反対です
ブログネタ:皆さんは、死刑制度、賛成ですか?反対ですか? 参加中私は反対派!
いきなり、やけに重たいお題ですね・・・
でも、これを機会にちょっとでも、こう言う普段の日常会話には出てこない(死刑制度の是非について毎日語り合ってるサラリーマンや主婦がいたらちょっと怖いかも・・・)重い話題について考えてみるのもいい事でしょう。
重い話題なので、オレの今日の記事も、かなりまじめで重いです。
( ・・)ゞウーン、ホント?
で、オレの意見は・・・・
ハイ、タイトルにも書きましたが『反対』です。
勿論、合理的思考の持ち主であるオレは(←えっ!?そうだったのか?)いくつかの理由を踏まえた上での意見です。
理由:
その1) まずは冤罪の問題です。
これは死刑制度反対派の人の代表的な理由の一つでもありますが、科学捜査の進歩等によってかなり冤罪は減ってきているとは思いますし、事件によっては殆ど冤罪の可能性ゼロと言う事もあるとは思いますが、人間がやる事である以上、完全にゼロにする事は無理でしょう。
だったら、『完全に冤罪の可能性がない事件だけに死刑制度を適用すればいい。』と、言う意見もあるようですが、それをすると、同じ内容の罪でも、『ほ~んの少しうまいことをやった』犯人(つまり、限りなく怪しいけど全くの完全だとは言い切れない犯人・・・)は死刑を免れると言う、不公平が生じてしまいます。
その2) よく死刑制度賛成派の人の意見を聞くと(読むと)、『そのような悪人を生かせておくために多額の税金をつぎ込むのはおかしい。』と、言う意見が出てきますが、前に『死刑をする方がお金がかかる』と言う話をどこかで読んだ記憶があったので、ちょっと自分でも調べてみました。
すると、(少なくともアメリカでは)死刑制度の存続に伴う金額の方が、なくしてしまうより高くつくと言う説がかなりあるようです。
これは、どういう事かと言うと・・・
2-1)死刑判決が下った被告は、何回も上告したり、裁判そのものにも時間がかかることが多い為に、その裁判費用がバカにならないと言う事だそうです。
2-2)死刑囚は色々とメンタル面や何かで手がかかり、投獄される刑務所も普通(死刑囚用ではない)の刑務所より収監費用がかかるのだとかも言われているようです。すると、刑が確定しても実際に死刑が執行されるまでもかなり時間がかかる事が多いので、その間の収獄費用もかなりかかる事になります。
その3) 死刑の犯罪抑止力も、あるかないかはっきりしていない。
死刑制度の犯罪抑止力を認める研究論文も出ているようですが、同時にその論文で使われた統計方法に対する問題点も数多く指摘されています。
また、死刑制度廃止国のフランスでは、国民の多数の反対を押し切ってミッテラン大統領が死刑制度を反対したわけですが、制度のあった頃と比べて凶悪犯罪は増えていないと統計上の結果もでています。
その4) これは完全に個人的な考え方からです。
人間が人間を裁いて、その結果によっては、命を奪ってもかまわないと言う考え方にどうしても同意できません。
オレ自身は特定の宗教に肩入れしているつもりはないのですが、基本的に命を奪っていいのは神だけだと思っています。
その他) 上に上げた以外ににも、高いお金を払う事が出来る人の方が、無罪になったり有罪でも刑が軽くなりやすいと言う傾向もあるようなので、その不公平さ等も反対の理由です。
では、逆に死刑制度存続の大きな理由である。被害者の心情等についてはどうだろうか?
