(2021/12/15 記)
創作の進捗が全く動きません。その一方、無駄な動きも多いです。
一種、発散迷走状態なのでしょうが、やっている自身にはその自覚が無く、
後で振り返って、その大いなる無駄に更に落ち込むという繰り返しが
ますます事態を悪くさせています。
バンドやユニットなど複数メンバでの共同作業であれば、脱線や予定逸脱を
咎められるとか、その脱線の意義を問われるとか、修正が入って無駄も少ない
のでしょうが、一人で物事を進める自由と裏腹に、そのような無駄足に自覚が
無く止められないという弊害は否めません。
そもそも若い頃のように「この曲を仕上げて世に問えば、置かれている閉塞状況を
打破出来て、才覚で世を渡って行けるようになるので、ここは何を置いても頑張る」
という願望と妄想が原動力になるほど、自身の新作にかける熱意(=制作しようと
している楽曲を自身で猛烈に気に入ること)というものが、今は無くなっていることに、
大きな原因があるのでした。
「これを完成させたところで、人生何も変わらん。そもそもそれほど気に入らない。」
という心情では、人が通常送る生活上の苦労の上に更に創作での苦難を受け入れ
ようというパワーは生まれません。
作曲というのは、自身で苦吟して音の列を作る、という作業ではありません。
よくドラマなどで見る、チェロなどを弾きつつ単音程を探って楽譜に1音ずつ書き溜める
イメージの場面がありますが、あんなもの作曲をしたことの無い人間の憧れみたいな
ものでしょう。全ては手先ではなく脳髄の中で構築(それも勝手にというか否応なしに)
されるという感覚が近いです。「降りて来る」という感覚は多くの作曲者が表明して
います。
既に眠っている完成品の存在を、誰かが知らせてくれて、それを壊さずに掘り起こす
という感覚に近いとも言えます。それが自身の物凄いお気に入りになれば、世に出し
たいと思うのは自然なことですし、今まではそれが制作の原動力でした。
今はその着想がほとんど訪れず、たまにそれがあっても、自身のお気に入りに至らず
ボツにしてしまうことが、物凄く多くなったのでした。
それはリスナーとしての満足ラインが上がったということだけではなく、力量が年々
失われているのだ、と感じます。
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何度も同じ脱線をして、それを悔いてもまた時間が経過したら、そこに戻ってしまう
「症状」のうち、一番重症なのは、既にJS-5 でリズムとベースの屋台骨を作り、
上物をMOXF6 で作り込んで行き、そのデータで様々な音源方式のシンセでの
こだわった音色をドライブさせて、D16 の各トラックに積み上げて行く、という最近の
制作ルーチンの王道が確立した今も、「王道ルーチン手法のような厳密な積上げ式
に楽曲を構築するのでは到達し得ない、より直観的な別のバイパス」を求めたがる
というものです。
この画像は家内が帰省中の頃のものですから、2021/11頭ごろの話です。

ちょうどこの記事を公開した頃です。もう随分前の話です。
(悠々自適な記事の内容とは裏腹に、同時並行で模索にもがく自身が居りました。)
自室には新たな機材展開の空間余裕もないので、不在だった家内の机の上に、音楽
制作統合ソフト「Storm」を使えるように準備して、あれこれ試したりしたのでした。
アレンジジャンルとコード進行を指定(メジャー/マイナー以上の細かいコード設定は
出来ないので、複雑なコードは更に上物パートをかぶせることで対応)するだけで、
アレンジが完成する魅力に、Windows XP までしか作動しない本ソフトを、PCを替える
たびにフランスの製造元に英語メールでライセンス変更の依頼を重ねながら、試行を
度々続けて来たものです。
が、今回、保存時に Windows DLLファイルの欠損エラーが出ました。

