オランダから返還された美術品の展覧会"REPATRIASI“ | sehari-hari~ジャカルタ生活日記と日本のインドネシアネタ

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2017年4月~インドネシアのジャカルタへ

ジャカルタのいろいろな情報話題を日記として記録→2022年8月に本帰国しましたが、
2023年9月から再度ジャカルタ生活へ

国立美術館で28日から開催の
Pameran REPATRIASI
オランダから返還された美術工芸品の展覧会
(自分が後で読むために、返還カタログから抜粋、ガイドの説明などを要約、調べたことも追加してます)
というわけで長いし、そんな面白い話でもないです。
インドネシア語の成り立ちや独立宣言にも関わりがあるモハマド・ヤミン氏が、1951年にオランダに略奪された美術品の返還への提言がありましたが、西洋の美術、博物館がそれによって動くことはなく、それからも返還への活動が続けられ、
20年後の1972 年、Nagarakertagamaの写本がようやくインドネシアに戻りました。
それから6年後、般若波羅蜜多像とロンボク王国の多くの家宝がオランダから返還されました。

その後インドネシアの文化財返還に関する調査は40年間中断されていました。
(なんでか調べないとわからないけど)

2017年にフランスのマクロン首相が「フランスがアフリカから略奪した美術品は原産国に返還されるべきだ」と発言し、旧植民地諸国は、植民地時代に得た工芸品を返還する大きな流れができました。
現在、国立美術館は改装中で展覧会開催の真ん中のGedung Aのみ見られます。

時間ごとに入館する人数制限があるので、事前に訪問予約をするか、行ってから登録するかどちらかですが、
時間枠10:00〜だと10:15までに入ればよいですが、過ぎると次の11:00〜スタートまで待たないといけません。
Gedung Aの前に作られた受付と待ち合い、荷物預かりがあり、時間になったら注意事項の説明とQRコードスキャンという流れ

荷物は入館証と交換で預けますが、小さい物は透明バッグに入れて持ち歩けます。

スタート時間になるとガイドの人が今回の展覧会について、返還されたいきさつ、オランダから返還された四体の石像についての案内があります。

2017年のマクロンの言動からインドネシアでも返還への動きが活発になり、
2021年2月にインドネシアのナディエム・マカリム教育・文化大臣によって、オランダからインドネシアへのコレクション返還チームが結成されました。

【インドネシアに返還しなければならない8つのコレクション】
•Teuku Umar コーラン
•クルンクン王国のクリス
•シンガサリの彫像
•Luwu王国の家宝
•ロンボク王国の家宝
•ピタ・マハ・バリ美術コレクション
•ディポネゴロ王子の道具
•デュボアに発見された(ジャワ原人)の化石が含まれている ホモ・エレクトスの化石

2022年7月の最初に提出された返還要求です。


2023年7月、インドネシアにロンボク王国の家宝、クルンクン王国のケリス、シンガサリの像4体、ピタ・マハの美術コレクションなどの返還手続きが終了

Singosariの像4体は2023年8月17日に最初にジャカルタに到着
般若波羅蜜多像プラジナパラミタ
やや、やや...
趣味が悪そげな背景の映像ですが....

Candi Menaraとして知られるSingorari寺院には、ガネーシャ像、ドゥルガー像、マハーカーラ像、ナンディーシュワラ像などがありました。
ドゥルガー
 東ジャワ州マランにあるシンゴサリ寺院は、イスラム以前の歴史において最も重要な史跡の一つと言われています。

19世紀初頭にシンゴサリ寺院を初めて訪れた人物と言われているVOCの役人ニコラウス・エンゲルハルトは、 多くの彫像を寺院からスマランの住居に移し、これら 4 つの彫像はエンゲルハルトの邸宅であるDe Vrijheid公園に設置されていました。
それがバタビア政府の農業・芸術・科学部長であるCaspar Georg Carl Reinwardtの目に留まり、1817年10月にスマランからバタビアまで像をまず船で輸送し、その後1819年と1827年ににオランダに送ることになりました。

一方、総督Godert Alexander Gerard Philip van der Capellenは、現在のボゴール植物園であるBuitenzorgにも設置するよう要請しました。

