、近くのポルトガル人の子孫の家へ

マイケルズ(ミシェル)、アンドレアス、アブラハム、コルネリス、ブラウンとあと一つ忘れたけど、今も残る 6 つのポルトガル人の子孫の名前。 
このおじさんは自分たちの祖先のルーツを話してくれる
大枠の歴史は↑の記事にも書いてますが、

マラッカを占領していたポルトガルがオランダに負けた後、ポルトガル軍はオランダの捕虜となりバタビアに連れてこられました。


ポルトガル人はプロテスタントへの改宗を求められ、ポルトガル語の名前をオランダ人風変えることを条件に税金を免除され解放されました


インドネシアの現地人は、ポルトガル語の名前を発音するのが難しかったため、トゥグと呼んでいました。 それでポルトガル人が集まった地域はKampung Tuguと呼ばれるようになりました。

インドネシア語でTugu=記念碑なので、なんでtuguなのか?と思ってましたが、こういういわれがあったんですねーびっくり


KampungTuguならではの料理も体験できた

Ketan Unti もち米の上にすりおろしたココナッツと黒糖をのせたもの

Pisang udang 
おじさんの話から
「えっ?バナナとエビのお菓子?ガーンガーンって隣の人に聞いたら、エビが入った餅のような物をバナナの葉で包んだものということでした。
エビなんかな?が入ってますが、ちょっと甘い餅
味のない蒸しパンに砂糖のソースをつけて食べる。
名前は聞いたけど忘れた

Gado-gado
今は全国区のインドネシア料理のガドガドはBetawi料理でジャカルタ料理なんですが、ヨーロッパ人や中国人と混じってBetawi人になる前の話...

ガドガドに入っている野菜は[家畜の餌]を意味するポルトガル語の「ガド」 で、何度も言うと「ガド…ガド…ガド…ガド…」と聞こえ、ガドガドの始まりとなったらしい。


Kampung Tuguのガドガドはピーナッツ ソースにココナッツ ミルクとスパイスを混ぜたソースで、昔はヨーロッパのサラダを作ろうと思っても、材料を見つけるのが難しかったのでソースをピーナッツソースに置き換えました。

ガドガド・シラムというそうです。 


そのあとKampung Tuguを代表するお家へ

2022年に資料館としてリノベーションされた。
ここも単品で行くにはちょっと遠いし、何があるかわからんからなぁーと思ってた場所
Krontjong toegoe(Keroncong Tugu)
ポルトガル村に残る古い家の 1 つがミシェル(マイケル)家で、 この家も築250年で、5世代が住んでいるそうです。 
17 〜 18 世紀にかけてMichel氏族によって建てられた家がたくさんありました。  
昔はこの家は田んぼと森に囲まれていて、この地域にあまり人が住んでいない時はMichel家の土地は大きかったので、隣の家まで遠かったらしい。

既に 多くはインド人、マラッカ人などの混血だったため、黒ポルトガル人と呼ばれていました
現在ここに住んでいるアーサーMichelさんもアンボンだったかブギスだったか忘れたけど祖先はミックスだそうです。

Keroncongは今は大衆音楽ですがこのTugu村が発祥です。
ポルトガル自体にはkeroncongはなく、最初はポルトガル国籍の人々が、ヨーロッパから持ち込んだ楽器を使って演奏したのではないか?と言われているそうで、ギター、ヴァイオリン、カヴァキーニョなどの楽器を使って演奏していました。
オランダ人はトゥグ族の多くが血統上純粋なポルトガル人ではないにもかかわらず、トゥグ族からポルトガルらしさを排除しようとしましたが、なくなりそうになる文化を残すために、Tugu村内にいくつもKeroncongのグループができました。

Krontjong toegoeの場所か拠点となって、アーサーさん(演奏してる人)のグループは大統領宮殿や海外でも演奏するそうです。

午前中は信者の新年のミサが行われているので、お昼から中に入ることができました。
リノベーション前の様子はわからないですが、天井もほとんどオリジナルだったはずですが、今はキレイになりました。

祭壇や法具はそのままで、床はオリジナルを残してます。
ポルトガルだけではなく、バタビアに住めない他の国や地域の人もこの村周辺に住むようになり、徐々にインドネシア人も含めた混血になって北Betawi人になっていく

家族協会読書園
 •モザンビーク大使
•ポルトガル大使
•東ティモール大使
•ブラジル大使
昔の写真
新年の行事Rabo Rabo
ラボラボは宗教的な行事ではありませんが、イベントの前後にミサが行われます。

他にも見物客いるんかな?と思ってましたが、毎年このツアー会社だけがツアーやってるので、異教徒や観光客で教会の中まで入って見るのはこのツアー会社だけのようです。
音楽が始まると参加者が1人づつ牧師さんと頬を合わせて握手して、食事が用意された場所に入っていきます。
クレオール語で「ラボラボ」とは「従う」という意味だそうです。
クレオール語はここではポルトガル語の文語と口語がちょっと違う感じみたいです。
アーサーMichelさんが実際に比べて話してくれましたが、方言?みたいな違いに聞こえました。

keroncongの演奏で賛美歌歌って、
踊ったりしながら、みんなお酒のんだり食事したり新年の挨拶します。
何曲か演奏したあとは、楽器を演奏しながらコミュニティの家族や友人を訪問します。
訪問する家の住民の民族に合わせて、インド、バタックの歌、アンボネの歌などの歌を歌います。

ホストの家は、私達も頂いたKampung Tuguのスナックというか振る舞い料理を訪問者に配って、一緒に歌ったり踊ったりします。
 一緒に喜んだ後、ホストも今度は訪問グループに加わり、最終的にぞろぞろと長いパレードのようになります。

実は奇祭?面白い行事は来週なんです。
1月の第一日曜日に【mandi mandi 】という行事があります。
公式と非公式の 2 つのマンディマンディがあって、正式な行事はは教会で礼拝と同じように行われますが、昼食をとった後に、来場者がkeroncong音楽でパーティーをする非公式の祭が始まります。 

長老、VIP招待者、コミュニティのリーダーから始まり、ホストからマンディマンディに参加するよう招待された人々が順番に他の人々の顔に白い粉?を塗る

お互いのの顔に粉を塗り合うことで、お互いの間違いを許し合い、清らかな心で新年を迎え、神から祝福を受けることができる。

ということらしい


一般の参加者も加わることができるそうで、もしかしたらこっちのほうが見学者が多い祭かもしれない

今年は7日、私が参加した Walking Tour で【Mandi mandi】の祭の募集もやってます。