(2021/12/23 記)

 

瑠璃光院散策から間もない、2021/12/07 (火)の就寝前、ほとんど衝動的では

ありましたが、SONY DSC-HX99 を購入しました。

 

中古品です。人気機種なのか、ヤフオクでは新品の標準価格とさほど変わらない

取引値での落札が多かったので断念し、大手カメラ直販業者サイトの出品を中心に

探して見ると、マップカメラで「専門契約会社による修理とメンテナンス済」との注釈

がついた美品が現金正価より15000円ほど安かったため、その貴重な出品を逃す

手はないと考え、発注しました。

カード支払い手続きに「シュッピン株式会社」というのが前面に出て来て、何か

ヤバイ詐欺サイトにカード情報を渡してしまったかと焦りましたが、問題ありません

でした。「シュッピン株式会社」の下にマップカメラ通販など著名な販売サイトが

複数あるようでした。

 

以前から何度も感じていた、沢山の妥協なきお気に入り機材の取り回しにアップ

アップして、残った画像にいまいち満足度が得られなくなって来たこと、往年の

赤帽配達員のような、周囲に邪魔になりそうな体積の荷物の弊害に、何かの

対策を打ちたいと考えていた最終結果がこの形になりました。

 

キズやアタリがある中古品だったら、そのまま常用携行機としてラフに使いこなそう

と考えていましたが、想定以上の美品が届いたので、慌ててジャケットケースと液晶

保護フィルムを追加発注しました。

 

これでこの冬の賞与からの自己配当分は使い尽くしてしまい、VT-4 を導入した際の

小遣い一時取り置き口座へのカード支払い分の補填は諦めました。

 

  

NEX-5 で筐体最小化のために省略され、NEX-6 には実装がある撮影モードダイアル

も、軍艦部に実装され親指での操作が可能です。こればかりはメニューで選ぶNEX-5 

より実用的です。

 

  

それ以上に便利だと感じたのが、「Fn」ボタンを押せば、普段使う頻度の多い撮影

オプションに瞬時にアクセス出来るということです。NEXシリーズと同様に「MENU」ボタン

からも階層をつたって全ての機能にアクセスできますが、このようなショートカットは

撮影時のモタつきを解消してくれそうで、多くの専用ボタンが小さなカメラ筐体に散ら

ばっているより実用的です。このあたりはSONY らしいというか、昔からのカメラ専業

メーカには出来ない発想にも思えます。

 

  

ポップアップする電子ファインダーも、やや低解像度ではあるものの、マニュアル

フォーカスでの合焦追い込みにもどうにか使えそうです。

視度調整もあり、ミノルタからの技術でNEX-6/α6000系 にも実装されているアイスタート

での液晶画面との自動切換も実装されています。NEX-5 やTX55 は夏場に日差しが

強い中では液晶画面が見えなくなるので、NEX-6 のように電子ファインダーはあった

ほうが有難いです。

  

  

素子の高感度化に伴い、使用頻度は少なくなったでしょうが、内臓ストロボもビルトイン

されています。NEX-5 はこれも外付けで簡略化されていました。

 

  

慌てて追加発注した純正のジャケットケースです。肉厚の本革製です。裏地は

ファブリックで、カメラへのケース自体からの擦り傷にも保護対応出来ます。

ケース底の三脚と同径(1/4ピッチ)ネジでカメラとケースを固定するのも、その

ネジの底にも三脚穴が切ってあり、そのまま三脚に付けられるのも、昔の

クラシックカメラ用のケースを彷彿とさせます。

なので、家ではこのカメラを「ザ・昭和」と呼ぶことになりました(^^)。

 

  

新品購入だった古い方のTX55 を百均のソフトケースに入れて、ベルトに常用装着して

ことが原因で、レリーズボタンやズームレバーなど物理可動部分が想定外に早く壊れて

しまった反省以来、本体への物理的な衝撃は極力避けたいと思うようになりました。

 

ジャケットの前部分(蓋側)を下方に下げると、そのままボディの保護部分を残しつつ、

撮影が可能です。

 

 

前部分はボタンで着脱出来ます。また自分撮りが可能な液晶画面の180度フラップも

ケースを着けながら対応可能です。  

 

  

新NEX-5 との大きさ比較でも小さいです。しかもこのNEX-5 には最小サイズの

パンケーキレンズ E20mm が装着してある状態での比較ですが、HX99 には、

24-720mm という超ワイドレンジのズームレンズが内蔵されており、全てのシーンを

HX99 一台で対応させようと考える時、この小ささは圧倒的と言えます。

 

  

今までの常用携行機であるTX55 (Vario-Tessar 24-120mm相当)と比べても、厚み

以外はさほど大きさが変わらないです。

ただ、同じ極小画素サイズでもTX55 より画素数も増えており、内部処理に改善が無け

れば、暗部ノイズなどは増える弊害も懸念されます。

その一方、TX55 では調整不能だった、画質の細かい調整など(「ビビッド」「ポートレート」

などの各プリセットの個々に対して、シャープネス、コントラスト、彩度を個々に設定できる、

NEX と同等の機能が実装されており、調整にはTX55 より遥かに自由度が高そうです。

(TX55では調整が出来ず、なおかつ青領域への彩度の偏りが強く、なおかつ彩度自体

がかなり淡泊だったので、後処理での彩度復調は毎回手間でした。)

  

 

この画像のうちの左上、右上、右下とZeissレンズを含めたEマウントの交換レンズ群を

HX99 一台で通常は肩代わりしようと考えているのでした。

 

   

勿論、従来の一式を否定するつもりもありませんし、本格撮影の機会には最適なものを

稼働させようと考えています。そもそもTX55 と同じ極小サイズ 1/2.3インチの撮像素子

を使ったHX99 が、巨大なAPS-C サイズの素子を持つNEX-5 やNEX-6 以上の画質を

生む筈もなく、撮影目的や同行者の有無など、シーンに合わせての使い分けが

肝要でしょう。

 

それで充分なのでした。従来の一式を完全に凌駕されては、今までの出費が無駄に

なってしまいます。極小素子のTX55 でもその望遠域の描写力では、祇園祭で威力を

意外にも発揮したりする訳で、過剰な高画質が不要な撮影目的、特に気軽な近傍

散策時などに、気楽な装備と妥協のない画角設定の自由度を両立できれば、と

考えました。

ブログ記事用の画像としては、Osmo Action 動画からの切り出しでもほぼ使えると

思える現状で、まずは「本格撮影」の定義自体を考え直す必要があるのでしょう。

 

