(2021/12/02 記)

 

2021/11/25 (木)、 親戚関係での用事があり、有給休暇をとって久々に

明石海峡大橋を南下しました。

折角の機会なので、途中、前乗りというか1泊旅行化して滞在時間にゆとりを取り、

以前から急速に興味を持つようになった、古事記由来の淡路島の国生み伝説

に縁のある名勝を見て回りました。

 

 

全ては創作のために何らかの霊感や楽想を受けたい想いがあり、その焦りが

生来の重い腰を上げさせた、というのが動機です。

 

家内の帰省に同行しなくなって久しく、海を見る機会が無くなったので、何年ぶり

に間近で海を見たのか分かりません。

(関東幽閉中に「羽田の大鳥居」を見に行った以来かもしれません。6年弱ぶり

でしょうか。その時には周囲の海に何の感銘もありませんでしたが。)

 

   

 

BSテレ東がBSジャパンと名乗っていた2013年に制作した「神社百景 Grace of

JAPAN 」という古い番組で、淡路島を2回にわたって特集した回があり、その

再放送を2021/03/10 (水) に、JCOM TVチャンネルでやっていたのを、たまたま

録画していた内容に引き込まれたのが最初でした。

その後、最近、NHK「ブラタモリ」でも2回の特集があり、NHK「新日本風土記」

でも、近い内容が取り上げられていたので、ますます惹かれて行きました。

  

 

「自凝(おのごろ)島」がまず出来、それから日本列島の各所が作られて行った

という古事記上の記述は、地学史的には唯一、候補を名乗るうちの1つ、

沼島(ぬしま)が中央構造線の直南際にあり、その北側にある淡路島本島より

2000万年ほど早く現れた、という事実がある一方、他の主な2候補にはそれに

匹敵する論拠がありません。

沼島より後に出来た淡路島上に残りの2候補はあるので、伝説とは符合しない

のでした。その内容をNHK「ブラタモリ」では紹介されていました。

 

が、今回は日程・時間の余裕を確保したものの、全部を回遊出来るほどでは

なく、沼島以外を見て回りました。地学史との符合について、入門者レベルの

私があれこれ検証する目的は当初より無く、それぞれに惹かれる独特の

雰囲気に触れたい想いがあったからでした。

 

今回はNEX-6 +E18-55mm と新NEX-5 +E55-210mm のオートフォーカス

だけの布陣で撮影の手間を最小限にして、受けられる雰囲気と霊感に敏感で

あろうと考えました。(画像は一部、Osmo Action 動画から切り出したやや横長

の静止画、TX55の画像を含みます。)

 

まずは淡路島の北方玄関口、淡路SAから最も近い絵島、大和島です。

  

  

大和島に比較的大きな無料駐車場があり、そこから歩いて回れる範囲に、多くの興味

深い場所と神社があります。

 

 

    

  

この記事でも触れられている蛭子命(ひるこのみこと)は、伊邪那岐命(いざなぎの

みこと)と伊邪那美命(いざなみのみこと)の最初の子であったものの、不完全な

形で生まれたため、葦船で流し去られるが、それが瀬戸内海対岸の西宮の浜に

流れ着き、そこで恵比須神として祀られた....という内容が「神社百景」でも語られ

ました。それは実際に西宮神社との間にあった、どのような史実が元になり、

「古事記」の中で伝説的な解釈になったのか、もうその時には本州はあったの

だな、とか、いろいろなことが無視できない奇妙さに惹き込まれる興味を持って、

ずっとこの半年以上、実際に見て回りたいと思っていました。

 

西宮神社で祀られる神の由来なら、もっと神々しく力強い伝説を創作されても

良さそうだ、と野人の私などには思えます。

その不具者として捨てられた、という設定に尋常でない雰囲気を感じたのでした。 

 

その蛭子命が伊邪那岐命、伊邪那美命とともに祀られている岩樟神社です。

 

