「ワンルーム叙事詩」

‥最初に‥


***

(八)

「俺はここで、歌い続けるよ。」

カナデから届いた一通のメール。

その文を読んだ時、僕は思わず吹き出した。

「俺」なんて、普段は使わないくせに。

まぁ、あいつらしい一言だな。

僕は携帯を閉じると、ポケットに仕舞った。

これからの事は、まだ決めていない。

田舎の実家に戻っても良いかもな。

とりあえず、仕事を探さないと。

しばらくは、のんびり過ごしても良いか。

もう一度、歌を始めてみようかな。

相変わらず、未来に期待なんてしていない。

終わりがいつ来たっていいと思ってる。

それならさ、まだ少し先を見てみようとも思うんだ。

そうだ、カナデのバンドのライブを、もう一度見よう。

相変わらずさ、人の目は怖いよ。

この世界とも、上手く折り合いをつけられない。

変わらずに、僕は怯えながら、ここで生きていく。

日が暮れた駅前を歩く。

真夏の夜は、暗くなっても暑い。

ふと、僕は足を止めた。

少し先に人集りが出来ていた。

そこから聴こえる歌声。

僕はすぐに分かった。

少し離れたところから、歌うそいつを見る。

目を閉じて、アコースティックギターを鳴らす。

細い喉から線の細い、だけどしっかりとした歌声が溢れる。

左腕には、肘までの黒いアームウォーマー。

歌い終わり、お辞儀をするそいつを背に、僕は再び歩き出した。
「ワンルーム叙事詩」

‥最初に‥


***

(七)

夜道を、僕はアパートに向かって歩いた。

僕の向かう場所は、あのアパートではないけど。

部屋に入ると、僕は窓辺に腰掛けて、煙草を吹かした。

カナデの事が頭から離れなかった。

自傷行為があった事は知っていたけど、抱えてるものが何なのか、それは知らなかった。

カナデは前向きな奴じゃなかったけど、普通に話せるし、普通に笑える奴だった。

カナデの笑顔は自然体で、見ていて羨ましかった。

カナデは、今でも傷を抱えているのかな?

悩んで、迷って、裏切られて、間違って、傷付いて。

それでも歩いていこうするあいつは、やっぱり羨ましい。

ふと、携帯に一件の受信メールが入ってる事に気付いた。

相手はレイだった。

「いきなり悪かったな。お前の事が心配でさ。」

その一文に、僕は思わず笑ってしまった。

ふと、次の文が目に留まった。

「カナデの事な。あいつさ、ああやって笑えるようになるまで、相当時間かかったみたいなんだよ。だからさ、お前の事、放っておけなかったんだよ。」

ふと、また期待をしている自分に気が付いた。

目の奥が熱くなる。

諦めたはずなのに、もう終わりにしたいのに。

明日に対する希望とか、そういったものを持ったって、どうせ裏切られるだけなのに。

なのに、カナデを見ていたら、また信じても良いなんて思ってしまった。

あいつも、こんな気持ちになった事があるのだろうか。

少しだけ、カナデに会った事を後悔した。
「ワンルーム叙事詩」

‥最初に‥


***

(六)

少し高めの声で、カナデは自分の近況を話し始めた。

バンドは相変わらずみたいだった。

ワンマンライブも何回かやって、満員にもなった事。

路上ライブをやってる事。

バイト先で、何故か有名な事。

体調を崩して入院して、みんなに心配をかけた事。

もう、自傷行為はしていない事。

自慢話にも聞こえるような内容も幾つかあったけど、不思議と嫌な気分にはならなかった。

カナデは嫌な奴ではない。

「あのさ、何かあったよね?」

僕の顔色を窺うように、カナデが聞いてきた。

僕は一瞬、動きが止まった。

何でもない、そう作り笑いで返す。

「何でもないわけないでしょ。」

カナデが真剣な顔で聞いてくる。

まずいな。

カナデは大人しい方だけど、意外と頑固な一面もある。

特に譲れないものがある時には、真っ向からぶつかってくる。

バンドメンバーのフジとは、殴り合いの喧嘩さえした事もある程だ。

「変な意地に拘る必要なんて、ないと思うんだ。」

ぽつりとカナデが呟いた。

「価値観なんて人それぞれなんだ。世間体とか、そういったものに合わせられないからって、自分を否定する事はないと思う。」

カナデの言葉に、僕は僅かに苛立った。

そんな事、自分が一番分かってる。

それで何年も悩んでるんだ。

「説教なら、僕は帰るよ。」

なるべく感情を押さえた声で言う。

カナデの表情が、一瞬だけ変わった気がした。

僕は店を出ようと、荷物を手に取った。

「死にたいとか言うなよ。」

僕の顔を見ずに、カナデは言った。

思わず動きが止まる。

予想もしなかった言葉に、窺うようにカナデの横顔を見る。

カナデが顔を上げた。

「僕も君と同じなんだよ。」

僕の目を見て、カナデはそう言った。

「君と出会ってしばらくして、僕は一度バンドを辞めたんだ。」

その一言は、僕にとって衝撃だった。

「ずっと悩んでたんだよ。僕には才能なんて無いって。正直、今でも悩んでるよ。自傷だって止められなかったし。人の目が気になって、外に出るのもままならない。生きづらくって仕様がない。死にたいっていつも思ってた。」

俯いたまま、カナデは吐き出すように喋った。

「フジに言われたんだよ。死にたいって言うなって。だからさ…。」

カナデはそこで言葉に詰まった。

言いたい事があるのに、上手く言葉に出来ないようだった。

「ごめん、帰るわ。」

僕はカナデを置いて店を出た。

カナデは何か言いたそうな顔を向けたけど、引き止める事はしなかった。