価格.com での作例を入念に見比べて機種選定を進めました。

1インチサイズの素子を持つ、DSC-RX100/RX10 シリーズも、当然1/2.3インチ機種

より画質がましな筈であり、比較対象としました。

しかし24-70mm 程度の標準域ズームなら、NEX-6 にそれに相応するズームレンズ

を既に何種類も持っているので、カメラサイズは違えど、余り変わらない気もしました。

高倍率機種であるRX10 もありますが、筐体が大きくなり、常用携行性は落ちるので、

NEX-6 +ズームレンズ群と対応倍率は違えど、さほど容積感は変わりません。

 

そうして比較するうちに、極力、常用携行が出来るサイズの中で、RX10 の作例にも

あった、単体での月面全景に肉薄する(素子サイズが違うので無茶な希望ではある

のでしたが)機種を選ぼうと考えました。

 

そうして、最終的に落ち着いたのが、DSC-HX99 でした。

DSC-WX800 も最後まで候補に残り、HX99 の今回中古価格で新品のWX800 が

買えましたが、ポップアップ式の電子ファインダーとマニュアルフォーカスの

有無の差が決定的となりました。

価格.com での作例には特殊な良条件での「奇跡の一枚」もあるかもしれません

ので、実写を見るまでは不安は残りましたが、結果的に充分満足しました。

 

それらの実写例は次の記事で纏めます。

 

 

 

 

ご覧いただきありがとうございます。

 

 

 

 

 

 

 

(2021/12/20 記)

 

2021/12/05 (日) に京都の瑠璃光院に行きました。

密を避ける目的で、公式サイトでの日時予約が事前に必要でしたが、何度か

トライするうちに、その予約のキャンセル分を確保できましたので、予定外だった

ですが、急遽出向くことにしました。

 

本件尾張屋 四条店を失った今、できるなら近場で、同等になじめる蕎麦屋を探し

たいとその週末は考えていましたが、そちらはその週末は機会なしとなりました。

 

それらのことは全て、創作からの逃避行動なのだ、という自覚はありましたものの、

鬱に近い心境からの変化につながる何かを得たいという想いはありました。

義務感というか使命感を見失いつつある今、その苦行から逃れたいというのは

自然な心の動きだと、自身で擁護するしかありません。

  

  

最初は電車で行くつもりでしたが、結局、京阪電鉄出町柳駅近くの駐車場まで

A180 で出向きました。

 

 

が、その駐車場が酷く幅狭の地下5階仕立ての駐車場で肝を潰しました。車の内輪差

にあまり配慮が無い感じの、あちこちのクランク状の狭い通路の曲面のない角や壁面

に車両をこすった跡が沢山ありました。

次回に機会があるなら、絶対、電車にします。

出町柳駅からは八瀬比叡山口駅まで叡電(叡山電鉄)に乗りました。

   

 

八瀬比叡山口駅からは徒歩で10分未満で現地到着。予約照合の上、参拝開始です。

 

   

  

オートフォーカス任せでは、メインの対象を飛ばしてしまっても、撮影直後には

小さい液晶画面では分からないものです。後処理時にがっかりしました。

 

     

一番の見どころです。

 

  

   

   

実際はこんな状態で、磨かれた和テーブルに映り込んだ紅葉を競って撮影する感じ

でした。

 

   

あとは只々、色彩の噴流を味わいました。恐らくは今年の紅葉はこれで見納めです。

 

   

  

  

   

   

   

今年は機会がなかった大原 宝泉院の額縁庭園を想起させるシルエットです。

八瀬は大原への道程の入り口ではありますが、今年は足が届きませんでした。

 

   

 

  

 

  

  

   

 

参拝終了で出て来ました。今の心境においては、ちょっと染み入りました。

 

  

近くの美術館に立ち寄り、その後、駅に向かう途中、落ちたのか古い橋脚だけが

ありました。

 

  

  

  

昔は叡電も比叡山ケーブルと同様に、八瀬駅と名乗ったのでしょうか。

 

  

出町柳駅に戻る途中、茶山駅で下車して、東に徒歩およそ15分、今では

味音痴関東圏でも広く知られるようになった、天下一品の総本店に立ち寄り

ました。

 

  

支店とは味わいが違う、との話に今回試しましたが、ほぼ印象は普段の近所の

天下一品と変わらない感じでした。

ただ太麺(ノーマル)と細麺の選択肢があり、その太麺も舌に乗せた瞬間、ざらっと

した舌触り(韓国冷麺にどこか似た感じでした)があったのが、やや差があったかな、

とも思えます。

あと、支店にはなかったので、牛すじ煮をトッピングしましたが、これは無くてもよかった

です。ピリ辛な味わいがスープに滲み出て、むしろ支店との味の差が分からなくなり

ました。

 

「こってり」の「ニンニク抜き」で大盛です。

  

   

リピートするほどの差は感じませんでした。近所の天下一品で私は充分満足です。

最近、出回っている天下一品のカップ麺も良く出来ていると思ってます。

蕎麦と違って、ラーメンへの執着はその程度の解像度しか私は持ちません。

(蕎麦やビールのことを考えれば、その低解像度はきっと幸せなことだと考えます。)

  

  

この天下一品カップと一蘭カップ、見かけたらあるだけ大人買いします。

私にとって、ラーメンとはこれで結構上々の出来なのでした。

 

再び、茶山駅から叡電に乗りました。

結構な本数がありました。自宅近辺のJR宝塚線や阪急宝塚線は負けてます。

    

  

何だか凄いマスクの観光電車が来ました。

  

  

でも1両しかなく、中は満員です。ドア脇の手すりを背中で全部塞ぎ、手を無理繰り伸ば

して、つり革も独占している若い女と隣接(直接見ませんでしたが目の端で、途中から

顎と腰で何やらノリノリな感じが見えました。その無敵なツッパリぶりに、幸いあれと思う

しかありません)しながら、そのために他に捕まるところもなく、出町柳駅までよろよろと

波乗り気分で向かいました。そういう局面では進行方向を向くのが安定しますね。

(無駄極まりなかった関東幽閉の4年間、京急での通勤帰路で得た勘所です^^)