不具者として流された子も一緒に祀られている、ということに惹かれるのです。

太古の伝説に私自身の子供時代を重ねることを否めませんでした。

  

 

  

 

岩樟神社は恵比須神社の奥にあります。

 

  

  

   

絵島です。大和島との比較で女島とも呼ばれるそうです。写真映えする美観です。

 

  

  

島に渡れる通路橋は工事中で、通行出来ませんでした。

ぜひ島に渡って周囲の海を眺めてみたかったです。

 

  

鳥が羨ましかったです(^^)。

 

  

こちらが男島、大和島です。

  

  

  

  

 

岩屋神社です。

  

  

   

  

  

 

2日目には、おのころ島神社、伊弉諾神宮を回りました。

 

おのころ島神社です。

太古には海面が高かったので、この丘陵状の神社一帯が島だった、ということです。

 

  

https://www.freedom.ne.jp/onokoro/onokoro/onokoro.htm

 

んん?...このURL だけ昔のようにバナー表示が為されませんね...。

おのころ島神社の説明です。

   

  

巨大な大鳥居の脇にあるのが、三鈷(さんこ)の松とのことでした。

上述の紹介サイトの写真より、かなり大きく高くなっていました。

通常2つの枝分かれする松の葉が3つに分かれているというもので、幸運をもたらす

との伝説が各地にありますが、松葉も綺麗に掃除されていて、実際にはよくわかり

ませんでした。

 

 

ただ、松ぼっくりの数が物凄かったです。これも全く落ちないかのようでした。

   

  

   

  

動画を含め、本殿正面の画像を残していませんでした。これは裏からです。

 

 

  

 

伊弉諾神宮です。

 

   

   

  

  

 

  

  

  

   

伊勢神宮と同緯度に存在し、他の多くの著名な神宮や神社と、夏至、冬至、春・秋分

の日の太陽の出没方位との合致、それが何を意味するのか、どうやって太古にその

相互の位置を測量出来たのか。

最初にまずここに最初の神宮が作られ、それから周囲に神社、神宮が建てられた、

とも思えるその構図が、始まりの地、国生み伝説とも、どこか符合する気がします。

 

  

  

   

同緯度にあると言われる伊勢の皇大神宮遥拜所がありました。

 

  

  

   

  

この伊弉諾神宮が、事前に最も興味を惹いた場所でした。

絵島、大和島の後、初日に訪れる予定でしたが、宿のチェックイン時刻との

兼ね合いで、2日目の最後になりました。

そのせいもあったのか、兵庫県南部地震(何度か過去にも触れていますが、

大阪は被災地ではなく、悲惨な被災地を娯楽目的で越境見物に来た輩ども

の地であり、「阪神淡路」という通称を私は絶対に認めません)からの復旧で、

とても綺麗に整備されたためか、何かを感じるという雰囲気は薄かったように

思います。

絵島、大和島を含む岩屋地区に、その強い始原的な伝説の迫力を

感じたのは、単に最初に訪れたから、というばかりではないと思います。

 

沼島は「自凝(おのごろ)島」本命ではあったものの、上立神岩などの見どころが

淡路島本島側からは見えず、船で渡って、その島の上の山越えをして南岸側に

至る必要があり、今回は訪問を諦めました。

 

 

  

 

 

毎々同様、記事が長くなるので、今回は自身の外部記憶としての時系列記述を

諦めて、2記事に分けました。

 

次の記事では、道中の味わいや宿の愉しみを纏めます。

 

 

 

 

ご覧いただきありがとうございます。

 

 

 

 

 

 

 

(2021/11/24 記)

 

去年は見送りになったか、私が見送ったか定かではないですが、武漢肺炎禍も

一旦落ち着き、2021/11/20 (土) に北野天満宮の秋の御土居公開に行きました。

  

  