一時期HDD に異音が出ていたPC(CF-R2)側の問題かもしれません。
しかしまたPCを替えるにしても、今どき、問題なく稼働するWindows XP 機を入手
することも難しくなっているでしょうから、そろそろ諦めるべきなのでしょう。
(新しいPCにWindows XP をインストールすることはもう出来ません。最初の起動時に
ライセンス承認のルーチンが走り、そこでマイクロソフト社サーバで受付が為され
ないようになってしまっていますので。)
Storm にしても手間のかかるライセンス変更の依頼も、いつまで対応いただけるかも
分かりません。
という訳で、Storm でのバイパス手法を実用化したいという想いでの作業は今回で
ほぼ全て無駄に終わった訳です。創作仲間が居たら途中で叱責が入ったことでしょう。
無為にしてしまった人生の残時間はどんどん経過して行きます。
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また、このような「沼」もあります。
曲とアレンジがD16 上で完成した後で、その上に歌詞を自由に捻出することが出来なく
なった(せいぜい曲名を考える程度が限界)今も、ヴォーカルがアレンジの中心に
あると、器楽曲より自由にパートの抜き差しが可能(オケがモザイク状に纏まりが無く
ともヴォーカルの音響で纏まる)で、またシンプルで音場を活かした仕上がりも可能に
なることへの憧れは今もあります。
それで、ヴォーカルにかけるエフェクタを入手しました。
新たな歌詞を考えられなくとも、旧作のリメイクには有効かと考えたのでした。
2021/11頭ごろです。冬の賞与からの私への分配金を先にあてにしていました。
(小遣いの一時蓄え口座から出費して、カード払い時期に賞与分配金で充填する
あてが、その後の別途の出費でふいになり減損したままです。その話は別記事で。)
Roland VT-4 というヴォーカルの音程やフォルマントを変化させられるエフェクタです。
PCソフト上でマルチトラック制作をするクリエータには、そのソフト上で稼働する
アドオンソフトのほうが有効で、広く普及していると思いますが、私のような作業ルーチン
では、このようにハードウエアとして駆動するものが必要となるのでした。


変な声やケロケロヴォイスなどに興味がある訳ではありません。
過去の代表作のうち、「夜の去るスピードより速く」や「次の世界のアダムとイヴ」などの
それぞれ初版などは、現在のD16 に当たるマルチトラックレコーダに、アナログカセット
4トラック機である、TEAC 244を使っていた時代の仕上がりでした。
作曲とアレンジが完成して、それを何度も聴きながら浮かぶ映像をもとに作詞を終えた
後、ヴォーカル録音の過程で、僅かに再生ピッチを遅くして最高キーまで苦しくなく歌唱
出来るようにして録音し、マスタリング時には元のピッチに戻す工夫をしたこともあって、
やや声質に「テープの早送り時に感じられるフォルマントの高域へのずり上がり」が
あって、全体の完成度を少しでも上げている効果があります。
(The Beatles やQueen でもそのような効果で仕上げられている作品が多くあります。)
デジタル記録であるD16 単体では、真似が出来ない芸当なのでした。
今も旧作オケの4トラックマスタをD16 に移植するためにTEAC 414 MKII は持って
いますが、現在の作品の最終仕上げをアナログ4トラックに逆移植して仕上げる
つもりはありません。
何故ならD16 のように内蔵エフェクタがアナログ4トラック機にはないので、今は処分
してしまったハードウエアのエフェクタも多種類必要となりますし、ピッチをずらした
ヴォーカルだけを再び、D16 上のオケとシンクロさせ、その後D16 でエフェクト加工
するのは、まず不可能です。
アナログテープ駆動の正確さのレベルは、デジタル機器と比べてかなり緩いため、
D16 で元にあった場所にヴォーカルトラックの先頭を位置調整出来ても、末尾が
ズレることが多く、中学時代に映画を撮って、その動画と音声をテープレコーダで
シンクロさせるのに非常に苦労した以来の同種の困難が付きまといます。
この点、PC上のDTM作業では簡単にマウスで、ピッチに影響のないタイム
ストレッチなど調整が容易なのかもしれませんが。
それでも私がPC上でのDTM制作にスタイル変更しないのは、SY77/99 や
MOXF6 に実装されているようなステップ録音方法が実装されている環境が全く
無いからです。1音ごとに数値を睨むとか、マウスを使って1音ごとにピアノロール
表示でステップ録音するなどは、楽譜を買って来て、それを見ながら打ち込む程度
の「バンドやろうぜ」レベルの入門者には便利でしょうが、世に楽譜のないオリジナル
をデータ打ち込みするには不適と言わざるを得ません。鍵盤で音程を探って、ミスは
戻る、というような入力を実装するソフトはありません。
(上述のチェロの話と似て非なるものです。音程の正解は頭の中にあるのです。
手先で探るのではありません)
DTMソフト開発会社も基本「作曲をする人は楽器演奏が出来て、楽譜も書ける人
なのだろう。だから即興で入力して後で一部を補正するとか、楽譜を見ながら1音
ずつ入力するので充分。」という前提で作っているのでしょうね。
作曲というものを全く分かってないと思います。
もし可能だとしたら、D16 で作ったオケを414 MKIIにアナログダビングして、ピッチを
落としてヴォーカルを入れて、そのヴォーカル(ピッチを戻したもの)をまたD16 に
アナログ録音の上、D16 で元のオケを消して(または新たな場所に録音)、その
ヴォーカルのテンポに合わせて、D16 にタップボタンを使ってテンポを打ち込み、
そのMIDIガイド(D16 をMIDIマスタとして)を使ってオケの全パートを録音し直す、
ということは挙げられますが、そこまでの情熱を貫ける楽曲素材が今はもう
ありません。それを毎回ルーチン化するとなると尚更です。
そのような困難を回避する望みをもって、VT-4 を導入したのでした。
しかし、現時点ではその意図に沿った満足には全く至りません。
フォルマントを少し早送り方向に上げると、もう低ビットデジタル処理特有のモアレ
やサンプリングエラーノイズ(動画ならモザイクノイズに相当)がザラザラと目立ち、
とてもエフェクト音響だけを使って、ヴォーカルトラックを扱えません。
原音をブレンドさせて、どうにか使える軟着陸点を見いだせるかどうか...。
244や414MKII のピッチツマミ1つで実現した、滑らかなフォルマント加工には
程遠い音響がそこにはありました。

