前回の記事

 

‐コロナ脳=組織脳=全体主義‐

 

 

・日本列島まるごと 「恐怖サティアン」計画

 

 

 

 

『ゴーマニズム宣言SPECIAL コロナ論』 

小林よしのり 扶桑社 184・185~188・189頁より

 

‐なぜ人々は「言うことを聞かされる」のか(背後の金融資本主義)‐

 

冒頭の原稿で、小林氏は「(芸能人がお上の言う事に)どうして従順なんだ?」疑問に思われていたが、所詮は『操られ人形』の能無しタレントロボットに、自分たちの「意思」など持たないのはハナからわかっていたことです。

 

そうしたマスコミの恐怖報道広告塔の洗脳が相まって、私たちの国は戦争や虐殺も繰り返してきたわけですが、とりわけ『お金(生活)』が関わると、人々が抗いがたき「強烈な足かせ」となって、自由のために戦う行動を大きく阻害する要因となる。

 

資本主義の構造上、組織(株主/社長/上司)の言うことは絶対ですから、彼らが封建領主なり卿・大夫・士の階層を構築して、「第二の封建社会」を構築しているのが、現在の世であることを明確に示しました。

 

その中で、雇われている「いち小作人」に過ぎない私たちは、その小作人同士でも「同調圧力」をつくり、互いに監視し、違反者は諸侯に告げ口したり、村八分にするやり方は、日本が「民主主義」を建前としながら、前近代的な非人間的社会を構築していた証左として認識することができます。

 

無論、小林氏はそういう人間たちは「北朝鮮や中国の人民と同じ」とされるが、国家形成のルーツや歴史も違う両国と比較するのは、いささか誤謬がはらむと思う。

 

かつて植民地として国を奪われ、列強の奴隷と化した経験から、強固な集団主義の結束によって『主権を守る』ことは、未だアメリカとの戦争が続いているがゆえ、それが終了次第「(集団主義は)解かれるべき」だと思うが、最終的な決断は、その国民に委ねられる。

 

しかし日本の場合は、曲がりなりにも「自由主義」を標ぼうし、それを口実に朝鮮や中国をディスってきたわけだが、ついぞ最近の党創建75周年軍事パレードのテレビ報道では「マスクを付けていない国は未発達だ」と、ヘイト丸出しの駄弁を披露した自称軍事専門家の物言いから「自分たちの全体主義」を鼓舞する始末である。

 

 

・歴史を学ばぬ民族 地獄まで堕ちる様相

 

 

『同』 2~3頁より

 

‐シリーズ・関東大震災と朝鮮人虐殺の全貌 その3(目玉や鼻をえぐり、腸や胎児を引きずり出す)‐

 

かつて『大正デモクラシー』による「反権力主義」におびえた政府や軍部は、日本(内地)に住む朝鮮人“恐怖のウイルス”に仕立て上げ、強権復活の道具に利用した。

 

あとがき

 

テロルで民衆は強権を望む

 

日本におけるコロナ禍は凄まじいインフォデミックである。海外と日本では新型コロナの威力が圧倒的に違う。単純に死亡者数を比較すれば歴然としているのだが、マスコミは日本の新コロの少なすぎる死亡者数を隠し、「感染者数」を強調して大衆に恐怖を植え付ける。

 

インフォデミックとはインフォメーション(Information=情報)とエピデミック(Epidemic=感染拡大)の合成語である。

 

恐怖の誤情報で大衆がパニックになる様相は、フランス革命におけるテロル(Terror)の狂騒にも似ている。デマやヘイトが大衆を恐怖と不安に陥れ、反革命と診断された膨大な数の人々がギロチンにかけられた。

 

情報が間違っていたり、意図的な虚偽であったり、デマであったりした場合は、大衆は恐怖で集団ヒステリーを起こし、社会・経済を崩壊させる危険性がある。

 

そして権力者は、恐怖で強権発動を望む大衆を操って、パフォーマンスする快感に酔っていく。その政治手法がテロルである。テロルは権力と民衆の共犯関係で肥大していく。ナチス・ドイツの権力と民衆もテロルの共犯関係だったと言える。