 

今回もNEX-6 +E18-55mm と新NEX-5 +E50mm のオートフォーカス編成で、

OsmoAcition 動画撮影を併用しました。

動画撮影も含めて、やはり機材の取り回しが難しく、それそれの良さを存分に発揮

させられたとは思えません。大いに不満が残りました。

(弘法、筆を選ばず。己の腕ではなく道具のせいにするのは素人。)

 

加えて、それらをリュックの中に仕込んだカメラバッグから抜き差しするのも

アップアップな感じです。カメラバッグを独立で持っていると、パンフレットなどを収納

するカバンと、カメラと動画カメラを首やら肩やらにかけるのが大変なので、リュック

の中にカメラバッグを一体化させてみたものの、結局、機材の交換にリュックを開けて、

カメラバッグを開けて、のために一式を地面に降ろすなどの手間が思ったより大変

でした。

 

重くはないのですが、まるで昔の赤帽配達員のようないで立ちが、その満員の電車内

では周囲の迷惑にもなる感じに、自身が辟易しました。

 

そのことは旧NEX-5 が先日ご臨終となった後をどう対応するか、という方向性決定

に大きな示唆を与えることになりました。(逃避や脱線は果てしなく続く....。)

 

 

 

ご覧いただきありがとうございます。

 

 

 

 

 

 

 

(2021/12/15 記)

 

創作の進捗が全く動きません。その一方、無駄な動きも多いです。

一種、発散迷走状態なのでしょうが、やっている自身にはその自覚が無く、

後で振り返って、その大いなる無駄に更に落ち込むという繰り返しが

ますます事態を悪くさせています。

 

バンドやユニットなど複数メンバでの共同作業であれば、脱線や予定逸脱を

咎められるとか、その脱線の意義を問われるとか、修正が入って無駄も少ない

のでしょうが、一人で物事を進める自由と裏腹に、そのような無駄足に自覚が

無く止められないという弊害は否めません。

 

そもそも若い頃のように「この曲を仕上げて世に問えば、置かれている閉塞状況を

打破出来て、才覚で世を渡って行けるようになるので、ここは何を置いても頑張る」

という願望と妄想が原動力になるほど、自身の新作にかける熱意(=制作しようと

している楽曲を自身で猛烈に気に入ること)というものが、今は無くなっていることに、

大きな原因があるのでした。

「これを完成させたところで、人生何も変わらん。そもそもそれほど気に入らない。」

という心情では、人が通常送る生活上の苦労の上に更に創作での苦難を受け入れ

ようというパワーは生まれません。

 

作曲というのは、自身で苦吟して音の列を作る、という作業ではありません。

よくドラマなどで見る、チェロなどを弾きつつ単音程を探って楽譜に1音ずつ書き溜める

イメージの場面がありますが、あんなもの作曲をしたことの無い人間の憧れみたいな

ものでしょう。全ては手先ではなく脳髄の中で構築(それも勝手にというか否応なしに)

されるという感覚が近いです。「降りて来る」という感覚は多くの作曲者が表明して

います。

 

既に眠っている完成品の存在を、誰かが知らせてくれて、それを壊さずに掘り起こす

という感覚に近いとも言えます。それが自身の物凄いお気に入りになれば、世に出し

たいと思うのは自然なことですし、今まではそれが制作の原動力でした。

今はその着想がほとんど訪れず、たまにそれがあっても、自身のお気に入りに至らず

ボツにしてしまうことが、物凄く多くなったのでした。

それはリスナーとしての満足ラインが上がったということだけではなく、力量が年々

失われているのだ、と感じます。

 

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何度も同じ脱線をして、それを悔いてもまた時間が経過したら、そこに戻ってしまう

「症状」のうち、一番重症なのは、既にJS-5 でリズムとベースの屋台骨を作り、

上物をMOXF6 で作り込んで行き、そのデータで様々な音源方式のシンセでの

こだわった音色をドライブさせて、D16 の各トラックに積み上げて行く、という最近の

制作ルーチンの王道が確立した今も、「王道ルーチン手法のような厳密な積上げ式

に楽曲を構築するのでは到達し得ない、より直観的な別のバイパス」を求めたがる

というものです。

 

この画像は家内が帰省中の頃のものですから、2021/11頭ごろの話です。

  

  

ちょうどこの記事を公開した頃です。もう随分前の話です。

(悠々自適な記事の内容とは裏腹に、同時並行で模索にもがく自身が居りました。)

 

  

自室には新たな機材展開の空間余裕もないので、不在だった家内の机の上に、音楽

制作統合ソフト「Storm」を使えるように準備して、あれこれ試したりしたのでした。

アレンジジャンルとコード進行を指定(メジャー/マイナー以上の細かいコード設定は

出来ないので、複雑なコードは更に上物パートをかぶせることで対応)するだけで、

アレンジが完成する魅力に、Windows XP までしか作動しない本ソフトを、PCを替える

たびにフランスの製造元に英語メールでライセンス変更の依頼を重ねながら、試行を

度々続けて来たものです。

 

が、今回、保存時に Windows DLLファイルの欠損エラーが出ました。

   

 

一時期HDD に異音が出ていたPC(CF-R2)側の問題かもしれません。

しかしまたPCを替えるにしても、今どき、問題なく稼働するWindows XP 機を入手

することも難しくなっているでしょうから、そろそろ諦めるべきなのでしょう。

(新しいPCにWindows XP をインストールすることはもう出来ません。最初の起動時に

ライセンス承認のルーチンが走り、そこでマイクロソフト社サーバで受付が為され

ないようになってしまっていますので。)

Storm にしても手間のかかるライセンス変更の依頼も、いつまで対応いただけるかも

分かりません。

 

という訳で、Storm でのバイパス手法を実用化したいという想いでの作業は今回で

ほぼ全て無駄に終わった訳です。創作仲間が居たら途中で叱責が入ったことでしょう。

無為にしてしまった人生の残時間はどんどん経過して行きます。

 

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また、このような「沼」もあります。 

曲とアレンジがD16 上で完成した後で、その上に歌詞を自由に捻出することが出来なく

なった(せいぜい曲名を考える程度が限界)今も、ヴォーカルがアレンジの中心に

あると、器楽曲より自由にパートの抜き差しが可能(オケがモザイク状に纏まりが無く

ともヴォーカルの音響で纏まる)で、またシンプルで音場を活かした仕上がりも可能に

なることへの憧れは今もあります。

 