海外の感染禍再燃も無視して、媚中売国経団連の言いなりで海外観光客の

受け入れ再開や、家族ぐるみ永住許可での海外労働者入国拡大容認、外交

では中国最重要視など、岸田政権はまるで立憲共産党状態なので、やがて

国内再燃もあるでしょう。

(あれだけ高市氏の総裁選マニュフェストをそのまま党選挙公約に丸コピー

しながら、首相当選後はそれらを無視、高市氏を政策決定圏外に置く、その

やり方は極悪代官そのものです。)

来年の行事完全復活への祈念も虚しく、むしろ落ち着いている今、かつて

親しんだ行事に機会があれば触れておくことが重要に思えます。

 

意義も皆無だった4年の関東幽閉生活で、当初は気配もなかった国籍不明者が

関東宅のレオパレスに増えてきて、しかも基本1室1名の契約の筈が、玄関脇

にどんどんビニール傘の本数が増える部屋が目立って行き、「傘持って出ない

日に雨降るよねー。あるある。」とか思っていたら、夕飯時に本当に10人近い

国籍不明の人間が外食のために1部屋からドヤドヤ出て来る事態に驚かされ

たり、それが何か月かしたら蛻(もぬけ)の殻になっていて、管理会社からの

家賃督促状が何通も郵便受けに入っている(家賃踏み倒しで別の宿に夜逃げ

したのでしょう。きっと「何故日本人はそうしないで馬鹿正直に払ってる?」と

さえ思っているような輩どもです)、やがてはあの状態が日本中で蔓延する

ことになります。

 

 

聴いたこともない言語での昼夜問わずの大声での電話のやりとり(受話の声

さえ壁超えで聞こえる)や分別のないゴミ出しなどの当時の辟易に留まらず、

感染禍をまき散らす害毒や最近多くなった日本人では考えられないような凶悪

犯罪まで加わってのことになるのでした。

 

えっと、もとい....。

2年前の参拝記は次の記事で。(それと前後して原因不明の体調不良に及びました。)

 

 

夏の公開には今年行きました。最近、月日の流れる速さが一層凄いです。

 

   

帰りのルートに無理をしてでも、この機会にいつもの蕎麦と酒を河原町で愉しもうと

考え、感染禍を避けての電車と徒歩での計画を立てていましたが、先日までの

帰省時にA180 の運転にようやく不慣れ感が解消した家内が、天満宮までは同道

するとの提案があったので、往路はA170 時代までと同様「超自動運転」(後ろの席

で居眠りOKでも現地到着)となり、御土居見物が終わったところで現地解散、帰路は

それぞれ単独行動としました。

家内は蕎麦には全く執着がなく(寂)、清水寺の夜間ライトアップに行きたいとのこと

でしたので。

 

 

  

夏と同じく手水舎に柄杓はなく、花が添えてありました。

 

   

まずは本殿で参拝を。

修学旅行生は居ましたが、まだ受験時期でないのか行列ができるほどでは

ありませんでした。

  

   

OSMO Action 動画からの切り出し画像です。

 

 

同様、動画切り出し画像ですが、東門脇に、今まで立ち寄ったことのないお社を

見つけました。

  

 

ネット上では「亀社」との記載が多数ありますが....。

   

  

 

本当はこの通り「かまどしゃ」です。写真ヲタク世界の博識の低さが窺い知れます(呆)。

古来漢字の初期からある文字でもあります。

 

  

  

  

ようやく御土居に入場しました。千円です。かつてから考えると大きな値上げです。

夏は紅葉、茶菓子がなかったので、400円でしたでしょうか。

 

この行事のみで限定提供・販売される「北野大茶湯」は、入口で渡されました。

いつもはお茶席前で配られるものでしたが、密を避ける効果はありそうでした。

お茶席は出ないのか、と思っていましたが、一応毎年と同じお茶席はあり、販売も

ありました。職場に配る機会もないので、今年は5つだけ買い足しました。

 

 

