【最古•レジェンド】インドネシアの焼き菓子Serabi 発祥の店(ソロ⑧) | sehari-hari~ジャカルタ生活日記と日本のインドネシアネタ

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2017年4月~インドネシアのジャカルタへ

ジャカルタのいろいろな情報話題を日記として記録→2022年8月に本帰国しましたが、
2023年9月から再度ジャカルタ生活へ

ジャカルタのインドネシア料理レストランにもある定番的なデザートSerabi

地方によって呼び名が違ったり、同じものでも形がちょっと違ったりしてバリエーションも多いのですが、「Srabi発祥の店」(serabi)がソロにあります

Srabi Notosuman Ny.Hadayani
Hoo Ging HokとTan Giok Lan夫婦はソロで初めてセラビを作った人です。 
近所の人がHoo Ging Hokに祝いの席の食事にApem を作って欲しいと頼んだところ、凄く美味しかったので、周りの人も定期的にApemを頼むようになった。
インドネシアのお菓子もあんまり食べなかったので、ほとんど知らん

そもそもapemって何?

アペムは、米粉と卵、ココナッツミルク、砂糖、タペ、少量の塩を混ぜたものから作られるジャワの伝統的な食べ物でジャジャナン(お菓子の盛り合わせ)にも入ってますが、今はインドネシア各地にあります。

もともとはPrabu Brawijayaの子孫であるKi Ageng Gribig(また知らん名前が出てきた)が持ち込んだと言われている。


Ki Ageng Gribigは、 中部ジャワ州Klaten(ソロとジョグジャの間)Jatinomにイスラム教を広めた学者で、 マジャパヒト王ブラウィジャヤ 5 世の子孫。


メッカ巡礼からお土産に3つの食べ物を持ち帰りましたが、量が少ないので、奥さんが同じものを再現して作り地域住民に配布しようとしましたが、それを手に入れようと争う住民に向かって"yaa qowiyyu'と叫んだ。

この言葉は力を与えてもらう言葉らしい。

アペムを「yaa qowiyyu」という言葉で配りはじめたことがKi Ageng Gribigがジャワでイスラム教を広めるための実践的な方法だったといわれています。


アラビア語で許しを意味する「アファン」がapemの名前の由来で、人々が常に許しを請う事を奨励し、徐々に、ラマダンやレバランのお祝いにアペムケーキを「配る」習慣ができ、各地に広まった。

1923年、そこからHoo Ging Hokはアペムの販売を始めますが、「アペムとは違うもっと平らな別の形にしてほしい」と要望を受け、今の形になりました。

アペムより薄い方が人気がでたのでserabiと名前をつけて売るようになった。

1つRp2800(28円)
朝4時半から営業していますが、11時頃行ったら既に注文分でいっぱいで、次に渡せるのは12:30
但し、お店の中で食べるならすぐ出せるということ
それを持ち帰り用に包むことはできないらしい。
裏では職人がこんな感じで同時に70個以上焼いていますが、追い付かないようです
先に注文しに来て、出来上がったらGojekで配達してもらう。か、Gofoodで注文して、出来たら届けてもらうようです。
その場で食べるのは出来立てアツアツ
バナナの葉っぱにのせてるので、こんな感じで巻いて食べると、食べやすいよ。と教えてもらった。
 
Notosumanはもともとこの通りの名前立ったのですが創業者の子孫2人が通りをはさんで別々の店で営業しています。
地元の人は「オレンジボックス」「グリーンボックス」と呼び分けてます

こっちがグリーンボックスの
 Srabi Notosuman Ny.Lidia 
 この道は細いのですが、ここは両側にお客さんの車が停まってるので渋滞ポイント
こちらは5:30からの営業で、オレンジボックス▪Handayani以上の数を焼き続けてますが、
10個単位でも販売なので、1個買ってその場で食べるといことはできない。
なので、店内は待ってる人でいっぱい。
朝6時とか7時じゃなければ1時間ん待つのを覚悟してこないといけない。

オレンジボックスは中部~東ジャワにしか支店がないけど、グリーンボックスはBSDに支店がある!!

 食べ比べたかったけど、これは今度BSDのを試してみよう

 Srabi Notosuman 
(オレンジBox)Ny.Handayani 
(グリーンBox)Ny.Lidia 


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