それで、ヴォーカルにかけるエフェクタを入手しました。

新たな歌詞を考えられなくとも、旧作のリメイクには有効かと考えたのでした。

2021/11頭ごろです。冬の賞与からの私への分配金を先にあてにしていました。

(小遣いの一時蓄え口座から出費して、カード払い時期に賞与分配金で充填する

あてが、その後の別途の出費でふいになり減損したままです。その話は別記事で。)

 

Roland VT-4 というヴォーカルの音程やフォルマントを変化させられるエフェクタです。

PCソフト上でマルチトラック制作をするクリエータには、そのソフト上で稼働する

アドオンソフトのほうが有効で、広く普及していると思いますが、私のような作業ルーチン

では、このようにハードウエアとして駆動するものが必要となるのでした。

 

  

    

変な声やケロケロヴォイスなどに興味がある訳ではありません。

過去の代表作のうち、「夜の去るスピードより速く」や「次の世界のアダムとイヴ」などの

それぞれ初版などは、現在のD16 に当たるマルチトラックレコーダに、アナログカセット

4トラック機である、TEAC 244を使っていた時代の仕上がりでした。

作曲とアレンジが完成して、それを何度も聴きながら浮かぶ映像をもとに作詞を終えた

後、ヴォーカル録音の過程で、僅かに再生ピッチを遅くして最高キーまで苦しくなく歌唱

出来るようにして録音し、マスタリング時には元のピッチに戻す工夫をしたこともあって、

やや声質に「テープの早送り時に感じられるフォルマントの高域へのずり上がり」が

あって、全体の完成度を少しでも上げている効果があります。

(The Beatles やQueen でもそのような効果で仕上げられている作品が多くあります。)

  

  

   

デジタル記録であるD16 単体では、真似が出来ない芸当なのでした。

今も旧作オケの4トラックマスタをD16 に移植するためにTEAC 414 MKII は持って

いますが、現在の作品の最終仕上げをアナログ4トラックに逆移植して仕上げる

つもりはありません。

何故ならD16 のように内蔵エフェクタがアナログ4トラック機にはないので、今は処分

してしまったハードウエアのエフェクタも多種類必要となりますし、ピッチをずらした

ヴォーカルだけを再び、D16 上のオケとシンクロさせ、その後D16 でエフェクト加工

するのは、まず不可能です。

アナログテープ駆動の正確さのレベルは、デジタル機器と比べてかなり緩いため、

D16 で元にあった場所にヴォーカルトラックの先頭を位置調整出来ても、末尾が

ズレることが多く、中学時代に映画を撮って、その動画と音声をテープレコーダで

シンクロさせるのに非常に苦労した以来の同種の困難が付きまといます。

 

この点、PC上のDTM作業では簡単にマウスで、ピッチに影響のないタイム

ストレッチなど調整が容易なのかもしれませんが。

それでも私がPC上でのDTM制作にスタイル変更しないのは、SY77/99 や

MOXF6 に実装されているようなステップ録音方法が実装されている環境が全く

無いからです。1音ごとに数値を睨むとか、マウスを使って1音ごとにピアノロール

表示でステップ録音するなどは、楽譜を買って来て、それを見ながら打ち込む程度

の「バンドやろうぜ」レベルの入門者には便利でしょうが、世に楽譜のないオリジナル

をデータ打ち込みするには不適と言わざるを得ません。鍵盤で音程を探って、ミスは

戻る、というような入力を実装するソフトはありません。

(上述のチェロの話と似て非なるものです。音程の正解は頭の中にあるのです。

手先で探るのではありません)

DTMソフト開発会社も基本「作曲をする人は楽器演奏が出来て、楽譜も書ける人

なのだろう。だから即興で入力して後で一部を補正するとか、楽譜を見ながら1音

ずつ入力するので充分。」という前提で作っているのでしょうね。

作曲というものを全く分かってないと思います。

 

もし可能だとしたら、D16 で作ったオケを414 MKIIにアナログダビングして、ピッチを

落としてヴォーカルを入れて、そのヴォーカル(ピッチを戻したもの)をまたD16 に

アナログ録音の上、D16 で元のオケを消して(または新たな場所に録音)、その

ヴォーカルのテンポに合わせて、D16 にタップボタンを使ってテンポを打ち込み、

そのMIDIガイド(D16 をMIDIマスタとして)を使ってオケの全パートを録音し直す、

ということは挙げられますが、そこまでの情熱を貫ける楽曲素材が今はもう

ありません。それを毎回ルーチン化するとなると尚更です。

 

そのような困難を回避する望みをもって、VT-4 を導入したのでした。

 

しかし、現時点ではその意図に沿った満足には全く至りません。

フォルマントを少し早送り方向に上げると、もう低ビットデジタル処理特有のモアレ

やサンプリングエラーノイズ(動画ならモザイクノイズに相当)がザラザラと目立ち、

とてもエフェクト音響だけを使って、ヴォーカルトラックを扱えません。

原音をブレンドさせて、どうにか使える軟着陸点を見いだせるかどうか...。

244や414MKII のピッチツマミ1つで実現した、滑らかなフォルマント加工には

程遠い音響がそこにはありました。

 

 

時間をかけて、調整は続けています。関東幽閉時代に買って、これも期待外れに

終わったBOSS VE-5 のコンプレッサーやピッチコレクトなども併用しつつ、

どうにかこの狭い自室で、近所迷惑になるような大声を張り上げることもなく、

抑制気味の表現が可能にならないかを模索したいと思います。

 

ただ、そうして試行錯誤して初めて自覚する、回避不能な問題もあるのでした。

声が全く出ません。息が続かず、緊張もあってか、すぐに異物感が喉にからみます。

この2年ほどは人間ドックでも感染予防のため肺活量検査は無かったのですが、

2019年秋の時点で、肺活量は若い頃の7000cc 台から3000cc 以下に落ちていて

上掲作品のような、楽曲に求められるブレス間隔までの息が続きません。

関東幽閉時代の4年やその後の在宅勤務で、声を張り気味での会話の頻度が

極めて少なかったことが影響しているのでしょう。

 

そんなことを自覚してからのエフェクタ導入ではないの?と、第三者からは

当然見えるでしょう。そんなことも、1人での創作では思い至らないのでした。  

 