こればっかりは、本人じゃないと分からないと思う。( ̄~ ̄;) ウーン
ただ、オレ個人としては、たとえ復習・・・じゃなくて復讐(復習は大事です・・・)や仕返しをしても決して心が晴れる事はないし、かえってその後ずっと自分が相手にした事を悩み続けてしまうタイプのようなので・・・
オレの場合はどちらかって言うと、いっそ許してしまって、そんな忌々しい過去は忘れて(被害者の事を忘れるのではなく、事件を忘れると言う事です・・)しまった方が、どうにか前を向いて生きて行きやすい様な気もするし・・・
でも、実際に死刑が言い渡されるような犯罪の被害者の家族だったりした場合でも、そういう考え方が出来るかどうかはわからないけど・・・
それでも・・・
(そんな事を悩むような事態になりたくはないけど)もしオレがその被害者の家族等の立場になってしまった時に、『それでも・・・・・死刑には反対だ。』って言えるといいと思っています。
それに、死刑が言い渡されるような事件と言えば殺人とかだと思うけど、きっと被害者もオレがいつまでもその場所から動けなくなってしまっているのは望まないと思うし・・・。
これも人によると思うけど・・・
オレにとっては、たとえ理由がどうあれ、自分に関係する形で人が死ぬと言う事に耐えていくのは返って辛い事のような気もするし・・・
まとめると・・・
理由のその1からその3までは、制度肯定の理由がはっきりしない状態で人の命を奪うの事に対する疑問符で、理由その4は個人的な道徳感とでもいう理由からの反対です。
既に・・・
ブログネタ:ペットの猫にポチとつけるのはあり? 参加中私はあり派!
勿論、これはアリでしょ・・・
だって・・・

ピグじゃなくてピコだけど、この猫にポチって名前をつけてるし・・・
それに、もともとオレは名前って単なる記号に近い物(イコールとは思ってないけど・・)だと思っているので・・
勿論、意味を持つ物もあるし、わざわざ意味を持たせた名前をつける時もあるけど・・・
例えば(正確には名前じゃないけど)・・・
大学で美術部だった時に、古い学生ホールみたいな所の一部を使わせてもらって、卒業前に友達と2人で2人展をやった事があるのだけれど、その時に展示した作品の一つに『4つの木片』と言う名前をつけて展示したんだよね。
でも、その作品って、絵画作品の展示用のパネルを固定する為のくさび形の木片を、5つただ一列に並べた物だったのです。
すると、こんなことが・・・
基本的に、作品はそのままほってらかしに展示してあるのだけれど、たまに会場に戻ってみると・・・
いつの間にか、木片が”ちゃんと”4つに減っている事が何回かあったりしました。。
(ノ゚ο゚)ノ
オレが想像するには・・
きっと部員の誰かが、『”4つの木片”と言う題名の作品に、5つ木片が並んでいるのは、きっと誰かがいたずらしたに違いない』と思って、気を利かせて片付けてくれたのではないかと・・・・
( ・・)ゞウーン
つまり、その誰かは、作品の題名を”あくまで”作品の見たままの状態を表すものとして意味付けて捕らえてしまって、『必ずしも作品の見た目とその題名は同じ次元で意味を持っている必要はない』と言う所まで発想が行かなかったのだと思います。
・・・・
そして、これと同じような事って、実は日常生活の中でも結構多いような気がするな~・・・?
( ̄~ ̄;) ウーン
いったん、既成概念が自分の頭の中で出来上がってしまうと、何か新しい(かもしれない)事や物を見たり聞いたりしても、ついその既成概念に当てはめて納得してしまって、『もしかしたら、今回のは(自分が知っている物と)違うかも知れない・・?』と言う所までなかなか発想が行かないって事多いんじゃないかな?
これって、つまり、大人になればなるほど”頭”で物を見るようになって来ちゃって、(子供の様に)ち~~ゃんとじ~~っくり自分の目で見て、観察して、『何だコリャ??』って考えて、五感を総動員させて判断するって事をしなくなって来てしまうって事だよね?
でもさ・・、
こればっかりやってると、新しいものを発見する”喜び”が無くなって来て、日常の生活がどんどん無味乾燥した物になっていってしまわないかな~?
なんか、勿体、無い気がするナ・・・
楽しくってワクワクする事っていっぱいあるのに・・・
ズイブン、お題と離れてしまった様な、そうでない様な内容になってしまったけど、ポチって名前を猫につけるのって、人間の子供に”あ〇ま”ってつけるよりは、よ~っぽどアリだと思うな。(←いきなり、強引にお題に引き戻す・・・)
だって、”あく〇”は、はっきりと意味を持った言葉だけれど、”ポチ”には『イメージ』はあっても『意味』はないしね・・・
まぁ、”あくま”でオレの個人的な意見だけど・・・・(←オヤジギャグ?)
o(^-^)o




