・生き方を見せてくれた音楽
今回は小休止というカタチで記事を書かせて頂きます。
アナーキー/亜無亜危異1 『ロックスター』(10分48秒)
https://www.youtube.com/watch?v=2Gim1RWAu1E
昔アナーキーというロックバンドがあって、なかなか良い感じのパンクバンドだったんだけど次のような歌詞の曲がある。
「落ちたもんだぜロックスター、今じゃロックも歌謡曲、愛だ恋だとさえずって、今でもジジイの猿真似か」これを最初に聞いたとき、ロックが歌謡曲になることは別に悪いことではないだろ、と思った。そして次のフレーズがこれ。
「日本の未来は真っ暗」
ここで私は笑う。ロックが歌謡曲になったら日本の未来が暗くなってしまう、という認識であるくらいに当時の仲野茂は歌謡曲を馬鹿にし、ロックに賭けていたのだ。その若くてまっすぐな感覚を笑ってしまうくらい私はスレていたし、狂っていた。
私にとってロックとは何か、という問いには単に「中毒」としか答えられない。歌謡曲とロックなどというジャンルの問題ではない。精神を病んでいる人のためのノイズ・サウンド。ロックを聴くという行為は、私の頭の中に鳴っているサウンドを、外から取り戻す作業なのである。音を外化することで辛うじて精神崩壊から逃れる。だからノイジーで爆発的であればなんでも良かった。クリムゾンの「アースバウンド」というカセット音源のライブアルバムをヘッドフォンで聴いているときがいちばん幸せだったことがある。CDではそこそこ良くなっているが、LP盤はオーディオが壊れたと思うくらい音質がグチャグチャ。演奏はうまいけどゴチャゴチャ。A面1曲目のスキッツォイドマンのラストで、音がゴガガガガっと止まる。まさにこれがロックだと思った。
最近だとスレイヤーとがナパームデスとか様式化されたギターノイズを安心して聴く程度に留めているが、時としてもっと破壊的な音を欲する。ヘルメットなんかは硬質で素晴らしい。ダイナソージュニアもJのギターソロにときどき凄いものを感じるが、本人はなにも考えていないだろう。あとはギャング・オブ・フォーとか。歳とともにうるさい音を聴く機会が減ったが、それは頭の中のノイズとうまく折り合いが付いているからだと思う。この音に勝てる音楽は、ロックは、もうどこにも存在しないんだよな。
『ロックを聴くとき』(2008年11月1日)
http://www006.upp.so-net.ne.jp/leekantoku/z0811diary/081101.html
『2019.4.22「自由のために戦え」大西つねきの週刊動画コラムvol.75』
https://www.youtube.com/watch?v=U2bo7sktG1M
元れいわ新選組の大西つねき氏は、ご自身の思想をもとに、かねてからそういう「個々人の心の自由」を大切にして、一人ひとりが組織に束縛されない自立した状態で、自由に物事を考えることが民主主義の基本であると、現在見せかけの制度で行われる「多数決」という、組織によって動員された有象無象の数の取り合いによって、望まない争いや対立を生み出し、ますます世の中を生きづらくさせていることに、個々人が「反逆者」になって、現場に切り込んでいかなくては、ますます同調圧力や空気の押し付けによって、やがては『破滅』に追いやられていくような気がします。
<参考資料>
・『ロックを聴くとき』(2008年11月1日)記事
http://www006.upp.so-net.ne.jp/leekantoku/z0811diary/081101.html
・Youtube動画 『アナーキー/亜無亜危異1』
https://www.youtube.com/watch?v=2Gim1RWAu1E
・同 『2019.4.22「自由のために戦え」大西つねきの週刊動画コラムvol.75』
https://www.youtube.com/watch?v=U2bo7sktG1M
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