ある日の出来事
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今日は月に一回の健診。
お腹の赤ちゃんの成長を確認するための大事な大事な検査だ。
いつもはバスで病院へ行くのだが、今日は車で行く。
大好きな旦那様がお休みで、一緒についてきてくれるからだ。

「もう、出発していいかい?」
「うん。お願いします」

後部座席に乗り込んで、私は頷いた。
ゆっくりと車は走り始める。
斜め後ろから、旦那様を眺める。この角度から見るのはなかなかないから、
新鮮でちょっとくすぐったい。
私の視線を感じたのか、ルームミラーでチラッと私を確認する。

「そんなに見つめられると困るなぁ」
「ふふっ…私の特権だもん」
「…何だか、損した気分になるよ。僕も見つめたいのに」
「え?…もう、彩人さんたら」

照れて真っ赤になる私を確認したのか、肩を揺らしてクスクスと笑っている。
未だにそういうことで照れてしまうのは、まだまだ未熟者なのかなぁと思い知る。
彩人さんと知り合ってから、もうすぐ五年が経つ。
でもいつまで経っても、彩人さんに慣れることはない。寧ろ、日々ドキドキしている。

「…気分でも悪くなった?」
「ううん!大丈夫!」
「それならいいけどね。…もうすぐ着くよ」
「はーい」

車が病院の駐車場に入る。
助手席のヘッドレストに手を置いて、後方を確認する彩人さんに、見惚れてしまう。
初めて見た訳ではないが、こういう仕草はやっぱりかっこいい。
少し力が入って骨張った手に、真剣な眼差し。

「……降りないの?」
「え?あ、ああ!降ります!」

すでに駐車し終わった彩人さんが、にっこりと笑顔で私を見ていた。
見惚れていたのを気付かれて、私は恥ずかしく思いながら、車を降りる。

「じゃあ行こうか」
「うん」

差し出された手を繋いで、入口に向かう。
私が通っている病院は総合病院で、いろいろな年代の患者さんが利用している。
でも、私達が通る度に必ずと言っていい程、視線を投げかけられるのが嫌でも分かって、私はチラッと彩人さんを見た。
絶対に皆、彩人さんを見てる。
あ、あそこの親子はあからさまにこっち見て話してるし。
やっぱり注目を浴びるなぁと小さく溜息をついた。

「ん?」
「…あ、先にどこかに座ってて。私、トイレに行かないといけないから」
「うん」

いつも来た時に検査のために必要なことがあるために、私は産婦人科専用のトイレに入る。
用を済ませて、待合のソファーに戻ると、嫌に目立ってる彩人さんが真っ先に目に入る。
多分育児グッズの通販雑誌だろう、それを真剣な瞳で見ている彼は、絵になってしまう。
そんな彼に視線をやっているのは、健診を受けにきた妊婦さんはもちろん、その付き添いの母親も、受付の事務の人も、看護師さんも、助産師さんも、そのフロアにいる女の人全てと言っても過言ではない。
そして、一頻り見つけて堪能した後は、皆の視線が其処彼処に彷徨い始める。
…彼のパートナーは誰だろう。
そんな好奇心を、視線に絡ませて。

「…彩人さん!」

少しだけ大きめな声で、名前を呼ぶ。
彼が顔を上げて、こちらを向いた。
それだけで、空気がどよめく。

「ほら、早く座って」
「うん」

彩人さんの隣に腰掛ける。
羨望の視線が突き刺さる。
すごく優越感に浸れる反面、疲労感は付き纏う。
目立つ彼だもの。
付き合った当初から覚悟してたけど、結婚して、こうして幸せがたくさんあるのに、少しの不安を感じる。

「……!」

見透かすような彩人さんの瞳と共に、キュッと握られる手。
暖かい体温に、ホッと安心する。
寄り添ってくれる優しさに、私はすっと身体の力を抜いて、寄りかかった。

……これが、プレグナンシー・ブルーってやつかもしれない。





***





「順調に育ってますね」
「…はい」

エコーでお腹の赤ちゃんの様子を見ながら、経過を報告される。
順調という言葉が、こんなにも嬉しい言葉なんて思わなかった。

「今日はご主人も来てるみたいですね」
「え?どうしてご存知なんですか?」
「いやぁ…看護師達が色めき立ってるからね…じゃあ、一緒に見てもらおうか」

先生はそう言って、彩人さんを呼んできてもらうように、看護師さんに指示を出す。
しばらくして、彩人さんがやってきた。先生を見て、少し眉を寄せた後、何事もないように笑顔で、挨拶する。

