No self, no pain
9月に入ってから、夜寝る前に10分ほど瞑想するようにしていて、今のところ毎日続いています。毎日30分ほど、ジョギングか水泳をするようにもしていて、体も心も少しずつ整ってきているかなと感じる、今日この頃です。瞑想するようになってから、以前よく読んでいた小池龍之介の本(煩悩リセット稽古帖、しない生活)を再読し、料理しながら、http://iede.cc/に掲載されている彼の説法を聴いています。今日聴いた「ブロンズ像は死にたがる」は、まさに今の私の状態にぴったりのタイムリーな内容でした。詳しくは説法を聴いて頂ければいいのですが、ものすごく要約すると、自分が立てた「私はこういう人間」というセルフイメージ(ブロンズ像)こそが苦しみを生む、ということ。「私って本当にだめな人間だ。。。」というネガティブなセルフイメージが苦しみを生むのは想像しやすいですが、「私って凄い!」「私って優秀!」「私って魅力的!」といったポジティブなセルフイメージも、いずれ苦しみにつながっていきます。あるクライアントと、私が11月に行う研修に関するメールのやりとりをしていて、今日受け取ったクライアントからのメールに、「前回の○○講師のワークショップは、○○講師がアメリカ人になりきって対話のロールプレイをされ、それがとても好評でした。今回はけいこ様がご登壇ということで承りました。お会いできるのを楽しみにしております。」と書いてありました。それを読んで、みぞおちあたりに何だか不快感を感じて、あれ?と思いました。私はこのメールを「○○講師は素晴らしかった。本当は今回も○○講師に登壇してほしかったが、今回はけいこさんなんですね。仕方ないけど、承知しました」と解釈し、それが「こんなに優秀なコンサルタントである私」というセルフイメージを傷つけたので、不快に感じたのです。別のクライアントから、私がリクエストした研修日程の変更を断られ、そのメールを読んだときも、不快感を覚えました。「こんな優秀なコンサルタントである私のリクエストを受け入れてくれないなんてあり得ないっ!」(怒り)「こんな、断られてしまうようなリクエストをしてしまった私のことを、クライアントは非常識なコンサルタントだと思ったかもしれない。。。」(不安)いずれも、「こんなに優秀なコンサルタントである私」というセルフイメージを傷つけるものだったので、不快感を覚えたのです。「私って優秀!」というセルフイメージに執着していなければ、前のメールもただ文字通り解釈して、「アメリカ人になりきったロールプレイが好評だったらしいから、私の研修でもそれをやろう、以上。」「日程変更できなかったら、もとの日程で研修ができるようにスケジュール調整しよう、以上。」で、終わり。不快に感じることもなかったでしょう。ちまたの自己啓発本やブログを読むと、「私ってこんな素晴らしい人間!」というポジティブなセルフイメージを設定すると、実際に自分の言動が変わっていって、そういう人になれる、といったことが書いてあります。これ、たしかにそういう一面もあるけど、苦しみを増やすアプローチだなと感じています。私も、「私は優秀なコンサルタント」だと無理にでも思い込むことによって、優秀なコンサルタントとしての振る舞いをするようになり、結果として、周囲からも優秀なコンサルタントだと見られるようになった、ような気がしますが、もしかしたら単なる気のせいだったのかもしれません。そのときは「優秀なコンサルタント」でいられても、ずっとそうではいられない。何者も何事も、いつまでも変わらないでいられる存在は無いから。「優秀なコンサルタント」というセルフイメージを持っていると、それに反する出来事が起こると、非常に落ち込むことになります。今年の初め、依頼される仕事量が減って、上司から「どうしたんだ?」と注意されるようになったとき、もう私はコンサルタントには向かないから、鍼灸師を目指そうかと思ったのは、まさに、ブロンズ像(=優秀なコンサルタントというセルフイメージ)が死にたがっていた現象でした。「私が、私が」と関心が「私」に向いている限り、その「私」が周りからどう見られるか、その「私」を私自身がどう見ているか、といったことが気になり、それがネガティブになってくると、辛くなる。「私が」というときの「私」は、究極的には存在しない、というのが仏道やNon-Dualityの世界の根本的な考え方ですが、私自身、まだこれを体感できるほど理解できていません。でも、少なくとも、思考のレベルででも、「究極的には「私」は存在しないのだから、心が自動的に作り上げる様々なセルフイメージにはこだわらず、目の前のやるべきことに専念しよう」と考えると、「あのクライアントは私のこと好きじゃないのかな」などという余計な妄想がわかず、平穏な気持ちでいられます。No self, no pain