2019年に買って冷凍保存してあるものが、まだいくつかありますので、それを

先に頂かねば....。何せ切らしてしまうと来年まで味わうことができませんので

補充があって初めて安心して消費できるのでした。

2019年のものを解凍して食しましたが、餅粉による生地の伸び以外は、実山椒

の香りなども全く新しいものと変わらず、驚かされました。

 

いつもより少し南側からの入場で、北に少し進みましたら、毎回勇壮な姿を見せて

くれる大楠がまだ葉をつけていて、風が吹くたびに大量の黄葉をなびかせて

居ました。

 

     

動画ではその葉がハラハラ落ちる感じが儚げで良かったのですが、うまいタイミングで

静止画に切り出せません。NEX-5+E50mm での画像ではちらっとだけ写ってます。

 

  

  

  

  

14時過ぎでしたが、もう夕景の雰囲気です。

 

   

   

 

 

 

  

  

  

  

  

15時前にはもう日の光は土塁に囲まれた低地である御土居の底には届かなく

なっていました。

久々に色彩がとても鮮やかだった印象です。来てよかったです。

 

今回は、一歩踏み込んで、大きく葉を撮る(背景を飛ばす)画像が全く無いのに

後で気づきました。単レンズ2本をメイン構成にしたため、望遠写角ならではの

画像が乏しくなったということはあるものの、スマホカメラでも、もっと奥行き感

のあるダイナミックな画像を得ている方々も多いことでしょう。

動画も含めて機材が多過ぎて、アップアップしていたのかもしれません。

腕や感覚が落ちています。そのことを痛感しました。

 

その一方、ポートレートレンズE50mm を装着していた旧NEX-5 が途中で合焦

動作をしなくなり、メニューボタンやダイヤルボタンによる絞り調整も全く受付け

ない事態が何度も再発しました。

前夜、E55-210mm を装着して、部分月食を撮影している間には全く問題無かった

ものが、どうにもなりません。

電池を抜いて時間を置き、初期起動からのやり直しで、操作が戻る時もあり

ましたが、問題が再発するので、途中で使用を断念しました。

 

この最初に買ったNEX-5(なので区別のために「旧NEX-5」と呼んでいます)だけ

が新品購入で、NEX-6、新NEX-5 はヤフオク経由で譲渡いただいた中古品です。

なので、この旧NEX-5 が一番早く機械的な寿命を迎えるとは考えもしませんでした。

単独で使っていた時期に、私の使い方が他の方々に比べて負荷が過剰だったの

でしょうか。

 

この不測事態に「屋外でのレンズ交換は撮像面が1撮ごとにリフレッシュされる

銀塩フィルムカメラと異なり、画像素子への埃の混入リスクが大きいので、単焦点

レンズを複数併用するなら専用にカメラボディを用意する。レンズ交換ではなく、

カメラごと交換。」という従来方針に変更を強いられることになりました。

 

今回もE20mm を新NEX-5、E50mm を旧NEX-5、その中間画角を使うために

マニュアルフォーカスのVario-Sonnar 35-135mm を電子ファインダーがある

NEX-6 に割り当てていましたが、そのような布陣は出来なくなったのです。

NEX-5 のようなα-NEXシリーズ初期のカメラボディを中古で入手するのも、

価格的には更に容易になったでしょうが、経年劣化で同じような事態になっても

甲斐の無い話です。ちょっと今後を考えます。

  

現地解散の後、北野白梅町から20分かけて、JR嵯峨野線 円町駅まで歩きました。

 

  

  

駅に到着したと同時に、2階建て高架のホームから京都行き普通電車が出て

行きました。

 

  

小さくない駅でしたが、駅員の詰め所はシャッターで締まっており、次の快速が

隣の二条駅で止まるかどうか分からず、ホームに上がってからも、よくある停車駅

表示が柱にありません。躊躇するうちに次の快速が来ましたが、かなりの満員だった

ので見送りました。

 

が、その時刻帯(15時台)だけ、次の54分発の普通電車がありませんでした。

 

 