「こちらから見てもらえますか?」

先生が彩人さんを誘導して、私の枕元に立たせる。
エコーの器具を使って、赤ちゃんの様子や今の状態を丁寧に説明してくれる。
そっと彩人さんを見遣ると、真剣な表情の中に、時折笑みが見えて、慈しんでくれてることが分かって、泣きそうになった。
妊娠すると、ちょっとのことで感情が溢れて堪らない。

「あー…と…性別は……確実とは言えませんが……90%女の子ですね」
「ほんとですか?」
「確実とは言えませんよ」

彩人さんを見ると、ほらね、と勝ち誇った顔。
それに、私は苦笑する。
エコーが終わり、エコー写真を貰って、診察室を出る。

「女の子だったね」
「まだ分からないよ?」
「おや、僕の勘はよく当たるんだよ?」
「え?」
「そうだねぇ…君があの子達より僕を選ぶこととか……」
「彩人さん」
「それにしても……先生が男性だなんてね」
「……」

久しぶりに嫌な予感がする。
彩人さんの形のいい唇が、私の耳元に近付き、フッと息を吹きかける。
ピクッと反応してしまう身体を引き寄せられて、囁かれる。

「……おしおきだね」

……笑顔が張り付いた気がした。
でも、愛しい彼のお仕置きは拒めなくて、胸の中で、お手柔らかにと願った私は、少し…いや、随分と浮かれていたと思う。



そんな、ある日のこと――






fin.






*


***





須賀くんへの気持ちに気付いても、私は特に何もしなかった。
想いを打ち明けるなんて、今更な感じがして、それに、相変わらず私が一番須賀くんに近かったから、安心していた。
須賀くんが時々目で△△さんを追ってはいたけど、それだけだったし、△△さんと話してるのを見たのも、あれっきりだったから。

「ちょっと、大ニュース!!」

この言葉で、私は自分の甘さに反吐が出た。

「須賀くんが△△さんに告白して、付き合ってるんだって!」
「う…そ…」
「嘘じゃないって!んで、もう凄いのよ、他にも…」
「…ごめん、トイレ行ってくる」

友達の言葉を遮って、私は席を立つ。
廊下に出ると、向こうの方から噂の須賀くんと△△さんが歩いてきてて、私は目を逸らした。
私の中に何も感情がなければ、二人の姿を見ても何も思わなかったかもしれない。寧ろ、付き合ってる雰囲気はほとんどない気がした。
けど、須賀くんの表情がいつもと微妙に違って…いつも近くで見ていたから分かる、小さな変化。
私は唇を噛んで、二人に背を向けた。

…どう足掻いても、二人の間に入る隙はなかった。





***





私がいた位置には、△△さんが代わりにいた。正確には、私よりも彼に近い位置だ。
何度想いを断ち切ろうとしても、彼を見ると、燻ってしまう。
気付いたら、もう、一年もずっと片想いしていた。
相変わらず、須賀くんと△△さんの距離はもどかしい感じで、それでも、少しずつ近付いてる距離に、私の心は小さく悲鳴を上げていた。

…もう、踏ん切りをつけないといけない。

私が入る隙はなかったけど、持て余す想いを発散させないといけないところまできていた。

そして、ちょうど2月。
バレンタインデーの季節。
私はこの日に、自分の想いを託すことにした。
一生懸命作ったトリュフに想いを詰めて、丁寧にラッピングした。
きっと、須賀くんにはチョコが殺到するから、紛れてしまったら意味がないと思って、比較的落ち着いて渡せそうな放課後を時間に選んだ。
放課後、もし捕まらなかったら、それはそれで諦めようと、そう思った。

「おはよう」
「おはよー!凄いよね、須賀くんと桜庭くん」
「ほんとだね。人気者だね」

何気ない会話を友達と交わし、須賀くんをそっと見た。
困った顔をして、それでもチョコを受け取ってるのは、彼の優しさなのだろうか。
そうこうしている内に、△△さんが登校してきて、桜庭くんが△△さんに、可哀想とか何とか呟いてるのを耳が拾った。
△△さんは、ちょっと困った顔をしつつも、須賀くんの気持ちを知ってるから、とにっこり笑った。

「……はぁ」

知らず知らず息が漏れる。
△△さんの言葉に照れる須賀くんは、もう私の知らない人だ。
私は膝の上に置いた手を握り締めた。
泣き出したくなる気持ちを、静かに押し殺した。