 

その結果として、新型コロナの第一波が去った現在の日本では、未だに国民の恐怖の洗脳が解けず、「緊急時代宣言の再発例が必要」と思う世論が84%にも達している。

 

国と都の財源を使いはたして、もはや補償もできない最悪の状態<筆者ふーくんは新規国債の発行で賄える立場>だというのに、国民の8割が移動の自由も、営業の自由も要らない、もっと経済を破壊して構わないから、もう一度ステイホームさせてくれと懇願しているのだから、狂っていると言うしかない。

 

戦後日本の「生命至上主義」は、日本人を心臓だけ動く家畜に育ててしまった<その家畜も屠殺されるとわかると涙を流すゆえ、もはや部品以下の存在だと思う>。

 

香港の若者たちが、中国の強権発動を嫌って、自由のために戦っている姿と比べれば、日本人の無残さが際立つばかりである<ここは小林氏と対局の立場で、あれは全米民主主義基金のヒモ付き内政干渉部隊と考える>。

 

 

「でも、コロナは恐いよね」の洗脳

 

世界の新型コロナ感染者が1000万人に達するというが、日本では毎年1000万人がインフルエンザに感染している。

 

だがそれは医者にかかった患者数であって、わしのようにワクチンも接種せず、高熱を発しても病院に行かず、自宅で自分の免疫力だけで治す者も多い。微熱で活動している者や、無症状の感染者を含めれば2000万、3000万の日本人が感染していてもおかしくない。

 

積極的、集中的なインフルエンザのPCR検査をやれば、潜在的な感染者が膨大に可視化されるはずで、ワクチンも治療薬もあるのに、直接死3000人、間接死1万人の死亡者も毎年出ているのである。

 

新型コロナの死亡者は<2020年>7月3日現在でまだ977人であり、この夏までにようやく1000人に達するだろうか?

 

インフルエンザに比べれば拍子抜けしそうなほど少ない。

 

マスコミは視聴者の恐怖心を減じるこれらの情報を絶対に報じない。

 

視聴率のために真実を隠蔽し、恐怖情報だけを拡散するこの手法こそテロルなのだ。

 

恐怖を脳髄に染み込ませた人々は、もはや安心材料やデータを警戒して、信じようとしない。正確なデータで、いくら科学的に説明しても、返ってくる反応は、「でもコロナは恐いよね」である。

 

テレビで恐いと言っているから恐いのであり、微々たるコロナの感染者数をいちいち「速報」で発表するから恐いのである。

 

志村けんが死んだから恐いのであり<芸能人と市井の差別>、海外のパンデミックと、少数の患者の怪しげな症状をおどろおどろしく克明に報じるから恐いのだ。

 

インフルエンザだって、サイトカインストリームを起こるし、重症肺炎や急性脳症など様々な関連症状を引き起こすから死者が多いのだが、人々の「でもコロナは恐いよね」という妄信は揺るぎそうにもない。

※<>は筆者注

 

『ゴーマニズム宣言SPECIAL コロナ論』 小林よしのり 扶桑社 

35~236頁より

 

本当に大衆というものは、びっくりするほど単純な脳内構造で、「テレビだけ」を信奉し、能動的に調べることを放棄し、彼らが1と言えば1としか解釈できない。そこで見せられているシーンやカットを鵜呑みにし、その裏にある真意を常に思考することができず、文字どおり「bit単位」でしか脳みそを使っていない、他律主義の極みと言えよう。

 

‐各国泥沼コロナ対策(最後に笑うのはだれ?)‐

 

各国の医療体制や社会構造が大きく関連する死亡者数の違いも、総合知でもって俯瞰すれば、次第に事実が見えてくるが、情報スピンのオンパレードのテレビや新聞等主要メディアに翻弄される人間は、やがて彼らに煽られて戦争に突き進んだときも、「お前たちが撒いた種だ。しっかり責任取って戦地に赴いて死んで来い」と言い放つだけである。

 

 

 

 

『同』 230~234頁より

 

 

<参考資料>

 

・『ゴーマニズム宣言SPECIAL コロナ論』 小林よしのり 扶桑社

 

 

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