ガネーシャ

1820年7月に最初にバタビアから出したガネーシャなどの像がオランダへ到着。

Mahakala像


1827年7月、ボゴールに設置されていたドゥルガー像と、以前にバタビアにあったマハーカーラ像とナンディシュワラ像がオランダへ到着。 

Nandīśwara
像のスタイルとしてはシヴァ神のように表されますが、腕は2本しかありません。
 Nandīśwaraは、シヴァ神の乗り物である牛のナンディと、シヴァ神の一面であるイシュワラのサンスクリットの合成語です。
 ヒンズー教寺院では、この像は寺院の入り口の右側の祠においてあります。

これらの彫像はライデンの国立美術館、オランダ王立研究所に寄贈されましたが、シンゴサリの像は1904 年に、ライデンの国立民族誌博物館 (現在はフォルケンクンデ博物館) に移管されました。

このSingosari寺院の4体の像の部屋は撮影可能ですが
この先の部屋は撮影不可

で何があるかと言いますと...

【個人的におぉ〜っ🙄となったディポネゴロ王子にまつわる品々】

●1978年に返還されて博物館にも展示されていた(9月の火事で休館中だけど)ディポネゴロ王子の馬の鞍と槍
●2015年に曾孫のErica Baudによって返還された、オランダ東インド総督Jean Chrétien Baud個人で所有し、家族に引き継がれていたディポネゴロ王子のステッキ
●2020年2月末、オランダの博物館研究員が1984年以来の大規模な調査によって発見されたディポネゴロ王子のNaga Silumanと呼ばれるクリス


ディポネゴロ王子はオランダ領地東インド政府に抵抗していた人物です。

1829年11月11日(44歳の誕生日)A・V・マイケルズ少佐率いる軍の待ち伏せ攻撃を受けました。

王子は足を負傷しながらもオランダの攻撃から逃れることができましたが彼の馬の鞍とステッキ、キアイ・ロンダンと呼ばれる槍や荷物箱が残されました。
馬鞍はジャワ戦争中だけでなく、ディポネゴロ王子が日常生活にも使用していたものです。 
これらの品物はオランダ人がジャワ島での勝利の証拠として持ち帰りました。

キアイ•ロンダンの槍は王子を災いから守ると信じられている重要な家宝でした。 
この槍の失うことは、困難と危険が起こる兆候と考えられていた。
実際に、ディポネゴロ王子がこの槍を持たなくなった後、オランダ人に騙されて逮捕されてしまいます。

「Mencuri Raden Saleh」という映画の中にも出てきたりする有名な絵画で、Raden Salehが描いた

【ディポネゴロ王子の逮捕】がこの美術館の常設展にあります。(今は改装でしまってるけど)


東南アジア人が描いた初のヨーロッパ風の歴史絵とされています。

1830年3月28日にオランダが和平交渉すると言う約束で会合を持ったが、王子はオランダに騙されてその場で逮捕されてしまいます。

その場面を描いたものですが、

ちょっと盗作疑惑のゴシップ付き


オランダの画家ニコラス▪ピエネマンが1835年に

ディポネゴロ王子の逮捕という絵をすでに描いています。
盗作疑惑が持たれましたが、Raden Salehは上の絵の解釈に納得いかなかったので、同じタイトルの絵を描いたということです。
ピエネマンの絵が
ディポネゴロ王子が気だるい表情で、右から見た逮捕場面を描いているのにたいして、

Raden Salehは王子が怒った表情で、左側から見た場面をとらえています。

これがGaleri Nationalでは二枚並べて比べて見られます!(常設展では)


 今回の展覧会ではセキュリティも案内の人もいっぱいいるから、この絵も王子の品のコーナーに展示すればよかったのにーと、ディポネゴロ王子コーナーで一人で「おぉぉ~っ」となってました。

今年7月に決まったのは350点以上の美術品の返還で、
9月の博物館の火事のときは火元から離れていたため無事だったと報道されていました。
「返してもらってすぐ火災とか....」と思ってましたが、
ロンボク王国の家宝とクルンクン王国のクリスは、2023年11月9日(つい最近)に到着しました。

ピタ・マハアートコレクションの引き渡しはこの後2023年末に行われる予定です。
大半は火災の後にインドネシアに戻ってきたということになります。

展示の半分はこのロンボクの家宝です。
55分で退出しないといけないですが、ガイドの人がいるので質問もしながら見て回れるし、返還のいきさつとこの展覧会までの動画もあるので、まぁまぁ時間かかります。

本当だったら、博物館で御披露目しただろうに...😓😓

 この展覧会は12月10日までです

入場は無料

長いから最後まで読む人いないか


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