***





放課後。
予想した通り、須賀くんはチャイムが鳴ると同時に、姿を消した。
あれだけチョコ攻撃をされたら、逃げたくなるのも分かる。
私はゆっくりと席を立ち、鞄をそっと握り締めた。
彼が行くところなんて、察しはついている。

「失礼します」

ノックを二回して、生徒会室の扉を開ける。
△△さんを待っていたのだろう、落胆する表情が一瞬現れて、私の胸を抉った。

「藤沢、どうした?」
「うん。…何か、こうやって話すの久しぶりだなと思って」
「……何か用か?」

わざとはぐらかすように答えると、単刀直入に用件を問うてくる。
そんな彼に、小さく笑うと、私は鞄の中からラッピングした箱を取り出した。

「バレンタインデーのチョコ、あげる」
「……ああ」

須賀くんが私に近付いてくる。
私が描いたシナリオ通り。
須賀くんの手が、箱に触れた瞬間を狙って、私は彼のネクタイを強引に握り、引き寄せるように引っ張る。
傾く身体に、そっと自身を滑り込ませ、彼の薄い唇に自分の想いを重ねる。

時間が止まればいいのに、と思った。

物音が何もしなくて、ただただ無音で、一瞬だけでも須賀くんの瞳に、私が映っていることに、満足した。

扉の向こうで、小さな音がした。
はっきりとは見えなかったけど、翻るスカートを目の端に捉えて、△△さんが来てたんだなと思った。
慌てた声が聞こえ、サッと青ざめた須賀くんが扉を勢いよく開けたけど、すでに△△さんの姿は見えなかった。

「…私、謝らないから。それだけは言っておくね」
「藤沢…」

トリュフの入ったチョコを机の上に置いて、須賀くんの横を通り抜けた。

私を見ていた彼の瞳を、私は一生忘れないと思う。



苦いだけの想いは、儚く溶けて、無に返る――永遠に。






fin.






*


最後のチャンスとして

たくさんの想いを

小さな箱に詰めて

片想い×片想いの答えは

随分前から分かっていたのかもしれない。





◇◇◇◇◇◇◇

片想い×片想い

◇◇◇◇◇◇◇







好きだと気付いたのは、彼が必死で目で追う女の子がいたことに気付いた時だったと思う。


彼と仲良くなったのは、たまたま彼が読んでた本が私も好きな作家ので、私が声をかけた。
彼は取っ付きにくい性格で、クラスの中でも少し浮いているような、そんな人だった。
どこか、線を引いて人と接しているような。
クラスメイトと話すことはあっても、彼は教室の中で大体一人でいた。

須賀くんて、顔はいいけど、クール過ぎて近寄れないよね、というのが、彼の評価。
現に彼と話してる女の子はほとんどいなかった。

「ねぇ…その作家好きなの?」
「………は?」

私達が最初に会話した内容はこれだったと思う。
何とも素っ気ない。
でも少しずつ少しずつ話していく内に、これは彼にとっては普通なんだと気付いた。

「玲、最近、須賀くんと仲いいよね」
「仲いいというか、少し話すだけだよ」

そう、話すだけ。
それ以上もそれ以下もない。
何故かそう思うと、ズキンと胸が痛んだ。

「でもいいよねー。玲だけだよ、須賀くんと対等に話せるのって」
「…そうかな」

満更でもなかった。
須賀くんはかっこいいのに、女の子とは全くといっていい程、距離を置いてるし、彼のテリトリーに入ってるのかなと思うと、優越感を味わえる。

「藤沢」

そんな話をしている時、須賀くんに話しかけられた。彼から話しかけられることは滅多になかったから、少しだけ嬉しい気持ちになる。
それはただ単に、なかなか懐かない動物が懐いてくれたような、そんな感じの気持ちだった。

「何?」
「ああ。ちょっと頼みたいことがあって」
「私ができることだったら…」

ちょっとごめん、と友達に断って、教室の隅に移動する。
私の背は女の割に高くて、立つと須賀くんと大して目線は変わらない。

「担任に用事を頼まれたんだが、一人では無理そうな量で、協力してほしいんだ」
「あぁ、そういうこと。わかった、いいよ」

すぐに了解すると、安心してホッと息を吐く須賀くんが可愛く感じて、少し笑ってしまう。

「…何だ」
「何にも!」

訝しげに眉間に皺を寄せるのも、クールな彼の新たな一面を見た気がして、胸が暖かくなった。
この距離感がよかった。
付かず離れずな。
このまま、何事もなく、私は須賀くんの近くにいるんだって、そう思ってた。