時間をかけて、調整は続けています。関東幽閉時代に買って、これも期待外れに
終わったBOSS VE-5 のコンプレッサーやピッチコレクトなども併用しつつ、
どうにかこの狭い自室で、近所迷惑になるような大声を張り上げることもなく、
抑制気味の表現が可能にならないかを模索したいと思います。
ただ、そうして試行錯誤して初めて自覚する、回避不能な問題もあるのでした。
声が全く出ません。息が続かず、緊張もあってか、すぐに異物感が喉にからみます。
この2年ほどは人間ドックでも感染予防のため肺活量検査は無かったのですが、
2019年秋の時点で、肺活量は若い頃の7000cc 台から3000cc 以下に落ちていて
上掲作品のような、楽曲に求められるブレス間隔までの息が続きません。
関東幽閉時代の4年やその後の在宅勤務で、声を張り気味での会話の頻度が
極めて少なかったことが影響しているのでしょう。
そんなことを自覚してからのエフェクタ導入ではないの?と、第三者からは
当然見えるでしょう。そんなことも、1人での創作では思い至らないのでした。
老いが実際に創作に強い影を落としている現実に、否応なく対峙させられる訳
でした。空回りと足踏みばかりをしています。なぜ制作の王道ルーチンを自分
なりに確立した後も、このような隘路ばかりを繰り返すのでしょう。
1作ごとに方法論を模索する必要など無い筈なのでした。確立したルーチンに
素材を上げて、その上での工夫模索に集中すれば良い筈なのでしたが...。
共同制作をするメンバを新たに望むのが年齢的に難しくとも、身近に音楽談義や
その周辺の雑談を交わせる人間の存在があれば、自身がおかしな隘路というか
「沼」で自覚無く立ち往生している状態を、指摘してくれることもあるでしょう。
しかし過去に制作協力をしてくれた人々も、それぞれの人生のために縁遠くなり、
若い頃のように、気軽な機会に新たに意気投合というのもなかなかあるものでは
ありません。
そして才覚溢れていた若い頃に、現在の自室の機材を見ることがあったら、
目がくらんで「何故これだけの機材を揃えていながら、自身の才覚を形にして世に
問う行動に徹しないのか」と怒りと羨望と軽蔑と、いろいろな感情が直情的に沸き
起こったことでしょう。
私自身の20-30代には想像も出来なかったレベルの、私が必要とするポテンシャル
が、不足なく揃っているのでした。