結局、駅に着いてから25分近く待たされて、ようやく乗った電車が、発車1分で

突然急停車して、それから12分ほどそのまま車内で待たされました。

JR京都線の大山崎駅付近で乗客と列車の接触事故があり、近辺路線の全線

に緊急停止信号が飛んだとのことでした。

 

本来の乗車時間は2分でした。先の快速に乗っていたら影響ゼロだったのです。

快速も含めて全車両が隣の二条駅で停車することを事前に知っていたら....。

きっと過去には調べて知っていたのでしょうが、全く忘れていました。

以降の備忘録とします。(でもきっとここに記したことを忘れるのでしょう....^^;)

 

その乗車時間の短さだったので混雑するバスを避けて、徒歩とJRを使う計画

だったのでした。万一の感染を考えると、満員電車や満員のバスは怖いのです。

しかもその12分、乗った近くの場所で混雑する他を押しのけて、3人で円陣を組む

ように真ん中を開けた、関東弁混じりの女3人のうちの一人が、まるで泳ぐのを

止めると呼吸が出来ずに死ぬマグロのように、ずっとハイ気味での喋りを止めない

のにも、悪感情を否めませんでした。

勿論、マスクは不織布ではなく、ファッション優先のウレタンマスクで鼻出しでした。

周囲が静まり返っているのに、気にも留めない雑な神経を疑います。

関東からあちこちの旅行先で感染を拾って来たのを、この臨時のムロの中で

まき散らされるのだとしたら、理不尽にも程があると言うものです。

 

血気余った若い頃なら、どうしたものか分かりませんが、老人になった今はただ

ぐっと我慢するのみでした。理不尽ですが、この人生でその程度の魂磨きは

出来た、ということを、その愚か者の無思慮の行動を通して実感するしか

ありません。

 

這う這うの体でJR二条駅を降り、そこから後院通りを通ってまた20分、阪急電鉄の

大宮駅に着きました。

 

 

     

大宮駅は昔と違って、特急停車駅でなくなっているのでした。

(自宅最寄の中山観音駅が一時期そのようになりましたが、JR中山寺駅が快速

停車駅に昇格したのに併せて、中山寺参拝客の奪い合い事情でしょうか、再び

全車両停車駅に戻りました。)

何本かの通過をさらに待ち、ようやく来た普通電車で河原町駅に到着しました。

 

大混雑のバスや嵐電を使わずに北野白梅町から河原町まで、最短のショート

カットだったとは思うものの、突発事故での悪印象もあり、これを今後定番の

ルートにするのはどうかな、と考えつつ、予定していた時刻よりかなり遅れて

河原町駅から地上を歩けど、いつもなら見えて来るアーケードの蛍光看板に

目立つ字体の「本家尾張屋」の文字が見えて来ません。

 

来るまでにも不定期の臨時休業などを理由に、蕎麦にありつけない事態を

何となく前日から不安視していましたが....。

 

 

げっ......!!閉店!? 

 

  

御旅所脇で、駅にも近く立地条件も申し分なかった四条店が無くなっていたのでした。

 

   

 

呆然自失でした。

結局、今回の感染回避ルートのお試しは次に役立つ機会はもうありません。

本店がある烏丸御池駅には、二条駅から地下鉄東西線に乗れば済むので、

今回のような後院通り20分の歩きは不要ですし、帰路はそのままJR京都駅に

地下鉄で至ることが出来ますので。

 

尾張屋はまず本店になじみ、この2014年の記事あたりから以降、本店よりも

たびたび愛用していた店でした。

 

  

この7月に立ち寄ったのが最後となりました。

あの愛想のよかった店員さんはどうしておられるのでしょう...。

  

  

本店は創業750年と言います。そんな店でも「来ればいつもある」訳ではないのだ、と

痛感させられました。

 