***





放課後、須賀くんが頼まれた仕事を手伝う。
五枚のプリントを一つにして、ホッチキスで留めるという、単純な作業。
誰でも出来ることなのに、私に頼んでくれて、私は須賀くんの信用の置ける相手に入ってると思った。

「ごめん、ちょっと…」
「ああ」

トイレに行きたくなり、席を外す。
乱れのない一定のリズムでホッチキスが鳴る。
そんなところまできっちりしなくても、と思わず笑ってしまった。
急いでトイレに行って、教室に戻ると、出て行った時には聞こえていたホッチキスの音が聞こえなかった。
代わりに楽しそうな女の子の笑い声が混じった声が聞こえた。
私は何故か教室に入りづらくて、そっと扉を開ける。

「…ずれてる」
「え?…ちょっとだよ。須賀くん、厳しすぎ」
「いや、△△が雑なんだ」
「ひどっ…」

須賀くんと向かい合わせに座って、一生懸命ホッチキスでプリントを纏めてるのは、確か同じクラスの△△◯◯さん。
大人しくて、あまり目立たない感じの子だ。
教室でも、須賀くんと話してる所を見たことなかったのに、今目の前で彼と話している。

「――っ!」

息を飲んだ。
呼吸がうまく出来ないくらい、衝撃を受けた。
正に、"恋をしている"表情だった。
須賀くんが、△△さんを見つめる顔は、今まで見たことのない須賀くんだった。
ドクドクと心臓が鈍い音を立てていて、嫌な感情に蝕まれているのに気付いた。

これは嫉妬だ。

「そっか…私、好きなんだ」

呟いた言葉がストンと落ちた。
怖いくらい納得できた。
グッと拳を握ると、私は音を立てて、教室の扉を開けた。

「△△さん、手伝ってくれてたんだ」
「あ、うん。勝手にお邪魔してごめんね。じゃあ、私帰るから」
「ああ…」

須賀くんの視線は、△△さんに固定されたまま。
まるで、私なんていないみたい。
私が邪魔したみたい、なんて言葉が飛び出しそうになって、奥歯を噛み締めて、我慢した。

「もう終わりそうだね」

△△さんが座っていた椅子に腰掛けて、プリントを取って、ホッチキスで留める。
ジッと視線を感じて、私は須賀くんの顔を見る。

「何?」
「いや。藤沢はきっちりしてるな」

また、胸が軋んだ。
褒め言葉のはずなのに、嬉しくない。
…須賀くん、比べるなんて、酷すぎる。


△△さんより、優ってるって言われたのに、私は敗北感を味わった。






*


***






ゴロリとベッドで寝返りを打つ。
ぼんやりすればするほど、さっきのシーンが浮かんできて、私は追い払うかのように、頭を振った。
ショックが大きくて、夕飯も食べられないくらいに凹んでいた。

「…はぁ」

今朝までは、須賀くんの気持ちが分かってるから、と決して動揺はしなかったのに。
もう一度溜息をついて、気分を変えようと、お風呂に入ることにした。
着替えを持って、部屋を出ようとすると、ママが階下からお客さんよ、と叫んでいる。
とりあえず、ベッドに着替えを置いて、玄関へ向かった。

「……須賀くん…」

逃げた手前、顔を合わせ辛くて、俯いた。
少し息を切らした彼は、急いできてくれたみたいだ。

「ママ、ちょっと出かけてくる」
「はいはい」

気を付けてね、と笑うママに、須賀くんは申し訳なさそうに頭を下げた。
家を出ると、須賀くんの背中を追うように、後ろをついて歩く。
微妙な空気が、居心地悪さを感じさせる。
しばらく歩くと、左手に公園が見えてきて、私達は無言のまま、公園のベンチに腰掛けた。