老いが実際に創作に強い影を落としている現実に、否応なく対峙させられる訳

でした。空回りと足踏みばかりをしています。なぜ制作の王道ルーチンを自分

なりに確立した後も、このような隘路ばかりを繰り返すのでしょう。

1作ごとに方法論を模索する必要など無い筈なのでした。確立したルーチンに

素材を上げて、その上での工夫模索に集中すれば良い筈なのでしたが...。

 

共同制作をするメンバを新たに望むのが年齢的に難しくとも、身近に音楽談義や

その周辺の雑談を交わせる人間の存在があれば、自身がおかしな隘路というか

「沼」で自覚無く立ち往生している状態を、指摘してくれることもあるでしょう。

しかし過去に制作協力をしてくれた人々も、それぞれの人生のために縁遠くなり、

若い頃のように、気軽な機会に新たに意気投合というのもなかなかあるものでは

ありません。

 

そして才覚溢れていた若い頃に、現在の自室の機材を見ることがあったら、

目がくらんで「何故これだけの機材を揃えていながら、自身の才覚を形にして世に

問う行動に徹しないのか」と怒りと羨望と軽蔑と、いろいろな感情が直情的に沸き

起こったことでしょう。

私自身の20-30代には想像も出来なかったレベルの、私が必要とするポテンシャル

が、不足なく揃っているのでした。

 

  

ついでに、右のサブタワーのRACKBRUTE 3U の状態は古い情報なので、最近の画像

を追加しますと...。

 

  

ここまでアナログシンセの整い過ぎる原波形を崩して、楽器的な楽音追求にこだわった

拡張モジュール群の品ぞろえも珍しいかと思います。

 

  

若い頃には想像も出来なかったことなのです。

昔は機材個々が非常に高価で、必要な理想を揃えるには、親や祖父母に山や田畑を

ガンガン売って貰って金策出来たような裕福な幸せ者(前世紀末頃、8ビットサンプリング機

フェアライトCMI 【当時の貨幣価値で1200万円ほどしました】を前面に押し出したシンセ

バンドなどがそんな裏話を自慢げに語っていました)以外は、費用の蓄積にも大変な

長い時間が必要で、ようやくそれらが整った頃には、すれ違いに自身の才覚が底を尽きる

時期が皮肉にもやって来るという、あまりに切ない人生の構図が潜んでいたことを。

 

今は埃除けに各機材にかぶせてある古いバスタオルを外すのにも、一大決心が

必要なほど鬱屈した心境のまま、毎日が過ぎて行きます。

 

  

機材を申し分なく揃えて証明できたことは、期待と妄想通りにそれらが自身の才覚に

有益であるということではなく、ただ自身の無能であった、という現実なのでしょうか。

 

創作者には、反響が必要です。それが直接の励みになります。

しかし、そういう手ごたえがないのでした。

BIG UP! に作品を公開しているだけで、月あたり3桁程のお試し試聴がある程度で、

ブログ記事での作品公開告知をしても、それを更にTwitter で告知しても、ブログ記事

では2桁の、Twitter でも3桁程度の参照があるだけで、次回作を期待する感触を得る

には遠い現実があります。(「いいね」は更にその1割にも満たないことが多いです。)

昔の共同作業メンバや家族周辺にも、感想を依頼することがあっても、その時に

得られる快諾一報とは裏腹に、実際の意見感想が戻って来ることはありません。

 

そんな空虚な現実に、もう自身の創作はお役御免なのか、と思ったりもします。

誰も見向きもしない創作に、今後も関わる意義が見えなくなって来ています。

 

これまでの作品を公開していたからこそ、既にそれで得られた愉しい出来事や

ささやかなご縁など(全くモテなかった学生時代とは裏腹に社会人になって早々に

結婚出来たのも、自作曲が最初の接点ではありました。それらも一時の誤解だった

のか、今は全く創作に興味を持たれていませんが^^;)があって、もう充分それで

楽曲が私にもたらしてくれた幸福というのは終わったのか、という解釈もあるのかも、

と最近思うようになりました。

そもそも楽曲公開を通して自身が得たかった幸福とは何だったのか、根本まで

遡っての認識直しが必要なのか、と思い悩みつつ、鬱な気分で手足が出ない

日々が続きます。

(その裏返しが、機材や別環境を試して見る上述の「沼状態」のループだったり、

このところの「いろいろ出向いて楽しいことをやってます」というやや浅薄な内容の

記事の、ここまで仔細に脳内の覚書を書くか、という長い文章なのだろう、という

自覚はあります。それらは一種の逃避行動なのでしょう。)

 

創作仲間が居たなら、頭を軽く叩かれて「目覚ませ。ごちゃごちゃ考えるより

一緒に決めたスケジュール通り、やることやれ。」と冷笑されて一件落着、といった

些細な隘路なのかもしれませんが。

 

 

追記(2021/12/16)

 

上述の2作品について、音楽配信サイトにサブスク契約をお持ちでないかたは

それぞれ以下のURLからお試しください。久々の創作記事だったので、その要領

というか、配慮を忘れてました。こういうところもマネジャーが居ればなあ、と

思うところです。一人でやっているので、考え落ちや抜けがとても多いです。

 

夜の去るスピードより速く(1991):

   

次の世界のアダムとイヴ(1991):

 

 

 

ご覧いただきありがとうございます。

 

 

 

 

 

 

(2021/12/12 記)

 

2021/11/中旬に受診した人間ドックで、武漢肺炎の血中残留抗体を調べられる

ということだったので、検査費用の追加分5000円ほどは、会社福利厚生の

ポイントで後日請求が出来るので、受けておきました。

 

その結果が先日届き、1000AU/mlあれば不足はないところ、4387AU/mlありました。

2021/09/03 (金) に2回目の接種を完了して、この結果も既に1か月前の状態とは

いえ、まだまだ潤沢に残っていると言えるでしょう。

 

  

  

ワクチンを打った後、副反応もなく、特に2回目は痛みすら全く無かったので、

「もしかして、希釈用の生理食塩水だけを打たれたとかあるんではないの?」と、

私の過去を振り返っての、「普通なら確率的に低く、起こりえないことに遭遇

する"悪運の強さ"」(今回も異物混入のロットをまんまと打たれましたし)を考えると、

まあ全くあり得ないことではないと不安視していましたが、流石に杞憂で済みました。

 

