『最古▪レジェンドシリーズ』
ジャカルタで(現存する
)二番目に古い教会です。
一番古い教会
ジャカルタはバタビア(Kota Tua)から街が広がって行ったので、バタビアから、オランダがマラリアの蔓延などで政府機能を移したMenteng、Cikini、Gambir周辺にだいたいレジェンドの店や建築物は集まっている。
50年前は南ジャカルタはまだまだ田んぼと密林が多い地域だったらしい
なぜこんなとこにポツンと教会があるのか気になる
Gereja Tugu
Tugu地区にあるこの教会は1678年からこの地域に住んで教育を受けたメルキオール ライデッカー牧師によって最初に建てられました。
ライデッカー牧師は新訳聖書を最初にマレー語に訳した人だそうです。
ポルトガルのフェレイラ▪ ダルメイダ司祭とマルダイカー (特定の条件下で解放された奴隷で、一部はカトリック教会から改革派に改宗した) の支援を受けて1738 年、損傷した古い建物を建て替え2 番目の教会が建設されました。
当時のトゥグ地区は、インドのベンガルやコロマンデル海岸から連れてこられたオランダの捕虜だったポルトガル人やまたは解放された奴隷であるマルダイカー人だけに限定されていました
1740 年の総督 Adrianan Valckenier の治世中のバタビアでの華僑虐殺の時に、この教会の建物も破壊されてしまいます。
もともとはCilincingのHoly Cross Catholic の近くにあったそうですが、今の教会の土地は、オランダ統治時代にCilincingに住んでいた有名な地主ユスティヌス・ファン・デル・ヴィンチから寄贈された場所で1948年に完成。
ユスティヌスはヴェルテヴレーデン(現在のPasar BaruやGambir .Cikiniなど)に大きな土地を所有しており、Pasar senenやPasar Tanah abangを開いたらしい。
トゥグ教会は、バタビアのオランダ人が建てた教会のような大きな装飾がなく、教会の内部はヨーロッパ風の大きな窓でいっぱいで、 正面には、茶色の木製フェンスに囲まれた 4 本の柱があるテラスがあり、大地主ユスティヌス が教会を訪れたときに座るためによく使用されたと言われています。
この柱のうちのいくつかは当時のオリジナルのままだそうです。
Tugu村のほとんどは、プロテスタントのキリスト教徒で、ポルトガル人の子孫であるためキリスト教徒のBetawi村としても知られています。
kampung Tuguの人々は300 年以上にわたって地元住民と交流しながら生活してきました。
アンボン、Betawi、スンダ、ジャワ、バタックなど、さまざまな民族で構成されているため、寛容の村とも呼ばれています。
1747 年以来、ポルトガル語とマレー語で礼拝を行ってきましたが、時が経つにつれ、トゥグ村には母国語を話すポルトガル系の人々はいなくなりました。
現在、生き残っている元Kampung Tuguの家族は、ポルトガル系の 8 世代目以降の子孫になります。
しかし、彼らの伝統は今日まで守られています。
そのうちのひとつがクリスマスイブで、Tugu村の子供たちが松明をもってマルダイカーの家へ行って、ポルトガル語で祈ります。
クリスマスイブの礼拝の後、教会の隣にあるポルトガル人の祖先の墓参りに行きますが、この村では墓参りは夜に行うため他の教会や宗教の習慣とは少し違います
Mandi mandiという新年を祝う独自の文化もあります。
こんな面白いとこだったら、もっと早くに行っておくべきだった。
ほんとに、一回でちゃんと見られたというのが奇跡に近いジャカルタ
それがイスラミックセンター
イスラミックセンターからGereja Tuguまではバイクで10分かからない。
Gereja Tugu