「………」
「………」

何か言わなきゃと思うほど、話題が見つからない。
何度、口を開けては閉じを繰り返しただろうか、須賀くんがゆっくりと話し出した。

「……ごめん。嫌な思いをさせた」
「………」
「不意のことで、油断してた。本当にごめん」
「………」

小さく息を吐く。
こうやって謝りにきてくれたのが、やっぱり嬉しかった。
私は須賀くんの方を見る。

「……もう、他の人とキスしないでね?」
「……ああ。初めからするつもりはなかった」
「うん……。じゃあもういいよ」

見つめあって、どことなくいい雰囲気で、私は目を閉じた。
でも、ふと大事なことを思い出して、あっ、と声をあげ、目を見開いた。

「ごめん、須賀くん!私、バレンタイン、咲坂くんに渡しちゃった!」
「……ああ」

突然目の前で手を合わせた私に、驚いている須賀くん。

「ほんとにごめん!今何も持ってないから、後ででもいい?」

あの時、感情のままに行動するんじゃなかった。
せっかく作ったのに、他の人にあげるだなんて。
項垂れていると、ポンポンと慰めるように、頭を撫でられた。

「これ」

須賀くんが差し出してきたのは、見覚えのある紙袋。
見覚えあるはずだ。私が須賀くんのために用意した、バレンタインのチョコだ。

「…どうして?」
「咲坂が…渡してくれたんだ」
「咲坂くんが?」

まさか須賀くんに渡るとは思っていなかったのに、そうしてくれた咲坂くんの優しさに、私は嬉しくなった。

「開けていいか?」
「もちろん」

須賀くんが紙袋の中から、小分けされたフォンダンショコラを取り出した。

「チョコレートケーキか?」
「うん。フォンダンショコラって言うの」

包みを開けて、須賀くんが一口頬ばる。
反応が気になって、ドキドキする。
味は昨日確かめてるけど、須賀くんの口に合うかどうか、それは不安だ。

「……うまい」
「ほんとっ」
「お前、ちゃんとこういうの作れるんだな」
「どういう意味!?」

食ってかかると、須賀くんが不意に優しい笑顔を浮かべて、私の髪を撫でた。
その笑顔に見惚れてしまって、目を逸らせずにジッと見つめる。

「…そんなにジッと見るな…」
「え?あ、ごめんなさい」
「…ったく」

頬を赤らめて、悪態をつく彼は、普段の彼とは違って、新たな一面を見れたことに、ドキドキする。

「そろそろ、帰るか」

須賀くんが私の手を握って、ベンチから立ち上がる。
私も立ち上がると、逆に須賀くんの手を引っ張って、その場に留める。

「須賀くん、キスしようよ」

勇気を出して、提案する。
バレンタインだもん、少しくらい大胆でも許されるよね。
でも、須賀くんは少し戸惑ったまま、固まってる。

「…いや、かな?」
「…っ、嫌じゃないが……お前は大丈夫か?」

もしかしたら、放課後のキスのことを気にしているのだろうか。
私はにっこり笑って、須賀くんに顔を近付けた。
唇が触れる手前で、呟く。

「気にしてるから、するの」

そして、無防備な唇を奪う。
他人に取られたから、取り返したというようなもんだ。

「……っ、…お前には叶わないな」
「ふふふ」

余裕があるように見せて、実は心臓がバクバクしてることなんて、一生教えてあげない。

「…なぁ、来年は真っ先にチョコくれ」
「え、何で?」
「真っ先に貰って、教室で食べてたら、誰も近づかないだろ」
「…それはどうかな」

名案とばかりに言い切った須賀くんを否定してみる。


だって、恋する女の子は、最強なんだよ?
後先考えずに行動できるんだから。


「あ、じゃあ来年は、私がずっと側にいるよ」
「え?」
「彼女がいたら、さすがに渡しにくいと思うし」

私の案に苦笑して、須賀くんが指と指を絡めてくる。

「それよりも、チョコ貰える数減っちゃうよ?」
「いい」

近付いた距離分、耳元で囁きが落とされる。

「お前のが貰えるなら、それでいい」

…本当はね、義理でもたくさんチョコを貰ってる須賀くんが、心配だったんだよ。

胸の中だけに呟きは閉まって、私は須賀くんの言葉だけで幸せになる。


甘い、甘い想いは、永久的に不滅――








fin.







