【実績】投資信託の販促DVD(動画)
11月から年初にかけて手がけていた制作物が、
ここにきて次々にリリースされています。
しばらくは、そのご紹介が続くのでご容赦を。
まずは、新規設定の投資信託の販促DVDです。
商品は「日興T&Dパシフィック・パートナー・ファンド」。
日興コーディアル証券で2月2日から募集開始です。
その販促DVD(動画)を創りました。
同証券の店頭でも流れているはずです。
動画はこちら。
http://bit.ly/gve1Od
とくに動画は、金融商品取引法や金融機関独自の
コンプライアンスなどで、表現できることが非常に限られます。
だからといって、制作サイドが
ヌルい提案をしていては意味がありません。
「ちょっと厳しいかな…?」というギリギリの線を突く。
この按(あん)配が経験なのだと思います。
エンジンは企画・構成(脚本)、
制作ディレクションなどを担当しました。
今回の仕事は、依頼主さんの強力な援護があったので
とても助かりました。映像制作チームもがんばりました。
一体感を感じたという意味では、
アジアカップの日本代表並みです!
(知らないけど、たぶんそうでしょう)
ありがとうございました。
「好きなこと」から「好きな人と」へ(その3)
好きな人と仕事をする--
正しくは、「この人のために」と思える人と
一緒に仕事をしたい、ということですね。
考えてみれば当然なのですね。
これまでの仕事を振り返ってみても、
喜ばれたり評価の高かった仕事のほとんどは、
「この人のために」と取り組んだものでした。
自分の時間やコスト(予算)までも忘れて
没頭することが多いから。
そして、目標がはっきりしているから。
しかし!
「この人のために」と思える人って、
そう多くは存在しないですよね。
しかも、最初はわかりません。
そう思えるまでに
これまた長い時間がかかったりします。
わたし自身、気づくのが遅い
=鈍感なのかもしれませんが(笑)。
だからこそ、今年はたくさんの人と仕事をしよう。
「この人のために」と思える人とたくさん出会おう。
そう考えて掲げたのが、「取引社数を2倍にする」
という目標です。
これまで以上にしんどい仕事や
利益につながらない仕事が増えるかもしれません。
それは覚悟のうえです。
この人のためにと思える好きな人を増やすために、
まずは出会いを増やすこと。
単純化して取引社数という分母を目標にしたわけです。
「この人のために」という気持ちはお互いさま。
できれば、わたしも取引先にそう思われたい。
2011年は、そんな出会いを増やしていきます。
「好きなこと」から「好きな人と」へ(その2)
(引用つづき)
バイクで旅行する2度目のオーストラリア。ケアンズまで1号線で200kmくらいの場所だったかな、バイクがエンストを起こすのは。サトウキビだらけの何にもない場所だ。エンジンが止まったら、聞こえるのは風の音だけ。怖かったな~。昔読んだ上温湯隆の「サハラに死す」を思い出したりして。砂漠じゃないんだから渇死なんてしないって! 冷静に修理する気持ちになるまで、どのくらいの時間がかかったのか。結局は粗悪ガソリン対策で、自分で着けたフィルターが上下逆になっていただけだ。それを直してキャブレターの中をちょっとそうじすれば、また普通に走りだすよ。後でバイク仲間に話して大笑いされたネタだ。
修理して走り出したときに感じたことを忘れるな。それは、ワーキングホリデーでの1年数か月を含む、お前のオーストラリア体験で最も大事な瞬間だから。お前はこう感じるはずだよ。「いつ何が起きて死ぬかもしれないのなら、いちばん好きなことをしておきたい」。1号線上のバイクツーリングで死ぬなんて大袈裟だけど、そんなことはどうでもいい。きっかけはどうであれ、いちばん好きなことを仕事にしたいと正直に感じたことが大事なんだ。
お前はずっと本や活字が好きだったな。スポーツやバイク、いけない遊びも好きだったけど、お前がずっと拠り所にしていたのは、古今東西のさまざまな本。いつも手元に本があっただろう。読むことで、いろんなイメージが湧き上がってきただろう。単純に面白いと感じただろう。それだ!