そして改めて武漢肺炎を憎く思いました。国内で政府・与党への無理筋な責任追及は

熾烈であっても、杜撰な大元の原因を作った中共には、偽大統領支配が続く米国も

含め、どの国も損害賠償請求も責任追及もしません。世界大戦に匹敵する死者、

犠牲者を各自国内に及ぼされながら、このナアナア状態は一体何なのでしょうか...。

 

この時点からまた阪急烏丸駅経由で地下鉄烏丸御池駅近くにある本店に向かっても、

営業をしているか心もとなかったので、高島屋7階にある高島屋店に行きました。

 

 

小ぎれい過ぎて落ち着きません。それがこれまでも立ち寄らなかった理由です。

  

 

画像に写ってない場所で、ほとんどの客は高齢の女性ばかりで、何やら金融商品の

話などが聞こえて来ます。

 

関東幽閉時代の神田まつやでの、

 

> 食べている途中から、隣の壁際にずっと居た老夫婦が大声で「私、今回

> 300万投資で損したけど、勉強代と思ってる」とか、まあ聞きたくない話

> を延々(その潤沢な生活を支えている年金はこっちの世代が肩代わりしてる

> 訳で)の上、2人でタバコをスパスパ...

 

を思い出しました。その会話の低俗さ、店のサービスレベルの低さに今も苦々しい

想いが甦ります。

 

 

まあここでの会話はもっとまったり上品な感じの小声ではありましたが....。

(ちなみに最近全国区で使われるようになった京都弁の「ほっこり」は本来の

意味合いとは全然違います。癒しや安堵の意味ではなく、元来の「(疲れた

負荷からの解放で)脱力 = ああ疲れた。」のニュアンスが全く失われていて、

はっきり言って誤用でしょう。)

  

不安ながら、せいろ(大)と日本酒を頼みましたら、四条店と変わらずせいろ二枚

が出て来て、新蕎麦の時期らしく、蕎麦の甘い味わいも変わらず安心しましたが、

つゆが四条店より本店に近く、端を少しつけるだけでもダシの香りが強過ぎて

蕎麦の邪魔になる印象でした。

 

蕎麦自体の旨味をまず味わいたいものです。どっぷりつけて、つゆのダシの

旨味で誤魔化すものでもありません。関東系ラーメンで絶賛される魚介系の旨味

も私は雑味にしか思えません。それは関東流みたらし団子レベルにべっとり

タレ付けの焼き鳥と同様、味音痴向け食材鮮度誤魔化しの旨味付加でしょう。

そこまで酷いものではないものの、このつゆには同種の余計なものを感じます。

過去にも何度か言及して来ましたが、この日、その印象は決定的になりました。

 

なので、ほとんどをそのままで、後半はわさびを蕎麦に載せていただきました。

四条店にあった山椒粉末もありません。蕎麦の香りがあくまでメインで、香りの

バリエーションとして、蕎麦+山椒の味わいを知ったのも、四条店あってのこと

でした。

    

   

過去の四条店での画像です。

 

 

あと、たまたまでしょうが、二枚目のせいろの途中で、蕎麦を箸上げしても

もつれたりからんだりして、ほぐれない状態が続き、焦りました。

結び目があるほどではないものの、ほとんどそのくらいの絡み方で、蕎麦が

互いにくっつき、食べるのに苦労しました。そんなことは初めてです。

(大)の二枚目はサービス品で鮮度の悪いものを出しているのか?と疑った

ほどです。

 

日本酒メニューも乏しく、月桂冠が2種類とこのオリジナル銘柄だけでした。

月桂冠の味わいは所詮知れていますので、これを頼みましたが満足に至り

ませんでした。俳優佐々木蔵之介氏のご実家の銘柄である京生粋はもう

頂けません。瓶で買うことはあるものの、どうも味わいがきついのです。

店で飲むあの味わいはもう無いのでした。

  

  

本店はどうだったか...。

最後に本店を訪れた時の客あしらいの酷さに記事を残していないのか、記事が

見当たりません。

 