*


◇◇◇◇◇◇◇

バレンタインに愛を込めて

◇◇◇◇◇◇◇






いつもは立たないキッチンも、この日は別。
たくさんの有り余る想いを、たった一つのチョコに込めて。
奮闘して作るスイーツは、きっと美味しいはず。

「よし!できた!」

目の前には、直径8cmのフォンダンショコラが並んでいる。
見た目は合格。
一つを手に取り、一口齧る。
とろっとチョコレートが口に広がる。

「美味しい!」

初めて作ったにしては、上出来な味だ。
粗熱を取るために、ケーキクーラーに並べる。
ラッピングの袋を用意すると、私はメッセージカードに言葉を綴っていく。

「……よし。これであとは、ラッピングだけ!」

付き合って、初めてのバレンタイン。
お互いの気持ちはもう知ってるけど、改めて気持ちを伝えるのはいいことだと思う。

「喜んでくれるかなぁ…須賀くん」

彼のことを想い、私は小さく微笑んだ。





***





綺麗にラッピング出来たし、準備は万端!!
いつ渡そうかなぁと考えながら、登校すると、教室の入口に人集りが。

「…?」

近寄ってみると、皆甘い匂いをさせて、手には紙袋。
バレンタインのチョコをかぁ。
誰にだろうと思いながら、人をぬって、教室に入ると、皆のお目当てが分かった。
桜庭くんと須賀くん。
一言ずつ何か言って、女の子達はチョコを押し付けるかのように置いていく。

「おはよう、◯◯」
「おはよ。二人ともすごいね…」

須賀くんに挨拶して、机の上のチョコを見る。
既製品と手作り、半々くらいが乗っていた。
二人は少々げんなりと言った表情で、私を見て、私は苦笑した。
予鈴が鳴って、一旦はチョコの行列は途絶える。
でも、この分だと放課後まで続きそうな勢い。

「ほんと、迷惑だよね」
「桜庭」
「何?怖い顔しちゃってさ。嬉しいわけ?こんなもの貰って」
「桜庭」
「あー、はいはい。ほんと、須賀はデリカシーがないよね。あんたも可哀想」
「え?」

急に私に振られて、間抜けな受け答えをしてしまう。
桜庭くんは呆れた顔をして、大きく溜息をついた。

「普通、彼氏がこんなにチョコ貰ってたら妬かない?」
「え、えーと…」

そんな気持ちは一切抱かなかったから、返答に困ってしまう。
嫌なものなんだろうけど、何かあの行列を見ると、この机の上にあるのは義理っぽいかなと思うのだ。
私なら、あんな大勢の前で、本命を渡したりしない。

「私は、須賀くんの気持ち知ってるから」
「……へぇ」

知ってるから、大丈夫。
そう伝えると、桜庭くんは須賀くんの方を見やり、ゴチソウサマと何故か片言で、無言で机の上のチョコを大きめの紙袋に入れると、そのまま机に突っ伏した。

「…どうしたんだろ?…ねぇ、須賀…須賀くん?」

須賀くんを見ると、片手で顔を覆い、明後日の方向を向いている。
少し見えた頬は赤かった。

「どうしたの?」
「…何でもない」

更に追及しようとしたけど、先生が来てしまって叶わない。
疑問に思いながらも、私は渋々席に着いたのだった。





***





それから、案の定、須賀くんは授業の合間の休憩時間やお昼休みも、女の子達に囲まれていた。
…まぁ、正直面白くはないけど、チョコをあげる女の子の気持ちは、少しは分かるし、そのことをとやかくは言えなかった。

そして、放課後。
帰ろう、と須賀くんに声を掛けようと、席を見ると、すでにいなかった。
どこに行ったのか、首を傾げていると、咲坂くんが声を掛けてくる。

「◯◯、須賀知らねぇか?」
「私も知らないの。今から探しに行くところ……あ!」

携帯がメールを受信する。
それは須賀くんからで、チョコから逃れるために、生徒会室に避難している、といった内容だった。

「生徒会室にいるって」

咲坂くんと、生徒会室に向かう。
扉の前で、ノックをしようとした時、ガタガタッと机か椅子か、何かが慌ただしく動く音がして、私と咲坂くんはそっと中を覗きみた。

「……う、そ……」

掠れた声が出る。
サーッと血の気が引いて、私は踵を返して、バタバタと廊下を走った。後ろから、咲坂くんの声と、扉が開く音がした。

――見たくなかったよ。
須賀くんが誰かとキスしてる、ところなんて。

はぁ…と荒い息をそのままに、走ってやってきた屋上のフェンスにもたれかかる。
さっき見たシーンが脳裏に浮かぶ。
須賀くんのネクタイを掴んで、唇を寄せる女の子。
須賀くんは被害者なのだろうけど。

「……何か、悔しい…」
「……オマエ、こういう時だけ素早いのな」

顔を上げると、咲坂くんの困った顔があった。
私はふいっと顔を逸らして、手元の鞄から紙袋を出す。

「……あげる」
「お、おい!」

戸惑う咲坂くんに袋を押し付けて、私は足早に屋上を出る。
立ち止まったら、泣いてしまいそうで、私は全速力で走った。

最悪のバレンタイン、だった。