前回の記事

 

‐小林氏の『経済至上主義』に私はこう考える‐

 

 

・「聖人扱い」する人は 玉川氏の発言を吟味せよ

 

 

『ゴーマニズム宣言SPECIAL コロナ論』 小林よしのり 扶桑社 

第5章|岡田・玉川、恐怖の伝道師 65頁より

 

2020.04.04(土) 玉川徹はネトウヨと同じ心性

 

玉川徹「平然と外出する人がいるが、真面目に自粛した人と同じ医療が受けられるのはおかしい」と言っていて、ゾッとした。この考え方のどこがリベラルなんだろう?

 

イラク人質事件の時、ネトウヨ「国民は真面目に海外渡航を控えているのに、勝手にジャーナリストや民間人が中東に行って、人質になるなんて不謹慎だ。政府は助けなくていい。自己責任だ」と言っていた。

 

「権力の意向を忖度して、真面目に国内に引き籠もの者が正義で、勝手に中東にボランティアに行く奴なんか不良だ。多くの真面目な日本国民と平等な権利を与える必要はない」という自己責任の原理が、今は自称リベラルの側から主張されている。

 

「自粛せずに外出する不良は、コロナに感染しても、我々自粛派と同じ医療を受けさせる必要は本来ない」そう玉川徹は言っているのだ。

 

外出派と自粛派が同じ医療を受けるのは不公平だと玉川徹は言った。玉川は独善性をこじらせて、ネトウヨと全く同じ心性に辿りついてしまった。

 

ネトウヨは、在日「国家のためにならぬ奴ら」と、勝手に判定し、偏見を植えつけ、ヘイトする。

 

玉川徹は、自粛せぬ者「国民のためにならぬ奴ら」勝手に判定し、偏見を植えつける。コロナの性質が判明し、実は自粛する意味など全くないと判断されたとき、玉川はどう責任を取るのだろう?いったい小林よしのりと玉川徹、どっちがリベラルなんだろう?

 

「自粛派と外出派が、平等な医療を受けるのは不公平」と口走る者が、リベラルのはずは100%ない。

 

わしは今日も明日も外出する。不要不急かどうかなんて知ったこっちゃない。わしはこういう時だからこそ同調圧力に屈しない!

 

『同』 「コロナ脳」との闘い 

~小林よしのりブログ『あのな、教えたろか。』が辿った軌跡 219頁より

 

-民衆は「テロル(恐怖)」によって蝕まれる-

 

‐シリーズ・関東大震災と朝鮮人虐殺の全貌 その3(目玉や鼻をえぐり、腸や胎児を引きずり出す)‐

 

関東大震災の頃から、『マスコミの本質』はこれっぽっちも変わっていない。

 

“非常事態”にこそ、彼らは牙をむく。

 

私は歴史を勉強してきた端くれとして、それをウンチクで終わらすのではなく、しっかり『知性』として運用することに全力をかけるつもりです。ゆえにテレビの発言は、常に疑ってかかるし、年老いてそういうことを放棄してしまったら、それはもう『奴隷と同じ』だと思います。

 

夢想の中にある“ユートピア”をごり押して、ショーウィンドウブログを運営するつもりは毛頭ない。巷で溢れかえる「リベラル」や「ネトウヨ」にしても、結局は『どちらも根っこは一緒』であり、コロナ全体主義が今まさに体現され、多くの自殺者経済的破綻者を生んでいる最中、私は『集団を美徳とする文化』によって殺されようとする人々を無視することなど出来ないし、それは自分自身のためでもある。

 

口先だけの偽善者リベラルは、こうした事実について一言でも述べたことがあるだろうか。

 

仮に「コロナ全体主義」を受け入られる人でも(その時点で強権に屈する性質なのだろうが)、何か「別の全体主義」によって、自らの命や家族が死ぬことを強要されたときに、彼らは「喜んで死ぬこと」を実践するのだろうか?

 

そういうことについて、『慣習』『文化』という言葉でお茶を濁すことを、私は「コロナ以前」は容認してきた部分もあるが、これはとんでもない間違いで、いざ自分の生き方(心の自由)が蔑ろにされ、精神的障害日常生活でも支障をきたしたとき、それまでの自分が「大ウソつき野郎」だったことを自覚し、今では深く反省しております。

 

‐パンクロックと自由の話(私たちの心の本質)‐

 

 

『2018.7.9「個人の自由が全て」大西つねきの週刊動画コラムvol.34』

 

大西 つねき

 

https://www.youtube.com/watch?v=FOMeX4y4a3I

 

今回のコロナウイルスによって、私が今まで持ってきた「偽善の皮」をベリベリはがされて、最後に残った本質だけが剥き出しの状態にされました。

 

 

・『服従の先』には さらなる服従と同化しかない

 

在日コリアンの友人から聞く話では、在日社会でも「コロナ対策の同調圧力空気」は満々だという。

 

まあ無理もないだろう。

 

所謂「上位の組織(日本社会)>下位の組織(在日社会)」という『絶対的な建付け』において、常にマスク強要自粛の空気も当たり前だし、それに逆らえば問答無用でパージされるだろうし、それは日本社会に属する『あらゆるコミュニティ』において、自らの組織を守るため“八墓村の論理”で、尼子氏の落武者たち(非自粛/非マスク)を殺めていった歴史を振り返れば、その本質はおのずと見えてくる。

 

 

『【八つ墓村】村人による尼子落人惨殺』

 

https://www.youtube.com/watch?v=M9Yqx0lDcjo

 

いわば毛利が日本社会、各コミュニティが八墓村という構造となる。

 

しかしながら、仮に『大きな組織』に服従したからとて、部品で小作人たる私たちに対する「見返り」など、一ミリもないわけで、うち続く朝鮮学校裁判の司法的敗北は、そうした残酷な現実をまざまざと見せつけてくる。

 

結局のところ、その先にあるのは「確実な衰退」「コミュニティの消滅」しかなく、まったく無情で虚無心をあぶり出す顛末であり、こうした本質を多くの人々は「心の中では自覚」していても、それを口に出すことが出来ない状態にある。

 

 

 

週刊少年マガジン 『ブルーロック』10巻 原作・金城宗幸×漫画・ノ村優介 講談社より

 

友人が送ってくれた画像で、彼の大好きな漫画「大人になれば信じたいものを信じられなくなる」「人から見捨てられないように他者を演じるようになる」「いつのまにか自分の声が消えてなくなる」という本質的なセンテンスがあった━。

 

みんな「かいぶつ」になることを恐れているのだと・・・・。

 

 

<参考資料>

 

・『ゴーマニズム宣言SPECIAL コロナ論』 小林よしのり 扶桑社

 

・Youtube動画 『2018.7.9「個人の自由が全て」大西つねきの週刊動画コラムvol.34』

 

https://www.youtube.com/watch?v=FOMeX4y4a3I

 

・同 『【八つ墓村】村人による尼子落人惨殺』

 

https://www.youtube.com/watch?v=M9Yqx0lDcjo

 

・かっちんブログ「堅忍不抜」 『サプライズゲストはこのお方!不当判決!(広島)★朝鮮学校「高校無償化」裁判控訴審★ 3 集会編』

 

https://ameblo.jp/sanpurena/entry-12632063312.html

 

週刊少年マガジン 『ブルーロック』10巻 原作・金城宗幸×漫画・ノ村優介 講談社

 

 

<ツイッター>

 

【歴史学を学ぶ大切さを伝えるブログ(ふーくん)】

 

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