帰国してお前は、求人誌で見つけた小さな編集会社に応募して入社する。その会社に14年勤めたあと、独立して広告制作・企画編集会社を立ち上げるのさ。起業する気はさらさらなかったけど、流れというか、必然というか。会社を辞めるときに、どこかへ就職する方法もあったはずだけど、まったく考えなかったな。起業して3か月間、何も仕事がなかったときはあせったけどね。でも何とか食べているし、「この人のためなら」と思えるような人にも出会えたよ。
最後に。
お金、英語、親の説得、帰国後の仕事――オーストラリアに行かない言い訳はいくらでもできたよね。それでもエイヤッで行っちゃった。その後の俺の人生は、まぁいろいろあるけど毎日楽しいよ。だからいま、渡豪の決断をした1986年のお前にお礼が言いたい。楽しい道を選んでくれてありがとね。
(引用ここまで)--------------------------------------------------------------------------
何か力んでいて、ちょっと恥ずかしい。
さっさと好きなことをやればいいのに
うだうだグダグダと…。
文体もどうなんですかね。
まあ、言いたいことは
好きなことを仕事にすると決めるまでに
ずいぶんと時間がかかったということです。
でも、そのおかげで幸せに仕事ができた、と。
そして、この仕事を20年続けてきて
ようやく新しい課題が見つかったんですね。
こんどは「好きな人と仕事をしよう」。
「何をいまさら…」
「甘い!」
「意味あるのか?」
いろいろなご意見はあるでしょう。
わかります、自分でもそう思いますから!
でも、決めました。
20年かかりましたが(笑)。
すみません、もう1回続きます…
「好きなこと」から「好きな人と」へ(その1)
去年11月から続いたラッシュも峠を越えて、
ようやく落ち着いてきました。
「そろそろ営業活動を…」と考えていたところに
新しい引き合いのご連絡をいただきました。
ナイスタイミング! ご縁がありそうです(笑)。
何せ、今年の目標のひとつが
「取引社数を2倍に」ですからね。
やりますよ~
自分で自分のことを幸せ者だと思っています。
好きなことを仕事にしているからです。
好きなことだから続けられるし、
粘って考えることができる。
でも、好きなことを仕事にするまでには
時間がかかりました。
好きなことを仕事にする「怖さ」を
乗り越えるまでに、時間がかかった。
その顛末は、昨年7月に発行された
「30万人のワーキングホリデー」
という本に書いています。
この本は、若い人たちにワーキングホリデーの
実態を知ってもらうために、多くの体験談を載せたもの。
体験者の1人として寄稿しました。
上から目線になるのが嫌で、
25年前の自分に当てた手紙のように書いたのですが、
どうなんだろ…
ちょっと長いですが引用します。
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1986年の自分へ
シドニーに着いたのが21歳のクリスマスだから、ちょうどいまごろは渡豪前に東京に出てきて遊んでた時期だな。とても楽しみな一方で、高まる心配や不安を遊びで打ち消そうとしているんだろ? だからこそ、いま金を使うな。ビザ取得に必要な残高証明だって、友だちに借金して取ったんじゃないか。シドニーに着いたときは5万円しか持ってなかったんだぞ。「貧乏旅行もいいね」なんて格好つけてる場合じゃない。
英語だってそうだ。これまで習った学校英語でも案外通じるけど、事情が許す限り、現地の英語学校にも通った方がいい。お金がなくて行かなかったけど、あとで苦労する。身につけるつもりがあるなら、独学より教わった方が効率的だ。英語学校も楽しいみたいだぞ。
お金も英語力も、まったくないお前だけど心配するな。なんとかなる。半年後には、ツアーガイドで日本にいた以上に稼ぐようになっているよ。某大手旅行会社の厭味な日本人面接官に「英語がほとんど使えませんね…」と落とされて、マーティンプレイスで悔し涙を出すけどな。そこから英語⇔日本語のエクスチェンジレッスンで勉強して、約1か月後に合格する。きっかけと意志があれば何とかなるもんだな。
お前は最後まで、具体的な目的がないままオーストラリアで暮らすことになる。若いのにしっかりした考えをもつオージーの学生や、目標がはっきりしているワーキングホリデーメーカーに出会うにつれ、だんだんお前はあせってくるはずだ。「これから自分はどうしたいのか、何がしたいのか?」。そして無理やり結論を出す。「帰国して芝居をやろう」。あせって決めなくてもいいのに…。その役者修業は2年で挫折する。
結局お前はもういちどオーストラリアに行って、小さなバイク(ホンダCT110)で3か月間の旅に出る。そこで初めて、本当の自分の気持ちに正直になるんだな。「いちばん好きなことを、本気で仕事にしよう」って。本当の気づきには時間がかかると言うけど、そんなに時間とお金をかけなくてもいいよ(笑)。
いちばん好きなことにチャレンジするのは怖いよ~。もしうまくいかなかったら、自分のアイデンティティが壊れてしまうように思えるから。お前もそうだった。だから、オーストラリアを手始めに死ぬまで世界中を旅行するだの、湾岸戦争で破壊されたクエートの油井を修理に行くだの、役者になるだのって、ごまかしていたわけだ。本当にしたいことは、そんなことじゃないのに。
(つづく)