 

その結果通知の下にある説明で、感染しない保証ではないとか、個人差があるとか

書いてありますが、では何のための検査だよって感じも否めません。

そもそも抗原情報を身体に覚えさせるのがワクチン接種だという基本中の基本を

考えれば、血中の残留抗体が時間経過で徐々に減っても、新たな感染時には抗体

が産出される筈です。

なのに、なぜ血中の残留抗体が少なくなったら3回目の接種を推奨などと世界の

医療関係者がこぞって言うのか、私は理解出来ません。


付和雷同せず本当に理解して必要だと考えている人が、医療関係者を含めて

どれだけ居るのでしょうか。自身の残留抗体量が実際にどの位なのかを確認して、

やはり必要だ、と考えている(それ自体、考慮不足であるのは上述から自明ながら)

のでなく、ただ「専門家」が必要と言うから、とか「ブースター接種」という言葉に

流されている人も多いのではないでしょうか。

ファイザーが充分な治験期間もなく、オミクロン株に有効なので現行ワクチンの

3回目を打てと言ってますが、現状、世界に何人感染者が居て、どれだけの人数に

治験をかけたのか非常に怪しいです。利権以外に理由を感じられず、不信を

否めません。


今までのワクチンを無駄にするのも避けたいのでオミクロン株にも3回打てば有効、

オミクロン株対応のワクチンももっと有効、と煽り、変異株の無毒化や騒動の鎮静化

がこの先進み、ワクチンを打たなくても良さそうと世界が判断する時期が来るより

前に、できるだけ多くのワクチンを消費させようという感じにしか見えません。

新しい降圧剤が開発出来次第、その販売推進のために、WHOが高血圧の定義を

厳しくして来た過去の繰り返し経緯と一緒で、かなり胡散臭いです。

そもそも従来コロナ(風邪)になんでワクチンないの?って以前は言っていたもの

でした。変異が早いのでそれに対応できないのだ、という説明でした。
なのに武漢肺炎(同じコロナの変異種)にはどんどん対応しようとする。

既に致死率がかなり低くなって、オミクロン株に関してはもう風邪並みだとも言われて

いるにも関わらず、何かおかしい感じが否めません。

 

何年か前の新型インフルエンザ騒動が、すぐに消長してしまったのは、「インフル

エンザなんて毎年新型が出て来てるのに何故騒ぐ?」という疑念が徐々に定着

したからで、今回はそのために「未知のウイルス」を演出して煽り、ワクチンや

新薬の利権を製薬会社とWHOが結託した、という見方もあるようです。

 

当初はその「未知のウイルス」はここまで狂暴な被害を出さない想定だったのでは

ないでしょうか。WHOなど初期の頃は「人から人への感染はないので過剰反応するな」

とか「国境閉鎖の必要などない」などと、明らかに想定している被害を安易なもの

だと考えていました。何故そんなことを彼らは「知って」いたのでしょう。

そして、儲けのためにたくらんだ以上の狂暴なウイルスがその想定外に世界中に

蔓延した、という感じがします。

もうウイルスの弱毒化とともに、この騒動も終わるのでは?

だからこそWHOや製薬会社はメディア総動員で必死な印象です。

米国のファウチなど、元々オバマ政権下で武漢研究所への研究費供出など、諸悪の

根源であるにも拘わらず、ワクチンを推進する利権で目の色が変わってしまって

います。一度甘い汁の味をせしめると、人は変わってしまうのだということを、世界

規模で見せつけられている嫌な感じがします。

 

私は以前も記している通り、反ワクチンを主張しません。ブースター接種の将来に

わたっての不安などのネガティブ論にも原理的に賛成出来ません。ただ当初の設計

通り、2回で充分だった、という内容を変えるには、論拠が極めて胡散臭いということ

を、今回の自身の残留抗体値を見て、更に意を強くした、ということに過ぎません。

モデルナ社以外のワクチンが、そこまでの永続効果が無かった、という話で

あれば別(感染時にも新たな抗体が産出されないかどうかの観点が最も重要)

ですが、そんな話は聞こえて来ないので、それならば、何かがおかしいと言わざる

を得ません。

国内の第5波がなぜ急に消長したか、誰も予測していませんでしたし、後付けの

説明でさえも満足に出来ず、「専門家」が素人と変わらないことがバレて、それでも

第6波は来ると言われても、所詮は確たる根拠を持たない山勘な話や憶測希望を

表明している(また番組出演料や国から施術報酬が入る)だけで、何だかなあ、と

心底軽蔑します。

 

今回の騒動が無ければ知らなかったことでしたが、TVに出ている「専門家」の役職

で「特任教授」とか「客員教授」というのは、大学や組織の広告塔に過ぎず、長年

その組織や現場で研究を続けて来た人間では全くなく、契約で一員を名乗る存在

であるということです。中には自分から金を積んで組織と契約する輩も少なくない、

というのでした。

 

道理でその輩どもの「予測」など全く外れる訳でした。

それをテレ朝やTBSなど在日朝鮮人に上層を牛耳られた反日放送局が、世間

分断のために煽りに煽る策動に悪用し続けた、という構図しか残りませんでした。

彼らにとって武漢肺炎は、「自身で汗水不要のオートマチックなテロ道具」だった

のでしょう。

 

全く信用なりません。自分で自分や周囲を守るしかありません。

まあ電車やバスでのマスクやうがいと手洗いは、もう成人した息子の中学受験の

頃からの私の習慣でしたし、過去に何度も職場で変人扱いされたものですが、

これからも継続します。外出時のマスク常用も随分、市民権を得たと思いますし。

(「顔パンツ」という用語も出来たようですが、下着で堂々街を歩きませんので、

「顔スーツ」くらいにしては如何でしょう。じゃあ「マスク」でいいやん^^;)

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その他の人間ドックの結果はいろいろ当日の不本意なことがあって、また勤務

手当カットの恐れありです。
定年延長で作業単価が6割に下がった今も、7万/月の減額、手取り全体の1/3

相当の減額の恐れがあります。

他の会社だったら刑事事件レベルの懲戒事案での減給で報道に出るほどの

減額です。こんなことがまかり通るのでしょうか。(過去に制限を受けたことあり)


