「好きなこと」から「好きな人と」へ(その2)
(引用つづき)
バイクで旅行する2度目のオーストラリア。ケアンズまで1号線で200kmくらいの場所だったかな、バイクがエンストを起こすのは。サトウキビだらけの何にもない場所だ。エンジンが止まったら、聞こえるのは風の音だけ。怖かったな~。昔読んだ上温湯隆の「サハラに死す」を思い出したりして。砂漠じゃないんだから渇死なんてしないって! 冷静に修理する気持ちになるまで、どのくらいの時間がかかったのか。結局は粗悪ガソリン対策で、自分で着けたフィルターが上下逆になっていただけだ。それを直してキャブレターの中をちょっとそうじすれば、また普通に走りだすよ。後でバイク仲間に話して大笑いされたネタだ。
修理して走り出したときに感じたことを忘れるな。それは、ワーキングホリデーでの1年数か月を含む、お前のオーストラリア体験で最も大事な瞬間だから。お前はこう感じるはずだよ。「いつ何が起きて死ぬかもしれないのなら、いちばん好きなことをしておきたい」。1号線上のバイクツーリングで死ぬなんて大袈裟だけど、そんなことはどうでもいい。きっかけはどうであれ、いちばん好きなことを仕事にしたいと正直に感じたことが大事なんだ。
お前はずっと本や活字が好きだったな。スポーツやバイク、いけない遊びも好きだったけど、お前がずっと拠り所にしていたのは、古今東西のさまざまな本。いつも手元に本があっただろう。読むことで、いろんなイメージが湧き上がってきただろう。単純に面白いと感じただろう。それだ!
帰国してお前は、求人誌で見つけた小さな編集会社に応募して入社する。その会社に14年勤めたあと、独立して広告制作・企画編集会社を立ち上げるのさ。起業する気はさらさらなかったけど、流れというか、必然というか。会社を辞めるときに、どこかへ就職する方法もあったはずだけど、まったく考えなかったな。起業して3か月間、何も仕事がなかったときはあせったけどね。でも何とか食べているし、「この人のためなら」と思えるような人にも出会えたよ。
最後に。
お金、英語、親の説得、帰国後の仕事――オーストラリアに行かない言い訳はいくらでもできたよね。それでもエイヤッで行っちゃった。その後の俺の人生は、まぁいろいろあるけど毎日楽しいよ。だからいま、渡豪の決断をした1986年のお前にお礼が言いたい。楽しい道を選んでくれてありがとね。
(引用ここまで)--------------------------------------------------------------------------
何か力んでいて、ちょっと恥ずかしい。
さっさと好きなことをやればいいのに
うだうだグダグダと…。
文体もどうなんですかね。
まあ、言いたいことは
好きなことを仕事にすると決めるまでに
ずいぶんと時間がかかったということです。
でも、そのおかげで幸せに仕事ができた、と。
そして、この仕事を20年続けてきて
ようやく新しい課題が見つかったんですね。
こんどは「好きな人と仕事をしよう」。
「何をいまさら…」
「甘い!」
「意味あるのか?」
いろいろなご意見はあるでしょう。
わかります、自分でもそう思いますから!
でも、決めました。
20年かかりましたが(笑)。
すみません、もう1回続きます…