あっ。ありました。もっと以前の話かと思っていましたが、このブログ内(関東幽閉

解除後)のことだったのでした。

本店には京生粋はあったようです。杜撰にも冷えてなかったですが。

 

 

濃いダシ味が余計という印象の「決定的」は、この時点で既にしていたようでした..。

 

質的に何が決定的に欠けているのか分からないままではあるものの、いつもの

ような大満足には遠く、こんなことならせいろをガッツリ天せいろにしたら良かったか

とか思いつつも、量的には追加注文をするほどでなく、いつもと変わらない支払額を

支払って、そのまま阪急電鉄で帰宅の途につきました。

いつものように御旅所でお釣りをお賽銭とするのも、帰路と逆向きで距離を感じました。

 

四条店だからこそ、わざわざ他の京都の飲食を差し置いて、場合によってはメイン

の目的として、はるばる阪急電鉄の端から端まで来たものです。

どこか、出来れば自宅から近場で新たな蕎麦屋を発掘しないと....。

 

満足レベルの蕎麦打ちを自分で出来るようになっておいて良かったです。

それが無かったら、この日の衝撃と喪失感はもっと大きかったでしょう。

 

 

当初は梅田からJRにするつもりでしたが、先の人身事故でJRの近辺在来線の

ダイヤ乱れが続いており、むしろ阪急電鉄への振替輸送も実施中とのことでした

から、始発駅の河原町駅からの阪急乗車なら、その影響は最小だろうと考え

ました。宝塚線も通勤時代のようには席が詰まっておらず、座って帰れました。

  

御土居での期待以上の満足の後は、一粒万倍日らしくもなく、番狂わせと

不本意ばかりの後半半日となりました。

単独行になった途端の不遇続き、如何にも私、という感じが一層げんなり

させられますが、一粒万倍日に北野天満宮を無事参拝出来たことに

ささやかながら幸運を感じることにします。

 

 

 

 

ご覧いただきありがとうございます。

 

 

 

 

 

 

 

(2021/11/19 記)

 

先に速報記事を出した続きです。

  

月の全景サイズを撮影するのには、C8 +EQ5 赤道儀は装備過剰だと考え、

いつものETX-90 +微動雲台 +PL40mm +FinePixF31fd の月撮影セット一式に、

周囲の風景を撮るために、NEX-5 +E55-210mm を併用しました。

  

  

 

  

ここまではTX55 での画像でした。

 

さて、速報記事の画像も再びまとめて...。

 

   

  

まだ写野に電線が残っていましたが、その「東の空にある三日月」が異様なので、

ETX-90 での拡大撮影を始めました。

  

 

   

   

   

これほど雲もなく、綺麗に見える月食はなかなか無いので、ここで一旦、Twitter と

高校同窓会LINE に撮って出し速報と同じ画像を公開しました。

できるだけ多くの人々と一緒に見ないと勿体ない、と思ったのでした。

 

 

ここから後半戦です。

直近の画像もそうでしたが、露出を変えて、地球大気の屈折で、地球の影による月の

暗い部分に太陽光の赤波長が滲み照らされているのを撮りましたが、赤道儀追尾撮影

ではないので、露出3秒で、月が若干流れている感じです。

(地球の自転、月の地球に対する公転による移動)

 

最大食分あたりです。

 

  

  

NEX-5 + E55-210mm では画像が小さい分、流れは見えません。

色は幾分派手に出ますね。

 

  

 

随分、光が戻って来ました。

 

   

   

   

  

  

 

  

   

   

部分食終了時刻を過ぎても、F31fd やNEX-5 のモニタ画面には陰りが残りました。

今回、あまり地球本影の周囲にある半影による半影食終了時刻予想を見ることが

できませんでしたが、実際は部分食終了後も、半影食終了まで、そのような陰りが

残ったのでしょう。

 

 

夕飯を終えて、充分時間が経過した後で撮りました。

ようやくいつもの満月です。

 

  