ついでに、右のサブタワーのRACKBRUTE 3U の状態は古い情報なので、最近の画像
を追加しますと...。

ここまでアナログシンセの整い過ぎる原波形を崩して、楽器的な楽音追求にこだわった
拡張モジュール群の品ぞろえも珍しいかと思います。

若い頃には想像も出来なかったことなのです。
昔は機材個々が非常に高価で、必要な理想を揃えるには、親や祖父母に山や田畑を
ガンガン売って貰って金策出来たような裕福な幸せ者(前世紀末頃、8ビットサンプリング機
フェアライトCMI 【当時の貨幣価値で1200万円ほどしました】を前面に押し出したシンセ
バンドなどがそんな裏話を自慢げに語っていました)以外は、費用の蓄積にも大変な
長い時間が必要で、ようやくそれらが整った頃には、すれ違いに自身の才覚が底を尽きる
時期が皮肉にもやって来るという、あまりに切ない人生の構図が潜んでいたことを。
今は埃除けに各機材にかぶせてある古いバスタオルを外すのにも、一大決心が
必要なほど鬱屈した心境のまま、毎日が過ぎて行きます。

機材を申し分なく揃えて証明できたことは、期待と妄想通りにそれらが自身の才覚に
有益であるということではなく、ただ自身の無能であった、という現実なのでしょうか。
創作者には、反響が必要です。それが直接の励みになります。
しかし、そういう手ごたえがないのでした。
BIG UP! に作品を公開しているだけで、月あたり3桁程のお試し試聴がある程度で、
ブログ記事での作品公開告知をしても、それを更にTwitter で告知しても、ブログ記事
では2桁の、Twitter でも3桁程度の参照があるだけで、次回作を期待する感触を得る
には遠い現実があります。(「いいね」は更にその1割にも満たないことが多いです。)
昔の共同作業メンバや家族周辺にも、感想を依頼することがあっても、その時に
得られる快諾一報とは裏腹に、実際の意見感想が戻って来ることはありません。
そんな空虚な現実に、もう自身の創作はお役御免なのか、と思ったりもします。
誰も見向きもしない創作に、今後も関わる意義が見えなくなって来ています。
これまでの作品を公開していたからこそ、既にそれで得られた愉しい出来事や
ささやかなご縁など(全くモテなかった学生時代とは裏腹に社会人になって早々に
結婚出来たのも、自作曲が最初の接点ではありました。それらも一時の誤解だった
のか、今は全く創作に興味を持たれていませんが^^;)があって、もう充分それで
楽曲が私にもたらしてくれた幸福というのは終わったのか、という解釈もあるのかも、
と最近思うようになりました。
そもそも楽曲公開を通して自身が得たかった幸福とは何だったのか、根本まで
遡っての認識直しが必要なのか、と思い悩みつつ、鬱な気分で手足が出ない
日々が続きます。
(その裏返しが、機材や別環境を試して見る上述の「沼状態」のループだったり、
このところの「いろいろ出向いて楽しいことをやってます」というやや浅薄な内容の
記事の、ここまで仔細に脳内の覚書を書くか、という長い文章なのだろう、という
自覚はあります。それらは一種の逃避行動なのでしょう。)
創作仲間が居たなら、頭を軽く叩かれて「目覚ませ。ごちゃごちゃ考えるより
一緒に決めたスケジュール通り、やることやれ。」と冷笑されて一件落着、といった
些細な隘路なのかもしれませんが。
追記(2021/12/16)
上述の2作品について、音楽配信サイトにサブスク契約をお持ちでないかたは
それぞれ以下のURLからお試しください。久々の創作記事だったので、その要領
というか、配慮を忘れてました。こういうところもマネジャーが居ればなあ、と
思うところです。一人でやっているので、考え落ちや抜けがとても多いです。
夜の去るスピードより速く(1991):
次の世界のアダムとイヴ(1991):
ご覧いただきありがとうございます。