その方がやってきたあと、ラッキーが起きる。
その方と会うと、物事が大きく変化する。
そういう方は本当にいらっしゃいます。
なんだか神様みたいだなと思っています。
神様というと良いことを引き起こしてくれる存在と勘違いされがちですが
向こうは向こうの価値観で動いているので
自分に都合よくいくとは限りません。
ラッキーが起きたのはその方にとって必然であったからだし
大きな変化が起きたのは変わるタイミングだったからです。
けれども不思議とそういう方はどこでも同じことを引き起こしていて
それは宗教にある祝福の概念のようだなと感じます。
福の神、貧乏神は存在であるとともに概念でもあるので
それを持つ方というのは存在し得ます。
参考記事▶︎貧乏神は損得勘定がお好き
そういう方は大体その事実を表に出しません。
ひっそりと生きていたいと思っています。
その事実が知られたら争いや独占が起きるからです。
祝福をおくるという言い方は
日本語的には本当は正しくありません。
祝福するが正解です。
けれどもここに書いたような概念をお持ちの方は
自発的に祝福しているというよりも
「祝福をおくっている」というのが合う気がしています。
気がついたら届かせている「送る」でもありますし
自分が関わった方が幸せであれと思う「贈る」でもあります。
祝福と呪いは背中合わせの存在ですが
そのどちらもできるのがこのタイプの方でもあります。
占い師という存在は
もともとが祝福する人でもあったのだと思います。
占い師の発する言葉が
相手にとって祝福にもなり得るし、呪いにもなり得ます。
私はネガティブを伝えるときも強い言葉を使わないように気をつけていますが
それは占い師という存在が持つ光の部分も闇の部分もよく知っているからです。
特に言葉が強い力を持つと自覚しているタイプの方は
どんな職業の方でも気をつけておられるはずです。
少し話がはずれましたが
このような祝福をおくる方は
意外と身近におられます。
そんな方を見つけたら独占したくなるかもしれませんが
そう考えた途端にその方はなぜか遠ざかり
そしてご自身に不運が忍び寄ってきます。
そんな方に出会うことができたら
その出会いに感謝するといいです。
人間でありながら祝福をおくる人は
ぴったりのタイミングでやってきて
やがて離れていきます。