途中で雲に邪魔されることもなく、存分に宇宙の神秘に触れることが出来た

良い夜でした。高校同窓LINEからも、ちらほら反響を貰って、一緒に月見をした

気分もありました。

月は遠くにあるので、どこに居ても同じ感動を共有できるのが(雲の邪魔が無ければ)

趣深いですね。

 

 

 

ご覧いただきありがとうございます。

 

 

 

 

  

(2021/11/19 記)

 

当夜まだ進行中の部分月食です。

まずは撮って出しレベルで速報します。

 

東の空に三日月が奇妙な角度で昇って来るのは壮観でした。

三日月の角度としては不自然なので、安物SFのカキワリ背景のようにも見えました。

  

 

   

   

 

 

 

 

ご覧いただきありがとうございます。

 

 

 

 

 

(2021/11/17 記)

 

2013年末に中古で入手して、長い間、自室据え置きでMP3再生プレイヤーとして使って

いた iPhone4 に異常が発生していました。

AC を繋ぎっぱなしにしていたのが悪かったのか、筐体がパンパンに膨れ上がって

いたのでした。

  

 

2014年の、この記事にもある通り、中古機であるこおを前提に、iPhone4 入手時に

手配しておいた交換バッテリがようやく日の目を見ることになりました。

 

現時点では別途中古で入手したiPhone5c と最近、在宅勤務の通信用に会社から

貸与されるようになったiPhone SE (第2世代) があるので、モバイル機器/プレイヤー

として使うことは無くなり、このようにTV/録画デッキ用ラックの端に固定設置して、

イヤホン出力を、据え置き型CD /カセット/外付けUSB-MP3録再デッキのAUX IN

につなぎ、そのデッキのLINE出力をSY99 の上に置いた安価な中華アンプに

つないでいました。 

 

 

  

 

中華アンプはD16 (画像右下端)の出力も引き込んでいて(ミニジャック入力とRCAピン

入力が共存、というか内部でパラ結線。スイッチ切り替えも無い代わりに入力ソース側

の出力で案配すればミキシングも可能)、キーボード群からの出力もTANNOY で

鳴らせるようにしてあります。

 

 

  

その据え付け運用でのAC 繋ぎっぱなしが悪かったのでしょう。

iPhone4 の厚みが2倍くらいに膨れ上がり、裏蓋がはがれていました。

 

 

過去記事を書いていないとは思わないのですが、関東幽閉時代にiPhone5c のバッテリ

交換を既に体験済でしたので、ネットで手順を公開しているサイトを参考に交換作業に

入りました。(なぜ記事が見つからないのか....Yahooブログからの自力一挙引っ越しの

際に、商標に忖度するなど、何かつまらない事情で処理対象外になったとか....。)

 

 

iPhone5c の時には見落としていたのかもしれませんが、バッテリ残量が大きいと、

外した後もバッテリに物理損傷があった時に出火事故が起こる懸念があるそうで、

まず残量25% 以下に落としました。音楽プレイヤーやGPS を使うマップなどを

並行起動させましたが、残量25% 以下に落とすのに、7時間くらいかかりました。

 

   

膨張事故が無ければ、このバッテリもまだまだ使えたということです。

惜しいことをしました。

 

さて、バッテリと一緒に専用工具も入手していたのも、ようやく出番です。

 

   

裏蓋を外すと、そのネット記事には無い絶縁シートがありました。

 

   

それをめくってみると...。

 

   

こんなにバッテリが膨張していました。

気付かないまま放置していたら、きっと不在時には爆発火災に至ったでしょう。

 

  

無事交換が終わり、元の厚みに戻りました。

 

  

純正バッテリだった筈がこんな事態になるとは....。

以降はこのiPhone4 もiPhone5c も職務用iPhone SE も満充電を確認したら、

電源を切って、AC を外すように運用変更しました。

 

Android 機は常々携行運用しているので、このような事態にはならないかと考えて

います。

 

 

 

ご覧いただきありがとうございます。