昨年の5月6月7月の3ヶ月は歌舞伎座に於いて『十三代目市川團十郎白猿』の
襲名披露公演の予定でした。


残念ですね、もう1年も経つのに未だにこの襲名公演の予定が立たないのは・・・。


実は襲名披露が延期になっているのは海老蔵さんだけではありません
七代目中村歌右衛門襲名も、直前になって福助さんが病に倒れられ、
今日にいたるまで予定が未定になっております。

 

福助さんは、お若い頃に猿之助一座に居られましたので、
私も若い頃にはたくさんの舞台をご一緒させて頂きました。

近年は、児太郎さんとの舞台が多くなりましたが、舞台で声を聴いておりましたら
本当に福助さんが そこにおられるかのような気持ちになるくらいに
お顔以上に声が似ておられますね(笑)


福助さんが先年舞台に復帰されました時には 私も幕見席に並びまして、
見させて頂きました。
その後、楽屋にも伺い、久しぶりにお会いできたのも 嬉しい事でした。

明日から、児太郎さんとの配信の舞台があるそうです。
私は直接関わっておりませんので、ネットニュースの情報くらいしかありませんが
是非、検索してみてください。

いつの日か、福助さんとも一緒の舞台に立ちたいものです。

 

本来なら現在 活躍しておられるであろう市川團十郎、中村歌右衛門、
歌舞伎界の大きな名跡が未だに空いております。
(以下 敬称は略させて頂きます。)


襲名だけでななく、本来なら現在活躍されている筈の大きな名前の
中村勘三郎 坂東三津五郎 澤村宗十郎(敬称略)の方々も
居られないのは寂しいです。


勘三郎さんには本当に 父嵐冠十郎共々可愛がっていただきました。
たくさんの舞台に 呼んで頂きました。
浅草での、大坂城西の丸での平成中村座に参加させて頂けました事は
今でも貴重な体験だったと思います。

 

勿論、ご子息の勘九郎さん、七之助さんは度々ご一緒してますし、
本当に私に対しまして、気軽に声をかけて下さいます。

いつ以来ご一緒していないかなあと思いましたら、七之助さんとは
2019年の8月
勘九郎さんは・・・いったいいつ??と云うくらい前かも知れません。

もしかして2018年2月の博多座?

ブログに出て頂いたのは、この時が一番新しいでしょうか?

この1年のワープは大きいですね。

 

とにかく、お2人とも、ブログにもたびたび登場して下さり、本当に感謝しております(笑)

 


三津五郎さんは、父が亡くなった時、三津五郎さんの『京鹿子娘道成寺』の
所化に出させて頂いてました。
その時には まさか7年経たずに・・・。

お嬢さんの出ておられたある劇場で、たまたま客席でご一緒したのが最後でした。

 

みっくんは・・・みっくんです(笑)
三津五郎さんとは また違った味を持つみっくん。
みっくんにも会っていませんね。


宗十郎さんは、本当に大好きな役者さんでした。
ふわっとした江戸の雰囲気を一瞬で出されたかと思いますと、
時には伝説の怪演(笑)

 

俳優祭のフェルゼンも、『武悪』の「ぶあくぅぅ」(見た人にしかわからないネタですみません)も
宗十郎さんにしか出せない味と云うのが いくつもありました。

その味と云うのが、すべて違った味だったのも凄いですね。
『身替座禅』私は未だに 宗十郎さんの奥方が一番好きです。
怖いだけではない、可愛らしさを備えた 愛らしい奥方でした。


この他にも尾上梅幸 市村羽左衛門 中村富十郎 等々
たくさんのお名前が空席のままです。


たくさんの方が、思い出と一緒に 一度お名前を持って逝かれてしまいます。
ですが、またお名前を継がれた方が、もう一度そのお名前を育て、
自分のものにされて行くのも 歌舞伎の襲名と云うものです。


今 これらの名跡を継がれるであろう若手の方が 台頭されているのは
嬉しい限りですね。


現在、襲名披露公演は厳しい状況ですが、これらの名跡は
必ず復活すると思えば若手の方々も希望が持てます。


襲名公演は役者の格をひと回りもふた回りも大きくします。


次にどの名跡が一番先に復活するか? それを見るまでは
私も頑張って行きたいですね(笑)

その前に・・・まず私が舞台に立ちたい・・・(笑)