正式には産業医面談後に決まりますが、毎年人間ドックとその後の面談で病気に

なりそうです。実際、このプレッシャーで、受診時の脈拍は120/分を超えていて、

全く平常時の測定値にはなっていません。会社は主治医の出した白衣高血圧の

診断書も受理しません。


去年指摘されて驚いた脂肪肝は今年は消えました。恐れていた肝硬変→肝臓がんに

進まず安堵しました。

毎年人間ドック直前1か月で、3キロほど糖質カットで体重落とすなどをしていたのが

却って脂肪肝に至り馬鹿みたいでした。栄養状態が急速に悪くなるのに対応して、

身体が栄養を貯め込む反作用が起こった結果なのでした。

去年の人間ドックの後でそのような因果関係を知りました。ちなみに産業医はその

ような有益情報を一切教授しません。自力で調べて得た情報です。

本来、姑息なネズミ捕りのような結果調査よりも、そういう情報啓発こそが産業医の

重要な役割ではないのでしょうか。

なので今年は減糖での体重調整はしませんでした。

 

これ1つとっても実際に人間ドックのせいで病気になるという話であります。

境界状態の人間を患者扱いに引き入れることで、自分達の食い扶持を増やそう

とする、所詮は低級医療関係者のゲスな錬金術しか感じられず、花王など似非健康

食品メーカと強く癒着した人間ドック学会のありようには、心底憎悪すら感じます。

 

 

 

ご覧いただきありがとうございます。

 

 

 

 

 

 

 

(2021/12/06 記)

  

直近記事の続きです。

 

2年前、滋賀の旅で飲食代を渋った(具体的には近江牛にトライしなかった)ことが

今も唯一心残りだったので、今回は極力、地元の味わいを愉しむことにしました。

まあ、所詮、贅沢なことは出来ませんので、ささやかな差ではあるのでしたが。

 

 

旅の初日、ブランチに道の駅あわじ内でいただいた淡路牛炙り丼です。

淡路SAには大した味わいは無いのを長年知っていたので、高速道を降りてから

昼食をとることに決めていました。夜は3年とらふぐ三昧を愉しみにしていましたので、

ここは淡路牛でしょう、ってことで、これに決めました。

1600円。淡路島特産の玉葱の味わいもあり、お値打ち品です。実に満足しました。

 

  

宿泊は、昔からあるTVCMで関西では有名な「ホテルニューアワジ」系列の

「海のホテル 島花」でした。船で系列館の大浴場への案内もあり、存分に堪能

しました。ちなみに兵庫県施策のワクチン2回完了キャンペーンを利用しました。

1人あたり7000円ほどのお得感がありました。その内、2000円分は宿から飲食や

土産物に使える割引クーポンの形でいただき、夕食時の酒代に充てました。

 

 

  

  

  

 

愉しみにしていた3年とらふぐ三昧です。

 

 

  

アワジビールのヴァイツェンが驚くほどの出来でした。例えば真のビール通にも

十傑の中の1銘柄としてよく知られる、箕面ビールのヴァイツェンと比べても

格段に上です。

1998年からあるブリュワリーのようです。1998年は明治開国以来不当に続いた

メジャービールメーカ寡占からの規制緩和直後であり、国内では最老舗に近い

でしょう。流石に最近のブームになってからの新興メーカではない凄さを

感じました。(一方、アルトはやや残念。こんな薄味のアルトは初めてでした。)

  

   

なのに国内のメジャーメーカは「更においしくなりました」「何これ、今までと全然違う」

「今、ビールがどんどんおいしくなってます」「季節の料理に併せて味を変えてます」

などと、折角の今までの高評価顧客の味覚を全否定して切り捨てるかのように、

もう既に自分達でも正解が分からない袋小路状態に陥り、当面の売上予算達成の

ためには顧客を1度でも騙せば良い、というかのような極めて卑近なスタンスをCMで

隠しません。(「騙されたと思って飲んでみて。」というCMコピーもありました。

で、多くの人は変わらない味に騙されたと思い、ますますビール離れが進むのでした。)

 

季節ごとや半年ごとに味がどんどん変わり、過去の味を全否定する酒が他にあり

ますか?日本酒でもワインでもウイスキーでも。ビールをまともな製品と考えず、

「ビールは味じゃない。喉越しだ。」と嘯く味音痴ジジイどもの「とりまビール」を

率先肯定するのがメジャーメーカ自身である、としか言いようがありません。

 

製法が1通りしかない、との明治時代の導入時点での誤解に彼らは本当に気づいて

いないのか。そんな筈はなく、ならば何故世界のビールの歴史や醸造法と味わいの

あまりに膨大な広さを全く「存在しない」かのように振る舞うのか....。

日本のメジャーメーカのビールだけでビール論を語ろうとする滑稽は、大昔の

「赤玉ポートワイン」で世界のワインを語る以上に陳腐なものだと、メジャーメーカや

「とりまビール」を是とする国内の「ビール通」には、永遠に理解されないので

しょうか。

(日本のメジャーメーカのビールは世界のビールマップの中で、ボヘミアン・ピルスナー

かジャーマン・ピルスナーのどちら【どちらも極めて枝葉末端の分類です】に入れる

べきか長年の棚上げの上で、どちらともつかないが一応製法上、ヨーロピアン・ペール

・ラガーに入れとくか、という雑な扱いです。国内味音痴の自称ビール通の間で絶賛の

アサヒスーパードライなど、どこにも長年分類不能だったのが、米国ミルウォーキーズ

ベストドライが出来たのを機に、まとめてドライビールという新分類を作って放り

込まれたような顛末であり、到底まともなものとは評価されていません。)

  

      

はあはあ。えーもとい....。毎々脱線恐縮です(^^;)。

 

   

  

 

  

   

アワジビール以上に驚かされたのは、この日本酒(焼酎)です。

最初は美味で、かつて良く飲んだ八海山が置いてある、と思ってオーダーしたの

でした。(ブームのせいで高価なものとなり、果てには品切れが多くなり味わう機会

が減りました。)

 

  

ストレートで頂く選択肢はないようで、水割りかハイボールかロックか、と言われる

ので、次善のロックとしました。

というのは、酒粕から作った焼酎だとの説明があって、薄めてしまえば味わいも

分からないと考えたからです。

 

ところが、このとんでもないほどの濃厚さったら....。

ねっとりとした粘度まで感じられ、八海山本体より味わい深いほどでした。

どういうことなんでしょう?酒粕を経由することで、旨味が却って凝縮される

とか、あるのでしょうか。困惑する程の絶品でした。

 

銘柄を記録しませんと、別途購入の機会を得ることが出来ませんので、

慌てて、再度ドリンクメニューを見せて貰って、画像に残しました。

「追加注文するのでないけど、後学のためにドリンクメニューをもう一度見せて

くれますか?」とお願いしたら、スタッフさんが快活に「お写真撮られてもいいですよ」

「道の駅などにあるかも知れませんので、ぜひご覧になってください」と応じてください

ました。(スタッフさんの好印象が爆上がりでした。)

 

 

どうやらこれのようです。お高いですが、手が出ないほどの高価ではないですね。

「よろしくせんまんあるべし」と読むようです。安価な25度のものもあるようです。

 

  

19時半スタートの夕食でしたが、心地よい時間はあっという間に過ぎて、終わったのは

22時前でした。

その時間帯に飲んだ最後のコーヒーがいけませんでした。少し飲んだだけでしたが

全く寝付けず、翌日夕方から夜間の運転にも影響して、ちょっと危うかったです。

(運転中にこそ、いただきたかったです。)

 

   

食事の前に船で近辺の提携宿の大浴場にも行きました。

定期運航ではなく、フロントにお願いすればオンデマンドで、乗客1人でも出帆して

頂けました。

 

   

淡路棚田の湯、というのがなかなかのもので、段差があるので、最上段に浸かると

下段2段に入っておられる人々は、頭頂が見えるか見えないか程度です。

しかも視線はみんな外の海を眺める構図となり、不要に目があうこともありません。

 

いつも大浴場で辟易する、「大浴槽の中央に陣取り、出入口に睨みをきかせ

『おっ。俺のシマに入るつもりか?」』との不可解な威嚇とか、こちらが出ようと

すると『もう出るのか。この根性なしが。』とニヤつく(CMでもそんなのありました)

意味不明な優越の表情とかの、浴場内トイレから出ても掛け湯なしの糞ジジイども」

(これ、旅行記事では毎回書いてますね^^;)の存在を意識しなくて済みました。

それで従来、大浴場での入浴には積極的でなかった私も、予想外に癒されました。

 

  

    

 

しかしそれ以上に絶品は、部屋の露天風呂でした。

ホテルの最上階にある、それほど広くないスパフロアと同じ高さにあり、このホテル

では2部屋しかない設備です。しかもよくある団地式に露天が横並びになっている

のでなく、建物の両端1部屋ずつにしか割り当てがない贅沢なものでした。

(身体を洗う内風呂は室内にあり、手狭なスパフロアより豪勢な感じでした。)

 

   

格子から首を出せば、周囲は絶景でした。

 

  

小さな湾の対岸にホテルニューアワジ本館や系列館がありました。

 

   

   

 

なかなか寝付けずが逆に幸いしての深夜の月見風呂も良かったですが、朝焼けが

最上の気分でした。

 

 

 

 

  

  

  

本当に心底堪能しました。過去を通して最上級に満足した宿でした。

この絶景露天は、ぜひ今度はお忍びで再訪したいものです。

....いえ...もとい(またかよ^^;)。愛想の良かったスタッフさんたちに「あら?あの人....。」

と白い眼で見られるのも如何なものよね、ということで、ただ単にリピートの機会が

あれば、と願うばかりです(^^)。

 

露天風呂のあるバルコニーから、近くの海岸に小さな岩が見えました。

誰も見向きもしないあの岩2つが、実は真のおのごろ島だったら面白いだろうなあ..

.とか、ちらっとふざけたことを思いました(^^)。

  

 

2日目のおのころ島神社参拝の後、イングランドの丘が近辺にあったので、

昼食目的もあり、さすがに単独行ではないので、神妙な神話名勝巡りばかりでは、

辛気臭かろうと思い、立ち寄りました。

 

  

  

  

   

寝てばかりのコアラにしては、珍しいサービスショットになりました。

競合する他の動物が毒性のために食さないユーカリだけを食べることで、種を維持

して来たコアラは、そのユーカリの毒性のために半分頭が麻痺状態にあり、それで

睡眠が多くなり、生活維持の消費エネルギーを最小化する=ユーカリだけで済ませる

ことができる、というバランスで生き延びて来たそうですね。

 

  

こちらは完全熟睡モードです。左手で枝をつかみ、頭は幹に突っ伏して器用ですね。

 

  

  

三流SFの「宇宙植物」っぽいです、

 

    

   

 

 

夜の晴れ間に見えた星の多さでも感じたことですが、本州から少し離れるだけで、

関西圏の光芒から遠ざかることが出来るのだ、と実感しました。

それは昼間の空の色や空気感にも感じられ、国内の比較的近辺地に居ることを

忘れさせました。場内の人口密度が低いこともそう感じさせたのでしょう。

(どこぞの蕎麦屋のように、どうぞ無くなってしまわないよう、お願いしたいです。)

 

コスモスがまだ残っていました。

 

   

NEX-6 の電子収差補正機能を使っても、E18-55mm の描写力はこんなものでしょうか。

 

  

  

 

 

 

マルゲリータ 1300円が予想外のおいしさでした。25cm径はありました。

米粉がクラストに含まれていたのか、どこか焼き餅の香りもありました。

この特上の味わいが日常でリピート出来たなら....。実に絶品でした。

(関東幽閉時代にリピートした、専門店の味さえ足元にも及びません。)

 

  

 

この後、伊弉諾神宮に向かったのですが、宿の味わいと露天風呂、ここでの予想外の

リラックスもあって、きっと伊弉諾神宮では私のアンテナ感度が鈍ってしまった、という

のは否めません。

 

伊弉諾神宮参拝を終えて、淡路島を後にしました。

良い旅を象徴するように、素晴らしい日没も見ることが出来ました。

 

  

   

 

毎回の旅道中では、何かしらのストレス源が現れて、折角の癒しが残念でマイナス

されることが多かったものの、今回は同時に右脳の感覚的な愉悦と左脳の論理思考

上の充足があり、完全なリフレッシュと癒しを得ました。

 

充電完了、というより完全放電し切った、と言う感じでしょうか。

先日記事に記した、誤用ではない、本来の意味での「ほっこりした」が、今の境地

だと感じます。

 

 

 

ご覧いただきありがとうございます。